2016年12月
2016年12月25日
浅田次郎「歸郷」
『帰郷』というタイトルの単行本の最初に収められた短編が「歸郷」です。
まだこの一篇を読んだばかりなのですが、弱くなった涙腺をまたしてもひどくやられてしまいました。
実は私が20歳のころから書こうとしては力量乏しく中断しては、また書き始め、また挫折して長年放置して、もうあきらめた、と思っていたのが、昨年からまたぞろあの世へ行く前になんとか、なんて思って書いてきたのが「帰郷」という帰還兵の話なので、大宅壮一賞だったかを受賞したと新聞で紹介されているタイトルをみて、読んでみたくなりました。
ぽっぽや(「鉄道員」)の作家だから、泣かせのプロだぞ、と分かってはいたのですが、語り口が圧倒的にうまい。話はほんとうに平凡極まりなく、そこに使われる要素もみな散々使い古されたもので、流行歌やら演歌やらの雨に涙に酒に別れと何もかもお定まりなのに、してやられてしまう。
だって帰還兵と戦後いたるところで駅の周辺やらに立っていた夜の女です。それぞれ心ならずも今の境遇に至って偶然の、しかし出会ってしまえば宿命としか思えないような出合いをして、一夜を共にし、語り明かす男の話に出て来るのはまさに帰還兵の遭遇する悲劇の中でも最悪の悲劇、戦士公報が留守家族のもとに行って、残された家族は周囲の善意にせかされるようにして・・・・もう何度も何度も物語られ、聞かされてきたあの悲劇、兵士が死線をさまよいながら毎日再会を夢見て、それだけを支えにしてきた妻や子が・・・というあの悲劇。
これはもう詰将棋のようなものじゃねえか、と思わないでもないけれど、やっぱり語り口のたくみさに読まされ、泣かされてしまいます。もちろんラストにこの短編のすべてが掛かっているので、そこにだけはこの作者の「巧みさ」とは別の思いを感じるから、さんざん泣かせのテクニックでひっぱってこられて、そいつを聴かされるから、こんなもんで泣かされてたまるか、と思いながら、つい泣かされてしまうのですね。
こういう人生の悲劇を泣かせのエンターテインメントとしてこうも巧みに語ってしまっていいのかい、と思うし、こういうのを読まされると、自分がやっていることは本当にぶきっちょな泥臭い自己慰安のとりとめない言葉い思えて来て少々いやになるところがあります。さて、気をとりなおして、あとの短編もよんでしまいましょう。
まだこの一篇を読んだばかりなのですが、弱くなった涙腺をまたしてもひどくやられてしまいました。
実は私が20歳のころから書こうとしては力量乏しく中断しては、また書き始め、また挫折して長年放置して、もうあきらめた、と思っていたのが、昨年からまたぞろあの世へ行く前になんとか、なんて思って書いてきたのが「帰郷」という帰還兵の話なので、大宅壮一賞だったかを受賞したと新聞で紹介されているタイトルをみて、読んでみたくなりました。
ぽっぽや(「鉄道員」)の作家だから、泣かせのプロだぞ、と分かってはいたのですが、語り口が圧倒的にうまい。話はほんとうに平凡極まりなく、そこに使われる要素もみな散々使い古されたもので、流行歌やら演歌やらの雨に涙に酒に別れと何もかもお定まりなのに、してやられてしまう。
だって帰還兵と戦後いたるところで駅の周辺やらに立っていた夜の女です。それぞれ心ならずも今の境遇に至って偶然の、しかし出会ってしまえば宿命としか思えないような出合いをして、一夜を共にし、語り明かす男の話に出て来るのはまさに帰還兵の遭遇する悲劇の中でも最悪の悲劇、戦士公報が留守家族のもとに行って、残された家族は周囲の善意にせかされるようにして・・・・もう何度も何度も物語られ、聞かされてきたあの悲劇、兵士が死線をさまよいながら毎日再会を夢見て、それだけを支えにしてきた妻や子が・・・というあの悲劇。
これはもう詰将棋のようなものじゃねえか、と思わないでもないけれど、やっぱり語り口のたくみさに読まされ、泣かされてしまいます。もちろんラストにこの短編のすべてが掛かっているので、そこにだけはこの作者の「巧みさ」とは別の思いを感じるから、さんざん泣かせのテクニックでひっぱってこられて、そいつを聴かされるから、こんなもんで泣かされてたまるか、と思いながら、つい泣かされてしまうのですね。
こういう人生の悲劇を泣かせのエンターテインメントとしてこうも巧みに語ってしまっていいのかい、と思うし、こういうのを読まされると、自分がやっていることは本当にぶきっちょな泥臭い自己慰安のとりとめない言葉い思えて来て少々いやになるところがあります。さて、気をとりなおして、あとの短編もよんでしまいましょう。
原田マハ『楽園のカンヴァス』
強くお勧めする一冊。
新しい本も続々と出している作家ですが、いままで読んだことがなくて、こんどようやく「楽園のカンヴァス」を読みました。涙腺が弱くなっているせいか最後には泣いてしまいました。とても感動的な小説です。
著者の美術についての造詣は半端でなく、年季の入ったもので、ちょっと頑張って俄か勉強して設定に借りてみました、というようなのとはまったく違うようです。文庫本の解説をしている高階秀爾さんが美術ミステリーみたいなことを書いているけれど、ミステリー作家が美術界を描いてみました、というような作品ではない。美術への強い想いが根底にあるのが常に、そして最後に圧倒的な感動とともに、読者に理解されるような作品です。
この感動は、謎が解けたカタルシスでもなければ、作中の主役二人の出会いと別れと再会のドラマとその結末への寿ぎでもなくて、そのどちらもあるけれども、人間くさい欠点もたくさんもったこの主役たちの、それだけはホンモノの、美術への愛情が最後の最後まで一番大きな深い伏流水のように流れていて、それが最後に一気に地上に溢れ出るのを見るような感動です。
作品としても非常に手の込んだ構成と用意周到で巧みな語り口で、或る意味で普通の読者から見れば大きな起伏を持ちにくい地味な素材が、非常に劇的な物語になっていて、一度手にすると置けなくなりました。
ルソーは私にとっては不気味なところのある不思議な絵を描く、あまりにも著名な美術史上の画家のひとりにすぎず、作家についても作品についても調べてみたことはなかったけれど、 この作品でずいぶん啓蒙され、機会があればぜひまたじっくり見てみたい、と思いました。
新しい本も続々と出している作家ですが、いままで読んだことがなくて、こんどようやく「楽園のカンヴァス」を読みました。涙腺が弱くなっているせいか最後には泣いてしまいました。とても感動的な小説です。
著者の美術についての造詣は半端でなく、年季の入ったもので、ちょっと頑張って俄か勉強して設定に借りてみました、というようなのとはまったく違うようです。文庫本の解説をしている高階秀爾さんが美術ミステリーみたいなことを書いているけれど、ミステリー作家が美術界を描いてみました、というような作品ではない。美術への強い想いが根底にあるのが常に、そして最後に圧倒的な感動とともに、読者に理解されるような作品です。
この感動は、謎が解けたカタルシスでもなければ、作中の主役二人の出会いと別れと再会のドラマとその結末への寿ぎでもなくて、そのどちらもあるけれども、人間くさい欠点もたくさんもったこの主役たちの、それだけはホンモノの、美術への愛情が最後の最後まで一番大きな深い伏流水のように流れていて、それが最後に一気に地上に溢れ出るのを見るような感動です。
作品としても非常に手の込んだ構成と用意周到で巧みな語り口で、或る意味で普通の読者から見れば大きな起伏を持ちにくい地味な素材が、非常に劇的な物語になっていて、一度手にすると置けなくなりました。
ルソーは私にとっては不気味なところのある不思議な絵を描く、あまりにも著名な美術史上の画家のひとりにすぎず、作家についても作品についても調べてみたことはなかったけれど、 この作品でずいぶん啓蒙され、機会があればぜひまたじっくり見てみたい、と思いました。