2020年02月

2020年02月26日

「自己表出」からみた芭蕉句、蕪村句

 民俗学と俳句に詳しい友人によれば、芭蕉は京(都)を詠んだ句はわずか8句で、洛外を詠んだ鄙の句まで含めても20句だそうです。それに引き換え、典型的な鄙の句、近江で詠んだ句は102句に及び、それも円熟期の作品ばかりだそうです。友人は、芭蕉が蕎麦切と俳諧は「都の土地に応ぜず」と言っていたという門人の証言など引きながら、芭蕉は「京・江戸嫌いの鄙好き」で、郷里伊賀上野と風土の似通う近江を愛し、その鄙の自然と庶民の暮らしを愛し、鋭い観察眼でとらえて、そこに鄙の風雅を見出して句作したと考えているようです。

 これに対して、蕪村はおよそ300句も京を詠み、京の路地裏に住んでこれを桃源郷としてその貧しい暮らしに自足した、芭蕉とは対照的な「よそ者の京好み」だったと、私の友人は判じています。彼は実際の二人の事跡や発句をたどって学者らしくエビデンスを挙げて論証していて、それはそれで大変刺激的で面白いのですが、まだその論文は雑誌に掲載公表されていないか、されたとしても一般の人が書店で手に取る類の雑誌でもなさそうなので、それ自体を肴にするわけにもいかないため、ここでは友人が送ってくれた原稿に登場する芭蕉、蕪村の句からひとつふたつ拾って、友人の読みは友人の読みとして、私はどう読むか、書いてみようと思います。

 といっても私は文芸の中では小説や古典の物語はある程度ごく普通の比較的本好きの読者程度には読んできたけれど、俳句というのは学校の教科書で習っただけ、と言った方が早いくらいで、まぁ敬遠してきたようなところもあって、ほとんどまともに読んだり考えたりしたことがなかったのです。

 小学校2,3年のころ両親が会社の若い人たちを呼んで、ある時期には割と頻繁にうちで俳句会を開いていたことがあって、参加した人がお茶を楽しみながら、割と広かった社宅の庭に植えられた梅や桜、あやめや水仙など季節ごとの花を詠んだり、時折訪れる小鳥や、池の鯉、そこらをうろつく猫や犬などを句に詠んだりして、それを集約して多くが選んだ句を朗々と読み上げたりしているのを、隣の部屋で聞くともなく聞いていたおぼえがありました。

 あるとき母があんたも作ってごらん、と言うので、なにもわからぬまま、とにかく季節のものを入れて、五七五で詠めばいいんだ、と思って梅の句を2,3詠んで母に問われるままに告げたら、母は短冊にそれを清書して、どうやら私の作と言わずに座に披露するつもりだったらしく、ある親しいおじさん(父の同僚)が私に、〇〇君も句をつくったんか?どれどんな句か、おじちゃんが見てやろう、というので、うぶな私は全部白状してしまったので、すぐ後でそれを知った母が、なぁんだ、言ってしまったの・・とひどくがっかりしていたのを覚えています。そんなこと言うなら作れなんて言わなきゃいいのに、とちょっと反発もして、もう俳句にはすっかり興味をなくしてしまったので、その句を母が披露したのかどうか、どうなったのかも知らぬままですが・・。

 まぁ俳句との縁と言えばそんな程度で、私にはまるで俳句など分からないのですが、民俗学者の友人はその専門的な関心から俳句を民俗史料として読む柳田国男がよくやっていた手法で俳句に詠まれた各地の民俗を論じると同時に、もともと俳句自体に関心があったのか、割と本格的に俳句を考察するようになって、プロの俳誌への執筆も依頼されるようになったらしく、そういうところには民俗学者の目から見た俳句論やエッセイの類を書くようになって、既に何冊かその種の文章をまとめた単行本も出しているのです。おまけに自分でも俳句を詠むようです。それはさすがに、ときどき気恥ずかしそうにちらっと書き添えてあるだけですが(笑)

 彼の俳句論は民俗学的な知識、経験に裏付けられて、俳句に詠まれた自然や生活の一コマが、どのようにとらえられているか、そこに対象的自然や生活がどれだけ正確な観察眼でとらえられているか、またそれが芭蕉や蕪村の俳人としての姿勢、嗜好にどうかかわっているか、間断するところなく論証して説得力のある論考になっているのですが、なんといっても俳句を民俗史料としてとらえる、という視点がベースになっているので、具体的な句を論じるにあたって、私の目から見れば時にそれは俳句の評価としては外れではないか、と疑問を感じる所があります。

 霰(あられ)せば網代(あじろ)の氷魚(ひうお)煮て出さん

 霰が降ったら網代でとった氷魚(琵琶湖の鮎の稚魚)を(やってくるお客に)煮て出そうよ、というのでしょう。芭蕉の句ですが、「網代の氷魚」というのは近江の人にとっては、琵琶湖から瀬田川として流れ出るところから数キロ下流の田上での網代での漁でとった鮎の稚魚(友人によれば実際は稚魚は小さすぎて田上の網代でかかるはずがなく、漁師は琵琶湖で漁ったはずだというのですが)ときまっていて、「田上の網代」の氷魚としてよく知られているそうです。
 そして霰が降るころ、そろそろ鮎の稚魚が田上の網代でとれるころだな、というのは、土地の人にしか分からない、そして土地の人ならだれでも常識として知っている、定住者にしか作れない「自然暦」的な認識であって、芭蕉が「よそ者」として近江を旅する人であったにもかかわらず、いかに近江の漁民や農民の暮らしに愛情を持ち、鋭い観察力をもって見ていたかを証すものだ、というのが友人の読みです。

 そこまでは芭蕉の自然や庶民の生活に対する鋭い観察力、認識力を賞揚するだけで、そこにしかこうした句の価値を認めないとすれば、いくら褒め讃えても、芭蕉を民俗学者である彼自身に引き寄せて一介の優れた民俗学者にしてしまうだけですが、友人の直観的な詩人的資質の優れたところはこの先に発揮されます。

 この句は、考えてみれば、旅人、よそ者としての芭蕉の視点から表現された、というよりは、まるで近江の地の漁師の一人が、もうそろそろ霰が降るころだなぁ、と思い、霰が降るころになれば実の田上の網代で小鮎の稚魚がたくさんとれるなぁ、と連想して、霰が降ったら、やってくる客にその氷魚を煮て出してあげようよ、と考えて詠んだ句のようになっています。つまり、句を詠むときの意識の主体、表出意識が、旅人のものではなく、地の人のものになっています。

 これを友人は、芭蕉が土地の人に成りきって、客をもてなすという視点で詠んだ句だと言っているのですが、これは大変鋭い指摘だと思います。そして、そこにこの句の表現価値、表現としての付加価値の源があるのだと思います。つまり句を民俗史料としてではなく、あくまでも「表現」として見るなら、このような表出主体の位置を見出したところに、吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」の用語でいえば、「自己表出」の飛躍があったのだと思います。

 改めてこの句を、自己表出と指示表出の構造体としての言語表現という観点でたどってみると、「網代」や「氷魚」は名詞で物の名をあらわすので、ときどき自己表出、指示表出という概念を誤解している人は、これらの言葉は指示表出、と考える人があるのですが、この概念はそんなふうに語によって分離できるものではなく、「網代」という表現も「氷魚」という表現も、ともに表現としての言語として見れば、自己表出の面からも見ることができるし、指示表出の面から見ることもできます。

 指示表出からみた「霰」は、あの空から降ってくる自然現象としての「霰」という物体を指しているわけで、ほかの名詞と同様に指示性100%に近い言葉だとみえるけれど、そもそも表現として、この言葉を選んだということ自体に、表現主体の主体的行為があるわけで、そこにこの言葉もまた「自己表出」の面からみられる根拠があります。
 他の類似の言葉ではなく、排他的にこの「霰」という言葉を選んだところに、この対象を指示する指示性とともに、それを主体的に選択した表現する側の主体意識、表出意識、表出する視点、視角、思いがあるわけで、それを「自己表出」と呼んでいるわけです。

 「煮てだす」は「煮る」「出す」という二つの動詞から成る言葉ですが、動詞は表現としては名詞に比べれば指示表出性の度合いがより小さく、逆に自己表出性の度合いがやや大きい言葉だということになるでしょう。それは、「煮る」という誰もが知っているあの調理行為を指し示すと同時に、それを表現する主体が、みずから氷魚を煮る動作をする視点位置に立って、氷魚を煮る、という主体的な意識自体の表現にもなっている言葉であり、それがこの句を動的なものしている理由だと考えられます。

 それは逆に、この動作を示す言葉を「氷魚の煮物」というふうな名詞化した表現に変えていたとすれば、あぁ煮られた氷魚があるんだな、とは分かっても、みずから氷魚を煮てもてなそう、という主体的、動的な印象をこの句から受けることはないだろう、ということからも理解できます。そこに、この言葉の「自己表出」の面から見られた働きがあるのだと思います。

 同様に、この「煮てださん」の部分を、「煮る漁師」とか、「くらいけり」とか、「食う女」とか、「氷魚に舌鼓」などという言葉に置き換えてみれば、どう印象が違ってくるかを考えれば、この「煮てださん」という主体的表現に属する言葉の働きがはっきりすると思います。

 「霰」という表現は、客観的物理的気象学的実体を指しているだけではなく、現に目の前に降る霰にせよ、あるいはいまにも降りそうな霰にせよ、仮想的に考えられた霰にせよ、空から降ってくる霰を見る視点の位置を同時に含んでいる表現であって、それを「霰せば」というのは、「霰が降るならば」とあえてペンディング状態に置いて、末尾の「煮てださん」という判断と行動の劇的な表現に集約する効果を高めているのでしょう。

 その「霰」への視線を今度は「網代」に転換する、そこには友人が指摘するような自然暦の認識があるのかもしれません。あるいは土地の人には慣用句化された付け合いの言葉だから使っただけかもしれません。それは表現としての俳句を読む立場からはどうでもいいことです。芭蕉の句として表現された言葉が、句の中で有効に機能していればよいので、その言葉を用いた背景としての認識が芭蕉自らの鋭い観察眼で得られたものであるか、さんざん歌や句に詠まれた慣用表現を拝借したものであるかは問題になりません。

 さて「霰」から「網代の氷魚」への視線の転換は、気象から生活風物詩の一コマへの転換であり、「網代」から「氷魚」への転換はさらにより小さな対象への視線の転換でもあって、短い言葉のつなぎの中に、結構視線の変化、飛躍の印象を与える自己表出の起伏が隠されているようです。

 さらにそこから「煮てださん」への転換は、「氷魚」という対象を手元へ引き寄せて、自分が調理するものとして、これまで「氷魚」を見ていた視線を「煮る」という行為の上に移し、しかもそれは自らの行為なので、ここで表出位置を転換して、その行為を行う主体と表出主体の位置を重ねた表現になっています。

 つまりこの第三句で劇的な表出位置の変化が起きているわけで、自己表出の流れのクライマックスに当たり、ここでこの句の付加価値をぐっと高めているのだと考えられます。

 先に述べたように、ここを「煮る漁師」「くらいけり」「食う女」「氷魚に舌鼓」などとした場合と芭蕉の句を比べてみれば、この「煮てださん」の働きが理解できるし、これが無ければ、いくら芭蕉が「霞」と「網代の氷魚」の自然暦的認識を理解していたとしても、この句の価値は民俗学的史料としての価値を出なかったでしょう。俳句の価値はやはり「認識」に還元できるものではなく、あくまでもそれは「表現」として読むことによって見出されるものだと思います。

 芭蕉が近江の漁師や農民の生活を愛し、彼らの生活をつぶさに観察し、句を詠むにあたって、彼らに成りきって、その視点で詠むことによって、あらたな表現(自己表出)の高みへの飛躍をなしとげたように、蕪村もまた、「よそ者の京好み」として、あたかも自らを根生いの京都人であるかのように見立てて、こんな句を詠んでいることを、友人が指摘しています。

 春の暮我住む京に帰らめや
 秋の暮京を出て行く人見ゆる
 なには女や京を寒がる御忌詣

 確かにこうした句で蕪村は「よそ者」意識ではなく、自分を「根生いの都人」に擬して、そういう表出位置から「京に帰ろうよ」と詠み、「京を出て行く人」を見、京を寒がる「なには女」を眺め、表現しています。

 このように旅人の自分を近江の地の漁師であるかのように見立て(芭蕉)、よそ者のくせに根生いの都人であるかのように自らを擬して(蕪村)句を詠むとき、かれらはその表現の内で、それぞれお気に入りの土地の根生いの者の視点、視角を見出し、その表現主体としての表出位置、角度から「表出」しているわけで、そのことが従来のただ自然や暮らしの風物を詠んだ句にはなかったそれらの新しい見えかたを示し、新しい表現を生み出したわけで、こうした「自己表出」に沿って句を読むことが、その句の表現としての「価値」に触れることになるのだと思います。

 こうした自己表出の飛躍が、言語の指示性をも飛躍的に強め、従来の句では切り込めなかった庶民の生活や庶民の思いに深く切り込む表現を可能にしたことは疑いないでしょう。
 それは以前に触れたように、三浦つとむが「日本語はどういう言語か」の中で例示していた子供の絵を例にとれば、机の前に座って何か描いている子供を正面から同じ高さでとらえた絵では、ただそうしたことをする子供の姿と机の前面のイメージしかわからなかったのが、視角を変えて斜め上方からこの少年と机をとらえた絵では、机の上が全部見えて、子供が何を描いているのか、机の上に他に何があるかまで、全てわかるようになったのと同じことでしょう。指示表出と自己表出の関係はこのように不可分離の一体的な構造として表現のうちに実現されているわけです。

 芭蕉や蕪村の上に例挙したような見立ての句の技法は、映画撮影の技法でいう「POVショット」(point of view shot)になぞらえることもできるでしょう。登場人物の視点で撮り、その人物が見ているものを見せる手法で、例えば旅人である自分とは別の近江の地に暮らす漁師が氷魚を調理して客人をもてなそうとする様子を、そうした光景を見ている句の詠み手である芭蕉の目でとらえるのでもなく、また芭蕉をも客体化して漁師とともに対象的にとらえるのでもなく、「霰せば…」の句では、調理する漁師の目にカメラを重ねて、その漁師の目がとらえるものを撮っていくことになります。

 たとえば手前から向こうへ自分の手をニュッと差し出すところや、その自分の手がつかむ氷魚の入った器を、火に掛けた隣の煮鍋へと移す自分の動作を像としてとらえていく目そのものがカメラと化して、そうした自ら動いていく主体的、動的な映像を創り出していく、調理する漁師自身の目が見ている通りにフォローしていくカメラワークになるでしょう。

 こういうカメラ位置を取れば、当然、その手がどういう器を使い、どのように氷魚を扱い、どう料理するか、という漁師の生活の細部を形作る生活知や技術が、その像によって、その視点の取り方によって、否応なくとらえられることになるでしょう。そうしたカメラの位置や角度が必然的に撮られる映像のありよう、そこに描き出される対象の姿を変えていくことになります。

 調理する漁師の目でとらえた映像は、彼から距離を置いて第三者的な位置に据えたカメラではとらえられない映像であり、対象のありようを見せてくれるはずです。このように表現された作品(ここではカメラでとらえられた映像)における「表現」と「認識」は一体であり、分離することができないし、表現における「指示表出」(対象のあり方、対象の像として客観化される)と「自己表出」(その対象をとらえる主体意識の位置、視角等として客観化される)とは分離することができません。

 「霰せば‥」の句は、たしかに友人が指摘したように、芭蕉が近江の自然暦的な認識を持っていたことを示し、それはまた彼の庶民生活への観察力の鋭さ、認識の深さをあらわしているかもしれませんが、この句の表現としての価値がそういう認識自体にあるわけではなく、自分をもてなす根生いの漁師に擬した表現を可能にした表出位置、視角などを見出し、従来のありふれた視点・視角から自己表出の転移を成し遂げることによって、氷魚を調理する漁師の目と化したカメラがとびはねる氷魚の姿やそれを扱う漁師の手際のよさを必然的にとらえるように言語の指示表出の領域を広げ、また指示性を強めたことが、この句の文芸的価値を高めていると言えるでしょう。

 蕎麦も見てけなりがらせよ野良の萩

 芭蕉が近江粟津の龍が岡の丈草ゆかりの俳人らしい山姿という人の家に赴いたときの挨拶句らしいのですが、友人は「京・江戸嫌い、鄙好みの芭蕉」という立論をもとに、萩は京の伝統的な和歌の世界を表し、蕎麦は芭蕉がそうした貴顕の伝統的な雅の世界から脱却して庶民の中に新たな風雅、都の雅に対抗できるものとして芭蕉が鄙に見出した風雅を表している、と解釈しています。
 
 伝統にこだわり革新できない萩に対して、誰も美しさを詠まないが、萩に劣らず美しい蕎麦の花を対比させたもので、芭蕉の京の伝統的俳壇への批判を蕎麦に仮託したもの、というのです。

 それは独創的で魅力的な読みではありますが、やっぱり私には深読みに思われ、彼の推論は芭蕉の「京・江戸嫌い、鄙好み」という彼のそれ自体は正当かもしれない立論を状況証拠とした読みですが、この句の言葉自体に直接のエビデンスが見いだせるとは思えないので、そこには同意しがたい論理の飛躍があると思います。

 「けなりがらせる」(羨ましがらせる)というとき、羨ましがるのは「野良の萩」ですから、一種の擬人法を前提とした言い方で、「野良の萩」をひとに見立てて、羨ましがらせてやれ、というのでしょう。
 龍が岡のあたりは蕎麦の産地で、当時周辺には蕎麦畑がひろがり、その小さく可憐な白い花が一面に咲いていただろうということです。でも土地の人にとっては当たり前の日常風景で、蕎麦の花など珍しくもなんともないし、そんなに派手な花ではありませんから、見ていて見過ごしているようなもので、歌などに歌われることもほとんどなかったのではないでしょうか。
 他方、萩のほうは万葉集で確か一番多く登場する花が萩だったのではないかと思いますが、それほど古来から歌にも歌われてきました。だからこれを対照的にとりあげていることは友人の指摘のとおりでしょう。

 そうした目の前の蕎麦の花や萩の花を見て、万葉以来歌にもよく歌われ、愛でられてきた萩の花もいいけれど、この辺りで皆さんは見慣れていてその可憐な美しさにかえって気付かれないかもしれないけれど、蕎麦の花もまたいいものですよ、というのを、萩の花と対照させ、しかも両者を美しい女性のように擬人化して「蕎麦の花も見て、野良の萩をうらやませてやりなさいよ」と詠んだところに、軽みのある面白さがあるのだろうと思います。
 これを、今日の伝統的歌壇への批判を託した、と深読みしてしまうと、「かるみ」というより、ちょっと芭蕉もあざといな、という印象になってしまうような気がします。

 そして、友人のような意図が芭蕉にあったなら、彼は「蕎麦」とは詠まず、また「野良の」とも詠まず、たんに「蕎麦見よ」とか、「の萩」とか何とか、別の表現にしただろうと思います。

 萩の花に自分が否定する京都俳壇を仮託するとすれば、萩の花にあまり良いイメージをもっていそうもありませんが、芭蕉が萩を詠んだほかの句には、萩を彼が否定的にとらえる伝統的な都の美意識や都の俳壇の旧弊さを象徴するような意味合いでとらえた句はありませんし、「萩の露米つく宿の隣かな」のように、むしろ鄙の感覚に近いところで萩の花をとらえているように思います。やっぱり「京の萩」でも「都の萩」でもなく「野良の萩」なのですね。

 蕪村には、藤田真一という蕪村研究者の言葉を引いて友人が、時空を「想像力で翔けめぐる創意」と呼ぶこんな句があります。

 揚州の津を見へそめて雲の峰
 高麗舟(こまぶね)のよらで過行(すぎゆく)霞かな

 私が探したところでは似たようなぶっとんだ視点から表出された句がほかにもあります。

 南蛮に雲たつ日やせみの声
 指南車を胡地に引去ル霞哉
 半江の斜日片雲の時雨哉
 雲の峰に肘する酒呑童子かな

 この種の「無限距離からの視点」で表現したような句をどう読むか、ですが、普通の評釈では、想像の句、とか詩的イメージの表現と解されているようです。
 表出の概念から考えると、これは先のPOV的な見立ての表現、鄙の漁民や農夫の、あるいは京の根生いの者に己を擬した句の延長上に考えられるものではないでしょうか。あたかも自分が船上から異国の港の背後に湧き上がる雲の峰を眺めているかのような、また目の前をいくはずのない高麗舟がこちらの港へ寄らずに霞の立つ中を去っていくなぁと眺めているかのような視点を仮構して、その位置から表現しています。

 いずれにせよ俳句は十七文字で表現するわけですから、それでいて豊かな、しかもインテグレートされた感情を伝えるためには、その十七文字を構成する言葉が適切に選択され、その言葉が密接に関わり合い、共鳴し、反響しあって、相乗的な、そして統一的な効果を発揮しなければならないのは明らかです。
 それを可能にするのは、友人が芭蕉の観察眼とか自然や生活誌に対する豊富な知識と言っているような外在的認識、つまり自然知や生活知などではなくて、むしろ五七五という俳句の限られた文字、音数の組み合わせであって、そのフレームがいわばコンサートホールの反響板のように音数律のリズムを反響させ、また響の波を幾重にも重層させて谺すことで、表現を励起させ、強めているに違いありません。

 こんなふうに俳句をあらためて「自己表出」「指示表出」という、吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』で創りだした概念を借りてその表現の価値を考えてみたいと思ったのは、友人の俳句論に刺激されたのが直接のきっかけではあるのですが、吉本さんが自分がこの最初の主著で述べたように日本の文芸における表現の取りうる方法は、現在までのところ、「韻律・選択・転換・喩」の4つがすべてだ、と述べているのが正しいとすれば、たった十七文字の俳句だって、この4つの方法で表現の価値を創り出しているはずなので、それを具体的な作品について確かめてみたいと、かねてから考えていたからです。

 吉本さん自身は、歌については記紀の初期歌謡から現代歌人による短歌まで取り上げたおびただしい論考を残していますが、俳句については私が今思い浮かぶ限りでは、まとまったものとしては、「言語にとって美とは何か」以前のごく初期に比較的短い「宗祇論」があるだけで、「言語美」の中でも歌は俎上に載せているけれど、俳句については同様に考えられるはずだ、と述べて省略していますし、ほかに正面から俳句を論じたものは思い当たりません。だから余計に、機会があればやってみてもいいな、と思っていたのです。

 もっとも本格的にやれば、連歌からの岐れから辿りなおし、代表的な俳人のものだけでもおびただしい数の句にあたり、芭蕉関連だけでも何冊も積みあがる連句集などに当たる必要が出てくるでしょうから、もう一回、二十歳くらいから生きなおさないと無理(笑)。

 というわけで、きょうは友人の原稿が取り上げていて、その句も彼の解釈も面白いな、と思った一、二の句だけ取り上げて自分の学んできた吉本理論(と私が理解している限りので)の観点で読めばどうなるかな、というのをやってみただけです。

 友人の原稿を読む際に、何人かの芭蕉や蕪村を論じた研究者や文芸評論家の本も覗いてみましたが、ほとんど何の参考にもなりませんでした。
 なぜなら、彼らは、「わび」と「さび」とか「かるみ」とか、芭蕉自身の創り出した概念、言葉を使って芭蕉の句を読もうとしているだけで、それはそれで芭蕉の心を多面的に理解し、深く降りていくための助けにはなるでしょうが、表現としての芭蕉の句、その価値をほかの文芸的表現にも通用するような客観性のある尺度で明らかにする上では何の役にも立たない、つまり表現の理論としての普遍性を全く持たない、俳句業界と言って悪ければ俳句研究業界の内輪の言葉にすぎない、という気がしました。

 そんなことを言うと、いや英語に翻訳して海外へ出せばいい、なんていうおバカなことを言う人があるので困りますが、そういう人は英語に翻訳することが普遍性を獲得することだと思っているらしくて、自著が英語版で出たとか、海外のどこやら大学の教授が読んでほめてくれたとか(笑)、自慢にしている御仁があったりして、その無邪気さに微笑ましい気分になったおぼえがありますが、ここでいう普遍性はもちろんそんなことではなくて、「理論」と呼べるような普遍性です。

 芭蕉の「わび・さび」の解説だって、そりゃ翻訳すれば英語で読めるでしょう。日本の文芸批評家だって、たいていはドストエフスキーの小説に関するバフチンの翻訳評論などから、「ポリフォニー」なんて概念を借りてけっこうよろしくやっているわけです。
 「わび・さび」だから翻訳で外人にはわからない、なんてことはないわけです。けれども、芭蕉自身の創りだしたその概念で、じゃ他の世界中の文学表現を解いてごらん、と言えば、とうていできないでしょう。それが理論としての普遍性がない、ということではないか。

 その証拠に、そういう解きかたは、つねに、おまえのいう「わび・さび」ってどういう意味だ?という問いを誘発せずには済みません。結局ひとそれぞれ、恣意的な解釈を、ああでもない、こうでもない、とやっているだけです。そういう芭蕉論や蕪村論を読んでも、彼らの句の表現価値の秘密に迫ることは永遠にできそうもありません。

 多分吉本さんが、プロレタリア文学批評などやっていて、見切りをつけたのは、そういう文芸理論めかした恣意的な議論にうんざりして、普遍的な表現の理論を打ち立てたいと思ったからでしょう。
 その意気込みと趣旨は「言語にとって美とはなにか」の序文に明確に書かれていて、いまでも颯爽としています。

 今も単なる感想や印象批評の類をもったいぶった言い回しでひねくり回したり、研究論文風の体裁を装うことによって論じたふりをしているような、結局は自分の好みを理屈づけたいだけの恣意的な議論が堂々と「批評」と称して業界をまかり通っているように、私には見えます。
 半世紀ほど前の吉本さんの打ち立てた普遍的な表現の理論の基礎は、まだ全然古びても朽ちてもいないで、その基礎の上に、将来の世代の構築が始まるのを待っているんだと思います。ほかには拠るべき普遍的な表現の理論など、少なくとも日本ではどこにもなさそうですから。


saysei at 23:05|PermalinkComments(0)

2020年02月23日

論語しらずの論語よみ ~多芸の人

 達巷党の人曰わく、大なるかな孔子、博(ひろ)く学びて、名を成す所(べ)きなしと。子、これを聞き、門弟子(もんていし)に謂いて曰わく、吾何をか執(と)らん。御(ぎょ)を執らんか、射(しゃ)を執らんか、吾は御を執らん。(子罕篇)

 達巷部落の或る人がいった。
 「偉大なお方だな、孔先生は。多方面の学問をされながら、何ひとつ専門をもたれないのだから」
 先生がこの噂をきかれて、内弟子たちにいわれた。
 「いったい自分は何を専門にしようかな。御者になろうか。それとも射手になろうか。・・・自分はやはり御者になろう」(貝塚茂樹・訳注、読み下し文も)

 古来の注はみなこのエピソードを大真面目にとって、例えば朱熹の「論語集注」では、人が自分をほめたのを聞いて孔子が謙虚さで応じたのだとしています。(人の己を誉むるを聞き、之を承けるに謙を以てするなり。)そして、尹焞(彦明)の「論語精義」の注を引いています。「聖人は道を完全に会得していて、徳も具わっている。かたよった得意の技芸で評価してはならない。達巷の村の人々は、孔子の大きさを見て、その学んだ内容の広さに思いを致し、一つの優れた技芸で世に名声を得ていないのを残念がった。つまり聖人を慕っていたがその本質を理解していなかったのである。」云々。(土田健次郎訳注「論語集注」より)

 仁斎は孔子が御(馬術)を執ると言ったのは、御が六芸の中で最も卑(ひく)いものとされているため、思うにこれは反語であって、道とは専門として執るべきようなものではないことを言っているのだ、としています。(「論語古義」)

 徂徠もまた尹焞や朱熹の説を臆見とし、それならなぜ「大いなるかな」と言うだろうか、「たいてい宋儒は聖人を知るを以て自負して、しかうして人の聖人を知ることを與(ゆる)さず、必ず貶(へん)する意を見(あらは)さんと欲す」と噛みついています。
 
 徂徠によれば、芸は六芸(礼,楽,射,御,書,數)あるが、礼・楽は「道の大いなる者、君子の事なり、ゆゑに謙して敢へて」挙げなかった。また、「書・數は府史胥徒(小役人ども)の先にするところ、ゆえに君子は任ぜず」ということでこれも挙げず、御と射を挙げたのだ、と。そして、御は礼記に「大夫の子を問ふときは、長ぜるをば能く御すと曰ふ、幼なるをば未だ御すること能はずと曰ふ」と言い、また「国君の子の長幼を問ふときに、長えるをば則ち能く社稷の事に従ふと曰ふ。幼なるをば則ち能く御す、未だ御すること能はずと曰府」とあるように、古来「御を以て子弟の職とす」といったものであったから、「孔子も亦たみづから御を執りて以て子弟の師と爲ることを言ふ」としています。

 でも、私はここは孔子が自分を称賛する言葉を聞いて喜んで、じゃ何を専門にしようか、馬術をやるのがいいかな、弓をやるのがいいかな、と冗談を言ったんだ、と解釈する貝塚さんが一番いいと思います。孔子は上機嫌で軽口を飛ばしたんだと思います。

 それを傍証するような、孔子が自らの多芸について語った有名な一節がほかならぬ論語の、同じ子罕篇にあります。

 大宰、子貢に問いて曰わく、夫子は聖者、何ぞそれ多能なる。子貢曰わく、固(もと)より天の縦(ゆる)せる将聖にしてまた多能なり。子これを聞きて曰わく、大宰は我を知れる者か。吾少(わか)くして賤しかりき。故に鄙事に多能なり。君子多ならんや、多ならざるなり。

 呉の大臣が、子貢にきいた。
 「先生は聖人であられるのか。それにしてはなぜあんなに多芸なのか」
 子貢がこたえた。 
 「仰せのとおり先生は神さまにゆるされた大聖人ですが、またそのうえ多芸なのです」
 先生がこのことを聞かれていわれた。
 「大臣はよく自分のことを理解してるね。自分は若いとき身分が低かった。そのためたくさんつまらぬ仕事ができるようになったのだ。君子は多芸であっていいだろうか。いや、多芸ではいけないのだよ」(貝塚茂樹・訳注。読み下し文も)

 こういうところに孔子のあるがままの姿がふっと垣間見えるのが、論語の魅力だと私には思われます。

 牢曰わく、子云う、吾試(もちい)られず、故に芸ありと。

 琴牢がいった。
 「先生は、『自分は世間に用いられなかったため多芸になたのだ』といわれた」

 とても素直で正直な述懐だと思います。孔子を変に聖化して彼の多芸を聖人の万能とするような解釈はかえって孔子の魅力を損ねてしまうでしょう。

 子曰わく、弟子入りては即ち孝、出でては則ち悌、謹みて信あり、汎く衆を愛して仁に親しみ、行ないて余力あれば、則ち以て文を学べ。(学而篇)

 先生が言われた。
 「若い諸君たち。君らは家のなかでは父母に孝行をつくし、家の外、つまり村の寄合いでは、年寄りに従順につかえ、発言には慎重で、いったことはかならず果たし、皆の衆にはわけへだてなくつきあい、村の人格者にはとくに昵懇をねがわねばならぬ。これだけのことができたうえでまだ余力があったら、そこではじめて書物について勉強したまえ」

 「行有餘力、則以学文」・・・いいですねぇ、「文」は最後、余力があれば・・です(笑)。孔子には人が生きていく上で、日々互いに関わり合う中で人倫の道を歩むことが何より大事で、確かに時代的制約から、その人倫の道は父母に孝、年寄りに従順、ということだったかもしれませんが、生活を離脱して観念的に上昇していく「文」に、それ以上の価値を置いていないのはさすがだと思います。

 普通の人々の生活の中に価値があり、互いに慈しみあい(仁)、安らぎを保つ秩序を守って生きることの大切さを戦乱の世だからこそ熟知し、そういう民の平和な暮らしを守るために君主たちに、彼が理想とする先王たちの「礼」の道を説いたということでしょう。

    先日、岩波文庫の井筒俊彦著『コスモスとアンチコスモス』というのを買ったら、その末尾に著者と司馬遼太郎との対談が収録されていたので、小難しそうな本編は後回し(永遠に、かもしれないけど・・笑)にして、日向ぼっこしながらこの対談を読んだら、けっこう面白かった。

 とりわけ、井筒さんのイスラムに関する師であったムーサー・ジャールッラーハという人の話がとても面白い。代々木の家に来いというので行くと、下宿代が払えないものだから、押し入れの上段になら寝泊まりしてよいと大家に言われて、押し入れの上段からごそごそ這い出してくるような貧しい暮らしをしているけれども、イスラムの事なら何でも頭にはいっていて、アラビア文法学の古典で最初に習う1000ページくらいの本とその注釈本まで全部暗記していて、テキスト無しに教えてくれた、と。

 そして井筒さんが病気をして見舞いに家に来てくれた時、見まわして「おまえ、ずいぶん本を持っているな、この本、どうするんだ」「もちろん、これで勉強する」「火事になったらどうする?」「火事で全部焼けちゃったらお手上げで、自分はしばらく勉強できない」といったら、それこそ呵呵大笑するんです。「なんという情けない。火事になったら勉強できないような学者なのか」と。(笑)

 旅行のときも、行李に入れてチッキにして汽車で運んで読むんだ、と言ったら「お前みたいなのは、本箱を背負って歩く、いわば人間のカタツムリだ。そんなものは学者じゃない。何かを本格的に勉強したいんなら、その学問の基礎テクストを全部頭に入れて、その上で自分の意見を縦横無尽に働かせるようでないと学者じゃない」・・・

 600ページくらいの本は1週間でほとんど全部暗記していたそうで、コーラン、ハディース、神学、哲学、法学、詩学、韻律学、文法学などの主なテクストは全部頭に暗記していたそうです。

 こういうのでないと学者とは言わないんだ、ということだと、まず日本の99.999%以上の自称・他称の学者先生は学者じゃなくなってしまうでしょう。

 でも、そういう師匠に習った井筒さんという学者もたしか50ヵ国語くらい自在に読み書きできた超人みたいな人だったらしくて、この対談の冒頭でも司馬さんが「常々、この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっているなと」思っていたなどと語っています。

 江藤淳が学生のころに授業で感銘を受けた教授が二人だけいて、一人は西脇順三郎、もう一人がこの井筒俊彦だったというのを、比較的最近評判になった江藤淳の伝記で知って、それまで敬遠してきたイスラムについてのこの人の書いたものなど手にとってみようと思った次第。

 そういえば、もう一つ井筒×司馬対談で興味深かったのは、井筒さんが大川周明に可愛がられていたらしいという話と、大川がサンスクリットを学んでインドに同化していっただけでなく、これからの日本はイスラムをやらなきゃ話にならないと言ってオランダから「イスラミカ」や「アラビカ」というアラビア語の大叢書など基礎文献、研究文献を集めていた、そしてそれを井筒さんに任せて整理させていたという話。

 孔子の学問論の片鱗に触れたところで思い出したので、ついでに書いておいただけで、とくに論語と関係のある話ではありません。
  


saysei at 15:43|PermalinkComments(0)

2020年02月16日

「テセウスの船」と「刑事モース」

 ニュース以外のテレビはあまり見ない私、いまはもっぱら新型コロナウィルス関係のニュースにへばりついていますが、唯二つだけ、毎週テレビドラマをみています。

 その一つは先ほど放映されていた「テセウスの船」です。日本のドラマを見るのは久しぶりな感じですが、タイムスリップによる奇想天外な推理劇で、SFではありふれた設定なのかもしれませんが、うまく家族や地域の人間関係のドラマに仕立てていて、先が見えないので楽しみに見ています。

 しかし、このところ一本調子にどんどん暗い話ばかりに落ち込んでいく展開で、ちょっと見るのがしんどくなってきました。どうしてこう単調に主人公を絶望の淵へ追い込んでいく展開ばかりなんだろう、という気がします。もう少し浮き沈みがあっていいし、本筋でそれが無理でも、ドラマの中にほっとする要素や笑いを誘う要素があってもいいような気がします。

 そんな感想を漏らしていたら、午後遅めから夕方食事の用意にかかる時間帯、体調が相変わらず芳しくなくて寝っ転がってもっぱら韓流ドラマを片っ端から見ているパートナーによれば、やっぱり推理ものらしい韓流ドラマで、タイムスリップするのがあって、過去の殺人事件の真相を明らかにする、というふうな似たような設定?のドラマがあるらしいのですが、そちらはとても起伏に富んでいて、ひとつ問題を解決するとパッと明るさが取り戻されるし、笑いが出る場面もあって、見ていて飽きない語り口の巧みさがあるとのこと。

 残念ながら日本のドラマ作りは、かなり以前から韓流にずいぶん遅れをとってきたようで、この種のエンターテインメントで毎回画面に引き付けてやまない展開は、とうてい韓流には敵わないのが実情のようです。あまりいい脚本家が育っていないのかもしれません。

 韓国は今回英語以外の言語による映画で世界発のアカデミー賞の作品賞をとったほか、カンヌをはじめ世界中の映画賞を総なめしている「パラサイト」に象徴されるように、非常に高い水準の作品を続々と生み出しているようですが、それはもちろん個々の作り手の才能や努力あっての話ではあるけれど、少し視点を引いてここ何十年かの韓国の文化政策を眺めてみれば、国家的な戦略として映画製作に力を入れ、資金も人材もそこに流し込んできたことの結果なのでしょう。

 残念ながら日本は映画はもちろん、文化政策全般に貧相で、いまの安倍内閣などは「文化で儲けろ」主義で、国家予算を文化に注ぎ込むつもりなど端からないようですから、今後も個人的な才能で劣悪な環境を個々に突破する人はいても、大局的に見れば日本の映画も創造的な局面では凋落傾向をとめられないでしょう。文化だけではなく、学問のほうも、iPS細胞の研究の予算を打ち切るよ、と唐突かつ一方的に山中教授を密室でつかまえて申し渡したという、公費で京都へ不倫デイト旅行して、どこやらのカフェかレストランで「あ~ん」したり、してもらったりしていたお役人がやったように、全般に「底上げ」の真逆の「底下げ」を図っているありさまで、こちらも基盤崩壊の危機にあります。

 だから日韓のテレビドラマを比較してみれば、個々の作品の出来不出来を直接それで云々することはできないにしても、大まかには「日<韓」の格差がどんどん広がっているのを実感せざるを得ないし、それはもう個々の才能のがんばりではどうにもならないところまで来ているのかもしれません。

 「刑事モース」の方は、晩年のモースを描いたシリーズの最初1,2回見たときは、そう感心しなかったのですが、回を重ねてみるうちに、非常によくなって、老モースが死んでしまうのが残念で仕方がなかった。でもそれで終わっちゃうのかと思ったら、続けて翌週(先週)から、また若き日のモースの続きが放映されはじめたので、これはとびついてみています。

 いくつかの登場人物のシーンが最初関連が分からないままに、並行して断片的に描かれるので、非常にわかりにくい点はあるけれど、じきにそれらがつながってきて、いい脚本の出来具合を実感させられることになります。結構複雑な構成でもあり、内容的にも奥行のあるテーマを扱っていて、刑事ものとしては出色の出来です。「刑事フォイル」、「バビロン ベルリン」そして「刑事モース」、いずれも素晴らしい出来で、前二者の新シリーズも、とても楽しみにしています。


★骨付きラムのロースト
 昨夕のメインディッシュ。骨付ラムのロースト。

★ほうれん草、茸、ベーコン、ニンニクのクリームパスタにフキノトウ
 ほうれん草、茸、ベーコン、ニンニクのクリームパスタにフキノトウ。フキノトウの香りが素晴らしい。

★ウド入りパスタ
 ウド入り野菜サラダ。

★カレイの煮つけ
 こちらは今日の夕食。子持ちカレイの煮つけ。

★野菜と豚の天ぷら
 野菜と豚の天ぷら。

★ほうれん草の胡麻和え
 ほうれん草の胡麻和え。

★芋煮
 芋煮。

★胡瓜糖度の酢味噌あえ
 胡瓜とウドの酢味噌和え。

★さわらの鎌の塩焼き
 これは一昨日の夕食。サワラのカマの塩焼き。

★サワラの鎌の塩焼きおかわり
 同じくおかわり皿。

★筋蒟蒻に物
 スジコンニャクの煮物。

★ポテトサラダ
 ポテトサラダ。

★分葱と焼きアゲのカラシ酢味噌和え
 ワケギと焼きアゲのカラシ酢味噌和え。

★大根と人参の膾
 大根と人参の膾。

★メカブ酢 
 モズク酢。

 新型コロナウィルスは完全に国内市中感染の段階に突入のようですね。
 政府の対応はずっと後ろ手にまわっていて、今回もようやく、という感じです。しかも、まだ湖北省など中国人との接触者を示唆する「接触外来」を各診療所で設けて・・なんてことを言っています。
 怖いのはそういう感染源を特定することもできない、突然の(と本人たちにも思えるような)発症で、今それが全国各地で起き始めている。だから熱が出たらこちら、熱が高くなくても咳やだるさの継続や呼吸器の異常など他の兆候でもあればこちら、と多様な症状の現れに対応した、一般患者との仕分けができる受け入れ態勢を迅速に整えることが大切なのに、また先のように「武漢の人と接触がないなら検査できない」なんて突っぱねたと同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。
 
 厚生省はよほど頭の悪い人がやっているお役所なのか、見ていてハラハラしどうしです。素人でもわかることで、テレビに登場する専門家が口を酸っぱくして繰り返し言っているのに、なぜ専門領域であるはずの厚生労働省の大臣や官僚が分からないのでしょうね。

 それにしても、いまだにクルーズ船の船長がどんな人なのか、それがどんな判断をして、船内の管理をどう指示しているのか、全然おもてに出てこないのが本当に不思議です。まるで船長なんていないみたい。しかし、あるとき船内で乗客が撮ったらしいビデオで、船内放送らしいものが流れて、船長です、というような言葉がチラッと聞こえたので、船内放送には登場しているようです。

 本来なら船の中を一番よく知っていて、危機管理についても適切な判断をして指示を出すべき責任や権限を持っているはずの船長なのに、その姿が見えてこない、というのはどういうわけなのでしょう。日本のメディアもそのことを問題にしていないのが、まことに不思議でなりません。

 乗員間の感染など、初期の船長の船内管理の指示が適切であれば、いまのようなひどいことにはならなかったのではないか、と考えてしまいます。

 クルーズの客と乗員は全員ウィルス検査することになったようですが、遅きに失する感があります。先に書いたように、香港では3500人からのクルーズ船の乗客、乗員のウィルス検査を4日間で全部終えて、陰性と判断して下船させた、と数日前の朝日新聞に出ていました。
 横浜のクルーズ船の乗員、船客3700人へのウィルス検査は、15日午後8時現在で、やっと930人で、うち285人が感染していたとのことです。きょうもあらたにまた70人?だか、大変な数の感染者が加わったようです。

 香港で同じ程度の人数に対する検査が4日間で可能だったのに、何故日本ではできないのか。香港に到底及ばないほど日本の検査体制は脆弱だったのでしょうか。

 世界各国、とりわけクルーズ船の乗客の本国では、日本政府の対応に批判が沸き起こっているとの報道です。無理もないと思います。すべて後ろ手で、楽観的なのは厚生労働大臣の口先だけ。これは総理の責任問題にならなければおかしいでしょう。実際にはクルーズ船は火事なら初期消火のやり方がまずくて一面火の海です。国内の市中感染対策も同様にならなければいいのですが・・・




saysei at 23:07|PermalinkComments(0)

「アイリッシュマン」ほか ~手当たり次第に

マーティン・スコセッシ監督「アイリッシュマン」(2019)

 「アイリッシュマン」は先般のアカデミー賞にノミネートされ、ネットフリックスが力を入れて作った作品と言うので前評判が高かったので、出町座で先般見て来ました。

    主人公はマフィアの手下フランクでこれがロバート・デニーロ、マフィアのボス・ラッセルがショーン・ペン、映画ではフランクが殺ることになる全米トラック運転組合委員長のホッファがアル・パチーノと名優3人が顔を揃えた作品で、スコセッシ監督がどう料理したかという興味もあったわけですが、確かに3時間30分飽きさせず、アル・パチーノの悪の強い演技をはじめ、3人の好演を楽しむことはできました。

 しかし作品としてなんというのか、人間に対し、社会に対して果敢に切り込んでいくような、表現としての鋭利な刃らしきものが一向に見えないという感じで、ただ3時間半、飽きずにマフィアもののちょっとハラハラするドラマを見せてもらいました、というにとどまる作品だったように思います。まぁ、実在の人物を描いたところが、以前たしかホッファを描いた映画を見ていたので、面白かったと言えば面白かったけれど・・・。それにしてもアメリカって国にはひどい国ですよね。ケネディも何もあったもんじゃない。裏を返せば、みんなマフィアが取り仕切っている、みたいな・・・。

「女は二度決断する」ファティ・アキン監督  2017

 これはドイツの映画ですね。

 夫の事務所前に仕掛けられた爆弾で愛する夫と子供を無慙に殺されたカティヤ(ダイアン・フルー)が弁護士の助けを借りながらも心の苦痛から逃れられず麻薬に手を出し、絶望の果てにリストカットして死のうとする正にその時、警察が犯人を逮捕し、ネオナチのテロとわかります。

 カティヤは犯人の一人である女を直前に目撃して声をかけていたところから、自らも証人として、捕らえられた犯人2人の裁判に出廷し、犯人を追い詰めたと思いきや、判決は証拠不十分の「無罪」。

 再び絶望の淵に立つ彼女は、2人の犯人を独力で探し出し、隠れ家を見つけ、夫と子供を殺したのと同じ爆弾を作ってテロリストが隠れるキャンピングカーに一度は仕掛けるけれど、そこに止まる小鳥の姿を見て爆弾のスイッチを押すのをためらって、引き返すのですが、心は揺れています。そして・・・

 この映画、裁判のシーンがマジで怖いです。テロリスト側の証人に同じネオナチの男が立って、事件当時2人がギリシャにいた、という証言をします。また、爆弾の原料となる薬剤などを隠していた小屋のカギは誰かが盗んではいる可能性だってある、という向こうの弁護士の逞しさ(笑)。

 いやぁ、実際の裁判の場というのは、あんなふうに、私たちが普段常識で考えて、あいつが犯人に決まっているじゃないか、状況から考えてもそれ以外にないし、証拠の品だってたんとあるじゃないか、と思っていることが、被告の弁護人の目でこれ以上ないほどの細密な疑惑の目で見ていくと、いくらでも言い逃れのできる「不確かな事実」に変えられてしまうのですね。そういうことが現実の裁判でもきっとあるんだろうなぁ、と戦慄を覚えずには見られませんでした。

 日本では人質司法やら、でっち上げやら、強引な自白誘導やらで、検察への風当たりが強いし、事実そういうことを日本の検察はやってきた負の歴史を背負っているけれど、弁護士の法だって、相当なもんなんだろうな、と思ってしまいます。とくに政治家とかお役所だとか、大企業だとか、暴力団とか、教育委員会&学校だとか、そういう組織がバックについている被告の場合、この映画にあるように、やったに決まってるじゃないか、と常識の目で見て明らかな犯罪であっても、見事に言い抜け、「推定無罪」に落とし込むような手練手管を駆使して、これまでたくさんの悪人が生き延びてきたんだろうな、と。あの弁護士、優秀すぎてこわい(笑)

 まぁラストは映画としては、あれしかなかったのでしょうね。あれで、夫も子供も殺されました、犯人もわかってます、でも無罪放免で大手を振って街を歩いてます、って・・・それであきらめました、なんてのじゃ映画になりませんから。でも実際の被害者の家族はいまもそういう状態に置かれている人がたくさんいらっしゃるのでしょう。それを思うと怖い映画です。作品としてはもう一つ、どうかと思いますが・・・


ヒッチコック監督「引き裂かれたカーテン」

 古い映画ですが、先日ゴーン元日産会長が、衣装ケースみたいな箱に身を隠して海外逃亡したニュースのときに、そういえばヒッチコックに、衣装ケースに隠れて国外脱出したスパイ映画があったね、という記事をいくつか見たので、ゴーンさん記念に(笑)、まだ見ていなかったこの作品を見ました。

 主演は物理学者で、ソ連に亡命?するふりをして、実は向こうの核ミサイル防衛装置か何かの原理を頭の中の数式で持っている学者からそれを引き出して持ち帰るという大変な任務を受けたポール・ニューマン演じる男が、予期しなかった婚約者の強引な同行で予定外の行動をとる必要が出てきたり、スパイであることがいまにも露見するかという瀬戸際で所期の目的を達して、秘密組織の協力で婚約者と脱出する、スリリングな物語。

 結構面白くて、例のショーの一座の化粧箱に隠れて脱出するシーンもなかなかスリリングでした。ただ、ポール・ニューマン演じるこのスパイ、タクシーで秘密組織の隠れ家の農家にのりつけたりしているところなど、あまりにも迂闊で、案の定その運転手の通報で急を要する事態になるのですが、まぁ本来の職業はスパイじゃなくて物理学者だから多めに見ることにしましょうか。

「天命の城」(ファン・ドンヒョク監督 2017)

 前にもちょっと書いたのですが、これは明末の中国で明を追い詰めた清が、明の属国として朝貢していた李氏朝鮮に、これからは清の属国となるよう迫り、従わない朝鮮を攻めて、その王たちを南韓山城に包囲し、降伏恭順を強いた1636-7年の「丙子の役」を囲まれた朝鮮軍の側から描いた作品で、ものすごく暗い映画です。

 主演は李氏朝鮮の大臣で、人民の為に屈辱を忍んで清に降伏することを提言する大臣チュ・ミュンギル役のイ・ビョンホンと、彼とは厚い信頼関係にありながらも反対に、国の威信をかけて徹底抗戦を唱える礼曹大臣キム・サンホン役のキム・ユンソクで、共に韓国を代表する様な俳優です。

 いつも韓流史劇のテレビドラマでおなじみのパターンで、陸続きの中国の各政権の圧力を受け、朝鮮半島の政権はつねに中国と通じた降伏恭順派と、それに抗う自主独立派との内部分裂を起こし、それがドラマの主軸となっていく展開です。しかし、これまで私が見て来た韓流史劇あるいは史実ではない架空の(伝説的な)韓流時代劇のほとんどでは、自主独立、徹底抗戦派(それなら大抵玉砕、敗北しかないわけですが)あるいは少なくとも、表面上は恭順ながら外交手腕を駆使して相対的独立を守った、というふうな朝鮮の指導者をヒーローとして描くようなものがふつうだったと思います。そうでなければ、そういう戦乱の世を生きる個人とかをヒーローにするしかないわけです。

 今回見たこの作品がそれらと大きく違うのは、近代に属する史実なので、史実を曲げるわけにはいかないから、徹底的な敗け戦なのですね。もし徹底抗戦すれば、もう全員殺されてしまうしかない玉砕戦になることは目に見えている。山城に立てこもっていて包囲され、食べ物はおろか、飲み水までおさえられいるから、戦う以前に餓死してしまうような悲惨な状況で、兵士たちの多くも逃亡して投降してしまっています。

 そんな中で、王仁祖はチュ・ミュンギルの唱える降伏の決断をして、清王の強いる恭順の儀式を受け入れて、韓江南岸の三田渡の清軍陣営に赴き、粗末な平民服を着て、最下壇から最上壇に座す清のホンタイジに向けて仁祖王みずから三跪九叩頭して恭順の意を示す屈辱に甘んじることになります。この史実が三田渡の屈辱として朝鮮半島の人々の胸に今に至るまでわだかまっていると言われます。

 王子や大臣らの子女を人質に差し出し、莫大な黄金、白銀などの貢ぎ物を毎年上納することを約束させられ、またこのとき朝鮮の50万人もの男女が捕虜として清に連行され、女性は性奴隷にされたと言われ、

 また、これ以後244年間にわたって、朝鮮は計161回に及び清の勅使を王自らが三跪九叩頭の礼で迎え、また500回以上清に朝貢使を派遣しつづけたそうです。朝鮮が独立を認められ、清の属国から解放されたのは、清が日清戦争で敗北し、下関条約で日本が清に李氏朝鮮の独立を認めさせた1895年のことだったとか。(ウィキペディアによる。)

 これは朝鮮にとって最大の歴史的屈辱で、最近になって韓国の文政権が中国から国防に関する「三不の誓約」を呑まされた折にも、韓国のメディアの中には、三田渡の屈辱の再現だと非難する声もあったそうです。数百年を経ても朝鮮半島の人にとって忘れることのできない民族的な屈辱の記憶なのでしょう。

 この映画を見ていて、いわゆる大国と陸続きの周辺国の悲哀を痛感せざるを得ませんでした。中華思想を奉じる国にとって、四囲辺境の国々は東夷、北狄、西戎、南蛮、要するにみな文明の中心から遠く離れた野蛮この上ない下等民族であって、中華国に朝貢して属国としての礼を尽くすのが当然で、抗えば大軍をもって押しつぶすだけのこと。やられる方では、常にプライドをかけて玉砕を恐れず徹底抗戦するか、命あっての物種と降伏恭順して生き延びるか、基本は二つに一つしかないわけです。

 日本のように荒海を隔てた島国であれば、大軍をもって南から北まで一気に押しつぶすなんてことは昔ならば実際上困難だったでしょうし、実際、圧倒的な軍事力をもった蒙古軍もうまく日本を攻略できませんでした。また、徹底抗戦を試みれば、相手のほうも、かなりの犠牲を払ってまでして、攻略するほどの価値はなさそうだ、という判断をしたかもしれません。

 しかし中華帝国の陸続きの周辺諸国は歴史的に常に痛い目に遭ってきたのは、私たちが習った東洋史を周辺諸国の側から眺めてみれば一目瞭然でしょう。三国志演義で諸葛孔明が「南蛮」を三度攻めて、土地柄が分からず結構苦労して、大きな犠牲を出して勝利しながら、三度とも敵将を許して帰してやり、とうとう心から降伏させて南の地を安堵する、という逸話が描かれていて、あれを読むときは諸葛孔明の側に立って読んでいるので、すごいなぁ、と思って立派な行為のように感じて読んでいるけれど、攻撃され、諸部族を糾合して侵略者に命を張って抗っては敗れた「南蛮」、たぶんいまのベトナムとかの国々の側に立ってみれば、巨大な軍隊の力にものを言わせて侵略してくる孔明の軍は悪の権化だったでしょう。

 長いものには巻かれよ、というけれど、資源も人員も軍事力も圧倒的なボリュームを持ついわゆる「大国」と本当に戦争でぶつかって周辺のこれら小国が、どう頑張ってみても勝てるわけがないので、そこでは相手に和をもって治める理性がなければ、やられる側では徹底抗戦の玉砕か、屈辱の和平か、しかないわけです。これが悲しいかな歴史的な現実ですわね。

 こうした国々には気の毒で、悪い気もするけれど、日本は海を隔てた島国でほんとうによかった、と思わずにはいられません。でも、これからは海を隔てていることが、昔ほど大きな意味を持たなくなっていると思います。経済大国なんて言われていい気になっていたころほどではなくても、ある程度の経済的な規模を維持したとしても、全体としての国力の差は、広大な土地を持ち、従って膨大な資源を持ち、かつ膨大な国民を擁する「大国」との間で、ますます広がっていくに違いありません。

 この映画を見ていて感じたのは、そういう屈辱の「ひとごとではない」という思いです。


ジャファル・パナヒ監督「オフサイド・ガールズ」

 先般、「ある女優の不在」というパナヒ監督の、とてもいい作品を見たので、レンタルビデオ店に合ったこの作品を借りてきてみました。一言で言えばめっちゃ面白かった。イランでは女性はサッカー場での観戦が許されていないらしいのですが、2006年のドイツワールドカップの最終予選をグラウンドで何とか見ようと、若い女性たちが監視員のすきを突き、人々に紛れて会場へ入り込もうとしては警備兵につかまり、客席の背後の回廊の一隅に囲われた場所に集められ、監視下に置かれるのですが、なんとなく若い警備兵たちもそういうことがバカバカしいと本音では思っているところがあるし、女性たちのほうもなんで行けないのよ、ちょっと見るくらいいいじゃない、と強気で、それでも見せてもらえないものだから、若い兵士に頼み込んで半ば強いるようにして、ピッチの光景を覗いて口頭で「実況放送」などさせたり、トイレに行きたいといって、兵士がついてくるのですが、他の観客を排除しようとして兵士がトラブっているすきに逃げ出して会場にもぐりこんだり、とテンヤワンヤ。

 よくまぁこんな何もない回廊の一隅に集められて見張られているだけの状況で、こんな愉快なドラマが作れるものだな、と感心します。徹頭徹尾男尊女卑の建前の社会で生きる女たちの逞しさ、その「男社会」の滑稽さ、でも男たちもみんな素朴で人が良くて、たくましい女たちにしてやられて、というイラン社会の模様が生き生きと活写されています。

 警備兵の上司の車がきて、みなそれに乗せられて分隊へ移動させられるのですが、その途上でも社内のラジオでサッカー試合の中継をみんな集中して聴いて一喜一憂し、アンテナの故障で聞こえにくくなると、兵士の責任者が車外に手を伸ばしてアンテナを支え続けて聞こえるようにしたり(笑)。

 そしてワールドカップ出場が決まった瞬間には警備兵も女性たちもなく皆抱き合い大声で叫んで喜びあい、女性たちと一緒に連行されていた少年がもっていた爆竹に火をつけて鳴らし、やがてドアを開いて街路の熱狂にまぎれ融けていく…なんとも素敵なラストシーンです。

「芳華」(フォン・シャオガン監督 2017)

 1970年代の中国の軍隊(省軍)の文芸工作隊がドラマの舞台です。1970年代というと、毛沢東が死に、四人組が失脚し、唐山大地震にみまわれた中国にとっては大変な年です。この激動の中国で軍の文芸工作隊(歌舞団)でトレーニングに励む若者たちの青春群像を描いた作品で、私がみた中国映画の中ではなかなか興味深い素材の世界でした。

 いかにも中国らしい背景のもとにではありますが、昔見ていいな、と思った「セントエルモスエルモスの火」という後に結構活躍して有名になる男女の若い俳優が出ていて、彼らの出発点になるような映画で、青春群像が初々しく描かれているのがとてもよかった映画があるのですが、なんとなくあの映画を思い出しました。

 ストーリーは古典的なものでしたが、人間の描き方は、かつての中国映画のプロパガンダ的なものとは格段に進化(深化)しているのを感じました。イジメあり、恋あり、挫折あり、失恋あり、別れあり、ヒーローあり・・・

 一つ興味深かったのは、今まで中国の映画で見たことがなかった、対ベトナム戦争、「社会主義」国を自称する国どうしの戦争の光景がドラマの一部として描かれていることです。主人公の女性が思いを寄せた文工隊のリーダー格だったが腰を痛めて美術班に移り、修理工のような仕事をしていた青年がこの戦争に参加して片腕を失います。また主人公の女性は、この戦争に従軍看護婦として加わり、献身的な働きで英雄として顕彰されるのですが、同時に心を病む、というかつての中国映画では考えられなかったような展開です。

 この中越戦争の戦闘場面が出てきますが、中国にとっては相当厳しい、激しい戦闘だったんだな、ということがうかがわれます。あれは小国ベトナムが対アメリカ戦争の経験を積んで軍事的には洗練された大国になっていて、カンボジャと組んで侵略を試みた中国を撃退した、中国にとっては実質的な敗け戦だったことが、ほんのちょっとのこの映画の場面からもうかがわれます。今の中国はこの程度の描き方なら許容しているようですね。

 この作品に登場する文工隊のダンサーたちのダンスがすごく綺麗です。とても練習生とは思えない美しさ。そこは見所のひとつです。

 ただ、この文工隊は解散させられて、仲の良かったメンバーたちも散り散りになっていくのですが、その悲哀は外面的には描かれるものの、もう一つ、一人一人の内面にどう影響を与えていくのか、その後の主人公らの生き方に関して、こうしたできごとの与えた影響が見えにくいところがあって、やっぱり人間の内面の掘り下げに関してはいまだし、の感があるように思えました。

 テレサ・テンの歌を聴いてワクワクしているシーンとか、ちょっと笑えました。

「その日の前に」(大林宣彦監督)


 じっくりと死に至る時間をひきのばして描き、生きていることの意味を問う作品。死を「覚悟」してからの迷い、未練、構えた「終活」の意気込み、周囲の人々、家族への想い、後悔、過去への回帰etc.etc. ・・・そんなのを全部詰め込んだ作品です。

 癌で死んでいく(余命1カ月とか)妻に寄り添って、過去への旅に出る中で語り合う二人の姿を通して、夫の目線で語ります。あらゆる作品に死の影がさしている大林監督の作品なら、正面から死に向き合う人間をどう描くかな、という興味で借りて来たビデオでしたが、大林さんらしい作品と言えばらしい作品で、死に瀕した、そしてある程度死までに時間のある人間がどう考えるか、そこにどんな落とし穴があるか、というのも、ちゃんと描かれてはいました。ただ、私が見たいと思っていたようなものとはちょっと違っていたけれど・・・

 竹下景子が良かった。

「女ざかり」(大林宣彦監督)

 自称サユリストのくせに、案外サユリさんの作品は見ていないんですね(笑)。「伊豆の踊子」一本でいいや、という気がしていなくもないのかも。もちろん、キューポラのある街やら愛と死をみつめてやら、あれこれ拾ってみてはいたのですが・・・

 この映画はサユリさんが新聞社の女ざかりの新米論説委員を演じています。資質的にあんまり似合う役のようには思えなかったけれど、無難に演じていました。独身の彼女が妻子ある男(津川雅彦:これはいかにも、という配役)と大人の関係をつづけていて、仕事の話をして助言されたり、扶けようとされたり。これもどうもそういう女性と、サユリさんのイメージが合わなくて、これはサユリさんの映画はやっぱり見ない方がいいかも、こちらの、中学生の頃に植え付けられた先入観的イメージが強すぎてとても駄目だ、と思い知りました(笑)。

「銃」(武正晴監督)

 中村文則の小説が原作だったので、見てみようと思いました。
 たまたま殺されたか自殺したかで倒れていた男の傍に落ちていた拳銃を拾った青年が、だんだん拳銃を手にすることで全能感を覚えるようになって、刑事に怪しまれながら、ふてぶてしくなっていって、最後は電車の中で、大きな顔して携帯を使っている隣席の男をぶち殺してしまうまでを描いています。

 このラストの血なまぐさい映像だけれど、現実か幻想か分からないような鮮烈な映像がとてもインパクトがあり、素敵です。 
  
 配役ではいやらしく青年にからむ刑事役のリリー・フランキーがとてもいい。主役の西川トオルを演じた村上虹郎も悪くないし、脇役を演じた二人の女性も、とてもよかった。

「セーラー服と機関銃」(相米慎二監督 1981)
 
 もう一度見たくなってビデオ借りてきて見ましたが、昔見た印象ほど良いと思えなかった。素っ頓狂な話ですが、薬師丸さんの初々しさがいい。案外シビアなやくざの殺し合いのシーンもあったんだな、と改めて思いました。だから荒唐無稽で素っ頓狂なお話というだけで終わらない情趣を醸すところがあったんだろうな、とも。

「イギリスから来た男」(スティーブン・ソダーバーグ監督)
 
 ソダー―バーグ監督だから見たのに、ちっともよくなかったし、面白くなかった。スタイリッシュを気取った映像だけれど、ちっともスタイリッシュじゃない。迫力がない。味もない。悪人の底が浅すぎて話にならない。脚本が悪い。

 唯一面白かったのは、イギリス英語が仲間にもよく聞き取れないらしいシーンがあって、そこは面白かった。イギリス英語とアメリカ英語との違いが科白を聞いてよく聞き取れたら結構面白かったのかもしれませんが・・・

「アリータ:バトル・エンジェル」(2019)
 
 ジェームズ・キャメロン脚本・製作というので見たのですが、新しい映画だけど、ひどかった。

「飢えたライオン」(2017)

 ひどかった。

saysei at 19:10|PermalinkComments(0)

「ジョーカー」を見る

 トッド・フィリップス監督 の映画「ジョーカー」(2019)をDVDで見ました。
  
 ジョーカー役のホアキン・フェニックスのこれを見るだけでも価値がある怪演ともいうべき熱演が圧倒的で、ラストに近いシーンでは、殺人者であるピエロの彼が鬱屈を爆発させた群衆のヒーローとなり、彼自身はパトカーで連行されるものの、そのパトカーの車内からみえるゴッサムシティの街は、彼に倣ってピエロのマスクをつけた群衆の破壊と放火で火の海となって燃え上がる・・・残酷な美しさに溢れた映像がみられる、非常にインパクトの強い作品です。

 富める者はますます富み、貧しきものはますます貧しくなり、前者はもはや後者のことを一顧だにせず、踏みつけ、排除することによって、自分たちの快適な生活を守る、そんなひどくなる一方の格差社会で、大多数を占める貧しい一般大衆は先の希望もなく貧しさの底でいつ暴発しても不思議ではない鬱屈を抱え込んでいる。そんな街のひとつゴッサムシティはゴミ業者のストライキでゴミが町じゅうに溢れ、悪臭がたちこめ、ネズミが大量に発生しています。

 極端なようだけれど、これはもうそのまま今のアメリカ社会そのものです。ネット上で、ソキウス101というサイトに「アメリカの貧困と格差の凄まじさがわかる30のデータ」という色々な統計データを紹介してくれているページがあります。   http://socius101.com/poverty-and-inequality-of-the-us/ 

 それによれば:
   ・米国では上位1%が持つ資産は下位90%が持つ資産の総量より多い。 
   ・上位1%の資産で全米の33.8%を占有。
   ・上位10%で所得は5割、資産は7割を占める。
   ・上位1%の富裕層が米国の40%以上の金融資産を持ち、上位20%で90%以上を占める。
   ・下位50%のアメリカ人がもつ総資産が全米の総資産に占める割合はわずか2.5%。
   ・アメリカ人の半分は年収300万円以下。
   ・アメリカの子供の貧困率は世界で2番目に高い。

 ものすごい格差社会ですね。日本も安倍さんが頑張って、それに追いつこうとしているのですが(笑)。ちなみに、日本は上位10%で所得は全体の41%、資産は34%を占めているそうです。

 こういうアメリカ社会の実情、トランプなどがフェイクな情報をスパンコールみたいなのをつけた目隠し布で覆っている薄皮を一枚剥がせばたちまち露わになるこんな暗黒の格差固定社会を直視するなら、”ジョーカー”となっていくこの映画の主人公アーサー・フレックのような若者がいまのアメリカ社会には無数に居て、いつ暴発しても不思議ではない鬱屈をかかえてひっそりと生きているのだろうと思わずにはいられません。

 必ずしもただちに暴発して犯罪者とはならなくても、私たちの周囲にも、そうした若者のうちの一人ではないかと思えるような、「人が殺したかった。誰でも良かった」と嘯くような犯罪者をメディアを通してであれ、以前には考えられなかったほど頻繁に見るようになりました。

 そうしたいまの「豊かな社会」の薄い皮膜を剥がした現実の姿を、これが見えないか、と突き付けて見せるインパクトは、たしかにこの作品にはあります。

 マンガの「バットマン」に登場するスーパーヴィラン(特別な能力を持った悪役)、”ジョーカー”が悪に堕ちる経緯を描いた作品だとかで、人気漫画のほうに由緒因縁があるようですが、私はそのマンガは名のみ知るだけで、読んだこともなく、映画化された作品も見ていないので、そちらのジョーカーは知りません。でもこの映画は映画として独立して楽しむことができます。

 主役の怪演とラストシーンの映像で、五つ星評価なら三つ半くらいには十分値する作品だと思いますが、私はこの種の犯罪の絡む映画で、主役の犯罪者が精神を病んだ人間、というふうな作品がどうしても好きにはなれません。それは、ポリティカルコレクトネスの観点から、とかいうようなことではなくて、なにか脚本のストーリー作りのところで、それはルール違反だろう、という気がしてしまうからです。

 近年私はほとんどそういうのは読みませんが、犯罪小説(警察小説、推理小説、刑事もの、スリラー、etc.・・・)で、つかまえてみれば犯人は異常者、精神病者、というのが目についたり、映画やテレビドラマにもそういうのが目立っています。猟奇殺人ものなんて、ほとんどそんなものかもしれません。
 心の病と犯罪をそう安易に結びつけるようなことをしないでくれ、というのをポリティカル・コレクトネスのような観点から言うこともできるでしょうが、それ以前に、心を病み、あるいは脳に障害があったり神経を病んで、それが犯罪行為につながった、というようなことが、ストーリーの核心をなす犯罪の動機というのか因果の原因みたいに措定されているとすれば、それは話の作り手がどうにでもしてしまえる。犯罪が行われた。それは犯人が普通の人間じゃなくて、狂っていたからですよ、と。そんな安易な「創作」があるでしょうか。

 機械じゃあるまいし、ちょっと故障していたから暴走しちゃったんですよ、で読者或いは映画の鑑賞者として納得できるでしょうか。

 もちろん、この「ジョーカー」という作品がその種の安易な作品と同じだというつもりはありません。主人公が心を病んでいたとしても、その背後には格差社会の底辺で病んだ母の世話をしながら広告塔としてのピエロを職業として辛うじて生きている鬱屈した日々があり、”ジョーカー”が生まれてくる背景は描かれているので、ただ機械が故障してしまいまして、というふうなものでないことは確かだからです。

 しかし、直接の引き金となったのは、アーサーの非常に個人的な過去にその原因があります。
 彼の母親が生活の困窮を訴えて援けを求めた市長に立候補しようという富裕層の男トーマス・ウェインがアーサーの父親だという母の言葉で、アーサーは自分の「父」トーマスの屋敷を尋ねていき、使用人に追い返され、今度はトーマスが劇場へ出かけたところへ押しかけて息子だと言うのですが、トーマスによればそれは事実ではなく、アーサーの母はトーマスのところの使用人で妄想癖があり、養子アーサーを虐待して精神病院に入れられたのだと告げられ、事実アーサーがその精神病院へ行って過去の記録を見出してそのことが証明される、という風なことです。

 アーサーが緊張すると笑いの発作がとめられなくなるという症状も、こうした幼児期のドメスチックヴァイオレンスの結果だと推測できるでしょう。彼の心の病は養母のきわめて個人的な心の病に元を辿れるものであって、必ずしも社会的な要因へのつながりがあるようには描かれていません。

 アーサーの暴発の直接の引き金は、この母親による幼いアーサーに対する、伏せられていた継続的な暴力行為、潜在的な敵対的関係とそれに伴う葛藤にあり、この事実を顕在化したトーマスの拒絶であって、それは必ずしも格差社会の貧富の差から直接生み出されたものではありません。
 もちろんトーマスの横柄な態度や、かつての使用人であるアーサーの母親に対する姿勢もまた同様であったろう事を考えれば、そこにも階級的なバックグラウンドがあることはあるけれども、この映画におけるアーサーという主人公の行動を規定するような類のバックグラウンドではありません。

 あとは過去のいきさつはどうであれ、現実にアーサーと母親が今の格差社会の底辺で辛うじて生きていて、一人前のお笑い芸人になりたいと夢見るアーサーが、なかなかその日常から這い上がれない、他の多くの底辺の人々と同様の境遇にある、ということと、その一環として、たまたま同僚から押し付けられるようにしてもらった拳銃を小児病棟でのパフォーマンスの際に落としてしまって、そのことが原因にもなって、広告塔ピエロの職を解雇されてしまう、というあたりが、唯一の「格差社会の現実」とのつながりでしょうか。

 ついでに言っておけば、同僚から拳銃をもらう、という重要な契機も、またアーサーが解雇されて失業する直接の契機となった、小児病棟にわざわざ拳銃を携行していったこと、しかも踊ったらすぐ落とすような持ち方をして・・・というようなところは、まったく安易でお粗末な脚本だと思います。

 それにしても、コメディアンとしても這い上がれなかった要因のひとつは、彼が笑いの発作を持っていたからでもあって、結果的にはそれが逆説的にプラスに働いて人気司会者のマレーの番組に出演することになるわけですが、ここのところも社会性というよりは、彼個人の生理的な要因にかかわっています。

 地下鉄の中で3人のサラリーマンを撃ち殺すことになるのも、たまたま女をからかっていた3人と同じ車両に乗り合わせたアーサーが、笑いの発作を起こして3人に絡まれ、暴行を受けたことがきっかけで、何らそこに社会性はなく、たまたま同僚からもらった拳銃を持ち歩いていたことと、彼の生理的神経的な病が要因になっています。もちろん、母親を撃ち殺すのも全く彼個人の過去に属することが要因で、そこに彼個人の置かれた社会的バックグラウンドが浮かび上がってくることはありません。

 そんなわけで、この主人公の行動を支配しているのは彼自身の心の病(笑いの発作)や、母親との関係、その母の過去、といった徹頭徹尾個人的な要素であって、格差社会云々の要因は二義的、間接的な要因ないし背景でしかありません。

 もちろんラスト近くに彼は自分の行動を正当化するように、富裕層への怒りをぶちまけ、彼らは自分たち社会の底辺で生きる貧しい者のことなど見向きもせず、踏みつけにして生きているだけだというようなことを言い、街を燃やし叫び乱舞する群衆もまたそういう主張に共感し、富裕層を攻撃するジョーカーをヒーローに祭り上げてそのピエロ姿を模倣するわけですが、アーサー自身がそれ以前の言動においてそうした富裕層の攻撃や格差社会の批判をしていたかと言えば、そんなことはありません。また、そういう行動をとっていたわけでもありません。

 だから、意地悪く言えば、最後の彼の富裕層攻撃や社会批判らしき主張は、あとでとってつけた自分の行動の正当化に過ぎず、もとより彼の行動を正当化するものでもなければ、客観的にそうした行動とつながってもいません。

 もちろん、犯罪者の犯罪行動が、社会的現実から論理的な因果関係でつねに辿れるようなもののように思うのは俗流社会学者、心理学者等の錯覚に過ぎず、むしろ犯罪者の生きて来た現実とその犯罪行動との間にある切断こそが現在的な問題なのだろうとは思います。けれども、だからといって、その切断の一方に犯罪者の病理をつなぐのは、作品としてあまりに安易ではないか、という気がして、この映画に限らず、犯罪者が心を病んでいた、という類の話は好きにはなれないし、後味もひどく悪い思いがします。



 

saysei at 15:44|PermalinkComments(0)
記事検索
月別アーカイブ