2017年11月
2017年11月29日
「哲学の道」の紅葉 2017-11-28
京都の紅葉は、いまが盛りなのだそうです。今年は紅葉が1週間ほど早いと言われていたので、もうとっくに終わっていたと勘違いしていましたら、ラジオでいまがピークとか。もちろん場所によってかなり違うとは思いますので、来られてがっかりされないよう、ピンポイントで情報を探してみられるとよいと思います。
私は昨日、素晴らしい快晴でしたので、午後になって銀閣寺道から、いわゆる「哲学の道」を歩いて若王子神社まで散歩して帰ってきました。
すでに落葉の季節に入っていることは確かですが、ポイントポイントの紅葉は素晴らしいものがありました。ここは疎水(分水路)べりに設けられた緩やかにカーブしながら続く散策路がとてもよくて、その水路を隔てて橋でわたる対岸には名の知られた店が味わいのある和風建築による店舗をつくったり、逆に西側の歩道側には若者やカジュアルな格好をして観光ツアーを楽しむ外人向きのカフェや小物を売る店などもできて、なかなか魅力的なコースになっています。
紅葉が水面に映えて、そういうポイントではみんな橋の上や、水路の畔から身を乗り出すようにしてカメラやスマホで写真を撮っています。
私のゴールは「哲学の道」のほぼ終点にあたるところをちょっと西へ入ったところにある若王子神社ですが、実は本当のお目当てはその門前脇にある、荒尾精という人の碑です。
いまどきこんな人を知っている人は後期高齢者の一部を除いてほとんどいないでしょうが、戦争中に上海にあった東亜同文書院という学校のもとになる組織をつくった軍人です。安政6年に尾張藩士の長男としていまの名古屋市西区に生まれたそうで、陸軍士官学校を経て明治18年に参謀本部支那部付となって翌年大陸(当時は「清」ですが)に渡り、漢口に楽善堂支店という表では書物と薬を売るビジネスをして、裏では中国の実情万般について広範囲の調査を行って陸軍調査本部に送るという、インテリジェンス(スパイ)の活動をしていた人です。
彼は列強と対抗するためには、日本とともに中国も強国となる必要があり、これを日中の貿易を通して当時の中国を改造して共存共栄を図る、というふうな、いわゆる興亜(アジア主義)の思想で、それまで日本の企業が中国で商売をしてもことごとく失敗していたのは、まったく中国の実情に疎いまま日本の慣行を押し通すようなやり方をしてきたからなので、中国の実情に精通することがまず何より重要だ、というわけで、1890年、日清貿易研究所を上海に創立して、日本の若者150人を入学させ、中国語から地理、交通、財政、政治、商業等々を教え、楽善堂の経験と調査の成果を学生たちにインプットしていきます。
こういう思想と人脈がのちの東亜同文書院に継承され、彼はその基礎を築いた人とされているわけです。いまあらためて彼の思想を考えるとき面白いのは、日清戦争に勝った日本は、日本史で習ったように、戦後、下関条約によって遼東半島・台湾島を割譲させ、膨大な賠償金(当時の日本円で約3億1000万円)を分捕ることになるのですが、荒尾はこれに反対し、「対清意見」「対清弁妄」などを書いて、中国との提携による興亜の主張を貫いている点です。これは第一次大戦後の講話会議で敗戦国ドイツへの過大な制裁(巨額の賠償金や領土割譲)に反対して席を蹴って帰国したケインズを連想しました。
荒尾が危惧したとおり、清国の弱体ぶりが白日のもとにさらされて、以後、列強の帝国主義的な侵略が露骨になっていきますし、ケインズの危惧したとおり、ドイツは巨額の賠償に苦しみ、疲弊し鬱屈したその社会状況がのちのファシズムの勃興へとつながっていきます。
なんでこんな一軍人の碑などを見にいったかと言いますと、実は私の亡き両親が、上海で私が生まれたときに、この人の名に因んで命名したらしいのです。それで、父の本棚には『巨人荒尾精』という明治43年に神田の左久房書房というところから発行された井上雅二という人の書いた伝記本がありました。父もこれを古書で入手したものとみえ、見返しに「書籍文物流通會」というところのラベルが貼られていて、価格の欄に150円と書いてありますから戦後に入れたのでしょう。
実は亡父は東亜同文書院の36期生で、家が貧しい農家の次男坊だったので、上の学校へ行くには奨学金をもらうしかなく、東亜同文書院の経済分野のほうならそれが出るというので、応募して国費と県費の両方で奨学金をもらって上海の同校で学んだのです。当時の奨学金はとても多額だったようで、一部を家に逆に仕送りしていたそうです。それでも大陸ではいい青春時代を過ごしたようで、戦後も長い間、年末には定期的に柔道部の同期生とスキヤキ鍋など囲んで思い出話で盛り上がっていたのを子供心に私も記憶しています。会社勤めを終えた老後の時間を市民への中国語教室の講師をつとめたり、日中友好協会の支部の会長を引き受けたりして市民や企業の関係者を中国へ連れて行ったり、居住した都市と中国の都市との友好都市提携に尽力して実現したり、というようなことをしていたのも、若い頃に過ごした中国の経験が彼個人にとっては楽しい充実したものだったからでしょう。
年取って中国を訪れたとき、上海の自宅で日本語やその他のことを教えて可愛がっていたという中国人の少年たちのうち何人かがホテルまで訪ねてきてくれて、涙の再会を果たしていました。日本は軍国主義で中国を侵略してずいぶんひどいことをしたことは明らかだし、東亜同文書院もスパイ学校だといまでは言われたりもして確かにそういう位置づけの学校だったのでしょうが、そういう世界で生きてきた一人の個人の生き方や思い、身近な人々とのかかわり方というのは、そういう大上段な裁断ですべてが語れるわけではありません。
碑は大正5年に霞山会が建立したようで、いまは苔生して文字も容易には読めませんが、どこかにきっと拓本がとられるなり、印刷したペーパーがあるんじゃないかな、と思うので、いつか探してみたいと思っています。
ついでに少し調べていたら、同文書院の学生が卒業時に中国大陸を旅行して色んな調査をして報告書をつくるのが慣例でしたが、その報告書も出版されていました。アマゾンでいくつか出ていて、新刊本はオーダーメイドのようで、36期のを注文して、親父もたぶん参加して書かれたその報告を読んでみたいと思っています。
この碑のすぐそばにある立派なお宅が、荒尾精のかつて住んだことのある家の址らしくて、東方斎居址の文字を刻んだ石が門の脇に立っていました。
蔵もある素晴らしいおうちで、いまはどなたが住んでいらっしゃるのかな、と思いながら門前を通っていきました。
この前を通って山道を20分ほどあがると、同志社の創立者新島襄とテレビドラマで先ごろ全国に知られた奥さんのお墓があります。肺の問題でかなりしんどかったけれど、頑張ってゆっくりあがりました。
お墓はシンプルなもので好感がもてました。近くにはクリスチャンのお墓が多かったようです。
こんな高台にあっては、高齢者は墓参もままならないなぁ、とは思いましたが。
帰りは午後4時を過ぎていましたが、叶匠寿庵で一服しました。抹茶がおいしかった。
2017年11月11日
2人のOG來京
きょうはOG二人が京都へ来てくれて、3人で会食。楽しいひとときを過ごしました。
場所は高倉御池の串焼きの「くし蔵」。パートナーが推薦してあらかじめ知らせておいた幾つかの店の中から、彼女たちが食事の好みや価格や彼女たちの懐具合(笑)を勘案して選んで予約を入れてくれたのがこの店でした。
最近は私もこういう手続きが億劫になってしまって、昔のように全部こちらでセットしてお客様のように学生さんを迎える、ということができなくて、全部OGに任せて、店の選択から予約までやってもらって、こちらがお客さんのような顔をして出かける(笑)。もう卒業したら対等ね、と勝手にさせてもらっているようなわけです。
今回の店は、町家風の建築を活かした雰囲気のあるお店で、パートナーのおすすめ。私は信用が無いけれど、「奥さんの推薦ならやっぱり間違いないわ」とOG。
おいしくて、リーゾナブルな価格で、ボリュームもあって、落ち着けて、こういうことにそう辛口でない私としては言うことなしでした。
いまの私のひどい歯の状態でも、鶏の串焼きも柔らかくて全部食べられたし、いろいろ工夫があって、鶏だけじゃなく、多様な味が味わえました。OG二人も気に入ってくれたようで、良かった。
躙り口(にじりぐち)というのでしょうね、お茶室の入り口をわざとにじるようにしてしか入れなくして、外の世界でどんな権力者でもアタマを低くし、身を縮めて入室しなくてはならないようにしつらえられています。中へ入ればただの人、対等ですよ、ということでしょうね。こういうつくりの小部屋に通され、とても落ち着きました。脚は掘りごたつのように下ろせるので、何時間おしゃべりに夢中になっていても疲れません。また来てもいいな、一度で思えた店でした。
お互い大学とは縁がなくなったので、かえって気軽に昔のことが(といっても1年前とかのことだけれど)忌憚なくお喋りできて、わたしのような立場で見ていた大学と、学生さんの目線で見ていた大学とのずれ、違いについていくつか「発見」があったりして、とても楽しい、面白い経験でした。
この夏前に大学とは完全に縁を断った経緯もつぶさに話すと、彼女たちは私の中で膨らんでいた大きな構想の実現が潰えたことを勿体ない、と言い、「いまなら先生の考えや気持ちがすごくよくわかる」ただし、「でも自分が学生のときの感じ方だとやっぱり、ゼミの活動なんやし、もうそれくらいでええやん、という気持ちで、たらたらしていて、一所懸命やれなかったかもしれません」と。それも正直なところかもしれないな、と思いました。渦中にあるときには、自分のしていることの意味が見えない、その不可視性というのか、不可避的な不透明さという事態こそが人間の宿命あるいは人の子が人の子であることの証なのかもしれません。
名前を伏せて一人一人のことを話していたら、彼女たちはそんなに個人的に接触がなかった学年だと思うのに、この子でしょう、と自分たちと一緒にうつったクリスマスパーティーかなにかの時の写真で後輩たちを一人一人指さしてみせ、それがちゃんとあたっていたりするので、よく見ていたんだなぁ、と感心しました。本質的な人間性というのはちょっと触れるだけでも直観的にわかってしまうところがあるのかもしれません。
もちろん一番面白いのは個性豊かな先生たちについての話題で、彼女たちも私も互いに気軽な立場になっているから好き放題(笑)彼女たちも卒業してまだ半年ですから、大学でのことは生々しい。
どんなに仲の良い同僚とも、ほかの先生についてこんなにざっくばらんには喋れないなぁ、なんて思いながら、悪口も良い口も飽きずお喋り。OGたちの学生さんだったときの視点で見たところを聴くのは格別に面白くて、あっという間に時間がたちました。
二人ともまだ社会人としては半人前。はじめは昼食時など先輩が「いいよ」と仕事を代わってくれて、お客様があって連絡があっても、そのまま任せて食事をしていたけれど、あるとき女性のしっかり教育しようという先輩から、「あんたたち新入社員でしょう、そんなことしてたらあかんよ、すぐに駆けつけないと!」と叱責されて、それからは社員食堂で食事をしていても、連絡がくると、脱兎のごとく食堂を飛び出して窓口へ駆け戻ってお客様に対応するとか。
いま大きな食べ物を口へほうりこんだばかりで、電話口でモガモガ満足に喋れない状態でも、食べかけの食事を放り出し、椅子を蹴り倒しても、即駆けつけるんです、とのこと。勤務する場所も違う二人が全く同じことを言うので可笑しかった。聞いていると、そのまま新人社員を面白おかしく描くコミックになりそうな話でした。でも頑張ってるんだな、というのが伝わってきました。
そういう彼女たちの素直さが、社内で先輩たちから愛されるところなんだろうなと思いました。うちの学生さんは、根性のよくない、ひねくれた子というのはまず見当たらず、根が素直な子が多い、というのは常日頃感じていたのですが、社会へ出て職場で愛される子が多いように聞くのも、そういう長所があるからだろうと思います。受験勉強なんかに煩わされず、自由に育ってきているから、ひねくれて小さく閉じてしまわず、伸びしろが大きいのでしょう。
私は日ごろから、素直さは人間としての吸収力の大きさを表わす重要な指標だと考えてきました。素直な子はどんどん吸収し、学んで大きくなっていきます。
学生時代には素直さを教師や親や先輩のような目上の人間に媚びることであるかのように嫌い、素直な子の陰口をたたくような者もなくはないし、素直で振る舞うことで仲間から浮いてしまうことを恐れる者もいます。むしろ反抗的な姿勢を示すほうが仲間内で評価されるような、若者固有の勘違いも一部にではあっても見られます。
しかし、結局その程度の反抗や我の強さというのは、単に人間としての容量が小さいことや、頭の硬さとほとんど同義で、頑固だったり吸収力が小さかったりするから、素直な学生さんやまだ迷いのうちに彷徨している学生さんより、見かけはしっかりしているように見えて、実は自分のそういう小さな殻から出られず、大きく成長していくことができないものです。また、なぜ自分が周囲に愛されないのかということにも気づかないまま、自己評価だけが高いので、その矛盾を他人のせいにしていつまでたっても自分を顧みることのない不満居士になってしまいがちです。
そういう我の強い子というのも毎年一人二人は見て来て、その先どうなっていくかもそこそこ見てきたので、きょうの二人のような話を聴くと、彼女たちは、そういう子とは違って、きっとどんどん成長していくだろうな、とほっとするところがあります。
職場では、少し心配なお客様に遭遇したりすると、代わろうか、とすぐ上司が声をかけてくれるそうで、「少し過保護なくらいで、いえ大丈夫です、というんですけど・・・」と言っているのをきくと、優しい、良い上司に恵まれたな、と思いました。二人とも学生時代よりもよく勉強しています、とのことで、なかなか頼もしい。
食事のあとは三条通りまで歩いて、イノダ本店でコーヒーとショートケーキのセットのデザートをお二人におごってもらいました。私もイノダに入ったのは久しぶりで、少し待たされるほどやっぱり盛況でした。昔と少しも変わらず、いい雰囲気の店です。
今度はパートナーにも会いたい、というので、次の機会にはうちにも寄ってもらう約束をして別れました。近年はパートナーも私同様、歳をとったので、昔のようにゼミ生を迎えて食事の接待をするようなことはできなくなったけれど、コーヒーくらいはわたしにも淹れられるし、近所に美味しい店もあるので、一人、二人ならいつでも、ということでまたいつか来られるのを楽しみに別れました。
2017年11月08日
「ブレードランナー2049」の暗さ
それにしても観客の少ないこと・・・平日の昼間だから仕方ないけれど、話題の映画でもこれだから映画館経営は大変だろうな、映画会社も大変だな、映画の作り手たちも大変だな・・・などと次々連想して、最後はわが家の監督さんもこれから大変だな、ひいてはわが家も大変だな(笑)・・・
今回は私の好きなリドリー・スコットは製作総指揮という位置で、監督はドゥニ・ビルヌーブ監督。たまたま先日レンタルビデオで彼の「ボーダーライン(Sicario)」という2015年度アメリカ映画を借りてきて観たばかりでした。
何も調べて行かなかったので、「ブレードランナー2049」の監督が彼だということも知らずに行って、彼が監督だと知って偶然に驚くと同時に、見終わった時、なるほどな、と思いました。この暗さ(笑)は確かに「ボーダーライン」そのままのビルヌーブ監督の暗さだなぁ、と思いました。
映像のエンターテイナー、リドリー・スコットの旧作も雨と靄に煙る猥雑で混沌としたアジア的未来都市の光景が全体として暗い雰囲気を作っていて、話もかつては地球外の植民星で人間に奉仕していたアンドロイドが反乱を起こして(映画の物語が始まる前史として)鎮圧され、逃げ延びて地球へ戻ってきたものたちがブレードランナーに追われて次々に抹殺されるという暗い話で、その中でアンドロイドの女性に恋をするというロマンスはあるものの、暗いことは暗かった。
でも旧作ではその物語の仕掛けの単純さとスピード感があまり重さを感じさせず、そのころには画期的だった映像の斬新さや、追われ、死んでいく宿命のアンドロイドに焦点をしぼって、シャープで美しいイメージを与えていることが新鮮で、決して希望に満ちた世界ではないけれど、何か新しい世界を見せてもらったというエンターテインメントとしての満足感がありました。
ビルヌーブの新作は、その都市の暗い光景はほとんどそのまま引き継いでいます。始終雨が降っている夜の世界。そういえば昼間のときってあったかな?(笑)と思うくらい圧倒的に夜の世界の比重が大きい。その雨も酸性雨か放射能雨のような雨なんでしょうね。確かにスコットの旧作の都市と同じように高層ビルが立ち並び、そのビルには雨や靄ににじむような色合いながら、明るい巨大な広告のネオンの光の描く像が見えます。旧作では2次元だった広告イメージが3次元になって、直接通行人に近寄り、語り掛けたりするところは映像技術の進化が、そのまま都市の描き方に反映されていて面白い。
でも基調は変わりません。日本のSFアニメがさんざん描いてきた、核戦争後の荒廃した都市の光景のように、巨大な石像が転がって居たり、建物が崩壊していたり、無人の薄汚れたビルが林立していたり、大型の産業廃棄物の山が連なっていたり、都市が幾つかのブロックに区画されて、異なるエリアに踏み込めばまるで光景が一変したり・・・
雨と靄の夜のビルの谷間や上空を、例のタクシーみたいな空中走行車で主人公たちは、猛スピードで疾走していきます。こういう都市の光景は、今回もとても素晴らしく、CG技術の最先端を見せてくれて、とても魅力的です。
ライアン・ゴズリング演じる主人公「K」(新型アンドロイド)が手足のごとく乗りこなしている車の天井の一部を外すと竹トンボのように垂直に空へ舞い上がって空中を旋回し、地上での指示に従い、監視や、カメラや、地中に埋められたものを探しだすことまで、様々な機能を果たします。こういう小道具も、007の次々繰り出される新型兵器がおもちゃみたいと笑って見ながらも楽しいのと同様、観客を楽しませてくれます。
そんな中ではKが家にいるとき、パートナーの役をつとめるヴァーチャルリアリティの彼女「ジョイ」は抜群に魅力的な女性です。アナ・デ・アルマスというキューバ出身の女優さんらしいけど、ネットで授賞式なんかに出ている写真や、たくさんのスチール写真のどれを見ても、どこにでもいそうな平凡な女優さんといった外見でしかないのですが、この作品に登場する彼女は見違えるように魅力的で、女優はやっぱり映画の画面の中でこそ輝くものだな、というのを強く感じさせられました。彼女が最終的に消されるシーンは残念でなりませんでした(笑)。
話を戻すと、そうした映像の暗さのほかに、この作品と「ボーダーライン」との共通点として、もうひとつ、物語の組み立ての複雑さと二転三転のどんでん返しというのが数えられでしょう。ネタバレになって、これから見る人の興を削ぐといけないので、これ以上は言いませんが、「ボーダーライン」でも、主人公であるFBIの麻薬捜査官ケイトは、主人公であり物語は彼女の目線で語られ、進行していくにもかかわらず、彼女自身が知らされていないことが多くて、こうだと思っていたことが裏切られ、二度、三度、どんでん返しのような節目があります。
例えば同僚と飲みに入った酒場で同僚の旧知の警官に出会い、酒とダンスで意気投合して男女の出会いになりかけて、男が外した腕輪?が犯罪組織の人間が使っていたものと同じであることに気づいて、彼も汚職警官であることを知り、抵抗して殺されそうになるところを、この作戦に同行している、名優ベニチオ・デル・トロ演じる正体不明のコロンビア人アレハンドロに救われのですが、実は彼等はその男が汚職警官であることを知っていて、彼女を囮にとして使っていたのだ、というような展開。
あるいはこの作戦自体が、彼女が当初聞かされていたようなものではなく、このアレハンドロの正体に関係のある別の意図があって、それをCIAも「もっと上」の組織も知った上で、彼女たちを利用したのだと最後にもう一つ大きなどんでん返しがある、という物語の構成。
こういう構成と、それを展開していく物語の語り手の視線が全体の構造を知らない主人公の目によってなされることで、観客も主人公と共にそのつど予想外のことに驚かされ、裏切られ、そこに一筋縄ではいかない「現実」の重みを思い知らされることになります。
そういうところが、この「ブレードランナー2049」もそっくりなのです。私たち観客は、主人公Kと共に何が起きるか分からない展開に緊張し、予想外の展開に裏切られ、どんでん返しに驚かされ、一筋縄でいかない「現実」にぶつかり、その重みをずしんと胸に受け止めることになります。
したがって、この映画が面白かったか?いい映画だったか?と訊かれたら、ふつう面白ければすぐに軽々と「うん、面白かったよ!」とか、「いい映画だったね!」とか応えられるのですが、帰宅してどうだった?と訊かれて、「う~ん・・・面白い、というか・・・いや、すごく見ごたえのある映画だったことは確かだけど・・・」と、まだ見終わったばかりで、言葉を選ぶのが難しい気がしたのでした。
前半、うまく断片的な物語が見ていてつながっていかず、展開が重く感じられるところもありました。軽快なスピード感、いい意味の単純さに欠ける印象が、ただ暗く、重い印象を与えていたのです。それは最後まで見終わると、ずっしりとした見ごたえのある作品という印象になりましたが・・・。
旧作では、主人公デッカードが、彼もアンドロイドではなかったのか、というマニアックな観客が噂したあの一角獣の夢やラストの拾い物の紙で織った一角獣など、暗示的な映像で人間とアンドロイドという二元性に疑問符を打っていたけれど、今回の新作は正面からこの問題に向き合ったということはできるかもしれません。
私は映画館を出てから、この作品の重要な前提になる設定のところにSFとは言え現実味を感じず、それさえ呑み込めば、あとはこういう都市の情景も、物語の展開も、種々の小道具的な設定も、いつか人間にとっては現実的であり得る世界なんじゃないか、という感じを持ちました。最初の設定のところについては、キリスト教国の人たちだからこういう発想はそう違和感がないのかな、なんてちょっと思ったりもしました。
しかし考えてみれば、作品の中でアンドロイドが言うように、人間の遺伝子は4つの文字でできているのね、私たちは2文字だけど・・・と考えれば、この2文字によっても、奇跡は可能だということになるんじゃないか、なんて思いなおしました。科学的にはどうか知りませんが(笑)。
一般1800円という通常の映画料金は高いと感じるけれど、シニアの私は1100円でした。いや、十分おつりがくるくらい楽しませてもらいました。
2017年11月01日
アルドリッチのアパッチ
アルドリッチは「ベラクルス」でバート・ランカスターのすばらしい演技を引き出し、「突撃隊」ではリー・マーヴィンはじめ、早々たるキャストを使いこなして、滅茶苦茶面白い戦争映画をつくった監督で、男臭い映画をつくるのが得意で、アパッチの戦士を描くにはふさわしい監督。
中学から高校のはじめに西部劇に凝っていた割にはこの人の西部劇はベラクルスくらいしか観ていなくて、ワイルド・アパッチはもうこちらが西部劇をいったん卒業してからの制作だから仕方ないけれど、旧作のアパッチも観ていませんでした。
今回見較べると「ワイルド・アパッチ」(ULZANA'S RAID)が圧倒的に良くて、同じ人が撮ったと思えないほどでした。
「アパッチ」のほうは、ジェロニモが投降して征服者としての白人に抵抗してきた部族の男たちと共に列車でフロリダへ移送されるところから始まり、主人公であるアパッチの戦士で勇敢というより後先も顧みない無謀な若者が列車内から逃亡し、途中で白人に帰順しながら誇りを失わずに農業に活路を見出したチェロキーの男に出会い、穀物の種をもらうようなエピソードを交えながら、故郷へ戻り、白人や白人に帰順した同じ部族の連中に抗い、死を覚悟して一人で戦士として戦いをつづけますが、彼を愛してどこまでもついてくる女性を拒み切れず、彼の子を孕んだ彼女のために一ヶ所にとどまり、穀物の種を撒き、山中の小屋で暮らすうち、追手にみつかってしまいます。彼は死を覚悟して身重の彼女を小屋に置いて出て、二人で育てた穀物の苗が大きく育って草原のようになった畑に隠れて戦いますが、囲まれていよいよ終わり、というとき、赤ん坊の産声を聴いて呆然として立ち上がり、兵隊たちも射撃をせずに見守る中、女と赤ん坊のいる小屋へ入って行く、というところで終わりです。
これは脚本がひどい。これではアパッチの戦士が誇り高きがゆえに侵略者たる白人に屈せずに戦いつづけるという姿にならず、単にカッとなりやすい短慮で無謀な若者が、はじめからほとんど意味のないテロをしかけるだけで、実際にあんなことをしていれば、組織的な軍隊の力ですぐに抹殺されたでしょうし、また自らの戦死にアパッチの誇り高い死を擬するつもりなら、いくら女性がついてきても、単独での生き死にを選ぶでしょう。また、ラストで死なずに小屋へ入って行くけれど、彼がどうなるかと言えば、当然妻子と引き離されて逮捕され、自らのテロで何人もの兵士を殺しているのだから、裁判にかけてもらえたとしても死刑でしょう。そして、彼の戦いはアパッチという種族が征服者である白人に抵抗する、ということを象徴するものになり得ていない、単に移住を拒否して逃亡し、生きる術を失って盗みと殺しに走った単独の犯罪者の行為にしか客観的にはみなしようがないから、それは一人の無謀な逃亡者の犬死にすぎないことになってしまいます。
古い映画ではあるけれど、同じ年に「ベラクルス」を撮っている監督とはとても思えない駄作でした。
ところが、「ワイルド・アパッチ」のほうは、脚本がとてもいいようで、映画としても相当よくできた作品になっています。ここではバート・ランカスターはインディアンではなく、騎兵隊に雇われる白人のベテランの道案内(斥候)の役です。
この作品では前作と違って、アパッチは徹底的に白人に残虐きわまりない行為を働きます。白人の侵略に対して蜂起したウルザナという指導者の一隊が、白人の民間人の家族などを次々に襲い、男は時間をかけた拷問をして楽しんだのちに殺戮、女性は「死ぬまで強姦する」という残虐さで、その「戦果」を後で訪れる白人に見せつけます。
しかし、一方で騎兵隊のほうにもアパッチがいます。ランカスター演じるマッキントッシュが信じる騎兵隊の斥候ケ・ニ・テイという若者で、彼の妹がウルザナの妻という、敵の指導者と同じ部族で近い関係にあるけれど、白人の騎兵隊の一員で、合衆国軍隊の兵士であることを誇りとして忠実に勤務しています。彼の追跡術にはマッキントッシュもかないません。
ウルザナ側もマッキントッシュたちも知恵を絞り、相手を罠にかけ、裏をかこうとして、死力を尽くして戦います。このへんが単純ではなくて、なるほど、と観客に思わせるだけの現実的な合理性と新味があって、ハラハラさせる展開になっています。
アパッチの残虐な行為は描かれているけれど、この作品では昔の西部劇のようにインディアンを単純に悪者として描いてはいません。また、逆にのちの時代の西部劇のように白人を征服者として断罪したり、白人の兵士たちの残虐行為に焦点をあてて描こうとした作品でもありません。
新米で経験不足の若い中尉は牧師の息子で、アパッチの残虐さが「同じ人間として」どうしても信じられず、斥候のアパッチ、ケ・ニ・テイに、「アパッチはなぜあんな残虐なことをするのだ?」と素朴な疑問をぶつけます。ケ・ニ・テイは「そういう人間だからだ」としか答えません。「おまえも残虐に殺すのか」ときかれて、ケ・ニ・テイは「殺す」と言います。
納得できない中尉は、なぜ殺さなくてはならないのか、と重ねて訊きます。ケ・ニ・テイは、「力をもらうためだ」と答えます。いぶかる中尉に彼は説明します。「力のある者は死ぬときに、力を解き放つ。だからその力をもらうのだ」と。
どんなに単純ではあれ、これは残虐な殺しという白人の一方的な見方に対して、アパッチにはアパッチのものの考え方がある、という描き方になっています。それを肯定するわけでもないし、否定もしませんが、作品の中でそういう視点をちゃんと見せている。
そしてその残虐な殺戮を繰り返してきたアパッチの指導者ウルザナは、最後に裏をかかれて、もう少しで騎兵隊を全滅させられるところまで追い詰めながら失敗し、自分を追い詰めた同じアパッチの白人側の兵士であるケ・ニ・テイに対峙し、死を覚悟して銃を棄て、膝マづいて祈りの唄を口ずさみ、ケ・ニ・テイに頭を撃ち抜かれて死にます。このウルザナの最期の描き方にも、アパッチをアパッチとしてきちんと見据える監督の目があらわれています。
このウルザナ役とケ・ニ・テイ役と、二人ともアパッチを演じた俳優がとても良かった。
私たちが昔見ていたような初期の西部劇は善人である白人と悪人である残虐なインディアンとの闘いを常に白人の側から描いて、常にインディアンが敗北する、スッキリと強く明るい勧善懲悪的なドラマでした。それが人種問題への関心をはじめ、ポリティカル・コレクトネスの考え方が映画にも浸透し、また思想的な文化の多元的な見方や相対主義的な文化観が浸透し、白人中心主義的な歴史が再点検されるようになると、西部劇もインディアンの側から描くような作品が登場したり、白人の側から描きながらもその中に贖罪の意識が色濃く反映されたような作品が数多く出てきて、白人の主人公たちが苦悩する重苦しい感じのドラマが増えてきました。以前のようにスッキリとはいかなくなってきたのです。
ジョン・フォードの名作「駅馬車」は、典型的な白人対インディアンの二元論で、インディアンは白人の幌馬車を襲う人殺し集団に過ぎません。それに比べればのちの「騎兵隊」ではインディアンは騎兵隊を襲い、騎兵隊に掃討される敵だけれど、騎兵隊員である黒人は差別されながらも、白人の同僚たちよりずっと凛々しく男らしい勇姿を見せていたと思います。いずれも名作ですが、私は「駅馬車」のほうが好きだし、いまも西部劇の最高の名作の一つだと思っています。
たしかに「騎兵隊」のほうが奥行きのある作品になっているかもしれないけれど、作品としての完成度は「駅馬車」のほうが上だし、映像の美しさ、展開のテンポも古い「駅馬車」のほうが上です。ポリティカル・コレクトネスの観点から、そこに潜む思想を取り出せば、「駅馬車」にはより多くの問題があるかもしれませんが、そういう問題があることは作品の出来栄えには私は関係が無い、と言い切っていいのではないか、と考えています。これは過去の作品に現在のポリティカル・コレクトネスの観点をあてはめて指摘し、それを作品の欠陥であるかのようにみなす批評を信じない、と一般化してもいいと思います。
タイトルを忘れてしまったけれど、騎兵隊が降伏の旗を掲げたインディアンの部落を襲い、殺戮・強姦・略奪の限りをつくし、野蛮な人食い人種のようにインディアンの肉体を切り刻んで「戦果」のように喜々として持ち帰る様を赤裸々に描いた西部劇もありました。そういう観点で描くことが、もし映画の作品としての価値を高めることだと考えるなら、それは文学をその中にこめられた政治的意図の評価で価値づけるのと同じ過ちをおかすことになるでしょう。
ただ、悩ましいところは、今回見たアルドリッチの2本の映画のアパッチの描き方に見るように、作り手の思想の深化が表現を内在的に変えてしまうところがあって、明らかに作品自体に奥行きを与え、格段に良くなるということがあります。
しかし、これは必ずしもポリティカル・コレクトネスに沿った主義主張に転向したら表現のほうが必ず良くなるというわけではなくて、主義主張が左へ行くか右へ行くかというのとは無関係な、思想自体の深まりが表現の深まりと相関する、という話で、水平なベクトルと垂直なベクトルほどの違いがある話になると思います。
そこでの変化は主義主張として抽出されるようなものだけでなく、語り口からリズム、場面選択から構成まで、すべてが変わってくるはずで、日本で戦前戦中に翼賛詩を書いていた詩人が戦後すぐにまったく同じ立ち位置で転換や喩やリズム、構成すべてが戦前戦中翼賛詩と変わらない、民主主義翼賛詩を書いたのとはまるで違う話になるでしょう。そのひとつのサンプルとして、アルドリッチのこの2作品は比較してみると面白い素材だと思います。