2020年05月
2020年05月31日
17-18世紀の言語観~つづき(『言葉と物』より)
言語とはこういうものだ、と主張するのではなく、それ自体が各時代の知の構えの中でそれぞれ異なる位置づけを持ち、異なる意味を孕んで使われてきた概念にすぎないことを綿密な論証で明らかにしていくフーコーの方法から、彼の言語観をうかがい知るためには、その相対化された各時代の言語観を、それが埋め込まれた地層を彼に従って、少しずつ剥がしながら手探りしていくかないので、ここでも手ぶらのフーコー読みとしては、古典主義時代の知の地層の構造を明らかにしていく彼の手つきを辿っていくしかなさそうです。
今日は彼が「マテシス」と「タクシノミア」と題した「第3章 表象すること」のラスト、第6節からです。ところで、「表象」というのは古典主義時代のエピステーメーを語る上でキーワードになる言葉ですが、16世紀の「類似」「相似」と違って、日常語としてすぐにピンとくるような言葉ではありません。
『言葉と物』の訳本の語彙索引の「表象」の項目では複数ページも1カ所と数えて70カ所以上の登場ページが挙げられ、この本の中でもいかに重要なキーワードであるかを感じさせます。その索引では、表象、表象作用、表象行為、表象関係などの訳語が並べられ、そのあとに原語の
représentation が挙げられ、本書のキー・ワードのひとつだが「質的に両義的な語であり、代名動詞 se représenter に対応するものとして用いられるか、他動詞représenter に対応するものとして用いられるかによって、意味を異にする」として、前者代名動詞は何ものかを意識内に「思い描く」意で、この場合「表象」は「思い描く行為」あるいはその結果としての意識内容を指し、観念、心象などが「表象」と呼ばれるのはこの意味においてだ、とされています。また、後者他動詞の方は、様々な訳語が付けられるけれど、その中心にあるのは他の物の「かわりになる」という観念であり、画像が実物を、記号が観念を、貨幣が富をreprésenter するといえば「あらわす」の意でああり、交換においてある商品が他の商品をreprésenter するといえば「等価物として置換されるもの」の意、特徴が生物をreprésenter するといえば、生物の名としてその生物全体を「代表する」の意であって、いずれの場合も「代替」の観念が含まれている、としています。
こうして名詞représentation は「かありになるもの」、「かわりになること」、「物とその代替物との関係」などを指すことになるそうです。
ただし、こうした二系統の異なる意味をもつにもかかわらず、représentation は一語としての統一性をもち、フーコーもあくまでそれを一語として用いているので、この訳書では一貫して「表象」と訳すぞ、と言い、動詞représenter もその多義性に拘らず原則として「表象する」と訳した旨ことわっています。
表象が何かが分かれば、古典主義時代の言語がどういうものだったか分かってしまうといってもいいようなキーワードですから、何の用意もなく、手ぶらでこの本を読み始めて、何の断りもなくいきなりこの言葉に出合って、あたかも誰だってわかってるよね、とばかりこのキーワードを使って古典主義時代の知のエピステーメーを解き明かし、言語がいかなる位置づけをもっていたかを語るフーコーさんにそうやすやすとついていけるわけはないけれど、ひとまずは何かを「あらわし」たり、「代わりをし」たりすることなんだな、と日常語的に分かったふりをして読み進めることにしましょう。漢字の「表象」は「象(かたち)を表わす」(あるいはかたちに表わす)ということでしょうから、素直にそういうことなんだろう、くらいでここはパスしましょう。
「マテシス」と「タクシノミア」は昨日に続いて、古典主義時代の知の地平を形作る基本的な骨組みというか、知の方法を抽出して説明した部分です。
秩序に関する一般的な学問。表象を分析する記号の理論。同一性と相違性との秩序ある表(タブロー)への配分。古典主義時代において、経験性の空間はこのように構成された。
この空間は、ルネッサンスの終りまでは実在しなかったものであり、また十九世紀初頭には消滅する運命にある。
古典主義時代の<エピステーメー>全体を可能にしているのは、何よりもまず、それと秩序の認識との関係である。単純な自然を秩序づけることが問題であるときには、人は<代数学>を普遍的方法とする<マテシス>に訴える。複雑な自然(経験において与えられるような表象一般)を秩序づけることが問題であるときには、<タクシノミア>を成立させる必要があり、そのためには記号の体系を設定しなければならない。記号と合成的自然の秩序との関係は、代数学と単純な自然に分析されうるはずだというその限りにおいて<タクシノミア>がすべて<マテシス>に帰着することは理解されよう。
逆に明証性の知覚が表象一般のなかでの特殊な場合にすぎない以上、<マテシス>は<タクシノミア>の特殊な場合にすぎぬともいえよう。(p97)
マテシスに続いて、何のことわりもなく(笑)タクシノミアなんて聞きなれない言葉が出て來るので当惑しますが、要は数式に落としてしまえるようなことではなく、もう少し複雑で、前回引用した部分にあったように、「もっとも単純な物を発見し、ついでそれにもっとも近い物を発見するというふうにして、そこからもっとも複雑な物にまで達する」というような、同一性と相違性の原理による「比較」の方法によって、世界の物たちを列挙し、秩序づけ、分節化し、しかるべき分類階級に収めて、全体とした「表」(タブロー)と言われているような表象空間をつくりあげる方法が、ここでいう<タクシノミア>というものなのでしょう。
フーコー自身が次のような図式で説明しています。
[秩序に関する一般的学問]
単純な自然 ← ―― → 複雑な表象
↓ ↓
<マテシス> <タクシノミア>
↑ ↑
代 数 学 記 号(シーニュ)
(p97)
この<マテシス>と<タクシノミア>に加えて、古典主義時代の知の方法にもう一つ、認識の起源を考察する<発生論>が加わります。発生論は「マテシス」の対極(エピステーメーの両端)に位置し、数学的、人為的な記号の体系によるマテシスとは対照的に、事物の系列を対象とし、経験的な物から出発して、いかに秩序が発生するかを探求する学問です。
計算可能な秩序の学としての<マテシス>と、経験的なものの列から出発していかにして秩序が成立するかを分析する<発生論>とが、古典主義時代の<エピステーメー>の両端に位置することになる。
すなわち、一方では、同一性と相違性に対する可能な操作を表わす人為的記号(サンボル)が用いられ、他方では物の類似と想像力の遡行によってしだいに蓄積された標識が、分析の対象となるわけだ。
そしてこの<マテシス>と<発生論>とのあいだには、記号(シーニュ)-経験的表象の全域を貫通するとはいえ、けっしてそこからあふれ出ることのない記号―の分野が広がっている。計算と発生論とに縁どられたそれは、<表(タブロー)>の空間にほかならない。
(p98)
ここにこの時代に現われる特徴的な三つの領域が示されます。
<博物学> - すなわち、自然の連続性と錯綜状態を分節化する特徴(カラクテール)の学。
<貨幣と価値の理論> ― 交換を可能にし人間のさまざまな必要な欲望の間に等価関係を設定せしめる記号についての学。
<一般文法> - 人間が個別的知覚を分類し、思考の連続的運動を截断するために用いる記号についての学。
これら三つの領域が古典主義時代において実在したのは、相等性の計算と表象の発生論とのあいだに、表(タブロー)の基本的空間が創設されたからにほかならない。(p98)
<マテシス>と<タクシノミア>、<発生論>という三つの概念が、べつべつの領域というよりも、古典主義時代における知の一般的布置を規定する緊密な相互依存の網目を指示することがいまや理解されるだろう。(p99)
<タクシノミア>は<マテシス>に対立するものではない。それは<マテシス>のなかに宿り、それでいてそれから区別されている。なぜなら<タクシノミア>もまた、秩序の学―すなわち質的<マテシス>-であるからだ。
けれども、厳密な意味に理解する場合、<マテシス>は、相等の学、したがって主辞―属辞関係定立と判断の学であり、<真理>の学であるのに対して、<タクシノミア>は、同一性と相違性を扱うものであり、分節化と分類階級の学、<諸存在>に関する知なのである。
同様に発生論は、<タクシノミア》の内部に宿り、あるいは少なくともそこに本源的可能性を見出す。しかしながら、<タクシノミア>が可視的相違性の表を設定するのに対して、発生論は継起的系列を前提としている。
前者は統辞法として、記号をその空間的同時性において扱い、後者は、時間的契機(クロノロジー)の記述として、記号を時間の類比物〈アナロゴン)の中に配分する。
<タクシノミア>は、<マテシス>との関係においては命題学(アポファンティーク)にたいする存在論として機能し、発生論に対しては歴史との対比における記号学として機能する。(p99)
タクシノミアも分かりにくい概念ですが、連続体(コンティヌウム)として存在する、その混乱したかたちであらわれ、あるいは隠された存在の連続性を、同一性と相違性を原理とする「比較」を武器に、「不連続な表象の時間の中での結びつきを通じていかにして再構成されうるかを示す分析」と言われています。
こうした17世紀古典主義の、自然認識の学と表象の哲学は、カントの批判哲学及び18世紀末西欧文化の新たな勃興によって消滅していく運命にあります。<マテシス>はそこで再編成され、命題学(アポファンティック)と存在学を構成することになる、とされています。そして、この<マテシス>は、今日に至るまで形式的学問を支配してきたのだ、と。
また他方、歴史と記号学とは、記号学が歴史に吸収される形で、シュライヘルマッハからニーチェ、フロイトまでその力を発揮して、解釈に関わる諸学問に合流している、と。
いずれにしても、古典主義時代の<エピステーメー>は、そのもっとも一般的な配置において、<マテシス>、<タクシノミア>、<発生論的分析>の分節的体系として定義できるだろう。(p99)
<マテシス>、<タクシノミア>、<発生論的分析>は、上記引用にあるフーコーの言葉に従えば、次のような関係にあります。(A⊃B は「AはBを含む」)
マテシス ⊃ タクシノミア ⊃ 発生論的分析
こうした方法が再構成した世界をフーコーは「表(タブロー)の空間」と呼んでいます。それを最もよく代表する分野が次の三つだ、と彼は言います。
いまや、表(タブロー)のかたちをしたこの空間を、それが最も明瞭な形態で現わした分野において分析しなければならない。それらの分野とは、言語(ランガージュ)の理論、分類の理路、貨幣の理論である。(p101)
付随的に彼が書いている下記のことは、私はこれまで知らなかったので、とても興味深く思って、スミスの言語論を読んでみたいなと思いました。
テュルゴが『百科全書』の「語源」の項を書き、貨幣と語とをはじめて体系的に平行して論じたこと、アダム・スミスが経済学上の大著のほかに、諸言語起源についての論文を書いたことなど、よく知られていよう。(p101)
ここから第4章「語ること」にはいり、いよいよ古典主義時代の「言語の理論」がどのようなものだったかが語られます。
古典主義時代における言語(ランガージュ)の実在は、至上であると同時に、目だたないものである。
至上のものであるというのは、語が「思考を表象する」任務と能力を与えられたからだ。だが、表象するとは、この場合、翻訳すること、可視的なかたちに訳出すること、思考を身体の外側において正確に再現しうるような物質的複製をつくること、を指すのではない。表象するとは、厳密な意味に理解されるべきであって、言語は、思考がみずからを表象するように思考を表象するのである。言語を成立させるものとして、あるいはそれに内部から生気を与えるものとして、意味作用(シニフィカシオン)という本質的で原初的な行為があるのではなく、ただたんに表象の核心に、表象のもつあの自己表象の能力があるのにすぎない。すなわち、反省の眼眸しのもとで、みずからを部分相互が並置されたかたちに分析し、みずからの延長である代替物のうちに自己を委託するという、あの表象固有の能力があるのにすぎぬのだ。古典主義時代においては、表象に与えられないものは何ひとつとして与えられぬ。だが、まさにそのことによって、自己とのあいだに距離をおき、みずからを二重化し、自己の等価物である他の表象のうちにみずからを反映させる表象のはたらきによらなければ、いかなる記号も出現せず、いかなる言葉(パロール)も言表されず、いかなる語も命題もけっしてどのような内容をも目指しはしないのである。
表象は、世界に根をおろしてそこから自己の意味を借り受けるのではない。それはみずからの力で表象固有の空間にむかって開かれており、この空間内部の脈網が意味を生じさせるのだ。(p102)
「言語は、思考がみずからを表象するように思考を表象する」という言い方は少々難しいけれど、思考はそれ自体としてあることでみずからをすでに表象していると言ってもいいのでしょうが、それは私たち自身の目に見えない隠された連続体であって、言語がこれを継起的な順序におきかえて表象することによって私たち自身に対象的なもの、可視的な、理解可能なものとなる、という風な事情を言っているのでしょう。
その時、現代の言語論に浸っている私たちがそう思いがちなように、そこに意味作用があるわけではなく、何かを指し示したり、何かの代わりをしたりすると同時に、それ自身を表象する表象ということのもつ自己表象の能力が言語というのものを成り立たせているだけなのだ、と。
その際、思考は連続した統一体で同時的に一挙に表象されるべきものだけれども、それは現実的にはいかなる表象(表彰するもの)によっても不可能であって、言語はこれを反省的なまなざしのもとで、時間に沿った継起的な順序を持つ部分として分節することによって思考を、つまり言語そのものを表象する、ということではないでしょうか。
言語(ランガージュ)は、思考や他の種類の記号(シーニュ)に対して、幾何学に対する代数学の位置に立つ.つまりそれは様々な部分(または量)の同時的比較に対して、段階を逐次的に追わなければならないひとつの順序をおきかえるのだ。(p107)
言語が思考の<分析>だというのは、こうした厳密な意味においてである。それは、たんなる截断ではなく、空間における順序の根本的創設にほかならない。(p107)
言語を他のあらゆる種類の記号から区別し、表象作用において言語に決定的役割を演じさせるものは、・・・言語が表象を否応なく継起的順序(=秩序)にしたがって分析することからくるのである。(p106)
じじつ、音は次々にしか発音されえないし、言語は思考全体を一挙に表象することができず、それを線上の順序に沿って部分ごとに配置せざるを得ない。(p106)
言語は思考の表象であり、同時にそれ自体の自己表象でもあって、思考にたいして、みずからが表象するものに対して透明なものとなってしまったので、古典主義時代における言語はほとんど目にみえないものになってしまいます。
言語は自らの表象的役割の中に完全に位置しており、正確にそこにとどまり、結局はそこに尽き果てる。言語はもはや表象以外に場を持たず、表象のなかでしか、すなわち表象がしつらえる力をもつあの空洞の中でしか、価値を持たないのだ。(p103)
その結果、何らかの言語がそこにある、という条件で初めて行われた「註釈」が根拠を失い、またそこに確かにあった第一義的なものとしての「テキスト」もその特権化の根拠を失います。 「表象だけが残り、それを顕現する言語記号(シーニュ・ヴェルバル)の中にくりひろげられ、そのことによって<言説(ディスクール)>となる」(p103)と。
もう人々は記号の下に隠された謎の言葉を読み取ろうと言説に問いかけたりするのではありません。「人々はただ、この言説に対して、それがいかに機能しているか、つまりそれがいかなる表象を指示しているか、いかなる要素を截断し取り上げているか、いかにして分析と合成を行っているか、いかなる置換の仕組みによって自らの表象的役割を確保しているかを問うだけ」なのです。かくして「<註釈>が<批評>に席をゆずったのだ」(p104)と結論づけられることになります。
世界に類似しそれ自体が世界の一部であるテキストをその類似性に沿って読み解こうとする註釈に対して、批評は表徴としての思考=言語による言説に向き合うものですから、「言語を真実さ、正確さ、適切さ、或いは表現的価値などの用語で分析せざるをえない」(p104)
こうして、批評は次のような4つの形態をとる、とフーコーは挙げています。
1, 反省的次元における<語>の批評。
2. 文法的次元における統辞法や語順や文構造のもつ表象価値の分析。
3. 修辞学上の諸形式の検討。
4. 既存の書かれた言語に対して、言語とそれが表象しているものとの関係を規定すること。
ここからは言語についての関心から言って読み過ごせない重要な記述がつづきます。
言語(ランガージュ)が言語となるのは語のうちにおいてではない。そもそもの起源において、人間が単なる叫びしか発しなかったというのは事実だが、その叫びが言語といえるものになったのは、叫びがーたとえ一音節語の内部においてであってもー命題の次元に属する関係を含むようになった日のことである。(p117)
もがきまわる原始人のわめき声が、まことに語といえるものになるには、それがもはや彼の苦痛の側面的表現ではなく、「わたしは息がつまりそうだ」というたぐいの、判断あるいは陳述としての価値をもたなければならない。語を語たらしめ、それを叫びや噪音以上のものとして立たしめるのは、その語の中に隠されている命題なのだ。(p117)
命題こそ、音声記号を表現としての直接的価値から切り離し、それをその言語としての可能性のうちにみごとに位置づけるものにほかならない。(p118)
命題なくして言語はない。<ある(エートル)>という動詞とそれによって可能となる主辞に属辞関係とが少なくとも暗黙のうちに現存しなければ、そこにあるのは言語ではなく、他の記号と同様な記号にすぎない。命題の形式は、同一もしくは相違の関係の肯定を、言語の条件として措定する。(p146)
「××は○○である」という<命題>あっての言語だ、ということですね。フーコーは有名な、オオカミに育てられて保護されたアヴェロンの野生児が、その語の教育にもかかわらずついに言葉を話すようにならなかったのは、「彼にとって様々な語が、物や物から彼の精神が受ける印象の、音の世界における標識のようなものにとどまっていて、命題としての価値を帯びていなかったから」(p118-119)と述べています。その命題の要をなすのは「動詞」で、ここから、言語をそれが指示するあらゆる表象と結びつける役割を果たす「動詞」とりわけいきつくところ「ある」という動詞の核心的な重要性が説き起こされていきます。
古典主義時代の思考にとって、言語は、表現のあるところにではなく、言説のあるところにはじめてあらわれる。(p118)
言語(ランガージュ)のすべての機能が、命題を形成するのに不可欠なわずか三つの要素に還元される。すなわち、主辞、属辞、そして両者の紐帯である。(p118)
主辞と属辞とは同じ性質のものであって、ある種の条件のもとでは、両者の機能を交換することができる。唯一の、だが決定的な相違は、動詞の還元不能な性格の示すそれである。
(p118)
ホッブズは言う、「あらゆる命題には考察すべきものが三つある。二つの名詞、すなわち<主辞>と<述辞>、そして両者の紐帯、すなわち繋辞、である。二つの名詞は精神のうちに同一の物の観念を喚起するが、繋辞はこれらの名詞がその物にあてがわれるにいたったその原因の観念を生ぜしめる。」(『論理学』)(p118)
動詞はあらゆる言説(ディスクール)の不可欠の条件であり、それが少なくとも潜在的に実在しないところでは、言語があると言うことはできない。名詞だけの命題はすべて目に見えぬ動詞を隠しているのであって、アダム・スミスの考えによれば、言語はその原初的形態において、非人称動詞(il pleut 雨が降る il tonne 雷が鳴るといったタイプの)だけから組み立てられ、他のすべての品詞はこの動詞的核から、それぞれ派生的で副次的な細目として分離しただという。(「言語の起源と形成に関する考察」421頁)(p118)
言語の発端は、動詞の出現するところにある。(p118)
したがって、このような動詞は、二重の性格を持つ存在として扱われなければならない。つまりそれは、他の語と同じ規則にしばられ、他の語のように被制辞や一致の法則にしたがうありふれた語であると同時に、他のすべての語よりも奥まったとおろ、語られたものの領域ではなく、人がそこから語るところの領域に位置している。それは言説の外縁、語られたものと、みずからを語るものとの縫い目、まさに記号が言語となりつつあるその場所におかれているのだ。(p118-119)
この「他のすべての語よりも奥まったところ、語られたものの領域ではなく、人がそこから語るところの領域に位置している」なんて言い方には、ほんとにうめえこと言うなぁ、と感心します。わかる、わからないは別として(笑)。
動詞を動詞として成立せしめているものーそれは「その後の使用されている言説が、たんに名詞のあらわす物を思い描いているばかりではなく、それに判断を加えている人間の言説であること」を示している。二つの物の間に、主辞=属辞関係が、肯定されるとき、つまり、AはBで<ある(エートル)>というとき、そこに命題―そして言説―が生じるのだ。(p119)
すべての動詞は<ある(エートル)>を意味する(シニフィエ)唯一の動詞に帰着する。(p119)
言語の本質はすべて、この独異な語のうちに集約される。(p120)
すべての言語をその指示する表象に関係づけるのが、<ある(エートル)>という動詞の本質的機能だということになる。(p121)
言語が単に音声や何かの標識と心的な要素との結合によって成り立つわけではなく、判断を伴う、「○○は××である」という命題の成立によってはじめて、言語と言えるものとして成立する。その命題の要となるのは動詞であり、これが表象と言語をつなぐ機能を持っているのであって、その動詞はすべて「・・・するので<ある>」というふうにbe動詞に帰着する。
こうして言語が表象を関係づけられる根源的な契機はわかった、と。こんどはその言語がいわばそれによって意味されるものすべてを、いかにして言いあらわすことができるのだろうか、と自問して、そこに<名指す>ことと、それを一般化する<分節化>という言語のはたらきが論じられます。
言説(ディスクール)はどのようにして表象のすべての内容を言表できるのであろうか?
それは、言説が表象に与えられたものを部分ごとに<名ざす>語からできているからだ。
語は指示する。すなわち、その本性において語は名詞である。しかもそれは、まだ他のいかなる表象でもなくあるひとつの表象に向けられている以上、固有名詞なのである。(p122)
「名詞が一般性をもつことが言説の諸部分(=種々の品詞)にとっては必要なのだ。この一般性は二つの仕方によって得られるであろう。」(p122)と言って、彼は二つの方法、ひとつは水平方向の分節化、もうひとつは垂直方向の分節化を挙げます。
水平方向の分節化は、「互いに何らかの同一性をもつ個体をまとめ、相異なる個体を分離する」ことであり、言語においてこの分類上の機能を明らかに示すのは実詞である、としています。また垂直方向の分節化は、「それ自体によって存立する物と、独立した状態では決して遭遇しえない物―就職、特質、偶有性、あるいは特徴―とを区別」し、「深層に実体があり、表層に品質があると考える」ものであって、こうした形而上学は、言説の中では形容詞の存在によって明示される、としています。「形容詞とは、表象の中で、それ自身によっては存立しえないすべてのものを指示する語である。」
このように、言語の本源的な分節化は(言説の部分であると同時にその条件である<ある(エートル)>という動詞を別にすれば)、直交する日本の軸、すなわち、個体から一般へ向う軸と実体から品質へ向う軸、に沿っておこなわれるわけだ。この両者の交点に普通名詞が、一方の軸の先端に固有名詞が、他方の軸の先端に形容詞が位置するのである。(p123-124)
「言語の四辺形」という節では、命題、分節化、指示作用、転移の相互関係について次の図に示すようなことが文章で語られています。
・物同士を区別する命名行為が物同士を結合する主辞=属辞関係定立と対立。命題のまだ空虚な純然たる言語形式に内容を与えるのが分節化。
・指示作用の理論は分節化によって截断されるすべての名詞形態の物との結合点を明らかにするが、瞬間的な身振りによる、垂直の指示作用が一般的なものの截断と対立する。
・転移の理論は、起源以来の語の連続的運動を示すが、それが扱う表象表面の変位は、指示作用の理論が問題とする表象と語根との唯一で安定した関係と対立する。
・転移は命題に回帰する。転移は空間的比喩形象に従い、命題は修辞法によって視覚に訴えるものとなった比喩形象を継起的なかたちに展開し、それを知的に理解させる。
ここに登場した概念は一つ一つ詳述されています。
もし言語の根本的機能が名ざすこと・・・であるなら、言語は指示であって判断ではない。言語は、標識、表示、連合された形象、指示する身振りに寄って物と結ばれるのであって、そこには主辞=述辞の関係に還元しうる何ものもない。(p130)
命題は主辞=属辞関係を定立し、ある内容を他の内容に置き換えることを可能にする、置換の機能をもつ。また、元初における指示という役割によって、指されたものに記号を置き換えることを可能にする、結合の機能をもつ。
また、分節化とは、表象を分析する能力である。
あらゆる記号のうちで、言語は継起的であるという特性をもっていた。それは言語そのものがひとつの時間的契機(クロノロジー)に属するからではなく、言語が表象の同時性を音声の継起として展開したからである。(p141)
言語がおこなうのは、表象の断片を線上に配列することにほかならぬ。命題は、修辞法によって視覚に訴えるものとなった比喩形象を継起的なかたちに展開し、それを知的に理解させる。(p141)
16世紀の類似にもとづく言語観を踏まえながら17-18世紀古典主義時代の言語観を要約すれば、こんなふうになる、とフーコーは述べているようです。
言語とは分節された指示作用の仕組みによって、類似を命題的関係の中におさめるものである。
つまり、<ある(エートル)>という動詞を基礎とし、<名>の網目によって顕示される、同一性と相違性の体系の中におさめるのだ。
古典主義時代における「言説」の基本的任務は、<物に名を付与し、この名において物の存在を名ざす>ことである。2世紀にわたって西欧の言説は存在論の場であった。」(p146)
だいたいここらへんまでで、フーコーが古典主義時代のエピステーメーを論じて、その言語観が出て來る所以を語った部分はおわり、後はそのエピステーメーが開いた知的空間に現われる具体的な知的活動の領域である、博物学(分類すること)、経済学(交換すること)に踏み込んでいきます。ここらも以前に読んだことがあるのですが、すっかり忘却の彼方(笑)。「分類すること」まではもう一度昨日読みましたが、取りあえずこのメモではパスしておいてもいいか、と思っています。「交換すること」以降を読んでからまた先を考えてみます。
夢めぐり 第五夜
夢めぐり 第五夜
蓮華畑で
あたりは一面の蓮華畑。紫の絨毯をしきつめたような丘の斜面に寝そべって、二人で海を見ている。
海は静かで、はるか彼方の水平線まで見える。蓮華の花の眠るように甘い香りが漂う。
いましがた、海に溶け入る太陽を見たばかりだ。夕凪の海はそよとも風はなく、物音一つ聞こえなかったけれど、それは目の前に広がる天と地の境にくりひろげられる壮大なドラマのようで、ぼくたちはただ固唾を呑んで見守った。
熱く燃え上がった真っ赤な火の玉が、ジュウジュウとすさまじい音を立てでもするように、しかし本当は音もなく海に融けていった。空は巨鳥が金色の翼を広げたように輝き、海は無数の鏡の破片を浮かべたように鋭い光を乱反射した。
やがて大空の鳥は翼をおさめ、太陽を追って海に消え、水の面に宿る光は波の間に散っていった。
いまは穏やかな半透明の青い空が、急速に色褪せ、海は徐々に影を濃くする。
草の匂いが鼻腔に広がり、記憶のなかの光景が甦ってくる。
- 約束をおぼえていてくれたんだね。
- ええ、もちろん忘れやしないわ。毎日兄さんの声が聞こえていたのだもの。あのころ、私はまだ何も知らないねんねだった。
− ぼくだって何も知らない若造だった。人生が一日なら、まだこれから朝の太陽が昇ろうという時刻に、かけがえのない人生の一日をもう使い果たしてしまったかのように思い込んでいた・・・
- 兄さんは何も言わずに私の手をひいて、この丘に連れてきたわ。ちょうど今日みたいに・・・
- あの日も海は静かだった。きょうみたいに、あたり一面蓮華の花が咲いていたね。
- なにもかも今日と同じだったわ。そして兄さんは唐突に、「神さまっているのかな?」って訊いたでしょう?
- そんなこと言ったのかな。それで、なんと答えたの?
- わからない、って。
妹の目はいたずらっぽく笑っている。
− いいの。神さまがいなくても・・
そう言って彼女はそっとぼくの手をとり、頭をぼくの肩に凭れて、目を閉じたのだ。
目を閉じて蓮華の中に埋もれているぼくを気遣うように、妹はそっと起き上がり、ぼくのそばを離れていく。目をひらいてみると、むこうで小さな背中をこちらに向けてしゃがみ、せっせと蓮華の花を積んでいる。
ぼくはあまりの心地良さにうつらうつら眠気に襲われる。
気が付くと、いつのまにかまた傍に来て、蓮華の花むしろの上に横坐りした妹の膝を枕に、ぼくはすっかり寝入ってしまったようだ。
彼女は教会の壁画に描かれた聖母マリアのような微笑を浮かべてほくを見下ろしていた。そのほっそりと白い首から蓮華を幾つも幾つもつないだ花輪がかかっていた。ぼくが身を起こすと、彼女は花輪を自分の首から外し、黙ってぼくの首にかけた。
-あのとき、兄さんも一緒に神さまのところへいってしまうんじゃないかと思ったわ
- ・・・・
あれからもう何十年も過ぎ去ったのだな、とぼくは思った。
父が逝き、母も逝き、ぼくらはこの世で二人きりになった。
そして妹もまた。
ぼくは生きた。汚れた。そして薄汚い老人になった。
水平線すれすれの空と海の境を一艘の小船がいく。水平にゆっくりと滑るように視界を横切っていく。船をこぐ小さな人影が幻影のように見える。
空の色が褪せて白く濁り、海の色は次第に濃く黒ずんでいく。羽虫の音が耳のそばに聞こえ、蓮華畑にも薄い闇の気配が降りてくる。さきほどまで凪いでいた海のほうから微風が渡ってくる。その風に、妹の姿が微かに揺らぎ、影のように透き通っていく。
------ お別れなんだね。
------ うん。
------ よく来てくれた。
------ うん。
------ こちらのことはもう心配しないで。
------ うん・・・
------ またじきに会える。
------ うん・・・
妹はコックリコックリうなづいてばかりいる。
(「エブリスタ」で掲載した小品の再掲です。ペンネーム・野宮みどり)
2020年05月29日
17-18世紀の言語観 ~『言葉と物』より
十七世紀初頭、ことの当非はべつとしてバロックと呼ばれる時代に、思考は類似関係の領域で活動するのをやめる。(p76)
唐突に、と言えばほんとに唐突な印象です。ある時代のものの考え方が、こういう時代背景のもとで、こんなふうに変わって行って、こうなりました、というのではなくて、フーコーの言い方は、なぜかはわからんが、この時代になると、こうなっていたんだよ、という言い方です。これが副題にある「考古学」的な観点というものなのでしょう。つまり歴史という実体のない、ひょっとしたら単なる仮設に過ぎないかもしれない不確かなものを、きれいさっぱり切り捨てて、目の前の地層を丹念に調べてみれば、明らかに前の時代や次の時代の地層とは異なる共通の特徴、共通の堆積物や共通の堆積の仕方やらが見いだせる、ということでしょうか。それらの地層の違いをクリアにすることにはフーコーは熱心ですが、重なる地層と地層の間の共通点をベースに、これがこうなったんだ、という発想はほとんどまったくといっていいほどしません。それはまあ、地層は別段前の地層から生えてきたわけじゃないし(笑)、単に前の時代の地層の上に新たな無機物から有機物、動植物やら気象やらその上で展開される様々な世界の活動の痕跡として新たな地層が積み重なっただけですから、唯一確かなその結果として残された地層を仔細に調べることが、人文科学にできる唯一のことなのかもしれません。歴史主義というのか、一種の発展史観になじんできた私などは、必ずしもすぐに腑に落ちるような考え方ではないけれど、なるほど発展史観的なものの考え方のうちにある「発展」とか「歴史」というのが、大変不確かなあやしいものだ、ということは、少々鈍くてもさすがに感じられるようになってしまったのが現代という時代なのでしょうし、そういった考え方の枠組みが古典的なものに見えるのはいたしかたなさそうです。
人々の習慣として、二つの物の間に何らかの類似を認めるたびに、両者の実際上の相違点に関してさえ、一方について異なるを確かめた事柄を両者いずれについても主張するのである。(デカルト『精神指導の規則』の冒頭)
フーコーは次の時代の代表選手デカルトによる16世紀の「類似」をキーワードとするエピステーメーの批判を冒頭に掲げて、その意義を明らかにしています。
類似に対するデカルトの批判は、・・・知の基本的経験かつ本源的形態としての類似をしりぞけ、類似のうちに、同一性と相違性、計量と秩序の用語で分析すべき雑然たる混合物を摘発する、古典主義時代の思考なのだ。(『言葉と物』渡辺一民・佐々木明訳、p77:以下ことわりのない限り、引用はすべて同書)
一応この章の全体を読んだ上であらためてこのデカルトの批判についての3行を読むと、ここにこの章の全部が集約されているという気がしますが、最初にこれだけ読んでも何のことか分からないので、少しずつ辿りなおしてみることにしましょう。
人間理性のはたらきはほとんどすべて、この比較という操作を可能にするところにある。(デカルト『精神指導の規則』)
フーコーの引用しているデカルトの言葉は、彼が一時代前の「類似」に代えて「比較」という概念を提示していることを示しています。「類似」と「比較」はどう違うのでしょうか。
比較には二つの形態があり、また二つしかない。すなわち計量的比較と、秩序の比較である。(p78)
そしてのこの「計量の操作」は全体の把握を前提にした分割が前提となっており、分割のいきつくところに「単位」という概念があり、「計量的比較」つまり二つの量或いは数を比較するためには、共通の単位を適用することが必要です。
人は量或いは数、すなわち連続量あるいは非連続量を測ることができる。だがどちらの場合にも、計量の操作は、要素から全体へと向かう勘定の場合とはちがって、まず全体を考察した上で、それを部分に分割することを前提としている。この分割は最後に単位に達するが、それらの単位のうちのあるもの(連続量に関するもの)は、約束ごとすなわち「仮に定めた」ものであり、他のもの(数あるいは非連続量に関するもの)は算術の単位である。いずれにしても、二つの量あるいは数を比較するには、両者の分析に際して何らかの共通の単位を適用しなければならない。このようにして計量による比較は、すべての場合に、相等性と不等性という算術的関係に帰着する。計量は相似写を同一性と相違性という計算可能な形式に従って分析することを可能にするのだ。(p78)
比較、その具体的な方法のひとつである計量は、類似という曖昧な分別に代えて、同一性と相違性とを峻別することになります。
一方、秩序についていえば、それは外部にある単位に依拠することなく設定される。「じっさい私は、AとBとのあいだに存する秩序が何であるかを、これら両端の項のほか何も考えずに認知する。」 物の秩序を「個の性質のなかに」認識することははできないが、もっと単純な物を発見し、ついでそれにもっとも近い物を発見するというふうにして、そこからもっとも複雑な物にまで必ず達することができれば、すべての物の秩序を認識することができるわけだ。
計量による比較が、まず分割、ついで共通な単位の適用を要求するのに対して、いまの場合、比較することと秩序づけることとは同一のことにほかならない。
秩序による比較は、ひとつの項から他の項へ、さらに第三以下の項へと、「まったく中断されない」運動による移行を可能にする、単一の行為なのである。このようにして、第一項は他のすべてから独立して直観されうる性質のものであり、他の項は相違性の増大する順序にしたがって配列された、いくつもの系列が設定されるわけである。(p78)
片方の計量のほうは連続量の計量も含むけれど、「仮の」単位で計量できるわけですから、デジタルな数量として処理できる定量的な思考の働きでしょうか。それに対して「秩序の比較」と言われているのは、定性的な思考の働きと言えばいいのでしょうか。「もっとも単純な物を発見し、ついでそれにもっとも近い物を発見する」というのは、二つの物相互の質的な「類似」にそって対象的世界をたどっていくこととどこが違うんだ、と思わなくもありませんが、いまのところは分かりません。ただ、「もっとも単純な物を発見し」という、やはり「単位」的なものを想定しているところが、無際限な「類似」の概念とは違うのかもしれません。「類似」だと、たとえば生物学的な「相同」と「相似」の区別などなく、すべて「類似」のうちに並列されて無限の系列をつくっていくけれど、たぶんここでいう「秩序の比較」はそれを峻別して、対象的世界を秩序づけ、構造化していくことになるのでしょう。
これが比較の二つのタイプである。一方は相等・不等の関係を設定するため対象を単位に分析し、他方は、見いだしうる限りでもっとも単純な要素を設定した上で、相違を可能な限り細かい段階に従って配列する。
ところで、量と数との計量は、秩序の設定に帰着させることが可能なのだ。算術的な値は、つねにある系列にしたがって秩序づけることができる。それゆえ、さまざまの単位は、「計量的認識に属していた困難が、ついにはただ秩序のみの考察に支配されるような秩序にしたがって配列」(デカルト)されうるのである。
すべての計量(たがいの相等関係によるあらゆる種類の決定)を、単純なものから出発して様々な相違を複雑性の段階としてあらわす、ひとつの系列に帰着させること。(p79)
比較には計量的比較と秩序の比較があるが、前者は後者に帰着させることができる、と。
類似者は、単位と相等・不等の関係とに従って分析されたのち、明白な同一性と相違性とにしたがって分析される。(p79)
長いこと知の基本的範疇―認識の形式であると共に内容―だった類似者が、同一性と相違性の用語で行われる分析によって分離されたのだ。(p80)
分析が類比的な階層構造にとってかわったこと。16世紀には、照応の全体的体系(大地と空、惑星と顔、小宇宙と大宇宙)が最初に容認されており、それぞれの個別的相似関係はあとからこの総体的関係の内部に宿った。ところがいまでは、あらゆる相似は比較という吟味にかけられる。すなわち相似は、計量と共通の単位によって、さらに根源的には、秩序と同一性と相違の系列とによって、ひとたび発見されたうえ、はじめて容認されるというわけである。(p80)
無際限な類比による世界とは異なり、比較という吟味にかけられ、同一性と相違性の原理によって分節化された対象的世界は網羅的調査によってその要素を完全に列挙されることも可能となります。
したがって、精神の活動は、・・もはや物を相互に<接近させ>たり、物同士の近縁関係や、互いの牽引力や、ひそかに共有する性格をあきらかにしうるすべてを探求したりすることではなく、逆に<識別する>こと、いいかえれば、まず同一のものを、ついでそこから遠ざかるあらゆる段階への移行の必然性を、鑑定することに存するのである。(p80)
こうして、認識することは識別することにほかならないので、物語と学問が相互に分離され、これまで至上のものであったテクストはもはや「真理としるしと形式であることをやめ」ます。
言語(ランガージュ)はもはや、世界の形象のひとつでも、開闢以来物に課せられた外徴でもない。真理は、みずからの顕現としるしとを、明証的で判明な知覚のうちに見出すのだ。(p81)
真理はテキストにあるのではなく、知覚のうちに見出される!そして、言語は世界の一部ではなくなり、「透明と中性の時代にはいっていく」ことになります。
この古典主義の時代に特徴的な知のありようとして、医学や生理学などの領域で理論的モデルを提供した「機械論」があり、又様々な形で行われた経験的対象の「数学化の努力があった、とフーコーは指摘しています。しかし、彼はその機械論や自然の数学化を古典主義時代のエピステーメーにとって基本的なものとしているわけではありません。それらは単に、古典主義時代の知の全体が関わっていた、計量と秩序に関する普遍的学問として理解された<マテシス>とのより普遍的な関係の中で理解されるべきものだと考えているようです。
古典主義時代の<エピステーメー>にとって基本的なものは、・・・・18世紀末まで恒常的で損なわれることなくつづく<マテシス>との関係だからだ。この関係は二つの本質的特徴を示す。第一の特徴は、諸存在相互の関係は秩序と計量の形態のもとに思考されるが、その際、計量の問題をつねに秩序の問題に帰着せしめうるという、あの基本的不均衡が付随することである。(p82)
<マテシス>というのは、日常語ではないので耳慣れない言葉ですが、英語でmathematicsといえば数学のことだから、類推できるように、「代数学を普遍的方法とする人為的な記号の体系」を指すそうです。要は上記引用のように、まずは対象的世界を計量化し、数学化して扱うような知的活動をイメージすればいいのでしょうが、その計量化自体が先の引用のように、秩序の比較、秩序化に帰着させられるものと考えられているので、単なる計量化、数学化よりも、もっと広く、対象的世界を同一性と相違性の原理で分節化し、その単位からより複雑な構造へと秩序化するような分析的思考を指すのだと考えるのがいいのでしょう。この「マテシス」は少しあとのところで「タクシノミア」という今一つの概念と対で論じられています。
上に述べたような数式化を推し進めたこの時代のパイオニアとしてフーコーが挙げているのがライプニッツです。
質的な諸領域の数学を定立しようとするライプニッツの投企は、まさに古典主義時代の思考の核心に位置しており、古典主義時代の思考はすべて、この投企のまわりを回転するのである。(p82)
しかし、この時代のあらゆる認識が数学化を基礎とするわけではない、それどころか秩序に関する一般的学問としての<マテシス>との関係の中から、まったく新たな領域が立ち現われてきます。それが「記号の体系」をベースにした、一般文法、博物学、富の分析というこの時代に現われる知の領域だということです。
他方において、秩序に関する一般的学問としての<マテシス>とのこうした関係は、知が数学に吸収されることも、可能なかぎりのあらゆる認識が数学に基礎を置くことも意味しない。それどころか、<マテシス>の探究との相関関係において、これまで形成も規定もされなかったいくつかの経験的領域の出現が見られるのだ。それらの領域のほとんどどれをとっても、機械論や数学化の痕跡を見出すことはできまい。とはいえ、それらの領域は、いずれも、秩序に関する一つの可能な学問を下地として成立しているのにほかならない。
それらは一般的意味での<分析>に属しているが、それら固有の道具は、<代数的方法>ではなく、<記号の体系>である。このようにして、語と諸存在と必要の領域における秩序の学である、一般文法、博物学、富の分析があらわれた。(p82)
記号(シーニュ)による秩序づけは、あらゆる経験的な知を同一性と相違性の知として成立させるのだ。(p82)
16世紀には、記号は世界の一形象であり、それが標識として示しているものに類似或いは類縁関係の強固な秘密の紐帯でつながれていたのが、古典主義の時代には分析の道具となり、同一性と相違性の標識、秩序づけの原理、分類学の鍵となった記号が見られることになります。
そこでは、類似関係に代わって、結合関係の起源、結合関係のタイプ、結合関係の確実性という三つの可変要素によって記号が規定され、その有効性が規定されるようになっている、とされています。
16世紀においては、記号が記号としての機能を持つものとして基礎づけていたのは、物その物の言語だったのが、17世紀からは記号の全領域が、確実なものと蓋然的なものとに配分されることになります。それを基礎づけるものは物の秩序ではなく、認識だということです。認識された二つの要素の間に置換関係の可能性が認識された時、はじめて記号が現れます。記号は認識という行為を経ずには記号として成立しないのです。
さて17-18世紀の言語観に直接かかわる記号についての理論的特徴について述べた部分にさしかかります。ここは私の関心にとっては最も重要な部分なので、少々引用が長くなります。
『ポール=ロワイヤル論理学』はこのこと(引用注:記号の特性のうちで古典主義時代のエピステーメーにとって最も基本的なものが何かということ)を明言している。「記号は、一方において表象する物の観念、他方において表象される物の観念という二つの観念を含んでいる。記号の本性は、前者によって後者を喚起する点にある。」(『ポール=ロワイヤル論理学』第一部第4章)
これは記号の二元論であり、ルネッサンスにおける、より複雑な組織とはっきり対立する。
ルネッサンスにおいて、記号についての理論は、標識によって示されるもの、標識となるもの、そして後者のうちに前者の標識を認知することを可能にするものという、完全に区別される三つの要素を含意していた。
ところで、この最後の要素こそ類似性であって、記号は、それが指示するものと「ほとんど同一の物」であるかぎりにおいて、標識としての機能をはたしていたのである。
「類似による思考」と同時に消滅したのは、この統一的な三元的体系であり、それは厳密に二元的な組織によっておきかえられたのだ。
けれども、記号がこの純然たる二元的存在となるためには、一つの条件がある。
能記となる要素は、他の観念に連合もしくは置換された観念、心像、あるいは知覚というその単純な存在においては、まだ記号ではない。この要素が記号となるのは、それとそれが記号であるところのもの(シニフィエ)との関係を、さらにこの要素が顕示するという条件においてのみである。この要素は何かを表象していなければならないが、さらに、この表象作用がまたこの要素のうちに表象されていることが必要なのだ。これは記号の二元的組織の不可欠な条件であり、『ポール=ロワイヤル論理学』は、記号とは何かを語るより先にそれを述べている。
「ある対象を、他の対象を表象するものとしてのみ見る場合、人がそれについて抱く観念は、記号の観念であり、この第一の対象は記号と呼ばれる」
能記となる観念は二重化されている。他のもののかわりをつとめる観念の上に、その観念の表象能力の観念が重なり合っているからだ。
してみれば、所記となる観念、能記となる観念、そして後者の内部にその表象機能の観念という、三つの項があるのではなかろうか?
とはいえ、それは三元的体系への内密裡の回帰ではない。それはむしろ、二項からなるこの形象のもつ避け難いずれであり、この形象がそれ自体よりうしろへ退いて、能記となる要素の内部に完全に宿るに至ったと言うべきだろう。(p89)
ある観念が他の観念の記号となりうるのは、両者の間に表象関係が設定されうるからばかりではなく、この表象作用が、表象するほうの観念の内部につねに表象されうるからである。
言葉を換えれば、その固有の本質において、表象作用はそれ自身に対して垂直であり、<指示>であると同時に<自己提示>、他の対象との関係であると同時に自己の顕示だからである。(p91)
意味とは、連鎖して展開する記号の全体でしかありえぬことになる。意味は記号の完全な<表(タブロー)>のうちに与えられるはずなのだ。(p91)
だが一方、記号のこの完全な網目は、意味の側に固有な截断にもとづいて結びつき分節化されている。記号の表(タブロー)は物の<模像>にほかならない。意味の存在(エートル)が完全に記号の側にあるとしても、機能は完全に所記の側にあるわけだ。(p82)
最後に、おそらくは今日にまでおよぶ第三の帰結がある。それは、十七世紀以来、記号に関するすべての一般的学問を基礎づけてきた記号の二元的理論が、表象の一般的理論と根本的関係によって結ばれていることである。
記号が能記と所記との純然たる結びつきであるならば、・・・関係は表象の一般的な場の内部に設定されるほかない。すなわち、能記と所記が結ばれているのは、両者がともに表象されているかぎりにおいて、しかも、一方が現に他方を表象している限りにおいてなのだ。
…ソシュールは、古典主義時代において、記号の二元的性格を思考するために必要だった条件を、この規定(概念と心象のむすびつき)のうちに再発見したのである。(p92)
こうして「表象」がこの時代の記号論、言語論のキーワードとして浮上してきます。
ルネサンス時代の言語の三元的理解の三つ目の要素、記号が世界を指す指示性は、能記のうちに融けてしまったようです。ここからは私たちにすでになじみの能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)の二元的な言語観が展開されることになるようです。しかし、記号が表象作用(すなわち思考のすべて)と同じ広がりをもって表象作用の裡に宿ることになった結果、意味作用の理論は登場する余地をなくしてしまいます。意識の関わる現象が表象のうちにしか与えられないとすれば、その意識の中で限定された形象とみなされる意味作用は意味をなさないでしょう。すべての表象が記号として相互に結ばれ、全体として網目を形成しており、それぞれの表象は、それが表象しているものの記号としてその透明性においてみずからを提示する、ということになります。
上に引用した中にあった「その固有の本質において、表象作用はそれ自身に対して垂直であり、<指示>であると同時に<自己呈示>、他の対象との関係であると同時に自己の顕示だからである」という一節などは、フーコーはそういう語彙は使わないけれど、私などが学生時代になじんできたマルクスの(ヘーゲルから継承された)疎外論的な考え方で、表象=観念的な自己疎外、と置いてみれば、そのまま吉本さんの自己表出―指示表出を核とした言語論に通じるところがあると思います。
これは近代的なエピステーメーに先立つ、古典主義時代の知の地平に置いて語られている表象の言語論ということになるわけで、私などからすれば、けっこう悪くない考え方じゃないか、と思えるのですが(笑)どうでしょうか。まあよかれあしかれ、時代の地層はその上にもうまるで質の違う地層を乗っけちゃったみたいですから、フーコーさんに従ってそれを読んでいくことにしましょう。
古典主義時代は少々長くて入り組んでいるので、明日にでもまわします。きょうは引用ばかりになりましたが(笑)まぁ、自分用のメモ代わりに書いているのであしからず。
2020年05月28日
16世紀の言語観~フーコー『言葉と物』より
『言葉と物』の16世紀から17-18世紀、古典主義時代にかけての、言語観の変容についてのフーコーの考え方をもう一度振り返ってから先に進むことにしようと思います。きょうのところは16世紀の言語観に関わるところを拾ってみます。とはいえ、ここでは言語は全面的に類似関係として世界を覆っているような存在ですから、ほとんど彼の全文脈をたどらざるを得ないようなことになってしまいます。
16世紀末までの西欧文化においては類似というものが知を構築する役割を演じてきた。(p42)
類似、相似が16世紀西欧の知のすべてが、それを前提として構築される地平、彼の言う「エピステーメー」であった、と。
その「類似」の形式として彼は、適合、競合、類比、共感の4種を挙げています。
類似は外徴なしには存在しない。(p51)
外徴とは、類似(相似)がどこにあるかを見つける標識、しるし(シーニュ)です。外徴を見出し、解読することによって、類似(相似)の知が成り立つわけです。
外徴の体系は可視的なものと不可視的なものとの関係を逆転させる。 P51
類似という在り方で世界が成り立っており、その類似が外徴=しるし=記号なしには成り立たない、つまり外徴を見出し、解読することによってのみ見出されるものである、ということを言い換えれば、世界は外徴=しるし=記号の体系で覆われており、私たちの目に見えるのはその外徴だけであって、世界はその外徴=しるし=記号を解読することによってのみ見えてくる、さしあたりは私たちの目に見えないものである、ということになります。
記号(シーニュ)に語らせてその意味を発生することを可能にする知識と技術の総体を解釈学と呼び、記号がどこにあるかを見分け、それらを記号として成り立たせているものを想定し、記号同士のつながりと連鎖の法則との認識を可能にする知識と技術の総体を、記号学と呼ぶことにしよう。(p54)
世界は解読せねばならぬ記号(シーニュ)でおおわれ、類似と類縁関係を啓示するこれらの記号は、それ自体相似関係の形式にほかならない。それゆえ認識することは解釈することである。(p57)
こうした知の地平にあっては、言語、或いは一般に表徴は、いわばそれ自体で自立した概念ではありえず、つねに世界の模写、世界の鏡像として、それが指し示すものとの類似関係においてはじめて表徴であり、言語であり得たのだ、ということになるでしょう。
表徴はつねに何ものかの模写にほかならなかった。(p42)
人生の劇場、あるいは世界の鏡であること、それがあらゆる言語(ランガージュ)の資格であり、言語がみずからの身分を告げ、語る権利を定式化する際のやり方だったのである。(p42)
いかなる形式が、記号(シーニュ)を記号としての独異な価値において成立させるのか?-それは類似なのだ。記号はそれが指し示すものと類似関係をもつ(すなわち相似したものをもつ)かぎりにおいて記号である。(p53-54)
こうした世界と言語或いは一般に記号との関係のもとでは、「意味」の探求とはその類似性を明るみに出すことだ、ということになります。
意味を求めるとは、たがいに類似したものとは何かをあかるみに出すことである。記号の法則を求めるとは、たがいに類似したものを発見することである。(p54)
こうして世界における物と物との類似の網の目は、記号の網の目のうちにあらわれるのであって、それをつなぐ(可視的な後者をとおして不可視の前者を明るみに出す)のが解釈学ということになります。その解釈学の方法は類似ですから、解釈学の言葉もまた類似の網の目を成すでしょう。そうすると、世界における存在、対象的自然というのは、この記号の網の目と、解釈学の言葉の網の目との間に挟まれたものという格好になります。
物の性質、物の共存、物同士を結びつけ通じあわせる連鎖関係といったものは、物相互の類似とべつのものではない。そしてこの類似は、世界のはてからはてへと張り巡らされた記号の網目のうちにしか現われないのだ。「自然」は、記号学と解釈学を上下に重ねつつへだてる、わずかな厚みの中にとらえられているのである。「自然」が神秘的でヴェールにつつまれているのも、それがときに認識を惑わすとはいえ認識の対象となるのも、この重なりあいのうちに類似関係のわずかなずれがあるからにほかならない。(p54-55)
解釈学と記号学のあいだの「わずかなズレ」が16世紀の知のの空間ということになるでしょうか。
類似の解釈学と外徴の記号学がすこしのぶれもなく一致していたならば、すべては直接与えられ、明白であるだろう。けれども、文字記号(グラフィスム)を形成する相似と言説(ディスクール)を形成する相似のあいだに「くいちがい」があるため、知とその際限ない労役は、その「くいちがい」を自己に固有な空間として受け取り、両者の距離の内部に畝溝を刻みつけながら、類似者からそれに類似したものへと、無限にジグザグの歩みをつづけねばならないのだ。(p55)
類似をたどる知は無限であるため過剰ともいえるけれど、他方で類似は「それ自体において決して安定したものではありえず、べつの相似と関係づけられてはじめて固定され」るものであり、その相似もまた「さらにあらたななる相似を呼び寄せずにはおかない」性格のものであって、各相似は他のすべての相似の集積を介してしか価値をもたないがゆえに絶対的に貧困なものとも言えます。
だからこの知は、その土台からして砂のようなものだ。知の要素相互の、可能な唯一の結合形式は付加である。(p55)
そこで16世紀の知は、この果てない知の行路に、それ自身を根拠づけてくれるような限界をつくりだす、それが小宇宙―大宇宙というフレームです。
小宇宙(ミクロコスモス)というあまりにも有名な範疇が機能するのは、まさにこの点においてである。・・・それは探求に対して、それぞれの物がより大きな尺度において自分を映す鏡と自分を保証してくれる大宇宙(マクロコスモス)とを見いだすことを約束する。
・・・自然の<一般的布置>として理解された場合、この小宇宙という概念は、つぎつぎと中継されていく相似関係の疲れを知らぬ歩みに対して、現実の、いわば触知しうる限界をおくのである。(p56)
こうして「小宇宙」が設定されることによって、大宇宙という自らの存在の保証を見出し、また「類似」を辿る無限の営みを限界づけることができたというのでしょう。
また、16世紀の類似の知は、この小宇宙・大宇宙の導入と同時に、解釈学の具体的なありようとしての「魔術」(占卜)と「博識」を導入します。前者は「無言の標識から物それ自体へへと赴き」、いわば「自然を語らせ」、後者は「不動の文字記号(グラフィスム)から明晰な言葉へと赴き」、いわば「眠っている言語にふたたび生命を与える」ものです。魔術は認識の仕方と不可分で、この時代の知の基本的布置が標識と相似とを互いに関係づけていたがゆえに、古代から復活をとげたわけです。
世界は記号に覆われており、可視的な記号の網目によってしか明かされないということだけれど、ではその記号はなぜ世界を、物たち隠れたものを指示しうるのか?
解釈されるそれら記号(シーニュ)が隠されたものを指示するのは記号が隠されたものに類似しているというかぎりにおいてにすぎぬ。(p58)
ここでも類似です。記号(=外徴=しるし=標識)は、それが指し示す物と類似しているからこそ、それを指示できるのだ、と。
世界は解読せねばならぬ記号でおおわれ、類似と類縁関係を啓示するこれらの記号は、それ自体相似関係の形式にほかならない。それゆえ、認識することは解釈することである。(p57)
かくして言語もまた、世界の物たちの目印である標識の体系と同じ、相似関係の体系にほかなりません。
十六世紀における生のままの歴史的存在(エートル)として見るならば、言語(ランガージュ)は恣意的な体系ではない。言語は世界のなかにおかれ、世界の一部をなしている。というのは、一方では物それ自体が言語としてみずからの謎を隠すとともに顕示するからであり、他方では、語が解読すべき物としえみずからを人間に呈示するからである。(p60)
言語(ランガージュ)は、相似と外徴との大いなる分布の一部をなす。したがってそれは、それ自体一個の自然物として研究されなければならない。言語の諸要素は、動物、植物、あるいは星のように、それなりの類縁関係と適合の法則、それなりの必然的類比関係をもっている。(p60)
こうして16世紀の言語観では、言語が意味(意味作用)を持つとは考えられず、また17-18世紀の言語分析の導きの糸になる言語の表象内容も主題にはなりません。16世紀の言語研究は、語がその特性によっていかに組み合わされるかを明らかにしようとする統辞法のようなものでした。
語が音節の集まりからなり、音節が文字の集まりからなるのは、音節なり文字なりのうちに、ちょうどこの世界で標識同士がたがいに対立しあい惹きつけあうように、それらを近づけたり引き離したりする特質が宿っているからにほかならない。(p60)
…と考えらえたのでした。このように16世紀の文法研究もまた、「自然の学や秘教的学問とおなじ認識論的配置にもとづいている」というわけです。
その本源的形態において、すなわちそれが神によって人間に与えられたとき、言語は、物に類似しているがゆえに、物の絶対的に確実で透明な記号であった。(p61)
このような、物との類似によって16世紀の言語は言語たりえたわけです。
諸言語は世界に対して、意味作用(シニフィカシオン)の関係にあるという以上に、類比するものとしての関係にある。というよりはむしろ、言語の記号としての価値と二重化する(=模写する)機能とが重なりあっていると言うべきかもしれない。言語は空や大地を語ると同時に、それらの模倣である。(p62)
このような言語と世界との関係についての知の地平から導かれる様々な現象が16世紀にみられる。そのひとつが百科事典です。言語が世界の物たちと類似し、その模写であるとすれば、それを並べて見せることは世界の諸事百般を並べて見せることと等価でなくてはなりません。
16世紀末、あるいは17世紀初頭に現われたような百科事典的企ての形態は、・・・空間における語の連鎖と配置によって世界の秩序そのものを再構成しようとするのである。(p63)
また、言語が世界の模写だという考え方は、書かれたものの特権化が導かれます。
言語と物とが両者に共通と見なされた空間でこのようにからみあうという事実は、書かれたものの絶対的な特権を前提としているのだ。この特権はルネッサンス全般を支配したものであり、疑いもなく西欧文化の大きな出来事のひとつだったと言えよう。(p63)
音読や上演を目的とせず、それらに制約されない文学が登場し、伝統や教会の権威よりも宗教上の原典解釈が重視されるようになったことも、<書かれたもの>の特権化を証拠立てているとフーコーは書いています。
そしてさらに面白いのは、こうした<書かれたもの>の特権化のもとで、現在の目から見れば実に奇妙奇天烈で滑稽でさえあるような、「見られるものと読まれるもの、観察されたものと人づてに伝えられたもの」とが区別されずに平然と同列に列挙される、という事態が起きています。
その例としてフーコーが挙げているのは、ビュフォンが驚きの目で引いている16世紀の博物学者アルドロヴァンディの『蛇と龍の話』における「蛇類一般について」の記述例です。その章では、次のような項目が同居してこの順序で並んでいたそうです。
多義性。同義語および語源。種類。形態とその記述。解剖学的構造。性質および習性。気性。交接及び生殖。声。運動。棲息地。食物。容貌。反感。共感。捕獲法。蛇による死傷。毒害の症状と徴候。治療法。形容語。名称。驚異および前兆。怪蛇。神話。蛇にゆかりのある神々。教訓談。寓話および神秘譚。象形文字。寓意画および象徴図。格言。貨幣。奇蹟。謎。金言。紋章。歴史的事実。夢。画像および彫像。食物としての用途。医学上の用途。その他の用途。
ビュフォンは「これらすべては記述ではなく、伝説(légende)である。」と書いているそうです。それを引いてフーコーはこれを16世紀のエピステーメーのうちに位置付けています。
じじつアルドロヴァンディとその同時代人にとっては、これらすべてはlegenda ―すなわち読むべきもの― であった。けれどもその理由は、先入見のない視線の正確さよりも先人の権威が好まれたからではなく、自然それ自体が、語と標識との、物語と文字との、言説と形態との、切れ目のない織物をなしているからである。(p65)
つまりアルドロヴァンディは、決して観察者と優れていなかったわけでも、正確さに欠けた記述者であったわけでもなく、この時代の知の地平に立って、「ことごとく書かれたものである自然を細心に熟視していた」わけです。
一個の動物、植物、もしくは地上の任意の物を認識することは、それらのなか、あるいはうえにおかれた記号(=しるし)の厚い層全体を取り入れることである。(p65)
してみれば、知ることとは言語を言語に関係づけることである。・・・それはあらゆるものを語らせること、いいかえれば、あらゆる標識のうえに註釈という第二の言説を生じさせることにほかならない。知に固有なものは、見ることでも証明することでもなく、解釈することなのだ。(p65-66)
こうして、フーコーの引用するモンテーニュが随想録で「われわれは物を解釈するよりも解釈を解釈するのにいそがしく、他のいかなる主題に関する書物よりも、書物に関する書物のほうがたくさんある。われわれはたがいに註解のつけあいばかりしているのだ。」と書いたとおり、16世紀の知的活動の前面に「註釈」「解釈」がせせり出すことになります。
その背景を言語観についてみれば、そこにこの時代までの記号一般に関する三元的な考え方があったことが指摘されています。
ストア学派以来、西欧世界における記号の体系は、能記と所記、そして外示が認められていたがゆえに三元的であった。・・・・ルネッサンスにおいては、・・・・それは、標識の形式的な領域、標識によってしるしづけられる内容、そして標識と指示される物とつなげる相似関係という、三者に訴えるがゆえに三元的である・・・(p67-68)
17世紀以後、ポール・ロワイヤル文法の登場で、記号は能記と所記の結びつきとして規定され、16世紀的な三元的な言語観を消えるわけですが、すっかり二元的な言語観に染まっている私たちからみると三元的な言語観というのは面白いですね。
ところで、<書かれたもの>の特権化をもとに前面に登場した、「与えられた記号をもう一度取り上げて語りなおす」註釈の下には、「註釈が誰の眼にも見える標識の下に隠されているその優越性を前提とする」テクストがあります。テクストの特権化もまた、16世紀の類似のエピステーメーから派生する現象のひとつというわけでしょう。
三元的な言語観のポイントは、「記号が、それが記号であるところのものをまさしく指示していることを、いかにして認知しうるか」と自問するところにあるでしょう。それが、能記、所記と並べられた「外示」すなわち「標識を指示される物とつなげる相似関係」の概念に込められているのでしょう。
しかし、この問いかたは17世紀になって変容します。「17世紀以後、記号がそれが記号であるところのものといかにしてつながりうるかが問われるようになる」のです。16世紀においては、記号はそれ自体が世界の似姿であり、類似物であるがゆえに、記号が隠された世界の物たちを指示していることは自明の前提であって、その記号(標識)を見出し、そのいわばテクストを解釈し、註釈を付して、まさにそれが指示するもの、みずからと類似したものを明るみに出すことが問題だった。
けれども17世紀以後は、そうした不確かな類似が前提にはなりえないので、それに代わっていったい何がいかにして、記号と世界とを結びつけることができるのかが問われなくてはなりません。
この問いに対して、古典主義時代は、表象の分析によって答えるであろう。そして近代の思考は、意味と意味作用の分析によって答えるにちがいない。しかし、まさにそのことによって、言語は、表象の特殊な場合(古典主義時代の人々にとって)、もしくは意味作用の特殊な場合(われわれ近代人にとって)以上のものではなくなるだろう。(p68)
そんなふうにフーコーは少し先の論証を先取りしてまとめています。
(太字引用はすべて、ミシェル・フーコー『言葉と物~人文科学の考古学』渡辺一民・佐々木明訳、新潮社1974によります。)
2020年05月27日
夢めぐり 第4夜
夢めぐり 第4夜
小菊
夢の中で私は竜馬だった。茶屋の2階で昼間から窓にもたれるようにして酒を飲んでいる。一斗樽飲んでも酔いつぶれる竜馬ではないはずだが、私の竜馬、いや竜馬の私はもうほろ酔い加減。
「世の中をもとからひっくり返さにゃどうもならんぜよ」
「いゃ、ぶっそうなこと・・・」
傍らで酌をしてくれている茶屋の女がいる。小菊と名乗った。
「恋と革命じゃきに!」
「何や太宰はんのようどすなぁ」
「みだりにその名を口にするでない」
「なんでどす?」
「まだこの世におわさぬ」
「戯言ばっかり・・・。恋と革命のお方がこんなとこで油売っててもよろしおすのやろか?お龍さんに怒られますえ」
「なぜお龍のことを?」
「さっきから寝言で何遍も聞かせていただきましたぇ」
「・・・・」
「よっぽどの想い人なんどすやろなぁ」
「そんな女は知らぬ」
そう言ったとたん、なぜか薩摩へ行ったときのことを思い出す。
あのときは楽しかったな。二人で湯につかって、お龍があんなにはしゃぐのを見たのは初めてだった。
下関で別れたきりのお龍は、どこでどうしているだろう?
思い出は時間をさかのぼっていく。
伏見の寺田屋でお龍が裸で狭い階段を駆け上がって飛び込んできたときは度肝を抜かれた。慎蔵の驚きようといったらいま思い出してもふき出してしまいそうだ。
お龍がいなくても、短筒がなくても、いまここにいる俺はなかった。
薩摩にも借りができた。そりゃ薩長同盟の意義は計り知れぬ。だがそれが本当に分かっているやつは、指折り数えるほどしかいない。薩摩の若い連中などは、いまだに俺のことをこころよくは思っていない。薩藩の主導でこの国を動かせると思っているから、負け犬の長州と対等に手を握らされたことが気に入らないのだ。
しかし西郷は他のやつとは最初から違った。とらえどころのない男だ。小さく打てば小さく鳴り、大きく打てば大きく鳴る・・・勝先生の使いではじめてやつに会ったときの印象はいまでも的外れじゃなかった。
お龍。
人はいつか死ぬ。いまを駆け抜けるるほかに、人の生きようはない。
庭を見下ろすと一叢の白い花が見える。一本一本が日に顔を向け、凛とした姿で立っている。
「あれは何という花だ」
「ここらでは貴船菊て言います。秋口に咲くよって秋明菊とも言うそうどすけど」
「姿の良い花じゃな」
「朝早うに見ると、気持ちがしゃんとします」
これから、この国はどうなる?
あの西郷でさえ、まだ薩摩から抜けきれぬ。俊輔や小輔のような小物では心許ない。宮部鼎蔵や吉田稔麿をやられたのは痛かった。どんな激動の時代になっても、結局は人だ。いや、益々人が大切になる。
西郷、大久保、桂、高杉・・・だが、みな奇妙に熱に浮かされている。そのくせ、薩摩だ長州だと狭い了見を捨てきれぬ。あれでは岩倉のような陰謀家にコロリとやられてしまう。岩倉は好かぬ。公家は苦手だ。
これから必要なのは横井小楠のような経世に秀でた見識をもつ者だろう。だが数え上げるほどには、頼りになる者がおらぬ。人材が圧倒的に不足している。勝先生のような人物がこちら側に一人でも二人でもいてくれたら、と幾度思ったことか。
「指にえらい怪我しはったんどすなぁ」
小菊が指の傷を指して言う。
「おなごに食いちぎられたんじゃ」
「ほんまどすか?そないなおなごはんがおいやすやろか」
「おぉ、おる、おる。やきもちやいて、男の指を食いちぎるんじゃ。」
「おぉこわ。そやけどそこまで想われたら男冥利に尽きますなぁ」
小菊は妙に感心したように言う。実はこの傷、寺田屋の一件で切り込まれたときの古傷だ。刀を抜く間もなく斬りつけられ、とっさに短筒で受けとめ、辛うじて逃れたが、あのとき指を削られ、血でぬるぬるになったために弾倉を取り落としてしまった。
お龍はあのときすぐに薩摩邸へ駆けつけて助けを求めた。ほんとうに機転のきく女だ。
だが、こちらは自分たちが無事に抜け出したために、お龍はとらえられて厳しく詮議されているのではないか、気がかりでならなかった。自分が見捨ててきたような後ろめたさでいっぱいだった。その後しばらくは、寺田屋に近づくことさえできなかった。
「お龍さんのことを考えておいでやすか」
言い当てられて、少し不機嫌になる。そむけた背中へ小菊は団扇の風を送ってくる。
「おなごは、男はんが思わはるほど弱いことはおへんぇ」
「・・・」
「一人ではとてもようおらんやろと思われるようなおなごでも、あんじょうやりくりしていくもんどすえ」
「はは、男はおらんでもええか・・」
「そら、旦那はんみたいなお方がそばにいてくれはったら、心強おすけど、一人になったらなったで、おなごは男はんより楽に生きられますよって」
なるほどな、と思う。
「男はんは男はんの夢があるやろし、それを追っかけていかはったらよろしのやおへんか」
「ええことを言うものじゃな」
「いややわ、からかわんといとくれやす」
振り向くと、小菊は背筋をぴんと伸ばしたまま口もとをゆるめてにっこり笑う。
「もうちょっとお休みやすか」
小菊はそう言って、膝を崩してにじり寄り、膝枕をしてくれる。
あぁ、いい匂いがするな、と思ううちに眠ったようだった。
「よう寝てはるわ」
声だけが聞こえている。目覚めそうでいて瞼が重く、そのまま再び眠りの渕に引きずり込まれていく。
と、足のほうから薄物をかけ、そっと立っていく気配がした。それが小菊なのか、お龍なのか、或いはまた妻なのかは分からなかった。
(了)
(「エブリスタ」で掲載した小品の再掲です。ペンネーム・野宮みどり)