2018年07月
2018年07月29日
『呪医と精霊の世界』(掛谷誠著作集 第2巻)を読む
『掛谷誠著作集』の第2巻です。
専門家向きに書いたり一般読書人向けに書いたり、どこかで喋ったり、全23章の多くは、彼がアフリカ・タンザニア共和国のタンガニイカ湖東岸域に暮らすトングウェという部族をフィールドとする調査を進める中で、自ら呪術医になった経緯とその成果を様々な機会に発表した文章なので、一気に読むと重複する内容も多く、ド素人として何の準備もなく活字を追うだけでしたが、一通り読み終えるころには、トングェの呪術の世界の基本構造が自然に頭に入ってきたような錯覚をおぼえました。
掛谷が人類学者として初めてアフリカを訪れ、その成果を学術論文として初めて発表したのは、著作集第1巻に収められた「トングウェ族の生計維持機構」(『季刊人類学』第5巻3号。1974年8月)というモノグラフでした。
彼はこの論文で、広大なウッドランド(乾燥疎開林)で小集落を形成して散在する伝統的な居住様式を維持するトングウェ族を対象に、非集約的な焼畑農耕を中心としながら、狩り、漁撈、蜂蜜採集、植物性食物の栽培や採集など多様な生業を営んで暮らすトングウェの人々の生活をつぶさに調査して、その物質的基礎をかたちづくる食糧生産と消費を定量的に明らかにします。
その結果、トングウェの主食とする作物の生産は集落単位で見ると住民の推定年間消費量ぎりぎりか、それを大きく上回ることのない収量であるのに対して、消費のほうは、例えばイルンビという集落では、調査した三カ月間の総食物消費量のなんと39.6%が集落を訪れる(そして集落が快く迎え入れ、滞在させる)客が消費していたことが明らかになります。それでなぜやっていけるのかと言えば、客を迎える自分たちもまた、広大なウッドランドに散在する集落から集落へと旅することで、客の接待分に相当する消費量を帳消しにできるからだというのです。
このような部族社会全体としての巧みな生計維持システムの原理を、掛谷は「最小生計努力」と「食物の平均化」というキーワードとして抽出しています。
こうした小規模な閉じた平衡を維持するようなシステムというのは、より多くの生産を望み、余剰生産物の蓄積が生じることで容易に破られ、人間関係も変質するに違いないでしょうが、トングウェの社会でその平衡を維持する役割を果たしているのが、彼らの精神世界を支配し、したがって彼らの生き方、日々の行動をコントロールする神や精霊等々の跳梁する超自然的な「呪術」の世界だったことが示唆されていました。
私は当時、掛谷と同じ20代の終わりころだったと思いますが、学問の世界とはすでに縁のない立場になっていて、ただ彼の友人としての一読書子としてこのモノグラフを読んだにすぎませんが、言ってみれば近代化から取り残された辺境の地域社会で、取り残されることができるような環境条件に特殊適応することによって伝統的な生活様式を維持してきた、その維持システムの一つを明らかにしたものにすぎず、単純生産を基礎に閉じた社会を形成することで相対的な安定を維持する上で、消費量ぎりぎりの生産量にとどめて生産力の発展をとどめるのも、その小さなパイを少数の部族民が生きるために平等に分配するのも自然の理で、それがわざわざ「最小生計努力」、「食物の平均化」というキーワードで抽出されなくてはならないようなことなのか、といった不満を持って読んだことを覚えています。
ちょうど生物進化の過程で、われわれホモサピエンスの祖先がその身体・生理・生態のあらゆる面での普遍性を維持して柔軟な環境への適応力を失わずにステップアップしてきたのに対して、類人猿が森林などの後退する環境に逃げ込んで、自らの身体なり「生き方」なりを特殊化してしまうことで森林のような特殊な環境に適応する道を選んで、進化のメインストリームから脇道に外れたのと同じじゃないのか、つまりそれは「可能性としてのアフリカ」ではなくて、どん詰まりの道ではないか。特殊な環境に自らを特殊化することで適応し、閉じて相対的に安定した社会を維持してきただけじゃないか、と思えたのです。
人類学者が世界の辺境へ出掛けて時間軸・空間軸の現在から能う限り遠い地域を選んでその社会を観察し、記述することは、京大の学術調査が掛谷が調査に入った地域を、それまでは長期にわたる野生チンパンジー調査の拠点としていたことの延長のようにしか、私には思えなかったようです。
そのため、彼の最初のモノグラフを読んでも、トングウェの人々が暮らすウッドランドの植生や、トングウェが食物とするなどその生活で関りをもつ動植物についての学術的に手堅い、客観的で厳密で網羅的な調査の報告という色彩ばかりが目について、彼の学術的なスタートとなる論文だったために、学界向けに揚げ足をとられないよう、「武装したな」というような感想をもったことも記憶しています。
もちろん当たり前のことを実証的に確定していくのが学問なんだ、という考え方はあるにしても、掛谷がそんなところにとどまっているはずはないだろう、というのが学生時代からの彼を多少は知っていた若い自分の掛谷観だったわけです。
けれども、それはおそらく私がヨーロッパ中心主義的な社会進化論や文明の発展段階説的な思考に泥んでいて、結局のところアフリカを未開の地としか見ていなかったからだったでしょう。掛谷夫妻がアフリカへ行くたびに(日本にいるときによく見せた暗鬱な表情とは違って・・笑)実に生き生き輝くような表情をして帰ってきて、ときおり「おまえもアフリカへいっぺん来たらどうや?」と言っても、きっと彼にはアフリカが合っているんだろうな、としか思えなかったのです。
彼のあまりにも人の気持ちが分かりすぎ、思いやりが過ぎるほどの繊細さ、やさしさが日本社会独特の人間関係の中で傷ついていくのを感じざるを得なかったから、それはおそらくトングウェの人々の中で暮らすことで癒されるものがあるのだろう、くらいに考えていたと思います。だから、私には彼がその社会に生きて、トングウェの人々の精神世界の豊かさをポジティブに体感していたことの意味が本当のところよくわからなかったのでしょう。
ただ、いまあらためのあのモノグラフを読んでみると、その「最小生計努力」と「食物の平均化」という原理の背景に広大な「呪術の世界」が控えていることはすでに示唆されており、掛谷の頭の中ではすでにトングェの人々の世界を支配している構造を、物質的な世界と精神的な世界の両面からその支え合う構造としてまるごととらえようとする意図が明確になっていて、その骨格まで最初の論文ですでに示している、ということにあらためて気づきます。
生計を維持するための生産がこれこれで、消費がこうで、それを補う社会関係がこうで、辻褄があっています、というような話を積み上げて、学術用語らしいキーワードを与えて事足れり、というごく平凡な学者のきまじめな帰納的態度ではなくて、もとより実証的なつぶさな調査にもとづいてではあるけれども、いきなり「妬みの人類学」として呪術の世界がその生計と分配の原理を支え、支配する構造の骨格を鷲掴みにしてくるような演繹的態度は、あれでおそらく学問的にはかなり大胆なもので、いかにも秀才掛谷らしく、自分もそこに立つピッチで動き回るプレヤーを平面上に眺めているのではなく、浮上してプレヤー全体を俯瞰する3次元的な視野を最初から持っていたんだな、というのを今になって感じます。
こういうことを考えたのは、先日共通の友人でもあり、研究者としても掛谷の盟友として終始かかわりつづけてきた篠原が、同じ掛谷のモノグラフを読んだときに「人間の社会にこうした有り様が存在するのかと驚愕した」と、その新著『民俗学断章』で書いていて、掛谷がここで、最大生産努力に向かう存在であることを人間の普遍的なありようとみなしてきたヨーロッパ流の文明観に対して、全く別の「生き方」があり得ることを示して、アフリカ社会をも丸ごと呑み込もうとしている近代化とは別の道を切り開く地域社会の可能性を示唆したものと読みとっていたことを知ったときに、そうか、自分はあのモノグラフを読んだときに、そこまで読めなかったなぁ、と思ったからです。
篠原の感じたとおり、その後の掛谷は現実にアフリカを覆いつくそうとしていた近代化の波とは異なる、現代における「可能性としてのアフリカ」を求めて悪戦苦闘していくことになったと思います。それは決して私が考えていたような、単にその社会の人々が彼の心を癒してくれるからではなくて、私たちの社会が豊かさと考えているものとは異なる豊かさをその社会が備えていて、それを日々現地で実感していた掛谷が、それをなんとか生計の問題として、生産や生産関係の問題として、社会の発展のありようとして、また人間にとってのありうるオルターナティブな「生き方」として普遍化しようとした足跡だったのだろうと思います。
そのトングウェの精神世界、呪術の世界は、すでに著作集第1巻所収の「アフリカのトングウェ族とともに」(1977年6-8月)、「サブシステンス・社会・超自然的世界ートングウェ族の場合」(1977年6月)などに描かれていましたが、この著作集第2巻はその呪術の世界が全面展開されています。
著者は現地トングウェの呪術医に弟子入りを許され、公認の呪術医としてトングウェの呪術の世界を内側から体験して、トングェの精神世界の構造を明らかにしていきます。
素人の私にも大変面白かったのは、トングウェの人々にとっての「病」が、われわれ西洋医学になじんだ者が考えるような個人の主として身体の変調に限ったものではなく、対自然、対人間の様々なきしみとしての、様々な厄災の類を包括していることでした。
作物の不作、不漁、野獣による畑あらし、妻となる女にめぐりあえないこと、子宝(はともかくとして)や財産に恵まれないことなどもみな「病」の一種であり、狩りが下手な犬や臆病な犬の矯正、歌が上手になること、実家に帰りたがる妻の性格を矯正すること、官憲に捕われないようにすること、猛獣に襲われないようにすること、川の流れを変えること、等々がみな「病を治す」呪術医の役割なのです。
その「病」の種類たるや掛谷の数えたところでは、100種前後もあったそうです。彼が要約するところでは、トングウェの人々にとっての「病」は、物や人をコントロールする「精霊や祖霊のメッセージ」であり、「人間関係の歪みが身体化したもの」なのです。彼ら自身の病の分類というのは、病の重い、軽いで病名が異なったりするようです。
人間は、自分も含めた他者と関わるか、自然とかかわるかして生きるほかはない存在ですが、その他者や自然の背後にはそれを動かす精霊、祖霊の類が現実的に存在すると考えられているわけですから、対自然、対人間の関係はすべてそれらの超自然的な存在との関係として考えられ、そこが不具合であることが対自然、対人間の関係の不具合をもたらしている、とされるのは道理です。
この超自然的な存在のありようが病の原因となるわけですが、この病因論こそが現代の医とトングウェの医とを分けるもので、そこにトングウェの医の世界の特徴があらわれていると掛谷は言います。
怪我や病、死、さまざまな不幸が神秘的な存在の意志のあらわれだと考える彼らにとっての、その超自然的存在は、掛谷によれば次のようなものです。
神(ムングー):運命のごときもので、掛谷によれば古い太陽崇拝の名残りではないかとのこと。人間である以上は誰もがいつでもかかるような軽い病の原因とみなされるもののようです。
精霊(ムガボ):山、川、大木、大石などに住む霊で、女性に乗り移る悪霊イシゴ、象を飼育する原野の精霊ムティミ、土着イスラム由来と思われるイジーニなどの種類が弁別されています。
祖先霊(ムシム):これは説明の要もなく私たち日本人によくわかりますね。
動物霊(イニュウェレ):殺した動物の悪霊がたたるわけで、象のたたりなどは最強のようです。
邪術者(ムロシ):同じ集落の誰かに恨みを買ったり妬まれたりして呪われるのですね。ムロシは親族が多いんだそうです。誰もはっきりと邪術(ブロシ)がかけられるのを見た者はないけれども、疑われる者は居るし、現実的な存在として認知されていて、これに対する対処は呪医の出番になるわけです。ただし呪医は呪術が使える者として、呪医であることとひょっとするとムロシでもありうることとの両義的な存在であるという点がなかなか面白いところです。
言霊(長老の言葉。イガンボ):親族の成員間の上下関係と礼儀には非常にうるさい社会のようなので、それに反したりして長老が怒ったり不快に思ってぼそっと愚痴をこぼしたりすると、その言葉が言霊として祟るようです。こわいですね(笑)
現代の医者の「診断」にあたるのは、患者の「病」が、どの悪霊を原因として引き起こされたものかを判断する「占い」です。これが呪医(ムフモ)の第一の役割です。
占いの方法のひとつは、呪医がトランス状態になってどの悪例が病因だと言い当てるわけで、それはだいたいトランス状態になりやすいような人のところに精霊が憑いて呪医(ムフモ)になるので、そういうことができる場合はそれがまっとうな方法なのでしょう。
占いのもう一つの方法は、いつもいつもトランス状態になれるわけじゃないから(笑)それを補う方法なんだろうと思うけれど、呪薬(ダワ)を掌に塗っておいて、考えられる病因を思い浮かべながら他方の手でそれをこすっているうちに、ぴたりと止まったら、そのときに思い浮かべていた悪霊が病因である、と。・・・いまの私たちにはちょっと眉唾のあやしげな判じ物めいていますが、呪医がその地域社会の心的な共同性を体現する資質を具えていて、みなが精霊や呪術の世界を現実とし、呪医の力を信じているところでは、それは少なくとも現代の意志の診断と同等かひょっとしたらそれ以上の蓋然性をもつ「診断」なのでしょう。
実は掛谷が呪医になって帰国したとき、私の目の前でこれをやって見せてくれたことがあります。掛谷がトングウェの患者として訪れる人に、そういう「占い」をして、あなたの次の子が生まれないのは、水に棲む悪霊のせいだ!なんて断定的に言うのを傍らで記録係として直接見聞きしていた掛谷夫人がそうやって断定する彼を「いいのかしら、って不安になったわ」と言っていたのを覚えています。
いまの日本に暮らす私たちの感覚では、もちろんそう思いますよね。そんなインチキ(笑)・・・それで当たるわきゃないじゃん!と。でもこの著作集の第2巻で或る講演か何かのあとの質疑の中で、その種の疑問に対して彼は、基本的に当たるのかという質問に対して、私は当たります、と答えています、と語っています。彼がその時、その理由というか根拠として持ち出しているのは、現代医学でも確認されているプラシーボ(偽薬)効果のことで、いまの薬だって医者に聞けば半分はプラシーボ効果なんだと言ってるじゃぁないか、といったものでした。
それは少し誤解を与える余地のある発言のように思えることは思えますね。でも逆に、聴講する学生の手前、掛谷の発言に釘を刺しておこうとして、いわゆるとんでも科学みたいないかがわしい施術の類の治療効果を肯定するものではないですよね、と確認を求めるような研究者の発言に対して、掛谷がそれはその通りだけれども、自分の言いたかったのは、病が治る、治らないという機能的な話ではなくて、その種のいかがわしいものも含めて非合理的な世界をも求めてしまうのが人間性の一部なんじゃないか、合理性一本槍で追究してきて、そこをはみ出す負の価値としかみなされなかったものが、実は深く人間性に根差しているんじゃないか、そんなふうに人間というのをとらえていかないと、文明は袋小路に入ってしまったり暴走してしまったりすることになるんじゃないか、と語っているのを読むと、掛谷の視線が質問者のようなわれわれの泥んだ狭小な近代主義的文明観、人間観を突き抜けた遠い地平を望むものであったことを、いまさらのように理解します。
ただ、そのこととは別に、掛谷が施術し、または他の呪医が行った治療の結果、患者たちがその「病」が治癒したと認識したかどうか、というのは個々に知りたいな、とは思いました。アフリカのこの種の調査には政治的な障害などもあって手続きだけでも非常に困難かつ長期間かかり、1年半の調査期間のうち何か月も首都で留め置かれて実際にフィールドに入れるのは1年しかないとか、そこで現地の社会に溶け込み、信頼を得て、呪医となるのは調査も後半に差し掛かった時期だったはずで、おそらくその呪医としての活動は半年に満たないほどではなかったかとおぼろげながら記憶しています。だから、治療の結果をフォローするというようなことは、呪医の権威を守るためのしきたりだとか素人が考えうるそれ以外の障害がなかったと仮定しても、時間的に困難だったことは想像に難くないけれど、素人としてはやっぱり本当に治ったの?って聞いてみたいじゃないですか(笑)。
さて、こうして病因となる悪霊をつきとめたら、さて治療法はどうかと言えば、基本は3ステップのプロセスを踏むようです。
1.患者の体内の病源、邪気、誘因となるものを除去する。患者に布をかぶせて下から熱い呪薬(ダワ)の蒸気をあて、一種のサウナ治療で追い出す「イフボ」など。
2.病因である悪霊を取り除く。患者の身代わりとなる人形などに悪霊(ムクリ)を移し替えるのが基本。患者にダワを施薬したり、供物で悪霊の怒りを鎮めたりもします。
3.病の症状に応じた対症療法。豊かな薬剤ダワを用いてそれぞれの病と病状に応じた施薬による対症療法を行います。
この呪薬(ダワ)というのがすさまじくて、掛谷が数え上げているのが植物性のダワ(ムティ)が約300種、動物性のダワ(シコメロ)が100種を超えるそうです。これらは例えば植物なら硬さや色、棘の有無などの形、香り、しがんだときの味の苦さ等々、草木の性質や形状など、動物ならその形態や習性、生態を病の症状や病因と連想的な隠喩、換喩によって特定の症候群に結び付けることで対症療法の薬剤となるので、動植物に対する鋭い観察をもとにした豊富な認識なしには成立しないものなのです。
植物性のムティがベースで、動物性のシコメロはムティを活性化させる働きとして用いられるようで、治療が観察された100の病のうちシコメロを用いたのは34(%)だそうですが、この著作集第2巻の中でも、そのシコメロを詳述した「シコメロの素材と論理」(第12章)はとりわけ私には面白く、興味深いものでした。
トングウェが命名・認知していることが調査の結果明らかな動物方名種286種のうち、シコメロとして用いられていたのが105種で、中に人など9種を含みますが、これを除けば獣類が一番多く34、虫類23、鳥類21、両生類・爬虫類15、と続き、なぜか魚類が3種と少ない。集落の位置によって漁撈を主とするような集落もあるのになぜ魚類がオオナマズ、デンキナマズにフグの3種だけなのかは不思議ですが、掛谷の記述だけからはうかがえません。
これらのシコメロを用例数でみると、獣類54、鳥類32、虫類26、両生類・爬虫類19、魚類5となっていて、やはり哺乳類は種類も多く多様な使われ方をしているようですが、トングウェが命名・認知している動物種の中でシコメロに用いている種の比率を見ると、両生類・爬虫類62.5%が最も高く、次いで獣類54.8%、虫類34.4%、鳥類28.0%だそうです。このへんもなぜそういう種が選ばれているのか、興味を惹かれるところですね。もちろん個々の種が選ばれた理由(「論理」)はきちんと調べられ、記述されていて、それはとても面白いものです。
猛獣除けに亀やセンザンコウがシコメロとして使われるなんてのは、なるほど、と合理的な解釈によってもうなづけますが、フグやイボイノシシをシコメロに用いる理屈なんか思わず笑ってしまいます。
アワフキムシが癲癇症のような病のシコメロに用いられるとか、子宮に収まる胎児の喩としてのミノガの幼虫をが巣くうミノムシが妊娠祈願のシコメロだとか、恋人が自分のまわりだけを回り続けて離れないように同じ場所を回り続けるゲンゴロウが媚薬のシコメロだとか、治療法としては眉唾ながら、その強引な結合に、シュールな面白さがあって、とても楽しくなります。そこには一つ一つの動植物の日常的な観察にうらづけられた奔放で多彩な想像力の戯れがあり、トングウェの人々の豊かな精神生活が感じられます。
もちろん掛谷自身はこのような結合を実現しているトングウェの独特の「論理」を追究しながら、同じ動植物に対しても、呪医によって異なる用途のダワとして使う例がみられることを指摘し、また他の研究者が観察した他の部族における事例にも言及しながら、その「野生の思考」を一般化することに対しては慎重に限界線を引き、記号論でいう記号の恣意性の問題につきあたることを示唆しています。
つまり、フグが実際にトングウェでそうであるようにインポテンツの治療薬として用いられるか、妊娠祈願に用いられるか(今私が考えた架空の用途です・・笑)は、恣意的であって、意味されるものと意味するものとはどんなふうにでも結びつき得る、というのが言語学の常識なのでしょうが、その手の借り物の刃物でこの種の実際に現地で生活している人々の中で生き生きとした現実として機能している論理を、同じ丈で切りそろえて、形も色も大きさも一つ一つ異なる豊かな世界を、わざわざ二次元のつまらない影絵の書き割りにしてしまうのは鹿鳴館型知識人に任せておけばよいでしょう。そういう観点からは、トングウェの人たちがひとつひとつの草木や動物と病因とを結びつけた、その「論理」は恣意性にすぎず、その具体的な結びつきをなぜ彼らがこのような選択をし、このような用途と結び付けたのかをいくら論じても意味がないということになるのでしょう。
しかし、大切なのは、やっぱりトングウェの人たちが、何を選び、そのものの何を、なぜ、そのような用途に使おうとしたのか、その彼らの「論理」の具体的な彩そのものではないでしょうか。
記号の恣意性なんていう、それ自体がひとつの貧しい抽象に過ぎない空疎な一般論をふりまわしても何も言ったことにはならないので、ここで私たちがしっかり受け止めて読むべきなのは、まったく逆に、掛谷が「シコメロの素材と論理」で書き留めたようなトングウェの人たちの精神世界を形作る具体的な「論理」であり、「野生の思考」そのものであって、その世界の豊かな彩の意味を普遍化していく以外には掛谷の夢見た「可能性としてのアフリカ」はどこにもあり得ないのではないかと思います。
私自身はとうとう読むのを放棄してしまったけれど(笑)、レヴィ=ストロースが主著「神話論理」にあれだけの「野生の思考」をあくまでも具体的なそれだけの数の物語として蒐集・記述していったのは、なにも「親族の基本構造」流にそれらの思考を貫く論理のようなものを抽出して図式化してみせるためだけではなかったでしょう。彼は生粋のフィールドワーカーではなく、それをベースにしながら文献的な仕事がほとんどだったそうですが、それでも自分の恣意性ででっちあげた記号論的な図式に現実の「野生の思考」の豊かさを回収して何かを語ったようなふりをする人類学者でなかったことは確かなように思われます。
この掛谷著作集第2巻を読んだのは、このたび掛谷著作集全3巻が完結したのをきっかけに、学生時代の友人だった著者のパートナーと、共通の友人の配慮で、その第3巻を送ってもらったので、ツンドクのままだった第2巻を先に読まなきゃ、というわけで、気合を入れて(笑)昨日の午後、一気に読んでしまったのです。
小難しい学術的な内容の本なんかを毎日少しずつ丁寧に読むだけの心身の持続力は、もう失せているので、少々硬い本であろうが分厚い本だろうが、思いついたときにエイヤッと一気読みしないと、とてもくたばるまでに読めそうもないので、あえて一気読みしたのですが、解説を除いても500ページを超える分厚い本なので、とにもかくにも最初のぺージから最後のページまで、一字一句すべてをたどるだけでも、かなりのエネルギーを要しました。まぁそんな読み方で「読んだ」ことになるかどうかは分からないけど(笑)。
私はもちろん人類学の専門家でも何でもないただの読書子に過ぎず、掛谷が生涯自分のフィールドとした現実のアフリカには何の興味もなく、いくら掛谷に誘われても若いころから今日まで、一度も行きたいなんて思わなかった人間なので、その種の学問的興味やアフリカファン的な心情はまったくありません。
ただ学生時代の友人の遺したものがこういう形でまとまったのを機会に一度は通して読んでおきたいと思って読み、読み終えた直後のいまの感じを、日記がわりのこのblogに走り書きしておこう、というだけのことです
最初のモノグラフ以降に順次送ってくれていた掛谷の書くものによって、彼の考え方が私が思っていたようなものではなくて、篠原が素直な「驚愕」と共に正確に読み取ったように、近代化の波をかぶるアフリカの地域社会に、そのまま波に呑み込まれてしまうのとは異なる可能性を探ろうとしていることは、遠くから眺めていて、よく分かるようにはなりました。
ただ、いまにいたるまで、彼が夢見たかもしれない「可能性としてのアフリカ」に、私が納得してはいなかったし、彼のその後の苦渋に満ちた足取りからも、楽天的になれるようなことではなかったのだと思います。
それでも今回第2巻を読んで、彼が本当に生き生きとした豊かなトングウェの精神世界をきわめて具体的に描いていて、そこに私などが以前に感じていたようなおどろおどろしい呪術的世界に拘束された不自由で貧しい世界とはまったく違ったトングウェの世界をあらためて紹介してみせてくれたことで、彼の夢見た「可能性としてのアフリカ」の根拠にわずかながら触れたような気がしました。
これも以前に書いたおぼえがありますが、彼が京大に帰ってきて、私の住まいからそう遠くもないところに勤め先もあったのに、長い間顔を合わせることもなくすごしてきた或る日、街の書店へ行ったとき、ばったりと出会い、彼のいざないで近くのカフェでしばらくおしゃべりしたことがありました。たぶん学生時代のように二人きりでおしゃべりをしたのは、あのときが最後だったでしょう。
そのときに彼が書店で買ってきた本を取り出したのを見ると、吉本隆明の『アフリカ的段階について』でした。吉本さんの雑誌「試行」の手じまいの折に予約購読者の先の号の予約分のキックバックみたいな趣旨で、購読者にはサイン本でこの著書を送ってくれていたので、私はもうそれを読んでいたから、吉本さんがヘーゲルやそれを承けたマルクスが「アフリカ的段階」として語っていた概念を洗いなおして、いわば現代の世界の行き詰まりを打開して、世界の未来像を描こうとするときに、近代世界が振り落としてきた豊かな世界の原像を新たに作り直した「アフリカ的段階」のヴィジョンに見ようとしていることは理解していたので、掛谷もきっと自分がまったく別の根拠から考えて来たみずからの「可能性としてアフリカ」とどう触れ合うところがあるか、確かめようとしているんだな、と思いました。
吉本さんはあの著書でヨーロッパ的な近代主義の目でアフリカを野蛮、未開としか見ないへーゲル的な観点に対して、人間の精神史としてみれば、文明に傷ついてボロボロの近代とは違って、自然を生きた人間と対等な生き生きとした存在として扱う豊かな世界とみて、辺境という空間軸を未来の時間軸に変換することで新たな価値を見出すことのできる思想的な可能性を示唆していたと思います。
おそらく掛谷は近代化の波に根こそぎもっていかれようとする現実のアフリカの地域社会のうちに、そのような近代化とは一線を画す地域社会の発展のありようを見出そうとする悪戦苦闘の中で、自分が夢見る「可能性としてのアフリカ」と響き合うものが、或いは吉本さんの『アフリカ的段階について』のうちにあるのではないか、と直観的に感じてそれを手にとってみたのではなかったかと思います。
私が掛谷の著作をあらためて読んでみたい、と思うのも、まったく異なる立脚点から「アフリカ」を考える両者の思考がどんなふうに触れあうところがあるか、あるいはないのか、そんな関心からかもしれません。
もちろん、今回読んだ第2巻の掛谷の仕事がそういう関心に直接応えるものだったかといえば、そうではないでしょう。しかし、吉本さんがヘーゲル的な「アフリカ」に対置して語っていた、生き生きとした豊かな精神性を湛えたアフリカの姿は、たしかに掛谷の描いてみせた精霊、祖霊、動物霊、言霊等々が呪術を操る中で生きた力を発揮する豊かな精神世界のうちに垣間見ることができるように思いました。
専門家向きに書いたり一般読書人向けに書いたり、どこかで喋ったり、全23章の多くは、彼がアフリカ・タンザニア共和国のタンガニイカ湖東岸域に暮らすトングウェという部族をフィールドとする調査を進める中で、自ら呪術医になった経緯とその成果を様々な機会に発表した文章なので、一気に読むと重複する内容も多く、ド素人として何の準備もなく活字を追うだけでしたが、一通り読み終えるころには、トングェの呪術の世界の基本構造が自然に頭に入ってきたような錯覚をおぼえました。
掛谷が人類学者として初めてアフリカを訪れ、その成果を学術論文として初めて発表したのは、著作集第1巻に収められた「トングウェ族の生計維持機構」(『季刊人類学』第5巻3号。1974年8月)というモノグラフでした。
彼はこの論文で、広大なウッドランド(乾燥疎開林)で小集落を形成して散在する伝統的な居住様式を維持するトングウェ族を対象に、非集約的な焼畑農耕を中心としながら、狩り、漁撈、蜂蜜採集、植物性食物の栽培や採集など多様な生業を営んで暮らすトングウェの人々の生活をつぶさに調査して、その物質的基礎をかたちづくる食糧生産と消費を定量的に明らかにします。
その結果、トングウェの主食とする作物の生産は集落単位で見ると住民の推定年間消費量ぎりぎりか、それを大きく上回ることのない収量であるのに対して、消費のほうは、例えばイルンビという集落では、調査した三カ月間の総食物消費量のなんと39.6%が集落を訪れる(そして集落が快く迎え入れ、滞在させる)客が消費していたことが明らかになります。それでなぜやっていけるのかと言えば、客を迎える自分たちもまた、広大なウッドランドに散在する集落から集落へと旅することで、客の接待分に相当する消費量を帳消しにできるからだというのです。
このような部族社会全体としての巧みな生計維持システムの原理を、掛谷は「最小生計努力」と「食物の平均化」というキーワードとして抽出しています。
こうした小規模な閉じた平衡を維持するようなシステムというのは、より多くの生産を望み、余剰生産物の蓄積が生じることで容易に破られ、人間関係も変質するに違いないでしょうが、トングウェの社会でその平衡を維持する役割を果たしているのが、彼らの精神世界を支配し、したがって彼らの生き方、日々の行動をコントロールする神や精霊等々の跳梁する超自然的な「呪術」の世界だったことが示唆されていました。
私は当時、掛谷と同じ20代の終わりころだったと思いますが、学問の世界とはすでに縁のない立場になっていて、ただ彼の友人としての一読書子としてこのモノグラフを読んだにすぎませんが、言ってみれば近代化から取り残された辺境の地域社会で、取り残されることができるような環境条件に特殊適応することによって伝統的な生活様式を維持してきた、その維持システムの一つを明らかにしたものにすぎず、単純生産を基礎に閉じた社会を形成することで相対的な安定を維持する上で、消費量ぎりぎりの生産量にとどめて生産力の発展をとどめるのも、その小さなパイを少数の部族民が生きるために平等に分配するのも自然の理で、それがわざわざ「最小生計努力」、「食物の平均化」というキーワードで抽出されなくてはならないようなことなのか、といった不満を持って読んだことを覚えています。
ちょうど生物進化の過程で、われわれホモサピエンスの祖先がその身体・生理・生態のあらゆる面での普遍性を維持して柔軟な環境への適応力を失わずにステップアップしてきたのに対して、類人猿が森林などの後退する環境に逃げ込んで、自らの身体なり「生き方」なりを特殊化してしまうことで森林のような特殊な環境に適応する道を選んで、進化のメインストリームから脇道に外れたのと同じじゃないのか、つまりそれは「可能性としてのアフリカ」ではなくて、どん詰まりの道ではないか。特殊な環境に自らを特殊化することで適応し、閉じて相対的に安定した社会を維持してきただけじゃないか、と思えたのです。
人類学者が世界の辺境へ出掛けて時間軸・空間軸の現在から能う限り遠い地域を選んでその社会を観察し、記述することは、京大の学術調査が掛谷が調査に入った地域を、それまでは長期にわたる野生チンパンジー調査の拠点としていたことの延長のようにしか、私には思えなかったようです。
そのため、彼の最初のモノグラフを読んでも、トングウェの人々が暮らすウッドランドの植生や、トングウェが食物とするなどその生活で関りをもつ動植物についての学術的に手堅い、客観的で厳密で網羅的な調査の報告という色彩ばかりが目について、彼の学術的なスタートとなる論文だったために、学界向けに揚げ足をとられないよう、「武装したな」というような感想をもったことも記憶しています。
もちろん当たり前のことを実証的に確定していくのが学問なんだ、という考え方はあるにしても、掛谷がそんなところにとどまっているはずはないだろう、というのが学生時代からの彼を多少は知っていた若い自分の掛谷観だったわけです。
けれども、それはおそらく私がヨーロッパ中心主義的な社会進化論や文明の発展段階説的な思考に泥んでいて、結局のところアフリカを未開の地としか見ていなかったからだったでしょう。掛谷夫妻がアフリカへ行くたびに(日本にいるときによく見せた暗鬱な表情とは違って・・笑)実に生き生き輝くような表情をして帰ってきて、ときおり「おまえもアフリカへいっぺん来たらどうや?」と言っても、きっと彼にはアフリカが合っているんだろうな、としか思えなかったのです。
彼のあまりにも人の気持ちが分かりすぎ、思いやりが過ぎるほどの繊細さ、やさしさが日本社会独特の人間関係の中で傷ついていくのを感じざるを得なかったから、それはおそらくトングウェの人々の中で暮らすことで癒されるものがあるのだろう、くらいに考えていたと思います。だから、私には彼がその社会に生きて、トングウェの人々の精神世界の豊かさをポジティブに体感していたことの意味が本当のところよくわからなかったのでしょう。
ただ、いまあらためのあのモノグラフを読んでみると、その「最小生計努力」と「食物の平均化」という原理の背景に広大な「呪術の世界」が控えていることはすでに示唆されており、掛谷の頭の中ではすでにトングェの人々の世界を支配している構造を、物質的な世界と精神的な世界の両面からその支え合う構造としてまるごととらえようとする意図が明確になっていて、その骨格まで最初の論文ですでに示している、ということにあらためて気づきます。
生計を維持するための生産がこれこれで、消費がこうで、それを補う社会関係がこうで、辻褄があっています、というような話を積み上げて、学術用語らしいキーワードを与えて事足れり、というごく平凡な学者のきまじめな帰納的態度ではなくて、もとより実証的なつぶさな調査にもとづいてではあるけれども、いきなり「妬みの人類学」として呪術の世界がその生計と分配の原理を支え、支配する構造の骨格を鷲掴みにしてくるような演繹的態度は、あれでおそらく学問的にはかなり大胆なもので、いかにも秀才掛谷らしく、自分もそこに立つピッチで動き回るプレヤーを平面上に眺めているのではなく、浮上してプレヤー全体を俯瞰する3次元的な視野を最初から持っていたんだな、というのを今になって感じます。
こういうことを考えたのは、先日共通の友人でもあり、研究者としても掛谷の盟友として終始かかわりつづけてきた篠原が、同じ掛谷のモノグラフを読んだときに「人間の社会にこうした有り様が存在するのかと驚愕した」と、その新著『民俗学断章』で書いていて、掛谷がここで、最大生産努力に向かう存在であることを人間の普遍的なありようとみなしてきたヨーロッパ流の文明観に対して、全く別の「生き方」があり得ることを示して、アフリカ社会をも丸ごと呑み込もうとしている近代化とは別の道を切り開く地域社会の可能性を示唆したものと読みとっていたことを知ったときに、そうか、自分はあのモノグラフを読んだときに、そこまで読めなかったなぁ、と思ったからです。
篠原の感じたとおり、その後の掛谷は現実にアフリカを覆いつくそうとしていた近代化の波とは異なる、現代における「可能性としてのアフリカ」を求めて悪戦苦闘していくことになったと思います。それは決して私が考えていたような、単にその社会の人々が彼の心を癒してくれるからではなくて、私たちの社会が豊かさと考えているものとは異なる豊かさをその社会が備えていて、それを日々現地で実感していた掛谷が、それをなんとか生計の問題として、生産や生産関係の問題として、社会の発展のありようとして、また人間にとってのありうるオルターナティブな「生き方」として普遍化しようとした足跡だったのだろうと思います。
そのトングウェの精神世界、呪術の世界は、すでに著作集第1巻所収の「アフリカのトングウェ族とともに」(1977年6-8月)、「サブシステンス・社会・超自然的世界ートングウェ族の場合」(1977年6月)などに描かれていましたが、この著作集第2巻はその呪術の世界が全面展開されています。
著者は現地トングウェの呪術医に弟子入りを許され、公認の呪術医としてトングウェの呪術の世界を内側から体験して、トングェの精神世界の構造を明らかにしていきます。
素人の私にも大変面白かったのは、トングウェの人々にとっての「病」が、われわれ西洋医学になじんだ者が考えるような個人の主として身体の変調に限ったものではなく、対自然、対人間の様々なきしみとしての、様々な厄災の類を包括していることでした。
作物の不作、不漁、野獣による畑あらし、妻となる女にめぐりあえないこと、子宝(はともかくとして)や財産に恵まれないことなどもみな「病」の一種であり、狩りが下手な犬や臆病な犬の矯正、歌が上手になること、実家に帰りたがる妻の性格を矯正すること、官憲に捕われないようにすること、猛獣に襲われないようにすること、川の流れを変えること、等々がみな「病を治す」呪術医の役割なのです。
その「病」の種類たるや掛谷の数えたところでは、100種前後もあったそうです。彼が要約するところでは、トングウェの人々にとっての「病」は、物や人をコントロールする「精霊や祖霊のメッセージ」であり、「人間関係の歪みが身体化したもの」なのです。彼ら自身の病の分類というのは、病の重い、軽いで病名が異なったりするようです。
人間は、自分も含めた他者と関わるか、自然とかかわるかして生きるほかはない存在ですが、その他者や自然の背後にはそれを動かす精霊、祖霊の類が現実的に存在すると考えられているわけですから、対自然、対人間の関係はすべてそれらの超自然的な存在との関係として考えられ、そこが不具合であることが対自然、対人間の関係の不具合をもたらしている、とされるのは道理です。
この超自然的な存在のありようが病の原因となるわけですが、この病因論こそが現代の医とトングウェの医とを分けるもので、そこにトングウェの医の世界の特徴があらわれていると掛谷は言います。
怪我や病、死、さまざまな不幸が神秘的な存在の意志のあらわれだと考える彼らにとっての、その超自然的存在は、掛谷によれば次のようなものです。
神(ムングー):運命のごときもので、掛谷によれば古い太陽崇拝の名残りではないかとのこと。人間である以上は誰もがいつでもかかるような軽い病の原因とみなされるもののようです。
精霊(ムガボ):山、川、大木、大石などに住む霊で、女性に乗り移る悪霊イシゴ、象を飼育する原野の精霊ムティミ、土着イスラム由来と思われるイジーニなどの種類が弁別されています。
祖先霊(ムシム):これは説明の要もなく私たち日本人によくわかりますね。
動物霊(イニュウェレ):殺した動物の悪霊がたたるわけで、象のたたりなどは最強のようです。
邪術者(ムロシ):同じ集落の誰かに恨みを買ったり妬まれたりして呪われるのですね。ムロシは親族が多いんだそうです。誰もはっきりと邪術(ブロシ)がかけられるのを見た者はないけれども、疑われる者は居るし、現実的な存在として認知されていて、これに対する対処は呪医の出番になるわけです。ただし呪医は呪術が使える者として、呪医であることとひょっとするとムロシでもありうることとの両義的な存在であるという点がなかなか面白いところです。
言霊(長老の言葉。イガンボ):親族の成員間の上下関係と礼儀には非常にうるさい社会のようなので、それに反したりして長老が怒ったり不快に思ってぼそっと愚痴をこぼしたりすると、その言葉が言霊として祟るようです。こわいですね(笑)
現代の医者の「診断」にあたるのは、患者の「病」が、どの悪霊を原因として引き起こされたものかを判断する「占い」です。これが呪医(ムフモ)の第一の役割です。
占いの方法のひとつは、呪医がトランス状態になってどの悪例が病因だと言い当てるわけで、それはだいたいトランス状態になりやすいような人のところに精霊が憑いて呪医(ムフモ)になるので、そういうことができる場合はそれがまっとうな方法なのでしょう。
占いのもう一つの方法は、いつもいつもトランス状態になれるわけじゃないから(笑)それを補う方法なんだろうと思うけれど、呪薬(ダワ)を掌に塗っておいて、考えられる病因を思い浮かべながら他方の手でそれをこすっているうちに、ぴたりと止まったら、そのときに思い浮かべていた悪霊が病因である、と。・・・いまの私たちにはちょっと眉唾のあやしげな判じ物めいていますが、呪医がその地域社会の心的な共同性を体現する資質を具えていて、みなが精霊や呪術の世界を現実とし、呪医の力を信じているところでは、それは少なくとも現代の意志の診断と同等かひょっとしたらそれ以上の蓋然性をもつ「診断」なのでしょう。
実は掛谷が呪医になって帰国したとき、私の目の前でこれをやって見せてくれたことがあります。掛谷がトングウェの患者として訪れる人に、そういう「占い」をして、あなたの次の子が生まれないのは、水に棲む悪霊のせいだ!なんて断定的に言うのを傍らで記録係として直接見聞きしていた掛谷夫人がそうやって断定する彼を「いいのかしら、って不安になったわ」と言っていたのを覚えています。
いまの日本に暮らす私たちの感覚では、もちろんそう思いますよね。そんなインチキ(笑)・・・それで当たるわきゃないじゃん!と。でもこの著作集の第2巻で或る講演か何かのあとの質疑の中で、その種の疑問に対して彼は、基本的に当たるのかという質問に対して、私は当たります、と答えています、と語っています。彼がその時、その理由というか根拠として持ち出しているのは、現代医学でも確認されているプラシーボ(偽薬)効果のことで、いまの薬だって医者に聞けば半分はプラシーボ効果なんだと言ってるじゃぁないか、といったものでした。
それは少し誤解を与える余地のある発言のように思えることは思えますね。でも逆に、聴講する学生の手前、掛谷の発言に釘を刺しておこうとして、いわゆるとんでも科学みたいないかがわしい施術の類の治療効果を肯定するものではないですよね、と確認を求めるような研究者の発言に対して、掛谷がそれはその通りだけれども、自分の言いたかったのは、病が治る、治らないという機能的な話ではなくて、その種のいかがわしいものも含めて非合理的な世界をも求めてしまうのが人間性の一部なんじゃないか、合理性一本槍で追究してきて、そこをはみ出す負の価値としかみなされなかったものが、実は深く人間性に根差しているんじゃないか、そんなふうに人間というのをとらえていかないと、文明は袋小路に入ってしまったり暴走してしまったりすることになるんじゃないか、と語っているのを読むと、掛谷の視線が質問者のようなわれわれの泥んだ狭小な近代主義的文明観、人間観を突き抜けた遠い地平を望むものであったことを、いまさらのように理解します。
ただ、そのこととは別に、掛谷が施術し、または他の呪医が行った治療の結果、患者たちがその「病」が治癒したと認識したかどうか、というのは個々に知りたいな、とは思いました。アフリカのこの種の調査には政治的な障害などもあって手続きだけでも非常に困難かつ長期間かかり、1年半の調査期間のうち何か月も首都で留め置かれて実際にフィールドに入れるのは1年しかないとか、そこで現地の社会に溶け込み、信頼を得て、呪医となるのは調査も後半に差し掛かった時期だったはずで、おそらくその呪医としての活動は半年に満たないほどではなかったかとおぼろげながら記憶しています。だから、治療の結果をフォローするというようなことは、呪医の権威を守るためのしきたりだとか素人が考えうるそれ以外の障害がなかったと仮定しても、時間的に困難だったことは想像に難くないけれど、素人としてはやっぱり本当に治ったの?って聞いてみたいじゃないですか(笑)。
さて、こうして病因となる悪霊をつきとめたら、さて治療法はどうかと言えば、基本は3ステップのプロセスを踏むようです。
1.患者の体内の病源、邪気、誘因となるものを除去する。患者に布をかぶせて下から熱い呪薬(ダワ)の蒸気をあて、一種のサウナ治療で追い出す「イフボ」など。
2.病因である悪霊を取り除く。患者の身代わりとなる人形などに悪霊(ムクリ)を移し替えるのが基本。患者にダワを施薬したり、供物で悪霊の怒りを鎮めたりもします。
3.病の症状に応じた対症療法。豊かな薬剤ダワを用いてそれぞれの病と病状に応じた施薬による対症療法を行います。
この呪薬(ダワ)というのがすさまじくて、掛谷が数え上げているのが植物性のダワ(ムティ)が約300種、動物性のダワ(シコメロ)が100種を超えるそうです。これらは例えば植物なら硬さや色、棘の有無などの形、香り、しがんだときの味の苦さ等々、草木の性質や形状など、動物ならその形態や習性、生態を病の症状や病因と連想的な隠喩、換喩によって特定の症候群に結び付けることで対症療法の薬剤となるので、動植物に対する鋭い観察をもとにした豊富な認識なしには成立しないものなのです。
植物性のムティがベースで、動物性のシコメロはムティを活性化させる働きとして用いられるようで、治療が観察された100の病のうちシコメロを用いたのは34(%)だそうですが、この著作集第2巻の中でも、そのシコメロを詳述した「シコメロの素材と論理」(第12章)はとりわけ私には面白く、興味深いものでした。
トングウェが命名・認知していることが調査の結果明らかな動物方名種286種のうち、シコメロとして用いられていたのが105種で、中に人など9種を含みますが、これを除けば獣類が一番多く34、虫類23、鳥類21、両生類・爬虫類15、と続き、なぜか魚類が3種と少ない。集落の位置によって漁撈を主とするような集落もあるのになぜ魚類がオオナマズ、デンキナマズにフグの3種だけなのかは不思議ですが、掛谷の記述だけからはうかがえません。
これらのシコメロを用例数でみると、獣類54、鳥類32、虫類26、両生類・爬虫類19、魚類5となっていて、やはり哺乳類は種類も多く多様な使われ方をしているようですが、トングウェが命名・認知している動物種の中でシコメロに用いている種の比率を見ると、両生類・爬虫類62.5%が最も高く、次いで獣類54.8%、虫類34.4%、鳥類28.0%だそうです。このへんもなぜそういう種が選ばれているのか、興味を惹かれるところですね。もちろん個々の種が選ばれた理由(「論理」)はきちんと調べられ、記述されていて、それはとても面白いものです。
猛獣除けに亀やセンザンコウがシコメロとして使われるなんてのは、なるほど、と合理的な解釈によってもうなづけますが、フグやイボイノシシをシコメロに用いる理屈なんか思わず笑ってしまいます。
アワフキムシが癲癇症のような病のシコメロに用いられるとか、子宮に収まる胎児の喩としてのミノガの幼虫をが巣くうミノムシが妊娠祈願のシコメロだとか、恋人が自分のまわりだけを回り続けて離れないように同じ場所を回り続けるゲンゴロウが媚薬のシコメロだとか、治療法としては眉唾ながら、その強引な結合に、シュールな面白さがあって、とても楽しくなります。そこには一つ一つの動植物の日常的な観察にうらづけられた奔放で多彩な想像力の戯れがあり、トングウェの人々の豊かな精神生活が感じられます。
もちろん掛谷自身はこのような結合を実現しているトングウェの独特の「論理」を追究しながら、同じ動植物に対しても、呪医によって異なる用途のダワとして使う例がみられることを指摘し、また他の研究者が観察した他の部族における事例にも言及しながら、その「野生の思考」を一般化することに対しては慎重に限界線を引き、記号論でいう記号の恣意性の問題につきあたることを示唆しています。
つまり、フグが実際にトングウェでそうであるようにインポテンツの治療薬として用いられるか、妊娠祈願に用いられるか(今私が考えた架空の用途です・・笑)は、恣意的であって、意味されるものと意味するものとはどんなふうにでも結びつき得る、というのが言語学の常識なのでしょうが、その手の借り物の刃物でこの種の実際に現地で生活している人々の中で生き生きとした現実として機能している論理を、同じ丈で切りそろえて、形も色も大きさも一つ一つ異なる豊かな世界を、わざわざ二次元のつまらない影絵の書き割りにしてしまうのは鹿鳴館型知識人に任せておけばよいでしょう。そういう観点からは、トングウェの人たちがひとつひとつの草木や動物と病因とを結びつけた、その「論理」は恣意性にすぎず、その具体的な結びつきをなぜ彼らがこのような選択をし、このような用途と結び付けたのかをいくら論じても意味がないということになるのでしょう。
しかし、大切なのは、やっぱりトングウェの人たちが、何を選び、そのものの何を、なぜ、そのような用途に使おうとしたのか、その彼らの「論理」の具体的な彩そのものではないでしょうか。
記号の恣意性なんていう、それ自体がひとつの貧しい抽象に過ぎない空疎な一般論をふりまわしても何も言ったことにはならないので、ここで私たちがしっかり受け止めて読むべきなのは、まったく逆に、掛谷が「シコメロの素材と論理」で書き留めたようなトングウェの人たちの精神世界を形作る具体的な「論理」であり、「野生の思考」そのものであって、その世界の豊かな彩の意味を普遍化していく以外には掛谷の夢見た「可能性としてのアフリカ」はどこにもあり得ないのではないかと思います。
私自身はとうとう読むのを放棄してしまったけれど(笑)、レヴィ=ストロースが主著「神話論理」にあれだけの「野生の思考」をあくまでも具体的なそれだけの数の物語として蒐集・記述していったのは、なにも「親族の基本構造」流にそれらの思考を貫く論理のようなものを抽出して図式化してみせるためだけではなかったでしょう。彼は生粋のフィールドワーカーではなく、それをベースにしながら文献的な仕事がほとんどだったそうですが、それでも自分の恣意性ででっちあげた記号論的な図式に現実の「野生の思考」の豊かさを回収して何かを語ったようなふりをする人類学者でなかったことは確かなように思われます。
この掛谷著作集第2巻を読んだのは、このたび掛谷著作集全3巻が完結したのをきっかけに、学生時代の友人だった著者のパートナーと、共通の友人の配慮で、その第3巻を送ってもらったので、ツンドクのままだった第2巻を先に読まなきゃ、というわけで、気合を入れて(笑)昨日の午後、一気に読んでしまったのです。
小難しい学術的な内容の本なんかを毎日少しずつ丁寧に読むだけの心身の持続力は、もう失せているので、少々硬い本であろうが分厚い本だろうが、思いついたときにエイヤッと一気読みしないと、とてもくたばるまでに読めそうもないので、あえて一気読みしたのですが、解説を除いても500ページを超える分厚い本なので、とにもかくにも最初のぺージから最後のページまで、一字一句すべてをたどるだけでも、かなりのエネルギーを要しました。まぁそんな読み方で「読んだ」ことになるかどうかは分からないけど(笑)。
私はもちろん人類学の専門家でも何でもないただの読書子に過ぎず、掛谷が生涯自分のフィールドとした現実のアフリカには何の興味もなく、いくら掛谷に誘われても若いころから今日まで、一度も行きたいなんて思わなかった人間なので、その種の学問的興味やアフリカファン的な心情はまったくありません。
ただ学生時代の友人の遺したものがこういう形でまとまったのを機会に一度は通して読んでおきたいと思って読み、読み終えた直後のいまの感じを、日記がわりのこのblogに走り書きしておこう、というだけのことです
最初のモノグラフ以降に順次送ってくれていた掛谷の書くものによって、彼の考え方が私が思っていたようなものではなくて、篠原が素直な「驚愕」と共に正確に読み取ったように、近代化の波をかぶるアフリカの地域社会に、そのまま波に呑み込まれてしまうのとは異なる可能性を探ろうとしていることは、遠くから眺めていて、よく分かるようにはなりました。
ただ、いまにいたるまで、彼が夢見たかもしれない「可能性としてのアフリカ」に、私が納得してはいなかったし、彼のその後の苦渋に満ちた足取りからも、楽天的になれるようなことではなかったのだと思います。
それでも今回第2巻を読んで、彼が本当に生き生きとした豊かなトングウェの精神世界をきわめて具体的に描いていて、そこに私などが以前に感じていたようなおどろおどろしい呪術的世界に拘束された不自由で貧しい世界とはまったく違ったトングウェの世界をあらためて紹介してみせてくれたことで、彼の夢見た「可能性としてのアフリカ」の根拠にわずかながら触れたような気がしました。
これも以前に書いたおぼえがありますが、彼が京大に帰ってきて、私の住まいからそう遠くもないところに勤め先もあったのに、長い間顔を合わせることもなくすごしてきた或る日、街の書店へ行ったとき、ばったりと出会い、彼のいざないで近くのカフェでしばらくおしゃべりしたことがありました。たぶん学生時代のように二人きりでおしゃべりをしたのは、あのときが最後だったでしょう。
そのときに彼が書店で買ってきた本を取り出したのを見ると、吉本隆明の『アフリカ的段階について』でした。吉本さんの雑誌「試行」の手じまいの折に予約購読者の先の号の予約分のキックバックみたいな趣旨で、購読者にはサイン本でこの著書を送ってくれていたので、私はもうそれを読んでいたから、吉本さんがヘーゲルやそれを承けたマルクスが「アフリカ的段階」として語っていた概念を洗いなおして、いわば現代の世界の行き詰まりを打開して、世界の未来像を描こうとするときに、近代世界が振り落としてきた豊かな世界の原像を新たに作り直した「アフリカ的段階」のヴィジョンに見ようとしていることは理解していたので、掛谷もきっと自分がまったく別の根拠から考えて来たみずからの「可能性としてアフリカ」とどう触れ合うところがあるか、確かめようとしているんだな、と思いました。
吉本さんはあの著書でヨーロッパ的な近代主義の目でアフリカを野蛮、未開としか見ないへーゲル的な観点に対して、人間の精神史としてみれば、文明に傷ついてボロボロの近代とは違って、自然を生きた人間と対等な生き生きとした存在として扱う豊かな世界とみて、辺境という空間軸を未来の時間軸に変換することで新たな価値を見出すことのできる思想的な可能性を示唆していたと思います。
おそらく掛谷は近代化の波に根こそぎもっていかれようとする現実のアフリカの地域社会のうちに、そのような近代化とは一線を画す地域社会の発展のありようを見出そうとする悪戦苦闘の中で、自分が夢見る「可能性としてのアフリカ」と響き合うものが、或いは吉本さんの『アフリカ的段階について』のうちにあるのではないか、と直観的に感じてそれを手にとってみたのではなかったかと思います。
私が掛谷の著作をあらためて読んでみたい、と思うのも、まったく異なる立脚点から「アフリカ」を考える両者の思考がどんなふうに触れあうところがあるか、あるいはないのか、そんな関心からかもしれません。
もちろん、今回読んだ第2巻の掛谷の仕事がそういう関心に直接応えるものだったかといえば、そうではないでしょう。しかし、吉本さんがヘーゲル的な「アフリカ」に対置して語っていた、生き生きとした豊かな精神性を湛えたアフリカの姿は、たしかに掛谷の描いてみせた精霊、祖霊、動物霊、言霊等々が呪術を操る中で生きた力を発揮する豊かな精神世界のうちに垣間見ることができるように思いました。
saysei at 17:41|Permalink│Comments(0)│
2018年07月27日
高橋弘希『送り火』を読む
先日、芥川賞を受賞した作品です。この作家のことは知らなかったのですが、すでに「指の骨」で新潮新人賞を受賞し、そのときにも芥川賞、三島賞の候補になり、昨年は「日曜日の人々」で野間文芸新人賞を受賞している実績のある作家のようです。
一読して原因はすぐには分からなかったけれど強い既視感を覚えたので、なぜだろうと考えていたら、藤子不二雄のマンガ『少年時代』でした!(笑)。あれはたしか柏原兵三の『長い道』が原作で、第二次大戦中に田舎へ疎開していた都会っ子が、田舎の子供たちの中の権力関係とそれを背景にしたいじめの構造の中で同級生たち、とりわけそのボスにあたる少年との関係の中で薄氷を踏むような緊張に満ちた日々を強いられる話でした。
高橋の「送り火」は父の地方転勤に伴う一家の転居で地方の学校へ転校した中学生の男の子を主人公とする現代の話で、「長い道」や「少年時代」とは直接何のかかわりもありません。ただ、都会っ子の転校生が地方の学校に入って、そこにある子供どうしの権力関係の中にいやおうなく巻き込まれ、この主人公の場合も「少年時代」の主人公と同様、頭も良く、人間関係についても適応力があって、自分がいじめられるわけではなく、級友たちにすぐに馴染むことができるけれども、それは同時に既成の権力関係の中にいやおうなく自分も巻き込まれていく、ということであって、強者(とみられる級友)に寄り添っていくことで、結果的に弱者としていつもいじめられている級友に対しては自らも加害者ないしせいぜい傍観者として関わっていくことになる、その構造は「少年時代」とまったく変わりません。
これは、そういう意味では現代の疎開文学であって、「少年時代」やその原作「長い道」だけでなく、これまで数多く書かれてきたであろう同工異曲の疎開文学の流れを汲む作品だと考えられます。
私もたまたま面識のあった作家で、歌人であり、書、俳画、篆刻などをよくし、琵琶を弾くという日本最後の文人と言われた早川幾忠さんが書かれた「あまざかる鄙に五年」という山上憶良の万葉の歌の上の句をタイトルにした小説がまさにそういう疎開文学で、改題の前のタイトルは「疎開」そのものずばりだったと思います。
あの作品も都人たる著者らしき人が地方に疎開して、或る意味でいじめと言っていいような扱いを受け、敗戦で地方にもやってきた進駐軍(アメリカ駐留軍)に解放された、と実感する疎開者の心情を率直に書いたものだったと記憶しています。子供ばかりでなく、大人の世界だって、そういうことは普遍的なことだったわけで、こういうのをひっくるめて「疎開文学」の流れというのが確かにあるように思います。
戦争はただ殺したり殺されたり、泥濘の中を進軍したり、ジャングルの中でマラリアに罹ったり、捕虜になったり、という直接な戦争の場での生き死にの体験だけではなく、上記のような銃後の「疎開」の物語や、戦後においても、例えば敗戦後に生き延びながら自決した叔父のことで私が長い間ひっかかってきた「帰還兵」の物語のようなものを必然的に生み出してきたのだと思います。
ただ、それが戦争との関りを失ってからも、この作品のように、いわば戦時の疎開文学と構造的に「相同」と言えるような作品が書かれるということは、「疎開」的状況は何も戦争によってのみ生れてくるわけではなくて、そこに閉鎖的な人間関係があって、そこへ外部から転入してくるものがあるとき、新参者を排除することもあれば、その参入が共同性のほうに或る揺らぎをあたえることもあり、また外部の目によってそれまでは隠蔽されていた既成の人間関係の中の権力構造がくっきりとあぶりだされる、といったことが起きる、きわめて普遍的な事態だということになるかもしれません。
この作品の文体はどちらかと言えば平板で、主人公の少年歩の目にうつる地方の風景も同級生たちもすぐに転校先になじめむことができる適応力のある少年らしい落ち着いた語り口で淡々と語られるので、言葉が立っている印象はなく、言葉に魅せられて読まされ、それまで見てきた世界が別の輝きをみせはじめたり歪んで見えて来たり、といったことはありません。
いじめの大将(「対象」ではない)だった晃が、実際には上級生たちにいじめられてきた、「ただの弱虫の虐められっ子だったのだ」という逆転も、そういう主人公歩の気づきも、この種のいじめっ子について既に常識となるまで蓄積された所見で、物語の展開としてもあまりにもありふれていて何の新鮮味も驚きもない展開で、文体とともに、そうした物語性の創意という点でこの作品に過大な期待をかけるのは難しいようです。
ただ、ラスト近く、主人公歩がそういう「発見」をする場面は、さんざんいじめっ子にいたぶられてきた「虐められっ子」稔が、自分をいじめていた晃のもうワンランク上のいじめっ子たちである上級生たちに直接のいじめを受ける際に、とうとうぶち切れて加害者を傷つけ、刃物を振り回して大立ち回りを演じるあたりになると、文体のほうも少々熱を帯びて来て、けっこう読ませてくれます。
そのハイライトは、語り手でもある主人公歩が、それまでのクラスのいじめっ子晃に寄り添って、結果的に稔への虐めに加担してうまくやってきたにもかかわらず、稔がキレて攻撃すべき的は晃であって、自分は安全圏にあるはずだ、と考えていたらしく、稔に襲われて狼狽して叫ぶあたりです。
目と鼻の先には、血液に汚れて鈍く光る円盤状の刃がある。晃の身代わりになって殺されるなんて馬鹿げている。次の一打は、歩の耳のすぐ横に突き刺さった。乾いた口腔内でどうにか唾液を飲むと、稔を押し退けて叫んだ。
「僕は晃じゃない! 晃ならとっくに森の外へ逃げてるんだよ!」
稔は腫れ上がった瞼の奥の、細長い白目の中で瞳を動かし、
「わだっきゃ最初っから、おめぇが一番ムガついでだじゃ!」
いよっ!大統領!と声をかけたくなる(笑)、なかなか痛快な場面です。もっとも作品自体は、終始一貫、ここで全否定される主人公歩の視点で語られているので、ラストは「もう悲鳴と嗚咽を留めることができず、顔中を血と汗と涙でぐしゃぐしゃにし、金切声を上げながら黒い森を駈け」て命からがら逃げに逃げて意識を失い、闇の底で横たわり、ようやく意識をとりもどした歩の「糊付けされたように貼り付いている」瞼を引きはがしたときに見える光景ゆえ、ずいぶん歪んだものとなっています。
焔と河の畔には、三体の巨大な藁人形が置かれていた。一つの影が、松明の炎を藁人形の頭部へと掲げる。藁人形の頭が燃え盛り、無数の火の粉が山の淵の闇へ吸われていく。それは習わしに違いないが、しかし灯籠流しではなく、三人のうちの最初の一人の人間を、手始めに焼き殺しているようにしか見えない。
まるで自分が焼き殺されるのを目撃するような恐怖を味わっているみたいですね。歩は実際には殺されずに逃げおおせたけれど、ここで、もう一度自分が無残な殺され方をする擬似体験をしているようなもので、先に引いた一節にある稔の一声で、実際にグサッと魂の奥底まで刺されわけでしょう。このあたりのラストの文体は密度があって、それにふさわしいリズムが出て来て、好きです。
一読して原因はすぐには分からなかったけれど強い既視感を覚えたので、なぜだろうと考えていたら、藤子不二雄のマンガ『少年時代』でした!(笑)。あれはたしか柏原兵三の『長い道』が原作で、第二次大戦中に田舎へ疎開していた都会っ子が、田舎の子供たちの中の権力関係とそれを背景にしたいじめの構造の中で同級生たち、とりわけそのボスにあたる少年との関係の中で薄氷を踏むような緊張に満ちた日々を強いられる話でした。
高橋の「送り火」は父の地方転勤に伴う一家の転居で地方の学校へ転校した中学生の男の子を主人公とする現代の話で、「長い道」や「少年時代」とは直接何のかかわりもありません。ただ、都会っ子の転校生が地方の学校に入って、そこにある子供どうしの権力関係の中にいやおうなく巻き込まれ、この主人公の場合も「少年時代」の主人公と同様、頭も良く、人間関係についても適応力があって、自分がいじめられるわけではなく、級友たちにすぐに馴染むことができるけれども、それは同時に既成の権力関係の中にいやおうなく自分も巻き込まれていく、ということであって、強者(とみられる級友)に寄り添っていくことで、結果的に弱者としていつもいじめられている級友に対しては自らも加害者ないしせいぜい傍観者として関わっていくことになる、その構造は「少年時代」とまったく変わりません。
これは、そういう意味では現代の疎開文学であって、「少年時代」やその原作「長い道」だけでなく、これまで数多く書かれてきたであろう同工異曲の疎開文学の流れを汲む作品だと考えられます。
私もたまたま面識のあった作家で、歌人であり、書、俳画、篆刻などをよくし、琵琶を弾くという日本最後の文人と言われた早川幾忠さんが書かれた「あまざかる鄙に五年」という山上憶良の万葉の歌の上の句をタイトルにした小説がまさにそういう疎開文学で、改題の前のタイトルは「疎開」そのものずばりだったと思います。
あの作品も都人たる著者らしき人が地方に疎開して、或る意味でいじめと言っていいような扱いを受け、敗戦で地方にもやってきた進駐軍(アメリカ駐留軍)に解放された、と実感する疎開者の心情を率直に書いたものだったと記憶しています。子供ばかりでなく、大人の世界だって、そういうことは普遍的なことだったわけで、こういうのをひっくるめて「疎開文学」の流れというのが確かにあるように思います。
戦争はただ殺したり殺されたり、泥濘の中を進軍したり、ジャングルの中でマラリアに罹ったり、捕虜になったり、という直接な戦争の場での生き死にの体験だけではなく、上記のような銃後の「疎開」の物語や、戦後においても、例えば敗戦後に生き延びながら自決した叔父のことで私が長い間ひっかかってきた「帰還兵」の物語のようなものを必然的に生み出してきたのだと思います。
ただ、それが戦争との関りを失ってからも、この作品のように、いわば戦時の疎開文学と構造的に「相同」と言えるような作品が書かれるということは、「疎開」的状況は何も戦争によってのみ生れてくるわけではなくて、そこに閉鎖的な人間関係があって、そこへ外部から転入してくるものがあるとき、新参者を排除することもあれば、その参入が共同性のほうに或る揺らぎをあたえることもあり、また外部の目によってそれまでは隠蔽されていた既成の人間関係の中の権力構造がくっきりとあぶりだされる、といったことが起きる、きわめて普遍的な事態だということになるかもしれません。
この作品の文体はどちらかと言えば平板で、主人公の少年歩の目にうつる地方の風景も同級生たちもすぐに転校先になじめむことができる適応力のある少年らしい落ち着いた語り口で淡々と語られるので、言葉が立っている印象はなく、言葉に魅せられて読まされ、それまで見てきた世界が別の輝きをみせはじめたり歪んで見えて来たり、といったことはありません。
いじめの大将(「対象」ではない)だった晃が、実際には上級生たちにいじめられてきた、「ただの弱虫の虐められっ子だったのだ」という逆転も、そういう主人公歩の気づきも、この種のいじめっ子について既に常識となるまで蓄積された所見で、物語の展開としてもあまりにもありふれていて何の新鮮味も驚きもない展開で、文体とともに、そうした物語性の創意という点でこの作品に過大な期待をかけるのは難しいようです。
ただ、ラスト近く、主人公歩がそういう「発見」をする場面は、さんざんいじめっ子にいたぶられてきた「虐められっ子」稔が、自分をいじめていた晃のもうワンランク上のいじめっ子たちである上級生たちに直接のいじめを受ける際に、とうとうぶち切れて加害者を傷つけ、刃物を振り回して大立ち回りを演じるあたりになると、文体のほうも少々熱を帯びて来て、けっこう読ませてくれます。
そのハイライトは、語り手でもある主人公歩が、それまでのクラスのいじめっ子晃に寄り添って、結果的に稔への虐めに加担してうまくやってきたにもかかわらず、稔がキレて攻撃すべき的は晃であって、自分は安全圏にあるはずだ、と考えていたらしく、稔に襲われて狼狽して叫ぶあたりです。
目と鼻の先には、血液に汚れて鈍く光る円盤状の刃がある。晃の身代わりになって殺されるなんて馬鹿げている。次の一打は、歩の耳のすぐ横に突き刺さった。乾いた口腔内でどうにか唾液を飲むと、稔を押し退けて叫んだ。
「僕は晃じゃない! 晃ならとっくに森の外へ逃げてるんだよ!」
稔は腫れ上がった瞼の奥の、細長い白目の中で瞳を動かし、
「わだっきゃ最初っから、おめぇが一番ムガついでだじゃ!」
いよっ!大統領!と声をかけたくなる(笑)、なかなか痛快な場面です。もっとも作品自体は、終始一貫、ここで全否定される主人公歩の視点で語られているので、ラストは「もう悲鳴と嗚咽を留めることができず、顔中を血と汗と涙でぐしゃぐしゃにし、金切声を上げながら黒い森を駈け」て命からがら逃げに逃げて意識を失い、闇の底で横たわり、ようやく意識をとりもどした歩の「糊付けされたように貼り付いている」瞼を引きはがしたときに見える光景ゆえ、ずいぶん歪んだものとなっています。
焔と河の畔には、三体の巨大な藁人形が置かれていた。一つの影が、松明の炎を藁人形の頭部へと掲げる。藁人形の頭が燃え盛り、無数の火の粉が山の淵の闇へ吸われていく。それは習わしに違いないが、しかし灯籠流しではなく、三人のうちの最初の一人の人間を、手始めに焼き殺しているようにしか見えない。
まるで自分が焼き殺されるのを目撃するような恐怖を味わっているみたいですね。歩は実際には殺されずに逃げおおせたけれど、ここで、もう一度自分が無残な殺され方をする擬似体験をしているようなもので、先に引いた一節にある稔の一声で、実際にグサッと魂の奥底まで刺されわけでしょう。このあたりのラストの文体は密度があって、それにふさわしいリズムが出て来て、好きです。
saysei at 22:52|Permalink│Comments(0)│
手当たり次第に ~ここ二、三日みた映画 Ⅹ
少し本を読んだりファイルをいじるほうに集中していたので、映画を観てなかったのですが、今週借りて来ていたのは、カサヴェテス監督のばかり7本。レンタルビデオ店にあったこの監督の全部(笑)。というのも高名なこの俳優にして監督という、インディペンデント映画の祖みたいに言われている人の映画を全然見ていなかったので・・・。もっとも日に2本も3本もみて、「映画を観た」ことになるかどうか(笑)。まぁこのブログは日記がわりなので、日々たまたま手に取った本やビデオの感想をいきなりキーボードたたいて書き留めておくだけのものですから、ご容赦を。
アメリカの影(ジョン・カサヴェテス監督 1965)
脚本なしのぶっつけ本番という、映画の最後に'improvesation' って言葉が表示されていましたが、そのとおり「即興的演出」が話題になった、カサヴェテス監督の長編第1作だそうです。
見始めてずいぶん長い間、いったいどういう展開で何が描きたいのか、登場人物の関係がどうなっているのかさっぱり分からなくて戸惑いました。後半になると3人の個人と混血の兄弟・妹の一家の話で、そこへ友人や妹の彼氏の話が絡んでくるんだってことがようやく呑み込めてきました。
はじめは、みかけたところまったく黒人の上の兄と、混血の弟や黒人の血がはいっていることが見かけだけでは分からない妹との関係がよくわからなかった。そういう見かけのためにすぐに家族じゃないかとピンとこないのは、みかけでそういうことを判断するこちらの先入観の盲点があるからでしょうが、それが分かってくると、急にこの映画はそこのところが要になっているんだな、というふうに見えてきました。
兄はまっとうな人生を歩んだ人のようで、かつてはけっこう売れた歌手だったようですが、いまはストリップ劇場でダンサーを紹介するMCみたいなことまでやらされるまでに落ちぶれています。でもまだ歌手としての矜持があって、そういう状態に抗っているという感じ。弟(妹からみて下の兄)はその兄に比べればヤンキーで、妹は男の気を惹くタイプ。
彼女を白人だと思い込んだ男が彼女に迫って関係を持ってみたら、「初めてだとは思わなかった」という結果で、彼女に惚れて家まで送るのですが、そこで彼女の黒人の兄にバッタリ。そこで彼女も黒人だとわかると、とたんに男はびびって態度を翻し、帰っていきます。あとでもう少し彼があきらめきれずに後悔の手紙を渡してもらおうとするようなエピソードはありますが、この作品のハイライトはやっぱり、この兄貴たちと男との遭遇で男が去っていく場面でしょう。
もちろん人種差別の問題がこういうエピソードに露出しているわけですが、ここで作品としては声高に人種差別に対する抗議の声を挙げているというようなものにはなっていません。それが証拠に、肝心の当事者である妹は、このことに深く傷ついているようにも見えないし、告発者としてふるまうようにも見えません。
あら、知らなかったの?というセリフはないけれど(笑)、まぁそれに近い、人種差別なんていつものことで、相手がちっぽけな存在だっただけ、という動じない姿勢にみえます。男と女の好き・嫌いにそんなこと関係ないっしょ、ってな感じ。そこは人種差別がポイントになっている作品でも、ちょっといいな、と思えるところでした。
人種差別問題などはいっていると、きまじめな作品のように思われるかもしれませんが、とりわけ二人の兄たちのやりとりや長兄が歌手としての出演交渉をしている場面、あるいはストリップ劇場で歌って語って一所懸命やっている(ただし観客は彼の歌など全然聴いてない)場面などに、本人たちは大真面目だけれど、みていてほんとに可笑しくて楽しめる場面がいくつもありました。
それにしても「即興的演出」って何でしょうね。またどんな意味があるのでしょう?前半の友だちがテーブルを囲んでぐだぐだとしょうもない話をしあっているような場面で、仕草もセリフも俳優にまかせ即興で撮っているんでしょうかね。それに面白みがあるなんて全然思えないし、後半のストーリーが明確に立ち上がってくるところは、いくら書かれた脚本がなくても、監督や俳優の頭の中には明確に共有されたストーリー展開があるはずで、路上でいきなり真っ裸になって走り出すストリーキングみたいな文字通りのハプニングでは構成不可能です。
土台、そういうハプニングのように直接この世界を身体動作で切り裂く表現と、目には見えなくても舞台(撮影場所)の上で、仮構された人物が互いに関わりをもつ中で表現される身体動作やセリフとは次元が違うので、そのような仮構に「即興」は原理的にあり得ないのではないかと思います。
仮構であれ現実の建造物の構築であれ、或る構造をつくりあげるということは、即自(≒即時)的表出ではなくて、他者を介し、関係を介した構造を、ちょうど床板や柱や天井高の寸法を測って切ったり削ったりして組み合わせていくように、時間性を孕んだプランニングが不可欠に思えます。それを極限まで切り詰めて、あたかも瞬時に頭の中でやってみせたかのように演じることは可能かもしれないけれど、そのことにそんなに意味があるとは思えないのです。
ただ、作品の作り手に「即興性」への捨てがたい欲求があるとすれば、それは「つくりもの」の嘘くささに対する嫌悪感と、その嘘くささを消去したいという願望のせいではないでしょうか。フィクションはその発生からそういう原罪意識を孕むものなのかもしれないし、脚本に忠実につくられる映像という関係を壊したい衝動もあるでしょうし、また演じること自体、あるいは演出すること自体にひそむ嘘くささを消去したい、という衝動もあって不思議はないでしょう。カサヴェテスの希求する即興性というのがどこに由来するものなのか、一過性の鑑賞でうかがうことは難しいけれど。
フェイシズ [Faces] (ジョン・カサヴェテス監督 1968)
この映画は、前作「愛の奇跡」製作中にプロデューサーと衝突してハリウッドでは干されたカサヴェテスが、自宅を抵当に入れ、自らが俳優として得ていたギャラも全部つぎ込んで、自力で製作した作品で、国際的に高く評価されることによって、「インディペンデント映画」というジャンルを確立した作品と言われているそうです。キャストもスタッフもノーギャラで参加し、撮影はカサヴェテスの自宅を舞台に夜間行われたとか。
この作品は何も知らずに素直に見て、とても面白い映画でした。その魅力がどこから来ているかといえば、それは登場人物たちを演じている主だった俳優のすばらしい個性と演技力によるのだと思います。とりわけ主役のリチャード役の会社の裕福な経営者である夫リチャードを演じたジョン・マーリーと、彼を迎える高級娼婦の一人ジェニーを演じたジーナ・ローランズ、カサヴェテス監督の実生活上の奥さんであるこの女優さんがすばらしい。ジーナ・ローランズはとうに花の盛りを過ぎた、人生の甘いも酸いも知り尽くした女の役だけれど、これがものすごく魅力的で、リチャードのような男がまともに惹かれるのはすごくよく分かります。
しかしリチャードという男は勝手な男ですよね。家庭や職場ではまったくワンマンの勝手な経営者であり暴君であって、細君の立場や気持ちを思いやるところがまったくない。これでは細君が満たされないのはよく分かります。仕事はできるかもしれないけれど、家庭人としては完全に失格です。
全然魅力的じゃないし、やさしさもカッコよさも賢明さもない、ただの爺々のくせに威張っていて自分は動かずに人を召使のように動かすことしか考えていない。自分が気に入らないと、すぐ苛立ち、怒鳴り、ときに優し気な言葉を吐いても気まぐれにしているだけで、相手のことなどこれっぽっちも考えてはいないから、すぐに別れよう、と言えるほど冷淡になれる。どうしようもない人間です。
ところが、この同じ男が、高級娼婦ジェニーたちの前に出ると、老人のくせに、ものすごくダンディで繊細で優しく魅力的な男性になってしまう(笑)。この変貌ぶりたるや、同じ男性としてみていて呆気にとられるほどだし、男からみていても、こいつは魅力的な男に見えるわなぁ、と感心せざるを得ません。その男が、さらにいっそう人間的な魅力に富んだ女性ジェニーに迎えられて、娼婦と分かっていながら、半ば本気になって一夜を過ごします。
でもそこがいいところだけれど、翌朝、男は帰っていきます。ジェニーに、ふだんの自分に戻れ、というセリフを残して、ですね。それはつまり自分もまた本来の自分に戻ろう、ということで帰っていく。
ところが彼が高級娼婦のところで一夜を過ごす間、細君マリアのほうも若い男を連れ込んでよろしくやっている(笑)。最初は彼女と数人の同じ年頃の裕福で満たされないおばさまがたが、芝居を見て、それを演じていた若い役者をマリアの家に連れてきて、からかって遊んでいるのですが、結局本命どうしのマリアとその役者と2人になって絡み合うという次第。
でもマリアが睡眠薬を飲み過ぎて明け方に瀕死の状態になり、男は大慌てで救命措置をとります。やっと彼女が意識を取り戻したところへ夫が帰宅し、寝室へ来ると、窓から夫人が逃がした男が逃げていくのが見える・・・
夫であるリチャードはもう一度帰ってやりなおそう、ということで帰ってきたと思うのですが、帰って見たら妻は間男と・・・ということで、二人の間は最終的に破綻がはっきりした形にみえますが、リチャードはジェニーを一過性の娼婦に戻して別れて来たわけで、細君のほうも若い男とはやりきれない鬱屈をつかの間なぐさめるための一過性のできごころからの行為にすぎないので、必ずしも現実的にはこれが夫婦関係の破綻ということになるかどうかは定かではないでしょう。たがいに深手を負ったことは負った状態でしょうけれども、二人の夫婦としての関係はここからしかリスタートできないともいえるでしょう。
グロリア (ジョン・カサヴェテス監督 1980)
これは文句なく面白い、お勧め映画といってもいい作品です。脚本が面白いんでしょうが、それも監督が書いたようです。
マフィアの組織を裏切ったために殺される寸前の一家から6歳の男の子を託された同じ団地の階に住む隣人グロリア、実はマフィアのボスの丈夫だった女が、一家がマフィアに爆弾で斬殺されたあと、目撃者としての子供と、マフィアの秘密が書かれた手帖を探すマフィアの追手から逃れるために、隠れ家を転々とし、子供嫌いだったグロリアとグロリアを嫌っていた少年が次第に心を通わせ、逃避行をつづける様子を描いたハードボイルド・サスペンス&アクションの物語。
冒頭から緊迫感に満ち、追う者の攻撃と子連れというハンディを背負いながら追われる者の逃避行あるいは反撃等々が非常に面白い。最後は逃げる余地もないまで追い詰められた彼女が覚悟を決めて、手帖を持ってマフィアのボスに会いに出かけ、もし3時間(半)待って戻らなければ、かつて逃亡先と語っていたピッツバークに行くように言い残してマフィアのところへ出掛けて行き、ボスとの話し合いは決裂、殺すなら殺したらいい、私は帰る、と席を立ってエレベーターへ。すぐにマフィアの子分たちが銃を持って追い、エレベーターの天井めがけて上から銃弾を何発もぶち込んで・・・というところでカット、カメラはピッツバークでタクシーで墓地へ向かう少年に向けられます。
マフィアに殺された両親と姉の弔いについて、グロリアは少年を無関係な墓地へ連れて行って、霊魂はどこにでもあつまるから、どの墓に祈ってもいいのだと云い、少年は自分が気に入った墓の前で両親と姉の霊に祈るシーンがその前にあったのですが、それと同じように、少年はピッツバーグの墓地へ来て、無関係な墓のひとつの前で、殺されたであろうグロリアの霊に語り掛けます。少年が待っていろと言って置いたタクシーが去っていくと、そこへ別の車が滑り込んできて、降り立ったのは老婆の白い鬘をつけたグロリアでした。・・・とラストがハッピーエンドになっているのも、この種の映画としては当然だけれど、嬉しい。
グロリアがマフィアの元丈夫で、男勝りの根性を持った姉御肌の女性であるという設定が、この作品を面白くしています。彼女は単に逃げるだけでなく、積極的に追手と戦い、銃をぶっ放して、相手を撃ち殺しもします。少年に母性愛でべたべた接するわけでも、憐れむわけでもなく、もともと子供嫌いの彼女だったのに、殺され際にゆだねられて一旦引き受けた以上は守り抜く、という芯の強さがこの理不尽な逃避行を促しています。そのあたりの彼女の少年に対する感情が名優ジーナ・ローランズによってみごとに演じられています。
こわれゆく女 (ジョン・カサテヴェス監督 1974年)
原題は 'A Woman Under the Influence' です。「こわれゆく女」というのは面白い邦題ですが、原題のニュアンスとはかなり違うように思います。under the influence は、普通の意味では何々の影響を受けている、という意味でしょうし、そこから、酔っ払っている、という意味にも取れますが、別に主役のメイベルが酔っ払っているわけでもないので、やはり何かの支配下にある、何かに支配されている、何かに囚われている、という意味合いだと考える方が自然でしょう。
この映画こそまさにメイベルを演じたジーナ・ローランズのための映画といったところでしょうか。彼女の独壇場です。
ちょっと神経質で線の細いところはあるようだけれど、ごく普通の主婦であるメイベルが、土木作業なんかを仕事にしているブルーワーカーのニックの仕事熱心ではあるけれど、妻の胸のうちを気遣う 繊細さをまったく欠いたラフな性格で、やさしげな言葉をかけたかと思うと反転してすぐに苛立ち、怒鳴り散らしたりする、妻に対して人間として粗雑で硬直した接し方しかできない男、さらに現場監督として仕事仲間をすぐに家へ連れて来たりするけれども、そんなときも妻の都合や胸の内には思いもよらず、自分が仲間たちを連れて来たのだから妻としては歓迎するのが当たり前、という態度の身勝手さ。
こういう夫とくらす日々の中で、なんとかメイベルは愛情を維持しようとして、二人だけの時間をすごすために、子供たちを母のもとに預けて夫を待つが、夫は急な水道工事か何かが入って帰宅できなくなる。むなしい胸のうちをかかえた彼女はバーで酒に酔い、そこで出会った男を家へ引っ張り込んでしまいます。翌朝一緒に寝た男が夫でなかったことに驚いて追い出す彼女ですが、そこへ夫が仲間たちを大勢ひきつれてきて、彼女はパスタを用意して食べさせる。ひとり彼女は躁状態でしゃべりまくり、ひとりひとり名前を聞いて自己紹介し唄を歌おう、踊ろう、としつこく言って、夫が苛立って、みんな疲れているんだ、黙れ!と遮り、怒鳴るはめになります。
こういうすれ違いの繰り返しの中で、彼女の精神はだんだん変調を来し、夫ニックとその母である姑はかかりつけの精神医と謀って、いやがる彼女を入院させてしまいます。半年間入院させられていたメイベルが帰宅する日、ニックはまた同僚たちを含む大勢の友人知人を自宅に招いて大掛かりな祝いのパーティーを開こうと準備しています。しかし身内の反対にあい、それらの人々を帰したところへ、メイベルが帰ってきて、親兄弟など最小限の身内での祝いの晩餐会です。
メイベルはおどおどした様子で、自分の感情が激するのを抑えようと緊張しています。それでも病院ではゲームをしたり編み物のような作業療法をさせられ、頭に電気ショックを施されていたと告げる彼女は次第に感情を高ぶらせていきます。このへんの次第に彼女の様子がおかしくなっていくプロセスの演じ方が実にみごとなのですが、それを煽ってひきたたせているのが、ピーター・フォーク演じる夫ニックです。彼は彼女が感情を抑えがたくハイになると苛立ち、怒鳴り、「普通のしゃべりかたをしろ」と言います。そんなのできるわけない、とメイベルが言っても、彼は大声で、普通の会話をしろ!と怒鳴るだけです。
こうしてメイベルは自傷行為に走って手を血だらけにします。ニックはメイベルに暴力を振い、子供たちはみな母親を守ろうとし、家庭は修羅場と化します。
メイベルの感情がおさまり、小康状態がくると、すべては旧に復したようにおだやかにおさまるようにみえます。でもまたいつパニックになり、修羅場が訪れるかわかりません。
こういう自分で自分の感情がコントロールできなくなった女性の様子を、ジーナ・ローランズは見事に演じきっています。
メイベルがなぜこんなふうに心を病んでしまったかといえば、私は旦那のニックに第一のそして最大の原因があると思います。かれは怠け者ではなくブルーカラーの土木作業の現場監督として他の信頼を勝ち得ているような働き者であり、ほかの女と浮気をするような軽薄者でもない。教養のない粗雑な男かもしれないけれど、人物として一般的な標準からいえば悪い人物ではないでしょう。けれども、夫婦の間には互いを一人の人間として尊重し、その立場、気持ちを気遣うというようなコミュニケーション能力はほとんどゼロ。
なぜメイベルが愛する子供たちを母親に預けてまで、二人きりの日を持とうとしたのか、その気持ちを思いやることもまったくできず、急な仕事ができたんだから仕方がないだろう、ということしか頭にない。おまけに自分がそうしてすっぽかした翌日には仲間をおおぜいつれてきて、家に上げて、メイベルに食事を供させる。それでいてメイベルが精いっぱいもてなし、座を盛り上げようとして行き過ぎると掌を返したように苛立ち、怒鳴り散らす。彼女の方にも、やってきた本当はつかれている彼の同僚たちの状態への配慮が欠けていたかもしれないけれど、ニックの方がそれ以前にあまりにも自分勝手な行動原理でしか動いていません。
そして何よりもひどいのは、彼女がこころを病んで救いが必要なまさにそのときに、自分の母親(メイベルにとっての姑)や精神科医と結託して彼女を子供たちから引き離し、電気ショックなど施す病院へ強制入院させてしまうこと。さらに、戻ってきた彼女がまだ不安定な状態にあって、時折「ふつう」をはみ出してしまうときに、彼はやさしくそれをカバーするのではなく、彼女に「普通の会話をしろ!」と怒鳴り散らすのです。そんなこと私にできるわけがない、と言う彼女に対して、ますます苛立ち、「普通の会話をしろ!」と繰り返し怒鳴るのです。そういう彼の言葉の暴力こそが彼女をそうできなくさせているのに、それを強制するのは、あきらかにベイトソンのいうダブルバインドで、ニックは行動では彼女に「普通の会話」などできないように彼女を怒鳴りつけ、おいつめながら、一方で「普通の会話をしろ!」と命じるのです。これで彼に支配される彼女がおかしくならなければどうかしています。
チャイニーズ・ブッキーを殺した男 (ジョン・カサヴェテス監督 1976)
太っちょの語り芸人がコントを喋り、ストリッパーが踊るクラブのオーナーである男、コズモはこの場末のクラブをこよなく愛していて、どんなことがあってもショウタイムには準備を整えて開演させることを生きがいにしているような男です。
冒頭は何が何やらわからぬうちに、ある男がトイレで札束を勘定していて、出てくるところにこのコズモが来て、札束を数えろと言うので、どうやらその金はコズモがその男に借金を返したものらしい、と分かります。でも何の金か、その男が今後も登場するのか、どういう関係なのか、わからないまま物語が進んでいきます。
コズモは借金を全部返したばかりなのに、自分のクラブのスタッフたちをひきつれて別のバーで飲ませてやったり、賭場へ行ってかけ事をしてすってんてんに大負けして、膨大な借金をまた背負ってしまいます。その相手がマフィアで、そこから彼は借金返済の代わりに、別の派閥のマフィアのボス「チャイニ・ズ・ブッキー」を殺す依頼を引き受けさせられます。
警戒厳重な邸に忍び込んだコズモは首尾よくブッキーを射殺しますが、みずからもわき腹を手下に撃たれて逃走します。彼に殺しを依頼したほうのマフィアも最初からコズモを消すつもりだったので、コズモは危うく殺されそうになりますが、うまく返り討ちにして生き延び、自分のクラブへ戻ってきます。
彼は舞台に上がった芸人やストリッパーたち、スタッフの一人一人にスポットライトを当てさせて、観客に紹介します。彼が目をかけていた黒人の若いストリッパーは引き抜かれて去っていったけれど、彼のクラブは続きます。かれはその舞台が無事開演するのを見て、劇場を出ます。夜の街を眺めながら一服する彼の脇腹からはまだ血が流れています。
そしてそれからどうなるのかは分かりません。やっぱり彼はまたマフィアにしつこく狙われて始末されてしまうのか、脇腹の怪我がもとで死んでしまうのか、はたまた生き延びて彼の愛するクラブを経営し、可愛がっているストリッパーの女の子たちや喋り芸人やスタッフたちと共にショウを続けていくのか・・・。
この映画の魅力は、この主役コズモを演じたベン・ギャザラの演技、その風貌やキャラクターの魅力でしょう。若くはないけれど、なんともカッコイイ。借金を返したと思うとマフィア相手の博打で返せないほどの借金を背負ってしまって殺しを請け負わざるを得なくなるなんて、まったくドジなことこの上ないけれども、かれの自分のクラブとその人々への愛情はほんもので、それが彼のやることなすことをみていると素直に伝わってきます。ほかのことは生き死ににかかわろうと、大金にかかわろうと、彼にはどうでもいいんですね。そういう生き方のスタイルみたいなものが身についていて、そこがすごくダンディな印象になっています。
オープニング・ナイト(ジョン・カサヴェテス監督 1977)
この映画は不思議な映画で、劇中劇というのか、映画の舞台は劇場で、その舞台の上で演じられる劇がかなりえんえんと映しだされていきます。
そして、その劇中劇の主役をつとめるのが、この映画の主役でもある女性、カサヴェテス監督の奥さんである名優ジーナ・ローランズです。劇中劇の進行とこの映画のストーリーであるその女優の振る舞いが引き起こす事態の進行が絡み合って、テンションの高い女性の生き方のドラマをつくり上げています。
ジーナ・ローランズの相手役をつとめるのが、「チャイニーズ・ブッキーを殺したた男」のベン・ギャザラで、これも名優なんで、二人が絡んですばらしい味のあるドラマを生み出しています。
ベン・ギャザラが演じているのは劇中劇の演出家で、調教師よろしく主役の女優をコントロールして最高の演技を引き出そうとしているのですが、女優は自ら考える女優で、自分が加齢によってもう若いときのような演技ができないことを百も承知しているけれども、他方では、単純に老いていく女の悲しみや焦慮を表現するなんてことを自分に許すことができない。だいたい、自分はまだそんな役をするほど老けてはいない。だけどもう若くはない。だからそのハザマで、なにか別の表現が模索できるはずだ、と考えているらしいのです。
だから脚本や演出家の演出指導を勝手に舞台で変更してしまったりして、演出家とぶつかることにもなります。
そういう下地のあるところへ、開演の日の夜に或る事件が起きます。それは、彼女が待ちかねの観客をおしわけて車に乗って劇場を去っていくとき、彼女のファンだと言って異常にしつこく彼女につきまとっていた17歳の少女が、雨の中、彼女の車が出た直後に、ふらふらと街路に踏み出して後続の別の車に轢かれて死んでしまうのです。
この少女の霊がこの女優が自ら作り出した若き日の自分、第二の女として、彼女にとって実在しはじめます。彼女が自室にいると現れ、彼女と会話しはじめるのです。
この女優の陥っている状態というのは、やはり女性として自分が歳をとっていくこと、それゆえ若い女性だったころのように何も考えずに演じていけばよいというわけにはいかない。けれども、他方で歳をとった女性の役を与えられて、その女性が若き日を懐かしんで今の自分を嘆き、加齢を焦慮するというような演技をすることには激しい拒否反応がある。そんなに自分は歳老いているわけじゃないし、そういう老い方だけが女性が歳をとっていく、ということではないはずじゃないか、という気持ちもあるでしょう。いずれにせよいまの自分がそういうありきたりの人生の黄昏を感じている女性なんてものを演じたくはない。・・・・そういうディレンマでしょう。実際の自分は歳をとっていくことを実感している。けれどもそれはただ歳をとり、老いて若き日を羨望し、回顧し、焦慮に身を焼くということではないはずだ、と。
それは彼女の生身の人間としての生き方の問題であると同時に、「最高の女性」と称賛されるほどの女優としての彼の生き方、演じ方の根幹にかかわる問題なので、彼女は二重に苦しんでその解決の方途を求めているわけです。それが周囲にはなかなか理解されないから、彼女のとる行動が周囲の意表をつき、ときに周囲を困らせることにもなります。
ニューヨークでの初日を控えて彼女は直前に消えてしまいます。初日には間に合うように戻ってくる、と言い残して。そして、幕開きの時刻になって戻ってきた彼女は立つこともできなほどの泥酔状態でした。それを演出家はきびしく一人で立たせ、舞台へ送り出します。どうなることかとスタッフら周囲が気をもむ中、舞台上の彼女はみごとに創造性に満ちた演技を実現して、幕が下りると観客のブラボーの声が劇場中に響き渡ります。
演出家にくってかかり、悩み、苛立ち、また舞台でみごとに演じる女優を、また見事に演じているジーナ・ローランズの演技がこの作品の大黒柱。「こわれゆく女」同様、この作品での彼女の比重は通常の主役級などをはるかに超えて重いものになっています。むしろ彼女の二重の演技を見るための作品というほうがいいでしょう。
ピーター・フォークのビッグトラブル(ジョン・カサヴェテス監督 1986)
これは喜劇ですが、あんまり面白おかしくはないですね(笑)。ピーター・フォークは彼らしい破天荒な人物を演じて味を出していますが、ほかのもうちょっと「ふつう」のキャストとのバランスとか、あんまりよくないです。
保険会社の営業マンの若い男が、ピーター・フォーク演じる詐欺師とそのセクシーな妻にひっかかって、妻が重篤な病気で余命わずかな夫を列車から落として殺すことで保険金を詐取しようという計画に乗っかって「実行」するけれども、保険会社の上司が疑って調べにきて、死体が死体管理所の男も含めて詐欺グループによるニセモノとバレて、仕方なく上司を拘束し、保険会社の社長の豪邸に泥棒にはいるも見つかり、今度は会社の地下金庫から盗もうと忍び入ったところ、ほんものの強盗団が爆薬を使って金庫を強奪しようと地下を掘ってきたところに出くわし、てんやわんやの末強盗団を警察がつかまえる手助けをした結果になって、表彰され、報奨金までもらう、というような荒唐無稽な話で、それはそれでいいのだけれど、どうも話を複雑にしすぎたせいか、展開がモタモタしていて、登場人物一人一人にもそのしぐさや語りを見て聴いているだけで笑えるような資質がなく、互いの掛け合いもうまくないので、喜劇としては失敗しているな、と思わざるを得ませんでした。
カサヴェテス監督もこんなのを作っていたんだな、なぜこんな喜劇を?と、そちらの方がさぐってみたら面白そうだな、と思いました。
アメリカの影(ジョン・カサヴェテス監督 1965)
脚本なしのぶっつけ本番という、映画の最後に'improvesation' って言葉が表示されていましたが、そのとおり「即興的演出」が話題になった、カサヴェテス監督の長編第1作だそうです。
見始めてずいぶん長い間、いったいどういう展開で何が描きたいのか、登場人物の関係がどうなっているのかさっぱり分からなくて戸惑いました。後半になると3人の個人と混血の兄弟・妹の一家の話で、そこへ友人や妹の彼氏の話が絡んでくるんだってことがようやく呑み込めてきました。
はじめは、みかけたところまったく黒人の上の兄と、混血の弟や黒人の血がはいっていることが見かけだけでは分からない妹との関係がよくわからなかった。そういう見かけのためにすぐに家族じゃないかとピンとこないのは、みかけでそういうことを判断するこちらの先入観の盲点があるからでしょうが、それが分かってくると、急にこの映画はそこのところが要になっているんだな、というふうに見えてきました。
兄はまっとうな人生を歩んだ人のようで、かつてはけっこう売れた歌手だったようですが、いまはストリップ劇場でダンサーを紹介するMCみたいなことまでやらされるまでに落ちぶれています。でもまだ歌手としての矜持があって、そういう状態に抗っているという感じ。弟(妹からみて下の兄)はその兄に比べればヤンキーで、妹は男の気を惹くタイプ。
彼女を白人だと思い込んだ男が彼女に迫って関係を持ってみたら、「初めてだとは思わなかった」という結果で、彼女に惚れて家まで送るのですが、そこで彼女の黒人の兄にバッタリ。そこで彼女も黒人だとわかると、とたんに男はびびって態度を翻し、帰っていきます。あとでもう少し彼があきらめきれずに後悔の手紙を渡してもらおうとするようなエピソードはありますが、この作品のハイライトはやっぱり、この兄貴たちと男との遭遇で男が去っていく場面でしょう。
もちろん人種差別の問題がこういうエピソードに露出しているわけですが、ここで作品としては声高に人種差別に対する抗議の声を挙げているというようなものにはなっていません。それが証拠に、肝心の当事者である妹は、このことに深く傷ついているようにも見えないし、告発者としてふるまうようにも見えません。
あら、知らなかったの?というセリフはないけれど(笑)、まぁそれに近い、人種差別なんていつものことで、相手がちっぽけな存在だっただけ、という動じない姿勢にみえます。男と女の好き・嫌いにそんなこと関係ないっしょ、ってな感じ。そこは人種差別がポイントになっている作品でも、ちょっといいな、と思えるところでした。
人種差別問題などはいっていると、きまじめな作品のように思われるかもしれませんが、とりわけ二人の兄たちのやりとりや長兄が歌手としての出演交渉をしている場面、あるいはストリップ劇場で歌って語って一所懸命やっている(ただし観客は彼の歌など全然聴いてない)場面などに、本人たちは大真面目だけれど、みていてほんとに可笑しくて楽しめる場面がいくつもありました。
それにしても「即興的演出」って何でしょうね。またどんな意味があるのでしょう?前半の友だちがテーブルを囲んでぐだぐだとしょうもない話をしあっているような場面で、仕草もセリフも俳優にまかせ即興で撮っているんでしょうかね。それに面白みがあるなんて全然思えないし、後半のストーリーが明確に立ち上がってくるところは、いくら書かれた脚本がなくても、監督や俳優の頭の中には明確に共有されたストーリー展開があるはずで、路上でいきなり真っ裸になって走り出すストリーキングみたいな文字通りのハプニングでは構成不可能です。
土台、そういうハプニングのように直接この世界を身体動作で切り裂く表現と、目には見えなくても舞台(撮影場所)の上で、仮構された人物が互いに関わりをもつ中で表現される身体動作やセリフとは次元が違うので、そのような仮構に「即興」は原理的にあり得ないのではないかと思います。
仮構であれ現実の建造物の構築であれ、或る構造をつくりあげるということは、即自(≒即時)的表出ではなくて、他者を介し、関係を介した構造を、ちょうど床板や柱や天井高の寸法を測って切ったり削ったりして組み合わせていくように、時間性を孕んだプランニングが不可欠に思えます。それを極限まで切り詰めて、あたかも瞬時に頭の中でやってみせたかのように演じることは可能かもしれないけれど、そのことにそんなに意味があるとは思えないのです。
ただ、作品の作り手に「即興性」への捨てがたい欲求があるとすれば、それは「つくりもの」の嘘くささに対する嫌悪感と、その嘘くささを消去したいという願望のせいではないでしょうか。フィクションはその発生からそういう原罪意識を孕むものなのかもしれないし、脚本に忠実につくられる映像という関係を壊したい衝動もあるでしょうし、また演じること自体、あるいは演出すること自体にひそむ嘘くささを消去したい、という衝動もあって不思議はないでしょう。カサヴェテスの希求する即興性というのがどこに由来するものなのか、一過性の鑑賞でうかがうことは難しいけれど。
フェイシズ [Faces] (ジョン・カサヴェテス監督 1968)
この映画は、前作「愛の奇跡」製作中にプロデューサーと衝突してハリウッドでは干されたカサヴェテスが、自宅を抵当に入れ、自らが俳優として得ていたギャラも全部つぎ込んで、自力で製作した作品で、国際的に高く評価されることによって、「インディペンデント映画」というジャンルを確立した作品と言われているそうです。キャストもスタッフもノーギャラで参加し、撮影はカサヴェテスの自宅を舞台に夜間行われたとか。
この作品は何も知らずに素直に見て、とても面白い映画でした。その魅力がどこから来ているかといえば、それは登場人物たちを演じている主だった俳優のすばらしい個性と演技力によるのだと思います。とりわけ主役のリチャード役の会社の裕福な経営者である夫リチャードを演じたジョン・マーリーと、彼を迎える高級娼婦の一人ジェニーを演じたジーナ・ローランズ、カサヴェテス監督の実生活上の奥さんであるこの女優さんがすばらしい。ジーナ・ローランズはとうに花の盛りを過ぎた、人生の甘いも酸いも知り尽くした女の役だけれど、これがものすごく魅力的で、リチャードのような男がまともに惹かれるのはすごくよく分かります。
しかしリチャードという男は勝手な男ですよね。家庭や職場ではまったくワンマンの勝手な経営者であり暴君であって、細君の立場や気持ちを思いやるところがまったくない。これでは細君が満たされないのはよく分かります。仕事はできるかもしれないけれど、家庭人としては完全に失格です。
全然魅力的じゃないし、やさしさもカッコよさも賢明さもない、ただの爺々のくせに威張っていて自分は動かずに人を召使のように動かすことしか考えていない。自分が気に入らないと、すぐ苛立ち、怒鳴り、ときに優し気な言葉を吐いても気まぐれにしているだけで、相手のことなどこれっぽっちも考えてはいないから、すぐに別れよう、と言えるほど冷淡になれる。どうしようもない人間です。
ところが、この同じ男が、高級娼婦ジェニーたちの前に出ると、老人のくせに、ものすごくダンディで繊細で優しく魅力的な男性になってしまう(笑)。この変貌ぶりたるや、同じ男性としてみていて呆気にとられるほどだし、男からみていても、こいつは魅力的な男に見えるわなぁ、と感心せざるを得ません。その男が、さらにいっそう人間的な魅力に富んだ女性ジェニーに迎えられて、娼婦と分かっていながら、半ば本気になって一夜を過ごします。
でもそこがいいところだけれど、翌朝、男は帰っていきます。ジェニーに、ふだんの自分に戻れ、というセリフを残して、ですね。それはつまり自分もまた本来の自分に戻ろう、ということで帰っていく。
ところが彼が高級娼婦のところで一夜を過ごす間、細君マリアのほうも若い男を連れ込んでよろしくやっている(笑)。最初は彼女と数人の同じ年頃の裕福で満たされないおばさまがたが、芝居を見て、それを演じていた若い役者をマリアの家に連れてきて、からかって遊んでいるのですが、結局本命どうしのマリアとその役者と2人になって絡み合うという次第。
でもマリアが睡眠薬を飲み過ぎて明け方に瀕死の状態になり、男は大慌てで救命措置をとります。やっと彼女が意識を取り戻したところへ夫が帰宅し、寝室へ来ると、窓から夫人が逃がした男が逃げていくのが見える・・・
夫であるリチャードはもう一度帰ってやりなおそう、ということで帰ってきたと思うのですが、帰って見たら妻は間男と・・・ということで、二人の間は最終的に破綻がはっきりした形にみえますが、リチャードはジェニーを一過性の娼婦に戻して別れて来たわけで、細君のほうも若い男とはやりきれない鬱屈をつかの間なぐさめるための一過性のできごころからの行為にすぎないので、必ずしも現実的にはこれが夫婦関係の破綻ということになるかどうかは定かではないでしょう。たがいに深手を負ったことは負った状態でしょうけれども、二人の夫婦としての関係はここからしかリスタートできないともいえるでしょう。
グロリア (ジョン・カサヴェテス監督 1980)
これは文句なく面白い、お勧め映画といってもいい作品です。脚本が面白いんでしょうが、それも監督が書いたようです。
マフィアの組織を裏切ったために殺される寸前の一家から6歳の男の子を託された同じ団地の階に住む隣人グロリア、実はマフィアのボスの丈夫だった女が、一家がマフィアに爆弾で斬殺されたあと、目撃者としての子供と、マフィアの秘密が書かれた手帖を探すマフィアの追手から逃れるために、隠れ家を転々とし、子供嫌いだったグロリアとグロリアを嫌っていた少年が次第に心を通わせ、逃避行をつづける様子を描いたハードボイルド・サスペンス&アクションの物語。
冒頭から緊迫感に満ち、追う者の攻撃と子連れというハンディを背負いながら追われる者の逃避行あるいは反撃等々が非常に面白い。最後は逃げる余地もないまで追い詰められた彼女が覚悟を決めて、手帖を持ってマフィアのボスに会いに出かけ、もし3時間(半)待って戻らなければ、かつて逃亡先と語っていたピッツバークに行くように言い残してマフィアのところへ出掛けて行き、ボスとの話し合いは決裂、殺すなら殺したらいい、私は帰る、と席を立ってエレベーターへ。すぐにマフィアの子分たちが銃を持って追い、エレベーターの天井めがけて上から銃弾を何発もぶち込んで・・・というところでカット、カメラはピッツバークでタクシーで墓地へ向かう少年に向けられます。
マフィアに殺された両親と姉の弔いについて、グロリアは少年を無関係な墓地へ連れて行って、霊魂はどこにでもあつまるから、どの墓に祈ってもいいのだと云い、少年は自分が気に入った墓の前で両親と姉の霊に祈るシーンがその前にあったのですが、それと同じように、少年はピッツバーグの墓地へ来て、無関係な墓のひとつの前で、殺されたであろうグロリアの霊に語り掛けます。少年が待っていろと言って置いたタクシーが去っていくと、そこへ別の車が滑り込んできて、降り立ったのは老婆の白い鬘をつけたグロリアでした。・・・とラストがハッピーエンドになっているのも、この種の映画としては当然だけれど、嬉しい。
グロリアがマフィアの元丈夫で、男勝りの根性を持った姉御肌の女性であるという設定が、この作品を面白くしています。彼女は単に逃げるだけでなく、積極的に追手と戦い、銃をぶっ放して、相手を撃ち殺しもします。少年に母性愛でべたべた接するわけでも、憐れむわけでもなく、もともと子供嫌いの彼女だったのに、殺され際にゆだねられて一旦引き受けた以上は守り抜く、という芯の強さがこの理不尽な逃避行を促しています。そのあたりの彼女の少年に対する感情が名優ジーナ・ローランズによってみごとに演じられています。
こわれゆく女 (ジョン・カサテヴェス監督 1974年)
原題は 'A Woman Under the Influence' です。「こわれゆく女」というのは面白い邦題ですが、原題のニュアンスとはかなり違うように思います。under the influence は、普通の意味では何々の影響を受けている、という意味でしょうし、そこから、酔っ払っている、という意味にも取れますが、別に主役のメイベルが酔っ払っているわけでもないので、やはり何かの支配下にある、何かに支配されている、何かに囚われている、という意味合いだと考える方が自然でしょう。
この映画こそまさにメイベルを演じたジーナ・ローランズのための映画といったところでしょうか。彼女の独壇場です。
ちょっと神経質で線の細いところはあるようだけれど、ごく普通の主婦であるメイベルが、土木作業なんかを仕事にしているブルーワーカーのニックの仕事熱心ではあるけれど、妻の胸のうちを気遣う 繊細さをまったく欠いたラフな性格で、やさしげな言葉をかけたかと思うと反転してすぐに苛立ち、怒鳴り散らしたりする、妻に対して人間として粗雑で硬直した接し方しかできない男、さらに現場監督として仕事仲間をすぐに家へ連れて来たりするけれども、そんなときも妻の都合や胸の内には思いもよらず、自分が仲間たちを連れて来たのだから妻としては歓迎するのが当たり前、という態度の身勝手さ。
こういう夫とくらす日々の中で、なんとかメイベルは愛情を維持しようとして、二人だけの時間をすごすために、子供たちを母のもとに預けて夫を待つが、夫は急な水道工事か何かが入って帰宅できなくなる。むなしい胸のうちをかかえた彼女はバーで酒に酔い、そこで出会った男を家へ引っ張り込んでしまいます。翌朝一緒に寝た男が夫でなかったことに驚いて追い出す彼女ですが、そこへ夫が仲間たちを大勢ひきつれてきて、彼女はパスタを用意して食べさせる。ひとり彼女は躁状態でしゃべりまくり、ひとりひとり名前を聞いて自己紹介し唄を歌おう、踊ろう、としつこく言って、夫が苛立って、みんな疲れているんだ、黙れ!と遮り、怒鳴るはめになります。
こういうすれ違いの繰り返しの中で、彼女の精神はだんだん変調を来し、夫ニックとその母である姑はかかりつけの精神医と謀って、いやがる彼女を入院させてしまいます。半年間入院させられていたメイベルが帰宅する日、ニックはまた同僚たちを含む大勢の友人知人を自宅に招いて大掛かりな祝いのパーティーを開こうと準備しています。しかし身内の反対にあい、それらの人々を帰したところへ、メイベルが帰ってきて、親兄弟など最小限の身内での祝いの晩餐会です。
メイベルはおどおどした様子で、自分の感情が激するのを抑えようと緊張しています。それでも病院ではゲームをしたり編み物のような作業療法をさせられ、頭に電気ショックを施されていたと告げる彼女は次第に感情を高ぶらせていきます。このへんの次第に彼女の様子がおかしくなっていくプロセスの演じ方が実にみごとなのですが、それを煽ってひきたたせているのが、ピーター・フォーク演じる夫ニックです。彼は彼女が感情を抑えがたくハイになると苛立ち、怒鳴り、「普通のしゃべりかたをしろ」と言います。そんなのできるわけない、とメイベルが言っても、彼は大声で、普通の会話をしろ!と怒鳴るだけです。
こうしてメイベルは自傷行為に走って手を血だらけにします。ニックはメイベルに暴力を振い、子供たちはみな母親を守ろうとし、家庭は修羅場と化します。
メイベルの感情がおさまり、小康状態がくると、すべては旧に復したようにおだやかにおさまるようにみえます。でもまたいつパニックになり、修羅場が訪れるかわかりません。
こういう自分で自分の感情がコントロールできなくなった女性の様子を、ジーナ・ローランズは見事に演じきっています。
メイベルがなぜこんなふうに心を病んでしまったかといえば、私は旦那のニックに第一のそして最大の原因があると思います。かれは怠け者ではなくブルーカラーの土木作業の現場監督として他の信頼を勝ち得ているような働き者であり、ほかの女と浮気をするような軽薄者でもない。教養のない粗雑な男かもしれないけれど、人物として一般的な標準からいえば悪い人物ではないでしょう。けれども、夫婦の間には互いを一人の人間として尊重し、その立場、気持ちを気遣うというようなコミュニケーション能力はほとんどゼロ。
なぜメイベルが愛する子供たちを母親に預けてまで、二人きりの日を持とうとしたのか、その気持ちを思いやることもまったくできず、急な仕事ができたんだから仕方がないだろう、ということしか頭にない。おまけに自分がそうしてすっぽかした翌日には仲間をおおぜいつれてきて、家に上げて、メイベルに食事を供させる。それでいてメイベルが精いっぱいもてなし、座を盛り上げようとして行き過ぎると掌を返したように苛立ち、怒鳴り散らす。彼女の方にも、やってきた本当はつかれている彼の同僚たちの状態への配慮が欠けていたかもしれないけれど、ニックの方がそれ以前にあまりにも自分勝手な行動原理でしか動いていません。
そして何よりもひどいのは、彼女がこころを病んで救いが必要なまさにそのときに、自分の母親(メイベルにとっての姑)や精神科医と結託して彼女を子供たちから引き離し、電気ショックなど施す病院へ強制入院させてしまうこと。さらに、戻ってきた彼女がまだ不安定な状態にあって、時折「ふつう」をはみ出してしまうときに、彼はやさしくそれをカバーするのではなく、彼女に「普通の会話をしろ!」と怒鳴り散らすのです。そんなこと私にできるわけがない、と言う彼女に対して、ますます苛立ち、「普通の会話をしろ!」と繰り返し怒鳴るのです。そういう彼の言葉の暴力こそが彼女をそうできなくさせているのに、それを強制するのは、あきらかにベイトソンのいうダブルバインドで、ニックは行動では彼女に「普通の会話」などできないように彼女を怒鳴りつけ、おいつめながら、一方で「普通の会話をしろ!」と命じるのです。これで彼に支配される彼女がおかしくならなければどうかしています。
チャイニーズ・ブッキーを殺した男 (ジョン・カサヴェテス監督 1976)
太っちょの語り芸人がコントを喋り、ストリッパーが踊るクラブのオーナーである男、コズモはこの場末のクラブをこよなく愛していて、どんなことがあってもショウタイムには準備を整えて開演させることを生きがいにしているような男です。
冒頭は何が何やらわからぬうちに、ある男がトイレで札束を勘定していて、出てくるところにこのコズモが来て、札束を数えろと言うので、どうやらその金はコズモがその男に借金を返したものらしい、と分かります。でも何の金か、その男が今後も登場するのか、どういう関係なのか、わからないまま物語が進んでいきます。
コズモは借金を全部返したばかりなのに、自分のクラブのスタッフたちをひきつれて別のバーで飲ませてやったり、賭場へ行ってかけ事をしてすってんてんに大負けして、膨大な借金をまた背負ってしまいます。その相手がマフィアで、そこから彼は借金返済の代わりに、別の派閥のマフィアのボス「チャイニ・ズ・ブッキー」を殺す依頼を引き受けさせられます。
警戒厳重な邸に忍び込んだコズモは首尾よくブッキーを射殺しますが、みずからもわき腹を手下に撃たれて逃走します。彼に殺しを依頼したほうのマフィアも最初からコズモを消すつもりだったので、コズモは危うく殺されそうになりますが、うまく返り討ちにして生き延び、自分のクラブへ戻ってきます。
彼は舞台に上がった芸人やストリッパーたち、スタッフの一人一人にスポットライトを当てさせて、観客に紹介します。彼が目をかけていた黒人の若いストリッパーは引き抜かれて去っていったけれど、彼のクラブは続きます。かれはその舞台が無事開演するのを見て、劇場を出ます。夜の街を眺めながら一服する彼の脇腹からはまだ血が流れています。
そしてそれからどうなるのかは分かりません。やっぱり彼はまたマフィアにしつこく狙われて始末されてしまうのか、脇腹の怪我がもとで死んでしまうのか、はたまた生き延びて彼の愛するクラブを経営し、可愛がっているストリッパーの女の子たちや喋り芸人やスタッフたちと共にショウを続けていくのか・・・。
この映画の魅力は、この主役コズモを演じたベン・ギャザラの演技、その風貌やキャラクターの魅力でしょう。若くはないけれど、なんともカッコイイ。借金を返したと思うとマフィア相手の博打で返せないほどの借金を背負ってしまって殺しを請け負わざるを得なくなるなんて、まったくドジなことこの上ないけれども、かれの自分のクラブとその人々への愛情はほんもので、それが彼のやることなすことをみていると素直に伝わってきます。ほかのことは生き死ににかかわろうと、大金にかかわろうと、彼にはどうでもいいんですね。そういう生き方のスタイルみたいなものが身についていて、そこがすごくダンディな印象になっています。
オープニング・ナイト(ジョン・カサヴェテス監督 1977)
この映画は不思議な映画で、劇中劇というのか、映画の舞台は劇場で、その舞台の上で演じられる劇がかなりえんえんと映しだされていきます。
そして、その劇中劇の主役をつとめるのが、この映画の主役でもある女性、カサヴェテス監督の奥さんである名優ジーナ・ローランズです。劇中劇の進行とこの映画のストーリーであるその女優の振る舞いが引き起こす事態の進行が絡み合って、テンションの高い女性の生き方のドラマをつくり上げています。
ジーナ・ローランズの相手役をつとめるのが、「チャイニーズ・ブッキーを殺したた男」のベン・ギャザラで、これも名優なんで、二人が絡んですばらしい味のあるドラマを生み出しています。
ベン・ギャザラが演じているのは劇中劇の演出家で、調教師よろしく主役の女優をコントロールして最高の演技を引き出そうとしているのですが、女優は自ら考える女優で、自分が加齢によってもう若いときのような演技ができないことを百も承知しているけれども、他方では、単純に老いていく女の悲しみや焦慮を表現するなんてことを自分に許すことができない。だいたい、自分はまだそんな役をするほど老けてはいない。だけどもう若くはない。だからそのハザマで、なにか別の表現が模索できるはずだ、と考えているらしいのです。
だから脚本や演出家の演出指導を勝手に舞台で変更してしまったりして、演出家とぶつかることにもなります。
そういう下地のあるところへ、開演の日の夜に或る事件が起きます。それは、彼女が待ちかねの観客をおしわけて車に乗って劇場を去っていくとき、彼女のファンだと言って異常にしつこく彼女につきまとっていた17歳の少女が、雨の中、彼女の車が出た直後に、ふらふらと街路に踏み出して後続の別の車に轢かれて死んでしまうのです。
この少女の霊がこの女優が自ら作り出した若き日の自分、第二の女として、彼女にとって実在しはじめます。彼女が自室にいると現れ、彼女と会話しはじめるのです。
この女優の陥っている状態というのは、やはり女性として自分が歳をとっていくこと、それゆえ若い女性だったころのように何も考えずに演じていけばよいというわけにはいかない。けれども、他方で歳をとった女性の役を与えられて、その女性が若き日を懐かしんで今の自分を嘆き、加齢を焦慮するというような演技をすることには激しい拒否反応がある。そんなに自分は歳老いているわけじゃないし、そういう老い方だけが女性が歳をとっていく、ということではないはずじゃないか、という気持ちもあるでしょう。いずれにせよいまの自分がそういうありきたりの人生の黄昏を感じている女性なんてものを演じたくはない。・・・・そういうディレンマでしょう。実際の自分は歳をとっていくことを実感している。けれどもそれはただ歳をとり、老いて若き日を羨望し、回顧し、焦慮に身を焼くということではないはずだ、と。
それは彼女の生身の人間としての生き方の問題であると同時に、「最高の女性」と称賛されるほどの女優としての彼の生き方、演じ方の根幹にかかわる問題なので、彼女は二重に苦しんでその解決の方途を求めているわけです。それが周囲にはなかなか理解されないから、彼女のとる行動が周囲の意表をつき、ときに周囲を困らせることにもなります。
ニューヨークでの初日を控えて彼女は直前に消えてしまいます。初日には間に合うように戻ってくる、と言い残して。そして、幕開きの時刻になって戻ってきた彼女は立つこともできなほどの泥酔状態でした。それを演出家はきびしく一人で立たせ、舞台へ送り出します。どうなることかとスタッフら周囲が気をもむ中、舞台上の彼女はみごとに創造性に満ちた演技を実現して、幕が下りると観客のブラボーの声が劇場中に響き渡ります。
演出家にくってかかり、悩み、苛立ち、また舞台でみごとに演じる女優を、また見事に演じているジーナ・ローランズの演技がこの作品の大黒柱。「こわれゆく女」同様、この作品での彼女の比重は通常の主役級などをはるかに超えて重いものになっています。むしろ彼女の二重の演技を見るための作品というほうがいいでしょう。
ピーター・フォークのビッグトラブル(ジョン・カサヴェテス監督 1986)
これは喜劇ですが、あんまり面白おかしくはないですね(笑)。ピーター・フォークは彼らしい破天荒な人物を演じて味を出していますが、ほかのもうちょっと「ふつう」のキャストとのバランスとか、あんまりよくないです。
保険会社の営業マンの若い男が、ピーター・フォーク演じる詐欺師とそのセクシーな妻にひっかかって、妻が重篤な病気で余命わずかな夫を列車から落として殺すことで保険金を詐取しようという計画に乗っかって「実行」するけれども、保険会社の上司が疑って調べにきて、死体が死体管理所の男も含めて詐欺グループによるニセモノとバレて、仕方なく上司を拘束し、保険会社の社長の豪邸に泥棒にはいるも見つかり、今度は会社の地下金庫から盗もうと忍び入ったところ、ほんものの強盗団が爆薬を使って金庫を強奪しようと地下を掘ってきたところに出くわし、てんやわんやの末強盗団を警察がつかまえる手助けをした結果になって、表彰され、報奨金までもらう、というような荒唐無稽な話で、それはそれでいいのだけれど、どうも話を複雑にしすぎたせいか、展開がモタモタしていて、登場人物一人一人にもそのしぐさや語りを見て聴いているだけで笑えるような資質がなく、互いの掛け合いもうまくないので、喜劇としては失敗しているな、と思わざるを得ませんでした。
カサヴェテス監督もこんなのを作っていたんだな、なぜこんな喜劇を?と、そちらの方がさぐってみたら面白そうだな、と思いました。
saysei at 00:47|Permalink│Comments(0)│
2018年07月24日
祇園祭 後祭 巡行 2018
①橋弁慶山。
今年の後祭(あとのまつり)の巡行の先頭は蛸薬師通室町東入ル橋弁慶町の山。
17日の前祭(さきのまつり)の巡行の日と同様の快晴・猛暑。そもそも祇園祭というのが、夏の疫病流行を抑え、それを流行らせる怨霊を鎮めるためのものだったようですから、こういう猛暑日に行われるにふさわしい行事かもしれません。
受け売りの知識に過ぎませんが、祇園祭の行事というのは七月に入ると毎日行われているほどたくさんの行事があるそうで、所功さんの『京都の三大祭』の祇園祭の項に挙げられたその項目は31項目にのぼっています
しかし八坂神社の神事としての祭の中心は17日の神幸祭(しんこうさい)と24日の還幸祭(かんこうさい)で、山鉾巡行はこれに合わせて行われているわけです。きょう行われた後祭の巡行は、交通事情や人手不足から、昭和41年に後祭の山を前祭の巡行に続けて出す形で一本化していました。それが平成26年から再び24日巡行することになって、きょう10基の山の巡行を見ることができたわです。
順路は前祭の巡行と逆で、烏丸御池から御池通を東行し、河原町御池で辻回し、河原町通りを南行して、また四条通りでターンして西行し、烏丸通りまで。9時半スタートで11時20分に終着点へ、という予定だったようです。私は河原町御池の東北角で9時半から見て、しんがりの大船鉾を見送ったのが11時だったと思います。
橋弁慶山は、謡曲「橋弁慶」に因る山で、牛若丸と弁慶が五条大橋で戦う姿を象っています。田中緑紅さんの『京 祇園会の話』(昭和33年)によれば、橋弁慶の人形は仏師康雲作で永禄6年の銘があり、牛若丸は下駄の歯の下に橋の欄干の擬宝珠を突き抜いた差鉄一本で支えられていて、これに天文6年(1533)右近信国と彫ってあるのだそうです。
前懸は富岡鉄斎の原画「椿石図」。
胴懸は円山応挙下絵とされる「加茂祭礼行列図」の綴錦だそうです。
②北観音山。
二番手は「上り観音山」とも呼ばれる、新町通六角下がる六角町の「北観音山」です。観音山は二つあり、この山をつくるとき、下野国二荒山より観音像を二体送ってきたので、下の町の人々と相談して一体ずつを祀って観音山とし、祇園会に参加して隔年に出すことにしたのがはじまりだそうです(田中緑紅『京 祇園会の話』より。以下、山についての歴史的な情報は、とくに注記しない限り、同書と今年出された京都市産業観光局観光MICE推進室を事務局とする祇園祭宵山会議発行の「宵山・巡行ガイド」の記述にもとづきます。)
また松の真木の枝には尾長鳥を飾っています。祇園祭の鉾や山に立てる松の真木は、もともと神霊の憑代なので、これを立てて町々を巡行することで厄災をもたらす怨霊の類をここへ降ろし鎮める、避雷針みたいな役割のものだったのでしょう。
北観音山は、楊柳観音像と脇士の韋駄天像を祀り、巡行時には見送(うしろ)の横から大きな柳の枝を差し出しています。楊柳観音は三十三観音の第一で右手に柳枝を持ち、「この菩薩の慈悲深くして衆生の欲望を満足せしむる事、楊柳の春風に靡くが如くなるを示す」と言われているそうです。この像は恵心僧都の作だったが、大火で焼失し、いまのは洛陽大仏師法橋定春作の墨書があるとのころです。
③黒主山。
三番目は室町通三条下ル烏帽子屋町の黒主山です。
謡曲「志賀」を題材にした山で、六歌仙の一人、大伴黒主が桜の花を眺める姿をあらわしています。
古今集の仮名序で大伴黒主はこんな風に紹介されています。
「大伴黒主は、そのさまいやし。いはば、薪おへる山人の花のかげにやすめるがごとし。」
真名序にあった「古の猿丸太夫が次なり」「頗る逸興(おもしろ味)あれども」という言葉が脱落したらしいけれど、それにしても上から目線(笑)。「いやし」は真名序では「躰甚鄙」とあって、「田舎めいて、低い」意だそうです(窪田章一郎の古今集校注によれば)。
仮名序に引かれた 黒主の歌;
思ひ出でて 恋しき時ははつかりの なきてわたると 人はしらずや
鏡山 いざ立ちよりて見てゆかむ としへぬる身は 老いやしぬると
田中緑紅によれば、もとはこの紀貫之の評した姿のごとく、樵夫の姿でつま木一荷を傍に置いて花を眺める姿を象ったものだったそうですが、のちに立派な羅綾を飾ってなんびとの像かわからなくなってしまったのだそうです。なお、この人形には寛政元年(1789)の銘があるそうです。
胴懸は唐織綴錦洲崎地、赤桃色、白浅黄などのぼかし、その上に色とりどりの草花に蝶が舞う夢のような光景が描かれています。
④鯉山
4つめは室町通六角下ルから出た鯉山。緑紅さんによれば白孔六帖に「異国竜門鯉登り化して竜と成登らざるものは額点し腮をささず」とあるその竜門へ登ろうとする鯉で、左甚五郎作と伝わるとか。
そういえば私たちも昔漢文で「登竜門」という言葉の由来を習ったことがありました。懐かしくていまそのときの教科書(塩谷・松井編「精選漢文讀本 巻二」開隆堂、昭和35年3版)を開いてみると、やっぱりありました!(笑)私が中学高校時代の教科書で今も唯一手元に残している教科書です。
河津一名龍門、水險不通。魚鱉之屬、莫能上。江海大魚、薄集龍門下數千、不得上。上則爲龍也。
(三秦記)
手元の教科書には、返り点と感嘆な註かついているので、読み下せそうです。
河津(黄河上流の峡谷)は一名龍門、水險にして通ぜず。魚鱉(べつ=すっぽん)の屬、能く上る莫し。江海の大魚、龍門の下に薄集すること數千、上るを得ず。上れば則ち龍と爲る也。
河津は一名を龍門という。渓谷は険しく流れが通じず、魚、すっぽんの類は上っていくことができない。川や海の魚たちが龍門の下に迫り數千匹も集まってくるが、上ることができない。だがここを上ればたちどころに龍となるのだ。・・・って感じでしょうか。
三秦記というのは晋代頃の地理誌だそうで、晋は三国史の時代のすぐあとくらいでしょうから、機嫌世紀後半くらいの話ですか。そのころから登竜門なんて言葉があったんですね。いや閑話休題。
鯉が波の上に踊っていますね。登鯉の姿を象ったものです。
前懸は花鳥牛馬風景を描くゴブラン織。その左右上部には草花果物の刺繍があります。
胴懸もゴブラン織ですが、図柄は見送と同じかな・・。
鯉山の見送。「イーリアス」に記されたトロイ戦争を描く16世紀ベルギーのゴブラン織。重要文化財だそうです。
⑤鈴鹿山。
5番目は烏丸通三条上ル場之町の鈴鹿山です。伊勢国鈴鹿山で道行く人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫命)の伝説を題材にした山。伊勢に父母の親戚がみな住んでいたので、鈴鹿山はよく車で越えましたが、険しい山道で、これを夜になって歩いて越えれば山賊くらいは出るわなぁ、とおもえるような峠でした。
瀬津姫命は女人の姿で、金の烏帽子をかぶり、能面をつけ、腰に錺(かざり)太刀、手に大長刀と中啓(儀式用の扇)を持っています。松の真木には、杉戸鳥居の裏に宝珠を描いた小絵馬が吊るしてあります。
前懸にラクダの絵というのも面白いですね。
⑥南観音山。
6番目は新町通蛸薬師下ル百足屋町から出る南観音山。北観音山と対で「下り観音山」とも呼ばれ、やはり楊柳観音像と、ここは脇士に善財童子像を祀っています。
河原町御池の交差点の中心へ山を入れてターンする前に、これは籤あらため、ってやつでしょうか、交差点の中央東側に置い机の前で待っている方のところへ行列を先導していた町内の代表者らしい方がうやうやしく書付を手渡しておられました。
柳枝 白鳩
巡行時は諸病を防ぐといわれる柳の大枝を挿し、山の四隅には菊竹梅蘭(四君子)の木彫薬玉をつけています。また真松の枝には白鳩がとまっています。よほど注意しなきゃそんなの見えません(笑)
水引は土佐光孚の下絵で舞楽図の刺繍、とても綺麗です。
南観音山の見送は加山又造下絵の「龍王渡海図」だそうです。ちょっとユーモラスな感じの竜王の表情ですね。
⑦役行者山。
7番目は室町通三条上ル役行者町から出る役行者山(えんのぎょうじゃやま)です。
修験道の開祖、役行者が一言主神(ひとことぬしのかみ)を使って葛城山と大峯山の間に石橋をかけたという伝説を題材にした山だそうです。もう少し詳しい緑紅さんの解説では「(役行者が)大峰葛城山の入口に石橋を架けさせんと一言主命に石を運べと命じましたが、一言主命は体つきが醜いので夜運びたいと云いましたのを、行者は呪しましてこの神を幽したと云う物語を山にしたと云い・・・」とされています。
「日本霊異記」の上巻第28 には、役の優婆塞(えのうばそく)という役行者らしい人が修行して孔雀王の咒法を修め、諸々の鬼神を促して「ヤマトの国の金の峯と葛木の峯とに橋を通はせ」と言う。そこで神々は困って文武天皇の御代に、葛城の峯の一言主大神が、「役の優婆塞が謀をして天皇を滅ぼうとしている」と讒言した。・・・そんな記事があり、この行者は母を人質にとられて捕縛されるのですが、のち恩赦を受け、不思議な力を見せ、仙人となって姿を消します。その前に記事のラスト近くで、この役行者を讒言した一言主大神が役の優婆塞に呪縛され、その呪縛は日本霊異記が書かれている「今の世になっても解けない」ほど強いものだったと記されています。(中田祝夫校注・訳『日本霊異記』小学館日本古典文学全集を参考にしました。)
能の「葛城」でも、この石橋を渡せと役行者に依頼されたものの、それができなくて、行者の法力により蔦葛で縛られて苦しむ女人の姿をした葛城の神が登場します。
役行者山の前を、役行者らしき方と法螺貝を伏く山伏姿の僧が行きます。法螺貝の音が響き渡ります。
京都市のパンフレットによれば「役行者を中心に、向かって右に葛城神、左に一言主神の三体を祀る」とありますが、この赤熊(しゃぐま)で斧を振りかぶっているのが一言主神なんでしょうかね。緑紅さんの解説では「正面の山は洞になって中に役行者が角帽子袈裟をかけ錫杖を持っています。葛城神は女体にしてあります。手に法輪と末広を持っています。前鬼は赤熊を冠り手に斧を持ちます。行者は能く鬼人を使役したと云いますのでこの鬼を置いたものでしょう」となっています。
一言主というのは、古事記では雄略天皇が葛城山に登った時に出逢う神です。天皇が供の者たちと共に登っていくと、向かいの山の尾根から上に登る人があった。その装いも人々の様子も、天皇の行列とよくよく似ている。そこで天皇は、このヤマトの国にわたしを措いて君主たるものは無いはずなのに、いまこうして全く同じような行列をなして行くそなたは何者なのか、と問わしめたところ、答え申すようすが、まるで天皇の命ずるがごとくであったため、天皇はひどくお怒りになって矢をつがえ、御供の者たちもみな矢をつがえた。そうすると向こうもみな矢をつがえる様子である。そこで天皇がまた問いかけた。「名を名告られよ。私も名告って矢を射かけよう。」すると答えて言うには、「私がまず訊かれたのだから、私から名告ろう。私は凶事も一言、吉事も一言で決め言い放つ神、葛城の一言主の大神だ」と名告られた。天皇は畏れ謹んで申された。「おそろしやわが大神、現実のお姿があろうとは思いませんでした」。そうして自分の太刀や弓矢、御供の者の着る衣服まで脱がせて、拝んだ。そこで一言主の大神は手を打ってそれらの捧げものを受けられた。(武田祐吉訳注『古事記』角川文庫を参考にしました。)
ここでは一言主は天皇を恐れ入らせることのできる、吉凶を一言で定める神としての威厳を保っています。
ところが先に書いたように、日本霊異記では役優婆塞を天皇に讒言したり、あまり根性の良くない神様のようで(笑)逆に役優婆塞の法力で呪縛されてしまうという、ちょっと情けない神さんになっています。
この見送は緑紅さんのいう「天和頃の製にかかる紅地唐美人のもの」でしょうかね。ほかに朝鮮軍旗を合わせたものがあるそうですが、あきらかにそれではないし。でも緑紅さんのころからだいぶ時間がたっていて、これらの装飾品も新調されたり、変わったりしているから確かなことは知りません。
⑧浄妙山。
8番目は六角通烏丸西入ル骨屋町から出るこの山。平家物語の宇治川の合戦を題材にした山だそうです。御神体は、一来法師が「悪しう候、浄妙坊」と声をかけて筒井浄妙の頭上を飛び越え、先陣に出る瞬間をあらわしたもの。
源頼政が宇治川を隔てて平家軍と対峙したとき、味方の三井寺の僧兵の一人、筒井浄妙が平家の矢をものともせずに宇治橋の橋桁を東に進み、長刀を打ち振って戦っていました。橋幅が狭くて彼が中央に頑張っていると、後ろの兵は前に進めない。味方の一人、先頭に出て功名をと逸る一來法師が、業を煮やして、「悪いな、すまん!」と浄妙の頭上を飛び越えて先頭を切ったので、敵味方なくその武勇を讃えたという平家物語の一節。そんなシーンを切り取って山の人形に表現するなんて、ほんとに奇抜だし面白いですね。
⑨八幡山。
9番目は新町通三条下ル三条町から出るこの山。町内に祀られている八幡宮を山上に勧請した山です。社殿は天明年間制作といわれ、高さ1メートルの総金箔。蔵で保存され、巡行日のみ山上に飾られるのだそうです。鳥居には八幡さんのシンボルである鳩2羽が向き合っています。
行列を見ていた時は気づかなかったけれど、確かに鳥居の上に鳩が2羽向き合ってとまっていますね(笑)。
この鳩は左甚五郎の作だと言われているとか、社殿の中の神像は運慶作と言われているとか、みな「伝」ですから、あてにはなりませんが(笑)・・・
八幡山の胴懸。
八幡山の見送。緑紅さんによればこの蝦夷錦の縹地雲竜文、宝暦年間の作だそうです。
➉大船鉾。
いよいよ後祭のしんがりをつとめる大船鉾。新町通四条下ル四条町から出る山。前祭の船鉾(新町通綾小路ゲる船鉾町)が出陣船鉾と称されるのに対して、凱旋船鉾と称されるとのこと。「蛤御門の変で大部分を焼失し居祭を続けていたが、平成26年、約150年ぶりの復興を果たした」(市のパンフレット)のだそうです。まだ完成形ではないらしく、今後さらに漆喰や錺(かざり)金具など加飾の復原などが予定されているそうです。
舳先は船鉾の鷁とは違って龍ですね。
細部の装飾が綺麗。
辻回しも今年見るのはこれが最後。来年もまた見られるくらい元気だといいな・・
囃子方の皆さんもこの暑さの中、大変だったでしょうね。
おしりのところもなかなか色合いがいい。
舵のあたり。
もう一度雄姿を。
大船鉾を見送って、余韻あるラストシーン。今日も猛暑の中、大変な人出でした。今年残念だったのは後祭の一つの目玉でもあった花傘巡行が猛暑のせいで中止されたことでした。たしか子供さんも参加されるし、熱中症が多発して全国ではもう十数人が亡くなっておられるそうですから、やむを得ないし、勇気ある決断だったと思います。来年、ますます地球温暖化で気温が上がったりしなければいいけれど・・・。
長々と書いてきましたが、日記で自分のおぼえとして書いているようなものなので、ご容赦を!
saysei at 23:06|Permalink│Comments(0)│
2018年07月23日
山本周五郎『青べか物語』
先日このblogに感想を書いた篠原徹の『民俗学断章』の中で、篠原が昔から大好きでよく話題にしていた深沢七郎と、もうひとり山本周五郎の描く庶民のありようを、彼が従来の民俗学者たちの描く常民像を厳しく排して、彼自身が思い描く理想の民俗学が到達しようとして到達できないゴールに在るものの姿のように思い描いて「土俗」と彼が呼んでいたことから、彼が引用した山本周五郎の短編連作『青べか物語』の「対話(砂について)」と「経済原理」を読んでみたくなって、これらと幾篇かを読んでみました。
話の発端になる不格好な舟を買う「「青べか」を買った話」には、さっそく、語り手のインテリ「蒸気河岸の先生」が、子供でさえどうしようもないと嘲るようなボロ舟を、ちょっとしたやりとりの中で見事に「罠にかかって」買わされるはめになる、食えない爺さんが登場します。読みながら、あぁこれこれ、こういう爺さんのことを篠原はよく話していたなぁ、と思い出しました。そのうちの一人のことを伊谷先生が亡くなられたときに私が書いた文章の中で触れています。
話の発端になる不格好な舟を買う「「青べか」を買った話」には、さっそく、語り手のインテリ「蒸気河岸の先生」が、子供でさえどうしようもないと嘲るようなボロ舟を、ちょっとしたやりとりの中で見事に「罠にかかって」買わされるはめになる、食えない爺さんが登場します。読みながら、あぁこれこれ、こういう爺さんのことを篠原はよく話していたなぁ、と思い出しました。そのうちの一人のことを伊谷先生が亡くなられたときに私が書いた文章の中で触れています。
Sがかねてから懇意にしている土地の古老は,なかなか食えぬ爺さまで,過去に沢山の研究者が調査と称して現地入りするのにつきあい,何食わぬ顔で案内などしているが,ほんとうは,なまじっかな学者よりはるかに物知りで,講釈をたれる学者を逆に観察し,独特の尺度で評価している。
その爺さまが,伊谷先生と一緒に歩いたあとで,「わしもこれまで数え切れんほどの博士(これを彼は「バカセ」と濁って発音していた由)を見てきたが,あれほどエライ博士は初めてだ」とSに漏らしていたそうだ。
こういう食えない爺様は知識を詰め込んだだけの学者先生では手も足も出ない。青べか物語に登場する「浦粕町」の住人たちは老人から子供まで、まさにこういう「土俗」の民なのです。そして何かにつけて彼らの相談に乗ってやっているはずの「蒸気河岸の先生」はいつも彼らに見事にしてやられ、そのことを楽しんでここに居を構えているのです。
村の子供たちが鮒をとっているのを見て、つい売ってくれぬかと申し出たために、彼らがどんどん欲望をエスカレートさせて「蒸気河岸の先生」のふところが空っぽになるまで、あの手この手で鮒の値をつりあげて買わせながら、ついにどう懐をはたいても買えなくなったとみるや、子供たちが当初の子供たちにもどって、鮒をただで置いていくという「経済原理」もまことに見事な佳品ですが、読んでさらに面白かったのは「対話(砂について)」でした。
これは富なあこ、倉なあこ、という浦粕の二人が沖へ魚を踏みに来てかわす会話だけで成立している物語なのですが、その掛け合いがめちゃくちゃ面白い。中身は砂というものは生きていて徐々に川を遡ってついには大岩にまでなっていくんだ、という無茶苦茶な話で、無知このうえない二人が大真面目にそういうそんな話をするというだけなのですが、その大真面目な議論を聞いているとまさに抱腹絶倒なのです。こんな荒唐無稽な話を大真面目な富なあこがどうもっともらしい彼一流の擬似科学的描写でもって語るか、そして倉なあこのほうも、それをはじめは半信半疑で聴きながら相槌を打っていくうちにノッてきて、それがまた富なあこの語りを煽っていくような掛け合いの面白さ!
たしかにこれはインテリが庶民を見下ろす「上から目線」でとらえられた庶民の姿ではありません。篠原が『民俗学断章』で吉本隆明の初期の詩を引用して言うような、「生まれ、婚姻し、子を生み、育て、老いた無数の人たち」の「生きる方法」を<同じ地平から見る>目がとらえた庶民の姿でしょう。
ただ、「同じ地平」というのは上からでも下からでもないという意味であって、決して「蒸気河岸の先生」がこの富なあこや倉なあこになれるわけではありません。そこには篠原自身が言うように「他者理解は最終的には不可能」であり、せいぜい、ただ「限りなく漸近線的に近づく方法はないものだろうか」と模索することができるだけなのでしょう。
ただ、私はそのような到達不可能な距離の向こうに描かれるゴールに立つ「土俗」もまた、篠原らしい民俗幻想ではないか、と先日の感想で書きました。篠原自身も、その「土俗」が山本周五郎や深沢七郎の小説、あるいは会田綱雄の詩「伝説」には確かにとらえられていると直観していて、ただそれはこうした詩的想像力によってしかとらえられないものではないかと自問していたのです。
たしかに「漸近線的に近づく」ほかはないようなものであれば、決して到達することはないわけです。ゼノンのアキレスと亀ではないけれど、漸近線というのはそういうものでしょうから。
けれども、彼のいう「土俗」と「蒸気河岸の先生」のような存在のとの関係を、距離で考えずに、そこに捩れがあり、転倒があると考えれば、宇宙空間を折りたたんでワープするようなことが或いは可能ではないか。
私たちはいつもこんなことを考えるとき、最善の場合でも、「蒸気河岸の先生」のような視線で「土俗」をとらえようとしています。あくまでもこちら側を中心に。でも「土俗」の側から見れば、こちら側のよって立つ土台そのものがすでに転倒したものでしかないでしょう。従って「蒸気河岸の先生」が見ている「土俗」はすでに逆立ちした「土俗」の虚像にほかならず、いくら漸近線的に近づこうと、じかにとらえることのできないものではないか。
たぶんこれは観測そのものが対象の在り方に干渉する素粒子の世界のように観測の在り方そのものの構造を明らかにすることと対象をとらえることとが同時並行的に行われていかないと解決しない問題ではないか、という気がします。
村の子供たちが鮒をとっているのを見て、つい売ってくれぬかと申し出たために、彼らがどんどん欲望をエスカレートさせて「蒸気河岸の先生」のふところが空っぽになるまで、あの手この手で鮒の値をつりあげて買わせながら、ついにどう懐をはたいても買えなくなったとみるや、子供たちが当初の子供たちにもどって、鮒をただで置いていくという「経済原理」もまことに見事な佳品ですが、読んでさらに面白かったのは「対話(砂について)」でした。
これは富なあこ、倉なあこ、という浦粕の二人が沖へ魚を踏みに来てかわす会話だけで成立している物語なのですが、その掛け合いがめちゃくちゃ面白い。中身は砂というものは生きていて徐々に川を遡ってついには大岩にまでなっていくんだ、という無茶苦茶な話で、無知このうえない二人が大真面目にそういうそんな話をするというだけなのですが、その大真面目な議論を聞いているとまさに抱腹絶倒なのです。こんな荒唐無稽な話を大真面目な富なあこがどうもっともらしい彼一流の擬似科学的描写でもって語るか、そして倉なあこのほうも、それをはじめは半信半疑で聴きながら相槌を打っていくうちにノッてきて、それがまた富なあこの語りを煽っていくような掛け合いの面白さ!
たしかにこれはインテリが庶民を見下ろす「上から目線」でとらえられた庶民の姿ではありません。篠原が『民俗学断章』で吉本隆明の初期の詩を引用して言うような、「生まれ、婚姻し、子を生み、育て、老いた無数の人たち」の「生きる方法」を<同じ地平から見る>目がとらえた庶民の姿でしょう。
ただ、「同じ地平」というのは上からでも下からでもないという意味であって、決して「蒸気河岸の先生」がこの富なあこや倉なあこになれるわけではありません。そこには篠原自身が言うように「他者理解は最終的には不可能」であり、せいぜい、ただ「限りなく漸近線的に近づく方法はないものだろうか」と模索することができるだけなのでしょう。
ただ、私はそのような到達不可能な距離の向こうに描かれるゴールに立つ「土俗」もまた、篠原らしい民俗幻想ではないか、と先日の感想で書きました。篠原自身も、その「土俗」が山本周五郎や深沢七郎の小説、あるいは会田綱雄の詩「伝説」には確かにとらえられていると直観していて、ただそれはこうした詩的想像力によってしかとらえられないものではないかと自問していたのです。
たしかに「漸近線的に近づく」ほかはないようなものであれば、決して到達することはないわけです。ゼノンのアキレスと亀ではないけれど、漸近線というのはそういうものでしょうから。
けれども、彼のいう「土俗」と「蒸気河岸の先生」のような存在のとの関係を、距離で考えずに、そこに捩れがあり、転倒があると考えれば、宇宙空間を折りたたんでワープするようなことが或いは可能ではないか。
私たちはいつもこんなことを考えるとき、最善の場合でも、「蒸気河岸の先生」のような視線で「土俗」をとらえようとしています。あくまでもこちら側を中心に。でも「土俗」の側から見れば、こちら側のよって立つ土台そのものがすでに転倒したものでしかないでしょう。従って「蒸気河岸の先生」が見ている「土俗」はすでに逆立ちした「土俗」の虚像にほかならず、いくら漸近線的に近づこうと、じかにとらえることのできないものではないか。
たぶんこれは観測そのものが対象の在り方に干渉する素粒子の世界のように観測の在り方そのものの構造を明らかにすることと対象をとらえることとが同時並行的に行われていかないと解決しない問題ではないか、という気がします。
saysei at 21:20|Permalink│Comments(0)│