2019年10月
2019年10月12日
「わるい仲間」「サンタクロースの眼は青い」を見る
ゴダールやロメールが絶賛し、「ヌーヴェルバーグの最後の旗手」あるいは「ポスト・ヌーヴェルバーグの旗手」と期待されながら、1981年、43歳でピストル自殺したユスターシュの、それぞれ25歳、28歳の時の作品。
今見れば、そんな「なんとかの旗手」みたいな大げさなもんじゃないでしょう、という感じだけれど、何も先入観なしにこういう作品に出会えば、大抵の人が「いいね!」ボタンを押したいと思うだろうな、というふうな佳品でした。
もうとっくに社会人として真っ当な生き方をすべき年齢になっていながら、まともな職にもつかず(つけず)「わるい仲間」とつるんでぶらぶらしている、若者というには少し歳をくって髪が薄くなったり、くすんだ感じに薄汚れて来ている二人の男が、通りがかりのシングルマザーをナンパしてダンスホールへ行くまではよかったけれど、優柔不断でモタモタしているうちに、知らない男の誘いで、気晴らしをしたい女は2人をおいて3度までその誘いに応じて踊りに行ってしまい、しゃくに触った二人は女の財布を盗んで逃げ出します。けれども根っからのワルという訳ではない2人、結局財布を女に返そう、ということになる・・・
そんなこの社会で吹き溜まりで言ってみれば生きていることに何の意味も見出せないでいる、どロップアウトした若者の日常を切り取って見せただけの作品で、なんということもない世界を描いているのですが、観ているうちに、こういうちっぽけで無意味な世界がとても愛おしいものに思えるのが不思議です。それにつれて、作品がまことに愛すべきもののように感じられて来ます。
「サンタクロースの眼は青い」もほとんど同じようなシチュエーションで、普段万引きしたり、「わるい仲間」たちとカフェにたむろしてナンパしたりしている地方都市に住む二人の若者の日常を切り取った作品です。この作品では主役の若者が悪友の持っているようなダッフルコートが欲しいけれどお金がないという設定が話を動かすモメンタムになっています。もともとその種のモメンタムのようなものが弱く、ごくささやかなものでしかないのです。むしろそこに特徴があります。
それはこういう若者にとってどうしようもない地方都市、何も面白いことのない世界、何かちょっとした悪ふざけや大人たちに眉をひそめさせる程度のささやかな気晴らしをするくらいにしか日々を生きる意味を見出せない日常のありように相応しい、頽廃的で弱々しい物語のエンジンです。
1963年と1966年の製作というから、まさに60年代の雰囲気を伝えているのでしょう。日本でも60年安保後の若者たちの生きた日常というのはこんな雰囲気を共有していたでしょう。今わたしのような世代の人間が見て「いいね!」ボタンを押したくなるのは、その種の過去のある時期に若者として吸って来た空気の同時代性によるのかもしれません。
以前に見た「ぼくの小さな恋人たち」は1974年、ユスターシュが36歳の作品で、上に書いたような「愛すべきもの」をもっと過去の幼い日にまで遡って深めることで描かれた愛おしい世界で、時代の空気や社会的な抑圧を一定の距離感をもって遠ざけ、愛おしい世界だけを昇華してみせた、やっぱりこじんまりした世界ではあるけれど、それなりに一層成熟し、完成した作品だったなと思います。
こういう佳品はもっと気軽に見られるといいのですが、驚いたことに私が持っているVHSはアマゾンでもマーケットプレイスの中古品としても、もう販売されていないようです。
著名な監督の映画でもよく知られた代表作は出ていても、じゃその人の作品を初期から見てみたいな、と思っても、ほとんどまともに見られないんですね。小説なんかも同じで、小説の神様なんて言われたフローベールなども、ボヴァリー夫人などは幾種類も翻訳本が出ているけれど、結構引用されることの多い書簡など見ようとすると大きな本屋へ行っても無駄で、古書で運良く古い全集本の中の一冊を入手するか、図書館で読むしかないわけです。
まだ著名な作家は図書館に大抵は全集があるからいいけれど、映画は無理でしょうね。昔、衣笠貞之助の「十字路」や「狂った一頁」が見たいと思って京都文化博物館のフィルムライブラリーや東京の国立近代美術館のフィルムライブラリーへ行ったら、映画の専門家でないとダメとか、次に館の企画上映で見せる時に見てもらうしかない、とか言われてがっかりして帰って来たことがありました。
日本映画が一瞬にせよ世界水準に同期したと言われるような作品でさえそんな有様ですから、いわんやその他は、です。映画を作る人はそれで手一杯、映画を集めて上映する文化施設の人はコレクションの収集と維持管理で手一杯、誰も本当に次の時代のために広く映画を市民に開放して若い映画ファンや作り手を育て、映画の創造を支える時代の厚みを作っていかなくては、なんて考える余裕がないのでしょうね。
今見れば、そんな「なんとかの旗手」みたいな大げさなもんじゃないでしょう、という感じだけれど、何も先入観なしにこういう作品に出会えば、大抵の人が「いいね!」ボタンを押したいと思うだろうな、というふうな佳品でした。
もうとっくに社会人として真っ当な生き方をすべき年齢になっていながら、まともな職にもつかず(つけず)「わるい仲間」とつるんでぶらぶらしている、若者というには少し歳をくって髪が薄くなったり、くすんだ感じに薄汚れて来ている二人の男が、通りがかりのシングルマザーをナンパしてダンスホールへ行くまではよかったけれど、優柔不断でモタモタしているうちに、知らない男の誘いで、気晴らしをしたい女は2人をおいて3度までその誘いに応じて踊りに行ってしまい、しゃくに触った二人は女の財布を盗んで逃げ出します。けれども根っからのワルという訳ではない2人、結局財布を女に返そう、ということになる・・・
そんなこの社会で吹き溜まりで言ってみれば生きていることに何の意味も見出せないでいる、どロップアウトした若者の日常を切り取って見せただけの作品で、なんということもない世界を描いているのですが、観ているうちに、こういうちっぽけで無意味な世界がとても愛おしいものに思えるのが不思議です。それにつれて、作品がまことに愛すべきもののように感じられて来ます。
「サンタクロースの眼は青い」もほとんど同じようなシチュエーションで、普段万引きしたり、「わるい仲間」たちとカフェにたむろしてナンパしたりしている地方都市に住む二人の若者の日常を切り取った作品です。この作品では主役の若者が悪友の持っているようなダッフルコートが欲しいけれどお金がないという設定が話を動かすモメンタムになっています。もともとその種のモメンタムのようなものが弱く、ごくささやかなものでしかないのです。むしろそこに特徴があります。
それはこういう若者にとってどうしようもない地方都市、何も面白いことのない世界、何かちょっとした悪ふざけや大人たちに眉をひそめさせる程度のささやかな気晴らしをするくらいにしか日々を生きる意味を見出せない日常のありように相応しい、頽廃的で弱々しい物語のエンジンです。
1963年と1966年の製作というから、まさに60年代の雰囲気を伝えているのでしょう。日本でも60年安保後の若者たちの生きた日常というのはこんな雰囲気を共有していたでしょう。今わたしのような世代の人間が見て「いいね!」ボタンを押したくなるのは、その種の過去のある時期に若者として吸って来た空気の同時代性によるのかもしれません。
以前に見た「ぼくの小さな恋人たち」は1974年、ユスターシュが36歳の作品で、上に書いたような「愛すべきもの」をもっと過去の幼い日にまで遡って深めることで描かれた愛おしい世界で、時代の空気や社会的な抑圧を一定の距離感をもって遠ざけ、愛おしい世界だけを昇華してみせた、やっぱりこじんまりした世界ではあるけれど、それなりに一層成熟し、完成した作品だったなと思います。
こういう佳品はもっと気軽に見られるといいのですが、驚いたことに私が持っているVHSはアマゾンでもマーケットプレイスの中古品としても、もう販売されていないようです。
著名な監督の映画でもよく知られた代表作は出ていても、じゃその人の作品を初期から見てみたいな、と思っても、ほとんどまともに見られないんですね。小説なんかも同じで、小説の神様なんて言われたフローベールなども、ボヴァリー夫人などは幾種類も翻訳本が出ているけれど、結構引用されることの多い書簡など見ようとすると大きな本屋へ行っても無駄で、古書で運良く古い全集本の中の一冊を入手するか、図書館で読むしかないわけです。
まだ著名な作家は図書館に大抵は全集があるからいいけれど、映画は無理でしょうね。昔、衣笠貞之助の「十字路」や「狂った一頁」が見たいと思って京都文化博物館のフィルムライブラリーや東京の国立近代美術館のフィルムライブラリーへ行ったら、映画の専門家でないとダメとか、次に館の企画上映で見せる時に見てもらうしかない、とか言われてがっかりして帰って来たことがありました。
日本映画が一瞬にせよ世界水準に同期したと言われるような作品でさえそんな有様ですから、いわんやその他は、です。映画を作る人はそれで手一杯、映画を集めて上映する文化施設の人はコレクションの収集と維持管理で手一杯、誰も本当に次の時代のために広く映画を市民に開放して若い映画ファンや作り手を育て、映画の創造を支える時代の厚みを作っていかなくては、なんて考える余裕がないのでしょうね。
saysei at 15:06|Permalink│Comments(0)│
2019年10月11日
クマさん、一乗寺駅、修学院駅に現わる!
昨日から、一頭の熊が、高野川上流河畔から叡電の修学院駅および一乗寺駅付近に出没している、とのニュースが飛び込んできました。
きっと北山から降りてきて迷子になってしまったのでしょう。十数件もの目撃情報があっても、いまだに行方知れずで、熊さんが出歩いているあたりのすぐ近くに位置する修学院小学校、修学院第二小学校は臨時休校になったとか。
私は昨夕、熊さんを一目見たいものだと思って散歩に川端を北へ歩いて、熊さんが下の遊歩道なんか散歩していないか注意してみましたが、残念ながらお目にかかれませんでした。体長1m50cmくらいの熊さんだそうです。
昨日からさして風もないのに、屋根やなんかがガタッと大きな音を立てると、おっ、熊さんではないか?と期待を持って覗いてみたりするのですが、ここまでは来ていないようです。うちのお隣さんちの柿の木は赤く色づいた実がたくさんなっているし、共同庭には無数のどんぐりの実をつけたナラ類の樹もあります。ひょいと庭を見たら、どんぐりの木の下にプーさんが座り込んで無心にどんぐりの実を食べていた、なんて光景が見られたら素敵だなぁ、と思いますが、実際に会えば逃げ出すでしょうね(笑)やっぱりこちらが。
近くまで来ていたら、好物の蜂蜜でも壺にいれて共同庭に置いといてあげたいけど・・・
京都は山に囲まれ、山と里が近いから、よくいろんな山の生き物が里に降りてきます。
熊は流石に珍しくて、私の知る半世紀で身近に出没したのは今回が初めてではないでしょうか。
イノシシと鹿はかなり頻繁に出没しているようで、私も鹿の親子が3〜4頭、高野川で遊んでいるのを見て、以前にこのブログに書いて写真を投稿したことがあります。あの頃よく高野川を鹿が走っているのが目撃されて話題になっていました。
高野川には、外来種だったと思いますがヌートリアとかいうネズミの馬鹿でかいようなやつも住み着いて、つい近年のことですが、しきりに目撃情報がありましたが、最近はあまり聞きません。高野川は川にクレーン車が入ったりして大掛かりな川浚えをしたり、猛烈な騒音を響かせる大きな電動草刈機で河畔の徹底した草刈りをしたりしているから、逃げてしまったのかも知れません。
義母のいた嵯峨野ではまだかなり西山から降りてくる動物がたくさんあるようです。安立寺の和尚さんがお寺(兼お家)へ帰ろうと入り口まで来たら、通路のちょっと前のところに大きなイノシシがこっち向いて行く道を遮っていてびっくりしたと、2、3年前に話しておられたのをききました。
イノシシは墓に備えた食べ物をあさりによく出没するそうです。私は京都ではなく、ゼミの学生さん数名を連れて車で小豆島の鳴門オレンジの産地を訪ねた折に道を間違えて山道へ踏み込んでしまった時、すぐ近くの斜面に大きなイノシシ、実はイノブタだったらしいのですが、人が飼わなくなって野放しにされたイノブタが野生化したのが山中で暮らしているらしく、そいつだったらしいのですが、2頭か3頭がじっとこちらを見ていて、不気味でした。やっぱりあの体躯で突進してこられたらコワイ(笑)
嵯峨の義母宅では、庭に面したガラス戸を開けていたら、いつの間にかお猿さんが上がり込んで、客間の仏壇に乗っかって備えたご飯を食べていたそうです。また、ある時義母がふと庭を見ると、芝生の上で二頭の小さなタヌキの仔が組んず解れつ、コロコロと夢中で遊んでいて、それはそれは可愛らしかったそうです。義母が見ているのに気付くと、驚いて逃げていったそうです。
上高野にお住いだった長男の幼稚園時代の友達のお母さんのそのまた母君が畑に出てみると、左腕に子猿をかかえ、右手には畑から引っこ抜いたニンジンをぶら下げた母猿がひょいと立ちあがってこちらを見ていたそうです。その姿にお母さんは「あんた、それ持っていきうよし」と言うしかなかった、と言っておられたそうです。あんたも苦労するなぁ、といったところでしょうか。
確か間組の御曹司で京大のニホンザル研究のパイオニアの一人だった間さんが学生時代か院生か何れにせよ若いときに明らかにしたのだったと思いますが、比叡山の群れを離れた孤り猿は北山から西山、嵐山まで行き来しているらしいことが分かっていますから、比叡山からその登山口の一つである上高野あたりは始終群れで出没していたようです。
鳥ともなれば種類も数も、そんな哺乳類などとは比べ物にならないくらい豊富です。春になればかならずメジロやウグイスがやって来ます。ホトトギスもよくやって来て初夏の到来を告げてくれます。ヒヨドリやキジバトはしばしば共同庭の比較的高い木の枝に巣を作ります。モズの早贄も時々見かけます。胸が鮮やかなオレンジ色のショウビタキもよく見かけます。名を知らぬ綺麗な羽をした小鳥が生垣のプリペットの小枝をぴょいぴょい渡り歩くのを見つけたこともあります。
学生時代に卒業実習の指導をしていただいた伊谷純一郎先生は岩倉の御宅の周辺で200種もの鳥を(多分啼き声でだったかと思いますが)識別したと雑談の時に伺ったのを記憶しています。私などはせいぜいウグイス、ホトトギス、モズ、ヒヨドリくらいしか区別できず、あとはスズメにカラスくらいでしょうか(笑)
うちのお隣の方は、山から遊びに来るそんな鳥たちのために、わざわざ庭の真ん中に餌台をつくって、果物や何か穀類をおいといてやるようで、よく鳥たちがきてつついています。
ある時、近所で人には誰にでもよく懐いている猫がいて、角のお家の飼い猫だったのですが、仕事への朝夕の行き帰りに、団地内の道路のまんなかに座って、いかにもあなたをお見送りしています、とか、あなたのお帰りを待っています、とばかりに待っているので、こちらもちょっと撫でてやってお愛想してやる習慣になっていたのですが、このタマと呼ばれたネコがある日私の目の前に何か口にくわえて運んできて置くので、見るとこれがメジロだったので驚いたことがありました。
彼(男性でした)としては、普段可愛がってくれた私へのプレゼントのつもりだったのか、私にもこんなことができるんだよ、という」デモンストレーションだrったのか、なんだか意気揚々とした風情でした。メジロは傷一つないように見えましたが、多分襲われて捕まった時のショックで死んじゃったんでしょう。もう動か無くなっていましtが、本当にありがた迷惑で(笑)閉口しました。
カラスは最近ふえていて、団地のゴミ出しが火曜、金曜だというのをちゃんと知っています。その日になると集まってきて、ゴミ置場のコンテナーの上を徘徊し、蓋をしっかり閉めていないコンテナーのゴミ袋をつついて、散らかし放題です。
先日は朝、孫たちが登校する時間帯に、なぜか7羽ものカラスが我が家のすぐうえの電線にとまっていて、孫たち2人が通っていうときバタバタと上空をわたるので、孫たちはキャァーッ!と悲鳴を挙げて駆け出し、まるでヒッチコックの「鳥」のようでした。
カラスは結構図体が大きくて、真っ黒だし、あれで結構賢い上、人馴れしてひどく図々しいので、なかなか不気味ないきものです。
長年山の中の療養所で療養生活をおくっていた母は、巣から落ちていたカラスの雛を人が持ってきたのを引き取って飼っていたらしいのですが、少し大きくなって慣れてくると、母が呼べばすぐ飛んできて来て手乗りの文鳥か何かのように母の指先から練り餌をもらって食べたそうで、挨拶したりおねだりしたり踊って見せたり、簡単な芸もしたといいます。かなりの頭脳を持っているのでしょうね。
さあ、今日もクマさんに会えないか、一乗寺駅付近へ散歩に行ってみましょう。
きっと北山から降りてきて迷子になってしまったのでしょう。十数件もの目撃情報があっても、いまだに行方知れずで、熊さんが出歩いているあたりのすぐ近くに位置する修学院小学校、修学院第二小学校は臨時休校になったとか。
私は昨夕、熊さんを一目見たいものだと思って散歩に川端を北へ歩いて、熊さんが下の遊歩道なんか散歩していないか注意してみましたが、残念ながらお目にかかれませんでした。体長1m50cmくらいの熊さんだそうです。
昨日からさして風もないのに、屋根やなんかがガタッと大きな音を立てると、おっ、熊さんではないか?と期待を持って覗いてみたりするのですが、ここまでは来ていないようです。うちのお隣さんちの柿の木は赤く色づいた実がたくさんなっているし、共同庭には無数のどんぐりの実をつけたナラ類の樹もあります。ひょいと庭を見たら、どんぐりの木の下にプーさんが座り込んで無心にどんぐりの実を食べていた、なんて光景が見られたら素敵だなぁ、と思いますが、実際に会えば逃げ出すでしょうね(笑)やっぱりこちらが。
近くまで来ていたら、好物の蜂蜜でも壺にいれて共同庭に置いといてあげたいけど・・・
京都は山に囲まれ、山と里が近いから、よくいろんな山の生き物が里に降りてきます。
熊は流石に珍しくて、私の知る半世紀で身近に出没したのは今回が初めてではないでしょうか。
イノシシと鹿はかなり頻繁に出没しているようで、私も鹿の親子が3〜4頭、高野川で遊んでいるのを見て、以前にこのブログに書いて写真を投稿したことがあります。あの頃よく高野川を鹿が走っているのが目撃されて話題になっていました。
高野川には、外来種だったと思いますがヌートリアとかいうネズミの馬鹿でかいようなやつも住み着いて、つい近年のことですが、しきりに目撃情報がありましたが、最近はあまり聞きません。高野川は川にクレーン車が入ったりして大掛かりな川浚えをしたり、猛烈な騒音を響かせる大きな電動草刈機で河畔の徹底した草刈りをしたりしているから、逃げてしまったのかも知れません。
義母のいた嵯峨野ではまだかなり西山から降りてくる動物がたくさんあるようです。安立寺の和尚さんがお寺(兼お家)へ帰ろうと入り口まで来たら、通路のちょっと前のところに大きなイノシシがこっち向いて行く道を遮っていてびっくりしたと、2、3年前に話しておられたのをききました。
イノシシは墓に備えた食べ物をあさりによく出没するそうです。私は京都ではなく、ゼミの学生さん数名を連れて車で小豆島の鳴門オレンジの産地を訪ねた折に道を間違えて山道へ踏み込んでしまった時、すぐ近くの斜面に大きなイノシシ、実はイノブタだったらしいのですが、人が飼わなくなって野放しにされたイノブタが野生化したのが山中で暮らしているらしく、そいつだったらしいのですが、2頭か3頭がじっとこちらを見ていて、不気味でした。やっぱりあの体躯で突進してこられたらコワイ(笑)
嵯峨の義母宅では、庭に面したガラス戸を開けていたら、いつの間にかお猿さんが上がり込んで、客間の仏壇に乗っかって備えたご飯を食べていたそうです。また、ある時義母がふと庭を見ると、芝生の上で二頭の小さなタヌキの仔が組んず解れつ、コロコロと夢中で遊んでいて、それはそれは可愛らしかったそうです。義母が見ているのに気付くと、驚いて逃げていったそうです。
上高野にお住いだった長男の幼稚園時代の友達のお母さんのそのまた母君が畑に出てみると、左腕に子猿をかかえ、右手には畑から引っこ抜いたニンジンをぶら下げた母猿がひょいと立ちあがってこちらを見ていたそうです。その姿にお母さんは「あんた、それ持っていきうよし」と言うしかなかった、と言っておられたそうです。あんたも苦労するなぁ、といったところでしょうか。
確か間組の御曹司で京大のニホンザル研究のパイオニアの一人だった間さんが学生時代か院生か何れにせよ若いときに明らかにしたのだったと思いますが、比叡山の群れを離れた孤り猿は北山から西山、嵐山まで行き来しているらしいことが分かっていますから、比叡山からその登山口の一つである上高野あたりは始終群れで出没していたようです。
鳥ともなれば種類も数も、そんな哺乳類などとは比べ物にならないくらい豊富です。春になればかならずメジロやウグイスがやって来ます。ホトトギスもよくやって来て初夏の到来を告げてくれます。ヒヨドリやキジバトはしばしば共同庭の比較的高い木の枝に巣を作ります。モズの早贄も時々見かけます。胸が鮮やかなオレンジ色のショウビタキもよく見かけます。名を知らぬ綺麗な羽をした小鳥が生垣のプリペットの小枝をぴょいぴょい渡り歩くのを見つけたこともあります。
学生時代に卒業実習の指導をしていただいた伊谷純一郎先生は岩倉の御宅の周辺で200種もの鳥を(多分啼き声でだったかと思いますが)識別したと雑談の時に伺ったのを記憶しています。私などはせいぜいウグイス、ホトトギス、モズ、ヒヨドリくらいしか区別できず、あとはスズメにカラスくらいでしょうか(笑)
うちのお隣の方は、山から遊びに来るそんな鳥たちのために、わざわざ庭の真ん中に餌台をつくって、果物や何か穀類をおいといてやるようで、よく鳥たちがきてつついています。
ある時、近所で人には誰にでもよく懐いている猫がいて、角のお家の飼い猫だったのですが、仕事への朝夕の行き帰りに、団地内の道路のまんなかに座って、いかにもあなたをお見送りしています、とか、あなたのお帰りを待っています、とばかりに待っているので、こちらもちょっと撫でてやってお愛想してやる習慣になっていたのですが、このタマと呼ばれたネコがある日私の目の前に何か口にくわえて運んできて置くので、見るとこれがメジロだったので驚いたことがありました。
彼(男性でした)としては、普段可愛がってくれた私へのプレゼントのつもりだったのか、私にもこんなことができるんだよ、という」デモンストレーションだrったのか、なんだか意気揚々とした風情でした。メジロは傷一つないように見えましたが、多分襲われて捕まった時のショックで死んじゃったんでしょう。もう動か無くなっていましtが、本当にありがた迷惑で(笑)閉口しました。
カラスは最近ふえていて、団地のゴミ出しが火曜、金曜だというのをちゃんと知っています。その日になると集まってきて、ゴミ置場のコンテナーの上を徘徊し、蓋をしっかり閉めていないコンテナーのゴミ袋をつついて、散らかし放題です。
先日は朝、孫たちが登校する時間帯に、なぜか7羽ものカラスが我が家のすぐうえの電線にとまっていて、孫たち2人が通っていうときバタバタと上空をわたるので、孫たちはキャァーッ!と悲鳴を挙げて駆け出し、まるでヒッチコックの「鳥」のようでした。
カラスは結構図体が大きくて、真っ黒だし、あれで結構賢い上、人馴れしてひどく図々しいので、なかなか不気味ないきものです。
長年山の中の療養所で療養生活をおくっていた母は、巣から落ちていたカラスの雛を人が持ってきたのを引き取って飼っていたらしいのですが、少し大きくなって慣れてくると、母が呼べばすぐ飛んできて来て手乗りの文鳥か何かのように母の指先から練り餌をもらって食べたそうで、挨拶したりおねだりしたり踊って見せたり、簡単な芸もしたといいます。かなりの頭脳を持っているのでしょうね。
さあ、今日もクマさんに会えないか、一乗寺駅付近へ散歩に行ってみましょう。
saysei at 15:58|Permalink│Comments(0)│
「天気の子」を見る
新海誠監督の映画「天気の子」をMOVIX京都で見てきました。
もうかなり長く上映しているからでしょうし、平日の朝ですから無理もないとはいえ、観客は私たち夫婦以外はでっかいポップコーンカップを持った若い女の子2人連れと、あとは私たちと大して変わらないお年寄りの男女が皆一人で来ておられました。こんな評判になった人気アニメでこれだと、映画(館)も大変だなと思わずにはいられませんでした。
この映画については、うちで取っている新聞の映画評は非常に好意的で高い評価を与えていたと記憶しています。と言っても、これらの映画評はいつも褒めることしか知らないようなので、実際に観に行くと失望することも多いので、あてにはなりません。ただ、今回は孫が「今度のは、”君の名は”よりもだいぶ良かった!」と感想を言ってくれたことがあったので、そちらの方は新聞の映画評と違って割と信用できるので、一度見に行っておかないとね、と思っていました。そしたら先日遊びに来てくれたゼミのOG天使も孫と全く同じことを言うので、こりゃそろそろ見に行かないと、と思って、上映期間が終わる前に見てきた次第です。
映画を見終えてまず心を占めていたのは、ひどく暗い映画だなあ、という印象でした。まあ全編これ雨の降りしきる世界ですから無理もないのですが、渦まくダークグレイの雲など見ていると、今関東を襲おうとしている台風のことなど映画館の外の現実とヒュッとつながってしまって、映画館の中でくらいは別の世界に浸りたい、というふうな妙な気分になったり。
確かに救いはある、というのか、救いのない世界にかすかな希望を見出そうとする姿勢は良く分かるような気がするけれど、圧倒的に私たちの力ではどうにもならない巨大な力なり存在なりといったものをもうそこに先験的に存在するものとして受け入れざるを得ないものとしている世界で、それに抗ってはみるけれど所詮は蟷螂の斧で、世界は変わらないし自分たちにとっては死に物狂いのそんな決断や行為も少し距離を置いてみればほとんど意味のない虚しいもののようにも見え、この世界には引っかき傷一つ与えることもできない、そんな世界にそれでも生きてあるということはどういうことなのか、その生に意味があるとすればそれはなぜなのか、そんな世界でなお自分は生きていると思えるように生きることができるとすれば、それはどういう生き方なのか・・・何かそんな自問へと誘われるようなところがあります。
こんな暗い作品の世界を、良かったよ、と中学生や若い女性が言うのは、私などにはちょっとした驚きです。それだけ彼女たちがこの世界をほとんど絶望的に暗い、自分たちにはどうすることもできない所与の世界として受け止めざるを得なくなっているのかもしれない、という気がしました。
作品として気になったのは、アニメーション映像として、あちこちで既視感を覚えたことです。須賀圭介なんかはルパン三世独特の気取った台詞回しや所作が二重写しになってみえて仕方がなかったのは、必ずしも映画でルパン三世役をした小栗旬が声優を務めているせいだけではないでしょう。アニメの方のルパン三世のスタイルとも、あまりにも似てやしませんか。
そうなると圭介の姪で帆高を助ける夏美は、ほとんど峰不二子そのものですよね。これも印象があんまり似すぎでは?
無論アニメに限らず、表現というのは過去に生み出されてきた表現の累積の上に作られるもので、あらゆる文学は過去の文学の剽窃で、要は胃袋の問題、消化力が大きいか小さいかの問題に過ぎない、っていう人もあるくらいですから、別に目くじらをたてる必要はないけれど、登場人物のキャラクター設定、その表情、身体の動き、あるいは自然の要素の描き方、至る所で既視感を覚えるのは、こういう要素がもう日本製アニメの創作では普遍的な共用技術として、こういう動きはこう描く、こういう男あるいは女のこういう表情はこう描き、こういう動作はこう描く、というパターンが確立されて、誰でもが使っていい共有財産となって日本のアニメの標準的な水準を支えているのかもしれないですね。
人間的なドラマとしては帆高と陽菜の、外部からみれば幼さゆえに愛とも恋とも本人たち自身が気づいていないような純愛を軸に、それぞれの表立っては詳しく描かれない家族関係等の背景のある、一人の自立した人間としての生き方を見つけようとして見つけられないでもがいている二人が出合って、陽菜を「100%晴れ女」に仕立てていくプロセスで、彼らが直接に世界とぶつかってその圧倒的な力の前で挫折してその無力を思い知ることになる、その果てに・・・というところですが、この設定そのものが(天気を思いのまま操る晴れ女の発想は卓抜ですが)単純で、二人が直に世界と(あるいは自然と)対峙する形なので、他者との関係がほとんど捨象されています。
たとえば、陽菜が自分の生きる意味を「人柱」に見出して天へ昇っていくとき、弟を頼むね、と帆高に託して行ってしまいますね。こういうことは現実にはなかな考えられないでしょう。母親が亡くなったばかりで姉弟二人きりになった状態で、弟を置いて一人で行ってしまう。そんなことは普通は考えられません。あるとすれば、ものすごく激しい葛藤があるはずです。でもそれは全部カットされてしまう。そうするとやっぱり陽菜なら陽菜という人の人間としての奥行きは浅くならざるを得ないわけです。
このドラマでは陽菜が「100%晴れ女」を演じ始めたあたりから、何度も、天気のような自然を思い通りにするような、自然と通じた巫女的な存在というのは、思い通りにできるのと引き換えに、自身が「人柱」にならなければならない運命にある、ということが繰り返し強調されます。その意味ではドラマの興味の中心がそこに絞られ、陽菜がどうなってしまうのか、という興味で見せていくことになります。他者との関係性が捨象されて、ドラマが天気(自然。あるいは運命のようなもの)と陽菜&帆高とが対峙する構図に単純化されている、というのはそういう意味です。
陽菜が人柱になりおおせて、かぐや姫のようにあちらの世界へ行ききりになって、水浸しの人間界を救った英雄になってしまわなかったのは良かった、と私も思いますが・・・
もうかなり長く上映しているからでしょうし、平日の朝ですから無理もないとはいえ、観客は私たち夫婦以外はでっかいポップコーンカップを持った若い女の子2人連れと、あとは私たちと大して変わらないお年寄りの男女が皆一人で来ておられました。こんな評判になった人気アニメでこれだと、映画(館)も大変だなと思わずにはいられませんでした。
この映画については、うちで取っている新聞の映画評は非常に好意的で高い評価を与えていたと記憶しています。と言っても、これらの映画評はいつも褒めることしか知らないようなので、実際に観に行くと失望することも多いので、あてにはなりません。ただ、今回は孫が「今度のは、”君の名は”よりもだいぶ良かった!」と感想を言ってくれたことがあったので、そちらの方は新聞の映画評と違って割と信用できるので、一度見に行っておかないとね、と思っていました。そしたら先日遊びに来てくれたゼミのOG天使も孫と全く同じことを言うので、こりゃそろそろ見に行かないと、と思って、上映期間が終わる前に見てきた次第です。
映画を見終えてまず心を占めていたのは、ひどく暗い映画だなあ、という印象でした。まあ全編これ雨の降りしきる世界ですから無理もないのですが、渦まくダークグレイの雲など見ていると、今関東を襲おうとしている台風のことなど映画館の外の現実とヒュッとつながってしまって、映画館の中でくらいは別の世界に浸りたい、というふうな妙な気分になったり。
確かに救いはある、というのか、救いのない世界にかすかな希望を見出そうとする姿勢は良く分かるような気がするけれど、圧倒的に私たちの力ではどうにもならない巨大な力なり存在なりといったものをもうそこに先験的に存在するものとして受け入れざるを得ないものとしている世界で、それに抗ってはみるけれど所詮は蟷螂の斧で、世界は変わらないし自分たちにとっては死に物狂いのそんな決断や行為も少し距離を置いてみればほとんど意味のない虚しいもののようにも見え、この世界には引っかき傷一つ与えることもできない、そんな世界にそれでも生きてあるということはどういうことなのか、その生に意味があるとすればそれはなぜなのか、そんな世界でなお自分は生きていると思えるように生きることができるとすれば、それはどういう生き方なのか・・・何かそんな自問へと誘われるようなところがあります。
こんな暗い作品の世界を、良かったよ、と中学生や若い女性が言うのは、私などにはちょっとした驚きです。それだけ彼女たちがこの世界をほとんど絶望的に暗い、自分たちにはどうすることもできない所与の世界として受け止めざるを得なくなっているのかもしれない、という気がしました。
作品として気になったのは、アニメーション映像として、あちこちで既視感を覚えたことです。須賀圭介なんかはルパン三世独特の気取った台詞回しや所作が二重写しになってみえて仕方がなかったのは、必ずしも映画でルパン三世役をした小栗旬が声優を務めているせいだけではないでしょう。アニメの方のルパン三世のスタイルとも、あまりにも似てやしませんか。
そうなると圭介の姪で帆高を助ける夏美は、ほとんど峰不二子そのものですよね。これも印象があんまり似すぎでは?
無論アニメに限らず、表現というのは過去に生み出されてきた表現の累積の上に作られるもので、あらゆる文学は過去の文学の剽窃で、要は胃袋の問題、消化力が大きいか小さいかの問題に過ぎない、っていう人もあるくらいですから、別に目くじらをたてる必要はないけれど、登場人物のキャラクター設定、その表情、身体の動き、あるいは自然の要素の描き方、至る所で既視感を覚えるのは、こういう要素がもう日本製アニメの創作では普遍的な共用技術として、こういう動きはこう描く、こういう男あるいは女のこういう表情はこう描き、こういう動作はこう描く、というパターンが確立されて、誰でもが使っていい共有財産となって日本のアニメの標準的な水準を支えているのかもしれないですね。
人間的なドラマとしては帆高と陽菜の、外部からみれば幼さゆえに愛とも恋とも本人たち自身が気づいていないような純愛を軸に、それぞれの表立っては詳しく描かれない家族関係等の背景のある、一人の自立した人間としての生き方を見つけようとして見つけられないでもがいている二人が出合って、陽菜を「100%晴れ女」に仕立てていくプロセスで、彼らが直接に世界とぶつかってその圧倒的な力の前で挫折してその無力を思い知ることになる、その果てに・・・というところですが、この設定そのものが(天気を思いのまま操る晴れ女の発想は卓抜ですが)単純で、二人が直に世界と(あるいは自然と)対峙する形なので、他者との関係がほとんど捨象されています。
たとえば、陽菜が自分の生きる意味を「人柱」に見出して天へ昇っていくとき、弟を頼むね、と帆高に託して行ってしまいますね。こういうことは現実にはなかな考えられないでしょう。母親が亡くなったばかりで姉弟二人きりになった状態で、弟を置いて一人で行ってしまう。そんなことは普通は考えられません。あるとすれば、ものすごく激しい葛藤があるはずです。でもそれは全部カットされてしまう。そうするとやっぱり陽菜なら陽菜という人の人間としての奥行きは浅くならざるを得ないわけです。
このドラマでは陽菜が「100%晴れ女」を演じ始めたあたりから、何度も、天気のような自然を思い通りにするような、自然と通じた巫女的な存在というのは、思い通りにできるのと引き換えに、自身が「人柱」にならなければならない運命にある、ということが繰り返し強調されます。その意味ではドラマの興味の中心がそこに絞られ、陽菜がどうなってしまうのか、という興味で見せていくことになります。他者との関係性が捨象されて、ドラマが天気(自然。あるいは運命のようなもの)と陽菜&帆高とが対峙する構図に単純化されている、というのはそういう意味です。
陽菜が人柱になりおおせて、かぐや姫のようにあちらの世界へ行ききりになって、水浸しの人間界を救った英雄になってしまわなかったのは良かった、と私も思いますが・・・
saysei at 14:18|Permalink│Comments(0)│
2019年10月07日
瑠璃光院の(ゆか)みどり

朝からとても爽やかで、体調もここ数日では一番よくて、お天気も散歩びよりだったので、急に思い立ち、思い切って普段着でふらっと朝の散歩に出たまま、叡電で八瀬まで行きました。私の好きなつり橋を渡って上がると瑠璃光院です。

10時開門ですが、9時半ころからもう十数人が門前に並んで待っています。
時刻になると係のお兄さんが、順に入れてくれますが、その際、門前で、良ければ写真を撮りましょうか、と来訪者の持つカメラで写真を撮ってくれたりします。まぁ入場料が2000円なので、それくらいのサービスはあってもおかしくないか・・・(笑)。

この季節は「ゆか紅葉」ならぬ「ゆか緑」、座敷に置かれた広面のつややかなテーブルにおもてに映る外の緑が美しい。これがまぁ一番の見所です。

角度を変えてこちら側も映っています。やっぱり緑だけじゃなくて、数寄屋造りというのですか、書院のこの障子やテラスの桟の直線が区切る平面の幾何学的な美しさというのが、この光景をすばらしいものにしているのでしょうね。

プラスアルファを出すとお茶がいただけるようですが、できれば入場料2000円の中で、お茶の一服くらいはいただけるとありがたい(笑)・・・今日は中国からのお客さんがけっこういました。

庭は苔むして、なかなかいい感じ。

流れも池もしつらえてあります。

これは茶室ですね。いい感じ。

ここを訪れたのはもう3度目か4度目か、もっとかもしれませんが、いつ訪れてもいいな、と思います。ただ最近はへたな時間帯に行くと、ものすごく待たされるので、ちょっと行く日と時間帯は考える必要がありそうです。きょうは静かで気候もすばらしくて、とても良かったです。
saysei at 14:00|Permalink│Comments(0)│
2019年10月04日
「ドレス・コード?」展

京都国立近代美術館は昔からデザイン関係でいい企画展示をしています。古くはポルシェ展だとか、イタリアのソットサスなどの展示とか、もう名前も忘れてしまったけれど、会場の大きなディスプレイで見せていたファッションショーで、登場するモデルの衣服に様々な映像が映し出されて、それ自体が新しい様々な動的な表現になっているような、すばらしい展覧会もありました。
私は服飾デザインには関心も低くてめっぽう弱いのですが、京都服飾文化研究財団がからんで行われる展示は、古典的なモノを見せる展示であっても、同財団の素晴らしいコレクションで西洋の服飾デザイン史を見せてくれて、見ごたえがあるので、同財団の関係者から招待券をいただくと、夫婦で欠かさず見にいきました。

今回もそんなわけで二人で出かけたのですが、残念ながら今回は二人共、ちょっとがっかりして帰ってきました。たしかにモノは並んでいるのですが、モノが並んでいるだけだったな、という印象です。ファッションってこうも理屈っぽいものだったっけ?と部屋ごとの気負ったケレン味いっぱいの「解説」を斜め読みしながら思いました。
なんだか若い世代に媚びたような展示、とはパートナーの言。たしかにそういう面もありました。なにかチャチなものを意味ありげに提示して、それがあたかもクリエイティブな試みであるかのように錯覚していて、そのことに気づかないまま・・・
この展覧会は何が伝えたかったんだろう?どこに企画展を企てたひとたちの主張があるのだろう?それがどうしても見えてきませんでした。
帰りのバスから、車道を外人のいい歳をしたおっさんたちがゴーカートみたいなのを連ねて走らせているのが見えました。幼児化しているのは日本人だけじゃない、世界中そうなんだろうから、仕方がないのかもね・・・というのが、そういう光景を見ながら、失望の展覧会帰りに私たち夫婦の交わした会話でした。

悪口ばかり書きましたが、近美で開催される服飾文化研究財団関連の展覧会でこんなことは初めてです。
昔、ある地方の国道筋に、不味いので有名な一軒のラーメン屋があって、あれはひどい、日本一不味いラーメン屋だ、とトラックの運ちゃんなんかにクチコミで評判になり、みながいったいどんなに不味いんだろう?いっぺん食べてみたい、と押しかけて、いつも客でいっぱいの大繁盛だ、という話を聞いたことがあります。
だから、ときに徹底した悪口もいいのではないでしょうか(笑)。
ぜひこの駄文を読んでくださったみなさんは、私の言を眉に唾つけてお聞きになり、ぜひ自分の目でお確かめください。そして、やっぱりひどく不味かった!とおっしゃるか、いや案外美味かったぜ!とおっしゃるか、また是非聞かせてください。
「ドレス・コード? 着る人たちのゲーム」
京都、岡崎公園の国立近代美術館で8月9日から今月14日まで開催中です。

仁王門通りのほうから疎水べりを歩いてアクセスしたところ、疎水べりに大きな鷺がとまっていました。

すぐ近くを歩いても逃げようともせず、スマホカメラを向けると、川のほうを向いていたのが真横を向いてポーズを取ってくれたのが可笑しかった。

展覧会のほうは、今回は残念ながら、刺激を受けたり、印象に残ったりというものが何もなかったけれど、間近に見た鷺くんが印象に残ったので、きょうのことは記憶にとどめておけそうです(笑)。
saysei at 14:55|Permalink│Comments(0)│