2019年12月
2019年12月16日
ワイズマン監督「霊長類」を見る
みなみ会館でワイズマン監督の「霊長類」(1974年、15分、モノクロ16ミリ)を見てきました。
ヤーキーズ霊長類研究所という、私も学生時代にあるいは人類学をやろうかなんて考えていたころには聞いていた、世界的に有名な霊長類研究所の研究者たちが、ゴリラ、チンパンジー、オランウータン、リスザルなどを実験に使い、解剖する日常の研究生活をとらえたドキュメンタリー映像です。
ワイズマンの手法として、登場する人物たちはカメラに向かって、あるいはカメラのこちらにいる観客に向かって語り掛けることはありません。つまり彼らが何のために、何をしているのか、なぜそうするのか、といったことを彼らが説明することは全くありませんし、ナレーションというのもありません。ただカメラが彼らと彼らが扱う霊長類の姿を映像でとらえ、音声をとらえているだけです。もちろん研究者同士のミーティングでの発言や、相互の対話の中で、彼らが行っていることの説明になっている部分もありますが、映画の観客を意識してカメラのこちら側に向けて彼らが語ることはありません。
しかし、当然、そこにはカメラによる選択と転換があるわけで、他の作品と同様にその二つを武器に対象をとらえることによって、これを映画の作り手の「表現」としています。その「表現」のありようがかなり物議をかもしたようです。
映画館にあったチラシによれば、この映画は、研究者たちの研究の目的や意義がほとんど説明されないままに、次々と映しだされる虐待と見誤りかねない数々の実験の映像によって、「故意に研究所を貶めたとする人々と、生体実験に反対する人々との間に激しい議論を巻き起こした」のだそうです。
たしかに、例えばリスザルだったでしょうか、可愛らしいサルですが、いやがるそいつを檻から出して、バナナか何かを餌に首だけを上に突き出して固定する器具に座らせ、予め脳天にあけた穴に電極らしき棒を突き刺して刺激を与えたりするような実験なんか、見ていて気持ちのいいものではありません。
また、とりわけ、麻酔をかけてベッドに寝かせ、腹から胸にメスを入れて切り裂いて胃を取り出し、心臓に電極らしきものを入れたと思ったら、それで再び縫合して何か実験するのかと思いきや、「脳をいまとっておこう」と執刀者は急に思いついたように、あたかもついでにそれもやっとこう、みたいな感じで、いきなり麻酔で眠っているサルの首をハサミでちょん切ってしまい、頭蓋骨をガリガリ削ったりバキバキ割ったりして脳を取り出す、というような映像を見ると、とてもこの研究者がまっとうな研究計画に従って必然性のある実験のためにやむなくサルの命を断っているようにはとても見えません。
しかし、どうやらそのあとを見ると意図ははっきりしているようで、彼は助手らしき女性に命じてその脳の組織の標本をつくらせています。彼女は柔らかそうな脳みそをドライアイスに埋めるようにして凍らせておいて、それを薄く切り取る手回しの道具にかけて次々に切片にし、それを染める液に浸して細胞を染めるような処理をしています。そしてそいつを顕微鏡で見ると、どうやら研究者(たち)が見たかったらしい新鮮な脳の細胞組織の良い像が得られたようです。同僚がこれはすばらしい、みたいなことを言っていましたから、きっと貴重なサンプルになるのでしょう。
だからこれもまたほかの実験と同様に、研究に必要な実験の一環であり、サルを殺してしまうのも、内臓をつかみ出すのも、脳みそを取り出すのも、みんな必要な処置のひとつなのでしょう。けれどもそうした研究的な観点での説明は一切ないので、その位置づけも必要性も私たち映像を見る者にはまったくわかりません。もちろん形質人類学とか霊長類の身体的な特徴などを研究している専門家なら、彼らが何のために何をやっているのかはすぐわかるでしょうし、何一つ驚くことはないでしょう。
私自身も、既に死んでいるサルだったけれど、生物系の学科の授業でたしか2カ月か3月くらい毎日、午後のほとんどの時間を使って解剖していた時期があるし、同じように授業でイモリを何匹か与えられて生きたままその首をちょんぎったりしたことがあります。
あるいはまた、生きた食用ガエルの腿の皮を剥いで電気刺激を与えるような実験ではそいつの頭をハンマーで気絶させておいて実験するのですが、刺激で目を覚まし、あばれそうになるたびに、またボコンとやる。するとそやつは大きな口をあけ、グェ~ッ!という何とも言えない大きな叫びをあげて気絶するので、ちょっとたまらんなぁ、という感じでやっていた覚えがあります。
さらにまた、大量のひよこに放射性同位元素を注射して、それが30分後、1時間後・・・に内臓にどれだけまわっているか放射線量を計測するという実験では、30分ごとに瞬時にして10羽くらいのひよこを殺してすぐに解剖して肝臓を取り出さなくてはなりません。切ったりして暴れられたり流血の始末をしている暇はないので、教授に言われたとおりひよこの脚をもって振り上げ、実験台の角に頭をぶつけて次々に殺すのです。
さすがにこういうのは実験だとはいえ、いい気持ちはしません。
実際、心優しい学生にはかなりショッキングでありうるそんな体験を経て、生物系学科で研究者を目指していたのが疑問を感じて研究者への道を断念し、キリスト教の一派の伝道に生涯をかけることになった友人もいました。
私はそういうのではなしに道を外れてしまったので、天国のひよこさんやカエルさん、イモリさんたちにはまことに済まないことをしたとは思っていますが、教授から習ったほかのことはほぼ完全に失念してしまったけれど、いまもってそういう生き物を殺したときのことは昨日のことのように生々しく記憶しています。
初歩の生物実験くらいには関わった経験のせいか、私は、ヤーキーズ研究所でやっていることに別段研究者としておかしなところがあるとは全然思わないし、動物愛護団体のようなところの人たちが「虐待」だと文句をつけるのは、まったく筋違いだろうと思います。それは捕鯨を残虐な殺戮だという連中と同じことで、キリスト教信者の一部の頑なで偏狭な思想の押し付けにすぎないとしか思えません。類人猿ともなると他の動物よりも人間に似たところが多いので、より自己投影しやすく、感情的な反応を生みやすいのでしょう。
しかし、そういうのを「残虐」だと言うなら、私が以前に見た「人間は何を食べてきたか」でしたっけ、アメリカの食肉工場の映像だったと思いますが、殺されるのを悟っていやがる牛を狭い空間へ押し込んで殺し、血を抜くためにさかさまに吊り下げて、あとはベルトコンベアーで、首が切られ、脚が切られ、次々に体の「部品」がそぎ落とされていく、あの光景を見たら、麻酔をかけられて意識のないまま殺される動物の方がまだましやなぁ‥と思わずにはいられません。そうやって運ばれてくる肉を我々も欧米人も、美味い美味いと言って食べて来たんですからね。
だから、ワイズマンのように、こういう場面だけを説明抜きでピックアップして連環させて「作品」にしてしまえば、当然一部にその種のヒステリックな情動反応を引き起こすことは想像に難くありません。もしも本当にこの映画の作り手が、ヤーキーズ霊長類研究所の活動がどういうものであるかを記録にとどめたい、あるいは観客に広く伝えたい、と考えるのであれば、こういう手法は決してとってはいけなかったと、私は思います。これはたちの悪い煽動家のプロバガンダ映像であって、アーティストの映画ではないと思います。
ここでは選択と転換という映像の手法が、事実を歪め、観客の誤った情動反応を引き起こすために使われています。ワイズマンはヤーキーズ霊長類研究所が撮りたいなら、そこで働く研究者や助手たちと真摯に対話し、教えを請い、霊長類をなぜ、どのように扱う必要があるのか、十分な理解をしたうえで撮影や編集をすべきでした。
研究者たちが高熱を出して死に瀕しているチンパンジーを前に、「可愛そうに」「いいサルだったのに」とつぶやく場面があります。そしてそのチンパンジーはいかにも苦し気にもだえるようにして、何度も叫んで、(おそらくは)死んでいきます。ああいう断片的な映像だけ見せられると、それは誰だってチンパンジーに自己投影して切なくなります。しかし、その情動をもって霊長類研究所の研究者を虐待者扱いしていいかどうかは、まったく別問題で、この映画ではその余地があるかどうかを判断する手掛かりはほとんど何も与えられていません。
確かに、その後のこの種の研究の動向について伝わってくる噂では、動物実験のありようについて、あのころよりもずっと慎重になっているようで、それには動物愛護団体などのプレッシャーも功を奏した面があったのかもしれません。脳に電極を突っ込むような、動物の苦痛を伴うような「生体実験」はもうできなくなっているのかもしれません。私の卒業した学科でも、イモリやカエルはともかくも、もう学生にひよこを100羽近くも殺させるようなことはしていないかもしれません。霊長類の中でもとくに進化史の上で人に近く、遺伝子もほとんど一緒で、高度な知的能力も感情も持つ類人猿ともなれば、もはやこの映画の中のヤーキーズ研究所のような実験の対象とすることは難しくなっているのかもしれません。
それはそれは仕方のないことかもしれませんが、私個人はそういった流れはどこか本来歩むべき流れの筋を間違ってきたのではないか、という気がします。動物愛護団体や捕鯨団体の(その中の一部かもしれませんが)極端な意見、強硬な意見の中にあるのは、むしろ唯我独尊的なコチコチの自分たちの思想の押し付けのようなもの、いわゆる自家製の「正義」の押し付けにすぎないものではないかという気がします。ワイズマンの初期のこの作品は、そういう人たちにとって先駆的なよきプロパガンダと位置付けられる作品なのかもしれません。
ヤーキーズ霊長類研究所という、私も学生時代にあるいは人類学をやろうかなんて考えていたころには聞いていた、世界的に有名な霊長類研究所の研究者たちが、ゴリラ、チンパンジー、オランウータン、リスザルなどを実験に使い、解剖する日常の研究生活をとらえたドキュメンタリー映像です。
ワイズマンの手法として、登場する人物たちはカメラに向かって、あるいはカメラのこちらにいる観客に向かって語り掛けることはありません。つまり彼らが何のために、何をしているのか、なぜそうするのか、といったことを彼らが説明することは全くありませんし、ナレーションというのもありません。ただカメラが彼らと彼らが扱う霊長類の姿を映像でとらえ、音声をとらえているだけです。もちろん研究者同士のミーティングでの発言や、相互の対話の中で、彼らが行っていることの説明になっている部分もありますが、映画の観客を意識してカメラのこちら側に向けて彼らが語ることはありません。
しかし、当然、そこにはカメラによる選択と転換があるわけで、他の作品と同様にその二つを武器に対象をとらえることによって、これを映画の作り手の「表現」としています。その「表現」のありようがかなり物議をかもしたようです。
映画館にあったチラシによれば、この映画は、研究者たちの研究の目的や意義がほとんど説明されないままに、次々と映しだされる虐待と見誤りかねない数々の実験の映像によって、「故意に研究所を貶めたとする人々と、生体実験に反対する人々との間に激しい議論を巻き起こした」のだそうです。
たしかに、例えばリスザルだったでしょうか、可愛らしいサルですが、いやがるそいつを檻から出して、バナナか何かを餌に首だけを上に突き出して固定する器具に座らせ、予め脳天にあけた穴に電極らしき棒を突き刺して刺激を与えたりするような実験なんか、見ていて気持ちのいいものではありません。
また、とりわけ、麻酔をかけてベッドに寝かせ、腹から胸にメスを入れて切り裂いて胃を取り出し、心臓に電極らしきものを入れたと思ったら、それで再び縫合して何か実験するのかと思いきや、「脳をいまとっておこう」と執刀者は急に思いついたように、あたかもついでにそれもやっとこう、みたいな感じで、いきなり麻酔で眠っているサルの首をハサミでちょん切ってしまい、頭蓋骨をガリガリ削ったりバキバキ割ったりして脳を取り出す、というような映像を見ると、とてもこの研究者がまっとうな研究計画に従って必然性のある実験のためにやむなくサルの命を断っているようにはとても見えません。
しかし、どうやらそのあとを見ると意図ははっきりしているようで、彼は助手らしき女性に命じてその脳の組織の標本をつくらせています。彼女は柔らかそうな脳みそをドライアイスに埋めるようにして凍らせておいて、それを薄く切り取る手回しの道具にかけて次々に切片にし、それを染める液に浸して細胞を染めるような処理をしています。そしてそいつを顕微鏡で見ると、どうやら研究者(たち)が見たかったらしい新鮮な脳の細胞組織の良い像が得られたようです。同僚がこれはすばらしい、みたいなことを言っていましたから、きっと貴重なサンプルになるのでしょう。
だからこれもまたほかの実験と同様に、研究に必要な実験の一環であり、サルを殺してしまうのも、内臓をつかみ出すのも、脳みそを取り出すのも、みんな必要な処置のひとつなのでしょう。けれどもそうした研究的な観点での説明は一切ないので、その位置づけも必要性も私たち映像を見る者にはまったくわかりません。もちろん形質人類学とか霊長類の身体的な特徴などを研究している専門家なら、彼らが何のために何をやっているのかはすぐわかるでしょうし、何一つ驚くことはないでしょう。
私自身も、既に死んでいるサルだったけれど、生物系の学科の授業でたしか2カ月か3月くらい毎日、午後のほとんどの時間を使って解剖していた時期があるし、同じように授業でイモリを何匹か与えられて生きたままその首をちょんぎったりしたことがあります。
あるいはまた、生きた食用ガエルの腿の皮を剥いで電気刺激を与えるような実験ではそいつの頭をハンマーで気絶させておいて実験するのですが、刺激で目を覚まし、あばれそうになるたびに、またボコンとやる。するとそやつは大きな口をあけ、グェ~ッ!という何とも言えない大きな叫びをあげて気絶するので、ちょっとたまらんなぁ、という感じでやっていた覚えがあります。
さらにまた、大量のひよこに放射性同位元素を注射して、それが30分後、1時間後・・・に内臓にどれだけまわっているか放射線量を計測するという実験では、30分ごとに瞬時にして10羽くらいのひよこを殺してすぐに解剖して肝臓を取り出さなくてはなりません。切ったりして暴れられたり流血の始末をしている暇はないので、教授に言われたとおりひよこの脚をもって振り上げ、実験台の角に頭をぶつけて次々に殺すのです。
さすがにこういうのは実験だとはいえ、いい気持ちはしません。
実際、心優しい学生にはかなりショッキングでありうるそんな体験を経て、生物系学科で研究者を目指していたのが疑問を感じて研究者への道を断念し、キリスト教の一派の伝道に生涯をかけることになった友人もいました。
私はそういうのではなしに道を外れてしまったので、天国のひよこさんやカエルさん、イモリさんたちにはまことに済まないことをしたとは思っていますが、教授から習ったほかのことはほぼ完全に失念してしまったけれど、いまもってそういう生き物を殺したときのことは昨日のことのように生々しく記憶しています。
初歩の生物実験くらいには関わった経験のせいか、私は、ヤーキーズ研究所でやっていることに別段研究者としておかしなところがあるとは全然思わないし、動物愛護団体のようなところの人たちが「虐待」だと文句をつけるのは、まったく筋違いだろうと思います。それは捕鯨を残虐な殺戮だという連中と同じことで、キリスト教信者の一部の頑なで偏狭な思想の押し付けにすぎないとしか思えません。類人猿ともなると他の動物よりも人間に似たところが多いので、より自己投影しやすく、感情的な反応を生みやすいのでしょう。
しかし、そういうのを「残虐」だと言うなら、私が以前に見た「人間は何を食べてきたか」でしたっけ、アメリカの食肉工場の映像だったと思いますが、殺されるのを悟っていやがる牛を狭い空間へ押し込んで殺し、血を抜くためにさかさまに吊り下げて、あとはベルトコンベアーで、首が切られ、脚が切られ、次々に体の「部品」がそぎ落とされていく、あの光景を見たら、麻酔をかけられて意識のないまま殺される動物の方がまだましやなぁ‥と思わずにはいられません。そうやって運ばれてくる肉を我々も欧米人も、美味い美味いと言って食べて来たんですからね。
だから、ワイズマンのように、こういう場面だけを説明抜きでピックアップして連環させて「作品」にしてしまえば、当然一部にその種のヒステリックな情動反応を引き起こすことは想像に難くありません。もしも本当にこの映画の作り手が、ヤーキーズ霊長類研究所の活動がどういうものであるかを記録にとどめたい、あるいは観客に広く伝えたい、と考えるのであれば、こういう手法は決してとってはいけなかったと、私は思います。これはたちの悪い煽動家のプロバガンダ映像であって、アーティストの映画ではないと思います。
ここでは選択と転換という映像の手法が、事実を歪め、観客の誤った情動反応を引き起こすために使われています。ワイズマンはヤーキーズ霊長類研究所が撮りたいなら、そこで働く研究者や助手たちと真摯に対話し、教えを請い、霊長類をなぜ、どのように扱う必要があるのか、十分な理解をしたうえで撮影や編集をすべきでした。
研究者たちが高熱を出して死に瀕しているチンパンジーを前に、「可愛そうに」「いいサルだったのに」とつぶやく場面があります。そしてそのチンパンジーはいかにも苦し気にもだえるようにして、何度も叫んで、(おそらくは)死んでいきます。ああいう断片的な映像だけ見せられると、それは誰だってチンパンジーに自己投影して切なくなります。しかし、その情動をもって霊長類研究所の研究者を虐待者扱いしていいかどうかは、まったく別問題で、この映画ではその余地があるかどうかを判断する手掛かりはほとんど何も与えられていません。
確かに、その後のこの種の研究の動向について伝わってくる噂では、動物実験のありようについて、あのころよりもずっと慎重になっているようで、それには動物愛護団体などのプレッシャーも功を奏した面があったのかもしれません。脳に電極を突っ込むような、動物の苦痛を伴うような「生体実験」はもうできなくなっているのかもしれません。私の卒業した学科でも、イモリやカエルはともかくも、もう学生にひよこを100羽近くも殺させるようなことはしていないかもしれません。霊長類の中でもとくに進化史の上で人に近く、遺伝子もほとんど一緒で、高度な知的能力も感情も持つ類人猿ともなれば、もはやこの映画の中のヤーキーズ研究所のような実験の対象とすることは難しくなっているのかもしれません。
それはそれは仕方のないことかもしれませんが、私個人はそういった流れはどこか本来歩むべき流れの筋を間違ってきたのではないか、という気がします。動物愛護団体や捕鯨団体の(その中の一部かもしれませんが)極端な意見、強硬な意見の中にあるのは、むしろ唯我独尊的なコチコチの自分たちの思想の押し付けのようなもの、いわゆる自家製の「正義」の押し付けにすぎないものではないかという気がします。ワイズマンの初期のこの作品は、そういう人たちにとって先駆的なよきプロパガンダと位置付けられる作品なのかもしれません。
saysei at 19:11|Permalink│Comments(0)│
ワイズマン監督「チチカット・フォーリーズ」を見る
先日の「ニューヨーク公共図書館」の監督フレデリック・ワイズマンの"Titicut Follies”(1967年/アメリカ/84分/モノクロ)を、京都みなみ会館で、一昨日見てきました。
これは上映館のHPの解説によれば、「マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者のための州立刑務所マサチューセッツ矯正院の日常を克明に描いた作品」で、「合衆国裁判所で一般上映が禁止された唯一の作品」だそうで、長年の裁判の末、91年に上映が許可されたのとか。なるほど結構きつい作品でした。
同じく解説にあるとおり、「収容者が、看守やソーシャル・ワーカー、心理学者たちにどのように取り扱われているかが様々な側面から記録され」た作品で、一言で言えば人間扱いされていないひどい状況を、カメラが冷徹にとらえているわけです。
カメラの前で衣類を下着まで全部脱がされて検査され、看守らのしばしば単に威嚇するための、あるいはからかいを含んだ恣意的な命令に服従して、何度でも同じことをさせられ、同じ返事を繰り返させられ、裸で独房へ返される姿を見ていると、ナチの収容所で裸にされて追い立てられていくユダヤ人たちの光景を連想するのはごく自然です。
食事をとらない囚人は裸であおむけに寝かされ、手足を拘束された状態で、鼻から胃に届く長いチューブを入れられ、他端に漏斗をつけた看守が楽しむように流動食を流し込みます。囚人は前にもあったから慣れているらしく、少し苦し気な表情はみせるものの、淡々と受け入れています。
パラノイアときめつけられている青年は、自分の精神は何ともない、と主張し、実際、きわめて論理的な主張をして、自分を矯正院から刑務所の方へ戻してくれ、と懇願するのですが、矯正院の医師は青年の主張に全く耳を貸しません。
審査をするらしい同僚のソーシャル・ワーカーらもほとんど最初から青年を精神の病と決めつけています。
青年は自分に向き合おうとしない医師らに苛立って、多少興奮し、早口でまくしたてはしますが、そのことをちゃんと自覚しており、自分は確かに今興奮しているけれど、精神を病んではいない、とごく当たり前の、納得できる主張をしていて、彼が語ることに支離滅裂なところはなく、きわめて論理的です。
青年は、この病院へきて、こういう環境の中に閉じ込められているほうがおかしくなる、と語り、むしろ医師が自分を病気にしている、と言います。医師が本に書いてあった病名を勝手に与えて決めつけ、青年に病名を与えた瞬間から、青年はその病の患者なのであり、医師がその固定観念をあらためないかぎり、その境遇から抜け出すことは不可能なのです。そのからくりが岡目八目で見ている私たち観客には一目瞭然です。
このやり取りを聞いていると、担当医師のほうこそ、どこか精神を病んでいるとしか思えません。医師の方が青年よりもよほど異常な気持ちの悪い顔つきで、粘着質で重度のパラノイアか何かに違いないという人物なのです。
ほかのソーシャル・ワーカーだったか専門家として青年に対する連中も、担当医師のように異常ではないとしても、当時の古臭い精神医療の固定観念にとらわれていて、最初から青年を自分たちが貼ったレッテルでしか見ていません。
そして、この担当医師は、青年に大量の精神安定剤を処方することを考えているらしいことを口にするのです。ほんとうにぞっとするような話です。
お子さんが発達障害だった友人が方々駆けずり回ってついに自分が信頼できると思った治療法にたどり着いて、アメリカまで出かけ、また自らの膨大な時間とエネルギーを費やして、とうとう完治するところまでこぎつけたのを見てきたのですが、その途上で、いい加減な医師が向精神薬を与えるのを彼は信用せず、自分で服用してみたと言ってたことがあります。そしたら頭がフラフラになって、とても運転などできるような状態ではなかった由。ああいう薬はそれくらい人体にひどい影響を及ぼすものらしい。
種類は違うけれども、いま私が服用しているステロイドのように、きっとめちゃくちゃな副作用があるのでしょう。ステロイドにはそれでも炎症を抑える効用だけはあって、直さなきゃいけない炎症のほうもいわば物的証拠がはっきりしているけれど、心の病のほうにはそういう「物的証拠」もなく、向精神薬なんてものの「効果」など明確にわかったものじゃないし、そもそもああいう医師が頭から患者はこうだと決めつけているだけですから、健常者の意識にでも過剰な強い作用を引き起こす薬を「大量に」飲ませるというとどうなるか、考えただけでも恐ろしいことです。
まぁざっとこういう滅茶苦茶なことが「治療」だの「矯正」だのという名のもとに公然と行われてきたわけで、この映画はそれを厳しく告発する作品であることは申すまでもありません。行政にとってはよほど衝撃的だったのか、上映禁止にされたらしく、解禁も、「ブリッジウォーターの矯正院の運営はその後改善された」という一文を映画に入れるようにという裁判所の条件つきだったらしいことが、映画の最後に示されていました。
これは60年代の映画ですから、もし当時学生だった私が見ていたら、刑務所や矯正院なんてところは、なんてひどいことをやっているんだ、と憤り、この映画監督はよくぞやってくれた、と単純に拍手しただろうと思います。
しかし、いまこの映画を見て感じるのは、それよりもむしろ、よくこんな映画が撮れたなぁ、ということです。つまり、よくもまぁ、こんなひどいことをやっている矯正院にカメラを入れることができたなぁ、いったいどうやればこんな現場にカメラを入れる許可が下りるんだ!という驚きです。
おそらく、今だったら、日本であれアメリカであれ、ぜったいにこういう施設がこんなカメラを入れることはないでしょう。必ずや門前払いにするに違いありません。入れるとすれば、よそいきのしつらえをしてからに違いありません。しかも、門前払いの口実は「囚人たちのプライバシーの侵害になる」「囚人たちの人権を侵すことになる」という理由ではないか、と思います。
こういうことを考えると、この半世紀ほどの間に、秩序の側、権力の側が、いかにずる賢くなったか、何をどう学んだか、ということが明らかになってくるような気がします。
かつては、ここに登場するような看守、ソーシャル・ワーカー、医師たち、心理学者たち、あるいは矯正院の院長みたいな幹部連中等々、秩序の側、管理する側、囚人に対して権力を持っている側は、自分たちのやっていることが悪いことだなんて少しも考えていなかったに違いないのです。
自分たちのやっていることが囚人の人権を侵すとかプライバシーを侵すとか、人間性に反するとか、そんなことは考えもしなかったでしょう。
だからこそ、カメラを入れたって、それが囚人の人権やプライバシーに触れるなんて考えもしなかったでしょう。そもそも囚人の人権やプライバシーという観念が彼らの頭の中にはなかっただろうし、そういうものを「守る」なんて、およそ彼らの想像を絶することだったでしょう。
従って、自分たちの「正当な」囚人の扱いがカメラにおさめられたからといって、非難されるなど、想像できなかったのでしょう。だから、抵抗もなく撮影を許可して、自分たちの蛮行を平気で撮影させたのでしょう。
これに対して現在では、その種の権力をふるう者たちも、多かれ少なかれ同様のことをやっているに違いないのですが、彼らはそのことがどうも今の世の中の大多数の持つ倫理観では容認されないらしい、ということには、少なくとも直感的には、漠然とであれ気づき、知っているでしょう。
従って、自分たちが、そういった態度をとり、そういった行為をやっているとすれば、それを世の中に知られてはまずい、自分たちが非難されかねない、とわかっているわけです。
だから、ドキュメンタリーであろうが何であろうが、そう簡単に内部をカメラの前にさらけ出すようなことはしません。やらせるとすれば、よそいきの時と場をしつらえてのことに違いないのです。
しかし、他方で、そうした公的性格を持つ施設の運営をオープンにせよ、というのも世の中の流れですから、彼らにはいつもそういうプレッシャーがかかります。
そこでオープンにしないための論理を編み出すわけです。それが、かつて彼らを非難した進歩派が使った論理を逆手にとることだったのでしょう。つまり、「人権を守れ」だとか「プライバシーを守れ」だとか、「差別するな」といった主張を、自分たちがその人権を侵害し、プライバシーを侵し、差別的な扱いをしてきた囚人たちの「人権を守るため」「プライバシーを守るため」「差別意識を助長しないため」に、内部を公開するわけにはいかない、というわけです。
これは矯正院だの刑務所だのという特定の施設に限ったことではありません。
実際、孫の通っていた小学校で、児童が教師の指導での授業中にプールで水死する事件があったとき、学校側は最初に保護者を集めて説明会をしたのはよいが、参加した人によれば、そこで校長らが言ったことは、「プライバシーの問題があるから」という理由を盾に、事故の詳細を語らず、曖昧な文言に終始し、保護者や児童がこの事件のことを互いに、あるいは学校外部の人間に語ることを押さえるような態度に終始していたのです。
その結果、実際に誰の責任で何が起きたのか、真相を知りたいというご両親の気持ちに打てば響くように応えてくれるものがいてくれるような状況から遠く、亡くなった児童の級友やごく近い児童、その保護者らの間でも、この事件について語ることを遠慮するような空気が生まれ、被害者である亡くなった児童の保護者が精神的に孤立を強いられるような状況が生まれてきたのです。
かなり時間がたってから、真相が知りたいという被害者のご両親のほうがむしろ精神的に追い詰められ、その要望に応えようとしない学校側の態度などを見ていて、これではおかしい、と亡くなった児童の級友の保護者らがようやく声を挙げはじめ、相互に連絡を取り合い、少しでも被害者の両親の気持ちを支えていくような行動をとっていこう、という動きが生まれてきたのでした。
こうした身近なケースを見ても、いかに管理する権力をもった組織というのが、ずる賢くなっているかがよく分かるのです。彼らはかつて自分たちが直截な指弾を受けた理念、論理を逆手にとり、こともあろうに加害者の一味である彼らが、被害者の人権やプライバシーを自分たちの盾にして、真相を知ろうとする被害者や被害者に寄り添う人たちを門前払いし、予め自分たちへの批判が生じる可能性を封じようとするのです。
近年では、真相を明らかにすると称して、組織の息のかかった人物をさりげなく加えた、全然客観性だの公平性、中立性など保証されない、名前ばかりの「第三者委員会」なるものを設けて、自分たちに都合の良い結果を導く手法も花盛りのありさまです。実際、さきの私の身内の通っていた小学校でも、第三者委員会なるものが設けられて「調査」を行いましたが、あろうことか学校側の態度に不信をいだかれた遺族が裁判に訴え、証拠提出を要請しても、その「調査」資料一式を廃棄したというのです!
まさに今回の安倍首相の花見の会の参加者名簿廃棄と同じ、証拠隠滅にほかならないですね。
こういうことが、いまでは地域の小中学校のようなところから、中央官庁、さらに総理大臣の姿勢にまで共通して起きているというのは、少し注意してみれば誰にでも容易に見えるのではないでしょうか。
首相のお花見会の件でも、国会議員が資料を要求したその日のうちに、それまでほうっておいた資料を慌ててシュレッダーにかけて証拠隠滅した官僚の言い訳は、大型シュレッダーの利用が混んでいて使えなかったのが空いたから、という後にウソであったことがはっきりしたことと同時に、なぜそんなに急いで消去したのかという問いに対して「大量の個人情報を預かって管理することはプライバシー保護の観点からリスクが大きいので、早急に処分すべきであるから」という趣旨のものでした。
いつごろから、権力者たちはこのようにずる賢く、自分たちを批判する「敵」の理念と論理を逆手にとり、むしろ自分たちが抑圧し、差別している被害者の人権やプライバシーを盾にとって、真実を隠蔽し、自分たちへの責任追及を門前払いするという、巧みな技(笑)を覚えたのでしょうか。
振り返ってみると、おそらくそれは、ちょうどこのワイズマンの映画がつくられた60年代末以降のことなんだろうな、と苦い気分とともに考えざるを得ません。
1967年にこの映画は撮られたわけですが、1968-69年といえば、年配の人なら、だれもがどんな時代だったか覚えているでしょう。いわゆる東大紛争で安田講堂攻防戦があったのは69年の1月です。
世界的な同時性を帯びた、あの「学生の反乱」の季節の後、私たちはちりぢりになって「しらけの季節」の70年代を過ごし、大学などとはもう縁もなくなったと思ってきたのですが、その大学に残った友人たちは口々に「教授たちがものすごく用心深く、悪賢くなった」と言っていたのを思い出します。
学生たちに突き上げられ、お前の学問はなんだ?お前の生き方はなんだ?と詰問されてうろたえたり、中には泣き出さんばかりだった教授たちも、あれこれ批判される過程で彼らなりに「学んだ」わけですね(笑)。その分、実にしたたかになったわけです。
いや、映画からだいぶ離れてしまいましたが、そういうことをあらためて思い出させてくれる作品でした。だから、描かれている矯正院の現状は、たしかに目を覆うような、めちゃくちゃひどいものですが、それにもかかわらず、こんな映画を撮らせて悪びれるところのなかった組織の権力者たちのありようを思うと、あの頃はまだ古く「良き」時代であったのだな、と思わずにいられなかったのです。
これは上映館のHPの解説によれば、「マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者のための州立刑務所マサチューセッツ矯正院の日常を克明に描いた作品」で、「合衆国裁判所で一般上映が禁止された唯一の作品」だそうで、長年の裁判の末、91年に上映が許可されたのとか。なるほど結構きつい作品でした。
同じく解説にあるとおり、「収容者が、看守やソーシャル・ワーカー、心理学者たちにどのように取り扱われているかが様々な側面から記録され」た作品で、一言で言えば人間扱いされていないひどい状況を、カメラが冷徹にとらえているわけです。
カメラの前で衣類を下着まで全部脱がされて検査され、看守らのしばしば単に威嚇するための、あるいはからかいを含んだ恣意的な命令に服従して、何度でも同じことをさせられ、同じ返事を繰り返させられ、裸で独房へ返される姿を見ていると、ナチの収容所で裸にされて追い立てられていくユダヤ人たちの光景を連想するのはごく自然です。
食事をとらない囚人は裸であおむけに寝かされ、手足を拘束された状態で、鼻から胃に届く長いチューブを入れられ、他端に漏斗をつけた看守が楽しむように流動食を流し込みます。囚人は前にもあったから慣れているらしく、少し苦し気な表情はみせるものの、淡々と受け入れています。
パラノイアときめつけられている青年は、自分の精神は何ともない、と主張し、実際、きわめて論理的な主張をして、自分を矯正院から刑務所の方へ戻してくれ、と懇願するのですが、矯正院の医師は青年の主張に全く耳を貸しません。
審査をするらしい同僚のソーシャル・ワーカーらもほとんど最初から青年を精神の病と決めつけています。
青年は自分に向き合おうとしない医師らに苛立って、多少興奮し、早口でまくしたてはしますが、そのことをちゃんと自覚しており、自分は確かに今興奮しているけれど、精神を病んではいない、とごく当たり前の、納得できる主張をしていて、彼が語ることに支離滅裂なところはなく、きわめて論理的です。
青年は、この病院へきて、こういう環境の中に閉じ込められているほうがおかしくなる、と語り、むしろ医師が自分を病気にしている、と言います。医師が本に書いてあった病名を勝手に与えて決めつけ、青年に病名を与えた瞬間から、青年はその病の患者なのであり、医師がその固定観念をあらためないかぎり、その境遇から抜け出すことは不可能なのです。そのからくりが岡目八目で見ている私たち観客には一目瞭然です。
このやり取りを聞いていると、担当医師のほうこそ、どこか精神を病んでいるとしか思えません。医師の方が青年よりもよほど異常な気持ちの悪い顔つきで、粘着質で重度のパラノイアか何かに違いないという人物なのです。
ほかのソーシャル・ワーカーだったか専門家として青年に対する連中も、担当医師のように異常ではないとしても、当時の古臭い精神医療の固定観念にとらわれていて、最初から青年を自分たちが貼ったレッテルでしか見ていません。
そして、この担当医師は、青年に大量の精神安定剤を処方することを考えているらしいことを口にするのです。ほんとうにぞっとするような話です。
お子さんが発達障害だった友人が方々駆けずり回ってついに自分が信頼できると思った治療法にたどり着いて、アメリカまで出かけ、また自らの膨大な時間とエネルギーを費やして、とうとう完治するところまでこぎつけたのを見てきたのですが、その途上で、いい加減な医師が向精神薬を与えるのを彼は信用せず、自分で服用してみたと言ってたことがあります。そしたら頭がフラフラになって、とても運転などできるような状態ではなかった由。ああいう薬はそれくらい人体にひどい影響を及ぼすものらしい。
種類は違うけれども、いま私が服用しているステロイドのように、きっとめちゃくちゃな副作用があるのでしょう。ステロイドにはそれでも炎症を抑える効用だけはあって、直さなきゃいけない炎症のほうもいわば物的証拠がはっきりしているけれど、心の病のほうにはそういう「物的証拠」もなく、向精神薬なんてものの「効果」など明確にわかったものじゃないし、そもそもああいう医師が頭から患者はこうだと決めつけているだけですから、健常者の意識にでも過剰な強い作用を引き起こす薬を「大量に」飲ませるというとどうなるか、考えただけでも恐ろしいことです。
まぁざっとこういう滅茶苦茶なことが「治療」だの「矯正」だのという名のもとに公然と行われてきたわけで、この映画はそれを厳しく告発する作品であることは申すまでもありません。行政にとってはよほど衝撃的だったのか、上映禁止にされたらしく、解禁も、「ブリッジウォーターの矯正院の運営はその後改善された」という一文を映画に入れるようにという裁判所の条件つきだったらしいことが、映画の最後に示されていました。
これは60年代の映画ですから、もし当時学生だった私が見ていたら、刑務所や矯正院なんてところは、なんてひどいことをやっているんだ、と憤り、この映画監督はよくぞやってくれた、と単純に拍手しただろうと思います。
しかし、いまこの映画を見て感じるのは、それよりもむしろ、よくこんな映画が撮れたなぁ、ということです。つまり、よくもまぁ、こんなひどいことをやっている矯正院にカメラを入れることができたなぁ、いったいどうやればこんな現場にカメラを入れる許可が下りるんだ!という驚きです。
おそらく、今だったら、日本であれアメリカであれ、ぜったいにこういう施設がこんなカメラを入れることはないでしょう。必ずや門前払いにするに違いありません。入れるとすれば、よそいきのしつらえをしてからに違いありません。しかも、門前払いの口実は「囚人たちのプライバシーの侵害になる」「囚人たちの人権を侵すことになる」という理由ではないか、と思います。
こういうことを考えると、この半世紀ほどの間に、秩序の側、権力の側が、いかにずる賢くなったか、何をどう学んだか、ということが明らかになってくるような気がします。
かつては、ここに登場するような看守、ソーシャル・ワーカー、医師たち、心理学者たち、あるいは矯正院の院長みたいな幹部連中等々、秩序の側、管理する側、囚人に対して権力を持っている側は、自分たちのやっていることが悪いことだなんて少しも考えていなかったに違いないのです。
自分たちのやっていることが囚人の人権を侵すとかプライバシーを侵すとか、人間性に反するとか、そんなことは考えもしなかったでしょう。
だからこそ、カメラを入れたって、それが囚人の人権やプライバシーに触れるなんて考えもしなかったでしょう。そもそも囚人の人権やプライバシーという観念が彼らの頭の中にはなかっただろうし、そういうものを「守る」なんて、およそ彼らの想像を絶することだったでしょう。
従って、自分たちの「正当な」囚人の扱いがカメラにおさめられたからといって、非難されるなど、想像できなかったのでしょう。だから、抵抗もなく撮影を許可して、自分たちの蛮行を平気で撮影させたのでしょう。
これに対して現在では、その種の権力をふるう者たちも、多かれ少なかれ同様のことをやっているに違いないのですが、彼らはそのことがどうも今の世の中の大多数の持つ倫理観では容認されないらしい、ということには、少なくとも直感的には、漠然とであれ気づき、知っているでしょう。
従って、自分たちが、そういった態度をとり、そういった行為をやっているとすれば、それを世の中に知られてはまずい、自分たちが非難されかねない、とわかっているわけです。
だから、ドキュメンタリーであろうが何であろうが、そう簡単に内部をカメラの前にさらけ出すようなことはしません。やらせるとすれば、よそいきの時と場をしつらえてのことに違いないのです。
しかし、他方で、そうした公的性格を持つ施設の運営をオープンにせよ、というのも世の中の流れですから、彼らにはいつもそういうプレッシャーがかかります。
そこでオープンにしないための論理を編み出すわけです。それが、かつて彼らを非難した進歩派が使った論理を逆手にとることだったのでしょう。つまり、「人権を守れ」だとか「プライバシーを守れ」だとか、「差別するな」といった主張を、自分たちがその人権を侵害し、プライバシーを侵し、差別的な扱いをしてきた囚人たちの「人権を守るため」「プライバシーを守るため」「差別意識を助長しないため」に、内部を公開するわけにはいかない、というわけです。
これは矯正院だの刑務所だのという特定の施設に限ったことではありません。
実際、孫の通っていた小学校で、児童が教師の指導での授業中にプールで水死する事件があったとき、学校側は最初に保護者を集めて説明会をしたのはよいが、参加した人によれば、そこで校長らが言ったことは、「プライバシーの問題があるから」という理由を盾に、事故の詳細を語らず、曖昧な文言に終始し、保護者や児童がこの事件のことを互いに、あるいは学校外部の人間に語ることを押さえるような態度に終始していたのです。
その結果、実際に誰の責任で何が起きたのか、真相を知りたいというご両親の気持ちに打てば響くように応えてくれるものがいてくれるような状況から遠く、亡くなった児童の級友やごく近い児童、その保護者らの間でも、この事件について語ることを遠慮するような空気が生まれ、被害者である亡くなった児童の保護者が精神的に孤立を強いられるような状況が生まれてきたのです。
かなり時間がたってから、真相が知りたいという被害者のご両親のほうがむしろ精神的に追い詰められ、その要望に応えようとしない学校側の態度などを見ていて、これではおかしい、と亡くなった児童の級友の保護者らがようやく声を挙げはじめ、相互に連絡を取り合い、少しでも被害者の両親の気持ちを支えていくような行動をとっていこう、という動きが生まれてきたのでした。
こうした身近なケースを見ても、いかに管理する権力をもった組織というのが、ずる賢くなっているかがよく分かるのです。彼らはかつて自分たちが直截な指弾を受けた理念、論理を逆手にとり、こともあろうに加害者の一味である彼らが、被害者の人権やプライバシーを自分たちの盾にして、真相を知ろうとする被害者や被害者に寄り添う人たちを門前払いし、予め自分たちへの批判が生じる可能性を封じようとするのです。
近年では、真相を明らかにすると称して、組織の息のかかった人物をさりげなく加えた、全然客観性だの公平性、中立性など保証されない、名前ばかりの「第三者委員会」なるものを設けて、自分たちに都合の良い結果を導く手法も花盛りのありさまです。実際、さきの私の身内の通っていた小学校でも、第三者委員会なるものが設けられて「調査」を行いましたが、あろうことか学校側の態度に不信をいだかれた遺族が裁判に訴え、証拠提出を要請しても、その「調査」資料一式を廃棄したというのです!
まさに今回の安倍首相の花見の会の参加者名簿廃棄と同じ、証拠隠滅にほかならないですね。
こういうことが、いまでは地域の小中学校のようなところから、中央官庁、さらに総理大臣の姿勢にまで共通して起きているというのは、少し注意してみれば誰にでも容易に見えるのではないでしょうか。
首相のお花見会の件でも、国会議員が資料を要求したその日のうちに、それまでほうっておいた資料を慌ててシュレッダーにかけて証拠隠滅した官僚の言い訳は、大型シュレッダーの利用が混んでいて使えなかったのが空いたから、という後にウソであったことがはっきりしたことと同時に、なぜそんなに急いで消去したのかという問いに対して「大量の個人情報を預かって管理することはプライバシー保護の観点からリスクが大きいので、早急に処分すべきであるから」という趣旨のものでした。
いつごろから、権力者たちはこのようにずる賢く、自分たちを批判する「敵」の理念と論理を逆手にとり、むしろ自分たちが抑圧し、差別している被害者の人権やプライバシーを盾にとって、真実を隠蔽し、自分たちへの責任追及を門前払いするという、巧みな技(笑)を覚えたのでしょうか。
振り返ってみると、おそらくそれは、ちょうどこのワイズマンの映画がつくられた60年代末以降のことなんだろうな、と苦い気分とともに考えざるを得ません。
1967年にこの映画は撮られたわけですが、1968-69年といえば、年配の人なら、だれもがどんな時代だったか覚えているでしょう。いわゆる東大紛争で安田講堂攻防戦があったのは69年の1月です。
世界的な同時性を帯びた、あの「学生の反乱」の季節の後、私たちはちりぢりになって「しらけの季節」の70年代を過ごし、大学などとはもう縁もなくなったと思ってきたのですが、その大学に残った友人たちは口々に「教授たちがものすごく用心深く、悪賢くなった」と言っていたのを思い出します。
学生たちに突き上げられ、お前の学問はなんだ?お前の生き方はなんだ?と詰問されてうろたえたり、中には泣き出さんばかりだった教授たちも、あれこれ批判される過程で彼らなりに「学んだ」わけですね(笑)。その分、実にしたたかになったわけです。
いや、映画からだいぶ離れてしまいましたが、そういうことをあらためて思い出させてくれる作品でした。だから、描かれている矯正院の現状は、たしかに目を覆うような、めちゃくちゃひどいものですが、それにもかかわらず、こんな映画を撮らせて悪びれるところのなかった組織の権力者たちのありようを思うと、あの頃はまだ古く「良き」時代であったのだな、と思わずにいられなかったのです。
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2019年12月13日
バウハウスAプログラム~バウハウス 原形と神話

今日の出町座で見たのはバウハウス100年記念祭のAプログラム「バウハウス 原形と神話」(ニールス・ボルブリンカー、ケルスティン・シュトュッテルハイム監督)です。
今日のは分かりやすくて、「バウハウス」がどういうものだったか、いまは高齢者になった当時の学生たちの証言やバウハウス様式で設計された住宅に住む人たちの証言、その建物など作品の映像等々によって、バウハウスの「原形」がざっと理解できるようなドキュメンタリーでした。
やっぱり時代が時代だからそうだろうとは思っていたけれど、ナチのファシズムの圧力に屈して言った者もあれば、追い出されたものもあり、抵抗した者もあり、といった試練の中で功罪両面をもったバウハウスのありようがよくわかりました。
好みから言えば、生活の「必要」と結びついた機能性に依拠したシンプルなデザインというのは好きだし、小規模な住宅のデザインなど見ていると、あぁいいな、と思うものもあるけれど、自動車の大量生産を始めたフォードになぞらえられて当時はもてはやされたらしい大規模な団地など見ると、ちょうど千里の高層団地群の光景をみるように肌寒いものを感じてしまいます。
また、機能主義が生活を離れて、ミース・ファンデルローエのような抽象化されたかっこいいデザインに昇華されていくのも、能あって徳なし、といった感じで眺めていました。政治は無縁、ファシズムは関係ない、なんて語る証言者もあったけれど、たぶんそうじゃなくて、無関係に見えるようなデザインの抽象性自体が、屈服と逃避の結果だったんじゃないか、という気がします。

下鴨茶寮の角のところに立つイチョウが美しく黄葉しています。

高野川川畔の遊歩道をひょこひょこ横断するセグロセキレイ。つい1mほどの距離に近づいても逃げないでこっちを見て窺ったり、人懐っこい子でした。セキレイは飛び方もメリハリがあって綺麗なので好きです。

目の前を土手に上がっていって、何か落ちてるものを啄んでいました。

今日の高野川べり。ススキが白い穂をたくさん立てています。北の方を見ているので、正面には大文字の「法」の字が見えます。私のほとんど毎日の散歩道です。

昨夕のメインディッシュ。元カナート、阪急なんとかに、もとどおり骨付きラム肉も売っていることが分かって、好物なのでほっとしました。牛、鶏、豚、ほとんどそれらの肉の味が味覚障害でわからなくなっていますが、脂が多いせいかたっぷり塩コショウをまぶして焼いてくれるせいか、特に骨付きラムの味は比較的よくわかって、美味しくいただけます。豚肉よりは少し高いけれど、牛に比べればずっと安いし、カロリーも少ないのだそうで、ありがたい。

ゴルゴンゾーラのペンネ。

生野菜サラダ、鳴門オレンジドレッシング添え。
saysei at 16:09|Permalink│Comments(0)│
2019年12月12日
バウハウスDプログラム
昼すぎに、バウハウスDプログラム「マックス・ビルー絶対的な視点」(エーリヒ・シュミット監督)を見に出町座へ。
マックス・ビルというバウハウス出身の彫刻家、画家、建築家、デザイナーと多様なアート分野で創造活動をつづけ、ウルム造形大学の学長をつとめたというアーティストの生涯と作品をたどるドキュメンタリー。
バウハウスの理念がどう彼に引き継がれてきたのか、この映画だけ見てド素人の私などにはそれほどはっきりとは窺えるようには思えず、ただこういうアーティストが居てこんな活動をしてきた、というアーティスト個人に焦点をしぼったドキュメンタリーにしか見えませんでした。
まぁ個人的にはこの映画で見せられる作品にそれほど心をそそられなかったせいもあったかもしれません。ただ、街角に設置されたジャングルジムみたいな造形物は、よくその場にマッチしていて、よく街の中に置かれるまるでふさわしくない現代の造形物などに比べれば、違和感なく、しかも何事かを主張しているような、なかなかいいもんだな、と思って眺めていました。
まぁあとは、再婚した40歳も年下の夫人が夫であるマックス・ビルの語り手となって、いろいろなエピソードを語るなかにアーティストの日常のなにげない様子などが垣間見えて面白かったのと、最後に彼が空港(だったと思う)のロビーをカートを押して歩いていて倒れ、ほとんど即死状態で死んでしまうのですが、そのとき傍で見ていて駆け寄った空港の職員か何かだった女性に、未亡人が訪ねていって夫の最後の様子を聞くシーンが印象に残りました。
寒い日ではありましたが、日差しがあたたかかったので、高野川の河畔遊歩道を歩いて帰りました。きょうは映画が94分とそう長くなかったのと、昨日もゆっくり休んだせいか、腰痛も起きませんでした。
通信関係やらカード類、様々なネットショッピングのためのIDやパスワード等々、その場しのぎでやってきたのが、相当な量になって、これまで自分なりに管理のシステムはつくっていましたが、それもカテゴリーを最初から設けて分類してきたわけじゃないし、重要なものもそうでないものも同等に並んでいたりして、とても使いにくいうえ、自分がいなくなったときに解約手続きをとる必要のあるものと単に廃棄してほうっておけばいいものとが明確でなかったり、あとで家族が困るだろうな、と思うようなこともあったので、帰宅してから夕方までは、その再整理に着手して少しは進めてみたのですが、けっこうな仕事になりました。
こんなにやたらとIDやらパスワードやらが必要になったのは、もちろん情報化が進展してインターネットでショッピングをしたり様々な情報を得たり手続きをとるのにみなネット経由になったせいですから、せいぜいここ20-30年のことですが、それでも関連の情報なども併せて記録すると、分厚いノート一冊にぎっしりになるほどで、これまでも思い出せないものはあっちのページを開いたりこっちを見たりと、どこへ書いたかもわからず、右往左往していたのです。書きなぐりだから家族にもまともに読めなかったりするだろうし、少し整理しようと思い立った次第。
友人の中には、手帳に各種パスワードをぎっしり記録している人もいましたが、その手帳を落としたりすると大変なので、その記録自体が暗号で書いてあるんだそうです(笑)。便利さを追求した情報社会がこういう面倒を生み出しているのも皮肉なことです。
きょうもテレビで「グッド・ドクター」(韓流)を見ました。主役の男の子も障碍者を非常にたくみに演じていますが、女医さん役の女優さんには驚きます。本当に表情が豊かで繊細で、それでいて力強くカッコよく、明るくお茶目でこの上なく魅力的です。ムン・チェウォンという女優さんらしい。日本でもドラマ化されたらしいのですが、それを見たパートナーによれば、日本のはあまり面白くなかった、とか。やはりスピード感が違う、役者が違う、というようなことを言っておりました。私は韓流をいま見ているだけで日本のドラマの方は知りませんが、韓流の快適なテンポ、飽かせないストーリー展開には感心させられます。
いよいよ明日、英国の選挙の開票結果が出るようです。3年もあんなことやっているんですね。確実に社会が劣化しますよね。知り合いの英国人も、彼女はEU残留派だけれど、状況そのものにほんとにうんざりしているようです。本当のところなぜそんなにイギリス人がEUから離脱したいのか、私にはよくわからないところがあります。
置かれた立場による利害だとか移民政策のことだとか、合理的な解釈は色々つけられる点があるのは分かるけれど、どうもそれだけでしっくり納得できないところがあります。大陸の連中に対するイギリス人の独特の感覚とか、なにかこう合理性で片付かない、ある意味で不条理な国民性みたいなもの、英国人気質みたいなものまで深くえぐったうえで、しっくりと納得がいくような説明がないかと新聞や雑誌を読むのですが、いまのところ見当たりません。
そういう不条理なものがあることを仮に前提にすれば、私はもちろんEUに残留した方がいいんじゃないの、と思っていましたが、逆にここまで国民の生活をほったらかしてグダグダやっているくらいなら、もうやっちゃったら?さっさと離脱したら?そして結果的にイギリスはいまよりずっと存在感のない小国に落ちぶれていくだろうけど、そうなるのもいいんじゃないの?という気になっています。そうして極端なところまでそれを引き延ばすと、北アイルランドはEUに残って、その先アイルランドに併合、スコットランドは独立、と(笑)。
日本でも国論を二分するような問題で3年くらいグダグダとくだらない喧嘩をして、どんどん社会全体が劣化していく、というようなことはよそ事ではなく、起きても不思議ない気がします。
マックス・ビルというバウハウス出身の彫刻家、画家、建築家、デザイナーと多様なアート分野で創造活動をつづけ、ウルム造形大学の学長をつとめたというアーティストの生涯と作品をたどるドキュメンタリー。
バウハウスの理念がどう彼に引き継がれてきたのか、この映画だけ見てド素人の私などにはそれほどはっきりとは窺えるようには思えず、ただこういうアーティストが居てこんな活動をしてきた、というアーティスト個人に焦点をしぼったドキュメンタリーにしか見えませんでした。
まぁ個人的にはこの映画で見せられる作品にそれほど心をそそられなかったせいもあったかもしれません。ただ、街角に設置されたジャングルジムみたいな造形物は、よくその場にマッチしていて、よく街の中に置かれるまるでふさわしくない現代の造形物などに比べれば、違和感なく、しかも何事かを主張しているような、なかなかいいもんだな、と思って眺めていました。
まぁあとは、再婚した40歳も年下の夫人が夫であるマックス・ビルの語り手となって、いろいろなエピソードを語るなかにアーティストの日常のなにげない様子などが垣間見えて面白かったのと、最後に彼が空港(だったと思う)のロビーをカートを押して歩いていて倒れ、ほとんど即死状態で死んでしまうのですが、そのとき傍で見ていて駆け寄った空港の職員か何かだった女性に、未亡人が訪ねていって夫の最後の様子を聞くシーンが印象に残りました。
寒い日ではありましたが、日差しがあたたかかったので、高野川の河畔遊歩道を歩いて帰りました。きょうは映画が94分とそう長くなかったのと、昨日もゆっくり休んだせいか、腰痛も起きませんでした。
通信関係やらカード類、様々なネットショッピングのためのIDやパスワード等々、その場しのぎでやってきたのが、相当な量になって、これまで自分なりに管理のシステムはつくっていましたが、それもカテゴリーを最初から設けて分類してきたわけじゃないし、重要なものもそうでないものも同等に並んでいたりして、とても使いにくいうえ、自分がいなくなったときに解約手続きをとる必要のあるものと単に廃棄してほうっておけばいいものとが明確でなかったり、あとで家族が困るだろうな、と思うようなこともあったので、帰宅してから夕方までは、その再整理に着手して少しは進めてみたのですが、けっこうな仕事になりました。
こんなにやたらとIDやらパスワードやらが必要になったのは、もちろん情報化が進展してインターネットでショッピングをしたり様々な情報を得たり手続きをとるのにみなネット経由になったせいですから、せいぜいここ20-30年のことですが、それでも関連の情報なども併せて記録すると、分厚いノート一冊にぎっしりになるほどで、これまでも思い出せないものはあっちのページを開いたりこっちを見たりと、どこへ書いたかもわからず、右往左往していたのです。書きなぐりだから家族にもまともに読めなかったりするだろうし、少し整理しようと思い立った次第。
友人の中には、手帳に各種パスワードをぎっしり記録している人もいましたが、その手帳を落としたりすると大変なので、その記録自体が暗号で書いてあるんだそうです(笑)。便利さを追求した情報社会がこういう面倒を生み出しているのも皮肉なことです。
きょうもテレビで「グッド・ドクター」(韓流)を見ました。主役の男の子も障碍者を非常にたくみに演じていますが、女医さん役の女優さんには驚きます。本当に表情が豊かで繊細で、それでいて力強くカッコよく、明るくお茶目でこの上なく魅力的です。ムン・チェウォンという女優さんらしい。日本でもドラマ化されたらしいのですが、それを見たパートナーによれば、日本のはあまり面白くなかった、とか。やはりスピード感が違う、役者が違う、というようなことを言っておりました。私は韓流をいま見ているだけで日本のドラマの方は知りませんが、韓流の快適なテンポ、飽かせないストーリー展開には感心させられます。
いよいよ明日、英国の選挙の開票結果が出るようです。3年もあんなことやっているんですね。確実に社会が劣化しますよね。知り合いの英国人も、彼女はEU残留派だけれど、状況そのものにほんとにうんざりしているようです。本当のところなぜそんなにイギリス人がEUから離脱したいのか、私にはよくわからないところがあります。
置かれた立場による利害だとか移民政策のことだとか、合理的な解釈は色々つけられる点があるのは分かるけれど、どうもそれだけでしっくり納得できないところがあります。大陸の連中に対するイギリス人の独特の感覚とか、なにかこう合理性で片付かない、ある意味で不条理な国民性みたいなもの、英国人気質みたいなものまで深くえぐったうえで、しっくりと納得がいくような説明がないかと新聞や雑誌を読むのですが、いまのところ見当たりません。
そういう不条理なものがあることを仮に前提にすれば、私はもちろんEUに残留した方がいいんじゃないの、と思っていましたが、逆にここまで国民の生活をほったらかしてグダグダやっているくらいなら、もうやっちゃったら?さっさと離脱したら?そして結果的にイギリスはいまよりずっと存在感のない小国に落ちぶれていくだろうけど、そうなるのもいいんじゃないの?という気になっています。そうして極端なところまでそれを引き延ばすと、北アイルランドはEUに残って、その先アイルランドに併合、スコットランドは独立、と(笑)。
日本でも国論を二分するような問題で3年くらいグダグダとくだらない喧嘩をして、どんどん社会全体が劣化していく、というようなことはよそ事ではなく、起きても不思議ない気がします。
saysei at 23:41|Permalink│Comments(0)│
2019年12月11日
「ウィンダミア夫人の扇」をみる
ずいぶん昔にVHSを買いながら、まだ見ていなかった(と思う)ルビッチ監督の「ウィンダミア婦人の扇」をみていたく感動しました。「(と思う)」というのは私はひどく記憶力が悪くて、レンタルビデオなどもまだ見ていないと思って借りてきては、パートナーに「それ、前も借りてきてたよ!」としばしば言われ、そうかなぁ、とタイトや出演者を見ても思い出せないので、また見ることになって、途中でようやく、そういえば見たことなるな・・・と(笑)それくらいぼんやりなので、これも実は見ていたかもしれないのですが、見ていてもそのときは良さが分からなかったのかもしれません。
原作はオスカー・ワイルドの同名の作品なのですが、映画を見て、原作ってこんなに面白かったっけ、とまたそちらも何も記憶にないので、本箱を探して文庫本を引っ張り出してきてあらためてちゃんと読んでみました。
その結果わかったことは、どっちもいい作品だ(笑)ということでした。ただし、それぞれいいところが別で、映画は映画ならではの良さ、戯曲のほうは戯曲ならではの良さで、両方にほぼ共通する設定やストーリーはやや古めかしい、いまではよくあるパターンだよね、と言われそうな古典的な母―娘ものです。
娘マーガレットがまだ幼いころに夫と子を棄てて男のもとに走り、娘は母が死んだと聞かされ、母親を理想化して育つが、その娘が成人し結婚し、ウィンダミア卿夫人として社交界の花になったばかりの時期に、夢破れ落ちぶれ、孤独になった母親アーリンがパリから帰ってきます。彼女は社交界に復帰して再起したいとたくらみ、ウィンダミア卿を呼び出して、自分が夫人の母親であることを告げ、自分に対する社交界の悪評を逆手にとって、いわば口止め料として卿から不自由なく暮らせるだけの生活費を定期的に振り込ませることに成功します。
そればかりか、どうしても娘に会いたくなった彼女は、マーガレットの誕生日のパーティーに招待するよう卿に迫ります。
他方、マーガレットは自分に言い寄っていた浮薄なダーリントン卿を厳しく拒絶しつづけていたので、ダーリントン卿は、マーガレットが、夫が出かけると行って自分の車を使わず、タクシーで出ていくのを見て不審に思ったのに付け込んで、ウィンダミア卿が噂の女アーリンのところへしじゅう通い詰めて金をやり、囲っているかのようなほのめかしをし、旦那の預金通帳を見ればわかるだろうとほのめかします。これを聞いてマーガレットは不安になり、夫の預金通帳を見ると、なんとアーリンに定期的に大きなお金を振り込んでいます。
こうして夫への不信が膨らみ、預金通帳のことを詰問しても誤解だとしか言わない夫に益々疑念を膨らませる彼女に、卿はこともあろうにそのアーリン夫人を誕生パーティーに招待してほしい、と言い出すのです。マーガレットは激怒し、もしアーリンが一歩でも屋敷に足を踏み入れたら、卿が誕生日祝いにくれた扇でひっぱたく、と言って手が付けられません。
卿は仕方なく、マーガレットの了解が得られないから今日は屋敷に来ないでくれ、とアーリンに手紙をことづけますが、アーリンはろくに読まずにそれを招待状と思って屋敷にやってきます。そして、彼女に思いを寄せているオーガスタス卿と出くわしたのをよいことに、邸内に入っていきます。
アーリンが来たらひっぱたいて追い返すつもりだったマーガレットも、アーリンの淑女然とした魅力に圧倒されて何もできません。それどころか、はじめはあれが噂の女、とアーリンを拒むかにみえた社交界の人士たちが、まず男連中が彼女の妖艶な魅力に抗えずみんな彼女の周りに集まっていく。それを男ってやつは、と冷ややかに見ていたご婦人たちも、彼女の巧みなおだて、お追従にいい気分になって、とてもいい方よ、とほかのご婦人にも進んで紹介して彼女の周りに人の輪をつくるありさま。
アーリンを夫を奪った女と憎むマーガレットは逆に孤独になり、とうとう意を決して夫に書き置きを残して、自分がこれまで拒絶してきたダーリントン卿のもとへ走り、彼が明日英国を離れると言っていたので、彼について海外へ行ってしまおう、と考えるのです。
さてマーガレットがひそかに屋敷を出たことを知ったアーリンは、彼女が残した夫あての書き置きを読み、事態を知って娘の誤解を解いて彼女を救わなくてはと思い、後を追います。自分が母親であることを告げずにマーガレットが誤解していることを悟らせるのは至難のわざで、マーガレットはアーリンを拒みつづけますが、誤解だというアーリンの言葉に動揺します。
そのときどやどやとパーティーにいた男たちがマーガレットたちのいるダーリントン卿の屋敷にやってきます。もしマーガレットがこの色男で名高いダーリントン卿の家に来ているのを知られたら、それこそもうウィンダミア卿の愛が消えてしまう、いますぐそっとでていこう、と行きかけたとき、マーガレットは夫からもらった扇を隣の部屋に忘れてきたことを思い出します。
隣室では、その扇がみつかり、ウィンダミア卿は、なぜ自分の贈った扇がダーリントン卿の家にあるのだ、とダーリントン卿に詰め寄り、マーガレットが来ているのだろう、と迫ります。家探しする、いやさせない、と危機一髪のとき、隣室からアーリンが現れます。扇は自分が間違えてウィンダミア夫人のを持ってきてしまった、と。
こうしてアーリンは再び浮気な噂の女に逆戻り、そうすることでマーガレットを救って、夫のもとへ無事に帰してやるのです。そして、自分は再びパリへ立って、もう戻ってこない、と最後の別れにウィンダミア卿の屋敷を訪れ、娘と最後の対面をして出ます。
面白いのは出たところで自分に結婚を申し込んでいたオーガスタス卿に出合い、ダーリントン卿邸でのことがあるから卿は冷たい態度をとるのですが、あなたの態度は紳士的じゃなかったわ、ってなことを言われて、気が変わり、やっぱり結婚してください、とアーリンに告げて二人一緒にタクシーに乗って去るのです。ハッピーエンドですね。
こんな風にまぁ軽いタッチのドタバタ喜劇的な要素もある、御涙頂戴母子物語ではあるのですが、映画は無声映画ということもあって、俳優たちの表情の演技、目の演技がすばらしい。とりわけアーリンとマーガレット、実際の親子という設定なのですが、それが過去のアーリンの不品行と、マーガレットが母親が死んだものと思って極度に理想化しているために、打ち明けられない。そのジレンマが高いテンションを生み出していて、この二人のやり取りの場面が素晴らしい。アーリンをやっている女優は噂の女らしい妖艶さの魅力をもった女性で、若く美しいマーガレットを圧倒してしまうのも、見ているだけで納得できるのですが、その彼女がマーガレットの危機に際して母心を起こして懸命にマーガレットを説得しようとする場面のすばらしさ。名演技でした。
また、原作にはなかったと思いますが、映画ではこの「噂の女」を口やかましい社交界の老婦人たち3人があれこれ言い、双眼鏡で観察する競馬場の場面があって、これが秀逸。映画ならではの手法で、実に面白く、アーリンを見る周囲のまなざしをコミカルに描き出しています。その場にはウィンダミア卿も、またオーガスタス卿もいて、彼らの言葉や行動がそのあとの展開の伏線にもなっていて、実にいい場面です。双眼鏡を通してとらえられるアーリン、急に見えなくなる彼女の姿、出口へ歩く彼女を追うオーガスタス卿をとらえるカメラ、みな秀逸でした。
一方、原作のほうは、映画にはない(無声ですもんね)言葉の劇、言葉の遊びにとても面白いところがあります。
べリック公爵夫人:(左手中央)ええ、そうよ、例の悪い女どもはね、わたしたちの夫をつれだしはするけれども、夫はいつだってわたしたちのもとへもどってきます。いくらか疵ものになてはいてもね、もちろん。だからね、泣いたりわめいたりしないほうがいいのよ。男ってそれが大きらいなのだから!
~~~~~~~~~~~~
ウィンダミア夫人:ご心配には及びませんわ、奥さま、けっして泣きはいたしませんから。
べリック公爵夫人:それなら大丈夫。泣くのは不器量な女の避難所だけど、美女にとっては身の破滅ですからね。
~~~~~~~~~~~~
セシル・グレアム: ・・・ところで、ぼくはけっしてお説教はしないよ。お説教をする男は概して偽善者だし、お説教する女はきまって不器量だ。・・・
~~~~~~~~~~~~
ダンビー:その女はほんとうは君を愛してないんだね、それじゃあ?
ダーリントン卿:そうだよ、愛してないんだ!
ダンビー:おめでとう、君。この世の中にはね、ふたつの悲劇があるだけさ。ひとつは、欲するものが得られないこと、もうひとつは、それを得ることだ。後者のほうがはるかに悪いよ、後者こそ真の悲劇だ!・・
~~~~~~~~~~~~
セシル・グレアム:そいつはたいへんな間違いさ。経験とは、人生についての本能の問題だからな。ぼくにはそれがある。タッピ―にはない。経験とは、タッピ―が自分の過失にたいして与えている名前なんだ。それだけの話さ。
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こういう何でもない会話にとっても面白い気の利いたセリフがあるので、軽喜劇として楽しめるんだと思います。
原作はオスカー・ワイルドの同名の作品なのですが、映画を見て、原作ってこんなに面白かったっけ、とまたそちらも何も記憶にないので、本箱を探して文庫本を引っ張り出してきてあらためてちゃんと読んでみました。
その結果わかったことは、どっちもいい作品だ(笑)ということでした。ただし、それぞれいいところが別で、映画は映画ならではの良さ、戯曲のほうは戯曲ならではの良さで、両方にほぼ共通する設定やストーリーはやや古めかしい、いまではよくあるパターンだよね、と言われそうな古典的な母―娘ものです。
娘マーガレットがまだ幼いころに夫と子を棄てて男のもとに走り、娘は母が死んだと聞かされ、母親を理想化して育つが、その娘が成人し結婚し、ウィンダミア卿夫人として社交界の花になったばかりの時期に、夢破れ落ちぶれ、孤独になった母親アーリンがパリから帰ってきます。彼女は社交界に復帰して再起したいとたくらみ、ウィンダミア卿を呼び出して、自分が夫人の母親であることを告げ、自分に対する社交界の悪評を逆手にとって、いわば口止め料として卿から不自由なく暮らせるだけの生活費を定期的に振り込ませることに成功します。
そればかりか、どうしても娘に会いたくなった彼女は、マーガレットの誕生日のパーティーに招待するよう卿に迫ります。
他方、マーガレットは自分に言い寄っていた浮薄なダーリントン卿を厳しく拒絶しつづけていたので、ダーリントン卿は、マーガレットが、夫が出かけると行って自分の車を使わず、タクシーで出ていくのを見て不審に思ったのに付け込んで、ウィンダミア卿が噂の女アーリンのところへしじゅう通い詰めて金をやり、囲っているかのようなほのめかしをし、旦那の預金通帳を見ればわかるだろうとほのめかします。これを聞いてマーガレットは不安になり、夫の預金通帳を見ると、なんとアーリンに定期的に大きなお金を振り込んでいます。
こうして夫への不信が膨らみ、預金通帳のことを詰問しても誤解だとしか言わない夫に益々疑念を膨らませる彼女に、卿はこともあろうにそのアーリン夫人を誕生パーティーに招待してほしい、と言い出すのです。マーガレットは激怒し、もしアーリンが一歩でも屋敷に足を踏み入れたら、卿が誕生日祝いにくれた扇でひっぱたく、と言って手が付けられません。
卿は仕方なく、マーガレットの了解が得られないから今日は屋敷に来ないでくれ、とアーリンに手紙をことづけますが、アーリンはろくに読まずにそれを招待状と思って屋敷にやってきます。そして、彼女に思いを寄せているオーガスタス卿と出くわしたのをよいことに、邸内に入っていきます。
アーリンが来たらひっぱたいて追い返すつもりだったマーガレットも、アーリンの淑女然とした魅力に圧倒されて何もできません。それどころか、はじめはあれが噂の女、とアーリンを拒むかにみえた社交界の人士たちが、まず男連中が彼女の妖艶な魅力に抗えずみんな彼女の周りに集まっていく。それを男ってやつは、と冷ややかに見ていたご婦人たちも、彼女の巧みなおだて、お追従にいい気分になって、とてもいい方よ、とほかのご婦人にも進んで紹介して彼女の周りに人の輪をつくるありさま。
アーリンを夫を奪った女と憎むマーガレットは逆に孤独になり、とうとう意を決して夫に書き置きを残して、自分がこれまで拒絶してきたダーリントン卿のもとへ走り、彼が明日英国を離れると言っていたので、彼について海外へ行ってしまおう、と考えるのです。
さてマーガレットがひそかに屋敷を出たことを知ったアーリンは、彼女が残した夫あての書き置きを読み、事態を知って娘の誤解を解いて彼女を救わなくてはと思い、後を追います。自分が母親であることを告げずにマーガレットが誤解していることを悟らせるのは至難のわざで、マーガレットはアーリンを拒みつづけますが、誤解だというアーリンの言葉に動揺します。
そのときどやどやとパーティーにいた男たちがマーガレットたちのいるダーリントン卿の屋敷にやってきます。もしマーガレットがこの色男で名高いダーリントン卿の家に来ているのを知られたら、それこそもうウィンダミア卿の愛が消えてしまう、いますぐそっとでていこう、と行きかけたとき、マーガレットは夫からもらった扇を隣の部屋に忘れてきたことを思い出します。
隣室では、その扇がみつかり、ウィンダミア卿は、なぜ自分の贈った扇がダーリントン卿の家にあるのだ、とダーリントン卿に詰め寄り、マーガレットが来ているのだろう、と迫ります。家探しする、いやさせない、と危機一髪のとき、隣室からアーリンが現れます。扇は自分が間違えてウィンダミア夫人のを持ってきてしまった、と。
こうしてアーリンは再び浮気な噂の女に逆戻り、そうすることでマーガレットを救って、夫のもとへ無事に帰してやるのです。そして、自分は再びパリへ立って、もう戻ってこない、と最後の別れにウィンダミア卿の屋敷を訪れ、娘と最後の対面をして出ます。
面白いのは出たところで自分に結婚を申し込んでいたオーガスタス卿に出合い、ダーリントン卿邸でのことがあるから卿は冷たい態度をとるのですが、あなたの態度は紳士的じゃなかったわ、ってなことを言われて、気が変わり、やっぱり結婚してください、とアーリンに告げて二人一緒にタクシーに乗って去るのです。ハッピーエンドですね。
こんな風にまぁ軽いタッチのドタバタ喜劇的な要素もある、御涙頂戴母子物語ではあるのですが、映画は無声映画ということもあって、俳優たちの表情の演技、目の演技がすばらしい。とりわけアーリンとマーガレット、実際の親子という設定なのですが、それが過去のアーリンの不品行と、マーガレットが母親が死んだものと思って極度に理想化しているために、打ち明けられない。そのジレンマが高いテンションを生み出していて、この二人のやり取りの場面が素晴らしい。アーリンをやっている女優は噂の女らしい妖艶さの魅力をもった女性で、若く美しいマーガレットを圧倒してしまうのも、見ているだけで納得できるのですが、その彼女がマーガレットの危機に際して母心を起こして懸命にマーガレットを説得しようとする場面のすばらしさ。名演技でした。
また、原作にはなかったと思いますが、映画ではこの「噂の女」を口やかましい社交界の老婦人たち3人があれこれ言い、双眼鏡で観察する競馬場の場面があって、これが秀逸。映画ならではの手法で、実に面白く、アーリンを見る周囲のまなざしをコミカルに描き出しています。その場にはウィンダミア卿も、またオーガスタス卿もいて、彼らの言葉や行動がそのあとの展開の伏線にもなっていて、実にいい場面です。双眼鏡を通してとらえられるアーリン、急に見えなくなる彼女の姿、出口へ歩く彼女を追うオーガスタス卿をとらえるカメラ、みな秀逸でした。
一方、原作のほうは、映画にはない(無声ですもんね)言葉の劇、言葉の遊びにとても面白いところがあります。
べリック公爵夫人:(左手中央)ええ、そうよ、例の悪い女どもはね、わたしたちの夫をつれだしはするけれども、夫はいつだってわたしたちのもとへもどってきます。いくらか疵ものになてはいてもね、もちろん。だからね、泣いたりわめいたりしないほうがいいのよ。男ってそれが大きらいなのだから!
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ウィンダミア夫人:ご心配には及びませんわ、奥さま、けっして泣きはいたしませんから。
べリック公爵夫人:それなら大丈夫。泣くのは不器量な女の避難所だけど、美女にとっては身の破滅ですからね。
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セシル・グレアム: ・・・ところで、ぼくはけっしてお説教はしないよ。お説教をする男は概して偽善者だし、お説教する女はきまって不器量だ。・・・
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ダンビー:その女はほんとうは君を愛してないんだね、それじゃあ?
ダーリントン卿:そうだよ、愛してないんだ!
ダンビー:おめでとう、君。この世の中にはね、ふたつの悲劇があるだけさ。ひとつは、欲するものが得られないこと、もうひとつは、それを得ることだ。後者のほうがはるかに悪いよ、後者こそ真の悲劇だ!・・
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セシル・グレアム:そいつはたいへんな間違いさ。経験とは、人生についての本能の問題だからな。ぼくにはそれがある。タッピ―にはない。経験とは、タッピ―が自分の過失にたいして与えている名前なんだ。それだけの話さ。
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こういう何でもない会話にとっても面白い気の利いたセリフがあるので、軽喜劇として楽しめるんだと思います。
saysei at 22:44|Permalink│Comments(0)│