2019年11月
2019年11月29日
霊鑑寺・安楽寺・法然院の紅葉
バス停の錦林車庫前で降りて東へ疎水を越えてもう少し行くとじきに霊鑑寺門跡というお寺につきあたります。臨済宗南禅寺派に属する尼門跡寺院だそうで、格式の高いお寺ですね。平生は一般公開していないらしいのですが、秋の特別拝観ということで1日まで公開しているというので、今日、紅葉見物ということで訪ねてみました。階段のぼるのがちょっとしんどかったけど(笑)
山の斜面に作られたこぢんまりしたお寺ですが、1654年(承応3年)に後水尾天皇が「円成山霊鑑寺」の山号と寺号を勅許され、皇女浄法身院宮宗澄を得度入寺させたことに始まる由緒ある寺で、明治維新まで5人の皇女皇孫が入寺されたそうで、そうした身分の高い方の品々のいくつかが残されて展示されています。
これは入館の時いただいたチラシからとったものですが、こういう御所人形もありました。
,紅葉も盛りを少し過ぎていますが、地面に敷き詰められたような落葉も含めてなかなか風情がありました。
紅葉の絨毯。
常緑樹も多いので、とくに全山紅葉というのではないけれど、深紅の紅葉がところどころ強いアクセントになって回遊して視野が変わっていくと楽しい。
裏山の垣根の向こうに立っている、高さ18mとかいう楓の巨木。楓にもいろんな種類があるようです。
通路の脇にこんなすてきなもみぢのしつらえも。
特別拝観のお目当てはこの書院上段の間です。絵葉書もなし、写真も撮れないので、入場のときもらったチラシに掲載された小さな写真を撮らせてもらいました。
御座敷の中へは入れないので、奥の間の襖絵とかほとんど見えないし、天井にどんな細工があるとか、いろいろ解説してくださるのですが、この手前にもう一つお座敷を挟んで廊下のほうで見学しているので、いくら頭を床にくっつけても定かには見えません。ただただ有り難いものがあると思え、ってことなんでしょうね(笑)。
しかし、上の写真の手前の部屋の襖絵は近いので、目の前で見ることができました。これはとても素晴らしい襖絵で、狩野永徳、狩野元信、円山応挙の描いたものだとのことでした。間近に胡粉を盛り上げた筆致まで仔細に見ることができました。日本がはもっとさらりと絵の具を使う平面的な筆づかいなんだろうと思っていましたが、油絵なみに積み上げて塗り上げているので新鮮な衝撃でした。これも絵葉書もなければ写真ももちろん撮れないので、寺のチラシを拝借。
やっぱり永徳だの元信だの応挙だとのいった名手たちも、生きた花を見て、その生命の持つ独特の輝きに感動して、なんとかそれを絵の中に表現したいと思って、いろんな描き方やら画材(絵具)やらを苦労して見つけていったんでしょうね。油絵具みたいに花の茎や花弁の色塗りが盛り上がったまま、削り跡もそのままにひからびているのが印象的でした。
私がツワブキの花の色がどうしても出ないので、クレヨンを削った粉を載せて押し付けて盛り上がったその粉で何とか色を出そうとしたのは間違ってなかったかも(笑)
これもチラシなのですが、ご本尊の如意輪観音様。拝観できたのですが、祭ってある祭壇は暗いし、こちらとは少し距離があるし、像が小さいので、下から一所懸命覗いても定かに見えないのです。でもいい感じの観音さまです。亡母によれば観音様は私の守り神なので、御賽銭をあげてお参りいたしました。
霊鑑寺を出て山を下りずにそのまま北へ行くとすぐ近くに安楽寺という、門前両側に紅葉が美しく、石段にも紅葉が散り敷かれて美しいお寺があったので、ここにも寄ってみました。
安楽寺の庭。卵みたいな形に刈り込んだ緑で埋め尽くされた庭ですが、紅葉のアクセントがありました。
このお寺は回廊を歩いて見える光景が面白かった。
やっぱり門の石段のところが一番綺麗。
安楽寺からさらに北へ上がっていくと法然院です。何度も訪れましたが、今紅葉はどうかな、とまた訪ねてみました。
この間来たときは半分は緑だった楓が見事に紅葉していました。
一番綺麗だったのは、本堂の裏の塔のところで、ちょうど夕陽を浴びて輝く紅葉でした。
疎水まで下りてあとは哲学の道を銀閣寺道まですこし。先日も綺麗だったピンクの椿(これ山茶花かなぁ・・・)が満開。
同じ写真の一部です。
白い椿が綺麗に咲いていたところも、まだ同じように咲いていました。背後にはイチョウが見え、手間は疎水に沿った桜並木の枝が見えています。桜は紅葉してもうほぼ散ってしまい、疎水自体での紅葉見物の時期は終わったと言っていいけれど、寒い日にもかかわらず、相変わらず外国人観光客がたくさん歩いていました。
銀閣寺道から204番の北行きバスの停留所がある交差点のほうへ歩いていくと、左手(南側)の駐車場らしいところ付近に大きなイチョウの木が何本かあって、夕陽を浴びて黄金色に輝いていました。
家の近くでバスを降りて見えた比叡山も、紅葉のせいか、夕陽のせいか、赤く輝いて見えました。
saysei at 21:22|Permalink│Comments(0)│
2019年11月28日
宝鏡寺門跡の紅葉
今年も京都のいくつかの社寺が秋の特別拝観をして、その期間もそろそろ終わります。紅葉見物にどうせならまだ一度も訪れたことのない寺を、と思ってネットを見ていたら、以前に訪ねた本法寺や妙学寺、妙顕寺などに近い堀川寺之内に宝鏡寺という門跡があることに気づいて、昨日の午後、散歩がてらに訪ねました。
このお寺は尼門跡ということで皇室ゆかりの格式の高い寺で、宮中から贈られたという素晴らしい人形を所蔵していて、今回それも公開していました。
中でも御所人形の万勢伊勢(絵葉書の中央)、そのおつきの「おとらさん」(左)が素晴らしかった。身分の高い万勢伊さんは知的で芯のしっかりした顔立ち、おつきのおとらさんは親しみやすい庶民顔。右は「孝明さん」で、さすがに気品に満ちた表情です。
ビデオで昔の皇女の遊びなども再現していましたが、筒状の壺みたいなのに豆を入れて耳元で振って豆の数を推て、一、二、三などと書かれた札を置いて、数があたったら勝ち、みたいな遊びを「耳香」と言ったとか、競馬をかたどった人形につけた香が何かを推て、当たったら馬を一コマ進められる遊びだとか、とても面白かった。
肝心の紅葉のほうも、庭は小さいけれど、いろはもみじが美しく紅葉していました。葉の落ちる地面は苔で埋め尽くされていて、これも綺麗です。
紅葉も紅葉だけを見ているより、こうして建物の柱や庇、匂襴越しに見る方がいいですね。
回廊の角を曲がるあたりの紅葉が深紅に色づいてとても綺麗でした。
角を曲がれば鶴亀の庭とか。皇女和宮が幼い頃に遊んだところだそうです。
中庭には黄色い葉の楓も。これも見事でした。
可愛らしい椿の木が花を咲かせていました。
木戸や土塀越しに、あるいは廊下の奥にちらっと見える紅葉もまた風情があって、とてもよかた。
これは帰りにちょっと寄った妙蓮寺の門を入ってすぐにところで咲いていた桜だと思うのですが、もし桜だとすれば大原・実光院の不断桜と同じ冬に咲く桜でしょうか。
行き帰りに見た堀川通のイチョウが黄葉して、とても綺麗でした。
saysei at 11:57|Permalink│Comments(0)│
2019年11月26日
良いニュース♪
いやなニュースが多い昨今ですが、この数日、いいニュースがいくつかありました。
・突然姿を消して心配されていた大阪の小学校6年生の女の子が見つかって、無事に帰宅することができたこと。
・羽生結弦、紀平梨花両選手がNHK杯ですばらしい演技を見せてくれたこと。
・香港の区議選で民主派が圧倒的な勝利をおさめたこと。
・「バビロン ベルリン」が今もドイツで続編を製作中らしく、来年には続きがみられそうなこと。
・某OGが1月には赤ちゃん誕生の予定だと知らせてくれたこと。
最初のニュースは日本中の人がほっと胸をなでおろしたニュースでしたが、これからも親の知らないところでSNSを介したこの種の事件が頻繁に発生することは確実で、家庭や学校での指導やスマホやアプリを作る企業の技術的な歯止め策、あるいは法的な対処を早く進めないと、事態の進展に追いついていけなくなってしまうでしょう。
小学生どころか、大学生でも、私が大学に勤務していた最初の10年間くらい、その当時の情報機器の使用状況についてかなり詳しいアンケートをとって、スマホが出たらスマホについて、LINEが普及してきたらLINEのことも加えて修正しながら動向を追っかけていたことがありましたが、20年近く前でも、大学1年生で直接には接触したことのない「メル友」を持っている女子大生が結構いて、きっかけは男性から一方的にメールが来てやりとりするようになった、というのがほとんどで、そんな見ず知らずの人間にオフで誘われて直接「会った」という学生も少数ながらあり、「会ってみたい」と答えた人はさらにその何倍もいて、驚いたことがあります。
彼女たちはおそらく親御さんが「大学生ともなればもう大人だから」と考えておられるよりも、そういう問題に関してははるかに無防備だと痛感しました。メル友だけじゃなくて、申し込みもしないものを送ってきて買わされたり、エステサロンで100万円単位の契約をさせられたり、わけのわからない交流サロンみたいなのに誘われて一種のマルチ商法の網に引っかかったり、という学生さんも実際にいて、教室で一般的な警告を発するだけではもう手遅れなので、既にそういう罠に落ちたケースを一つ一つ見つけては潰したり断ち切ったりするのに結構エネルギーを費やした時期もあります。
大学での勉強でも、既に1年生での様子を見ていれば、その数年後の状況が明らかなので、あるときは親御さんに、これは大学の授業についていけるとかいけないとかいう学力の問題ではなくて、生活習慣の問題で、大学へ入って高校までの規則正しい生活のフレームが急になくなって、戸惑っているんだから、少し注意して見守ってやってくれるように、できるかぎりソフトにほのめかして気づいてくれよと祈るような気持ちで「お手紙」を差し上げたりしたこともあったけれど、クラスの最も心配な7-8人の親御さんに出して、手紙またはメールで返事があったのは2人だけ。それも両方とも「もう大学生ともなれば大人なので、本人にまかせていますので・・・」というお返事。
こうしてご両親が朝早くお勤めに出られてから本人は夜遊びあるいはバイトにし過ぎで起きられず、誰も起こしてせっついてくれる人もいないので、遅刻または欠席の常習犯となり、どんどん生活習慣はだらしなくなり、1年生のときに5つ6つ単位を落としたってあと3年間もあるんだし、必修単位数は少ないから楽勝じゃん、と甘く見ています。
ところが2年で取り戻そうにも、2年は一番授業が詰まっている時期だし、2年生は2年生のカリキュラムが組んであって、自分が落とした1年生用の授業を再履修しようにも時間が合わずに受けられなかったり、受けられても同じ授業を受けるのは退屈でもあるから、学生生活に慣れてたかをくるくるようになっているために、ますますさぼりぐせもついているから、2年生で落とす単位数はさらに拡大します。
3年生でとりかえそうにも、3年になるとゼミもあるし、ぼちぼち就活も始まる、しかも自分は授業の多かった1,2年生よりも公式には縛られる曜日、時間帯が少ないからアルバイトにのめり込んでしまっている。・・・これが180人くらいいる1学年の中で卒業できなくなる10人くらいの典型的なパターンだったのではないかと思います。学科の卒業要件がそのころはひどく甘かったから、それでも運よくすり抜けていく子もいたけれど、私がこの親もこの子も甘いな、と思っていた学生さんは、私がフォローしえた限りでは、やっぱり・・・という結果になってしまっていたように思います。
だからといって、たしかにもう20歳前後にもなった子の行動に、いちいち親の責任でしょ、というわけではありません。だけど、そういう幼児に言って聞かせるような生活習慣のことをやかましく指導するのが大学教員の役目かといえば、そうとは思えないのですが・・・
いや、なんだか話が良いニュースの話からとんでもない方向へ行ってしまったようです。
今日は天気もどんより曇り空だったし、ちょっと本屋さんへ散歩に出ただけで、あとは家の中で先日から読んでいる山本健吉の「芭蕉全発句」を読んでいました。さらっと読むだけでは全然頭に入ってこないし、詠まれた情景さえ浮かんでこないで素通りしてしまいそうだから、ほとんど全句をそのまま書き写しています。先日コピーした道風の「高野切れ」の仮名文字を手本にした習字のお稽古を兼ねて筆ペンで(笑)。
そこに集められた芭蕉の句は973句、いままで読んで書き写したのがおよそ500句ほど。芭蕉が生涯に詠んだ句は1000句ちょっとだったろうと言われているらしいから、半分くらいは今回写して、今までのところで目を通したことになります。もちろん小学校以来、芭蕉の句はちょくちょくお目にかかっているのは日本人なら誰でも同じでしょうが、彼の発句を全部読んでみようと思ったのは今回が初めてで、しらみつぶしに読んでいくと結構面白い。なんか名句ばかりいくつか繰り返し見せられてきて、抽象的な深みのある句をつくる俳聖と言われるにふさわしい俳句という「文学」表現の達人みたいな印象をもっていたけれど、山本健吉の言ったらしい「挨拶」「滑稽」「即興」の3要素が行き当たりばったり次々に出てきて、こりゃだいぶイメージが変わるなぁ、って思いながら読んでいます。こんなことならもっと早く全部読んでおくのだった(笑)。まぁ発句だけ読んでも、座の文學としての俳諧の本質はわからないし、そういう「連句的・生活協同体的」な世界で生きた芭蕉を理解することには直結しないとは思いますが、俳句というのも奇怪な表現様式ではありますね。
俳句などに興味はまったくなかったのですが、民俗学をやっていた友人が俳句に興味をもって、俳句の専門誌に俳諧論を書いたり、自分でも俳句を捻ったりして、著書にもその手のものがあって感想を書いたりしたことがあったのが、少し読んでみようかと思ったきっかけです。これまでは小説や詩を読むのと変わりない方法で、つまり俳句の五七五をただ選択・強調・転換・喩、といった言語表現の基本的な方法だけで分析できなくちゃおかしいだろ、と思って読んできたのですが、具体的な作品に向き合うと、やっぱり俳句の場合は表現の背後にある「連句的・生活協同体的」世界を抜きにすると、その言葉の意味自体がわからないので、そこをどう言語表現一般の方法のほうから位置付けて読めるか、というのは考えてみる方がいいな、と思って、どうせなら一番大物で、と(笑)。まぁここから、蕪村へあるいは遡って宗因だの貞徳だのへ行ってみたいとは思っているのですが・・・そしたら少しは友人と俳句のことがまともにおしゃべりできるようになるかな、と思って楽しみ
にしています。
きょうの夕食。メインディッシュはサワラのポワレ。ボルチーニ茸やクミンの味と香りがよくきいたクリームをかけてくれたので、美味しくいただけました。
これは何度も登場して定番になりかけていますが、トマトをおろしたのとホタテ。
これは玉葱やキャベツ、レタス、キュウリなどの野菜にリンゴやクルミも載せた生野菜のサラダ。鳴門オレンジドレッシングでいただくと、とても美味しくいただけました。あとはいつものブロッコリ。
・突然姿を消して心配されていた大阪の小学校6年生の女の子が見つかって、無事に帰宅することができたこと。
・羽生結弦、紀平梨花両選手がNHK杯ですばらしい演技を見せてくれたこと。
・香港の区議選で民主派が圧倒的な勝利をおさめたこと。
・「バビロン ベルリン」が今もドイツで続編を製作中らしく、来年には続きがみられそうなこと。
・某OGが1月には赤ちゃん誕生の予定だと知らせてくれたこと。
最初のニュースは日本中の人がほっと胸をなでおろしたニュースでしたが、これからも親の知らないところでSNSを介したこの種の事件が頻繁に発生することは確実で、家庭や学校での指導やスマホやアプリを作る企業の技術的な歯止め策、あるいは法的な対処を早く進めないと、事態の進展に追いついていけなくなってしまうでしょう。
小学生どころか、大学生でも、私が大学に勤務していた最初の10年間くらい、その当時の情報機器の使用状況についてかなり詳しいアンケートをとって、スマホが出たらスマホについて、LINEが普及してきたらLINEのことも加えて修正しながら動向を追っかけていたことがありましたが、20年近く前でも、大学1年生で直接には接触したことのない「メル友」を持っている女子大生が結構いて、きっかけは男性から一方的にメールが来てやりとりするようになった、というのがほとんどで、そんな見ず知らずの人間にオフで誘われて直接「会った」という学生も少数ながらあり、「会ってみたい」と答えた人はさらにその何倍もいて、驚いたことがあります。
彼女たちはおそらく親御さんが「大学生ともなればもう大人だから」と考えておられるよりも、そういう問題に関してははるかに無防備だと痛感しました。メル友だけじゃなくて、申し込みもしないものを送ってきて買わされたり、エステサロンで100万円単位の契約をさせられたり、わけのわからない交流サロンみたいなのに誘われて一種のマルチ商法の網に引っかかったり、という学生さんも実際にいて、教室で一般的な警告を発するだけではもう手遅れなので、既にそういう罠に落ちたケースを一つ一つ見つけては潰したり断ち切ったりするのに結構エネルギーを費やした時期もあります。
大学での勉強でも、既に1年生での様子を見ていれば、その数年後の状況が明らかなので、あるときは親御さんに、これは大学の授業についていけるとかいけないとかいう学力の問題ではなくて、生活習慣の問題で、大学へ入って高校までの規則正しい生活のフレームが急になくなって、戸惑っているんだから、少し注意して見守ってやってくれるように、できるかぎりソフトにほのめかして気づいてくれよと祈るような気持ちで「お手紙」を差し上げたりしたこともあったけれど、クラスの最も心配な7-8人の親御さんに出して、手紙またはメールで返事があったのは2人だけ。それも両方とも「もう大学生ともなれば大人なので、本人にまかせていますので・・・」というお返事。
こうしてご両親が朝早くお勤めに出られてから本人は夜遊びあるいはバイトにし過ぎで起きられず、誰も起こしてせっついてくれる人もいないので、遅刻または欠席の常習犯となり、どんどん生活習慣はだらしなくなり、1年生のときに5つ6つ単位を落としたってあと3年間もあるんだし、必修単位数は少ないから楽勝じゃん、と甘く見ています。
ところが2年で取り戻そうにも、2年は一番授業が詰まっている時期だし、2年生は2年生のカリキュラムが組んであって、自分が落とした1年生用の授業を再履修しようにも時間が合わずに受けられなかったり、受けられても同じ授業を受けるのは退屈でもあるから、学生生活に慣れてたかをくるくるようになっているために、ますますさぼりぐせもついているから、2年生で落とす単位数はさらに拡大します。
3年生でとりかえそうにも、3年になるとゼミもあるし、ぼちぼち就活も始まる、しかも自分は授業の多かった1,2年生よりも公式には縛られる曜日、時間帯が少ないからアルバイトにのめり込んでしまっている。・・・これが180人くらいいる1学年の中で卒業できなくなる10人くらいの典型的なパターンだったのではないかと思います。学科の卒業要件がそのころはひどく甘かったから、それでも運よくすり抜けていく子もいたけれど、私がこの親もこの子も甘いな、と思っていた学生さんは、私がフォローしえた限りでは、やっぱり・・・という結果になってしまっていたように思います。
だからといって、たしかにもう20歳前後にもなった子の行動に、いちいち親の責任でしょ、というわけではありません。だけど、そういう幼児に言って聞かせるような生活習慣のことをやかましく指導するのが大学教員の役目かといえば、そうとは思えないのですが・・・
いや、なんだか話が良いニュースの話からとんでもない方向へ行ってしまったようです。
今日は天気もどんより曇り空だったし、ちょっと本屋さんへ散歩に出ただけで、あとは家の中で先日から読んでいる山本健吉の「芭蕉全発句」を読んでいました。さらっと読むだけでは全然頭に入ってこないし、詠まれた情景さえ浮かんでこないで素通りしてしまいそうだから、ほとんど全句をそのまま書き写しています。先日コピーした道風の「高野切れ」の仮名文字を手本にした習字のお稽古を兼ねて筆ペンで(笑)。
そこに集められた芭蕉の句は973句、いままで読んで書き写したのがおよそ500句ほど。芭蕉が生涯に詠んだ句は1000句ちょっとだったろうと言われているらしいから、半分くらいは今回写して、今までのところで目を通したことになります。もちろん小学校以来、芭蕉の句はちょくちょくお目にかかっているのは日本人なら誰でも同じでしょうが、彼の発句を全部読んでみようと思ったのは今回が初めてで、しらみつぶしに読んでいくと結構面白い。なんか名句ばかりいくつか繰り返し見せられてきて、抽象的な深みのある句をつくる俳聖と言われるにふさわしい俳句という「文学」表現の達人みたいな印象をもっていたけれど、山本健吉の言ったらしい「挨拶」「滑稽」「即興」の3要素が行き当たりばったり次々に出てきて、こりゃだいぶイメージが変わるなぁ、って思いながら読んでいます。こんなことならもっと早く全部読んでおくのだった(笑)。まぁ発句だけ読んでも、座の文學としての俳諧の本質はわからないし、そういう「連句的・生活協同体的」な世界で生きた芭蕉を理解することには直結しないとは思いますが、俳句というのも奇怪な表現様式ではありますね。
俳句などに興味はまったくなかったのですが、民俗学をやっていた友人が俳句に興味をもって、俳句の専門誌に俳諧論を書いたり、自分でも俳句を捻ったりして、著書にもその手のものがあって感想を書いたりしたことがあったのが、少し読んでみようかと思ったきっかけです。これまでは小説や詩を読むのと変わりない方法で、つまり俳句の五七五をただ選択・強調・転換・喩、といった言語表現の基本的な方法だけで分析できなくちゃおかしいだろ、と思って読んできたのですが、具体的な作品に向き合うと、やっぱり俳句の場合は表現の背後にある「連句的・生活協同体的」世界を抜きにすると、その言葉の意味自体がわからないので、そこをどう言語表現一般の方法のほうから位置付けて読めるか、というのは考えてみる方がいいな、と思って、どうせなら一番大物で、と(笑)。まぁここから、蕪村へあるいは遡って宗因だの貞徳だのへ行ってみたいとは思っているのですが・・・そしたら少しは友人と俳句のことがまともにおしゃべりできるようになるかな、と思って楽しみ
にしています。
きょうの夕食。メインディッシュはサワラのポワレ。ボルチーニ茸やクミンの味と香りがよくきいたクリームをかけてくれたので、美味しくいただけました。
これは何度も登場して定番になりかけていますが、トマトをおろしたのとホタテ。
これは玉葱やキャベツ、レタス、キュウリなどの野菜にリンゴやクルミも載せた生野菜のサラダ。鳴門オレンジドレッシングでいただくと、とても美味しくいただけました。あとはいつものブロッコリ。
saysei at 23:52|Permalink│Comments(0)│
多和田葉子著『献灯使』をよむ
講談社文庫版の『献灯使』には5本の中短編が収められています。いずれも、おそらく東北大震災における福島原発事故に触発された…触発というのは語弊があるかもしれませんが、それと明記はされていなくても放射線におる汚染らしいものによって世界もそこで生きる人間の生活も、人間そのものの身体も物の感じ方や考え方もみな変わってしまった、そんな「それ以後の世界」を描いた作品です。
非常に密度の高い言語で書かれた優れた文学だと思うけれど、読んで感動した、心を動かされた、という感じかたではなくて、こちらの心の皮膚が傷つけられてひりひりと痛むようなところがあります。最も完成度の高い作品は冒頭の表題作「献灯使」ですが、そこに描かれているのは、曾祖父と曽孫との、一見何でもない日常生活とその中でのやりとりです。ある意味で大きな事件など何も起こらない。それはすでに起きてしまっているのです。
だから、終わりもなければ始まりもない、延々と続く日常性がそこにあるだけですが、その日常性がとんでもなくコワイ。よく近未来のこういう世界を描く作品をディストピア小説などと言いますが、それだけのものなら、はるか昔から、SFやSFマンガでは「核戦争後」の世界が描かれてきましたし、そこでは残留放射能に怯えながら生き残った人間たちが、その核に破壊され汚染された残骸しかない現代の荒野でどうサバイバルしていくか、といったことが多くの作品でとっくに描かれてきたように思います。
ある意味でそうした作品群と、この「献灯使」の世界とは共通の前提を持っています。それは、核戦争の結果であれ、原発事故の結果であれ、またそれ以外の「想定外」の原因によって導かれた結果であれ、これからの人間は多かれ少なかれ、そうした「汚染」された世界で生きていくほかはない、という認識でしょう。
この作品が構図としてはかつてのSFやSFマンガと共通しながら、いまさらのようにそんな世界を描きながら、なぜコワイのかというと、それは決して福島原発事故で「汚染」される恐怖を現実的なものとしてあらためて味わったからではなく、作者がそのような世界を、放射能のような外在的な汚染の恐怖にさらされる人間たちの物語としてではなく、そこに生きる私たちの日々の生活、肉親とのかかわり、自分自身の心身のすべてが、すでに内側から「汚染」されてしまった、その日常生活、肉親とのかかわり、自分の心身の変容として描いているからではないかと思います。
「汚染」は若い世代の身体を蝕んでいると同時に、老人を逆に死ぬに死ねない身体に変容させているのですが、同時に九十歳を超えた義郎は、一緒に避難生活を送っている曽孫「無名」の世話をしながら、もし自分の方が先に死んでしまったら無名はどうなうだろうかと心配してもいるのです。
「一時流行した東京野菜」のひとつ、蓼を買わされた義郎は一緒に暮らす曽孫の無名に食べさせようと調理します。
蓼は鮎と相性が良いと聞いていたが、汚染度が高いと言われる魚を無名に食べさせる気にはなれなかったので湯豆腐と組み合わせてみた。
「ごめん、まずいね」
と後悔のかゆさに耐えきれず頭皮をポリポリ掻きながら無名に謝ると、無名が不思議そうな顔をして、
「まずいとか、美味しいとかあんまり気にしないんだ、僕たち」
と答えた。義郎は自分の浅はかさを思わぬ方角から指摘され、恥ずかしさに息がつまった。若い人に批判されると腹を立てる老人が多いが、義郎は無名には全く腹がたたなかった。むしろ自分たち老人が自覚なしに若い人たちを頻繁に傷つけていると思うと胸が痛んだ。「これはおいしい」とか「これはまずい」とかそんなことばかり言って、まるでグルメは階級が上なのだというような高慢さで、みんなが同じように腰まで浸かっている問題沼を忘れようとする大人の姿は、子供の目にはどんな風に映っているのだろう。毒素には味のしないものがたくさんあるのだから、いくら味覚を研ぎ澄ましても命を守ることはできない。
無名たち「汚染」された若い世代には、もう食べ物が「まずいとか、美味しいとか」いったことは意味がなくなっている、そのことに「それ以前の世界」をひきずっている老人たちは鈍感で、自覚せずに若い世代を傷つけている、といった状況が描かれています。こういうさりげなく描かれる生活の、関係の、感覚の、内側からの「変容」が何よりわたしたち読者に恐怖を感じさせるように思います。
こうした「変容」を目に見えるすさまじい形で描いているのは、無名の母(義郎の息子飛藻が連れてきて結婚し無名を生んで死んだ「鶴のように美しい女性」)の死んだときの描写です。
ところが無名の母親の死後五日目に義郎は、安らぎの冷凍室に呼び出され、遠方から招かれた専門家二人と話をすることになった。一人は遺体に望ましくない異変が起こったのでこのまま保存しておくよりもすぐに燃やしてしまった方がいいと言い、もう一人は研究のために遺体を解剖しホルマリン漬けにすることを許可してほしいと申し出た。義郎にはどのような異変なのか見当もつかなかった。素人の言葉で質問を重ねても、映像のはっきり浮かぶような答えが返ってこないので、自分の目で確かめてからでなければ火葬にもホルマリン漬けにもできない、と義郎が強く出ると、専門家はしぶしぶ遺体のところに連れていってくれた。嫁の姿を一目見て、あっと声をあげ、義郎は鼻と口を片手で押さえてうつむいた。自分の見たものが信じられず、おそるおそる視線を戻すと、初めの印象ほど驚愕させる姿ではなかった。むしろ美しいと言ってもいい姿だった。その時実際に見た姿を後で正確に再現することは不可能になった。と言うのは、記憶の中でその身体は成長し、変化し続けた。顔の中心が尖って、嘴になっていった。肩の筋肉がもりあがって白鳥のような羽根が生えてきた。いつの間にか、足の指がにわとりの足の指のようになっていた。
義郎の妻、無名の曾祖母にあたる鞠華は義郎同様に無名を愛しながら、自分が関わっている児童施設で「優秀な子供を選び出して使者として海外に送り出す極秘の民間プロジェクト」の子供に選ばれるリスクを無名に追わせることなく、彼が義郎と平穏な日々を過ごしてほしいと二人のもとを去って「内緒の楽しさを分かち合う血まみれの血族と縁を切り」、自分の「本当の家族は、喫茶店で偶然出逢った人たち」、自分の「子孫は、施設で暮らす独立児童たち」と考えて二人のもとを去っていきます。
この鞠華の回想にもなかなかすさまじいイメージが登場します。
こんなこともあった。娘が三歳ぐらいの時、実家の柱時計のある部屋に向かい合ってすわって、あやとりをしていた。すると血管が小枝のように身体の外に伸びているのが見えた。蜘蛛の糸のように細い血管で、それが壁や天井まで広がり、柱時計に絡みついていた。ぞくっと寒気がして、立ち上がった。家の歴史についてそれまで考えたことがなかった。名前も知らない、これまで関心をもったこともない人たちが何代にもわたってこの家で生まれては死んでいった。奴隷のように働かされた女性の汗が壁に、そして若い雇い人に性交を強いた主人の精液が柱にしみこんでいる。早く遺産が欲しくて寝たきりの父親の首を絞めた息子の冷汗のにおいがする。それを見ていた天井や窓がこちらをにらんでいる。夫婦の苦しみがしたたり落ちた便器と下水をつなぐ管。孤独を化学変化させて野望にかえた母親が、汗ばんだ太股に細い息子の首を挟んでしめつける。夫の浮気を見て見ぬふりをする妻は、味噌汁に大便を混ぜて出した。家のまわりをうろうろする美男の放火魔は、かつて不当に首にされた使用人かもしれない。旧家が由緒正しい臍の緒を繋げてきたその紐が首にからみついてくる。・・・
これは放射能のようなもともと外在的な「汚染」とは関係がありませんね。鞠華はこれを「内緒の楽しさを分かち合う血まみれの血族」と呼び、これと「縁を切りたい」と家を去るわけですが、これは家の問題やジェンダーの問題とも見えるけれど、そうすれば女性としての、あるいはこの家なり血筋なりゆえの鞠華固有の問題になってしまいます。むしろもっとそのむこうに原罪のようなものを見るなら、それは現れ方は異なっても、義郎や無名が負っているものと同じところまで辿ることができるようなものではないかという気がします。
いずれにせよ、こういう生理=感覚的な像が非常に鮮やかでインパクトが強いので、こちらは「ぞくっと寒気が」します(笑)。
さきほど、無名のような優秀な子を選び出して極秘に海外へ遣る秘密プロジェクトがあるような話が出ましたが、この物語の設定では、日本も他国もそれぞれ鎖国政策をとっているんですね。
どの国も大変な問題を抱えているんで、一つの問題が世界中に広がらないように、それぞれの国がそれぞれの問題を自分の内部で解決することに決まったんだ。・・・
昨今のトランプ大統領やそのエピゴーネンみたいな別の国の指導者などを見ていると、こういう「預言的」記述に笑ってしまいますね。汚染された世界までもが「当たった預言」にならないといいのですが・・・
この作品にはとてもユーモラスで笑える部分もたくさんあります。次のような言葉遊び的な部分はこの作家のお得意とするところのようです。
診察室に入って敗者と目が合うとまだ何も訊かれていないのに、
「欠けてしまったんです」
という言葉が義郎の口から勝手に飛び出してしまった。声が震え、抑揚が揺れて、「書けてしまったんです」に近くなったことに気づき、あわてて、
「欠け落ちてしまったんです」
と言いなおし、それから、
「乳歯ですけど」
と付け加えた。こういうのを倒置法と言うんだ、と思った。一方、無名はまだ漢字がほとんど書けないくせに語彙だけは豊富なので、「落ちてしまったんです、入試ですけど」という意味を感じ抜きで思い浮かべて一人にやにやしていた。
こういうところを読むとほんとうに面白くて読むのが楽しくなりますね。
次に収録されている「韋駄天どこまでも」というのは、生け花を習いに華道教室に通う東田一子がそこで知り合う「てんちゃん」こと束田十子という美しい女性との付き合いを描いていますが、ここにはふんだんに言葉遊びが登場します。まず同じ教室に来ている出口さんという女性が自信家で、「色彩感覚には自信があるの」、「手先には自信があるの」、「家事なら自信があるの」等々が口癖の人なのですが、或る仏滅の日に出口さんが「今日は自信があるの」と真っ黄色の菊を睨んで宣言したものだから、東田一子はぎょっとして手の動きを止め、この不吉なお告げを頭から追い出そうと夢中で菊を生けるという場面があります。その日、一子は「てんちゃん」を誘ってカフェに行くと、そこで地震に遭遇し、どうやら出口さんの「きょうはじしんがある」という予報は見事に当たってしまったようだ、と思います。
おまけにガラスのドアを通して遠くに火の手が上がるのがみえるので、一子は地震だけならいいが、火事が加わったらどうなるのだろう、と心配になります。
出口さんは、「かじならじしんがあるの」とも言っていた。ひょっとしたらそれは、「じしんならかじもあるの」の言い間違いではなかったのか。
思わず笑ってしまいます。
もっと面白いのはバスで窮屈な席に「てんちゃん」と一子がすわって何やらあやしい関係を深める場面です。
見つめ合う二人の顔と顔の間は初め十センチくらい離れていた。それが九センチになり、八センチになり、七センチになり、どんどん距離が縮まっていった。てんちゃんは全然エキセントリックなところのない女性だと思っていたら、全然の然に火がついて燃え出し、舌が炎になった。二人は舌の炎でフェンシングを始めた。そのうち舌はもつれあい、口の中に見え隠れし、二人は貪欲になってきて、夢中で相手の唇を食べてしまおうとした。・・・(原文は下線部が太字)
さらに二人はエスカレートして「お互いの身体を熱心に探り合」います。
二人ともこれまで他人の身体のそんな奥まで手をさしいれたことがなかった。たとえば「東」という字がそこにあれば、字の中まではいじらないのが漢字に対する礼儀というものである。ところが、てんちゃんは東田の「東」の字の口の中にまで手を突っ込んで、そこにある美味しそうな横棒をつかんで外へ引き出そうとする。「駄目よ、駄目よ」と一子はあえいだ。奪われたものを取りかえすために今度は一子が「てんちゃん」という可愛らしい渾名の裏に隠れた卑怯な十子の脚の交わったところに手をさしいれて、「十」の縦棒をつかんで揺らしながら引き寄せた。すると、固くはまっていたはずの棒がはずれて、てんちゃんは「う」と言って身をそりかえした。・・・
この人は漢字どうしのいじりあいでポルノが書ける作家ですね(笑)。漢字が現実と入れ替わり、現実が漢字と入れ替わり、不思議な幻想≒現実の世界に引き込まれていきます。それが「それ以後の世界」を描く上で非常に効果を発揮しているように思います。
非常に密度の高い言語で書かれた優れた文学だと思うけれど、読んで感動した、心を動かされた、という感じかたではなくて、こちらの心の皮膚が傷つけられてひりひりと痛むようなところがあります。最も完成度の高い作品は冒頭の表題作「献灯使」ですが、そこに描かれているのは、曾祖父と曽孫との、一見何でもない日常生活とその中でのやりとりです。ある意味で大きな事件など何も起こらない。それはすでに起きてしまっているのです。
だから、終わりもなければ始まりもない、延々と続く日常性がそこにあるだけですが、その日常性がとんでもなくコワイ。よく近未来のこういう世界を描く作品をディストピア小説などと言いますが、それだけのものなら、はるか昔から、SFやSFマンガでは「核戦争後」の世界が描かれてきましたし、そこでは残留放射能に怯えながら生き残った人間たちが、その核に破壊され汚染された残骸しかない現代の荒野でどうサバイバルしていくか、といったことが多くの作品でとっくに描かれてきたように思います。
ある意味でそうした作品群と、この「献灯使」の世界とは共通の前提を持っています。それは、核戦争の結果であれ、原発事故の結果であれ、またそれ以外の「想定外」の原因によって導かれた結果であれ、これからの人間は多かれ少なかれ、そうした「汚染」された世界で生きていくほかはない、という認識でしょう。
この作品が構図としてはかつてのSFやSFマンガと共通しながら、いまさらのようにそんな世界を描きながら、なぜコワイのかというと、それは決して福島原発事故で「汚染」される恐怖を現実的なものとしてあらためて味わったからではなく、作者がそのような世界を、放射能のような外在的な汚染の恐怖にさらされる人間たちの物語としてではなく、そこに生きる私たちの日々の生活、肉親とのかかわり、自分自身の心身のすべてが、すでに内側から「汚染」されてしまった、その日常生活、肉親とのかかわり、自分の心身の変容として描いているからではないかと思います。
「汚染」は若い世代の身体を蝕んでいると同時に、老人を逆に死ぬに死ねない身体に変容させているのですが、同時に九十歳を超えた義郎は、一緒に避難生活を送っている曽孫「無名」の世話をしながら、もし自分の方が先に死んでしまったら無名はどうなうだろうかと心配してもいるのです。
「一時流行した東京野菜」のひとつ、蓼を買わされた義郎は一緒に暮らす曽孫の無名に食べさせようと調理します。
蓼は鮎と相性が良いと聞いていたが、汚染度が高いと言われる魚を無名に食べさせる気にはなれなかったので湯豆腐と組み合わせてみた。
「ごめん、まずいね」
と後悔のかゆさに耐えきれず頭皮をポリポリ掻きながら無名に謝ると、無名が不思議そうな顔をして、
「まずいとか、美味しいとかあんまり気にしないんだ、僕たち」
と答えた。義郎は自分の浅はかさを思わぬ方角から指摘され、恥ずかしさに息がつまった。若い人に批判されると腹を立てる老人が多いが、義郎は無名には全く腹がたたなかった。むしろ自分たち老人が自覚なしに若い人たちを頻繁に傷つけていると思うと胸が痛んだ。「これはおいしい」とか「これはまずい」とかそんなことばかり言って、まるでグルメは階級が上なのだというような高慢さで、みんなが同じように腰まで浸かっている問題沼を忘れようとする大人の姿は、子供の目にはどんな風に映っているのだろう。毒素には味のしないものがたくさんあるのだから、いくら味覚を研ぎ澄ましても命を守ることはできない。
無名たち「汚染」された若い世代には、もう食べ物が「まずいとか、美味しいとか」いったことは意味がなくなっている、そのことに「それ以前の世界」をひきずっている老人たちは鈍感で、自覚せずに若い世代を傷つけている、といった状況が描かれています。こういうさりげなく描かれる生活の、関係の、感覚の、内側からの「変容」が何よりわたしたち読者に恐怖を感じさせるように思います。
こうした「変容」を目に見えるすさまじい形で描いているのは、無名の母(義郎の息子飛藻が連れてきて結婚し無名を生んで死んだ「鶴のように美しい女性」)の死んだときの描写です。
ところが無名の母親の死後五日目に義郎は、安らぎの冷凍室に呼び出され、遠方から招かれた専門家二人と話をすることになった。一人は遺体に望ましくない異変が起こったのでこのまま保存しておくよりもすぐに燃やしてしまった方がいいと言い、もう一人は研究のために遺体を解剖しホルマリン漬けにすることを許可してほしいと申し出た。義郎にはどのような異変なのか見当もつかなかった。素人の言葉で質問を重ねても、映像のはっきり浮かぶような答えが返ってこないので、自分の目で確かめてからでなければ火葬にもホルマリン漬けにもできない、と義郎が強く出ると、専門家はしぶしぶ遺体のところに連れていってくれた。嫁の姿を一目見て、あっと声をあげ、義郎は鼻と口を片手で押さえてうつむいた。自分の見たものが信じられず、おそるおそる視線を戻すと、初めの印象ほど驚愕させる姿ではなかった。むしろ美しいと言ってもいい姿だった。その時実際に見た姿を後で正確に再現することは不可能になった。と言うのは、記憶の中でその身体は成長し、変化し続けた。顔の中心が尖って、嘴になっていった。肩の筋肉がもりあがって白鳥のような羽根が生えてきた。いつの間にか、足の指がにわとりの足の指のようになっていた。
義郎の妻、無名の曾祖母にあたる鞠華は義郎同様に無名を愛しながら、自分が関わっている児童施設で「優秀な子供を選び出して使者として海外に送り出す極秘の民間プロジェクト」の子供に選ばれるリスクを無名に追わせることなく、彼が義郎と平穏な日々を過ごしてほしいと二人のもとを去って「内緒の楽しさを分かち合う血まみれの血族と縁を切り」、自分の「本当の家族は、喫茶店で偶然出逢った人たち」、自分の「子孫は、施設で暮らす独立児童たち」と考えて二人のもとを去っていきます。
この鞠華の回想にもなかなかすさまじいイメージが登場します。
こんなこともあった。娘が三歳ぐらいの時、実家の柱時計のある部屋に向かい合ってすわって、あやとりをしていた。すると血管が小枝のように身体の外に伸びているのが見えた。蜘蛛の糸のように細い血管で、それが壁や天井まで広がり、柱時計に絡みついていた。ぞくっと寒気がして、立ち上がった。家の歴史についてそれまで考えたことがなかった。名前も知らない、これまで関心をもったこともない人たちが何代にもわたってこの家で生まれては死んでいった。奴隷のように働かされた女性の汗が壁に、そして若い雇い人に性交を強いた主人の精液が柱にしみこんでいる。早く遺産が欲しくて寝たきりの父親の首を絞めた息子の冷汗のにおいがする。それを見ていた天井や窓がこちらをにらんでいる。夫婦の苦しみがしたたり落ちた便器と下水をつなぐ管。孤独を化学変化させて野望にかえた母親が、汗ばんだ太股に細い息子の首を挟んでしめつける。夫の浮気を見て見ぬふりをする妻は、味噌汁に大便を混ぜて出した。家のまわりをうろうろする美男の放火魔は、かつて不当に首にされた使用人かもしれない。旧家が由緒正しい臍の緒を繋げてきたその紐が首にからみついてくる。・・・
これは放射能のようなもともと外在的な「汚染」とは関係がありませんね。鞠華はこれを「内緒の楽しさを分かち合う血まみれの血族」と呼び、これと「縁を切りたい」と家を去るわけですが、これは家の問題やジェンダーの問題とも見えるけれど、そうすれば女性としての、あるいはこの家なり血筋なりゆえの鞠華固有の問題になってしまいます。むしろもっとそのむこうに原罪のようなものを見るなら、それは現れ方は異なっても、義郎や無名が負っているものと同じところまで辿ることができるようなものではないかという気がします。
いずれにせよ、こういう生理=感覚的な像が非常に鮮やかでインパクトが強いので、こちらは「ぞくっと寒気が」します(笑)。
さきほど、無名のような優秀な子を選び出して極秘に海外へ遣る秘密プロジェクトがあるような話が出ましたが、この物語の設定では、日本も他国もそれぞれ鎖国政策をとっているんですね。
どの国も大変な問題を抱えているんで、一つの問題が世界中に広がらないように、それぞれの国がそれぞれの問題を自分の内部で解決することに決まったんだ。・・・
昨今のトランプ大統領やそのエピゴーネンみたいな別の国の指導者などを見ていると、こういう「預言的」記述に笑ってしまいますね。汚染された世界までもが「当たった預言」にならないといいのですが・・・
この作品にはとてもユーモラスで笑える部分もたくさんあります。次のような言葉遊び的な部分はこの作家のお得意とするところのようです。
診察室に入って敗者と目が合うとまだ何も訊かれていないのに、
「欠けてしまったんです」
という言葉が義郎の口から勝手に飛び出してしまった。声が震え、抑揚が揺れて、「書けてしまったんです」に近くなったことに気づき、あわてて、
「欠け落ちてしまったんです」
と言いなおし、それから、
「乳歯ですけど」
と付け加えた。こういうのを倒置法と言うんだ、と思った。一方、無名はまだ漢字がほとんど書けないくせに語彙だけは豊富なので、「落ちてしまったんです、入試ですけど」という意味を感じ抜きで思い浮かべて一人にやにやしていた。
こういうところを読むとほんとうに面白くて読むのが楽しくなりますね。
次に収録されている「韋駄天どこまでも」というのは、生け花を習いに華道教室に通う東田一子がそこで知り合う「てんちゃん」こと束田十子という美しい女性との付き合いを描いていますが、ここにはふんだんに言葉遊びが登場します。まず同じ教室に来ている出口さんという女性が自信家で、「色彩感覚には自信があるの」、「手先には自信があるの」、「家事なら自信があるの」等々が口癖の人なのですが、或る仏滅の日に出口さんが「今日は自信があるの」と真っ黄色の菊を睨んで宣言したものだから、東田一子はぎょっとして手の動きを止め、この不吉なお告げを頭から追い出そうと夢中で菊を生けるという場面があります。その日、一子は「てんちゃん」を誘ってカフェに行くと、そこで地震に遭遇し、どうやら出口さんの「きょうはじしんがある」という予報は見事に当たってしまったようだ、と思います。
おまけにガラスのドアを通して遠くに火の手が上がるのがみえるので、一子は地震だけならいいが、火事が加わったらどうなるのだろう、と心配になります。
出口さんは、「かじならじしんがあるの」とも言っていた。ひょっとしたらそれは、「じしんならかじもあるの」の言い間違いではなかったのか。
思わず笑ってしまいます。
もっと面白いのはバスで窮屈な席に「てんちゃん」と一子がすわって何やらあやしい関係を深める場面です。
見つめ合う二人の顔と顔の間は初め十センチくらい離れていた。それが九センチになり、八センチになり、七センチになり、どんどん距離が縮まっていった。てんちゃんは全然エキセントリックなところのない女性だと思っていたら、全然の然に火がついて燃え出し、舌が炎になった。二人は舌の炎でフェンシングを始めた。そのうち舌はもつれあい、口の中に見え隠れし、二人は貪欲になってきて、夢中で相手の唇を食べてしまおうとした。・・・(原文は下線部が太字)
さらに二人はエスカレートして「お互いの身体を熱心に探り合」います。
二人ともこれまで他人の身体のそんな奥まで手をさしいれたことがなかった。たとえば「東」という字がそこにあれば、字の中まではいじらないのが漢字に対する礼儀というものである。ところが、てんちゃんは東田の「東」の字の口の中にまで手を突っ込んで、そこにある美味しそうな横棒をつかんで外へ引き出そうとする。「駄目よ、駄目よ」と一子はあえいだ。奪われたものを取りかえすために今度は一子が「てんちゃん」という可愛らしい渾名の裏に隠れた卑怯な十子の脚の交わったところに手をさしいれて、「十」の縦棒をつかんで揺らしながら引き寄せた。すると、固くはまっていたはずの棒がはずれて、てんちゃんは「う」と言って身をそりかえした。・・・
この人は漢字どうしのいじりあいでポルノが書ける作家ですね(笑)。漢字が現実と入れ替わり、現実が漢字と入れ替わり、不思議な幻想≒現実の世界に引き込まれていきます。それが「それ以後の世界」を描く上で非常に効果を発揮しているように思います。
saysei at 00:02|Permalink│Comments(0)│
2019年11月25日
高桐院の紅葉
今日は午前中は家の中の掃除をして、昼食後、大徳寺の紅葉を見に行きました。最初の写真は高桐院へのアプローチ。ここからして素敵です。
高桐院、興臨院、総見院、大仙院とまわりましたが、紅葉の美しさは何といっても高桐院。
以前に大徳寺を訪れたときは、高桐院がたしか工事中か何かで入れなかったので、きょうはまず高桐院に行って、ゆっくりと時間を過ごして紅葉の美しさを堪能しました。
土壁の瓦屋根越しに覗く紅葉が美しく、早く中へと誘うようです。この紅葉が一番綺麗だった印象がありますが(笑)
方丈の庭を前に、たくさんの人が座って紅葉の庭を飽きず眺めていました。
ここの紅葉は紅葉の観光名所になっているようなところとは違って、あくまでもこの寺の建物に似合い、庭にほどよく収まる上品な印象の紅葉です。まだ若い楓なのでしょう。火の鳥が何羽か庭に舞い降りて軽やかに遊んでいるような印象でした。
茶室のあたりの紅葉。
高桐院はたしか入場が3時半でおわりというようなことが書いてありましたから、午後に大徳寺へ行っていくつかの塔頭をはしごして見てまわられるつもりなら、こちらは早めに見ておかれるといいでしょう。それぞれの塔頭ごとにオープンの時間が違いますから。
これは前に訪れたことのある興臨院の方丈庭。表の庭は枯山水で、ただ1,2本の紅葉がそれをぶち壊さずにいいアクセントになっていました。
興臨院の脇庭は方丈庭と対照的に賑やか。
同じく興臨院の方丈の裏庭も綺麗な紅葉が見られました。紅葉の美ということなら、興臨院ではこの裏庭が一番美しく感じられました。
これは芳春院という塔頭のひとつで、拝観謝絶で参拝・見学はできませんが、門から少しアプローチをたどって紅葉を楽しむことができます。ここも紅葉が綺麗です。
大仙院は前にも訪れていますが、夕方5時まで入れるのがいいと思います。ここの方丈の襖絵に狩野之信の「四季工作の図」という、とてもいい絵があります。暴れ者だった若い宮本武蔵がまっとうな武芸者になるきっかけをつくった沢庵和尚(七代)がいた寺だし、千利休をはじめ茶人と縁の深い寺だったようです。私もここで一息いれて抹茶をいただいてきました。
総見院は前に行きそびれていたので、今回訪れて解説員の方の説明をうかがうことができてよかったと思います。本能寺の変で最後を遂げた信長の一周忌に秀吉が建立したという信長の菩提寺で、裏手の墓所の奥には信長一族の墓があり、濃姫の墓もあります。もちろん信長の墓はほかにもたくさんあるらしいけれど(笑)。
本堂にはこの年、天正十一年(1583年)に仏師康清によって製作された信長の等身大の木造坐像(重要文化財)があって、今回秋の特別公開で公開されていたので、幸いそれを見ることもできました。おそらく一周忌のために作られた肖像彫刻で、信長を知る人がみな生きているときに作っているわけですから、仏師が直接信長に会っていたかどうかは分からないけれど、ご本人の顔つきとさほど違っていないでしょう。
信長の肖像画はほかに見たこともありますが、やっぱりそれらともよく似て、細長い顔ですね。なんとなくフィギュアスケートの織田信成さんとやっぱり似てるなぁ、と思ったので、ネットで信成さんの顔を出してみて、買ってきた絵葉書の木像と比べてみたら、顔の形、おでこ、鼻、口元、耳の形が似ている・・・いや気のせいでしょうかね(笑)。目や眉のあたりはもう少し信長さんの方が厳しいかな。子孫らしいから、似ていて当然といえば当然なのでしょうが・・・。
黄梅院も特別公開をしていたのですが、前に見ていたので後回しにしていたら、閉門時刻の4時を過ぎてしまって入れませんでした。また明日以降にでも。あそこの千利休作庭の庭がとてもよかったので、今度はパートナーも誘って行ってみようと思います。もうあまり日がないようですが・・・
saysei at 00:09|Permalink│Comments(0)│