2014年09月

2014年09月21日

平泉

 無量光院跡


 先週、大学時代の同期会で仙台の秋保(あきう)温泉に行って旧交を温め、帰りに平泉を訪ねました。
 幼いころからなじんできた義経の話の最後の舞台、平泉は、生きている間に一度は行ってみたいと思っていた場所でした。

 JR平泉駅で降りて徒歩で中尊寺のほうへ、車が突っ走る幹線道路を避けて「中尊寺通り」という古くからの街道だろうと思われる、古風な店構えの多い通りを行くと、コスモスの花が咲き乱れるバス停の向こうに広がる緑地に「無量光院跡」の標識が立っていました。三代秀衡が宇治の平等院鳳凰堂を模して造ったという寺院の跡だそうですが、なんにも残っていないただの空き地に草が生えているだけの広がりですが、歩いているとなんだかほっとして、しばらくうろうろして中尊寺へ。

 束稲山駒形峯

 もうひとつ中尊寺の少し手前に義経終焉の地とされる高館義経堂があって、石段を上ると、北上川とその向こうの束稲山駒形峯ののどかな風景が開けます。瑞々しい緑の平野に稲の穂が色づき、川面が陽光に輝いて、日本の原風景を見るような印象。

 中尊寺にいたる参道、杉の巨木が立ち並ぶ月見坂はけっこうきつく長い道で車いすや杖の老人がゆっくり付添いの人とのぼっていくのも大変そうでした。天気も良く、風はもう秋風ながら日差しは結構きつくて、汗が噴き出してきます。

 いろいろなお堂が途中にあって、それぞれ覗いてみましたが、どうということもなく、やっぱり最後に訪れたお目当ての金色堂だけが別格でした。以前に東北歴史博物館ができて見学したとき、金色堂の一部がたしか実物大模型で展示されていて、いつかホンモノを見たいと思っていましたが、あのときの印象よりずっとコンパクトで、清衡の強い想いが凝縮したような素晴らしい造型でした。

 独特の構成という諸仏の造型もさりながら、台座や柱の贅を尽くしながら御大尽趣味とは異なる品のある装飾性に目を奪われました。まったく質の異なるものではあるけれど、ふっと40年も前に見たシェンブルンの東洋の間(陶磁の間)を思い出しました。東洋陶磁をふんだんに使ったあの部屋は、ヨーロッパ君主らの東洋趣味とは根本的に異なる高雅な芸術性を体現していて、マリア・テレージアの抜群の趣味の良さを感じさせますが、インドの象牙や南の海の夜光貝などをふんだんに使いながら繊細極まりない職人の名人芸で刻まれたこの金色堂は、まばゆい金銀で彩られているからではなく、その造型性の卓抜さで正真正銘、世界遺産の名に恥じないものでした。

能楽堂

 境内でもうひとつ、いいな、と思ったのはこの能楽堂。木立の中に苔むした屋根、古びた舞台、色あせ朽ちた鏡板の老松。こんな舞台で演じられる「安宅」や「船弁慶」はいいだろうな、と想像してみる。

毛越寺庭園

 今回の平泉で金色堂以外に最も感動したのは、毛越寺(もうつうじ)の庭園。浄土を象ったというこの回遊式の広い庭園は、池の畔をめぐるほどに見える光景が変化して、それをきちんと計算してつくられた見事な作庭であることが素人にも感じられる。

  
柳之御所

 帰りに寄った柳之御所跡も、ほんとうに遺跡を発掘調査中らしい跡以外は、ただただ三つ葉の草地が広がるだけの広大なスペースだったけれど、とても気に入って時間いっぱいここで過ごしました。

 駆け足でしたが、一人で歩き回ったとても心ときめく平泉の一日でした。
  

saysei at 14:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年09月07日

ジョーン・ロビンソン『思い出のマーニー』

 映画を見た孫が、とっても良かった、と何度も言っていたので、映画をみたいと思っていたのですが、なんとなくずるずると仕事めいた野暮用に没頭して日が過ぎ、映画を見る気分になれなくて、気晴らしに原作のほうを、翻訳(松野正子訳)で読みました。上下2冊の本は、あとをパートナーにまわし、そのあと孫の手に渡ったので、一石三鳥というわけです。

 この物語を、実際に何が起きたのか、という正味の「現実」だけ透視するメガネで見れば、何一つ起きていない、といっていいほど動きの乏しい物語ですが、アンナの、そして作者のファンタジーの構成力が、マーニーが登場してからは、その長丁場をぐいぐい引っ張って行ってくれて、展開の乏しさを忘れさせてくれます。

  アンナは普通の意味ではとても不幸な少女。登場のはじめから身体ばかりか、心にはより深い傷を負っています。周囲の親切な人たちが差し伸べる手を拒み、自分を閉ざしているだけでなく、他者への目が意地わるく辛辣で、身近にこういう子がいたとすれば、なんて冷めきって表情のない、ひねこびた子だろう、と思うだろうような少女。彼女は自分を「捨てていった」母を怨み、他人の好意に甘えることを拒んでここまで育ってきました。

 その欠如が生み出した幻想がこの物語の本体を形づくっていると言ってもいいのでしょう。彼女が生きるためには、現実の致命的な欠如に拮抗するほど強力なファンタジーが必要だったに違いないからです。そのファンタジーを読むことは、同時に彼女の悲劇を解読していくことでもあります。

 そうして辿りつくのは、彼女の、だけではなく、彼女が自分を「捨てた」がゆえに怨んできた母親の、そしてまたその母親であるアンナの祖母の悲劇なのです。

 彼女自身が自分からさかのぼる三代の悲劇を知る時、私たち読者もまたこの悲劇の解読を終わり、そこから立ち上がってくるのは、それぞれに不可避の人生をけなげに生き抜いた人間の姿で、それは個別の、あるいはきわめて特殊な物語の主人公の生き方が私たちすべての人生に対して普遍性をもつかのように、ぴったりと重なり、わがことのように読み終えることのできる瞬間でもあります。

 アンナはそのような母や祖母の姿を知ったときに、なぜそれまでの「怨」の呪縛から、孤独から、解き放たれるのでしょう?また私たち自身も、アンナの認識の転換を既視感をもってわがことのように思えるのはなぜでしょう?昔の人たちが「運命」とか「宿命」と呼んできた、そうでしかありえず、そう生きるほかはない、あるいはそうして死んでいくことしかできない、そんな不可避性の中で、愛そうとして愛することができず、愛されたいと願って愛されることなく、深く傷つきながら、その傷を抱えてなお生きつづけ、人と関わりながら死んでいくのだということ。

 そのことに気づくとき、不可避性から、つまり「自由」とは正反対であるはずの「運命」や「宿命」から 、いつの間にか解き放たれているように感じる。その不思議さを思わずにいられません。




saysei at 00:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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