2019年12月
2019年12月22日
曇りのち雨の一日
今日は近所の障碍者スポーツセンターで、毎年恒例のクリスマス会がありました。冒頭に中学の吹奏楽演奏があり、観客席にいた小さな女の子が一人で最前列に立って聴きながら踊り出していたのがとても可愛らしかった。舞台の上手のほうでも障碍者の方が踊っていました。今日の演奏はジングルベルや、みんなによく知られた曲だったこともあるけれど、音楽はこうして自然に場を盛り上げてくれるというのがよくわかりました。
会場の壁際には食品や手工芸品などいろんなものを売る店が出ていて、このあとビンゴゲームなどいろいろと楽しいプログラムが用意されていました。会場は広いところですが、ざっとみたところ来場者でいっぱい。車いすの方も大勢来て楽しんでいました。
午後は、京都造形芸大でベケットの映画をシリーズで無料で見せる企画があって、しばらく前から予定していたのですが、今日はちょっと体調に自信がなかったので、取りやめて、家でおとなしくしていました。あーちゃんの部屋の窓から庭を見ていたら、あじさいの比較的大きな葉が鮮やかな黄色になり、その左手にも房状の白い花をつけるほうのあじさいが、こちらは渋い赤に紅葉して、とても綺麗だったので、階下へ降りてスケッチしてみました。寒いので、色塗りは机の前で暖房つけて(笑)。
でもやっぱり、なかなか手持ちの100円ショップで買った幼稚園児向けのクレヨンと水彩絵の具だけでは、思うような色がでません(絵具のせいにするようですが・・・笑)。それで、今回もツワブキの花を描いた時と同様、クレヨンの先を削った削り滓を絵の具を塗った上にのせて、なんとか少しだけ思う色に近くなるようにしてみました。
今日の夕食。メインディッシュはスペアリブの赤ワイントマトソース煮。
それに、きのことブロッコリのクリームペンネ。
あとはいつものグリーンサラダと、このレ・ブレドォルのバケット。こいつに高千穂バターをつけてかじりながら赤ワインをちびちび舐めていると、いくらでもバケットを食べていたくなります。パンの味はもう私にはわからないけれども、ここのバケットをパートナーが何分何秒きっかりとか焼いてくれると、その食感がすばらしくて、感じないはずの味が感じられるくらい”おいしい”。
これは昨夕のメイン、かもなべの鴨です。とても綺麗な身でした。
おなじく鍋の野菜の具。
いかのしおから。実はもう一品、「ブロッコリと柿の胡麻・マヨネーズ和え」というのがあったのですが、どうやら写真を撮り忘れたようです。
これは26日の夕食だったと思います。一日とばしていたようなので ^^;
骨付きラムの香草グリル+鴨ロースのグリル+ニンジンのグラッセ。
この日はもう一つ、玉葱とシイタケと小松菜のクリームソース煮+バミサリコ酢、とあとカボチャスープ、グリーンサラダがありましたが、これも撮影し忘れたのかな。写真が残っていませんでした。
ひょっとしたら、同じものを何度も投稿していたりして(笑)。このところおつむのほうも頼りなくなってきているような気がしなくもないので(パートナーは「ちがいます。あなたのは前からです!」と言いますが)ご容赦を。
saysei at 23:16|Permalink│Comments(0)│
2019年12月21日
帰ってきた"あーちゃん"
インコのあーちゃんが、久しぶりに元気で帰ってきました。
もう後期高齢者の部類に入っていると思われる彼ですが、新幹線での長旅にもめげず、とても元気。大きな声で、誰かかまってくれよ!と呼んでいます。
夏に来て以来なので、もう私たちのことは忘れていて、まだそうべたべたはしてくれません。でもなんとなく毎回置かれる部屋の空間の感じとか、鳥かごの感じとか記憶があるのか、はじめてのころにくらべれば警戒心もほとんどなく、さっそく餌をついばんだり、指を差し出すとつついてみたり、くらいのことは平気で、落ち着いています。
一番最初に連れてこられたときは、数日間警戒していて、私たちの前ではほとんど餌も食べず、指を差し出しても近づいてきませんでした。そのころに比べると、具体的なだれかれという記憶はなくても、こちらの家の状況にはずいぶんなじんだようです。
あーちゃんをスケッチしようと試みましたが、よく動くし、生き物を描くのは初めてなので、とても難しい。
いろいろやってみて、なんとか書き上げたのが最初の2枚です。彼がいるあいだに、もう少しうまく描けるようになりたいと思います。
昨日の夕食から。森嘉さんのひろうす。
こういう京風の薄味は味覚障害にはわかりにくくなっています。
牡蠣フライ。これは味がわかります。
刺身はもともとそう好きでないうえ、いまは全く味がわからないので、これはもっぱら長男とパートナー向けメニュー。
鶏のレバーの甘煮。これは味がよくわかります。
菊菜の胡麻和え。これも菊菜の香りと味が強いので菜っ葉の中では例外的によくわかります。
これは先日散歩中に高野川で撮った写真。三羽の鴨がさかとんぼりして、頭かくして・・の姿が面白くてパチリ。
saysei at 23:35|Permalink│Comments(0)│
「象は静かに座っている」を見る
京都みなみ座で今日から上映されている、フーボー(胡波、HU Bo)監督(脚本・編集)の遺作「象は静かに座っている」(2018年、中国)を見てきました。
234分の長編ですが、最初の方で少々スローテンポが気になったものの、だんだん登場人物や状況が分かってくるにつれて引き込まれ、全然退屈せずに見終わって、とてもすぐれた作品を見ることができたな、という満足感がありました。
ただ、私の好みのハッピーエンドの娯楽映画ではなくて、ものすごく暗い作品で、ほとんど救いがない感じです(ラストにわずかにあるといえばあるのでしょうが)。主人公ブーの友人カイが「この世界、ヘドが出る」と自分の顎に銃を当ててぶっ放すシーンでは、この映画を撮り終えた直後に、29歳で自ら命を断ったというこの監督自身の叫びを聞くような錯覚をおぼえました。
主要人物は生きていて物語はもうしばらく続くのですが、なんだかカイという若者が吐き出す言葉が監督自身の声のように聞こえたのです。それほど主人公たち主要な登場人物をとりまく家族や友人や周囲の人間たち、いや主要な登場人物自身もまた、みな確かにひどい状況に置かれてきたとはいえ、その中でみずから人間としてのまっとうな生き方を見失っているようにみえ、どうしようもない身勝手で、責任を他人に転嫁する卑怯な面をさらけ出しもし、また自分のささくれだった神経を他人に怒鳴り声や暴力をぶつけることでしか処理できない人間たちのようです。
けれども、主要な登場人物、主人公のブ若者ブーと彼が好意を持っている同級の女生徒リン、不良グループのリーダー格のチェン、娘夫婦から老人ホームへ移れと言われ自分の家を追い出されそうになっている老人ジンの4人ですが、彼らはそういう周囲の人間たち(自分も含めて)のありようを唾棄し、苛立ちをぶつけて周囲と波風を立てながら、自分はそういう状況に泥むまい、とする意志を保とうとしているのですが、それでもやっぱり自分たち自身もまたそういう状況の中で汚れていることに多かれ少なかれ自覚的なので、その苛立ちは周囲の人たちのようにもっぱら他者にぶつけることもできず、自分自身に対する苛立ちや自嘲的、あるいは自暴自棄的な、さらには自傷的な方向に向かわざるを得ないでしょう。
物語の最初は、チェンが親友の恋人の部屋で彼女と寝ているところへ当の親友がやってきて、チェンを見ると、お前だったのか、と言って、その場でマンションの窓から階下のテラスへ飛び降りて死んでしまう、衝撃的なシーンです。チェンは両親と折り合いが悪く、今は家を出て不良グループのリーダー格になっているやくざな男で、この時も自分が現場にはいなかったことにして、警察や親友の親から逃れ、本来の自分の恋人に会うと、お前が俺に会ってくれないから友人の恋人と寝た、だからおまえのせいで友人は死んだんだ、という無茶苦茶な理屈を言ったりします。
もう一人の主要人物で主人公であるブーはまだ高校生で、彼も家庭ではかつて警察勤めだったらしい暴力的で頭ごなしに怒鳴る父親や口うるさいだけの母親と折り合いが悪く、いつも父親には出ていけといわれて祖母のところへ避難しているような若者ですが、学校で彼の友人カイが、不良グループのシュアイの携帯を盗んだ盗まないで言い争うのを、カイをかばってシュアイと揉めたとき、シュアイが階段から転落して大けがをして病院へ運ばれるという事件が起きます。これが、チェンとブーを結びつける物語の端緒になります。ブーは現場から逃走し、他方チェンの子分たちがブーを追い探す展開で、もしとっつかまればチェンはブーを半殺しにするだろう、とブーの友達やチェンの子分たちは思っています。
ブーが学校で好意をもっている女生徒リンは母親と二人暮らしですが、その母親は朝から晩まで外で仕事をして、家の片づけもしないし、食事もレトルト食品を与えるだけ。トイレが水漏れで水びたしになっていても疲れて朝寝を決め込んでいます。娘のことを気遣うゆとりも何もなくしてしまっていて、リンもこんな母親に不信と苛立ちをぶつけ、互いに口汚く言い争うばかり。そんな中でリンは安らぎを求めて、「家の中が綺麗で、優しい」高校の教師と不倫の関係になっています。
そのうちその不倫の現場を動画に撮られ、SNSか何かでまわされて学校中に知られることになってしまい、リンは母親にどうしよう、と相談しますが、母親は傷ついたリンの心に寄り添ってやることができません。そこへ教員の妻が17歳の娼婦に夫をたぶらかされたと怒鳴り込んできて、教員もまあまあと妻をなだめにやってきます。リンはいったんはその場を逃れ出ますが、戸口に置いてあってバットを見つけると、それを手に部屋に戻ってこの二人をぶちのめして家をあとにします。それはすっごく気持ちいい場面!(笑)
彼女がその前に教師とねんごろにしているところを偶然みかけたブーが、店の外からじっと見ている場面があります。また、そのブーが離れたところからリンたちを凝視している姿を、たまたま子分たちから離れて恋人を迎えに来ていたチェンが見て、何をそんなに熱心に見てるんだろうと不思議に思ったようで、彼が弟を階段から落として大怪我(のちに死んでしまう)させたブーだとは知らずに声をかける場面があります。こういう設定はとてもうまい。
ブーはシュアイの運ばれた病院へ行きますが、病室の前でシュアイとチェンの両親がチェンを責めているのを廊下の影から目撃する場面もあります。ここでチェンも両親と折り合いの悪いことがはっきり示されて、あとのブーとチェンが再会する最後の場面でのチェンの態度につながっていきます。
最後の主要人物は、まだ幼稚園くらいの子をもつ娘夫婦から、家が狭いので老人ホームへ移ってくれと、もともと自分の家であるアパートの部屋から追い出されそうになっている老人ジンです。彼は頑として娘夫婦の懇願を拒否していますが、一人で老人ホームを見学にいったりしています。その老人ホームたるやまぁ監獄の独房みたいな部屋で、カメラがとらえる老人たちは生きる意欲を失った魂の抜け殻のようにみえます。
ジンは白い毛の愛犬を友として散歩するのが常でしたが、あるとき同じ白い毛のはるかに大きな犬が飼い主の手を離れてうろついているのに遭遇して、愛犬を噛み殺されてしまい、その大型犬の飼い主を突き止めて訪ねていきますが、相手は証拠がないなどと居直って謝罪の言葉一つ口にしません。
まあこんな風に、主要人物はみなひどい家庭の中で傷ついていて、どこにも居場所がなく、孤独で、救いのない状況である上に、どんどん抜き差しならないところへ追い詰められていきます。
それで「象」がどう関係しているか(笑)というと、実は最初にチェンが親友の恋人と寝ているときに、チェンがその親友から聴いた「面白い話」というのを口にします。聞く者にはそれがなぜ「面白い話」なのかは分からないのですが、それが、遠い満州里のサーカスに、ずっと座ったままの象が居る、という話です。ところが、その恋人も、彼がその象のことは話してくれた、と言います。
ブーは満州里の大サーカスのポスターで、その象のことを知って、家を出たとき、その象を見にいこうと思い立つのです。彼はリンを誘うのですが、そのときはリンは断ります。
しかし、バットで教員の妻と教員を殴り倒して家を飛び出したとき、そのサーカスのポスターを目にした彼女もまた、満州里の座ったきりの象のところへ行こうと思いたつのです。
最後にジンも、最初は満州里の象を見に行くブーの話を自分のこととしては聞かないのですが、彼自身が居場所のないところへ追い詰められるにしたがって、気持ちに変化が生じたようで、彼のことを大好きな孫を連れて、満州里へ行こうと駅へやってきます。こうして孫を含む4人が駅に揃います。
実はその前にちょっとしたクライマックスにあたる場面があります。ブーが一人で満州里へ行こうと駅へ切符を買いにきて、ダフ屋みたいなやつに偽の切符を売りつけられます。それが偽物とわかって、男を見つけたブーが金を返せと詰め寄ると、男はついて来いと言って、もう一人の仲間の居る崖の上まで連れてきて、居直ります。
しかも彼らがチェンの子分で、身分証明書から自分たちのカモがブー本人だと知った彼らはチェンを電話で呼び、チェンがやってきます。しかしブーが覚悟し、子分たちも当然そう思っていたようにチェンがブーを半殺しにするかと思いきや、チェンはうずくまっているブーに対して自分もしゃがみ込んで話しかけます。
そして次の場面がものすごくよかったのですが、ブーがどこかへ行こうとしていたのを知って、チェンがブーに、どこへ行くんだ?と訊きます。するとブーが「満州里のサーカスにいる象を見に行く」というのですね。それを聞いたときチェンの胸を過ったものは観客にも容易に想像できるわけですが、彼は一瞬言葉を失うわけです。
ブーのほうはチェンの事情は知らないわけですから、全然チェンの心の動きなどわからないわけですが、チェンの方は心の中には自分の目の前で飛び降り自殺した親友のことが喚起され、いろんな思いが交錯しているはずで、この時のずいぶん長くも思われる沈黙の間というのがすばらしく、チェンの表情がとてもよかった。この映画のハイライトシーンだろうと思います。
このとき、チェンは手下に満州里行の切符も買わせてブーに渡して解放してやろうとします。ブーのほうはなぜ自分を逃がすのかわからないし、チェンも説明しない。ただ、弟は結局病院で死ぬわけですが、そのことについても、チェンは自分は弟は嫌いだった、両親は弟をべた可愛がりして甘やかしていた、自分は世の中の誰もかれも嫌いで好きなやつはいないんだ、というようなことを言います。
そもそもこのチェンは悪い奴じゃないわけですが、家族との折り合いの悪さからはみ出てヤーさんみたいな強面のするあんちゃんになっている男で、世の中に対して非常にニヒルな、斜に構えた精神の構えを持っているわけです。そういうワルだけれども、影があり、奥行きもある複雑で、非常に魅力的な人物を創り出しているのも、この作品のいいところです。
チェンはちゃんとした、たぶんいいとこのお嬢さんみたいな恋人があったわけですが、やっぱり育ちの違いというのか、いろんな点で合わないことを彼女の方が覚って彼を避けるようになったのでしょう。彼の方がまだ純情に彼女のことを思っているようなところがあったわけですが、避けられていた。それで親友の彼女に手を出した、だからお前のせいで親友が死んだ、と恋人を責めるのはもちろん彼の身勝手で、無茶苦茶な理屈ですが、彼の純情からみればほんとにそう感じてしまうようなところはあっても不思議はないのかもしれません。
チャンとブーの最後の遭遇の場面は、このあとブーの友人カイがピストルをもって現れ、ブーを逃がそうとして、駅から戻ってきた手下にやられそうになって、カイがぶっぱなしたピストルの弾がチャンんに当たり、チャンは負傷して倒れます。
しかしカイもピストルを自分の顎にあてて、「この世界、ヘドが出る!」と叫ぶと引き金をひいて自殺してしまいます。
このカイは脇役に過ぎないし、ここはブーと彼に弟を結果的に殺されたチャンとの一連のエピソードに区切りをつける役割に過ぎず、ブー、リン、ジンといった主要人物はこのあと駅に合流して旅立つアフターストーリーがあるわけだし、チャンはここに取り残されるけれども生きているわけで、カイの叫びに監督の言いたいことが表現されていると考えるのは単純すぎるのでしょうが、見ている私たち観客としては、このカイの叫びに重ねて、この作品の作り手の、唾棄すべき世の中に対する呪詛というか、命と引き換えの魂の叫びのようなものを感じてしまうのですね。それはカイ一人が担うには重すぎ、ここにはどうしても監督自身の心の奥底からの絶叫が耳をうつように思えてならないのです。
でもたぶん、監督は若い人に希望を持たせたかったのではないでしょうか。嘘だと分かっていても、向こう側にはきっと、もっとマシな世界があると自分を騙し、今度こそは違うと言い聞かせ、行ってみれば失望する、そうして結局また同じことを繰り返すだけだと分かっていても、それでも「ここではないどこか」を夢見ることにしか一抹の救いはないし、夢見るがいいよ、と。
少し先走ってしまいましたが、主要人物3人(プラス孫)が駅に集まって列車で行こうという時になって、列車が運休だということがわかり、夜行バスでまず瀋陽まで行って、その先はそれからのこと、という感じになります。
ジンは孫を母親に知らせずに連れ出したことへの気がかりもあったのでしょう、自分はとどまると言って孫の手を引いて帰っていこうとします。
その前に若い二人に対して、彼は、世の中はこんなもので、よそがよく見えるが、行ってみれば同じなのだ。結局同じことの繰り返しになる。だから今いる場所にとどまって、向こう側にはいい世界がある、と思っているのがいい。そうすることで、いまいる場所でよりよく生きることができるんだから、というような意味のこと(一度聞いたきりなので、勝手な聞き方をしているかもしれませんが)を言います。
それはある意味でもっともらしい、過酷な人生経験を積んで酸いも甘いも嚙み分けた老人が言いそうなセリフではあるわけですが、面白いのは、そのあと彼自身も自分の言葉を裏切るように、正反対の行動をとるわけです。
彼も若い二人も、こと言葉とは反対の行動をとって、バスで満州里目指して出発するわけです。
だから、この作品はジンのこの言葉をそのまま肯定しているようにはみえないのですが、それでもこのジンが語る人生というのはこういうことの繰り返しさ、という否定的、虚無的な側面は、この映画を作った監督がいまの世の中をこう思っているのだろうなぁ、と思わせるところがあるのです。
つまり、塀の向こう側にこちらとは違ったいい住みよい世界があるように見えるけれど、行ってみたら同じことだ。どこへいっても同じで、失望してまた向こう側の世界を探すだけのことだよ。そうやって自分を騙して、まだ希望があるかもしれない、と思おうとしているだけのことで、所詮はむなしい繰り返しにすぎないよ、と。・・・そこに登場人物たちみんながそこで生き、監督もそこで生きてきたいまの中国社会のありようへの深い絶望を感じざるを得ないのです。だからいまいるところにとどまることが何事かだ、という肯定的な言い方の側面は、もっともらしいけれども、その直後の彼自身の行動によって裏切られていると言えるでしょう。
ただ、こういう言葉をジンに語らせ、かつその言葉を彼ら自身に裏切らせながら、そのジンも含めて3人プラス孫に、満州里へ旅立たせるところに、嘘だとわかっていても「ここではないどこか」を求める主人公たちのありように、監督が後に託した思いがある、と言えるのかもしれません。
それはともかく、追っかけて行ったブーが、「行こう!」と言って、結局ジンも孫を連れて行動を共にします。
そして、途中停車のどこかで、切り立った大地の上にはレストラン兼休憩所みたいな建物があって明かりがついている、その下の広場の街灯の明かりで照らされたコートみたいなところで、乗客数人がサッカーのリフティングみたいな動作(昔の日本の「蹴鞠」みたいな)羽根を蹴り上げてパスをつないでいくみたいなゲームに興じています。そういえば、ブーはこの羽根蹴りが得意だと言っていたな、とこのシーンで思い出します。
そんな周囲を闇に包まれたどこかぼんやりした明かりの中での光景をしばらくみていると、突然象の鳴き声がどこからともなく湧き上がるように響いてきて、スポーツゲームに興じていて人々の動きがとまり、みなどこから聞こえるのかという風に周囲の暗がり、レストランの背後の黒い山影の方を窺ったります。そんな中、象の鳴き声というのか吠え声というのか、大きく響き渡り…幕となります。
このラストがまた素晴らしいですね。ほんとうに美しいシーンです。
この作品の舞台は、河北省石家荘という、中国北部の北京から南東へ50kmほどのところにある場所だそうで、そこの駅から電車、バスで乗り継いで北京、瀋陽を経由して内モンゴルの満州里まではおよそ2300kmもの距離があるんだそうです。ちょいと夜行バスに揺られていけば翌朝ディズニーランドついている、なんて生易しい距離じゃないですね(笑)。
だから「象」が静かに座っている満州里のサーカスというのは、人が行ってみたいと思うけれどとても行きつくことなどできそうもない遠いところ、「ここではないどこか」だと考えるのがいいんだろうなと思います。
4時間近い長尺というのも別に少しも苦にはなりませんでしたが、この監督もどこやらの研修みたいな機会にタル・ベーラ監督の薫陶を受けたんだそうですね。そうしてみると、タル・ベーラ監督というの人は罪が重い(笑)。現代の長回しの元祖みたいな先生だから、お弟子さんもみんなこうなっちゃうんですかね。
しかしこの物語は煮詰めてコンパクトにできるかというと、ちょっと無理な気はします。もともと関係のない主要な登場人物一人一人の置かれた日常生活とその背景になっている状況を時間軸の奥行きも織り込んで切り取って見せたうえで非常に巧みに連環させていくので、当初は何が起きていくのか、どういう人物とどういう人物がどうかかわっていくのかわからなくて、そのスローテンポに戸惑うところはあったけれど、一人一人の人物をやがて立ち上がってくる行動へと追い込んでいく必然性はやはり、あのスローテンポで描かれる家族や身近な人たちとの関係の中での日常の光景なしには伝わってこないだろうし、携帯を盗んだ盗まないのもめ事から、ブーが相手を階段から突き落としてしまって・・・といったドラマチックな筋立てを追っかけていくような撮り方では、今の中国社会を生きる一人一人の人間の置かれた状況も彼らを追い詰めているストレスだのプレッシャーだのも、肌触りの利く形で表現できないことは確かですから、この作品を作ること自体に意味がなくなってしまうでしょう。
そういう意味ではこれだけの長尺となることには、この作品の場合は必然性があったと言えるのではないかと思います。
ネットを見ると監督が自殺した背景はよくわからないらしいけれど、プロデューサー夫妻との確執があったんじゃないかとか、もともとのこの4時間の長尺を半分に縮めろと言われてカットしまくって無理やり2時間版をつくらされたとか、いろいろ書いてある記事もみかけました。
そういう具体的なことがすべて事実だとしても、私にはそれで監督が自殺したなんてことはちょっと信じがたい気がします。おそらく直接のきっかけがどんなことであったとしても、こんな傷つきやすいナイーブな心を(おそらく)もつ監督を深く傷つけ、生きるに値しない世の中と思わせるような、この社会のありようのどこかに真の原因があったに違いないという気がします。登場人物の思いや言葉と監督の思いや言葉をじかに重ねてみるのはナイーブな錯誤かもしれませんが、私には自殺直前にカイが吐き捨てた言葉が、どうしても監督の声に重なってしまうのです。
それにしても、あの中国にこんな素晴らしい作品が生まれるようになったんだな、というのは、半世紀ほど前に何本も中国のプロパガンダ映画を見てきたことのある私など、隔世の感ということで深い感慨を覚えます。
saysei at 00:01|Permalink│Comments(0)│
2019年12月17日
はばかりながら・・・
パートナーが階下で声をあげて笑っていたと思うと、すぐ後で新聞の切り抜きをひらひらさせながら上がってきました。
「これ、×××のことじゃない?(笑)」と、なにやら長男のことが書いてあるみたいなことを言うので見ると、『アンチ整理術』という本の新聞広告で、そのキャッチコピーが:
ものは散らかっているが、生き方は散らかっていない
笑っちゃいましたよ。それにしてもカッコよすぎますね。
宣伝されている本は森博嗣さんの本で、私は全然読んだことがないのですが、パートナーによれば長男がよく読んでいた作家なんだとかで、彼女も読んだことがあって、ちょっと変わった面白い作品を書いてとても人気のある作家だそうです。
たしかに、うちの息子たちはどちらも片づけができないたちで、学生時代はむろんのこと、いい歳になったいまでもたぶん部屋の中は本から衣類からカバンの類、情報機器やらティッシュやら段ボールにいたるまで、積み重なり折り重なり散らかり放題のはずです(笑)。
それでも、幸い二人とも早いとこ自分の好きなことをみつけて、学生時代からずっと、それぞれが選び取った道をすでに十数年一所懸命走り続けて、それなりの実績も積んできたので、たしかに「生き方は散らかっていない」ようです。
ところで、はばかりながら、私は:
ものは散らかっていないが、生き方は散らかっている
・・・よねぇ~! と言って、二人でそう、そう、ほんまにそうやなぁ・・と大笑いしたのでありました。でも楽しい人生でありました(笑)。
今日の夕餉。サバの塩焼き。よくあぶらののった身でしたが、やっぱり味覚障害の舌には一番わかりにくい味の一つで、半分パートナーに食べてもらいました。
カボチャ、鶏肉、インゲン豆のあんかけ煮。なぜかカボチャの味が分かるのと、あんかけのせいで、よく味が分かり、美味しくいただけました。
野菜(ニンジン、レンコン、三度豆、山芋の海苔巻き)の天ぷら
小松菜と焼きシイタケのおろしポン酢
黒豆なっとう。小粒の黒豆がおいしい、とパートナーは言うのですが、豆そのものの味は私には分からないのです。でも納豆の発酵したねばっけは食感としてわかるし、なんとなく納豆を食べている実感は持てます。
いつものつけあわせ。モズクきゅうり酢。以上でした。
「これ、×××のことじゃない?(笑)」と、なにやら長男のことが書いてあるみたいなことを言うので見ると、『アンチ整理術』という本の新聞広告で、そのキャッチコピーが:
ものは散らかっているが、生き方は散らかっていない
笑っちゃいましたよ。それにしてもカッコよすぎますね。
宣伝されている本は森博嗣さんの本で、私は全然読んだことがないのですが、パートナーによれば長男がよく読んでいた作家なんだとかで、彼女も読んだことがあって、ちょっと変わった面白い作品を書いてとても人気のある作家だそうです。
たしかに、うちの息子たちはどちらも片づけができないたちで、学生時代はむろんのこと、いい歳になったいまでもたぶん部屋の中は本から衣類からカバンの類、情報機器やらティッシュやら段ボールにいたるまで、積み重なり折り重なり散らかり放題のはずです(笑)。
それでも、幸い二人とも早いとこ自分の好きなことをみつけて、学生時代からずっと、それぞれが選び取った道をすでに十数年一所懸命走り続けて、それなりの実績も積んできたので、たしかに「生き方は散らかっていない」ようです。
ところで、はばかりながら、私は:
ものは散らかっていないが、生き方は散らかっている
・・・よねぇ~! と言って、二人でそう、そう、ほんまにそうやなぁ・・と大笑いしたのでありました。でも楽しい人生でありました(笑)。
今日の夕餉。サバの塩焼き。よくあぶらののった身でしたが、やっぱり味覚障害の舌には一番わかりにくい味の一つで、半分パートナーに食べてもらいました。
カボチャ、鶏肉、インゲン豆のあんかけ煮。なぜかカボチャの味が分かるのと、あんかけのせいで、よく味が分かり、美味しくいただけました。
野菜(ニンジン、レンコン、三度豆、山芋の海苔巻き)の天ぷら
小松菜と焼きシイタケのおろしポン酢
黒豆なっとう。小粒の黒豆がおいしい、とパートナーは言うのですが、豆そのものの味は私には分からないのです。でも納豆の発酵したねばっけは食感としてわかるし、なんとなく納豆を食べている実感は持てます。
いつものつけあわせ。モズクきゅうり酢。以上でした。
saysei at 23:24|Permalink│Comments(0)│
バウハウスCプログラム
昨日の出町座・バウハウス100年映画祭は「ミース・オン・シーン」(ペップ・マルティン、シャビ・還付レシオス監督。2018/スペイン/58分)と「ファグスーグロピウスと近代建築の胎動」(ニールス・ボルブリンガー監督。2011年/ドイツ/27分)の2本立てで、終了後に浅田彰氏のレクチャーがありました。
映画の1本目は、ミース・ファン・デル・ローエ、それもバルセロナ・パビリオンに焦点を絞り込み、その再現プロジェクトに関わった人物の話なども交えながら、ミースの建築と思想を追うドキュメンタリーで、的が絞れているので、分かりやすく、あまり建築史のことなど知らない私は啓蒙されるところがありました。ただ、出演者がみなミースを礼賛し、バルセロナ・パビリオンを口を極めて究極の建築美としてほめそやすのには少々鼻白むところがなきにしもあらずでした。
どんなにすごい天才で、どんなに空前絶後の建築美なのか知らないけれど、素人としては、ただ崇拝者が神格化した天才をほめそやし、その作品創造を神話化するのを見聞きするよりも、天才ではないふつうの専門家たちひとりひとりの異なる人物の眼を通して見たミースという人物やその建築を、もっともっと具体的に語ってほしかったな、という気はしました。
映画の2本目のほうは、バウハウスの本家本元グロピウスに焦点をあて、その時代から今も続いているという手作り職人たちがいまだにその技能を発揮するような靴工場を紹介したりしていて、なかなか面白かったし、浅田氏も触れていたように、ある意味で対照的な二人をこの2本の映画で見ることができたので、いろいろ考えさせられるところがありました。
前にも書いたように私がバウハウスに関心を持ったのは建築だけではなくアートを生活と結びつけるデザイン思想のようなものを通じてだったと思うし、劇場のことを考えているときにトータル・シアターという概念にも興味をもったからで、建築史の方から入ってモダン建築の代表選手だとか、機能主義建築の巨匠だとかいった観点はもともと私には希薄でした。
だから、あの靴工場のように、当時の工場のイメージからすれば画期的な、明るくて機能的、合理的で、洗練された、労働者にとって働きやすい仕事場だったのでしょうが、他方で生身の人間がそこで動き回り、汗をかいて仕事をする場としての具体性とそういってよければ泥臭さもどこかに保っているのが、私にはとても好ましく思われるのでした。
それに引き換え、人々が絶賛するミースのバルセロナ・パビリオンのような建築は、たしかに極度に洗練され、建築という本来実用的なものでありながら(実際、博覧会のパビリオンに使われたわけですから)、純粋な造形美を実現しているような形象の美しさは感じるけれども、それは建築がどこか生活の匂いを消して(失って)無色透明な抽象的な図形のようなものになってしまったようなところがあって、私自身の好みからすれば、好みではないということになって、バウハウスと言っても、ミースが出てくるとピンとこないところがあります。
もっとも、あれが博覧会のパビリオンだからあれでよかったのでしょうし、ああいう種類の施設はいわば「ハレ」の日のための建築であって、工場や商店や住宅のような「ケ」の世界の建築とは違っていいんだ、といえばいいのでしょう。
浅田さんはそのへんを建築史の言葉で、実用主義と機能主義のように対照的に言われているけれども、というふうに言っていたと思います。彼自身はそういう対立的な取り上げ方を相対化しているので、そう思っているわけではないけれども、グロピウスが実用主義というのも私などはしっくりこないし、機能主義という言葉もよくわからない言葉です。
機能主義というのはたぶんこの言葉が使われる分野によって、ずいぶん違った意味に用いられていて、機能主義とはこうだ、と共通の本質を端的に言い切ったような定義というのか説明というのがあるのでしょうかね。
「機能」って、平たく言えば何らかの「はたらき」でしょうから、「もの」じゃなくて、その作用をさしているわけで、作用には、はたらきかける側とはたらきかけられる側があるわけで、「もの」と「もの」との関係ということが前提になっていて、或る「もの」に着目するとしても、それがほかの「もの」にどんな作用を及ぼすのか、どんな「はたらき」をするのか、というところに価値を見出す考え方なんだろうな、と思います。
世界を全体とそれを構成する部分で見て、それが単なる集合ではなくて、或る秩序、何らかの構造をもって全体が成立していると考えるなら、一つ一つの「もの」(要素)を全体の方から見るとき、それが全体に対してどんな「はたらき」をするか、というふうに、或る要素はつねに他の要素のため或いは全体のためにどんな「はたらき」をしているか、ということによって、その価値を認められることになるのでしょう。
この「はたらき」をもつものを抽象的な要素などと言わずに、地べたへ引きずりおろして、生活の色や形を与え、においや質量を与えれば、「実用主義」ということになるのではないでしょうか。
ただ、逆に生活の色や形を消去し、匂いも重量も消していくと、抽象化された数学の点や線のようなもので描かれた図形のようなものになっていくのではないか。それはそれで美しい幾何学紋様が生まれるかもしれないのだけれど・・・
比喩的に文学のような言葉の芸術で考えてみると、書き言葉を美しい文字で表現して感性に訴えることができるけれど、これは言語の価値とは無関係で、書字の美という別の美的価値を構成するわけです。
一方、言葉の内側を覗いてみれば、何かその言葉によって指し示すはたらき、ふつうは意味といわれているものがあり、それと骨がらみの形で、認識で言えばより深いあるいはより高い認識にあたる表現における意識の高さ、深さといったものがあります。これは文学作品が評価されるときの根源に認められる価値につながっているものなのでしょう。
表現で考えるより、物を見るときの認識のほうでイメージする方が分かりやすい気がするのですが、ちょうど山を登っていくとだんだん市街地の景観が山麓の方に見えてくるみたいに、自分が高く登れば登るほど、地上の光景もそれにつれて変化してより市街地全体が視野のうちにとらえられます。認識とは逆に、表現の場合にも、それと同様に同じものを指し示す(描いて見せる)にしても、指し示す(描く)こちらの眼がどんな位置にあるかによって、描かれるものの姿かたちは違ってきます。
最初の、書字が美しいというのは言葉の表現価値とは関わりがないので、これはグロピウスもミースも余計な装飾なんか建築には必要ないんだと考えた、「装飾」にあたるかもしれません。書字を美的に表現していくことで書道みたいな別の芸術が生まれたように、それはそれで価値を認める人が出てくるでしょうけれど、少なくともミースやグロピウスのような世に機能主義建築といわれる一派の人たちはこれを排除する点では一致していた、といえるのではないでしょうか。
では世に実用主義のグロピウス、機能主義のミースと対照的に言われるような場合の二人の違いはこの比喩で言えばどうかといえば、きっとグロピウスは描く対象(指示性)を豊かに広げていくタイプだったのではないでしょうか。他方ミースの方は、むしろ描く対象(指示性)をうんと狭めて、その分のエネルギーを、自分の眼の位置をどんどん高めていくほうに費やしたんじゃないかな。それはもちろんどちらがよいとかどちらが正しいなんてことじゃなくて、タイプの違い、好みの違いというだけのことのような気がします。
浅田さんのレクチャーの中で、機能主義というのは一般的には、「機能的なものは美しい」ということでしょ、というふうな発言がありました。たしかにそんなふうに私も理解していたな、と思い出し、同時にそういう主張が頭にあったから、のちにデュシャンのエピソードについて知った時に、それとこの主張とが固く結びついた感じになったのを思い起こしました。
そのエピソードというのは、デュシャンが仲間のアーティストらと航空展へ行ったときのことで、デュシャンは熱心に展示を見て回った末に、「絵画は終わった、このプロペラに勝るものをいったい誰がつくれるか。どうだね、君は?」と傍らのブランクーシに言ったというのです。(正確に記憶してなかったので、ネットでこのエピソードに触れた文章があったので、彼の言葉はそれを引用させてもらって再現しました。)
デュシャンが衝撃を受けたのは、プロペラの形式美だけでなくて、それを支え、その美しさを生み出した航空機生産技術の機能性の追求の追い詰め方に、ほとんど究極的なもの、完璧さといった、人の手では及び難いものを感じたからでしょう。この時の衝撃が彼の「レディ・メイド」と呼ばれる一連の工業生産による既製品を自分の「作品」として提示することになった、という物語を私たちは聞かされてきたと思います。
ただ彼に衝撃を与えた既製品も、だれにでもすぐにわかるように、たくさん並べてみればみな同じで、何の変哲もない大量生産品であり、すぐに誰もそれが「美しい」などとは感じなくなってしまうでしょう。それは既にグロピウスの時代からバウハウスの薫陶を受けた建築家たちが設計した集合住宅の設計などを見れば明らかで、グロピウスの靴工場などは面白い建物だなとおもうけれど、他方でいまでいう団地の住宅群みたいなものを見ると、当時の感じ方とはおそらくずいぶんと違って、なんて退屈なデザインなんだろう、と感じてしまいます。
のちにミース、ライト、コルビジェなどの機能主義建築を批判して台頭したポストモダニズムの建築家(ヴェンチューリ)などはミースの"Less is more."を皮肉って"Less is bore."と言ってたそうですが、機能主義が拡散していけば、そういう面が必然的に目につくようになるのでしょう。
それは実用主義と言われているらしいグロピウスの建築の核心にも潜んでいる機能主義の本質なんじゃないかと思います。
私がグロピウスに少し興味を持った理由だった生活とアートの一体化というか、直接な強い結びつき、つまり日々の生活の必要であるとか、具体的な日々の活動や仕事の性質に適応した、いわば使用価値に結びついた建築のありようも、それが普遍性へ向かうには一つ一つの色や形、匂いや重量を消していって、いったん単純な要素に分解することによって、とりかえ可能な「便利」なものになり、これらの要素を再編成することによって、多様な生活、多様な活動に適応できる自在さを手に入れ、普遍性を獲得していくのでしょう。
どこか泥臭さを残した、手作り風の肌合いをもったグロピウスの靴工場にしても、最初からそういう要素の再編成という原理を内包していたはずで、だからこそ彼は機能主義建築の元祖のように言われるのでしょう。そうした建築的要素の具体的な素材として適した、鉄、コンクリート、ガラスが新しい時代の主役として使われ、ああいう建築が次々に生み出されていったようです。
いったん個別的、具体的な生活とか活動とかから離れ、要素に解体されたものを自在に組み合わせて、いわばTPOに合わせて再構成するような手法は、非常に自由度が高いし、高度の機能性の追求とそれを満たす柔軟で多様な形態を保証することになったのだろうと思います。
ただ、その具体的なものからの乖離の方向を強調していけば、less is more でどんどん余計なものをそぎ落として、シンプルにはなるけれど、しまいには色も形も匂いも重量も失った点と線だけみたいな抽象に行きつくのではないかと思います。
それはキャンバスに一本の切れ目を入れただけのフォンタナの絵みたいに、それでも「美」でありうるかもしれないけれど、もう生活や人々のさまざまな活動からも具体的な世界からも切り離され、あらゆる具象性、必要性、実体的なもの等々を失った抽象の世界にいってしまった何かだという気がします。
ミースのバルセロナ・パビリオンで私が興味を覚えたのは、赤い縞瑪瑙(オニキス)という複雑な文様ととても個性的な材質をもった石材を使った圧倒的な存在感を持つ壁を設けていることで、あのパビリオンを再現したときには、その石材がなくて、どこやらの国の使われなくなっていた石切り場みたいなところを再発掘して掘り出してようやく再現できたのだそうです。非常に抽象的な幾何学模様のようなミースのパビリオンの中で、あの石材を使った部分というのは、ミースはless is moreの方へ行っちゃったかもしれないけれど、もともとはやっぱりグロピウスの実用主義と同じ、生活や人間の諸活動の具体的な色や形、匂いや重量と結びついた本来的な機能主義の申し子だったという出自を示す、彼のお尻に残る蒙古斑のようなものだと思いました。
こうして我流で考えてみると、機能主義と実用主義は対立するものではなく、むしろ実用主義は機能主義の一部であって、機能主義を実用主義とは逆の方向へ突き詰めていけば、必然的に形式主義的な美の追求の方へ行って、機能主義の対極に位置するものに行きつくのではないかという気がします。機能を関係性を前提にした何らかの「はたらき」だとすれば、それ自体を突き詰めた極限値は、逆に何の「はたらき」も「関係性」も持たないスタティックな抽象性だということになるかと。
とまぁ、そんなことを妄想めいてあれこれ考えさせられるような二つの映画でした。
浅田さんにはたった一度、随分昔のことですが、パートナーと滋賀県の県立劇場へ、ピナ・バウシュだったかのダンスを見に行った帰りに、京阪の駅のホームのベンチに一人で座って何か資料を読みながら電車を待っている彼を見かけたことがありました。
もちろんそれよりさらにはるか昔、すでに『構造と力』がベストセラーになって彼の名も顔も知れ渡っていたから私たちにもすぐに彼だとわかりました。
いろんなジャンルの先端的なアートを発掘したり的確な批評を書いたりしている人でしたから、こうやってちょっと注目すべき公演などあると見ておかないといけないんだろうな、ああいう商売も大変だなぁ、と思ったことを記憶しています。
私たちはただ楽しみで、面白いものみたさに、たまにそんなものを見に行くだけなのですが、彼のような立場で、あれにもこれにも目配りして見ておかないと話にならない、というふうだと、もともとは好きで始めたことでも、義務的なことになってしまって大変だろうな、と思ったのです。
当然ながら知り合いでも何でもないので、そのとき一瞬みかけたというだけのことで、それ以来間近に見かけたのは今回がはじめてでした。
超秀才として若くしてデビューした彼ももう中年の域にさしかかっているはずですが、昨日見たところでは、多少髪が薄くなったほかは(失礼・・・)まだ大学院生だと言っても通用するんじゃないかと思われるくらい若く見えました。
なんだか学級崩壊した小学校のクラスにでもいそうな、先生の手に負えない、それでいて知的にはすごくおませな小学生みたいな印象で、怒って人に突っかかり怒鳴っているみたいな、はじけるような発声で、西洋人のようなジェスチュアも交えながら滔々と話す、その中身も相変わらずとんがっていて、知的エンターテインメントとしては大変面白いレクチャーでした。
言われていることも、語り口も非常に明晰だったので、分かりよく、当日多く来ていたと思われる学生さんたちにもよくわかったのではないでしょうか。とはいえ、聴衆が分かろうが分かるまいが誰々がどうしたこうした、こう言ってるが、というような横文字の人名がポンポン早口で出てくるので、そういう点では全部わかる人は相当この種のことに予備知識のある人だったでしょう。
もう時間がオーバーしているのでこのへんで、と言いつつ、質問が一つ出ると、むしろ質問を遮るように先走って語りだし、語りだすと自分で自分がコントロールできないんじゃないか、とこちらがちょっと危惧するほどノンストップで語りつづけ、ようやく区切りをつけると、今度はもう聴衆のことなど全部忘れてしまったようにさっさと部屋を出ていく淡々とした表情はいかにも浅田彰その人でありました(笑)。
私は彼よりも、彼が昨日チラッと口にした彼の伯父さんの浅田孝さんの方には、少し事情があって他の人達と一緒に同席させていただいて、時にはひとことふたこと言葉を交わす機会も何度かあったので、その名が出てきたときは久しぶりに思い出して、彰さんとはまた対照的に、どんと落ち着いて穏やかな、だけどどこか親分肌みたいな器量の大きさを感じさせた人のことを懐かしく思い出しました。
映画の1本目は、ミース・ファン・デル・ローエ、それもバルセロナ・パビリオンに焦点を絞り込み、その再現プロジェクトに関わった人物の話なども交えながら、ミースの建築と思想を追うドキュメンタリーで、的が絞れているので、分かりやすく、あまり建築史のことなど知らない私は啓蒙されるところがありました。ただ、出演者がみなミースを礼賛し、バルセロナ・パビリオンを口を極めて究極の建築美としてほめそやすのには少々鼻白むところがなきにしもあらずでした。
どんなにすごい天才で、どんなに空前絶後の建築美なのか知らないけれど、素人としては、ただ崇拝者が神格化した天才をほめそやし、その作品創造を神話化するのを見聞きするよりも、天才ではないふつうの専門家たちひとりひとりの異なる人物の眼を通して見たミースという人物やその建築を、もっともっと具体的に語ってほしかったな、という気はしました。
映画の2本目のほうは、バウハウスの本家本元グロピウスに焦点をあて、その時代から今も続いているという手作り職人たちがいまだにその技能を発揮するような靴工場を紹介したりしていて、なかなか面白かったし、浅田氏も触れていたように、ある意味で対照的な二人をこの2本の映画で見ることができたので、いろいろ考えさせられるところがありました。
前にも書いたように私がバウハウスに関心を持ったのは建築だけではなくアートを生活と結びつけるデザイン思想のようなものを通じてだったと思うし、劇場のことを考えているときにトータル・シアターという概念にも興味をもったからで、建築史の方から入ってモダン建築の代表選手だとか、機能主義建築の巨匠だとかいった観点はもともと私には希薄でした。
だから、あの靴工場のように、当時の工場のイメージからすれば画期的な、明るくて機能的、合理的で、洗練された、労働者にとって働きやすい仕事場だったのでしょうが、他方で生身の人間がそこで動き回り、汗をかいて仕事をする場としての具体性とそういってよければ泥臭さもどこかに保っているのが、私にはとても好ましく思われるのでした。
それに引き換え、人々が絶賛するミースのバルセロナ・パビリオンのような建築は、たしかに極度に洗練され、建築という本来実用的なものでありながら(実際、博覧会のパビリオンに使われたわけですから)、純粋な造形美を実現しているような形象の美しさは感じるけれども、それは建築がどこか生活の匂いを消して(失って)無色透明な抽象的な図形のようなものになってしまったようなところがあって、私自身の好みからすれば、好みではないということになって、バウハウスと言っても、ミースが出てくるとピンとこないところがあります。
もっとも、あれが博覧会のパビリオンだからあれでよかったのでしょうし、ああいう種類の施設はいわば「ハレ」の日のための建築であって、工場や商店や住宅のような「ケ」の世界の建築とは違っていいんだ、といえばいいのでしょう。
浅田さんはそのへんを建築史の言葉で、実用主義と機能主義のように対照的に言われているけれども、というふうに言っていたと思います。彼自身はそういう対立的な取り上げ方を相対化しているので、そう思っているわけではないけれども、グロピウスが実用主義というのも私などはしっくりこないし、機能主義という言葉もよくわからない言葉です。
機能主義というのはたぶんこの言葉が使われる分野によって、ずいぶん違った意味に用いられていて、機能主義とはこうだ、と共通の本質を端的に言い切ったような定義というのか説明というのがあるのでしょうかね。
「機能」って、平たく言えば何らかの「はたらき」でしょうから、「もの」じゃなくて、その作用をさしているわけで、作用には、はたらきかける側とはたらきかけられる側があるわけで、「もの」と「もの」との関係ということが前提になっていて、或る「もの」に着目するとしても、それがほかの「もの」にどんな作用を及ぼすのか、どんな「はたらき」をするのか、というところに価値を見出す考え方なんだろうな、と思います。
世界を全体とそれを構成する部分で見て、それが単なる集合ではなくて、或る秩序、何らかの構造をもって全体が成立していると考えるなら、一つ一つの「もの」(要素)を全体の方から見るとき、それが全体に対してどんな「はたらき」をするか、というふうに、或る要素はつねに他の要素のため或いは全体のためにどんな「はたらき」をしているか、ということによって、その価値を認められることになるのでしょう。
この「はたらき」をもつものを抽象的な要素などと言わずに、地べたへ引きずりおろして、生活の色や形を与え、においや質量を与えれば、「実用主義」ということになるのではないでしょうか。
ただ、逆に生活の色や形を消去し、匂いも重量も消していくと、抽象化された数学の点や線のようなもので描かれた図形のようなものになっていくのではないか。それはそれで美しい幾何学紋様が生まれるかもしれないのだけれど・・・
比喩的に文学のような言葉の芸術で考えてみると、書き言葉を美しい文字で表現して感性に訴えることができるけれど、これは言語の価値とは無関係で、書字の美という別の美的価値を構成するわけです。
一方、言葉の内側を覗いてみれば、何かその言葉によって指し示すはたらき、ふつうは意味といわれているものがあり、それと骨がらみの形で、認識で言えばより深いあるいはより高い認識にあたる表現における意識の高さ、深さといったものがあります。これは文学作品が評価されるときの根源に認められる価値につながっているものなのでしょう。
表現で考えるより、物を見るときの認識のほうでイメージする方が分かりやすい気がするのですが、ちょうど山を登っていくとだんだん市街地の景観が山麓の方に見えてくるみたいに、自分が高く登れば登るほど、地上の光景もそれにつれて変化してより市街地全体が視野のうちにとらえられます。認識とは逆に、表現の場合にも、それと同様に同じものを指し示す(描いて見せる)にしても、指し示す(描く)こちらの眼がどんな位置にあるかによって、描かれるものの姿かたちは違ってきます。
最初の、書字が美しいというのは言葉の表現価値とは関わりがないので、これはグロピウスもミースも余計な装飾なんか建築には必要ないんだと考えた、「装飾」にあたるかもしれません。書字を美的に表現していくことで書道みたいな別の芸術が生まれたように、それはそれで価値を認める人が出てくるでしょうけれど、少なくともミースやグロピウスのような世に機能主義建築といわれる一派の人たちはこれを排除する点では一致していた、といえるのではないでしょうか。
では世に実用主義のグロピウス、機能主義のミースと対照的に言われるような場合の二人の違いはこの比喩で言えばどうかといえば、きっとグロピウスは描く対象(指示性)を豊かに広げていくタイプだったのではないでしょうか。他方ミースの方は、むしろ描く対象(指示性)をうんと狭めて、その分のエネルギーを、自分の眼の位置をどんどん高めていくほうに費やしたんじゃないかな。それはもちろんどちらがよいとかどちらが正しいなんてことじゃなくて、タイプの違い、好みの違いというだけのことのような気がします。
浅田さんのレクチャーの中で、機能主義というのは一般的には、「機能的なものは美しい」ということでしょ、というふうな発言がありました。たしかにそんなふうに私も理解していたな、と思い出し、同時にそういう主張が頭にあったから、のちにデュシャンのエピソードについて知った時に、それとこの主張とが固く結びついた感じになったのを思い起こしました。
そのエピソードというのは、デュシャンが仲間のアーティストらと航空展へ行ったときのことで、デュシャンは熱心に展示を見て回った末に、「絵画は終わった、このプロペラに勝るものをいったい誰がつくれるか。どうだね、君は?」と傍らのブランクーシに言ったというのです。(正確に記憶してなかったので、ネットでこのエピソードに触れた文章があったので、彼の言葉はそれを引用させてもらって再現しました。)
デュシャンが衝撃を受けたのは、プロペラの形式美だけでなくて、それを支え、その美しさを生み出した航空機生産技術の機能性の追求の追い詰め方に、ほとんど究極的なもの、完璧さといった、人の手では及び難いものを感じたからでしょう。この時の衝撃が彼の「レディ・メイド」と呼ばれる一連の工業生産による既製品を自分の「作品」として提示することになった、という物語を私たちは聞かされてきたと思います。
ただ彼に衝撃を与えた既製品も、だれにでもすぐにわかるように、たくさん並べてみればみな同じで、何の変哲もない大量生産品であり、すぐに誰もそれが「美しい」などとは感じなくなってしまうでしょう。それは既にグロピウスの時代からバウハウスの薫陶を受けた建築家たちが設計した集合住宅の設計などを見れば明らかで、グロピウスの靴工場などは面白い建物だなとおもうけれど、他方でいまでいう団地の住宅群みたいなものを見ると、当時の感じ方とはおそらくずいぶんと違って、なんて退屈なデザインなんだろう、と感じてしまいます。
のちにミース、ライト、コルビジェなどの機能主義建築を批判して台頭したポストモダニズムの建築家(ヴェンチューリ)などはミースの"Less is more."を皮肉って"Less is bore."と言ってたそうですが、機能主義が拡散していけば、そういう面が必然的に目につくようになるのでしょう。
それは実用主義と言われているらしいグロピウスの建築の核心にも潜んでいる機能主義の本質なんじゃないかと思います。
私がグロピウスに少し興味を持った理由だった生活とアートの一体化というか、直接な強い結びつき、つまり日々の生活の必要であるとか、具体的な日々の活動や仕事の性質に適応した、いわば使用価値に結びついた建築のありようも、それが普遍性へ向かうには一つ一つの色や形、匂いや重量を消していって、いったん単純な要素に分解することによって、とりかえ可能な「便利」なものになり、これらの要素を再編成することによって、多様な生活、多様な活動に適応できる自在さを手に入れ、普遍性を獲得していくのでしょう。
どこか泥臭さを残した、手作り風の肌合いをもったグロピウスの靴工場にしても、最初からそういう要素の再編成という原理を内包していたはずで、だからこそ彼は機能主義建築の元祖のように言われるのでしょう。そうした建築的要素の具体的な素材として適した、鉄、コンクリート、ガラスが新しい時代の主役として使われ、ああいう建築が次々に生み出されていったようです。
いったん個別的、具体的な生活とか活動とかから離れ、要素に解体されたものを自在に組み合わせて、いわばTPOに合わせて再構成するような手法は、非常に自由度が高いし、高度の機能性の追求とそれを満たす柔軟で多様な形態を保証することになったのだろうと思います。
ただ、その具体的なものからの乖離の方向を強調していけば、less is more でどんどん余計なものをそぎ落として、シンプルにはなるけれど、しまいには色も形も匂いも重量も失った点と線だけみたいな抽象に行きつくのではないかと思います。
それはキャンバスに一本の切れ目を入れただけのフォンタナの絵みたいに、それでも「美」でありうるかもしれないけれど、もう生活や人々のさまざまな活動からも具体的な世界からも切り離され、あらゆる具象性、必要性、実体的なもの等々を失った抽象の世界にいってしまった何かだという気がします。
ミースのバルセロナ・パビリオンで私が興味を覚えたのは、赤い縞瑪瑙(オニキス)という複雑な文様ととても個性的な材質をもった石材を使った圧倒的な存在感を持つ壁を設けていることで、あのパビリオンを再現したときには、その石材がなくて、どこやらの国の使われなくなっていた石切り場みたいなところを再発掘して掘り出してようやく再現できたのだそうです。非常に抽象的な幾何学模様のようなミースのパビリオンの中で、あの石材を使った部分というのは、ミースはless is moreの方へ行っちゃったかもしれないけれど、もともとはやっぱりグロピウスの実用主義と同じ、生活や人間の諸活動の具体的な色や形、匂いや重量と結びついた本来的な機能主義の申し子だったという出自を示す、彼のお尻に残る蒙古斑のようなものだと思いました。
こうして我流で考えてみると、機能主義と実用主義は対立するものではなく、むしろ実用主義は機能主義の一部であって、機能主義を実用主義とは逆の方向へ突き詰めていけば、必然的に形式主義的な美の追求の方へ行って、機能主義の対極に位置するものに行きつくのではないかという気がします。機能を関係性を前提にした何らかの「はたらき」だとすれば、それ自体を突き詰めた極限値は、逆に何の「はたらき」も「関係性」も持たないスタティックな抽象性だということになるかと。
とまぁ、そんなことを妄想めいてあれこれ考えさせられるような二つの映画でした。
浅田さんにはたった一度、随分昔のことですが、パートナーと滋賀県の県立劇場へ、ピナ・バウシュだったかのダンスを見に行った帰りに、京阪の駅のホームのベンチに一人で座って何か資料を読みながら電車を待っている彼を見かけたことがありました。
もちろんそれよりさらにはるか昔、すでに『構造と力』がベストセラーになって彼の名も顔も知れ渡っていたから私たちにもすぐに彼だとわかりました。
いろんなジャンルの先端的なアートを発掘したり的確な批評を書いたりしている人でしたから、こうやってちょっと注目すべき公演などあると見ておかないといけないんだろうな、ああいう商売も大変だなぁ、と思ったことを記憶しています。
私たちはただ楽しみで、面白いものみたさに、たまにそんなものを見に行くだけなのですが、彼のような立場で、あれにもこれにも目配りして見ておかないと話にならない、というふうだと、もともとは好きで始めたことでも、義務的なことになってしまって大変だろうな、と思ったのです。
当然ながら知り合いでも何でもないので、そのとき一瞬みかけたというだけのことで、それ以来間近に見かけたのは今回がはじめてでした。
超秀才として若くしてデビューした彼ももう中年の域にさしかかっているはずですが、昨日見たところでは、多少髪が薄くなったほかは(失礼・・・)まだ大学院生だと言っても通用するんじゃないかと思われるくらい若く見えました。
なんだか学級崩壊した小学校のクラスにでもいそうな、先生の手に負えない、それでいて知的にはすごくおませな小学生みたいな印象で、怒って人に突っかかり怒鳴っているみたいな、はじけるような発声で、西洋人のようなジェスチュアも交えながら滔々と話す、その中身も相変わらずとんがっていて、知的エンターテインメントとしては大変面白いレクチャーでした。
言われていることも、語り口も非常に明晰だったので、分かりよく、当日多く来ていたと思われる学生さんたちにもよくわかったのではないでしょうか。とはいえ、聴衆が分かろうが分かるまいが誰々がどうしたこうした、こう言ってるが、というような横文字の人名がポンポン早口で出てくるので、そういう点では全部わかる人は相当この種のことに予備知識のある人だったでしょう。
もう時間がオーバーしているのでこのへんで、と言いつつ、質問が一つ出ると、むしろ質問を遮るように先走って語りだし、語りだすと自分で自分がコントロールできないんじゃないか、とこちらがちょっと危惧するほどノンストップで語りつづけ、ようやく区切りをつけると、今度はもう聴衆のことなど全部忘れてしまったようにさっさと部屋を出ていく淡々とした表情はいかにも浅田彰その人でありました(笑)。
私は彼よりも、彼が昨日チラッと口にした彼の伯父さんの浅田孝さんの方には、少し事情があって他の人達と一緒に同席させていただいて、時にはひとことふたこと言葉を交わす機会も何度かあったので、その名が出てきたときは久しぶりに思い出して、彰さんとはまた対照的に、どんと落ち着いて穏やかな、だけどどこか親分肌みたいな器量の大きさを感じさせた人のことを懐かしく思い出しました。
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