2016年09月
2016年09月30日
加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
この本にはだいぶ読み進んだところで一度触れましたが、もう一度。最後まで読んだところで・・・。
この著書も同じ著者の『戦争まで』と同様、なぜ(いまの時点で冷静に見れば)判断力ゼロ、想像力ゼロとしか思えない愚かな選択をして戦争への道に踏み込んでいったのか、という問いに、歴史的証言を丹念に辿って聴衆である高校生たちと答えを求めようとするプロセスが本になっています。
私の親の世代の経験した太平洋戦争についてだけ触れてみると、その章の冒頭、戦後に東大総長になる南原繁が開戦の日に詠んだ短歌を入口に、客観的事実を数字で示しています。
人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ(南原繁の開戦の日に詠んだという短歌)
開戦時の国民総生産でいえば、アメリカは日本の12倍、すべての重化学工業・軍需産業の基礎となる鋼材は日本の17倍、自動車保有台数にいたっては日本の160倍、石油は日本の721倍もあった。・・・
これは明治大学の山田朗『軍備夷拡張の近代史』の挙げた数字だそうで、こうした日米の国力の差は当時も自覚されていたから、南原はこういう歌を詠んだのだ、と。
これと呼応するように、最後のほうで紹介されている水野廣徳という軍人の言葉(「無産階級と国防」1929 の引用らしい)があります。
かくの如く戦争が機械化し、工業化し、経済力化したる現代においては、軍需原料の大部分を外国に仰ぐがごとき他力本願の国防は、あたかも外国の傭兵によって国を守ると同様、戦争国家としては致命的弱点を有せるものである。極端に評すればかくの如き国は独力戦争をなすの資格を欠けるもので、平時にいかに盛んに海陸の軍備を張るとも、ひっきょうこれ砂上の楼閣に過ぎないのである。
軍人でさえ、これだけの認識を持った人もいた。なのになぜ?という問いを粘り強く投げかけながら日本近代史の節目の選択がどうなされてきたかを辿っていきます。
その中で、蒋介石が国内で共産党の殲滅を優先して「日本に対しては提携主義をとる」ことをわざわざ駐日公使を読んで伝えたとか、私などは強硬一辺倒だと思っていた松岡洋右が、対英をはじめとする国際的な情勢判断から、三十三年一月の段階でも、「物は八分目にてこらゆるがよし」と、国際連盟の日本への態度の硬化に楽観的だった内田外相に電報を打っていた、などというのを初めて知りました。
前者は中国の内戦と抗日の歴史はならって知っていたわけですが、指導者の行動として具体的にこうだった、というのは、ほう!という感じでした。松岡については全く意外でした。
また、天皇の側近だった奈良侍従武官や西園寺公望が、陸軍の熱河作戦を決定した閣議決定の取り消しを願い出た斎藤首相に対して否定的(消極的)だった、というのもちょっと意外でした。でもこれは裁可の取り消しが天皇の権威を失わせる、という考え方だったんだ、と言われれば納得するところはあります。
それにしても国際情勢を読み誤った外相が、満州国について日本が強く出れば、中国の国民政府の中にいる対日宥和派が日本との直接考証に乗り出してくるだろう、と考えて強硬な姿勢をとったなんて、国の運命をハッタリでなんとかしようなんて人物が外相にいたんだなぁ、といささかみじめな気持ちになります。いずれにせよ満州にいた陸軍の行動でそんな思惑も吹っ飛んでしまうのではありますが。
岩手県の太平洋戦争開戦から敗戦までの死者3万7千余人のうち、44年以降の戦死者が87.6%を占めている、つまり戦争の最後の1年半で戦死者の9割が発生している、という事実にも、44年に見習士官として出征した叔父のことを考えつづけている私としては、深く考えさせられるものがあり、ショックでした。
もうひとつ、やっぱり・・・と日本人としてがっかりさせられる事実を突きつけられるところがあります。この本の最後のほうの記述で、捕虜の扱いに関するところにある、「ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%にすぎません。ところが、日本軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.3%にのぼりました。」という箇所。
著者は、もともと自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格がそのまま捕虜への虐待につながっているのだと、的確に指摘しています。さらに、「このような日本軍の体質は、国民の生活にも通底し」、「戦時中の日本は国民の食糧を最も軽視した国の一つだと思」う、と書いています。40年段階で41%もいた農民、農業生産を支えるノウハウを持つ人たちも含めて、全部兵隊にしてしまった、と。
その点、ドイツは「45年3月、降伏する2カ月前までのエネルギー消費量は、33年の1,2割増しで、戦前よりも良かった」のだそうです。「国民に配給する食糧だけは絶対に減らさないようにしていた。」・・・すごいですね。ドイツという国はやっぱりすごい。
余談ですが、若いころヨーロッパを放浪していたとき、ヒッチハイクでロンドンから大陸にわたってあちこち見物しながら、スゥエーデンのイェテボリで2~3カ月アルバイトして滞在したあとスカンジナビア半島をぐるっとまわったことがありますが、いろんな国の人の車に便乗させてもらったけれど、一番面白かったのはドイツの同じ世代、少し私より若い男子ばかりの学生たち3~4人の車にひろってもらったときでした。
彼らにとっても外国語である英語はよく聞き取れてこちらのへたくそな英語も通じるし、彼らは夏休みの気楽な旅で冗談ばかり言っていた中にも、根は生真面目できちんとしているな、と直観できるような子たちで、なんかウマがあう、という感じで、話し方も論理的でよくわかるし、文学の好きな連中でハインリッヒ・ベルがいい、というような話をしてワイワイ議論しながら、途中でトナカイに出会ったりしながらラップランドの白樺の林の中を延々と北への道を走ったのですが、彼等ドイツの若者にはとても好感を覚えた思い出があります。
やっぱり上に書いたような戦時の国民の食糧のこととか、捕虜の扱いとか、大局的には敵味方の国力の冷徹な比較による判断とか、そういうことは大雑把に言えば理念とか論理とかいったものを大切にしてきたドイツ人のような国民にしか、ちゃんと考えられんのだろうなぁ、と思わずにはいられません。理念とか論理とかでは、私たちの伝統はまことに貧しいような気がします。その差だというのは思い過ごしでしょうか。
日本人の場合は、判断が直観的というのか、対象の構造とかを経てそれを再構成する形でこちら側に対象が像を結ぶいとまもなく、対象が構造も何も無くして、手触りのきく皮膚感覚みたいに、ほとんどじかに五官まで降りてきてしまうような気がします。
目でよく見なさい、と言わなきゃならないのですが、聴覚に届く音におびえ、嗅覚で見えない相手をおっかなびっくり手探りして、過大あるいは過小な像を描いてしまう。自分を内省してみても、そういうところが無きにしも非ずだな、と感じるのですが、みなさんはいかがでしょう?
著書から外れてしまいましたが、この本はとくに若い方にはお勧め。「戦争まで」と併せて読まれることを強くおすすめします。
ただ、私は2冊読み終わったところで、少しだけ或る違和感を残している点もなくはないので、最後にそれだけ書きとめておきましょう。
「戦争まで」の感想の時、少し触れたような気もするのですが、こうして戦争の時代を潜り抜けてきた政府の要人や軍人たちの指導者層の思いや行動を、昔は公開されず、知られることもなかった、当時の日記や書簡や電報など、様々な記録文書を駆使して証拠だて、描いてもらうと、それと著者が理解の助けに要約的に描いてくれる国際情勢や国内の社会情勢などの中でそれらを読み解く形で、そうかそうか、こういうふうに道を選んで、あるいは選び間違えて、こういう道行に至ったか、とスリルとサスペンスに満ちた物語を読むように楽しみ、納得しながら読んでいくのですが、そうやって読んでいくと、どうしても明治の開国以来の日本の世界における立場というのが基軸になって、この種の歩みが歴史の必然というのか、「やむをえなかった道行」のように見えてくるところがあります。
それはもちろん著者の意図とは違うので、だからこそ、"ああもありえた、こうもありえたのに、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」" なのですね。
歴史を一本道の「必然」 のように見なすのでなく、そのつど様々な可能性を探る中で「選択」してきたプロセスとして、証拠をあげながら、その選択に加担した個人の思いや行動をとりあげて語る方法をとっています。歴史はあくまでも、その微分化された無数の個人たちの思いと行動の積分値でしかない。
それはよくわかるのですが、この2冊を読み終わった時、どうも当時の為政者や軍人たちの内面をくぐってきた私たち読者は、幾分か彼らになりきってしまうせいか、「きみら後世の人は色々いうだろうがね、当時こうやって生きてきた私たちは、私たちなりに置かれた立場、置かれた情況のなかで、精一杯国のために良かれと考えて体を張ってやってきたんだよ」という声が聞こえてくるような気がするのです。
もちろん彼らの判断と行動の結果が国内外を問わず前代未聞の惨禍の中にかつてない膨大な民衆を叩き込んだことはどんな言い訳もできない、指導層の責任ですが、では明治維新でよちよち歩きを始めたばかりの日本が虎や狼の群れの中に放り込まれたような状況(そう単純化しちゃいけないよ、というのがこの本の言うところの一つではあるのですが・・・大雑把には、やっぱり・・・)の中で、どうすればよかったのか。
むろん後世、いくらでも' if ' は言えるでしょうが、「じゃお前、そこにその立場でいたら、間違いなくそうじゃない道を行けたかね」、とあの世で彼らは嗤うでしょうね。
そうすると、私は決して「大東亜戦争肯定論」者などではないけれども、心情的には、日本をここまで導いてきた指導層のここで描かれたような姿に、たとえ右往左往し、ときにひどい間違いを冒す姿であっても、寄り添ってしまうところがあります。
」
たぶんそれは、この本の歴史の描き方、辿り方の方法的なものの中に理由があるだろうと思います。
わたしはかつて或る歴史博物館の構想・計画づくりに足掛け6年間ばかりつきあってきたことがありますが、そのときに歴史家や歴史家の卵みたいな研究者たちと多少なりとつきあって、彼ら(考古学者を除けば)にとって、「歴史」とは文献なんだな、という印象を非常に強く持ちました。なにかあれば、それはいつの何という文献のどこに書いてある、という答えがたちまち出てくる。
私たち素人にとっては、むしろそこから立ち上がってくる人間の劇のようなものの軌跡が「歴史」なので、どちらかというと映画やテレビの歴史ドラマみたいなものの方が、よほど「歴史」のイメージに近いし、そうでなくては歴史なんて誠に面白くないものだな、と思いました。
博物館の展示は市民との接点ですから、歴史の専門家である学芸員と素人である市民との対話の場になります。だから、歴史は文献(あるいは遺物)では済まない。だからといって、フィクションの歴史ドラマにしてしまうわけにはいきません。それをどうつなぐかが、私のような両者のつなぎ手の役割だったので、それなりに色々考えましたが・・・。
この本は私が「歴史学者にとっては歴史って文献なんだな」という印象を持った学者とは少し違っていて、もちろん文献を徹底的に調べて証拠を出してくるところまでは同じだけれど、そこに登場する人物が一人一人思いを持ち、迷い、決断する人間として立ち上がってくるような記述をしていて、そういって貶めることにならなければ、ドラマチックな叙述になっています。
だからこそまた、これまで私の中で否定的な戦争指導者層であったような人たちの思いと行動にも賛成はしないけれども寄り添ってしまうところがあります。自分の「遅く生まれた特権」をいったんカッコに入れて、その人たちの思いや行動を、そのときそのときの情勢の中での、いわば「やむをえざる」あるいは「やむにやまれる」もののように幾分か感じてしまいます。
なぜいま書いたような気持になるかと言えば、個々の場面での一人一人の思いと行動、その選択を、著者はここでも、まだこういう余地があったのに、こうしてしまった、こちらを選んでしまったよ、とそれ以外の可能であったかもしれない選択肢を指し示すような展開の仕方をしてはいるのですが、そこに本当は疑問の余地があって、果たしてそうだろうか。
ここで彼がそうじゃない行動をとったとしても、そううまくはいかなかったのではないか、という思いもまた強いからです。そこに、「やむをえざる」とか「やむにやまれる」行動であった、というような誤解を招くかもしれない思いが残る理由があります。
私のような読み方、受け止め方をしてしまうと、この本は著者の意図とは正反対の読み方もできることになってしまうかもしれません。その意味では歴史の掘り起こしという作業の結果は両義的で、安倍さんなんかも、「それみたことか、私たちが言って来たことが実証的に証明されてるじゃないか、自虐史観の過ちがはっきりしたじゃないか」、なんて喜ぶんじゃないでしょうか(笑)
それはどうでもいいので、若い人が読んで感想を聞かせてくれると嬉しいのですが・・・。
この著書も同じ著者の『戦争まで』と同様、なぜ(いまの時点で冷静に見れば)判断力ゼロ、想像力ゼロとしか思えない愚かな選択をして戦争への道に踏み込んでいったのか、という問いに、歴史的証言を丹念に辿って聴衆である高校生たちと答えを求めようとするプロセスが本になっています。
私の親の世代の経験した太平洋戦争についてだけ触れてみると、その章の冒頭、戦後に東大総長になる南原繁が開戦の日に詠んだ短歌を入口に、客観的事実を数字で示しています。
人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ(南原繁の開戦の日に詠んだという短歌)
開戦時の国民総生産でいえば、アメリカは日本の12倍、すべての重化学工業・軍需産業の基礎となる鋼材は日本の17倍、自動車保有台数にいたっては日本の160倍、石油は日本の721倍もあった。・・・
これは明治大学の山田朗『軍備夷拡張の近代史』の挙げた数字だそうで、こうした日米の国力の差は当時も自覚されていたから、南原はこういう歌を詠んだのだ、と。
これと呼応するように、最後のほうで紹介されている水野廣徳という軍人の言葉(「無産階級と国防」1929 の引用らしい)があります。
かくの如く戦争が機械化し、工業化し、経済力化したる現代においては、軍需原料の大部分を外国に仰ぐがごとき他力本願の国防は、あたかも外国の傭兵によって国を守ると同様、戦争国家としては致命的弱点を有せるものである。極端に評すればかくの如き国は独力戦争をなすの資格を欠けるもので、平時にいかに盛んに海陸の軍備を張るとも、ひっきょうこれ砂上の楼閣に過ぎないのである。
軍人でさえ、これだけの認識を持った人もいた。なのになぜ?という問いを粘り強く投げかけながら日本近代史の節目の選択がどうなされてきたかを辿っていきます。
その中で、蒋介石が国内で共産党の殲滅を優先して「日本に対しては提携主義をとる」ことをわざわざ駐日公使を読んで伝えたとか、私などは強硬一辺倒だと思っていた松岡洋右が、対英をはじめとする国際的な情勢判断から、三十三年一月の段階でも、「物は八分目にてこらゆるがよし」と、国際連盟の日本への態度の硬化に楽観的だった内田外相に電報を打っていた、などというのを初めて知りました。
前者は中国の内戦と抗日の歴史はならって知っていたわけですが、指導者の行動として具体的にこうだった、というのは、ほう!という感じでした。松岡については全く意外でした。
また、天皇の側近だった奈良侍従武官や西園寺公望が、陸軍の熱河作戦を決定した閣議決定の取り消しを願い出た斎藤首相に対して否定的(消極的)だった、というのもちょっと意外でした。でもこれは裁可の取り消しが天皇の権威を失わせる、という考え方だったんだ、と言われれば納得するところはあります。
それにしても国際情勢を読み誤った外相が、満州国について日本が強く出れば、中国の国民政府の中にいる対日宥和派が日本との直接考証に乗り出してくるだろう、と考えて強硬な姿勢をとったなんて、国の運命をハッタリでなんとかしようなんて人物が外相にいたんだなぁ、といささかみじめな気持ちになります。いずれにせよ満州にいた陸軍の行動でそんな思惑も吹っ飛んでしまうのではありますが。
岩手県の太平洋戦争開戦から敗戦までの死者3万7千余人のうち、44年以降の戦死者が87.6%を占めている、つまり戦争の最後の1年半で戦死者の9割が発生している、という事実にも、44年に見習士官として出征した叔父のことを考えつづけている私としては、深く考えさせられるものがあり、ショックでした。
もうひとつ、やっぱり・・・と日本人としてがっかりさせられる事実を突きつけられるところがあります。この本の最後のほうの記述で、捕虜の扱いに関するところにある、「ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%にすぎません。ところが、日本軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.3%にのぼりました。」という箇所。
著者は、もともと自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格がそのまま捕虜への虐待につながっているのだと、的確に指摘しています。さらに、「このような日本軍の体質は、国民の生活にも通底し」、「戦時中の日本は国民の食糧を最も軽視した国の一つだと思」う、と書いています。40年段階で41%もいた農民、農業生産を支えるノウハウを持つ人たちも含めて、全部兵隊にしてしまった、と。
その点、ドイツは「45年3月、降伏する2カ月前までのエネルギー消費量は、33年の1,2割増しで、戦前よりも良かった」のだそうです。「国民に配給する食糧だけは絶対に減らさないようにしていた。」・・・すごいですね。ドイツという国はやっぱりすごい。
余談ですが、若いころヨーロッパを放浪していたとき、ヒッチハイクでロンドンから大陸にわたってあちこち見物しながら、スゥエーデンのイェテボリで2~3カ月アルバイトして滞在したあとスカンジナビア半島をぐるっとまわったことがありますが、いろんな国の人の車に便乗させてもらったけれど、一番面白かったのはドイツの同じ世代、少し私より若い男子ばかりの学生たち3~4人の車にひろってもらったときでした。
彼らにとっても外国語である英語はよく聞き取れてこちらのへたくそな英語も通じるし、彼らは夏休みの気楽な旅で冗談ばかり言っていた中にも、根は生真面目できちんとしているな、と直観できるような子たちで、なんかウマがあう、という感じで、話し方も論理的でよくわかるし、文学の好きな連中でハインリッヒ・ベルがいい、というような話をしてワイワイ議論しながら、途中でトナカイに出会ったりしながらラップランドの白樺の林の中を延々と北への道を走ったのですが、彼等ドイツの若者にはとても好感を覚えた思い出があります。
やっぱり上に書いたような戦時の国民の食糧のこととか、捕虜の扱いとか、大局的には敵味方の国力の冷徹な比較による判断とか、そういうことは大雑把に言えば理念とか論理とかいったものを大切にしてきたドイツ人のような国民にしか、ちゃんと考えられんのだろうなぁ、と思わずにはいられません。理念とか論理とかでは、私たちの伝統はまことに貧しいような気がします。その差だというのは思い過ごしでしょうか。
日本人の場合は、判断が直観的というのか、対象の構造とかを経てそれを再構成する形でこちら側に対象が像を結ぶいとまもなく、対象が構造も何も無くして、手触りのきく皮膚感覚みたいに、ほとんどじかに五官まで降りてきてしまうような気がします。
目でよく見なさい、と言わなきゃならないのですが、聴覚に届く音におびえ、嗅覚で見えない相手をおっかなびっくり手探りして、過大あるいは過小な像を描いてしまう。自分を内省してみても、そういうところが無きにしも非ずだな、と感じるのですが、みなさんはいかがでしょう?
著書から外れてしまいましたが、この本はとくに若い方にはお勧め。「戦争まで」と併せて読まれることを強くおすすめします。
ただ、私は2冊読み終わったところで、少しだけ或る違和感を残している点もなくはないので、最後にそれだけ書きとめておきましょう。
「戦争まで」の感想の時、少し触れたような気もするのですが、こうして戦争の時代を潜り抜けてきた政府の要人や軍人たちの指導者層の思いや行動を、昔は公開されず、知られることもなかった、当時の日記や書簡や電報など、様々な記録文書を駆使して証拠だて、描いてもらうと、それと著者が理解の助けに要約的に描いてくれる国際情勢や国内の社会情勢などの中でそれらを読み解く形で、そうかそうか、こういうふうに道を選んで、あるいは選び間違えて、こういう道行に至ったか、とスリルとサスペンスに満ちた物語を読むように楽しみ、納得しながら読んでいくのですが、そうやって読んでいくと、どうしても明治の開国以来の日本の世界における立場というのが基軸になって、この種の歩みが歴史の必然というのか、「やむをえなかった道行」のように見えてくるところがあります。
それはもちろん著者の意図とは違うので、だからこそ、"ああもありえた、こうもありえたのに、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」" なのですね。
歴史を一本道の「必然」 のように見なすのでなく、そのつど様々な可能性を探る中で「選択」してきたプロセスとして、証拠をあげながら、その選択に加担した個人の思いや行動をとりあげて語る方法をとっています。歴史はあくまでも、その微分化された無数の個人たちの思いと行動の積分値でしかない。
それはよくわかるのですが、この2冊を読み終わった時、どうも当時の為政者や軍人たちの内面をくぐってきた私たち読者は、幾分か彼らになりきってしまうせいか、「きみら後世の人は色々いうだろうがね、当時こうやって生きてきた私たちは、私たちなりに置かれた立場、置かれた情況のなかで、精一杯国のために良かれと考えて体を張ってやってきたんだよ」という声が聞こえてくるような気がするのです。
もちろん彼らの判断と行動の結果が国内外を問わず前代未聞の惨禍の中にかつてない膨大な民衆を叩き込んだことはどんな言い訳もできない、指導層の責任ですが、では明治維新でよちよち歩きを始めたばかりの日本が虎や狼の群れの中に放り込まれたような状況(そう単純化しちゃいけないよ、というのがこの本の言うところの一つではあるのですが・・・大雑把には、やっぱり・・・)の中で、どうすればよかったのか。
むろん後世、いくらでも' if ' は言えるでしょうが、「じゃお前、そこにその立場でいたら、間違いなくそうじゃない道を行けたかね」、とあの世で彼らは嗤うでしょうね。
そうすると、私は決して「大東亜戦争肯定論」者などではないけれども、心情的には、日本をここまで導いてきた指導層のここで描かれたような姿に、たとえ右往左往し、ときにひどい間違いを冒す姿であっても、寄り添ってしまうところがあります。
」
たぶんそれは、この本の歴史の描き方、辿り方の方法的なものの中に理由があるだろうと思います。
わたしはかつて或る歴史博物館の構想・計画づくりに足掛け6年間ばかりつきあってきたことがありますが、そのときに歴史家や歴史家の卵みたいな研究者たちと多少なりとつきあって、彼ら(考古学者を除けば)にとって、「歴史」とは文献なんだな、という印象を非常に強く持ちました。なにかあれば、それはいつの何という文献のどこに書いてある、という答えがたちまち出てくる。
私たち素人にとっては、むしろそこから立ち上がってくる人間の劇のようなものの軌跡が「歴史」なので、どちらかというと映画やテレビの歴史ドラマみたいなものの方が、よほど「歴史」のイメージに近いし、そうでなくては歴史なんて誠に面白くないものだな、と思いました。
博物館の展示は市民との接点ですから、歴史の専門家である学芸員と素人である市民との対話の場になります。だから、歴史は文献(あるいは遺物)では済まない。だからといって、フィクションの歴史ドラマにしてしまうわけにはいきません。それをどうつなぐかが、私のような両者のつなぎ手の役割だったので、それなりに色々考えましたが・・・。
この本は私が「歴史学者にとっては歴史って文献なんだな」という印象を持った学者とは少し違っていて、もちろん文献を徹底的に調べて証拠を出してくるところまでは同じだけれど、そこに登場する人物が一人一人思いを持ち、迷い、決断する人間として立ち上がってくるような記述をしていて、そういって貶めることにならなければ、ドラマチックな叙述になっています。
だからこそまた、これまで私の中で否定的な戦争指導者層であったような人たちの思いと行動にも賛成はしないけれども寄り添ってしまうところがあります。自分の「遅く生まれた特権」をいったんカッコに入れて、その人たちの思いや行動を、そのときそのときの情勢の中での、いわば「やむをえざる」あるいは「やむにやまれる」もののように幾分か感じてしまいます。
なぜいま書いたような気持になるかと言えば、個々の場面での一人一人の思いと行動、その選択を、著者はここでも、まだこういう余地があったのに、こうしてしまった、こちらを選んでしまったよ、とそれ以外の可能であったかもしれない選択肢を指し示すような展開の仕方をしてはいるのですが、そこに本当は疑問の余地があって、果たしてそうだろうか。
ここで彼がそうじゃない行動をとったとしても、そううまくはいかなかったのではないか、という思いもまた強いからです。そこに、「やむをえざる」とか「やむにやまれる」行動であった、というような誤解を招くかもしれない思いが残る理由があります。
私のような読み方、受け止め方をしてしまうと、この本は著者の意図とは正反対の読み方もできることになってしまうかもしれません。その意味では歴史の掘り起こしという作業の結果は両義的で、安倍さんなんかも、「それみたことか、私たちが言って来たことが実証的に証明されてるじゃないか、自虐史観の過ちがはっきりしたじゃないか」、なんて喜ぶんじゃないでしょうか(笑)
それはどうでもいいので、若い人が読んで感想を聞かせてくれると嬉しいのですが・・・。
2016年09月26日
小説版「君の名は」
新海誠の新作映画「君の名は。」が記録的な興行成績を上げているといった新聞記事に接しました。先日書いたように、本当に素敵な映画なので、当然だろうと思います。
今回は監督が自作映画のノベライズで「小説 君の名は。」を書いたものを読みました。ノベライズと言ってもまだ映画が完成していない、あと3カ月くらいで完成というときに発表された作品だと、あとがきにありました。
監督としても当初は小説を書こうとは思わず、アニメーション映画という形がふさわしいと考えていたようですが、映画かノベライズされた小説かといえば、もちろん映画だ、ということになるでしょう。ことに私のように映画を見てしまってから小説を読むと、この小説が小説としてどうか、という評論家的判断が微妙になってしまう気がします。
しかし、そうかと言って、先に小説を読んでしまうと、いわゆるネタバレで映画を見ることになるから、最初に映画を見ることのインパクトが減じるのではないかと思います。これから見たり読んだりされる方には、やはりまず映画のほうを、とオススメします。
大抵は映画のノベライズというのは、映画のストーリーをなぞるだけで、小説作品として自立することは珍しい。それはちょうど、逆のケース、文芸作品を原作とする文芸映画に失敗作が多い(と独断的に言いますが)のと同じことです。漱石の長編の映画化など思い浮かべれば誰でも納得されるでしょう。大衆小説の場合は、「風と共に去りぬ」とか「許されざる者」(バーとランカスター&オードリィ・ヘップバーン主演のほうです)とか色々例外はありますが・・・
でもこの作品は、たしかに映画のストーリーをなぞっただけのようにも見えるけれど、主人公二人の一人称視点で書かれることで、より明瞭になったこともあり、私は読んでいて映画の各シーンがまざまざと思い浮かんで、もう一回心のスクリーンに映画を映し出して楽しめたようなところがあります。
主人公の気持ちを通すことで、映画とは違って登場人物の思いや作者=監督自身の思いがわりとストレートに伝わってくるところがある、というのは次のような箇所です。
かつてとても強い気持ちで、俺はなにかを決心したことがある。
帰り道に誰かの窓灯りを見上げながら、コンビニで弁当に手を伸ばしながら、ほどけた靴の紐を結びなおしながら、そんなことをふと思い出す。
俺はかつて、なにかを決めたのだ。誰かと出逢って、いや、誰かと出逢うために、なにかを決めたのだ。
・・・・・・
でも、俺は今ももがいている。大袈裟な言い方をしてしまえば、人生にもがいている。かつて俺が決めたことは、こういうことではなかったか。もがくこと。生きること。息を吸って歩くこと。走ること。食べること。結ぶこと。あたりまえの町の風景に涙をこぼしてしまうように、あたりまえに生きること。
あとすこしだけでいい。もうすこしだけでいい。
なにを求めているのかもわからず、でも、俺はなにかを願い続けている。
・・・・・・
今回は監督が自作映画のノベライズで「小説 君の名は。」を書いたものを読みました。ノベライズと言ってもまだ映画が完成していない、あと3カ月くらいで完成というときに発表された作品だと、あとがきにありました。
監督としても当初は小説を書こうとは思わず、アニメーション映画という形がふさわしいと考えていたようですが、映画かノベライズされた小説かといえば、もちろん映画だ、ということになるでしょう。ことに私のように映画を見てしまってから小説を読むと、この小説が小説としてどうか、という評論家的判断が微妙になってしまう気がします。
しかし、そうかと言って、先に小説を読んでしまうと、いわゆるネタバレで映画を見ることになるから、最初に映画を見ることのインパクトが減じるのではないかと思います。これから見たり読んだりされる方には、やはりまず映画のほうを、とオススメします。
大抵は映画のノベライズというのは、映画のストーリーをなぞるだけで、小説作品として自立することは珍しい。それはちょうど、逆のケース、文芸作品を原作とする文芸映画に失敗作が多い(と独断的に言いますが)のと同じことです。漱石の長編の映画化など思い浮かべれば誰でも納得されるでしょう。大衆小説の場合は、「風と共に去りぬ」とか「許されざる者」(バーとランカスター&オードリィ・ヘップバーン主演のほうです)とか色々例外はありますが・・・
でもこの作品は、たしかに映画のストーリーをなぞっただけのようにも見えるけれど、主人公二人の一人称視点で書かれることで、より明瞭になったこともあり、私は読んでいて映画の各シーンがまざまざと思い浮かんで、もう一回心のスクリーンに映画を映し出して楽しめたようなところがあります。
主人公の気持ちを通すことで、映画とは違って登場人物の思いや作者=監督自身の思いがわりとストレートに伝わってくるところがある、というのは次のような箇所です。
かつてとても強い気持ちで、俺はなにかを決心したことがある。
帰り道に誰かの窓灯りを見上げながら、コンビニで弁当に手を伸ばしながら、ほどけた靴の紐を結びなおしながら、そんなことをふと思い出す。
俺はかつて、なにかを決めたのだ。誰かと出逢って、いや、誰かと出逢うために、なにかを決めたのだ。
・・・・・・
でも、俺は今ももがいている。大袈裟な言い方をしてしまえば、人生にもがいている。かつて俺が決めたことは、こういうことではなかったか。もがくこと。生きること。息を吸って歩くこと。走ること。食べること。結ぶこと。あたりまえの町の風景に涙をこぼしてしまうように、あたりまえに生きること。
あとすこしだけでいい。もうすこしだけでいい。
なにを求めているのかもわからず、でも、俺はなにかを願い続けている。
・・・・・・
2016年09月24日
新海誠監督「君の名は。」
素敵なアニメ映画でした。観客席が若いアベックばかりで、少し恥ずかしかったけど(笑)、パートナーはお友達と内子町へ遊びに行ったので、きょうは一人で見てきました。
愛、あるいは対幻想というのをやさしく云えば、誰かほかの一人をいつも意識せざるを得ない心の状態なのでしょう。或いは自分を失っても相手の中に融け入ってしまいたい、ひとつになりたい。神々の時代には両性はもともと一体だったそうですが、それは私たちには適わないから、幻想として一つになる事を求めていつもどこにいても引き合い、惹かれあっている。
そうすると私たちの現実の中で起り得る愛のドラマというのは、いつでもどこにいても互いに求め合う二人が、様々な偶然と必然によって近づき、すれ違い、離れ、また近づいて、いつか一つになるか、永遠に別れてしまうか、それしかないでしょう。
この映画は真正面からこの対幻想の本質を、そしてそれだけを抜群に魅力的なぶっ飛んでいて巧みな設定で鮮やかに描いてみせた作品でした。 その意味ではあらゆるメロドラマの本道を行くような作品で、もちろん私たち旧世代の記憶の中にある、「放送時間帯には銭湯の女湯が空っぽになる」と云われた古典的メロドラマの傑作「君の名は」とも共通であります。
メロドラマの手法の核心は二人の「いま・ここ」にある、という現実的条件のもとでの、時空のずれにあることは言うまでもなく、ひとつの時間のもとでは空間的にズレ、一つの空間を固定すれば時間がずれてしまう、そのすれちがいにあります。
古典的なメロドラマでは相手がどんな人かはほとんどわからない。だからこれから自分が知るべき未知の君の名を尋ねるのだけれど、この作品では相手の「いま・ここ」にある人生を他方が生きることによって、その名は既知だから、物語を支える二人の心の転換が起きなくなれば~あるいは「夢」から覚めれば~忘れられてしまうがゆえに、君の名はと、立花瀧の問う声は過去の方へ投じられる。
その過去にあるのは・・・・この映画も先日観た「シン・ゴジラ」と同じように、東北大震災の記憶が深く刻まれた作品です。人を愛することの中で一番つらいのは、愛する人を亡くすことでしょう。
もちろんこの作品は観客を絶望の淵に置き去りにしない優しい配慮をしてくれていますから、安心してみてください。でも、瀧が時間のずれに気づいて、クレーターのような場所のまん中にある石室のお社へ、この世とあの世を分ける浅い水を渡っていくとき、私たちは殆ど最愛の人を失った恋人たちのように絶望し、悲しみのどん底に降りたつ思いがすると云ってもいいでしょう。
互いの心が入れ替わり、互いの「いま・ここ」を生き、そのありふれた現代っ子の日々を生き生きと生き、肌で感じ、その思いを内側から知った二人だからこそ、その切なさは知らない場合の何倍も強く、深いのです。それを二人とともに互いの内側から共有してきた私たち観客も、時空のはざまですれ違ってしまう二人に涙せずにはいられません。
私は新海監督のアニメは初めてですが、いままでのすべての彼のアニメを見たいと思いました。誰かが描いた既存のマンガを原作としたものではなく、彼はこれまで一人で作品をオリジナルに創ることにこだわってきた映画作家のようです。すばらしいと思います。
愛、あるいは対幻想というのをやさしく云えば、誰かほかの一人をいつも意識せざるを得ない心の状態なのでしょう。或いは自分を失っても相手の中に融け入ってしまいたい、ひとつになりたい。神々の時代には両性はもともと一体だったそうですが、それは私たちには適わないから、幻想として一つになる事を求めていつもどこにいても引き合い、惹かれあっている。
そうすると私たちの現実の中で起り得る愛のドラマというのは、いつでもどこにいても互いに求め合う二人が、様々な偶然と必然によって近づき、すれ違い、離れ、また近づいて、いつか一つになるか、永遠に別れてしまうか、それしかないでしょう。
この映画は真正面からこの対幻想の本質を、そしてそれだけを抜群に魅力的なぶっ飛んでいて巧みな設定で鮮やかに描いてみせた作品でした。 その意味ではあらゆるメロドラマの本道を行くような作品で、もちろん私たち旧世代の記憶の中にある、「放送時間帯には銭湯の女湯が空っぽになる」と云われた古典的メロドラマの傑作「君の名は」とも共通であります。
メロドラマの手法の核心は二人の「いま・ここ」にある、という現実的条件のもとでの、時空のずれにあることは言うまでもなく、ひとつの時間のもとでは空間的にズレ、一つの空間を固定すれば時間がずれてしまう、そのすれちがいにあります。
古典的なメロドラマでは相手がどんな人かはほとんどわからない。だからこれから自分が知るべき未知の君の名を尋ねるのだけれど、この作品では相手の「いま・ここ」にある人生を他方が生きることによって、その名は既知だから、物語を支える二人の心の転換が起きなくなれば~あるいは「夢」から覚めれば~忘れられてしまうがゆえに、君の名はと、立花瀧の問う声は過去の方へ投じられる。
その過去にあるのは・・・・この映画も先日観た「シン・ゴジラ」と同じように、東北大震災の記憶が深く刻まれた作品です。人を愛することの中で一番つらいのは、愛する人を亡くすことでしょう。
もちろんこの作品は観客を絶望の淵に置き去りにしない優しい配慮をしてくれていますから、安心してみてください。でも、瀧が時間のずれに気づいて、クレーターのような場所のまん中にある石室のお社へ、この世とあの世を分ける浅い水を渡っていくとき、私たちは殆ど最愛の人を失った恋人たちのように絶望し、悲しみのどん底に降りたつ思いがすると云ってもいいでしょう。
互いの心が入れ替わり、互いの「いま・ここ」を生き、そのありふれた現代っ子の日々を生き生きと生き、肌で感じ、その思いを内側から知った二人だからこそ、その切なさは知らない場合の何倍も強く、深いのです。それを二人とともに互いの内側から共有してきた私たち観客も、時空のはざまですれ違ってしまう二人に涙せずにはいられません。
私は新海監督のアニメは初めてですが、いままでのすべての彼のアニメを見たいと思いました。誰かが描いた既存のマンガを原作としたものではなく、彼はこれまで一人で作品をオリジナルに創ることにこだわってきた映画作家のようです。すばらしいと思います。
2016年09月20日
加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
私はこの先に書かれた本を読んでいなくて、最近出たばかりの『戦争まで』の方を先に読んで、次から次へと近代史の自分の中のイメージがひっくり返されたり壊されたりするような目から鱗の体験をして、このブログでそのことを書いたのですが、それを読み終えたので今度は先に出ていた同じ著者の標記の本を読みだし、400ページちょっとの本のいま250ページほどまで読んだところです。
でもすでにこの本も抜群に面白いことが分かりました。早く読むのが惜しいから、ちょっと休憩(笑)。私の父方の祖父はもちろんとうの昔に癌で亡くなりましたが、 日露戦争に出たということを聞いたことがありました。ただそれだけのことで、彼の経験したことはまったく彼の口から聴いたおぼえはなく、私の知識、イメージのすべては中学、高校の歴史の時間にちょいと習う程度の「日清・日露戦争」でありました。
ですから、当然、明治維新で曲がりなりにも近代化を果たし、なお列強との間では不平等条約のもとに甘んじてきた日本が、富国強兵に邁進し、遅れてきた亜細亜の帝国主義国家として列強に伍して、先に帝国主義的な侵略による分割を終えていた欧米列強に対抗しうる力を養い、彼等の間に割って入って中国、朝鮮、西太平洋諸島に領土的野心を実現せんとして、時に列強の干渉を受け、ロシアと対峙し、中国・朝鮮の抵抗に遭いながら、軍事力に物を言わせて、清国およびロシアに戦争を仕掛けてなんとかかんとか思惑どおりの結果を導いてきたんだな、くらいの漠然とした認識しか持っておりませんでした。
もちろん一応はその時のヨーロッパ情勢やら、ロシアや中国の国内事情なども習い、日露戦争などは負けても不思議じゃない実力のところを運よくぎりぎりのところで勝利をおさめたのに、国民の方は勝った勝ったと大騒ぎで、外務大臣の小村寿太郎が苦労してやっとの思いで日本に有利な講和にこぎつけて帰国したのに、待っていたのは、日本は戦勝国なのにこの結果か!と憤る国民の声だった、というようなことも高校の日本史の教師が話してくれたのを覚えていましたが、所詮は自分で調べも考えもせず歴史は暗記科目、と割り切った姿勢で受け取っていただけの、紋切型の歴史認識でありました。
今回この本を読んで今迄のところで一番興味深かったのは、ロシアと日本の衝突の中で、日本が対欧州列強向けに満州の平等な門戸開放が問題であるかのような姿勢をとりつつ、実は朝鮮が肝であり、山東半島こそがかけひきの主戦場だと認識していたのをロシアも列強もまんまと日本の思惑どおり読み違えてくれた、というような部分。
それから、日露戦争に関しては、日英同盟を結んだころから周到に準備して、いわばロシアに対して先に仕掛ける積極性をもっていたように漠然と思っていましたが、ここでも日本の元老をはじめ権力者たちが一部を除いて意外にも直前まで消極的で、むしろロシアン側がいわば好戦的であったことを、日本側の記録とロシア側の記録の両方から照らし出しているところも、目から鱗が落ちるようでした。
日本が明治維新でよちよち歩きの近代国家として必死で欧米列強に学び、これに対抗できる力を蓄えようと殖産興業、富国強兵につとめ、軍備を拡張し、国力をつけてきて、欧米やロシア、中国、朝鮮、それぞれの相互関係や内情を巧みに利用しながら自分も列強に伍して植民地争奪戦に割って入ろうとしたことは大筋の流れとして間違いはないけれど、それは若いころともすればそう思いがちだったような、軍国主義的、好戦的なやり方で無謀な拡張を図ったというわけではなかった。そんなに単純なものではなく、複雑な国際情勢の中で、自分自身を変え、リスクを犯しながら精一杯進むべき道を模索しながらやってきた結果なんだ、というのが、国際関係の説明や主要人物の動きや、ときに記録に残された心情をとりあげることで説得的に語られていきます。
推理小説を読むような、ワクワクするストーリー、いや、ヒストリーの語り口で、読書の醍醐味が味わえること請け合いですが、こうしてむき出しのパワーポリティックスの中でずる賢い欧米列強に対抗し、中国、朝鮮の抵抗を抑えて、自国の利益を確保し、生き延びようとする生まれて間もない近代国家日本の歩みを、思ったほど悪者ではなかった(笑)為政者たちの思いやその行動とともに辿らされると、学生時代に流行った(否定的な意味で)林房雄の「大東亜戦争肯定論」や、その後の保守的な政治家が時折本音を漏らしては叩かれてきたような歴史のストーリーが、大きな流れの汲み取り方としてはそんなにおかしなものでもないんじゃないか(笑)、と思えてきます。
もちろん軍事力を背景とする他国への侵攻や脅しによる領土の割譲、実質的な植民地支配、そしてそのもとで行われてきた他国の民への数限りない非道の行いについては倫理的に簡単に浄化されるようなものではないことは言うまでもありません。
保守的な政治家などの議論がそういう具体的な一人一人の人間に対する関係性、言ってみれば人倫にかかわることをすっ飛ばしてしまって、国家を主役とする悲劇であるかのようなストーリー、いやヒストリーに読み替えてしまうところには、保守思想の持主ならではの誤解でなければ、許し難い欺瞞とすり替え、意図的な操作があると思います。
人間の歴史のうちにあるのはあくまでも人間の悲喜劇で、それを捨象して国家を擬人化し、主人公とした英雄譚のようなストーリーをそのままヒストリーとすることは大いなる欺瞞でありましょう。
この著者は、もちろんそういう大雑把な心情的保守主義者のような歴史認識を肯定するでもなく、かつての進歩的な歴史学者のようにイデオロギー的に軍国主義や植民地主義的な思想とそれを報じる歴史的な権力者たちを切って捨てることなく、丹念にその言葉を掘り起こし、そこで軍国主義とされ、植民地主義とされてきたような権力者たちや彼らに運命を託されてきた国家の歩みを、個人の日記で思いを明らかにするような微分的な方法から、当時のイギリス、フランス、ドイツなどの列強、ロシア、中国、朝鮮、アメリカなどとの亜細亜をめぐるシビアな位置取りの構図へと積分されてな巨視的な構図の中で、そうした人物の思いや動きが、どう一つ一つの国家の選択に結びつき、近代日本の描く軌跡に積分されていくかを、手に汗握るような語り口で展開していきます。
この本を読んだあとで、私はもう一度若いころの幾分か進歩主義者であった自分と向き合って、生まれたての近代国家日本の歩みを、その中で精一杯もがいてきた人物たちを、鱗の落ちた目で見返して対話しなおしてみたい、という気持ちにさせられています。
でもすでにこの本も抜群に面白いことが分かりました。早く読むのが惜しいから、ちょっと休憩(笑)。私の父方の祖父はもちろんとうの昔に癌で亡くなりましたが、 日露戦争に出たということを聞いたことがありました。ただそれだけのことで、彼の経験したことはまったく彼の口から聴いたおぼえはなく、私の知識、イメージのすべては中学、高校の歴史の時間にちょいと習う程度の「日清・日露戦争」でありました。
ですから、当然、明治維新で曲がりなりにも近代化を果たし、なお列強との間では不平等条約のもとに甘んじてきた日本が、富国強兵に邁進し、遅れてきた亜細亜の帝国主義国家として列強に伍して、先に帝国主義的な侵略による分割を終えていた欧米列強に対抗しうる力を養い、彼等の間に割って入って中国、朝鮮、西太平洋諸島に領土的野心を実現せんとして、時に列強の干渉を受け、ロシアと対峙し、中国・朝鮮の抵抗に遭いながら、軍事力に物を言わせて、清国およびロシアに戦争を仕掛けてなんとかかんとか思惑どおりの結果を導いてきたんだな、くらいの漠然とした認識しか持っておりませんでした。
もちろん一応はその時のヨーロッパ情勢やら、ロシアや中国の国内事情なども習い、日露戦争などは負けても不思議じゃない実力のところを運よくぎりぎりのところで勝利をおさめたのに、国民の方は勝った勝ったと大騒ぎで、外務大臣の小村寿太郎が苦労してやっとの思いで日本に有利な講和にこぎつけて帰国したのに、待っていたのは、日本は戦勝国なのにこの結果か!と憤る国民の声だった、というようなことも高校の日本史の教師が話してくれたのを覚えていましたが、所詮は自分で調べも考えもせず歴史は暗記科目、と割り切った姿勢で受け取っていただけの、紋切型の歴史認識でありました。
今回この本を読んで今迄のところで一番興味深かったのは、ロシアと日本の衝突の中で、日本が対欧州列強向けに満州の平等な門戸開放が問題であるかのような姿勢をとりつつ、実は朝鮮が肝であり、山東半島こそがかけひきの主戦場だと認識していたのをロシアも列強もまんまと日本の思惑どおり読み違えてくれた、というような部分。
それから、日露戦争に関しては、日英同盟を結んだころから周到に準備して、いわばロシアに対して先に仕掛ける積極性をもっていたように漠然と思っていましたが、ここでも日本の元老をはじめ権力者たちが一部を除いて意外にも直前まで消極的で、むしろロシアン側がいわば好戦的であったことを、日本側の記録とロシア側の記録の両方から照らし出しているところも、目から鱗が落ちるようでした。
日本が明治維新でよちよち歩きの近代国家として必死で欧米列強に学び、これに対抗できる力を蓄えようと殖産興業、富国強兵につとめ、軍備を拡張し、国力をつけてきて、欧米やロシア、中国、朝鮮、それぞれの相互関係や内情を巧みに利用しながら自分も列強に伍して植民地争奪戦に割って入ろうとしたことは大筋の流れとして間違いはないけれど、それは若いころともすればそう思いがちだったような、軍国主義的、好戦的なやり方で無謀な拡張を図ったというわけではなかった。そんなに単純なものではなく、複雑な国際情勢の中で、自分自身を変え、リスクを犯しながら精一杯進むべき道を模索しながらやってきた結果なんだ、というのが、国際関係の説明や主要人物の動きや、ときに記録に残された心情をとりあげることで説得的に語られていきます。
推理小説を読むような、ワクワクするストーリー、いや、ヒストリーの語り口で、読書の醍醐味が味わえること請け合いですが、こうしてむき出しのパワーポリティックスの中でずる賢い欧米列強に対抗し、中国、朝鮮の抵抗を抑えて、自国の利益を確保し、生き延びようとする生まれて間もない近代国家日本の歩みを、思ったほど悪者ではなかった(笑)為政者たちの思いやその行動とともに辿らされると、学生時代に流行った(否定的な意味で)林房雄の「大東亜戦争肯定論」や、その後の保守的な政治家が時折本音を漏らしては叩かれてきたような歴史のストーリーが、大きな流れの汲み取り方としてはそんなにおかしなものでもないんじゃないか(笑)、と思えてきます。
もちろん軍事力を背景とする他国への侵攻や脅しによる領土の割譲、実質的な植民地支配、そしてそのもとで行われてきた他国の民への数限りない非道の行いについては倫理的に簡単に浄化されるようなものではないことは言うまでもありません。
保守的な政治家などの議論がそういう具体的な一人一人の人間に対する関係性、言ってみれば人倫にかかわることをすっ飛ばしてしまって、国家を主役とする悲劇であるかのようなストーリー、いやヒストリーに読み替えてしまうところには、保守思想の持主ならではの誤解でなければ、許し難い欺瞞とすり替え、意図的な操作があると思います。
人間の歴史のうちにあるのはあくまでも人間の悲喜劇で、それを捨象して国家を擬人化し、主人公とした英雄譚のようなストーリーをそのままヒストリーとすることは大いなる欺瞞でありましょう。
この著者は、もちろんそういう大雑把な心情的保守主義者のような歴史認識を肯定するでもなく、かつての進歩的な歴史学者のようにイデオロギー的に軍国主義や植民地主義的な思想とそれを報じる歴史的な権力者たちを切って捨てることなく、丹念にその言葉を掘り起こし、そこで軍国主義とされ、植民地主義とされてきたような権力者たちや彼らに運命を託されてきた国家の歩みを、個人の日記で思いを明らかにするような微分的な方法から、当時のイギリス、フランス、ドイツなどの列強、ロシア、中国、朝鮮、アメリカなどとの亜細亜をめぐるシビアな位置取りの構図へと積分されてな巨視的な構図の中で、そうした人物の思いや動きが、どう一つ一つの国家の選択に結びつき、近代日本の描く軌跡に積分されていくかを、手に汗握るような語り口で展開していきます。
この本を読んだあとで、私はもう一度若いころの幾分か進歩主義者であった自分と向き合って、生まれたての近代国家日本の歩みを、その中で精一杯もがいてきた人物たちを、鱗の落ちた目で見返して対話しなおしてみたい、という気持ちにさせられています。
2016年09月13日
「ゴジラ」(1954) & 「シン・ゴジラ」(2016)
(元祖ゴジラ)
今日久しぶりに映画館へ行って、4回生の或る学生さんが「うん、面白かったよ」と言っていた「シン・ゴジラ」を観てきました。どうせなら、と思って、昨夜、手元にあったDVDで1954年の元祖「ゴジラ」のほうをもう一度見ておきました。
まずは元祖「ゴジラ」1954年版のほうから。ずいぶん以前に2度くらいは見ている作品ですが、今回こまかいところまで見て、忘れっぽい私は、あぁ、こういう場面があったっけ、なんていうところが結構ありました。
そういう細かなところはともかく、今の時点でこの作品を見ると、それは特撮と言っても、玩具みたいなミニチュアを使ったことがまるわかりの、嵐でひっくり返るボートやヘリコプターみたいなのや、潰される家々などのようなのは箱庭的なチャチなものに見えるし、河内桃子は素敵だし(笑)、志村喬(古生物学者山根博士)のようなベテランの演技もあるけれど、若い宝田明演じる緒方と河内桃子演じる山根博士の娘との恋愛関係とか、ゴジラを葬る唯一最後の武器オクシジェンデストロイヤーの発明者隻眼の芹沢博士の科学と倫理の板挟みの悩みとかのドラマ性は古典的で紋切型でもあり、たしかに古色蒼然たる作品です。
でも「主人公」たるゴジラについては、それらとは違って、いま観ても何ら古臭さやチャチな印象がなく、ゴジラはゴジラとしての存在感を持って画面の中を暴れ回っていました。世界の円谷英二の特撮と言ってしまえばそれまでだけれど、これは大変なことだと思います。ほんの少し違和感があったのは最初のほうで山の向こうから、ぬっと首を出すゴジラのシーンなどに張りぼての感じがあったけれども、上陸して海岸に林立する鉄塔を倒し、溶かし、高圧電流を通した鉄条網をなぎ倒し、家屋を踏みつぶして前進するゴジラは、巨大怪獣にふさわしい重量感を持ち、まさに破壊の神の化身として堂々たる存在感を持っていて、チャチな軽さ、偽物臭さを感じさせません。
ドラマが紋切型と言いましたが、この映画はやっぱり、このゴジラの存在感、ひたすら破壊していく破壊のリアリティが総てだと思いました。人間のドラマのほうは極端に言えば付け足しであり、ゴジラを存在させるためのあとづけの理屈みたいなもので、あのゴジラという存在感のある破壊の神の化身を造型することでこの作品は作品として押しも押されぬレゾン・デートルを獲得しているのだと思います。
しかしいまつけ足しとかあとづけの理屈のようにひどいことを書いたけれど、脚本の意図は非常に明快で、そこは古典的に気持ちのいい割り切った理念の表現がされていて、それはそれでへんに複雑で中途半端なドラマ性を持ち込みがちないまの脚本に多い弊を免れているという言い方もできます。
三島由紀夫がかつて黒澤明の映画を評して、「思想は中学生」みたいなことを半ば冗談で言っているのを雑誌の座談だったかインタビュー記事でだかで読んだことがありますが、もちろん三島は黒澤を第一級の映画監督として認めたうえで言っているわけで、監督本人が懐いている(と本人が思っている)明示的な思想と、作品の表現そのものが持っている表現思想とは別物だ、ということを言っているわけですが、監督が信じ、また登場人物が大真面目で語る思想や理念がどれほど単純であっても、それはただちに作品の表現(表現=思想であるような表現思想)の水準が低いことを意味しません。
当時の水爆実験とその直接の被害であった第五福竜丸被爆の衝撃によって生まれた作品であることは疑いようもありませんし、戦争と平和にかかわる登場人物たちの思想、たとえば芹沢博士の科学の進歩と倫理との板挟みに悩む姿などが、どんなに単純に見えても、この作品のゴジラの映像の確かな存在感、その破壊につぐ破壊の映像が表現として示すものは、それ自体が決して侮る事のできない思想性を示しているからこそ、今に至るまでこの映画は映画ファン、特撮ファンを超えた広範な人々によって観られ、語り継がれているのだと思います。
この作品を見ると、最初から最後まで、ゴジラが原水爆の喩であることは誰にでも見て取れるように、明示的に示されています。登場人物の一人緒方の口からも「ゴジラこそ日本人に覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか」との言葉が吐かれます。
そして芹沢の犠牲の上にゴジラを葬り去ったあとのラストで、山根博士が言います。「もし水爆実験が続けられるなら、あのゴジラの同類が世界のどこかへ再び現れるかもしれない」と。
で、「シン・ゴジラ」の登場です(笑)
(シン・ゴジラ)
1954年の元祖ゴジラをベースにした、いわゆる「ゴジラ・シリーズ」のいくつかは私も観てきましたが、日本映画のゴジラに関する限り、「あのゴジラ」が帰ってきた、というスタンスで作られた作品だったように思います。ハイウッド製のゴジラは違っていたと思いますが、作品としては私はつまらないな、と思いました。
そして、この「シン・ゴジラ」では、「ゴジラ」という名称自体が、登場人物たちのあいだで、初めて聞く耳慣れない言葉として登場します。最初は米国からもたらされたGODZILLAとして。そして、それを「大戸島に伝わる伝説のゴジラ」に引き寄せて、日本語としては「ゴジラ」と呼ぼうじゃないか、というふうに、元祖「ゴジラ」へのオマージュが捧げられていますが、日本人の大多数はだれも「ゴジラ」なるものは知らず、今回初めて登場する、という設定です。
つまりこの映画は元祖「ゴジラ」の作品世界を継承しようとするのではなく、元祖「ゴジラ」のやったことを、もう一度現時点でやり直そうとした。その設定は、そういうスタンスに関する宣言だったのだろうと思います。
誰でもこの作品をみて気づくのは、この映画では元祖「ゴジラ」でそうであったようには「ゴジラ」が主人公とは言えません。確かに元祖「ゴジラ」と同様に、新作のゴジラも大変な破壊力を持ち、東京、日本、いやひょっとすると世界をも破壊しつくさないとも限らない、人類を滅亡の淵にまで追い詰める可能性を持つ破壊神として、絶対的な破壊力を爆発させて東京の街を破壊しつくし、抵抗する戦車も戦闘機もものともせず超高エネルギーのレーザー光線で一瞬に消滅させてしまう、途方もない存在感を持っています。
しかし、それと同等に、元祖「ゴジラ」では付け足しのようにも後付けの理屈のようにさえ見えた古色蒼然たる人間ドラマとは異なり、この作品ではゴジラに対抗する日本の政府内部のドラマが対等の重さで描かれ、そちらにきちんと存在感のある人間の「主人公(たち)」がいます。
たぶん国家的な緊急事態に対して、いまの日本政府や自衛隊がどういう動きをするか、克明に描き出した映画は今迄なかったのではないでしょうか。戦時の内閣や軍部の動きをそれなりに描く映画はあったでしょうが、現在の日本を舞台にこれだけリアリティをもって政府内部のやりとりを描いたものはないでしょう。
もちろん、映画のことですから、それが実際の内閣や省庁の動き、自衛隊などの動きと符合するのかは、私には分かりません。こんなしっかりしたお役人がいるか、こんな素敵な「はみ出し者」たちの集団が重用されるような仕組みが日本でとれるかな、と疑問は持ちますが(笑)、まぁそこはお話ですからよしとしましょう。
そんなわけで、これは明らかに国家的な危機に直面したとき、日本政府は、自衛隊はどう動くのか、というシミュレーション映画としての性格を持っています。
そういえば誰にでも思い当たるのは、もちろん東北大震災における福島原発事故です。被災された方にはこういう言い方は申し訳ないけれど、あの原発事故は悪くすればいまの何倍もの筆舌に尽くしがたい大災害となっていたはずで、そういう意味では本当にあれでも運のよい偶然に救われてあれで何とか抑えているわけで、チェルノブイリ原発事故以上の人的な直接の核物質による被害がいまよりはるかに広範にもたらされたことは、いまでは誰もが知っているでしょう。
元祖「ゴジラ」が水爆の喩であったように、「シン・ゴジラ」は明らかに福島原発事故の喩であり、人類に制御不能な絶対的な破壊力を持つ核の喩であることは疑うことができません。
実際、この作品から、ゴジラそのものを消してしまって、それが都市を破壊する光景を、また破壊に抗う政府の、自衛隊の人たちの動きを、米国とのやりとりを、また圧倒的な破壊の爪痕を、それだけで眺めてみれば、それはそのまま福島原発事故が最悪の結果を招いたケースでの現地の人々が遭遇しただろうすさまじい惨劇の光景であり、それが起きたときには、きっと無力感を覚えながらも絶望的な戦いを挑むだろう官僚や自衛隊員の姿に、そのままで見えるはずです。
この作品は元祖「ゴジラ」のように科学者の理想や科学と倫理の相克やといった、明示的なメッセージを伝えようとするものではありません。しかし元祖「ゴジラ」がゴジラそのものの造形によって伝える圧倒的な破壊のリアリティ、その恐怖、どうもがいても太刀打ちできない絶対的な力に抗う絶望感等々を、それでもなおそれに抗う人間の姿と共に描くことで、私たちに、私たちがどのような時代に生きているか、これからどのような時代を生きなくてはならないかを、娯楽映画の楽しみを通じて示唆してくれているように思います。
(図はそれぞれの作品のスチールに似せて私がいたずら書きしたスケッチコピーです。)
今日久しぶりに映画館へ行って、4回生の或る学生さんが「うん、面白かったよ」と言っていた「シン・ゴジラ」を観てきました。どうせなら、と思って、昨夜、手元にあったDVDで1954年の元祖「ゴジラ」のほうをもう一度見ておきました。
まずは元祖「ゴジラ」1954年版のほうから。ずいぶん以前に2度くらいは見ている作品ですが、今回こまかいところまで見て、忘れっぽい私は、あぁ、こういう場面があったっけ、なんていうところが結構ありました。
そういう細かなところはともかく、今の時点でこの作品を見ると、それは特撮と言っても、玩具みたいなミニチュアを使ったことがまるわかりの、嵐でひっくり返るボートやヘリコプターみたいなのや、潰される家々などのようなのは箱庭的なチャチなものに見えるし、河内桃子は素敵だし(笑)、志村喬(古生物学者山根博士)のようなベテランの演技もあるけれど、若い宝田明演じる緒方と河内桃子演じる山根博士の娘との恋愛関係とか、ゴジラを葬る唯一最後の武器オクシジェンデストロイヤーの発明者隻眼の芹沢博士の科学と倫理の板挟みの悩みとかのドラマ性は古典的で紋切型でもあり、たしかに古色蒼然たる作品です。
でも「主人公」たるゴジラについては、それらとは違って、いま観ても何ら古臭さやチャチな印象がなく、ゴジラはゴジラとしての存在感を持って画面の中を暴れ回っていました。世界の円谷英二の特撮と言ってしまえばそれまでだけれど、これは大変なことだと思います。ほんの少し違和感があったのは最初のほうで山の向こうから、ぬっと首を出すゴジラのシーンなどに張りぼての感じがあったけれども、上陸して海岸に林立する鉄塔を倒し、溶かし、高圧電流を通した鉄条網をなぎ倒し、家屋を踏みつぶして前進するゴジラは、巨大怪獣にふさわしい重量感を持ち、まさに破壊の神の化身として堂々たる存在感を持っていて、チャチな軽さ、偽物臭さを感じさせません。
ドラマが紋切型と言いましたが、この映画はやっぱり、このゴジラの存在感、ひたすら破壊していく破壊のリアリティが総てだと思いました。人間のドラマのほうは極端に言えば付け足しであり、ゴジラを存在させるためのあとづけの理屈みたいなもので、あのゴジラという存在感のある破壊の神の化身を造型することでこの作品は作品として押しも押されぬレゾン・デートルを獲得しているのだと思います。
しかしいまつけ足しとかあとづけの理屈のようにひどいことを書いたけれど、脚本の意図は非常に明快で、そこは古典的に気持ちのいい割り切った理念の表現がされていて、それはそれでへんに複雑で中途半端なドラマ性を持ち込みがちないまの脚本に多い弊を免れているという言い方もできます。
三島由紀夫がかつて黒澤明の映画を評して、「思想は中学生」みたいなことを半ば冗談で言っているのを雑誌の座談だったかインタビュー記事でだかで読んだことがありますが、もちろん三島は黒澤を第一級の映画監督として認めたうえで言っているわけで、監督本人が懐いている(と本人が思っている)明示的な思想と、作品の表現そのものが持っている表現思想とは別物だ、ということを言っているわけですが、監督が信じ、また登場人物が大真面目で語る思想や理念がどれほど単純であっても、それはただちに作品の表現(表現=思想であるような表現思想)の水準が低いことを意味しません。
当時の水爆実験とその直接の被害であった第五福竜丸被爆の衝撃によって生まれた作品であることは疑いようもありませんし、戦争と平和にかかわる登場人物たちの思想、たとえば芹沢博士の科学の進歩と倫理との板挟みに悩む姿などが、どんなに単純に見えても、この作品のゴジラの映像の確かな存在感、その破壊につぐ破壊の映像が表現として示すものは、それ自体が決して侮る事のできない思想性を示しているからこそ、今に至るまでこの映画は映画ファン、特撮ファンを超えた広範な人々によって観られ、語り継がれているのだと思います。
この作品を見ると、最初から最後まで、ゴジラが原水爆の喩であることは誰にでも見て取れるように、明示的に示されています。登場人物の一人緒方の口からも「ゴジラこそ日本人に覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか」との言葉が吐かれます。
そして芹沢の犠牲の上にゴジラを葬り去ったあとのラストで、山根博士が言います。「もし水爆実験が続けられるなら、あのゴジラの同類が世界のどこかへ再び現れるかもしれない」と。
で、「シン・ゴジラ」の登場です(笑)
(シン・ゴジラ)
1954年の元祖ゴジラをベースにした、いわゆる「ゴジラ・シリーズ」のいくつかは私も観てきましたが、日本映画のゴジラに関する限り、「あのゴジラ」が帰ってきた、というスタンスで作られた作品だったように思います。ハイウッド製のゴジラは違っていたと思いますが、作品としては私はつまらないな、と思いました。
そして、この「シン・ゴジラ」では、「ゴジラ」という名称自体が、登場人物たちのあいだで、初めて聞く耳慣れない言葉として登場します。最初は米国からもたらされたGODZILLAとして。そして、それを「大戸島に伝わる伝説のゴジラ」に引き寄せて、日本語としては「ゴジラ」と呼ぼうじゃないか、というふうに、元祖「ゴジラ」へのオマージュが捧げられていますが、日本人の大多数はだれも「ゴジラ」なるものは知らず、今回初めて登場する、という設定です。
つまりこの映画は元祖「ゴジラ」の作品世界を継承しようとするのではなく、元祖「ゴジラ」のやったことを、もう一度現時点でやり直そうとした。その設定は、そういうスタンスに関する宣言だったのだろうと思います。
誰でもこの作品をみて気づくのは、この映画では元祖「ゴジラ」でそうであったようには「ゴジラ」が主人公とは言えません。確かに元祖「ゴジラ」と同様に、新作のゴジラも大変な破壊力を持ち、東京、日本、いやひょっとすると世界をも破壊しつくさないとも限らない、人類を滅亡の淵にまで追い詰める可能性を持つ破壊神として、絶対的な破壊力を爆発させて東京の街を破壊しつくし、抵抗する戦車も戦闘機もものともせず超高エネルギーのレーザー光線で一瞬に消滅させてしまう、途方もない存在感を持っています。
しかし、それと同等に、元祖「ゴジラ」では付け足しのようにも後付けの理屈のようにさえ見えた古色蒼然たる人間ドラマとは異なり、この作品ではゴジラに対抗する日本の政府内部のドラマが対等の重さで描かれ、そちらにきちんと存在感のある人間の「主人公(たち)」がいます。
たぶん国家的な緊急事態に対して、いまの日本政府や自衛隊がどういう動きをするか、克明に描き出した映画は今迄なかったのではないでしょうか。戦時の内閣や軍部の動きをそれなりに描く映画はあったでしょうが、現在の日本を舞台にこれだけリアリティをもって政府内部のやりとりを描いたものはないでしょう。
もちろん、映画のことですから、それが実際の内閣や省庁の動き、自衛隊などの動きと符合するのかは、私には分かりません。こんなしっかりしたお役人がいるか、こんな素敵な「はみ出し者」たちの集団が重用されるような仕組みが日本でとれるかな、と疑問は持ちますが(笑)、まぁそこはお話ですからよしとしましょう。
そんなわけで、これは明らかに国家的な危機に直面したとき、日本政府は、自衛隊はどう動くのか、というシミュレーション映画としての性格を持っています。
そういえば誰にでも思い当たるのは、もちろん東北大震災における福島原発事故です。被災された方にはこういう言い方は申し訳ないけれど、あの原発事故は悪くすればいまの何倍もの筆舌に尽くしがたい大災害となっていたはずで、そういう意味では本当にあれでも運のよい偶然に救われてあれで何とか抑えているわけで、チェルノブイリ原発事故以上の人的な直接の核物質による被害がいまよりはるかに広範にもたらされたことは、いまでは誰もが知っているでしょう。
元祖「ゴジラ」が水爆の喩であったように、「シン・ゴジラ」は明らかに福島原発事故の喩であり、人類に制御不能な絶対的な破壊力を持つ核の喩であることは疑うことができません。
実際、この作品から、ゴジラそのものを消してしまって、それが都市を破壊する光景を、また破壊に抗う政府の、自衛隊の人たちの動きを、米国とのやりとりを、また圧倒的な破壊の爪痕を、それだけで眺めてみれば、それはそのまま福島原発事故が最悪の結果を招いたケースでの現地の人々が遭遇しただろうすさまじい惨劇の光景であり、それが起きたときには、きっと無力感を覚えながらも絶望的な戦いを挑むだろう官僚や自衛隊員の姿に、そのままで見えるはずです。
この作品は元祖「ゴジラ」のように科学者の理想や科学と倫理の相克やといった、明示的なメッセージを伝えようとするものではありません。しかし元祖「ゴジラ」がゴジラそのものの造形によって伝える圧倒的な破壊のリアリティ、その恐怖、どうもがいても太刀打ちできない絶対的な力に抗う絶望感等々を、それでもなおそれに抗う人間の姿と共に描くことで、私たちに、私たちがどのような時代に生きているか、これからどのような時代を生きなくてはならないかを、娯楽映画の楽しみを通じて示唆してくれているように思います。
(図はそれぞれの作品のスチールに似せて私がいたずら書きしたスケッチコピーです。)