2019年08月
2019年08月31日
『早川幾忠獨談録 東京下町の思ひ出』を読む
これは日本で最後の文人と言われた早川幾忠先生が、80歳を過ぎて言い残しておきたいことを、カセットテープ75巻、80時間分も語り遺された言葉のうち、約30時間に及ぶ、彼が生まれ育った東京下町の思い出話を、息子さんの聞多さんが、お父様が亡くなられて17年後の平成13年に書き起こして編纂し、非売品として関係者に配布されたもののようです。
先般義母が亡くなり、パートナーと共に家の中を整理する中で、この本を見つけ、持ち返って読んでみるとこれが実に面白いのです。
早川先生の著書は以前から義母に勧められて、まず小説「疎開」(1970.のち『天ざかる鄙に五年』として1977年に新潮社から出版)を読み、それ以降も、短歌論の『中院歌論』、『續中院歌論』、あるいは先生の関心が深かった国語論をまとめた『實感的國語論』なども関心に応じて拾い読み、義母のところに積み上げてある先生の展覧会の図録や集大成的な書画篆刻歌集『七十有七年』や『八十有八年』の頁も時折開いてきたのですが、今回読んだこの語りおろしが、私には一番面白かった。
下町江戸っ子の語り口もそのまま記録されていて、途中であらたまった語り口になったり、内容的にもやたらと東京下町の非常にローカルな地域の風景や、どこそこにどんなものを食わせるどんな店があったとか、そこにどんな人間が住んでいて、その細君がどこから嫁いだどんな性格の人間で、旦那の妾がどこに囲われていて、なんてことが延々と語られるので、まぁ東京の下町なんて知らないいまの読者に一般受けしない部分も多いかもしれませんが、そこにはたぶんもうすっかり失われてしまった古きよき貧しき江戸の下町、庶民の暮らしの場が、これ以上ないくらい生き生きと肉声で活写され、またそこに息づいていた人と人との関係のありよう、人情のありようが鮮やかに浮かび上がってくる、すばらしい語りの描写があって、これがより広い読者に知られないのはとても残念な気がします。
「早川幾忠獨談録 東京下町の思ひ出」というタイトルに「明治三十年より昭和初年まで」と語られる時代が添え書きされていて、明治30年深川に生まれた氏が文中の記述を拾えば「俺はいま八十四なんだけど」という歳になって、祖父幾右衞門とその一族が暮らした深川大島あたりのことから語り始め、生涯に27,8度も職業を変えたという「實にでたらめ」で「責任とか義務なんか考へたことはないでせう」と評される、生涯「何をしてるんだかはっきりしない生活をして貧乏を續け」た文久3年生まれの父と、その「父が何をやってどう貧乏しようが、決して不服な顔をしたことがな」く、「黙って父のやるとほりに付いていっ」た、語り手である息子の目からみても「非常に不思議に思って解釋の爲様のない」明治元年生まれの母や兄弟たちとの下町の生活の場を転々と移っていく、その日々の暮らし、出会う人々、目にする光景が生き生きと描かれていきます。
その父が手掛けた「職業」の一こまに、こんなのがあります。
その紙屑の立場(たてば:屑屋が集めてくる屑を仕切て銭に替えてくれる問屋みたいなところ)をやってる男がネ、「實はその紙屑の爲事の中にいい爲事があるんですが、それをやつてみませんか」といふ譯なんだナ。で、どういふ爲事かツていふとネ、神田の下宿屋街、本郷の下宿屋街、そこらを歩くとネ、學生だの書生だのが褌(ふんどし)を捨てるんだナ。洗ふの面倒くせえだらう。そこで汚れると紙屑籠に抛りこんで、そのまま屑屋に出すんだナ。屑屋もそれを少し高く買つてネ、それを集めて日暮里の立場へ持つていくツてえと、その褌だけをまた高く買つてくれるわけだナ。で、それをどうすんのかツていふとネ、世の中ツてもんは實に不思議なもんでネ、それがみんな浴衣だの手拭になるんだヨ。
手拭ツてのは昔は足袋屋の軒下に下がつてたんだ、一本十錢か十五錢でネ。それを職人たちは鉢巻にしたりなんかしたわけだナ。さういふ手拭は新しい晒しの布で作るんぢやないんだ。學生や書生が捨てた褌は六尺だらう。だからそれを半分に切るとちやうど三尺の手拭になるんだナ。・・・
学生が使って捨てた汚れた褌を集め、カルキで晒して、川の流れに据えた大きな石にぶつけて洗い、天日で干して括って染物問屋へ納める、なんて商売の話ですが、これは私なんかは初めて聞く話で、とっても面白かった。江戸時代の生活世界は完全なリサイクル社会だった、と言われることがあるらしいけれど、その名残は明治以降も日本の下町でずっとこうして生き残っていたんでしょうね。
父民治郎はこれをやらないかと声をかけられて、ちょうど仕事の金を使い込んで縄目にかかって出所してきていた語り手の兄にあたる亮一郎という息子に手伝わせようと考えます。
そりやおもしれえ、汚ねえ爲事だけど、どうせあの野郎、つまり亮一郎のことだナ、あいつも臭え飯喰つてきたんだから、そのくらゐのことから始めねえと、何もできやしねえツてんでネ、兄貴にそれをやらせることにしたんだヨ。
この思い出話を読んでいて、私が驚嘆するのは、語り手の信じられないほどの記憶力の良さと強烈な好奇心です。まぁ人並み外れて記憶力の悪い私が言っても値打ちがないようなものではあるのですが、幾忠先生の幼いころからの、周囲の人々や下町の光景、個々の店や食べ物についての記憶は、ものの値段など数字を含めて語り手の頭に刻まれているようで、微に入り細に入り信じられないほど鮮やかな言葉の映像として見えてきます。こんなふうに東京に残っていた下町の光景を、人々を、いまはすっかり失われてしまっただろう店々やそこで出していた食べ物を触感的に語れる人はもういないのではないでしょうか。
女の丸髷を結つていくらだったか知らねえが、ガキの俺なんかの頭は三錢だったナ。バリカンで頭を刈り込むだけだつたがネ。それから錢湯が一錢。俺の家の前が風呂屋ですぐ裏が髪床だつたからナ。そして隣が古着屋だつた。古着屋なんていふと今ではをかしいだらうけど、その時分は古着を賣つててそれが役に立つたんだ。で、その古着屋と俺ン家(ち)との二階が繋がつててナ、その下が三尺ほどの路地になつてて、路地の入口には中に住んでる人の名前がずらりと書いてあつたヨ。式亭三馬の『浮世風呂』の挿繪なんかを見ると、長屋の路地の入口に先達つあんだの海苔屋のおばさんの名前を書いた看板が出てたりするけど、ああいふもんだつたナ。そこを入るとずつと廣くなつててネ、七、八軒の長屋がいく流れかあるわけだナ。俺ン家のすぐ裏が井戸でネ、そこを抜けると裏の通りへ出るんだが、裏通りにはちつぽけな材木屋だの粉屋だの精米所だの髪床なんかがあつてネ、そこのおぢさんやおばさんが子供が好きでみんなよく集まってたナ。
それにまじつて駄菓子屋があつた。一文字菓子屋だナ。一間半くらゐの間口の普通の家でネ、表が開けてあつて出格子を取つぱらつた所に菓子の箱を竝べてた。大抵ばあさんがやつてんだヨ。その時分の駄菓子ツてえと捻りん棒だとか花林糖だとか金花糖といつたものでネ、それに一錢のアテ物なんかもあつたナ。それはボール紙の上に紙縒(こより)でできた小さなクジが糊で貼つてあつてネ、それをはがすと一等からハヅレまで書いてあるんだ。ハヅレといつたつて何かちよつとしたもんをくれるんだけど、そのアテ物をみんなめくりに行つたもんだヨ。それから貝獨樂(べえごま)なんかも賣つてて、正月が近付くと奴凧なんかも賣つてたもんだ。そしてかたがた心太(ところてん)だの蜜パンなど、さういふものも賣つてた。
で、さういふ所で蜜豆を賣つてたんだナ。飯碗ぐらゐのガラスの入れ物に作つてくれるんだが、蜜豆ツてえのは茹でた豌豆豆(えんどうまめ)に蜜をかけたつて美味くなんかねえヨナ。それがネ、あの賽(さい)の目に切つた寒天を混ぜて蜜をかけたら乙なもんになるんだナ。・・・・
子供だから駄菓子などへの関心は高いけれど、駄菓子だけではなく、食べ物一般についてはこの語りの中でも非常に詳しく鮮明な記憶と自分の舌で味わったものについての評価を述べていて、彼の関心、執着の高さを示しているようです。そういう場面での語り手の幼いころからの好奇心の強さは際立っているように思えます。自分を取り巻く下町世界への好奇心の強さが、その子細な観察眼を支え、この記憶の語りを生んでいることが納得できるようです。
語り手が十六、七のころ、文芸仲間と遊んだ千住、荒川あたりのことを思い出しながら、芭蕉のことを連想して語る部分もとても面白い。
芭蕉が「奥の細道」の旅に出發する時、千住で見送りのみんなと別れるよナ。その際に「行く春や鳥啼き魚の目は泪」ツて句を作るが、あれはどうやら俺たちが遊んだ荒川土手の掛茶屋のやうな所で作つたんぢゃないのかナ。俺たちは夜中だが、芭蕉は朝早く深川を出て舟に乗つて大川から隅田川を上つてネ、千住に着いて土手に上がつて、そこでみんなと別れを告げて日光へ旅立つて行つたに違ひないんだ。當時そんなことをみんなで言ひ合つたもんだ。
すつと後になつて、俺はその時の「魚の目は泪」は白魚の目だと思ふやうになつたんだ。隅田川の白魚ツてのはネ、向島の小梅に住んだ水戸光圀公が白魚が大好きでネ、故郷の三河から白魚の種をとり寄せて、隅田川に移植したとどこかに書いてあつたナ。だから元禄の頃には隅田川の名産になつてたんぢゃないかナ。芭蕉の句に「白魚にあたひあるこそうらみなれ」ツてのがあるからナ。あれなんかは深川の芭蕉庵での經験から詠んだ句だと思ふんだ。芭蕉が「奥の細道」に旅立つ季節は春も彌生だからちやうど白魚の旬だからネ、白魚を肴に一杯やつてみんなと別れたんだと思ふんだ。白魚ツて魚は全躰が半透明で、目だけが見事に黒いからナ。「行く春や鳥啼き魚の目は泪」ツて聞くと、俺は白魚の目を思ひだすんだ。・・・
早川先生が、いまではミシェランの三ツ星か何かで世界に知れ渡ってしまった嵯峨は鰻の廣川の創業にアドバイスしたというような話は義母から聴いていましたし、彼が、自分は鰻屋の息子だから、とおっしゃっていたことや、鰻が大好きで廣川にもよくいらしたことは知っていましたが、この語りの中でも鰻はどこでとれたのが美味いとか、鰻屋へ入ったら刺身なんぞ注文しちゃいけないとか、鰻の肝は本体の鰻が食べられないやつが、食べるもんだとか、いろんなところで顔を出し、その蘊蓄に啓蒙されます。
僕がもの心ついた頃は、家は深川の永代橋の角で鰻屋をやつてゐた。僕が明治三十年生まれだから三十二年頃だナ。店の名前は金田ツていつてネ、江戸時代からの鰻屋で名前はいいらしいヨ。それを御袋が兩國の倉田ツていふ料理屋のおかみさんからもらつたんだ。・・・・家にゐた職人は綱平ツていつて、あばたツ面で四十くらゐだつたけれど、お袋が言ふには、それが毎日「めそつこ」ツていふ鰻の小さなのを割いてネ、ちやんとタレを付けて蒲焼にしてネ、赤ん坊の俺に喰はしてたさうだ。だからお前は鰻を食べて育ったんだよツて言つてたナ。
こういうところを読むと早川先生と鰻の切っても切れない関係(笑)がよくわかりますね。
食べ物やそれを売る店などへの関心と同時に、人に対する関心も子供としては驚嘆するほかないほど高いと思います。どこそこのこういう女性はだれそれのお妾さんで、とか(笑)、誰の亭主とどこやらの女性とがいい仲になってしまって、どこそこへ逃げ込んで住まわせてもらっていたとか(笑)、まあそういう話は大人の世界でもすぐ伝わるし、こどもも傍で否応なく聞こえてきて心得るようになるのでしょうが、次々に生まれてくる子が、どこそこへもわられていったとか、どこそこから戻って来たとか、そういう形の人の行き来というのは、現代とはまるで違った、当時の下町の世界に住む人々の間では、ごくありふれた人のやりとり、居場所の交換みたいな往来が、表の世界とは違ったネットワークを形成していたんだろうな、と感じさせるようなところがあります。
この物語の語り手は若い女性の素敵な姿もきっちりとらえて記憶しています。
そしてお諏訪さまの前から一本道を先にゆくとネ、また一軒の掛茶屋があったヨ。その掛茶屋では時に人が休んでゐてネ、甘酒をすすつたり心太(ところてん)をすすつたりしてゐた。道灌山の上の一本道は一應上野から王子の方へ行く街道だつたんだらうナ。それであんな道端に掛茶屋があつたんだらう。春時分にその掛茶屋の前を通りかかつたら、女の子が茶を出したり甘酒を出したりしてんのが見えたが、その女の子ツていふのがネ、これが切紙細工のやうな江戸前の女の子なんで驚いたヨ。桃割に結つてネ、黒襟のかかつた黄八丈の着物に赤い帯赤い前垂を型のごとく着てんだナ。それが甘酒を汲んで出したりしてんのを見てるとネ、まつたく切紙細工の女の子ぢゃねえかと思ふやうにキチツとしててネ、そこの風景にぴつたり嵌つてるやうだつたナ。
エピソードとしては、貧しさゆえ交通費もなく、徒歩で北国から東京まで出てきて、お金もたべものも尽きて、行き倒れのように寒い冬の夜を、まだ子供だった語り手の彼の家の軒下を借りて一夜を過ごした親子に語り手の母親が握り飯を食べさせたり、持たせたりしてやる話や、自分たちが住んでいたところに近い後方の丘の上に住んでいた15-6人の乞食たちが、こちらの人間は偏見もあって、貸家全体のための裏の井戸で、飲み水だけでなくこっそり洗濯などもしてるんじゃないか、と思って夜になって見ていると、彼らはきちんと汚れものは川で洗い、飲み水だけ井戸水を薬罐に汲んで帰った、朝になればこちらの人間にも挨拶の声をかけて仕事にいく、「乞食ツてえと今ぢや社會人として失格みたいに思ふだらうがネ、だいたい乞食をする人間てものは、あんまり悪い人間はゐねえんだ。」と。どちらもいい話でした。
お兄さんが銭湯へいく途中で、汽車に飛び込んで、足も飛んで失せたのにまだ生きていて、医者を呼んでくれ、と言ったという話で、やっぱり借金だろうな、と言い、また家から二軒ばかり東寄りの貸家で首くくりがあった、ということを語ったあとに続く言葉・・・
そんな事があるとネ、今なら政治がどうの行政がどうしなきゃいけねえとか、すぐ言ふだらう。でもナ、そんなことと生きるツてことは何の関係もなかつたナ。お互ひかうやつて世の中に生まれついてネ、そして生きていくことは自分たちのやることだつたんだ。今なら自己責任とか扶養義務とかいふよナ。昔はそんなこともいやしないヨ。自分たちが生きていくことは自分たちがやるんだナ。米が買へなかつたら食はないこともあるだらうし、またお粥にして食ふこともあるだらう。それでもネ、自分たちは自分たちでやつていくツてことなんだナ。さういふことは別に教はつたこ譯でも何でもねえんだ。全部自然なんだナ。ガキの時から自然にさういふ風に思つてたんぢゃねえのかナ。今の世の中は随分樂になつたよナ。もし何かさういふ社會に缺けたことが出てくるとすぐにネ、どこか相談所へ行つたり役所へ救済を求めに行つたりするよナ。でも昔はナ、さういふ世の中を整へるツていふことと人間が生きてゆくツてこととは、なんか知らないけど直接關係するもんぢゃなかつたナ。それで政治に缺陷があるとか政治の傾向がどうだとか、さういふおとは考へてもみなかつたヨ。
こんなこと言ふとネ、今の人間はその時分はみんな無知で無學でヨ、社會のことも政治のことも何も知らなかったからツて考へたり言つたりするだらう。そんなことは大嘘だヨ。俺は特に生意氣でませてたが、今の若いのに比べりや、その時分の人間は皆ませてたんぢゃねえのかナ。その頃俺は數えの十七、今なら十六歳だヨ。そんな俺がすでにいろんなことを知ってたヨ。
彼が物語ってきた、当時の東京下町のさまざまな生き方、けれども均並みに貧しい、それらの人々の暮らし、日々の生きようをつぶさにたどった末に、こんな言葉に出遭うと、私たちのこの「樂」で昔とは比べられないほど豊かな生活というのは何だったのだろう、どこで私たちはまっとうな人間としての「自然な」生き方、ものの考え方というのを失ってきたのだろう、と思わずにはいられないところがあります。
早川先生はまだごく若い二十歳にもならない頃に、浅草の曾我廼家五九郎の座付作者をつとめていたことがあったようです。
俺が浅草の曾我廼家五九郎の座付作者だつたのはネ、大正四年の一月からその年の九月に一座が解散するまでなんだ。五九郎一座に入る前は本所の埋堀町に住んで精工舎の職工になつてたんだが、職工してても爲様がないから喜劇を二つ書いてネ、四十枚くらゐのを二つ五九郎の所に送つたんだ。そしたらすぐ來てくれツてんで、數への十八の七月に五九郎の所に行つたんだ。そしたら五九郎がびつくりしてネ、「早川くんツて君かい。まだ子供ぢゃないのか」ツて笑つてネ、「たいへんうまいんで、すぐ來てもらつたんだけど、そんな子供で作者になるのか」ツて訊くんで、なりたいツて言つたら「ぢゃおいで」ツてことになつたんだナ。・・・
上の学校へも貧しさゆえに進めず、絵も肖像画家(実はただの肖像画家ではなく油絵も描くアーチストだったようですが)の所で勉強し、琵琶も偶然に聴いたすばらしい演奏に惚れて修行する、父親が聴講した大学の講義録を全部自分で読んでしまう・・・そんなふうに早川先生は多様な芸術や学問を若いころから独学で身につけていかれたのですね。私が最初に拝読した「疎開」は小林秀雄が激賞して文芸誌に掲載されたとたしか義母から聞いたことがあります。
「疎開」を読んで面白かったのは、その小説の素材とした疎開の時期は、この本の巻末年表によれば先生が既に50歳にさしかかったころですが、考え方が非常に合理的で、きっとこんな戦争は早く終わればいいと思っておられて、敗戦でやれやれ、とホッとされ、やってきた進駐軍はそれこそ解放軍のように感じられただろう、というような感触でした。
そういう感触は、ご高齢になられてから、直接お目にかかった早川先生からも少しも変わらず感じ取れました。80歳を超えてもチャキチャキの江戸下町っ子という印象でした。
30時間にわたって自らの過去を語って来た語り手が最後に語る「親父とお袋のこと」には、「下町の不思議な夫婦」というサブタイトルが添えてあります。語り手は自分の両親を「不思議な夫婦」とあえて第三者の目で見るような、一見とぼけているかのようにもみえる表現で語っているのですが、このさりげなさは、ここでおそらく両親への限りなく哀切な想いに涙なしには二人のことを語りえなかった語りてのshynessの表現、照れ隠しのように私には思えました。この長い物語の掉尾を飾る両親への素晴らしい手向けだし、そこまで彼の語りに耳を傾けてきた私(たち)読者も涙なしには読めないラストでした。
先般義母が亡くなり、パートナーと共に家の中を整理する中で、この本を見つけ、持ち返って読んでみるとこれが実に面白いのです。
早川先生の著書は以前から義母に勧められて、まず小説「疎開」(1970.のち『天ざかる鄙に五年』として1977年に新潮社から出版)を読み、それ以降も、短歌論の『中院歌論』、『續中院歌論』、あるいは先生の関心が深かった国語論をまとめた『實感的國語論』なども関心に応じて拾い読み、義母のところに積み上げてある先生の展覧会の図録や集大成的な書画篆刻歌集『七十有七年』や『八十有八年』の頁も時折開いてきたのですが、今回読んだこの語りおろしが、私には一番面白かった。
下町江戸っ子の語り口もそのまま記録されていて、途中であらたまった語り口になったり、内容的にもやたらと東京下町の非常にローカルな地域の風景や、どこそこにどんなものを食わせるどんな店があったとか、そこにどんな人間が住んでいて、その細君がどこから嫁いだどんな性格の人間で、旦那の妾がどこに囲われていて、なんてことが延々と語られるので、まぁ東京の下町なんて知らないいまの読者に一般受けしない部分も多いかもしれませんが、そこにはたぶんもうすっかり失われてしまった古きよき貧しき江戸の下町、庶民の暮らしの場が、これ以上ないくらい生き生きと肉声で活写され、またそこに息づいていた人と人との関係のありよう、人情のありようが鮮やかに浮かび上がってくる、すばらしい語りの描写があって、これがより広い読者に知られないのはとても残念な気がします。
「早川幾忠獨談録 東京下町の思ひ出」というタイトルに「明治三十年より昭和初年まで」と語られる時代が添え書きされていて、明治30年深川に生まれた氏が文中の記述を拾えば「俺はいま八十四なんだけど」という歳になって、祖父幾右衞門とその一族が暮らした深川大島あたりのことから語り始め、生涯に27,8度も職業を変えたという「實にでたらめ」で「責任とか義務なんか考へたことはないでせう」と評される、生涯「何をしてるんだかはっきりしない生活をして貧乏を續け」た文久3年生まれの父と、その「父が何をやってどう貧乏しようが、決して不服な顔をしたことがな」く、「黙って父のやるとほりに付いていっ」た、語り手である息子の目からみても「非常に不思議に思って解釋の爲様のない」明治元年生まれの母や兄弟たちとの下町の生活の場を転々と移っていく、その日々の暮らし、出会う人々、目にする光景が生き生きと描かれていきます。
その父が手掛けた「職業」の一こまに、こんなのがあります。
その紙屑の立場(たてば:屑屋が集めてくる屑を仕切て銭に替えてくれる問屋みたいなところ)をやってる男がネ、「實はその紙屑の爲事の中にいい爲事があるんですが、それをやつてみませんか」といふ譯なんだナ。で、どういふ爲事かツていふとネ、神田の下宿屋街、本郷の下宿屋街、そこらを歩くとネ、學生だの書生だのが褌(ふんどし)を捨てるんだナ。洗ふの面倒くせえだらう。そこで汚れると紙屑籠に抛りこんで、そのまま屑屋に出すんだナ。屑屋もそれを少し高く買つてネ、それを集めて日暮里の立場へ持つていくツてえと、その褌だけをまた高く買つてくれるわけだナ。で、それをどうすんのかツていふとネ、世の中ツてもんは實に不思議なもんでネ、それがみんな浴衣だの手拭になるんだヨ。
手拭ツてのは昔は足袋屋の軒下に下がつてたんだ、一本十錢か十五錢でネ。それを職人たちは鉢巻にしたりなんかしたわけだナ。さういふ手拭は新しい晒しの布で作るんぢやないんだ。學生や書生が捨てた褌は六尺だらう。だからそれを半分に切るとちやうど三尺の手拭になるんだナ。・・・
学生が使って捨てた汚れた褌を集め、カルキで晒して、川の流れに据えた大きな石にぶつけて洗い、天日で干して括って染物問屋へ納める、なんて商売の話ですが、これは私なんかは初めて聞く話で、とっても面白かった。江戸時代の生活世界は完全なリサイクル社会だった、と言われることがあるらしいけれど、その名残は明治以降も日本の下町でずっとこうして生き残っていたんでしょうね。
父民治郎はこれをやらないかと声をかけられて、ちょうど仕事の金を使い込んで縄目にかかって出所してきていた語り手の兄にあたる亮一郎という息子に手伝わせようと考えます。
そりやおもしれえ、汚ねえ爲事だけど、どうせあの野郎、つまり亮一郎のことだナ、あいつも臭え飯喰つてきたんだから、そのくらゐのことから始めねえと、何もできやしねえツてんでネ、兄貴にそれをやらせることにしたんだヨ。
この思い出話を読んでいて、私が驚嘆するのは、語り手の信じられないほどの記憶力の良さと強烈な好奇心です。まぁ人並み外れて記憶力の悪い私が言っても値打ちがないようなものではあるのですが、幾忠先生の幼いころからの、周囲の人々や下町の光景、個々の店や食べ物についての記憶は、ものの値段など数字を含めて語り手の頭に刻まれているようで、微に入り細に入り信じられないほど鮮やかな言葉の映像として見えてきます。こんなふうに東京に残っていた下町の光景を、人々を、いまはすっかり失われてしまっただろう店々やそこで出していた食べ物を触感的に語れる人はもういないのではないでしょうか。
女の丸髷を結つていくらだったか知らねえが、ガキの俺なんかの頭は三錢だったナ。バリカンで頭を刈り込むだけだつたがネ。それから錢湯が一錢。俺の家の前が風呂屋ですぐ裏が髪床だつたからナ。そして隣が古着屋だつた。古着屋なんていふと今ではをかしいだらうけど、その時分は古着を賣つててそれが役に立つたんだ。で、その古着屋と俺ン家(ち)との二階が繋がつててナ、その下が三尺ほどの路地になつてて、路地の入口には中に住んでる人の名前がずらりと書いてあつたヨ。式亭三馬の『浮世風呂』の挿繪なんかを見ると、長屋の路地の入口に先達つあんだの海苔屋のおばさんの名前を書いた看板が出てたりするけど、ああいふもんだつたナ。そこを入るとずつと廣くなつててネ、七、八軒の長屋がいく流れかあるわけだナ。俺ン家のすぐ裏が井戸でネ、そこを抜けると裏の通りへ出るんだが、裏通りにはちつぽけな材木屋だの粉屋だの精米所だの髪床なんかがあつてネ、そこのおぢさんやおばさんが子供が好きでみんなよく集まってたナ。
それにまじつて駄菓子屋があつた。一文字菓子屋だナ。一間半くらゐの間口の普通の家でネ、表が開けてあつて出格子を取つぱらつた所に菓子の箱を竝べてた。大抵ばあさんがやつてんだヨ。その時分の駄菓子ツてえと捻りん棒だとか花林糖だとか金花糖といつたものでネ、それに一錢のアテ物なんかもあつたナ。それはボール紙の上に紙縒(こより)でできた小さなクジが糊で貼つてあつてネ、それをはがすと一等からハヅレまで書いてあるんだ。ハヅレといつたつて何かちよつとしたもんをくれるんだけど、そのアテ物をみんなめくりに行つたもんだヨ。それから貝獨樂(べえごま)なんかも賣つてて、正月が近付くと奴凧なんかも賣つてたもんだ。そしてかたがた心太(ところてん)だの蜜パンなど、さういふものも賣つてた。
で、さういふ所で蜜豆を賣つてたんだナ。飯碗ぐらゐのガラスの入れ物に作つてくれるんだが、蜜豆ツてえのは茹でた豌豆豆(えんどうまめ)に蜜をかけたつて美味くなんかねえヨナ。それがネ、あの賽(さい)の目に切つた寒天を混ぜて蜜をかけたら乙なもんになるんだナ。・・・・
子供だから駄菓子などへの関心は高いけれど、駄菓子だけではなく、食べ物一般についてはこの語りの中でも非常に詳しく鮮明な記憶と自分の舌で味わったものについての評価を述べていて、彼の関心、執着の高さを示しているようです。そういう場面での語り手の幼いころからの好奇心の強さは際立っているように思えます。自分を取り巻く下町世界への好奇心の強さが、その子細な観察眼を支え、この記憶の語りを生んでいることが納得できるようです。
語り手が十六、七のころ、文芸仲間と遊んだ千住、荒川あたりのことを思い出しながら、芭蕉のことを連想して語る部分もとても面白い。
芭蕉が「奥の細道」の旅に出發する時、千住で見送りのみんなと別れるよナ。その際に「行く春や鳥啼き魚の目は泪」ツて句を作るが、あれはどうやら俺たちが遊んだ荒川土手の掛茶屋のやうな所で作つたんぢゃないのかナ。俺たちは夜中だが、芭蕉は朝早く深川を出て舟に乗つて大川から隅田川を上つてネ、千住に着いて土手に上がつて、そこでみんなと別れを告げて日光へ旅立つて行つたに違ひないんだ。當時そんなことをみんなで言ひ合つたもんだ。
すつと後になつて、俺はその時の「魚の目は泪」は白魚の目だと思ふやうになつたんだ。隅田川の白魚ツてのはネ、向島の小梅に住んだ水戸光圀公が白魚が大好きでネ、故郷の三河から白魚の種をとり寄せて、隅田川に移植したとどこかに書いてあつたナ。だから元禄の頃には隅田川の名産になつてたんぢゃないかナ。芭蕉の句に「白魚にあたひあるこそうらみなれ」ツてのがあるからナ。あれなんかは深川の芭蕉庵での經験から詠んだ句だと思ふんだ。芭蕉が「奥の細道」に旅立つ季節は春も彌生だからちやうど白魚の旬だからネ、白魚を肴に一杯やつてみんなと別れたんだと思ふんだ。白魚ツて魚は全躰が半透明で、目だけが見事に黒いからナ。「行く春や鳥啼き魚の目は泪」ツて聞くと、俺は白魚の目を思ひだすんだ。・・・
早川先生が、いまではミシェランの三ツ星か何かで世界に知れ渡ってしまった嵯峨は鰻の廣川の創業にアドバイスしたというような話は義母から聴いていましたし、彼が、自分は鰻屋の息子だから、とおっしゃっていたことや、鰻が大好きで廣川にもよくいらしたことは知っていましたが、この語りの中でも鰻はどこでとれたのが美味いとか、鰻屋へ入ったら刺身なんぞ注文しちゃいけないとか、鰻の肝は本体の鰻が食べられないやつが、食べるもんだとか、いろんなところで顔を出し、その蘊蓄に啓蒙されます。
僕がもの心ついた頃は、家は深川の永代橋の角で鰻屋をやつてゐた。僕が明治三十年生まれだから三十二年頃だナ。店の名前は金田ツていつてネ、江戸時代からの鰻屋で名前はいいらしいヨ。それを御袋が兩國の倉田ツていふ料理屋のおかみさんからもらつたんだ。・・・・家にゐた職人は綱平ツていつて、あばたツ面で四十くらゐだつたけれど、お袋が言ふには、それが毎日「めそつこ」ツていふ鰻の小さなのを割いてネ、ちやんとタレを付けて蒲焼にしてネ、赤ん坊の俺に喰はしてたさうだ。だからお前は鰻を食べて育ったんだよツて言つてたナ。
こういうところを読むと早川先生と鰻の切っても切れない関係(笑)がよくわかりますね。
食べ物やそれを売る店などへの関心と同時に、人に対する関心も子供としては驚嘆するほかないほど高いと思います。どこそこのこういう女性はだれそれのお妾さんで、とか(笑)、誰の亭主とどこやらの女性とがいい仲になってしまって、どこそこへ逃げ込んで住まわせてもらっていたとか(笑)、まあそういう話は大人の世界でもすぐ伝わるし、こどもも傍で否応なく聞こえてきて心得るようになるのでしょうが、次々に生まれてくる子が、どこそこへもわられていったとか、どこそこから戻って来たとか、そういう形の人の行き来というのは、現代とはまるで違った、当時の下町の世界に住む人々の間では、ごくありふれた人のやりとり、居場所の交換みたいな往来が、表の世界とは違ったネットワークを形成していたんだろうな、と感じさせるようなところがあります。
この物語の語り手は若い女性の素敵な姿もきっちりとらえて記憶しています。
そしてお諏訪さまの前から一本道を先にゆくとネ、また一軒の掛茶屋があったヨ。その掛茶屋では時に人が休んでゐてネ、甘酒をすすつたり心太(ところてん)をすすつたりしてゐた。道灌山の上の一本道は一應上野から王子の方へ行く街道だつたんだらうナ。それであんな道端に掛茶屋があつたんだらう。春時分にその掛茶屋の前を通りかかつたら、女の子が茶を出したり甘酒を出したりしてんのが見えたが、その女の子ツていふのがネ、これが切紙細工のやうな江戸前の女の子なんで驚いたヨ。桃割に結つてネ、黒襟のかかつた黄八丈の着物に赤い帯赤い前垂を型のごとく着てんだナ。それが甘酒を汲んで出したりしてんのを見てるとネ、まつたく切紙細工の女の子ぢゃねえかと思ふやうにキチツとしててネ、そこの風景にぴつたり嵌つてるやうだつたナ。
エピソードとしては、貧しさゆえ交通費もなく、徒歩で北国から東京まで出てきて、お金もたべものも尽きて、行き倒れのように寒い冬の夜を、まだ子供だった語り手の彼の家の軒下を借りて一夜を過ごした親子に語り手の母親が握り飯を食べさせたり、持たせたりしてやる話や、自分たちが住んでいたところに近い後方の丘の上に住んでいた15-6人の乞食たちが、こちらの人間は偏見もあって、貸家全体のための裏の井戸で、飲み水だけでなくこっそり洗濯などもしてるんじゃないか、と思って夜になって見ていると、彼らはきちんと汚れものは川で洗い、飲み水だけ井戸水を薬罐に汲んで帰った、朝になればこちらの人間にも挨拶の声をかけて仕事にいく、「乞食ツてえと今ぢや社會人として失格みたいに思ふだらうがネ、だいたい乞食をする人間てものは、あんまり悪い人間はゐねえんだ。」と。どちらもいい話でした。
お兄さんが銭湯へいく途中で、汽車に飛び込んで、足も飛んで失せたのにまだ生きていて、医者を呼んでくれ、と言ったという話で、やっぱり借金だろうな、と言い、また家から二軒ばかり東寄りの貸家で首くくりがあった、ということを語ったあとに続く言葉・・・
そんな事があるとネ、今なら政治がどうの行政がどうしなきゃいけねえとか、すぐ言ふだらう。でもナ、そんなことと生きるツてことは何の関係もなかつたナ。お互ひかうやつて世の中に生まれついてネ、そして生きていくことは自分たちのやることだつたんだ。今なら自己責任とか扶養義務とかいふよナ。昔はそんなこともいやしないヨ。自分たちが生きていくことは自分たちがやるんだナ。米が買へなかつたら食はないこともあるだらうし、またお粥にして食ふこともあるだらう。それでもネ、自分たちは自分たちでやつていくツてことなんだナ。さういふことは別に教はつたこ譯でも何でもねえんだ。全部自然なんだナ。ガキの時から自然にさういふ風に思つてたんぢゃねえのかナ。今の世の中は随分樂になつたよナ。もし何かさういふ社會に缺けたことが出てくるとすぐにネ、どこか相談所へ行つたり役所へ救済を求めに行つたりするよナ。でも昔はナ、さういふ世の中を整へるツていふことと人間が生きてゆくツてこととは、なんか知らないけど直接關係するもんぢゃなかつたナ。それで政治に缺陷があるとか政治の傾向がどうだとか、さういふおとは考へてもみなかつたヨ。
こんなこと言ふとネ、今の人間はその時分はみんな無知で無學でヨ、社會のことも政治のことも何も知らなかったからツて考へたり言つたりするだらう。そんなことは大嘘だヨ。俺は特に生意氣でませてたが、今の若いのに比べりや、その時分の人間は皆ませてたんぢゃねえのかナ。その頃俺は數えの十七、今なら十六歳だヨ。そんな俺がすでにいろんなことを知ってたヨ。
彼が物語ってきた、当時の東京下町のさまざまな生き方、けれども均並みに貧しい、それらの人々の暮らし、日々の生きようをつぶさにたどった末に、こんな言葉に出遭うと、私たちのこの「樂」で昔とは比べられないほど豊かな生活というのは何だったのだろう、どこで私たちはまっとうな人間としての「自然な」生き方、ものの考え方というのを失ってきたのだろう、と思わずにはいられないところがあります。
早川先生はまだごく若い二十歳にもならない頃に、浅草の曾我廼家五九郎の座付作者をつとめていたことがあったようです。
俺が浅草の曾我廼家五九郎の座付作者だつたのはネ、大正四年の一月からその年の九月に一座が解散するまでなんだ。五九郎一座に入る前は本所の埋堀町に住んで精工舎の職工になつてたんだが、職工してても爲様がないから喜劇を二つ書いてネ、四十枚くらゐのを二つ五九郎の所に送つたんだ。そしたらすぐ來てくれツてんで、數への十八の七月に五九郎の所に行つたんだ。そしたら五九郎がびつくりしてネ、「早川くんツて君かい。まだ子供ぢゃないのか」ツて笑つてネ、「たいへんうまいんで、すぐ來てもらつたんだけど、そんな子供で作者になるのか」ツて訊くんで、なりたいツて言つたら「ぢゃおいで」ツてことになつたんだナ。・・・
上の学校へも貧しさゆえに進めず、絵も肖像画家(実はただの肖像画家ではなく油絵も描くアーチストだったようですが)の所で勉強し、琵琶も偶然に聴いたすばらしい演奏に惚れて修行する、父親が聴講した大学の講義録を全部自分で読んでしまう・・・そんなふうに早川先生は多様な芸術や学問を若いころから独学で身につけていかれたのですね。私が最初に拝読した「疎開」は小林秀雄が激賞して文芸誌に掲載されたとたしか義母から聞いたことがあります。
「疎開」を読んで面白かったのは、その小説の素材とした疎開の時期は、この本の巻末年表によれば先生が既に50歳にさしかかったころですが、考え方が非常に合理的で、きっとこんな戦争は早く終わればいいと思っておられて、敗戦でやれやれ、とホッとされ、やってきた進駐軍はそれこそ解放軍のように感じられただろう、というような感触でした。
そういう感触は、ご高齢になられてから、直接お目にかかった早川先生からも少しも変わらず感じ取れました。80歳を超えてもチャキチャキの江戸下町っ子という印象でした。
30時間にわたって自らの過去を語って来た語り手が最後に語る「親父とお袋のこと」には、「下町の不思議な夫婦」というサブタイトルが添えてあります。語り手は自分の両親を「不思議な夫婦」とあえて第三者の目で見るような、一見とぼけているかのようにもみえる表現で語っているのですが、このさりげなさは、ここでおそらく両親への限りなく哀切な想いに涙なしには二人のことを語りえなかった語りてのshynessの表現、照れ隠しのように私には思えました。この長い物語の掉尾を飾る両親への素晴らしい手向けだし、そこまで彼の語りに耳を傾けてきた私(たち)読者も涙なしには読めないラストでした。
saysei at 19:22|Permalink│Comments(2)│
2019年08月29日
劉慈欣の『三体』をよむ
ふだんSFを読むことなんてないのですが、やたら評判のようなので、この中国製SFを読んでみました。と言っても、まだこれ第一部だそうで、第二部、第三部までこの何倍かの分量があるらしい(笑)。
でもこの巻はこの巻で一応完結的に読めますし、昨日、今日と何時間かずつ費して400ページを超える分厚い単行本を一気に読んでしまうほど、評判どおり確かに面白かったです。文章、構成、描写がしっかりしていて、たとえば冒頭の文化大革命で主役の一人である葉文潔の父親哲泰が弾劾され殺される場面などは、リアリズム小説のように迫力があるし、もう一人の主役汪淼(ワン・ミャオ)が入っていくゲームの世界は、現実かゲームの世界か分からなくなるようなバーチャルリアリティの世界として奇想天外でありながら生々しい現実感を持っているし、文潔の語る紅岸基地での物語は、その上司雷や揚とのことも含めて、スパイ小説や推理小説のように謎を追っかけてクワクするし、次第に「三体」の正体が明かされるにつれて途方もなく広大な宇宙スケールのSFの枠組が見えてくる、という具合で、それらが混然一体となって飽かせず展開されるので、つい引き込まれてしまいました。
小松左京が昔、「われわれ(SF作家)は学問の消費者だ」なんて言ったことがありますが、この小説もまあ素粒子論や宇宙物理や情報科学やらナノテクやら大量の現代科学の知見を「消費」した作品で、そういう分野の表層だけでも幅広くかすめたことのある人なら、思わずにんまりしたくなるようなところが盛りだくさん。それが非常にうまくこの作品の部品として有効に使われているのに感心します。
人と人が出遭い、ぶつかって何ごとかが起きるドラマの面は、だいたいSFはつまらないんじゃないか、という偏見を私は持っていますが(笑)、葉一家の夫婦、親子の関係や汪淼のような知識人と史強のような軍曹タイプのたたき上げの人間との対照など、しっかり奥行きを持って描かれているようです。
エヴァンズの基地である船を壊滅させるシーンなどは荒唐無稽なSF的設定なのに、ぞくっとするような現実的な恐怖感をもたらす新鮮さがありました。また、ゲーム世界に出てくる秦の始皇帝の兵士たちを使った人海戦術によるコンピュータのシーンは素晴らしく面白かったです。
もちろん私がふだんからSFに懐いているような偏見のもとになっているような荒唐無稽さというのも、例えば三体世界の側から描いた部分などでは感じましたが、彼らの「監視員」が、地球のことを「乱紀」も「恒紀」もない「けっして凍りつくことのない青い太洋と、緑の森や野原」や「あたたかな陽光と涼しいそよ風」に満ちた楽園のように夢想する場面などは、あぁ、そういう世界からみたら、私たちの生きるこの星はそう見えるんだろうなぁ、と感慨深く思いました。それまでさんざん地球の側の絶望的な状況が描かれ、そこで諍いを繰り返し、殺し合い、苦しみ傷つく登場人物たちを見てきたし、それゆえにそんな現実を否定し、別の世界を求める登場人物たちの気持ちにも共感してきたわけですから、そこまできて、くるっと反転した視点を示されて、なんだかそれまで寄り添ってきた世界、自分もまたその中でもがいている小さな世界が相対的なもの、ずっと距離の離れたところにある世界のように見えたのです。
考えてみれば、この作品の世界全体が、いま私たちが生きている理不尽で邪悪さに満ち、どこか根本的に間違っていて、奈落の底へ落ちて行くほかはないような現実の世界への、つよい否定的な想いで成り立っているのでしょう。たどっていく道筋も、たどりついた結論もそれぞれ違うけれど、登場人物たちもみな、現実のいまのこの世界のありように対して否定的だからこそ、それを破壊しようとし、或いはそこから脱出しようとし、或いはまた存在するかどうかも分からない「外部」に、あるいは超越的なものに救いを求めようとするのでしょう。そうした否定の想いがこの作品の根幹にあって、それは中国人作家だからあの文化大革命の時代をどう否定するかとか、現在の体制をどう評価するかといった狭い意味の政治性などではない、より根底的なこの世界への異和なのだろうと思います。
そういう太い基軸、ごっつい核のようなものがあって、そこからすべての登場人物たちの多様なものの感じ方、考え方、行動の仕方が生まれてきている、という気がしました。また、そこらあたりが、エンターテインメントとしての面白さといったことだけではなくて、もっと深いところで、私たちが生きているこの世界に対する異和を感じながら生きている多くの読者をとらえているのではないか、という気がします。
今回私が感覚的に不思議な感じがして、SFというのも面白いな、と印象的だったのは、主人公文潔が太陽という増幅器を使って大出力で宇宙空間へ情報を発信したのに対して、9年後だっけ、返事が返ってくる、あるいは三体世界から艦隊がやってくるのは450年後でしたっけ、そういうタイムスパンの問題でした。450年後とかって、この作品の登場人物はみな確実にいなくなっているわけだし、ひとつの単純な信号をたった一度受発信するにも10年近くかかるとすれば、そういう時間の間に登場人物の人生の主要な時間は終わってしまうわけですね。
だから仮に宇宙人がいたとして、その宇宙人と私たちとの間にドラマが発生するとすれば、原則としてその接触の瞬間しかないわけで、なんら接触のない間の長い長い時間というのは何もないわけです。向こうは向こうで、こちらはこちらで、それぞれの時間が経過し、それぞれの内部にドラマはあっても、こちらとあちらとの間にドラマは無い。それがこの作品ではひょいと橋が架けられているのが面白かったです。
ほうっと星空など見ていると(子供の頃はまだよく満天の星がよく見えたものです)、日常的なことがとるにたりないちっぽけなものに見えるという体験は誰もがしているでしょうが、こういう小説を読むとあらためてそんなことを思いますね。
でもこの巻はこの巻で一応完結的に読めますし、昨日、今日と何時間かずつ費して400ページを超える分厚い単行本を一気に読んでしまうほど、評判どおり確かに面白かったです。文章、構成、描写がしっかりしていて、たとえば冒頭の文化大革命で主役の一人である葉文潔の父親哲泰が弾劾され殺される場面などは、リアリズム小説のように迫力があるし、もう一人の主役汪淼(ワン・ミャオ)が入っていくゲームの世界は、現実かゲームの世界か分からなくなるようなバーチャルリアリティの世界として奇想天外でありながら生々しい現実感を持っているし、文潔の語る紅岸基地での物語は、その上司雷や揚とのことも含めて、スパイ小説や推理小説のように謎を追っかけてクワクするし、次第に「三体」の正体が明かされるにつれて途方もなく広大な宇宙スケールのSFの枠組が見えてくる、という具合で、それらが混然一体となって飽かせず展開されるので、つい引き込まれてしまいました。
小松左京が昔、「われわれ(SF作家)は学問の消費者だ」なんて言ったことがありますが、この小説もまあ素粒子論や宇宙物理や情報科学やらナノテクやら大量の現代科学の知見を「消費」した作品で、そういう分野の表層だけでも幅広くかすめたことのある人なら、思わずにんまりしたくなるようなところが盛りだくさん。それが非常にうまくこの作品の部品として有効に使われているのに感心します。
人と人が出遭い、ぶつかって何ごとかが起きるドラマの面は、だいたいSFはつまらないんじゃないか、という偏見を私は持っていますが(笑)、葉一家の夫婦、親子の関係や汪淼のような知識人と史強のような軍曹タイプのたたき上げの人間との対照など、しっかり奥行きを持って描かれているようです。
エヴァンズの基地である船を壊滅させるシーンなどは荒唐無稽なSF的設定なのに、ぞくっとするような現実的な恐怖感をもたらす新鮮さがありました。また、ゲーム世界に出てくる秦の始皇帝の兵士たちを使った人海戦術によるコンピュータのシーンは素晴らしく面白かったです。
もちろん私がふだんからSFに懐いているような偏見のもとになっているような荒唐無稽さというのも、例えば三体世界の側から描いた部分などでは感じましたが、彼らの「監視員」が、地球のことを「乱紀」も「恒紀」もない「けっして凍りつくことのない青い太洋と、緑の森や野原」や「あたたかな陽光と涼しいそよ風」に満ちた楽園のように夢想する場面などは、あぁ、そういう世界からみたら、私たちの生きるこの星はそう見えるんだろうなぁ、と感慨深く思いました。それまでさんざん地球の側の絶望的な状況が描かれ、そこで諍いを繰り返し、殺し合い、苦しみ傷つく登場人物たちを見てきたし、それゆえにそんな現実を否定し、別の世界を求める登場人物たちの気持ちにも共感してきたわけですから、そこまできて、くるっと反転した視点を示されて、なんだかそれまで寄り添ってきた世界、自分もまたその中でもがいている小さな世界が相対的なもの、ずっと距離の離れたところにある世界のように見えたのです。
考えてみれば、この作品の世界全体が、いま私たちが生きている理不尽で邪悪さに満ち、どこか根本的に間違っていて、奈落の底へ落ちて行くほかはないような現実の世界への、つよい否定的な想いで成り立っているのでしょう。たどっていく道筋も、たどりついた結論もそれぞれ違うけれど、登場人物たちもみな、現実のいまのこの世界のありように対して否定的だからこそ、それを破壊しようとし、或いはそこから脱出しようとし、或いはまた存在するかどうかも分からない「外部」に、あるいは超越的なものに救いを求めようとするのでしょう。そうした否定の想いがこの作品の根幹にあって、それは中国人作家だからあの文化大革命の時代をどう否定するかとか、現在の体制をどう評価するかといった狭い意味の政治性などではない、より根底的なこの世界への異和なのだろうと思います。
そういう太い基軸、ごっつい核のようなものがあって、そこからすべての登場人物たちの多様なものの感じ方、考え方、行動の仕方が生まれてきている、という気がしました。また、そこらあたりが、エンターテインメントとしての面白さといったことだけではなくて、もっと深いところで、私たちが生きているこの世界に対する異和を感じながら生きている多くの読者をとらえているのではないか、という気がします。
今回私が感覚的に不思議な感じがして、SFというのも面白いな、と印象的だったのは、主人公文潔が太陽という増幅器を使って大出力で宇宙空間へ情報を発信したのに対して、9年後だっけ、返事が返ってくる、あるいは三体世界から艦隊がやってくるのは450年後でしたっけ、そういうタイムスパンの問題でした。450年後とかって、この作品の登場人物はみな確実にいなくなっているわけだし、ひとつの単純な信号をたった一度受発信するにも10年近くかかるとすれば、そういう時間の間に登場人物の人生の主要な時間は終わってしまうわけですね。
だから仮に宇宙人がいたとして、その宇宙人と私たちとの間にドラマが発生するとすれば、原則としてその接触の瞬間しかないわけで、なんら接触のない間の長い長い時間というのは何もないわけです。向こうは向こうで、こちらはこちらで、それぞれの時間が経過し、それぞれの内部にドラマはあっても、こちらとあちらとの間にドラマは無い。それがこの作品ではひょいと橋が架けられているのが面白かったです。
ほうっと星空など見ていると(子供の頃はまだよく満天の星がよく見えたものです)、日常的なことがとるにたりないちっぽけなものに見えるという体験は誰もがしているでしょうが、こういう小説を読むとあらためてそんなことを思いますね。
saysei at 22:30|Permalink│Comments(0)│
2019年08月26日
「チョコレート・ファイター」をみる
昨夜テレビでタイ映画「チョコレート・ファイター」(プラッチャヤー・ピンゲーオ監督.2008)を放映していたのを偶然見たのですが、これがすごく面白かった。
ドラマとしては滅茶苦茶お粗末だけれど、アクションが抜群に迫力があって、テコンドーだかムエンタイだか私にはわかりませんが、迫力満点の格闘シーンで、あれほんまに当たってるんちゃうか?と心配し、ビルの壁面の僅かなでっぱりを伝い、路地を隔てた向かいのビルの広告看板に飛び移りながらの猛烈なアクションで、どかどか人が落ちる、あれってほんまに墜ちとるんちゃうか?とかまた心配になるほどの迫力。ワイヤーアクションじゃないみたいだけど、大丈夫かいな、と俳優の身体を心配しながら見ていました(笑)。
そしたら、映画が終わったあとに、メイキングの場面が録ってあって、あれ、ほとんどみんな俳優が生身でやってるんですね(笑)。主役の女の子(「ゼン」<ジージャー・ヤーニン)は11歳でテコンドーを初めて、12歳で黒帯、14歳でインストラクター、バンコクユーステコンドー大会で金賞、国のテコンドー強化選手にも選ばれた猛者らしくて、この子の後ろ蹴りをもろ頭に受けてぶっ倒れるやつやら、高い台から落とされて全身打撲で起き上がれないやつやら、顔を切って血を流してスタッフたちに手当されてるやつやら、高いところから落とされてどうなることかと周囲のスタッフがどっと駆け寄る等々、彼女にやられるマフィアの手下は怪我人続出。その主役の彼女もまた、マフィアの手下にもろ鼻っ柱をどつかれ、顔面に血を流して座り込んでいたり・・・もちろんたぶん骨折と首をいため、ギブスをはめて病院のベッドへ直行、というのもあったり・・・
どうやらタイの俳優さんたちは命がけですね。まあビルの上階から真っ逆さまに路地へたたきつけられるやつは下にマットでも敷いて落ちたとの下で撮ったのと合成しているとは思いますが、とにかくワイヤーなしの生身の演技ですから、俳優だろうがスタントマンだろうが命がけでしょう。主役の若い女の子(映画制作時点で24歳のはず)自体が格闘技にはスタントマンなど使っていないことは明らかで、そりゃ互いに演技であることは分かっていて手加減しているはずだけど、ガチンコ勝負としか思えない蹴りや鉄拳を互いにあびせあって、当るとほんとにダメッジを受けてぶっ倒れたり血を流しているから、それが見ているこちらにも伝わって来てド迫力なんですね。
私がこの種のB級アクション映画をみることがほとんどないせいか、こんな迫力のあるアクション映画を見たのは初めてです。ブルース・リーの映画は見ているけれど、ずっとスマートで綺麗に処理していましたから、別段こちらが俳優さんの身を心配する必要はなかった。この映画はとことん生身でいくとこまでいっちゃってますから(笑)
阿部寛が主役のゼン(禅)の父親で日本のやくざの役をしていて話のはじまりと終わりに登場してきますが、ちょっとカッコよすぎ、スマート過ぎて、ゼンという脳障害で抜群の戦闘能力をもつ女の子のド迫力の前では、添え物の感がありました。ジージャー・ヤーニンは武闘だけではなく、脳障害をもつ女の子の演じ方としてもなかなかのものでした。
映画としては、日本的なものの描き方もすべて、典型的なお定まりの「外人」の思い描く日本イメージだし、ストーリーなんてあってないようなものだし、まことにB級、C級映画としか言いようのないものですが、あとはゼンの母親ジンを演じるアマラー・シリポンがタイマフィアの女として阿部寛演じる日本のヤクザマサシと出遭って愛し合い、ゼンを生むことになる、物語の発端のあたりに登場したときは、迫力があって、とても美しい女優さんだし、非常に魅力的でした。この女性がゼンを生んでから癌に倒れ、その治療費を稼ぐために母親には内緒で、ゼンと彼女の友人である男の子とが、母親ジンの帳簿を見つけ、ジンが金を貸していた、たいていはいかがわしい連中のところへ金を取り戻しに行くところから、第二幕、この物語の本編が始まるというわけですが、母親役になってからのジンはもひとつ存在感が希薄になります。もちろん主役のゼンがとってかわって前面に出てくるために、それでいいのではあるけれど・・・
ドラマとしては滅茶苦茶お粗末だけれど、アクションが抜群に迫力があって、テコンドーだかムエンタイだか私にはわかりませんが、迫力満点の格闘シーンで、あれほんまに当たってるんちゃうか?と心配し、ビルの壁面の僅かなでっぱりを伝い、路地を隔てた向かいのビルの広告看板に飛び移りながらの猛烈なアクションで、どかどか人が落ちる、あれってほんまに墜ちとるんちゃうか?とかまた心配になるほどの迫力。ワイヤーアクションじゃないみたいだけど、大丈夫かいな、と俳優の身体を心配しながら見ていました(笑)。
そしたら、映画が終わったあとに、メイキングの場面が録ってあって、あれ、ほとんどみんな俳優が生身でやってるんですね(笑)。主役の女の子(「ゼン」<ジージャー・ヤーニン)は11歳でテコンドーを初めて、12歳で黒帯、14歳でインストラクター、バンコクユーステコンドー大会で金賞、国のテコンドー強化選手にも選ばれた猛者らしくて、この子の後ろ蹴りをもろ頭に受けてぶっ倒れるやつやら、高い台から落とされて全身打撲で起き上がれないやつやら、顔を切って血を流してスタッフたちに手当されてるやつやら、高いところから落とされてどうなることかと周囲のスタッフがどっと駆け寄る等々、彼女にやられるマフィアの手下は怪我人続出。その主役の彼女もまた、マフィアの手下にもろ鼻っ柱をどつかれ、顔面に血を流して座り込んでいたり・・・もちろんたぶん骨折と首をいため、ギブスをはめて病院のベッドへ直行、というのもあったり・・・
どうやらタイの俳優さんたちは命がけですね。まあビルの上階から真っ逆さまに路地へたたきつけられるやつは下にマットでも敷いて落ちたとの下で撮ったのと合成しているとは思いますが、とにかくワイヤーなしの生身の演技ですから、俳優だろうがスタントマンだろうが命がけでしょう。主役の若い女の子(映画制作時点で24歳のはず)自体が格闘技にはスタントマンなど使っていないことは明らかで、そりゃ互いに演技であることは分かっていて手加減しているはずだけど、ガチンコ勝負としか思えない蹴りや鉄拳を互いにあびせあって、当るとほんとにダメッジを受けてぶっ倒れたり血を流しているから、それが見ているこちらにも伝わって来てド迫力なんですね。
私がこの種のB級アクション映画をみることがほとんどないせいか、こんな迫力のあるアクション映画を見たのは初めてです。ブルース・リーの映画は見ているけれど、ずっとスマートで綺麗に処理していましたから、別段こちらが俳優さんの身を心配する必要はなかった。この映画はとことん生身でいくとこまでいっちゃってますから(笑)
阿部寛が主役のゼン(禅)の父親で日本のやくざの役をしていて話のはじまりと終わりに登場してきますが、ちょっとカッコよすぎ、スマート過ぎて、ゼンという脳障害で抜群の戦闘能力をもつ女の子のド迫力の前では、添え物の感がありました。ジージャー・ヤーニンは武闘だけではなく、脳障害をもつ女の子の演じ方としてもなかなかのものでした。
映画としては、日本的なものの描き方もすべて、典型的なお定まりの「外人」の思い描く日本イメージだし、ストーリーなんてあってないようなものだし、まことにB級、C級映画としか言いようのないものですが、あとはゼンの母親ジンを演じるアマラー・シリポンがタイマフィアの女として阿部寛演じる日本のヤクザマサシと出遭って愛し合い、ゼンを生むことになる、物語の発端のあたりに登場したときは、迫力があって、とても美しい女優さんだし、非常に魅力的でした。この女性がゼンを生んでから癌に倒れ、その治療費を稼ぐために母親には内緒で、ゼンと彼女の友人である男の子とが、母親ジンの帳簿を見つけ、ジンが金を貸していた、たいていはいかがわしい連中のところへ金を取り戻しに行くところから、第二幕、この物語の本編が始まるというわけですが、母親役になってからのジンはもひとつ存在感が希薄になります。もちろん主役のゼンがとってかわって前面に出てくるために、それでいいのではあるけれど・・・
saysei at 14:04|Permalink│Comments(0)│
2019年08月16日
大文字 2019
台風一過、空は晴れたけれどカラッとせず、蒸し暑い夜。きょうは五山の送り火の日。
家から一番近い、川端通り、京都バスの車庫の土塀の向いあたりで待つと、午後8時、文字山如意ケ岳の「大」の字に点火されました。一番先に点火されるのは松ヶ崎の「妙」「法」だそうですが。
大の字はわが家の2階の窓からも見えます。
しばらくして少し上へ歩いてみると、この大の字、こんなに長い尾を曳いていたんですね。
これは松ヶ崎方面への散歩のとき、いつも正面に全部見えている松ヶ崎の「法」の字。わが家からちょっと河川敷の遊歩道へ降りれば正面に見られます。
松ヶ崎で「法」の向かって左手(西側)に並んでいる妙法の「妙」の字。山が低いので手前の家屋の屋根に隠れてしまうのかと思っていたら、市の水道の貯水場のせいで字が欠けてしまったのだそうです。(田中緑紅著「京の送火 大文字」緑紅叢書 第四輯1957)
これは川端通りの歩道を歩きながら西の対岸のほうを注意していると、家々の屋根の間からときどき見える西賀茂の舟形です。
最後はいままで見えるとは思っていなかった、衣笠大北山の「左大文字」。遊歩道からこの間隠れに、一カ所だけよく見えるところがありました。もちろん遠くて、小さく、斜めに傾いだ形でしか見えないけれど、たしかに「大」の字ですね。
今年は、鳥居以外の5つを見ることができました。しっかり厄払いができたのではないでしょうか(笑)。家族が健康で幸せに過ごせますように。みなさまもどうかまた一年、健康でお幸せに過ごされますように。
saysei at 20:57|Permalink│Comments(0)│
2019年08月15日
今村夏子著「むらさきのスカートの女」を読む
文藝春秋9月号に芥川賞受賞作、今村夏子さんの「むらさきのスカートの女」が全文掲載されていたので、久しぶりに芥川賞を受賞した小説を読みました。
語り手である「黄色いカーディガンの女」(以下<黄色>と略)が、ストーカーのようにその後を追っかけて注視しつづける「むらさきのスカートの女」(以下<紫>」と略)が、親しい人もなく、職もなさそうな、髪はぼうぼう、爪は真っ黒でおよそ職探しをしても無駄と思われる不潔ななりで、いつも公園の決まった「専用の」ベンチにぼんやりと座っていて近所の子供たちにからかわれるような存在から、ホテルの清掃係に雇われて案外に素早い適応力を示してみるみる変貌していき、同僚や上司から高い評価を受けるにいたるものの、やがて職場での盗みの疑惑や上司との不倫をきっかけに坂道を転げ落ちるように、周囲の嫌悪や憎悪の的となっていったまさにその時、不倫相手の上司ともめる最中に階上から相手を突き落としてしまい、上司が死んだと思いパニックのむらさきに、それまでひたすら語り手であり、<紫>を追うストーカー≒観察者であった<黄色>がいわば舞台のアクティングエリアに登場して<紫>に手をさしのべて周到に準備した手順によって彼女を逃がす、という予想外の展開なります。
ところが<紫>を逃がして、彼女と落ち合うはずの場所に<黄色>が行って見ると、<紫>の姿はどこにもなく、その後<紫>の行方は杳として知れず、いつの間にか<黄色><紫>にとってかわって、物語のはじまりのころ描かれた<紫>のような風貌となって、かつて<紫>「専用の」ベンチに座り、子供たちが<紫>をからかっていたように突然うしろから彼女の肩を叩いて驚かせるのです。
非常にうまい、よく巧まれた作品ですが、この作品に登場する「二人の」女性が現実の人間であるなら、ともに私にはまったく興味の持てない女性で、できれば彼女たちのご近所の主婦たちと同様に、そばを通っても知らん顔して通り過ぎたい存在です。この作品で描かれた世界、彼女たちの日常の姿や仕事場で働いたり同僚とどんなやりとりがある、といった物語にも、ほとんど何の興味も持てません。
それはいまならどこにでもいそうな、世の中からおちこぼれ(かかっ)た存在で、このごろ新聞でよくとりあげられているような、就職氷河期に高校や大学を就職できないまま卒業して、臨時雇いやフリーター的な仕事でかつかつその日暮らしをしているような30代半ばから40代にわたる世代に多いと言われるような人たち。
将来を思い描くこともできず、生きる目標も持てず、恋人はおろか親しい友ひとり持つこともできず、嵩じればひきこもりともなり、身なり体裁をかまう気持ちも失せて、仕事もしたりしなかったり。半ばホームレスのように公園などでぼんやりと過ごし、近所から不審な目で見られ、避けられ、蔑まれる、子供たちにもからかわれるような存在です。
従って、たまたま就いた仕事もありふれた3K仕事(ホテルの清掃係)で、その職場の人間関係もごくありふれたおきまりの経緯をたどるような物語にすぎません。
にもかかわらず、こんな物語をぐいぐい読ませて最後までひっぱっていく筆力というのは、たしかに並々ならぬこの作家の力量かもしれません。
もとより徹底した「見る人」であり「語り手」である<黄色>のありようは、いかに<紫>と友達になりたい、というモチベーションが挙げられてはいても、リアリズムから言えば、ちょっとありえないでしょ、というような不自然なところはあります。
けれども、ここではそういう糞リアリズム的な観点での矛盾をとやかく言っても意味はない、と思わせるだけの物語の仕掛けとして、そういう「見る人」と「見られる人」、「語り手」と「語られる人」との関係が動かしがたいフレームとしてセッティングされているので、ただそのことから見えてくるもの、この「見る人」が何を見、「語り手」が何をどう語るかを読者である私たちはひたすら追っかけていくはめになります。
物語の中に没入せずに、なんでこの<黄色>はこんなにストーカーみたいに熱心に<紫>を追っかけ、かくも一部始終を見たり聞いたり語ったりするのか、と突き放して考えれば、彼女と「友達になりたい」と思って、つねにそのきっかけを見出そうとしながら、なかなかその機会にめぐまれない<黄色>という物語上の設定と合わせて、この<黄色>もまた彼女が見、彼女が語る<紫>と同様に、人付き合いが不器用で友達もない孤独な人間であって、それゆえに自分と同じあるいはそれ以上に孤独な存愛にみえた<紫>に激しく惹かれ、離れることができなくなっているんだな、というふうに得心することはできます。
しかし、そこのところは、簡単にこの<黄色>の孤独な心情にも、また彼女に見られ、語られる<紫>の孤独にも、私たち読者が情緒的に共感し、孤独な魂に、芥川賞選者のひとりである堀江敏幸が言うような「いとおしさ」を感じて寄り添うことができるようなエモーショナルな語り口にはなっていません。
物語はあくまでもその或る意味で病んだ<黄色>のいびつな目で、しかし彼女としては客観的な観察者であり客観描写の文体を持つ小説の語り手であるかのように「見」、「語る」彼女の言葉から成り、見る彼女、語る彼女の孤独な姿がエモーショナルにこちらの魂をゆさぶるようには語られていません。
また、彼女に見られ、語られる<黄色>の姿もまた、ある種の嫌悪感を誘ったり、笑いをさそったりする面があるとしても、決してその孤独な魂に触れるような感触を与えてくれるような視線で見られるわけでもそのような語り口で語られるわけでもありません。
それはすべてこの物語りの仕掛として設けられた「二人」の「見る者」と「見られる者」、「語る者」と「語られる者」という役割の中に還元されて、そこから立ち上るはずのエモーショナルな要素はむしろ最初から排除されています。
したがって、そのまま行けば、この物語はまるでドラマチックなところのない、平凡陳腐などこにでもいそうな限りなく卑小な登場人物の限りなく卑小な、ありふれた日常を追うだけの物語に終始したことでしょう。
<紫>が職場で最初はひきこもりみたいに人間関係をつくっていくことのできない、社会的不適応者のようにみなされ、何の期待もされず、周囲から忌避されるような存在であったのが、次第にもちまえの意外な適応力で周囲の認識をあらためさせ、逆に高く評価され、愛されるまでの存在になっていってピークを迎えるものの、そのあたりから今度は周囲の嫉妬や彼女自身の勝ち得た自信からくる行動が周囲の考える行動規範をはみ出ることで疑惑や不審の念を狩り立て、また上司との不倫も発覚して憎悪の対象にまでなって、いわば失墜していくプロセスも、そこで起きるすべてのできごとは、みな平凡陳腐なこの世の中でありふれたパターンどおりといっていいようなことばかり。そこには戯画的な誇張による通俗的な面白さはあっても、どんな新鮮さもありません。
ただ、<黄色>という<紫>を見、語る語り手との関係に着目してみていれば、<紫>をめぐる陳腐な一連の出来事もまた、もともと孤独な自分の魂と同一視することで<紫>に一体化していた<黄色>にとっては、<紫>の職場での意外な成功は、彼女が自分から遠い存在へと離れていってしまうようなプロセスであったはずだし、またピークを過ぎて坂道を転げ落ちるように彼女が転落していくプロセスは、逆に<紫>が自分のもとに帰ってくるプロセスであり、ひそかな喜びであったはずで、そういう目に見えないプロセスに注目すれば、平凡だの戯画的な語りだのと済ませることはできないでしょう。
しかし、そうした<黄色>の気持ちとか、<紫>の内面などというものは、この物語りの仕掛けの中では一切排除されて語られることはありません。だから<黄色>の言葉で語られる<紫>の遭遇する一連の出来事が平凡陳腐で戯画的なものに見えるのですが、それを見、語る<黄色>と、見られ、語られる<紫>との関係性を軸に物語を見るなら、そこには排除されたものが、目には見えないけれど依然として二人のあいだに持続している緊張感は、その淡々とした<黄色>の語り口のうちに潜在していると言わなくてはならないでしょう。
それが、とうとう一挙に顕在化するのは、<黄色>が不倫相手の所長を突き飛ばして階上から落とし、所長が死んだ(と思われた)ときに、突如としてそれまでは「見る者」「語る者」にすぎなかった<黄色>が、<紫>のなまみの同僚たる「権藤さん」として現われ、周到に準備された逃走経路を示して<紫>をせかして逃がしてやる、という驚くべき転換点にさしかかった瞬間です。
この瞬間に最初に物語に設定された「二人」の登場人物の、「見る者」と「見られる者」、「語る者」と「語られる者」との二項対立的なフレームを物語自体が壊し、<黄色>は「見る人」、「語る人」から逸脱して、行動者としてアクティングエリアに登場してきます。
<紫>の日常に生起する陳腐な一連のできごとから成る<黄色>の語る物語は、ここで語り手が舞台に登場することで、まるで舞台裏を表舞台へと反転して見せるドタバタ喜劇のように、急転直下、唐突にして奇想天外な展開を見せます。
自分が首尾よく逃がしてやった<紫>と落ち合うべく、贈れて待ち合わせ場所へ着いた<黄色>でしたが、そこに先に着いているはずの<紫>の姿はなく、ついに<紫>は杳として行方知れずになってしまいます。つまりこの物語から<紫>の姿は消えてしまうのです。
従って、<紫>の観察者であり語り手にとどまっていた<黄色>、新たに舞台のアクティングエリアに登場した<黄色>が、、自分が語るべき<紫>を見失って、今度は自分自身を「見られる人」として見、「語られる人」として語るほかはなく、依然として語り手をも兼ねながら、同時に「見られる人」、「語られる人」として、かつての<紫>の位置におさまることになります。
こうして<黄色>は<紫>に置き換わり、<紫>の「専用の」ベンチだった公園のベンチに腰掛け、<紫>がそうだったように近所の人々から不審がられるような姿となってぼんやりと時を過ごし、近所の子供たちにちょうど<紫>がそうされたように不意に肩を叩かれ、からかわれるのです。
ここまでくると、この「入れ替わり」によって、もともと冷めた「見るひと」「語り手」であるかのように見えた<黄色>の見る目がいかに歪み、その語りがいかにいびつなものであったかが思いやられもし、その歪んだ姿をさらして<紫>と入れ替わった<黄色>こそがこの作品の真の主役で、その目をひずませ、その語りをいびつなものにしていた彼女の孤独な姿が、彼女の見、語る<紫>の姿に投影されていただけではなかったか、ということに気づかされもします。
そうすると、ここで実体的に「入れ替わる」ことで示されるように、<黄色>と<紫>はもともと一体の同一人物ではないか、という選者たちの一部の推測のように、「黄色のカーディガン」は上半身を、「むらさきのスカート」は下半身を示唆しているので、ふたつあわせて一人の女性ということになる、と辻褄が合うことになります。
まぁ、こういう凝った仕掛けがほどこされた、なかなか手の込んだ作品で、クライマックスからいきなりドタバタ喜劇調に急転するあたりなど、ふつうなら芥川賞系の作品で、それはないだろう、と思うようなありえない展開で、典型的なエンターテインメント系の作品のような味わいになっています。
芥川賞系の作品にありがちなウエットな、対人関係の不得手な不器用で社会的不適応な女性の内面に寄り添い、共感や同情を誘うようなエモーショナルな要素は、その語りの仕掛けによって周到に排除し、「見るひと」「語るひと」の役割を与えられた<黄色>によって、ひたすら客観的に「見る」こと、「語る」ことで、なんでもないありふれた<紫>の日常性を描いて見せるようでいて、実はそれを見、語る<黄色>のありようを、<紫>とのそうした一方的な、実は歪んだ、いびつな関係性を潜在的にずっと持続しながら、ラスト近くで一気に顕在化させて<紫>と<黄色>を入れ替え、同時に両者を一体化を示唆するようなラストへもっていく、そのことで最終的にこの<黄色>の、あるいはそう言ってよければ<黄色>≒<紫>であるような「二人」の社会的不適応な女性の孤独な姿が私たち読者の手に残される、というふうな手の込んだ仕掛けがこの作品を成り立たせているようです。
<紫>が遭遇する一覧の周囲の人々の彼女に対する態度や職場の従業員や上役の態度、彼女の変貌ぶりなど、すべて非常に誇張され、パターン化され、戯画化されていて、ありきたりなものに過ぎないのですが、それはこの物語に最初からしつらえられた「仕掛け」のうちなので許容され、その仕掛けとして効果をもつと言えるものであって、語りの言葉がひとつひとつ炊き立てのご飯の粒が一粒一粒立って輝いているようなタイプの作品とは様相が異なって、むしろエンターテインメント系の小説のほうに近い文体になっています。
その易しい語りの文体は、<黄色>の語りとして、一見客観的に見、客観的に語るかのような文体だからこそであって、実はその目自体が歪み、その語り自体がいびつなものであるところに、エンターテインメント小説とは違った作者の企みがあるということになるでしょう。
従って、私たち読者はこの文体をたどる過程で、ひとつひとつの言葉の響きによって私たちが世界に向き合う感性を洗われ、あらたな世界が開かれて行くのを感じたりするといった経験をするわけではなくて、いわばタネもシカケもある世界で、そのシカケに乗ってシカケを楽しみ、最後にタネあかしをされて、あぁそういうことか!と腑に落ちはするけれど、そこで何かそれまでの自分の認識がひっくり返されたり、新鮮な認識を加えられたといった感覚とも異なり、いわばよくシカケの仕組まれた、そしてちょっぴり主人公(たち)の孤独が身につまされるような、ワサビもきき、同時に喜劇性をも備えた、よくできたエンターテインメント系推理小説を読みおえたような気分になった、というのが正直なところでしょうか。
ただし、推理小説のように、これが落ちだ、というネタが明かされるわけではなくて、たとえば私が先に書いたように、<紫>が<黄色>の内面の投影にすぎないのではないか、という疑問や、<紫>と置き換わった<黄色>は、実は同一人物だったのか、という疑問に対する作者の「タネアカシ」があるわけではありません。それはむしろこの作品にとってはどうでもよいことで、この語りの仕掛けによって、一人だか二人の、だか分からないけれども、社会的に不適応な資質ゆえに深い孤独のうちにある女性がここに確かに存在する、ということが読者にまざまざと感じられるなら、おそらくこの作品を読んだことになるのではないか、という気がします。
<黄色>の語りの言葉ひとつひとつによって、何ら私たちの感性に変化が起きるわけではないという意味のことを書いたけれど、この作品を読んだあとで、たとえば公園のベンチに所在なげに一人で腰かけている、髪の毛がぼうぼうで爪も黒ずんだ見るからに不潔で友達もいそうにない、仕事をしているのかどうかもわからないような女性をみかけたとしたら、私はこれまでのように、傍を通ってもできるだけ見ないように、わずかでも心を動かされるようなことのないように細心の注意を払って知らん顔で通り過ぎる、というわけにはいかず、きっとチラッとその姿をみるだけで、この物語りの<紫>あるいは<黄色>を思い浮かべ、その向こうに私などの手の届きようのない深い孤独がうずくまっていることを、その気配を感じざるを得ないのだろうな、という気がします。
語り手である「黄色いカーディガンの女」(以下<黄色>と略)が、ストーカーのようにその後を追っかけて注視しつづける「むらさきのスカートの女」(以下<紫>」と略)が、親しい人もなく、職もなさそうな、髪はぼうぼう、爪は真っ黒でおよそ職探しをしても無駄と思われる不潔ななりで、いつも公園の決まった「専用の」ベンチにぼんやりと座っていて近所の子供たちにからかわれるような存在から、ホテルの清掃係に雇われて案外に素早い適応力を示してみるみる変貌していき、同僚や上司から高い評価を受けるにいたるものの、やがて職場での盗みの疑惑や上司との不倫をきっかけに坂道を転げ落ちるように、周囲の嫌悪や憎悪の的となっていったまさにその時、不倫相手の上司ともめる最中に階上から相手を突き落としてしまい、上司が死んだと思いパニックのむらさきに、それまでひたすら語り手であり、<紫>を追うストーカー≒観察者であった<黄色>がいわば舞台のアクティングエリアに登場して<紫>に手をさしのべて周到に準備した手順によって彼女を逃がす、という予想外の展開なります。
ところが<紫>を逃がして、彼女と落ち合うはずの場所に<黄色>が行って見ると、<紫>の姿はどこにもなく、その後<紫>の行方は杳として知れず、いつの間にか<黄色><紫>にとってかわって、物語のはじまりのころ描かれた<紫>のような風貌となって、かつて<紫>「専用の」ベンチに座り、子供たちが<紫>をからかっていたように突然うしろから彼女の肩を叩いて驚かせるのです。
非常にうまい、よく巧まれた作品ですが、この作品に登場する「二人の」女性が現実の人間であるなら、ともに私にはまったく興味の持てない女性で、できれば彼女たちのご近所の主婦たちと同様に、そばを通っても知らん顔して通り過ぎたい存在です。この作品で描かれた世界、彼女たちの日常の姿や仕事場で働いたり同僚とどんなやりとりがある、といった物語にも、ほとんど何の興味も持てません。
それはいまならどこにでもいそうな、世の中からおちこぼれ(かかっ)た存在で、このごろ新聞でよくとりあげられているような、就職氷河期に高校や大学を就職できないまま卒業して、臨時雇いやフリーター的な仕事でかつかつその日暮らしをしているような30代半ばから40代にわたる世代に多いと言われるような人たち。
将来を思い描くこともできず、生きる目標も持てず、恋人はおろか親しい友ひとり持つこともできず、嵩じればひきこもりともなり、身なり体裁をかまう気持ちも失せて、仕事もしたりしなかったり。半ばホームレスのように公園などでぼんやりと過ごし、近所から不審な目で見られ、避けられ、蔑まれる、子供たちにもからかわれるような存在です。
従って、たまたま就いた仕事もありふれた3K仕事(ホテルの清掃係)で、その職場の人間関係もごくありふれたおきまりの経緯をたどるような物語にすぎません。
にもかかわらず、こんな物語をぐいぐい読ませて最後までひっぱっていく筆力というのは、たしかに並々ならぬこの作家の力量かもしれません。
もとより徹底した「見る人」であり「語り手」である<黄色>のありようは、いかに<紫>と友達になりたい、というモチベーションが挙げられてはいても、リアリズムから言えば、ちょっとありえないでしょ、というような不自然なところはあります。
けれども、ここではそういう糞リアリズム的な観点での矛盾をとやかく言っても意味はない、と思わせるだけの物語の仕掛けとして、そういう「見る人」と「見られる人」、「語り手」と「語られる人」との関係が動かしがたいフレームとしてセッティングされているので、ただそのことから見えてくるもの、この「見る人」が何を見、「語り手」が何をどう語るかを読者である私たちはひたすら追っかけていくはめになります。
物語の中に没入せずに、なんでこの<黄色>はこんなにストーカーみたいに熱心に<紫>を追っかけ、かくも一部始終を見たり聞いたり語ったりするのか、と突き放して考えれば、彼女と「友達になりたい」と思って、つねにそのきっかけを見出そうとしながら、なかなかその機会にめぐまれない<黄色>という物語上の設定と合わせて、この<黄色>もまた彼女が見、彼女が語る<紫>と同様に、人付き合いが不器用で友達もない孤独な人間であって、それゆえに自分と同じあるいはそれ以上に孤独な存愛にみえた<紫>に激しく惹かれ、離れることができなくなっているんだな、というふうに得心することはできます。
しかし、そこのところは、簡単にこの<黄色>の孤独な心情にも、また彼女に見られ、語られる<紫>の孤独にも、私たち読者が情緒的に共感し、孤独な魂に、芥川賞選者のひとりである堀江敏幸が言うような「いとおしさ」を感じて寄り添うことができるようなエモーショナルな語り口にはなっていません。
物語はあくまでもその或る意味で病んだ<黄色>のいびつな目で、しかし彼女としては客観的な観察者であり客観描写の文体を持つ小説の語り手であるかのように「見」、「語る」彼女の言葉から成り、見る彼女、語る彼女の孤独な姿がエモーショナルにこちらの魂をゆさぶるようには語られていません。
また、彼女に見られ、語られる<黄色>の姿もまた、ある種の嫌悪感を誘ったり、笑いをさそったりする面があるとしても、決してその孤独な魂に触れるような感触を与えてくれるような視線で見られるわけでもそのような語り口で語られるわけでもありません。
それはすべてこの物語りの仕掛として設けられた「二人」の「見る者」と「見られる者」、「語る者」と「語られる者」という役割の中に還元されて、そこから立ち上るはずのエモーショナルな要素はむしろ最初から排除されています。
したがって、そのまま行けば、この物語はまるでドラマチックなところのない、平凡陳腐などこにでもいそうな限りなく卑小な登場人物の限りなく卑小な、ありふれた日常を追うだけの物語に終始したことでしょう。
<紫>が職場で最初はひきこもりみたいに人間関係をつくっていくことのできない、社会的不適応者のようにみなされ、何の期待もされず、周囲から忌避されるような存在であったのが、次第にもちまえの意外な適応力で周囲の認識をあらためさせ、逆に高く評価され、愛されるまでの存在になっていってピークを迎えるものの、そのあたりから今度は周囲の嫉妬や彼女自身の勝ち得た自信からくる行動が周囲の考える行動規範をはみ出ることで疑惑や不審の念を狩り立て、また上司との不倫も発覚して憎悪の対象にまでなって、いわば失墜していくプロセスも、そこで起きるすべてのできごとは、みな平凡陳腐なこの世の中でありふれたパターンどおりといっていいようなことばかり。そこには戯画的な誇張による通俗的な面白さはあっても、どんな新鮮さもありません。
ただ、<黄色>という<紫>を見、語る語り手との関係に着目してみていれば、<紫>をめぐる陳腐な一連の出来事もまた、もともと孤独な自分の魂と同一視することで<紫>に一体化していた<黄色>にとっては、<紫>の職場での意外な成功は、彼女が自分から遠い存在へと離れていってしまうようなプロセスであったはずだし、またピークを過ぎて坂道を転げ落ちるように彼女が転落していくプロセスは、逆に<紫>が自分のもとに帰ってくるプロセスであり、ひそかな喜びであったはずで、そういう目に見えないプロセスに注目すれば、平凡だの戯画的な語りだのと済ませることはできないでしょう。
しかし、そうした<黄色>の気持ちとか、<紫>の内面などというものは、この物語りの仕掛けの中では一切排除されて語られることはありません。だから<黄色>の言葉で語られる<紫>の遭遇する一連の出来事が平凡陳腐で戯画的なものに見えるのですが、それを見、語る<黄色>と、見られ、語られる<紫>との関係性を軸に物語を見るなら、そこには排除されたものが、目には見えないけれど依然として二人のあいだに持続している緊張感は、その淡々とした<黄色>の語り口のうちに潜在していると言わなくてはならないでしょう。
それが、とうとう一挙に顕在化するのは、<黄色>が不倫相手の所長を突き飛ばして階上から落とし、所長が死んだ(と思われた)ときに、突如としてそれまでは「見る者」「語る者」にすぎなかった<黄色>が、<紫>のなまみの同僚たる「権藤さん」として現われ、周到に準備された逃走経路を示して<紫>をせかして逃がしてやる、という驚くべき転換点にさしかかった瞬間です。
この瞬間に最初に物語に設定された「二人」の登場人物の、「見る者」と「見られる者」、「語る者」と「語られる者」との二項対立的なフレームを物語自体が壊し、<黄色>は「見る人」、「語る人」から逸脱して、行動者としてアクティングエリアに登場してきます。
<紫>の日常に生起する陳腐な一連のできごとから成る<黄色>の語る物語は、ここで語り手が舞台に登場することで、まるで舞台裏を表舞台へと反転して見せるドタバタ喜劇のように、急転直下、唐突にして奇想天外な展開を見せます。
自分が首尾よく逃がしてやった<紫>と落ち合うべく、贈れて待ち合わせ場所へ着いた<黄色>でしたが、そこに先に着いているはずの<紫>の姿はなく、ついに<紫>は杳として行方知れずになってしまいます。つまりこの物語から<紫>の姿は消えてしまうのです。
従って、<紫>の観察者であり語り手にとどまっていた<黄色>、新たに舞台のアクティングエリアに登場した<黄色>が、、自分が語るべき<紫>を見失って、今度は自分自身を「見られる人」として見、「語られる人」として語るほかはなく、依然として語り手をも兼ねながら、同時に「見られる人」、「語られる人」として、かつての<紫>の位置におさまることになります。
こうして<黄色>は<紫>に置き換わり、<紫>の「専用の」ベンチだった公園のベンチに腰掛け、<紫>がそうだったように近所の人々から不審がられるような姿となってぼんやりと時を過ごし、近所の子供たちにちょうど<紫>がそうされたように不意に肩を叩かれ、からかわれるのです。
ここまでくると、この「入れ替わり」によって、もともと冷めた「見るひと」「語り手」であるかのように見えた<黄色>の見る目がいかに歪み、その語りがいかにいびつなものであったかが思いやられもし、その歪んだ姿をさらして<紫>と入れ替わった<黄色>こそがこの作品の真の主役で、その目をひずませ、その語りをいびつなものにしていた彼女の孤独な姿が、彼女の見、語る<紫>の姿に投影されていただけではなかったか、ということに気づかされもします。
そうすると、ここで実体的に「入れ替わる」ことで示されるように、<黄色>と<紫>はもともと一体の同一人物ではないか、という選者たちの一部の推測のように、「黄色のカーディガン」は上半身を、「むらさきのスカート」は下半身を示唆しているので、ふたつあわせて一人の女性ということになる、と辻褄が合うことになります。
まぁ、こういう凝った仕掛けがほどこされた、なかなか手の込んだ作品で、クライマックスからいきなりドタバタ喜劇調に急転するあたりなど、ふつうなら芥川賞系の作品で、それはないだろう、と思うようなありえない展開で、典型的なエンターテインメント系の作品のような味わいになっています。
芥川賞系の作品にありがちなウエットな、対人関係の不得手な不器用で社会的不適応な女性の内面に寄り添い、共感や同情を誘うようなエモーショナルな要素は、その語りの仕掛けによって周到に排除し、「見るひと」「語るひと」の役割を与えられた<黄色>によって、ひたすら客観的に「見る」こと、「語る」ことで、なんでもないありふれた<紫>の日常性を描いて見せるようでいて、実はそれを見、語る<黄色>のありようを、<紫>とのそうした一方的な、実は歪んだ、いびつな関係性を潜在的にずっと持続しながら、ラスト近くで一気に顕在化させて<紫>と<黄色>を入れ替え、同時に両者を一体化を示唆するようなラストへもっていく、そのことで最終的にこの<黄色>の、あるいはそう言ってよければ<黄色>≒<紫>であるような「二人」の社会的不適応な女性の孤独な姿が私たち読者の手に残される、というふうな手の込んだ仕掛けがこの作品を成り立たせているようです。
<紫>が遭遇する一覧の周囲の人々の彼女に対する態度や職場の従業員や上役の態度、彼女の変貌ぶりなど、すべて非常に誇張され、パターン化され、戯画化されていて、ありきたりなものに過ぎないのですが、それはこの物語に最初からしつらえられた「仕掛け」のうちなので許容され、その仕掛けとして効果をもつと言えるものであって、語りの言葉がひとつひとつ炊き立てのご飯の粒が一粒一粒立って輝いているようなタイプの作品とは様相が異なって、むしろエンターテインメント系の小説のほうに近い文体になっています。
その易しい語りの文体は、<黄色>の語りとして、一見客観的に見、客観的に語るかのような文体だからこそであって、実はその目自体が歪み、その語り自体がいびつなものであるところに、エンターテインメント小説とは違った作者の企みがあるということになるでしょう。
従って、私たち読者はこの文体をたどる過程で、ひとつひとつの言葉の響きによって私たちが世界に向き合う感性を洗われ、あらたな世界が開かれて行くのを感じたりするといった経験をするわけではなくて、いわばタネもシカケもある世界で、そのシカケに乗ってシカケを楽しみ、最後にタネあかしをされて、あぁそういうことか!と腑に落ちはするけれど、そこで何かそれまでの自分の認識がひっくり返されたり、新鮮な認識を加えられたといった感覚とも異なり、いわばよくシカケの仕組まれた、そしてちょっぴり主人公(たち)の孤独が身につまされるような、ワサビもきき、同時に喜劇性をも備えた、よくできたエンターテインメント系推理小説を読みおえたような気分になった、というのが正直なところでしょうか。
ただし、推理小説のように、これが落ちだ、というネタが明かされるわけではなくて、たとえば私が先に書いたように、<紫>が<黄色>の内面の投影にすぎないのではないか、という疑問や、<紫>と置き換わった<黄色>は、実は同一人物だったのか、という疑問に対する作者の「タネアカシ」があるわけではありません。それはむしろこの作品にとってはどうでもよいことで、この語りの仕掛けによって、一人だか二人の、だか分からないけれども、社会的に不適応な資質ゆえに深い孤独のうちにある女性がここに確かに存在する、ということが読者にまざまざと感じられるなら、おそらくこの作品を読んだことになるのではないか、という気がします。
<黄色>の語りの言葉ひとつひとつによって、何ら私たちの感性に変化が起きるわけではないという意味のことを書いたけれど、この作品を読んだあとで、たとえば公園のベンチに所在なげに一人で腰かけている、髪の毛がぼうぼうで爪も黒ずんだ見るからに不潔で友達もいそうにない、仕事をしているのかどうかもわからないような女性をみかけたとしたら、私はこれまでのように、傍を通ってもできるだけ見ないように、わずかでも心を動かされるようなことのないように細心の注意を払って知らん顔で通り過ぎる、というわけにはいかず、きっとチラッとその姿をみるだけで、この物語りの<紫>あるいは<黄色>を思い浮かべ、その向こうに私などの手の届きようのない深い孤独がうずくまっていることを、その気配を感じざるを得ないのだろうな、という気がします。
saysei at 12:30|Permalink│Comments(0)│