2012年06月
2012年06月12日
冲方丁「天地明察」と金星の日面通過
この前の金環日蝕につづき、金星の日面通過でちょっと昔、望遠鏡を作ってのぞいていたころの記憶が甦ってきました。作ったと言っても、もちろんスピノザのようなレンズ職人みたいなことはできないので、単にレンズキットを買って、ポリエチレンだったか何だったか忘れたけれど、レンズに合う直系のトユみたいな筒の材料を買ってきて、これも指定の長さに、あのころはのこぎりしかないので、のこぎりでゴシゴシ切って、組み立てたのです。
月のほかは火星と木星を見た記憶がありますが(たしか火星接近みたいなときがあったような・・・)、あとは学校の望遠鏡でみせてもらっただけで、結局あまり天体に深入りせずに終わってしまいました。でも確か部分日蝕はガラスに黒い蝋燭のすすをつけて見たような記憶があります。
金環蝕は直接メガネをかけて肉眼で見ましたが、今回の金星の影は、職場に天体の専門家がいて、構内の前庭で自前の精巧な望遠鏡を2台おいて、円形の感光板に映した映像とフィルターをかけた望遠鏡を直接のぞかせてもらって、ちゃんと見ることができました。
ちょうど冲方丁の「天地明察」の文庫本が出て上下読み切ったところだったので、タイミングがよくて、こういう天体観測が江戸時代の数学の発展と密接に結びついている様子を活写したこの小説の世界の人物になったような気持で望遠鏡をのぞくことができました。
関孝和とか安井算哲とか名前だけは教科書だかそれ以外の読み物でか知っていて、和算についてもちょっとだけ啓蒙書的な本で読んだことがあったけれど、もともと数学から逃げ腰だったので、踏み込むこともなく彼らの名も忘れていたけれど、この小説ではひとつの時代に生きて互いに関わり、また色々と権力者のご機嫌をとったり、恋愛したり、悩み多い人血の通う人間として描かれているので、基本的なこと以外はフィクションであることは判っているけれど、楽しく読めました。
描かれた世界は碁や和算や天体観測という地味で、時代劇としては得意なものだけれど、それが面白い。御城碁なんてものがあったんだ、とか、和算をこうして剣術の道場みたいなやり方で、そこに他流試合みたいな要素があったりして、いや本当にそんなのがあったのかどうかも知らないけれど、でも剣術にモデルをとって作者が想像力たくましく描いたのだとして、とても面白い。少なくとも絵馬に和算の問題を書いて、見たものが解く、というようなのは、そういう絵馬が本当にあるのではないでしょうか。
地味な世界と言ったけれど、この作品中の主人公渋川春海(算哲)の生涯は結構波乱万丈にみえる。ちっとも退屈しないで読めます。
与えられた役割より、もう算術の問題を解くのが好きで好きで、ほんとうに寝食を忘れて、まだ見ぬあこがれの関孝和に評価してもらえるような問題をつくろうと身を焦がす春海は、いまなら数学オリンピックに出るような青年なのでしょうかね。以前にあれに出場した少年のドキュメンタリーをやっていたけれど、なんかゲーセンに通っているそこらの少年と変わらなくて、手の平の上に消しゴムをのせて、ひょいひょいと上へ飛ばして受けて飛ばして受けて遊びながら頭の中で、こっちには百年かかっても解けそうもないような問題を解いているわけね(笑)
この春海が算術を生かして、先輩の遺志を継ぎ、周囲の人に支えられながら、精密な観測にもとづく暦づくりに命をかけていく、オタクではあるけれども失敗もし、欠点もあり、というごく普通の人が、次第に志を得て宇宙を相手にした、なんというか気宇壮大な事業を担い、挫折も体験しながらついに志をはたす、なかなか気持ちのいい話です。これが2010年の本屋大賞をもらい、吉川英治文学新人賞を受賞したり、といった評価もうなづけます。
単行本のときは、う~ん、暦の改革者の話かぁ~と結局買わずにいたのですが、文庫本になって読んでみてよかった。