2017年02月

2017年02月06日

「刑事フォイル」讃

 テレビを見なくなって久しいけれど、日曜の夜だけは「刑事フォイル」の愉しみがあります。年末年始に中断されたときは、もうこれきりかと情けなかったけれど、再開されてホッとしています。だって、ほかに見るべきドラマなんてやってないんだもの(笑)

 いわゆる刑事もので、一見とてもドラマのヒーローと思えない冴えない風采の、でもコロンボみたいにわざとらしくなく、嫌味でもない、英国紳士気質の淡々とした、頭脳の切れる、根はヒューマンな敏腕刑事が主人公で、第二次世界大戦下、ドイツと戦いながら日常生活を送る英国民の戦争の日々に起きる殺人事件などの犯罪を捜査し、解決していく、前編、後編2回で一話のドラマ。

 つい先週まで彼の運転手をしていた若い女性のちょっとあっけらかんとしたテンネンなところと、彼の優秀で生真面目な部下の若さ、純粋さが、フォイルの経験と彼の資質からにじみ出る人間臭さが実によい取り合わせで、暗い戦時下の光景の中で、パンドラの箱の最後に出て来る「希望」のように小さいけれど、三つの動点のようにそれぞれ生き生きと動き出し、やがて予想もしなかったつながりを持ち始め、事件の解決に向けて流星のように輝きを増して機能するのを私たちは目撃します。

 戦時下のイギリスで起きる犯罪なので、ほとんど暗い話で、全体がグレーの色調といった感じですが、入り組んだ複雑な人間関係や事件がコンパクトに絡み合っていて、毎回意外性もあり、 脚本が実にうまい。これを前編だけ見せられると、イラチの私としては実に腹立たしくて、なぜ2回分まとめて見せてくれない!とテレビに悪態をつく始末。次の展開がどうなるのか、こんなややっこしいことを、あるいはこんな絶対の壁をどうフォイルは突破するんだろう、と次が見たくて見たくてたまらなくなります。

 いずれも戦争中の話ですから、軍の内部事情やら軍関係の研究所やらが絡んでくると、すべてはマル秘、極秘で一介の刑事ではどうにもならない壁に突き当たります。前回などはクールなフォイルも、権力を嵩にきた愚かで頑固な上司の、あるいは上司を通じて捜査妨害に走る軍の権力やらなにやら、ただただ任務を忠実に果たそうとするだけの自分に対するプレッシャーのあまりの理不尽さにキレて、警察に愛想をつかしてしまいます。そこで今日は警察を辞めて、口述筆記で扱った事件を本にするつもりらしく、彼の運転手を務めていた女性にタイプさせているという設定でした。

 このドラマをみていると、よくまぁここまでイギリスの暗部を次々リアルに真正面から描くものだなぁ、と毎回パートナーと二人で感心しています。丁度濁った水底の泥土から、汚物のガスが泡粒になって水面へ次々に上がってくるように、戦争を背景に、戦時下を生きる個人や家族や様々な組織の醜悪なものが浮かび上がってきます。いまは戦時下なんだから、という言い訳のもとに、それらの登場人物たちの醜い競争心、嫉妬心、様々な欲望、憎しみ、悪意、愚かさ、卑屈さ、偽善、軽薄、権威主義、無責任さ、図々しさ、弱さ、等々、人間のおよそありとあらゆる卑小さが、パンドラの箱の蓋をあけたように露わになってきます。

 毎回の事件の謎をフォイルが鋭い目と頭脳で切り裂いていけば、必ず曖昧に濁って見えた状況の底に頑として存在する、いつ果てるとも知れぬ戦争という泥土、あらゆる汚物を含みガスを水面のほうへと発生させつづける汚泥に行きつくのです。

 第二次大戦の戦勝国イギリスの戦時下の社会を描くとすれば、ナチスドイツを打ち破ったヒーローやつらい戦時下の生活を耐え忍んだ英雄的な庶民の姿・・・かと思えば、ここに出てくるのは、どこの国のどこの庶民にもあり得る、戦争であぶりだされる人間的な弱さとすれすれの、そして時にそれを殺意に、犯罪に転化してしまう人間の普遍的な姿であり、普遍的な様相なのです。

 しかもそれでいて非常にイギリスらしい、これはまぎれもなくイギリス人のドラマでありイギリス社会に起きる出来事だなと思えるような光景になっている。そこがわずかな期間でもイギリスに触れた人間として見ていて、ほんとうによくできたドラマだと感嘆せずにいられません。

 このドラマを見ていて連想するのは、「チャリングクロス84番地」です。アメリカの古書好きの若い女性作家がイギリスの古書店主に発注や到着の連絡に書いた手紙の往復だけで成立している書簡集ですが、やはり第二次世界大戦の戦時下にあるイギリスの困窮していく暮らしの空気のようなものが確実に伝わってくる、そしてそんな古書店主やその家族、店員たちみなを励ます作家と古書店主との温かい心の交流が感動的な作品で、名優アンソニー・ホプキンスの主演(店主)で映画化もされています。映画も素晴らしかった。あの戦時下のイギリス社会の空気感を連想したのです。

 イギリスは小説でも、フランスなどを中心に世界をアンチロマンが大流行というような時期に、なお社会を地味に的確に描き出すようなリアリズムを手放さない作品が主流だったことを思い出します。そういう国民性というのか文化の根っからの資質的なものというのは、こういうすぐれたテレビドラマなどにも表れているのではないかという気がします。
 
 それはなにかイジメが社会問題化すればイジメを素材にし、ネット犯罪が社会問題化すればおあつらえ向きの脚本を書き、というよう付け焼刃ドラマを「社会派」ドラマなんて言っているようなのとは、全然異質なものだと思います。

 このドラマの原題は「フォイルの戦争」です。このドラマのどこを切っても、イギリス庶民のごくありふれた暮らしのそこかしこから、戦争が露出してきます。その視点の確かさというのは見事なもので、手垢のついた「社会問題」というネタにとびつく商業作家的浮薄さは、このアンソニー・ホロヴィッツという脚本家からは感じられません。
日本人にこんな脚本が、なんでもないテレビドラマの世界で書けるようになるのは、いつのことだろうとため息が出るほどです。

 

  

saysei at 01:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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