2019年07月
2019年07月29日
「さよならくちびる」をみる
出町座で塩田明彦監督(原案・脚本)の『さよならくちびる』を見てきました。とっても良かった。一番前の席でクローズアップされるハル(門脇麦)、レオ(小松菜奈)の表情や、二人の気持ちをあらわすような歌が歌われるのを聴いていたら心がふるえて涙が出てきました。涙腺がゆるくなっているとはいえ、最近では珍しいことです。
「寝ても覚めても」や「きみの鳥はうたえる」以来、ひさしぶりにいい日本映画を見たと感動して、出町柳から川辺の遊歩道を歩いて映画の中の世界を反芻しながら帰ってきました。
なにかこうひりひりするような傷ついた心の痛みがじかに伝わってくるような作品です。けれどもそこによくその種の日本映画にありがちな、じとじとと湿ったもの、べとついた印象はなくて、どこか軽みも可笑しみもあるロードムーヴィーみたいな世界で、強く結びついた二人の若い女性がその魂を真剣にぶつけあうところから、いっそう傷つき、最初からバンドの解散を前提にラストツアーに出る設定から、途中でいつ破綻するかと思わせるような場面がぐいぐい引っ張っていってくれます。
その二人と三角形のもうひとつの一見やや弱い三極目に位置する付き人(ローディ兼マネージャー)の役割をするシマ(成田凌)がまた実に良くて、無くてはならない第三極になっています。
三人がつくる三角形の最初に描かれる極はハルで、彼女が同性愛者でかつて真剣に愛した同性の恋人を失い(米国へ行って結婚している)、その喪失感から立ち直れないほどの深手を負っていることが、この作品での3人の関係をも作品の世界をも規定しているのですが、そのことはまったく前面に押し出して描かれず、ただハルの現在のありように深甚な影響を与えている彼女の過去として背後に折りたたまれた形で、ときおり垣間見えるだけです。
また、レオのほうも、洗濯屋みたいなところで働いているとき、一緒に音楽をやらない?とハルに声をかけられてインディーズ・バンドを組むことになる以前の彼女については、私たちに何も知らされてはいません。けれど、ハルが自分のつくったカレーをレオに食べさせるシーンで、何も言わずにカレーをぱくついていたレオがポロポロ涙を流して泣きだすシーンで、彼女が幼いころからおよそ誰かに温かい食事をつくってもらえるような過去を持たなかったこと、レオもまた心に深い傷を負った女性であることが私たちに一瞬で分かるのです。
こういうところが、愛情とか別れとか、ひとの心がぶつかり、傷つけあう難しい関係を描きながら、へんにジメジメもベトベトもしないで、いまの二人の関係のありよう、そのそっけないほど端的な言葉のやりとり、その言葉以上に雄弁な表情やふるまいで、ぶつかり、傷つけあい、しかも深い絆を感じている二人の存在感をそれぞれの個性を通して鮮やかに伝えてくれる所以だろうと思います。
シマについても、彼自身の口から若いころ少し軽薄な色男ぶったミュージシャンだったことは知られるけれど、彼の過去が私たちの前にわりあいはっきりと示されるのは、カメラが一人で、古レコードを売る店の2階へ上がっていくレオを追って、その店に先に入っていたシマと出会う場面で、レオがシマの好みをきく場面でシマが昔の自分のやっていたバンドのレコードを示して語る場面くらいだろうと思います。あとは過去に女のことでもめたことのある別のバンドのメンバーに待ち伏せされてボコボコにされる場面くらいでしょうか。
だからレオとハルの出会の場面や、ハルが目撃したホームレスが路上でマッサージを始めて客が来るわけはないよなとハルが思っていたら水商売の女が何のこだわりもなくホームレスの置いた椅子にすわって気持ちよさそうに肩をもませていたという回想場面など、過去へのフラッシュバックはいくつかあるけれど、作品の世界は基本的に3人の毀れそうな緊張を孕んだ現在進行形の物語としての流れを失わずに、3人の間の居心地の悪そうな共存と火花の散るぶつかりあい、そして一人になったときにみせる深手を負った者の孤独な表情等々を、静岡、三重、大阪、新潟、山縣、青森、北海道と全国7都市をめぐりながら見せていきます。
3人の間の不協和音をそれが耐えがたく爆発しそうになりながら、そのたびに、とにもかくにもカッコに入れて3人をつなぎとめ、共存の形をアピールして、バラバラな存在が無理に一つになっているというのでなく、本当は深くつながっている絆の向こうに、一人一人の傷ついた心を隠している存在として見えてくるような形でわたしたち観客に訴えてくるシーンが、「ハルレオ」として舞台で歌い演奏する場面です。
これはストーリーを追うだけだと、もう解散寸前の仲たがいした、とうてい再びひとつにはなれそうもないメンバーが、とにもかくにもツアーだけは契約上やりおえなければならないから、無理して一体のバンドですという顔をして舞台に立っているだけだ、という話になるはずでしょうし、にこやかに語り合うそぶりもなく、そっけない硬い表情で舞台に上がる二人の姿は、一見まさにそんな設定のように見えるけれど、実は彼女たちの実にぴったりと息の合った歌と演奏自体が、そうした設定というのか、二人のぶつかりあい、反発もしあい、傷つけあって、ぎこちない関係を裏切っているのです。
その歌はどれも素晴らしくて、彼女たちの気持ち、いまぶつかって反発し合い、傷つけあう心よりももっと奥で魂が求めているような絆で結ばれている、そんな二人が、それぞれに過去に深い傷を負った魂をかかえ、ようやく出会った二人として互いに心の奥底で求め合っていながら、行きがかり上ぶつかっていま別れていこうとし、そういう成り行き自体を、人生とはそんなものだ、とても人と人とがわかりあえるなんてことはありえないんだ、と自分を半分納得させようともし、しかしさせられもせず、いま別れてしまえばもう二度とそんな人とは出会うことができないだろうという哀しみの予感にふるえる、そういう状況や心境が、ハルのつくる歌には重ねられていて、彼女たちの口から和解の言葉が語られなくても、その感動的な歌と演奏自体が二人の本当の絆を私たち観客に直接訴えかけてくるところがあります。
そのために、ツアーの先々で歌われ演奏されるこのライブシーンで、私たちは幾度か泣かされることになります。
だから、ラストは言われなくても見ていればわかります。けれど、別段それは肩透かしでも何でもなくて、必然的なこうしかないよな、という後味のよいラストだし、この映画はもちろんロードムーヴィーとして、ゴールがどこかではなくて、その旅の途上の3人のやりとりとその背後にみえてくる奥行きをあわせた若い魂のぶつかり合い、傷つけあい、求め合う姿にみるべきものがあるので、それが楽しめればきっとこの作品が好きになるでしょう。
この作品自体の中で前面に押し出されるわけではない深手を負った過去をかかえていまを生きる二人、とりわけ要になるハルは、なかなか難しい役どころだと思いますが、門脇麦という若い女優さんはハルのそんな複雑さと奥行きをよく演じていたと思います。それから、レオの小松菜奈はとてもチャーミングでした(笑)。
saysei at 01:12|Permalink│Comments(0)│
2019年07月28日
『内閣調査室秘録』を読む
志垣民郎著、岸俊光編『内閣調査室秘録~戦後思想を動かした男』(文春新書1226. 2019)というのを読んだのは、先日映画「新聞記者」を見て面白かったのと、この映画が原案としていた望月衣塑子著『新聞記者』を読んでいたからで、いわば敵役の内閣情報調査室という機関が現実にはどういうものなのか、この新書の帯に書いてある「内調は本当に謀略機関だったのか!?」みたいな関心で手に取ったわけです。
この新書は、志垣民郎という、実際に内閣調査室の創設メンバーの一人で、その後知識人たちへの工作を担った要のような人物らしくて、詳細な日記を残していて、それを編者が編んでつくられた本で、内側から同調査室を描いた公刊物としては本邦初ということらしいです。
この本の面白いところは、彼が工作のターゲットとした知識人・文化人の固有名詞がバンバン出て来て、どんな依頼をしたか、どこで会食し接触したか、いくら謝礼を払ったか、そして彼(志垣)がその人物にどんな評価をしていたかなどが書かれている点です。
要は戦後の共産主義の浸透に対して反共あるいは防共?的な観点から、保守的文化人から進歩的文化人の一部にいたるまで、幅広い言論に影響力をもつと考えられる知識人に接触して、その取り込みを図り、政府の政策決定に役立つような検討をさせてみたり、特定の国や地域あるいは政治的テーマに関しての奥行きのある情報を集めたり、それを分析させたり、そういった依頼を通じて日常的に文化人とラポールを確立し、或る意味で取り込みを図り、マスメディアをはじめ言論界等々に対する影響力を行使していく、おおざっぱに言えばそういう任務を、豊富な資金と情報力、彼個人の才覚や行動力によって実にこまめに、手広くこなしていく様子が、けっこう生々しく彼自身の手で記録されています。
泉靖一、藤原弘達、粕谷一希、村松剛、佐伯彰一、永井陽之助、蝋山道雄、佐伯喜一、林健太郎、衛藤瀋吉、中嶋嶺雄、石川忠雄、福田恒存、山崎正和、佐藤誠三郎、高坂正尭、黒川紀章、香山健一、志水速雄、公文俊平、会田雄次、相場均、石川弘義、市村真一、伊藤善市、糸川英夫、猪木正道、岩田慶治、江藤淳、桶谷繁雄、加藤寛、金森久雄、川喜田二郎、川添登、岸田純之助、木村尚三郎、桑原寿二、篠原一、高橋正雄、竹山道雄、富永健一、牧野昇、見田宗介、武者小路公秀、矢野暢、矢部貞治、若泉敬、綿貫譲治、上山春平、田中美知太郎、小泉信三、鶴見俊輔、安岡正篤、堤清二・・・等々。
私が名前くらいは知っていたり、著書を拾い読みしたことがあるとか、中には会ったことがあるというような人だけ挙げても、こんなにありました。みな何らかの形で志賀氏が接触を試みたり、研究会を組織したり、原稿執筆を依頼したり、といった広い意味での工作の対象としたひとたちなのでしょう。
私も一度だけ授業に出たことのある上山春平との接触の描写など、なかなか微妙なものもあります。京都へ来て、人文科研分館近くのレストランでカレーを食べながら、「大東亜戦争史観、林房雄論、定点観測、防衛問題、海運問題などなど話す。昨年よりずっとくだけてきている。しかし研究費を受け取ることは断る。時折フリーな意見を述べること、防衛庁・自衛隊見学など便宜図ることなど約束」(p278)
1964年の日記では2月27日に鹿谷の田中美知太郎邸を訪問、前に依頼していた、若い学者のために資金を出すから紹介するようにという話を、田中が「ほとんど忘れていたので、改めて説明。若い学者のため資金出すはずだったと話す。思い出してくれた。海外旅行のことやギリシャ文明のことなど話す。田中氏、八月にアメリカの学界に出席のため資金も必要としている時だったので、それに使ってもよいことにして概ねOKとなる。大学の助手もつれていくので、その研究費用にもという趣旨にする。来年三月には学生をつれて行くから、それも概ね予約。十万円を前渡し、受け取りをとることが出来た。」・・・これもなかなか生々しいですね。
その後、朝日新聞が1967年9月16日朝刊社会面トップで、「内調が共産圏情報と交換で研究費を援助するなど、露骨な誘いかけを強めていると批判的な記事を書いた」朝日事件が起きて、会田雄次から講演の断りと研究費の一時停止の電話があったとか、立命館大学経営学部へ行ったときに星野芳郎と喫茶店で話をし、前に話がついていたらしい委託の話を中止してくれと言ってきたそうですが。
志垣らは「若い有望な学者に委託費を出して研究をさせることで、現実主義の論客を育て、それを政策にフィードバックしていた」(p282)ようですが、この本の第15章「委託費を受けなかった人々」の中には、小泉信三、鶴見俊輔、福田恒存、上山春平、安岡正篤、堤清二らの名が挙がっています。これも濃淡様々で、文芸畑の保守的文化人の典型みたいな福田恒存などは「多く付き合ったが、委託費などは出さなかった」(p293)。
鶴見俊輔は粕谷一希の紹介で会ったときに、内調が持っていたレッド・パージの訴願資料を見せてほしいと依頼されて、志垣がとりに来たのちの鶴見夫人横山貞子女史に渡したと書かれています。どうやらこれがあの『共同研究 転向論』の鶴見さんの論文の元ネタになったようです。これは初めて知ったので面白かった。
さらに、これに関して、雑誌『経済』2004年1月号に載った上田耕一郎と鶴見俊輔の対談について触れられていて、その上田発言によって、志垣民郎の父親が生活綴方運動の指導者の一人だった志垣寛の次男であること、そして志垣民郎と上田耕一郎の姉が小学校の同級生であること、民郎の妹の息子が俳優の志垣太郎であること、などがわかるのも面白い。
この志垣民郎は、『戦艦大和ノ最期』の作家吉田満と東京高等学校での同級生であり、親友であったこと、そして自らも1943年10月に学徒出陣し、雨の明治神宮外苑競技場での出陣学徒壮行会を撮った日本映画社の「日本ニュース」第177号に、東大の前から7番目の列で銃を右肩に抱え、ゲートル姿で亢進する姿がとらえられているのだそうです。あの映像は私も見たことがあるから、もちろんそれと意識することなく見ているに違いありません。
この本の解題に書かれた志垣民郎のたどった道、とりわけ敗戦後の生き方に関しては、よくわかるところがあって、いまの目で右だ左だと斬り捨てて片付くようなものではないと思います。反共主義者には違いないけれど、「戦後、周囲の素早い転身に違和感を覚え、戦争への考察、反省なしに民主主義をどうして理解できるのかと、疑問を持ち続けた側面にも注意する必要がある」という編者の言葉はもっともに思えます。
"「どのような主義主張であれ、社会が一色に染まっては危うい」。そう語る志垣氏の姿勢は、内調の弘報活動でも随所に発揮されることになった。”(p318)
それは志垣が接し、「工作」の対象とした知識人、文化人、マスメディア関係人士等々の幅広さをみるだけでもうかがうことができそうです。
彼が個々の文化人に与えている寸評をみると、いわば人買いとして相当な目利きだったんだな、ということがよくわかります。江藤淳を高く評価したり、山崎正和の文化論を面白がったり、そうかと思うと某文化人をシャープさに欠ける、と一刀両断(笑)。
いまの内調はどうなっているのかと、このあと今井良の『内閣情報調査室』(幻冬舎新書553、
2019)も読んでみましたが、こちらはちっとも面白くなかった(笑)。
諜報活動には裏も表も脱法的な手段を講じることもあるでしょうが、比率から言えば圧倒的に誰にでも公開されている情報を地道に収集分析して役立つ情報のエッセンスを抽出するような作業がほとんどを占めるのでしょうね。それはCIAだって同じで、世界中のCIA要員の圧倒的多数はそういう公開された情報を読み、分析するような地道な作業に従事している、ってなことをどこやらで読んだ記憶があります。
志垣民郎がやっていたようなことも、おそらく工作されるほうだって、べつに権力に取り込まれるなんていう自覚は無くて、自分の学識に裏付けられた意見を求められて研究会で特定のテーマを検討したり、レクチャーしてやったり、原稿を執筆しただけで、何の問題もないと考えているのでしょう。さすがにあきらかに共産党シンパとかそれに近い知識人には近づいていないようだし、先の星野芳郎や(マルクス主義者ではないけれど)上山春平などはどちらかと言えば例外的ではないかと思いますが、彼らはやはり権力に取り込まれるとか金をもらうとかいうことには抵抗があったようすが志垣の日記の記述からうかがえるように思います。
いまもきっと内調の誰かが言論に影響をもつような知識人、文化人の間をかけまわって、こんな役割を果たしているんでしょうね(笑)。
この新書は、志垣民郎という、実際に内閣調査室の創設メンバーの一人で、その後知識人たちへの工作を担った要のような人物らしくて、詳細な日記を残していて、それを編者が編んでつくられた本で、内側から同調査室を描いた公刊物としては本邦初ということらしいです。
この本の面白いところは、彼が工作のターゲットとした知識人・文化人の固有名詞がバンバン出て来て、どんな依頼をしたか、どこで会食し接触したか、いくら謝礼を払ったか、そして彼(志垣)がその人物にどんな評価をしていたかなどが書かれている点です。
要は戦後の共産主義の浸透に対して反共あるいは防共?的な観点から、保守的文化人から進歩的文化人の一部にいたるまで、幅広い言論に影響力をもつと考えられる知識人に接触して、その取り込みを図り、政府の政策決定に役立つような検討をさせてみたり、特定の国や地域あるいは政治的テーマに関しての奥行きのある情報を集めたり、それを分析させたり、そういった依頼を通じて日常的に文化人とラポールを確立し、或る意味で取り込みを図り、マスメディアをはじめ言論界等々に対する影響力を行使していく、おおざっぱに言えばそういう任務を、豊富な資金と情報力、彼個人の才覚や行動力によって実にこまめに、手広くこなしていく様子が、けっこう生々しく彼自身の手で記録されています。
泉靖一、藤原弘達、粕谷一希、村松剛、佐伯彰一、永井陽之助、蝋山道雄、佐伯喜一、林健太郎、衛藤瀋吉、中嶋嶺雄、石川忠雄、福田恒存、山崎正和、佐藤誠三郎、高坂正尭、黒川紀章、香山健一、志水速雄、公文俊平、会田雄次、相場均、石川弘義、市村真一、伊藤善市、糸川英夫、猪木正道、岩田慶治、江藤淳、桶谷繁雄、加藤寛、金森久雄、川喜田二郎、川添登、岸田純之助、木村尚三郎、桑原寿二、篠原一、高橋正雄、竹山道雄、富永健一、牧野昇、見田宗介、武者小路公秀、矢野暢、矢部貞治、若泉敬、綿貫譲治、上山春平、田中美知太郎、小泉信三、鶴見俊輔、安岡正篤、堤清二・・・等々。
私が名前くらいは知っていたり、著書を拾い読みしたことがあるとか、中には会ったことがあるというような人だけ挙げても、こんなにありました。みな何らかの形で志賀氏が接触を試みたり、研究会を組織したり、原稿執筆を依頼したり、といった広い意味での工作の対象としたひとたちなのでしょう。
私も一度だけ授業に出たことのある上山春平との接触の描写など、なかなか微妙なものもあります。京都へ来て、人文科研分館近くのレストランでカレーを食べながら、「大東亜戦争史観、林房雄論、定点観測、防衛問題、海運問題などなど話す。昨年よりずっとくだけてきている。しかし研究費を受け取ることは断る。時折フリーな意見を述べること、防衛庁・自衛隊見学など便宜図ることなど約束」(p278)
1964年の日記では2月27日に鹿谷の田中美知太郎邸を訪問、前に依頼していた、若い学者のために資金を出すから紹介するようにという話を、田中が「ほとんど忘れていたので、改めて説明。若い学者のため資金出すはずだったと話す。思い出してくれた。海外旅行のことやギリシャ文明のことなど話す。田中氏、八月にアメリカの学界に出席のため資金も必要としている時だったので、それに使ってもよいことにして概ねOKとなる。大学の助手もつれていくので、その研究費用にもという趣旨にする。来年三月には学生をつれて行くから、それも概ね予約。十万円を前渡し、受け取りをとることが出来た。」・・・これもなかなか生々しいですね。
その後、朝日新聞が1967年9月16日朝刊社会面トップで、「内調が共産圏情報と交換で研究費を援助するなど、露骨な誘いかけを強めていると批判的な記事を書いた」朝日事件が起きて、会田雄次から講演の断りと研究費の一時停止の電話があったとか、立命館大学経営学部へ行ったときに星野芳郎と喫茶店で話をし、前に話がついていたらしい委託の話を中止してくれと言ってきたそうですが。
志垣らは「若い有望な学者に委託費を出して研究をさせることで、現実主義の論客を育て、それを政策にフィードバックしていた」(p282)ようですが、この本の第15章「委託費を受けなかった人々」の中には、小泉信三、鶴見俊輔、福田恒存、上山春平、安岡正篤、堤清二らの名が挙がっています。これも濃淡様々で、文芸畑の保守的文化人の典型みたいな福田恒存などは「多く付き合ったが、委託費などは出さなかった」(p293)。
鶴見俊輔は粕谷一希の紹介で会ったときに、内調が持っていたレッド・パージの訴願資料を見せてほしいと依頼されて、志垣がとりに来たのちの鶴見夫人横山貞子女史に渡したと書かれています。どうやらこれがあの『共同研究 転向論』の鶴見さんの論文の元ネタになったようです。これは初めて知ったので面白かった。
さらに、これに関して、雑誌『経済』2004年1月号に載った上田耕一郎と鶴見俊輔の対談について触れられていて、その上田発言によって、志垣民郎の父親が生活綴方運動の指導者の一人だった志垣寛の次男であること、そして志垣民郎と上田耕一郎の姉が小学校の同級生であること、民郎の妹の息子が俳優の志垣太郎であること、などがわかるのも面白い。
この志垣民郎は、『戦艦大和ノ最期』の作家吉田満と東京高等学校での同級生であり、親友であったこと、そして自らも1943年10月に学徒出陣し、雨の明治神宮外苑競技場での出陣学徒壮行会を撮った日本映画社の「日本ニュース」第177号に、東大の前から7番目の列で銃を右肩に抱え、ゲートル姿で亢進する姿がとらえられているのだそうです。あの映像は私も見たことがあるから、もちろんそれと意識することなく見ているに違いありません。
この本の解題に書かれた志垣民郎のたどった道、とりわけ敗戦後の生き方に関しては、よくわかるところがあって、いまの目で右だ左だと斬り捨てて片付くようなものではないと思います。反共主義者には違いないけれど、「戦後、周囲の素早い転身に違和感を覚え、戦争への考察、反省なしに民主主義をどうして理解できるのかと、疑問を持ち続けた側面にも注意する必要がある」という編者の言葉はもっともに思えます。
"「どのような主義主張であれ、社会が一色に染まっては危うい」。そう語る志垣氏の姿勢は、内調の弘報活動でも随所に発揮されることになった。”(p318)
それは志垣が接し、「工作」の対象とした知識人、文化人、マスメディア関係人士等々の幅広さをみるだけでもうかがうことができそうです。
彼が個々の文化人に与えている寸評をみると、いわば人買いとして相当な目利きだったんだな、ということがよくわかります。江藤淳を高く評価したり、山崎正和の文化論を面白がったり、そうかと思うと某文化人をシャープさに欠ける、と一刀両断(笑)。
いまの内調はどうなっているのかと、このあと今井良の『内閣情報調査室』(幻冬舎新書553、
2019)も読んでみましたが、こちらはちっとも面白くなかった(笑)。
諜報活動には裏も表も脱法的な手段を講じることもあるでしょうが、比率から言えば圧倒的に誰にでも公開されている情報を地道に収集分析して役立つ情報のエッセンスを抽出するような作業がほとんどを占めるのでしょうね。それはCIAだって同じで、世界中のCIA要員の圧倒的多数はそういう公開された情報を読み、分析するような地道な作業に従事している、ってなことをどこやらで読んだ記憶があります。
志垣民郎がやっていたようなことも、おそらく工作されるほうだって、べつに権力に取り込まれるなんていう自覚は無くて、自分の学識に裏付けられた意見を求められて研究会で特定のテーマを検討したり、レクチャーしてやったり、原稿を執筆しただけで、何の問題もないと考えているのでしょう。さすがにあきらかに共産党シンパとかそれに近い知識人には近づいていないようだし、先の星野芳郎や(マルクス主義者ではないけれど)上山春平などはどちらかと言えば例外的ではないかと思いますが、彼らはやはり権力に取り込まれるとか金をもらうとかいうことには抵抗があったようすが志垣の日記の記述からうかがえるように思います。
いまもきっと内調の誰かが言論に影響をもつような知識人、文化人の間をかけまわって、こんな役割を果たしているんでしょうね(笑)。
saysei at 00:30|Permalink│Comments(0)│
2019年07月05日
藤井道人監督「新聞記者」をみる
必見の映画です!とくに参議院選挙前に(笑)
冗談はともかく、まじめに、なかなか面白く、かついい映画でした。単なるエンターテインメントの決まりきった筋書きに、背景として権力の陰謀なんてのを入れておく、というまたかよ、みたいなお手軽な娯楽映画の域を超えて、ほんとにありそうだよな、と思う分、後味が悪いなぁ、と或る意味で感じながら映画館を出て、だんだんと自由にものが言いにくい世の中になっていくいまの日本社会、マスメディアのありよう、官僚のありよう、わたしたち自身のありようを、観客に振り返らせる力のある作品だと思います。
朝日新聞の7月4日の紹介記事の中で、プロデューサーの河村光庸氏が、この映画を「政治の話題を嫌うテレビは、なかなか紹介してくれない」と言い、「(政権に批判的な映画に関わると)『干される』と、二つのプロダクションに断られた」と語ったと書かれています。既にメディアの世界、映画の世界、多くは「自主規制」的な形であれ、そんな風になっているようです。あれはよし、これはだめ、なんて偉そうに作品を評価する批評家なども、そういうことにはずいぶん鈍感なようです。いや、身の安全のためですか(笑)
企画から手掛けたという河村プロデューサーはじめ、「政治無関心層」だったという若い藤井監督、それによく知られた人気の若手俳優なのにこういう作品に出演した好演の松坂桃李、子役のときからとてもすばらしい女優の資質を持った韓国の名優シム・ウンギョンらキャスト、スタッフに敬意を表したい作品です。
生物化学兵器の生産云々という隠された権力の動機づけは、エンターテインメントとしての物語のつくりとして必然性はあったでしょうが、それをもって現実離れした絵空事だと考えることのできないリアリティが、それ以外の部分、権力のありようやマスメディアのありよう、その中での一人一人の個人のありように確かなものとしてあるので、映画を娯楽としか心得ない私のような気楽な観客でも、ちょっと怖くなるようなところがあります。
脚本にダレがなくて全体にテンションが高く、なによりも主役二人の好演が作品を支えていると思いました。とりわけシム・ウンギョンが回想場面で父親の遺体を見る場面での泣きは、日本人女優の誰もこの真似は出来ないだろうな、と思うくらい素晴らしいシーンで、まさにこういう経緯、こういうシチュエーションで、こいう父娘の関係であれば、こんなふうに泣くしかないだろうと思わせるような演技で、あらためてこの女優さんのすごさを感じさせました。彼女のアップが多かったけれど、そのカメラも効果的で、この女優さんの表情の変化をよくとらえて、小説なんかで言えばひとつひとつの言葉が炊き立てのご飯の米粒が光って立っているような輝きを感じさせてくれました。どこかいま見えているものとは別のものをいつも見ているような、結構つらい、陰鬱といっていい表情なのですが。
松坂桃李もラストで権力のダメ押しにボロボロになって崩れ落ちる寸前の表情というのが、とても良かった。同様に横断歩道を隔てて彼と向き合った、いま命をとりにかかろうという権力の最後の脅しを受けたばかりの女性記者(吉岡)が彼に声をかけようとする、そこで終わっています。このラストがすごくいいし、二人の表情がすばらしい。
まだ見ておられない方は、ぜひぜひ映画館でごらんください。
冗談はともかく、まじめに、なかなか面白く、かついい映画でした。単なるエンターテインメントの決まりきった筋書きに、背景として権力の陰謀なんてのを入れておく、というまたかよ、みたいなお手軽な娯楽映画の域を超えて、ほんとにありそうだよな、と思う分、後味が悪いなぁ、と或る意味で感じながら映画館を出て、だんだんと自由にものが言いにくい世の中になっていくいまの日本社会、マスメディアのありよう、官僚のありよう、わたしたち自身のありようを、観客に振り返らせる力のある作品だと思います。
朝日新聞の7月4日の紹介記事の中で、プロデューサーの河村光庸氏が、この映画を「政治の話題を嫌うテレビは、なかなか紹介してくれない」と言い、「(政権に批判的な映画に関わると)『干される』と、二つのプロダクションに断られた」と語ったと書かれています。既にメディアの世界、映画の世界、多くは「自主規制」的な形であれ、そんな風になっているようです。あれはよし、これはだめ、なんて偉そうに作品を評価する批評家なども、そういうことにはずいぶん鈍感なようです。いや、身の安全のためですか(笑)
企画から手掛けたという河村プロデューサーはじめ、「政治無関心層」だったという若い藤井監督、それによく知られた人気の若手俳優なのにこういう作品に出演した好演の松坂桃李、子役のときからとてもすばらしい女優の資質を持った韓国の名優シム・ウンギョンらキャスト、スタッフに敬意を表したい作品です。
生物化学兵器の生産云々という隠された権力の動機づけは、エンターテインメントとしての物語のつくりとして必然性はあったでしょうが、それをもって現実離れした絵空事だと考えることのできないリアリティが、それ以外の部分、権力のありようやマスメディアのありよう、その中での一人一人の個人のありように確かなものとしてあるので、映画を娯楽としか心得ない私のような気楽な観客でも、ちょっと怖くなるようなところがあります。
脚本にダレがなくて全体にテンションが高く、なによりも主役二人の好演が作品を支えていると思いました。とりわけシム・ウンギョンが回想場面で父親の遺体を見る場面での泣きは、日本人女優の誰もこの真似は出来ないだろうな、と思うくらい素晴らしいシーンで、まさにこういう経緯、こういうシチュエーションで、こいう父娘の関係であれば、こんなふうに泣くしかないだろうと思わせるような演技で、あらためてこの女優さんのすごさを感じさせました。彼女のアップが多かったけれど、そのカメラも効果的で、この女優さんの表情の変化をよくとらえて、小説なんかで言えばひとつひとつの言葉が炊き立てのご飯の米粒が光って立っているような輝きを感じさせてくれました。どこかいま見えているものとは別のものをいつも見ているような、結構つらい、陰鬱といっていい表情なのですが。
松坂桃李もラストで権力のダメ押しにボロボロになって崩れ落ちる寸前の表情というのが、とても良かった。同様に横断歩道を隔てて彼と向き合った、いま命をとりにかかろうという権力の最後の脅しを受けたばかりの女性記者(吉岡)が彼に声をかけようとする、そこで終わっています。このラストがすごくいいし、二人の表情がすばらしい。
まだ見ておられない方は、ぜひぜひ映画館でごらんください。
saysei at 18:22|Permalink│Comments(0)│