2012年05月
2012年05月19日
最近の何冊か~東野圭吾、町田康、伊坂幸太郎、三浦しをん~
昨日もらったゼミ生のメールに、いままであまり本を読む習慣がなかったけれど、視野を広げるためにも、読むようにしたい、なにかおすすめの本があれば、といった意味のことが書いてありました。自分を冷静にみつめて、成長したい、という気持ちを素直に日々の行動に移そうという気持ちにはとても好感が持てます。
私は人とのコミュニケーションがうまくとれるほうではなかったので、自然に内向的なキャラになって、そういうキャラの導くままにこれもごく自然に読書の世界に慰安を求めてきたようなところがあるので、だれに助言してもらうでもなく、自分で勝手に本を選んで、いわば手当たり次第に読んできたので、あれがいい、これがいい、とアドバイスするのに適した人間かどうかはわかりません。
だから、あれこれ書名を挙げても、たまたま手にして面白かったという恣意的な選択に過ぎないし、世の中に必読書リストなんてあっても、別に自分とは生涯関係のない本もたくさんあっていいよね、と思っています。
ただ、私にできるアドバイスは、教養のため、とか無理しないで、まずは自分にとって興味の持てる分野の本で、手にとって8割がたは理解できて楽しめそうな本から入るのがいい、というくらいのことです。読書の習慣のない人は、まだ読書の楽しみを味わっていないから、なにか教養や知識を身に着けるためにと肩ひじはって読もうとすると教科書をあてがわれる生徒みたいに、読書がしんどくなってせっかくの気持ちが挫折してしまう危惧があるからで、大切なことは読書があらたな自分の楽しみの世界を開いてくれる、という感覚を実感、体験することだろうと思うからです。
さて、少し前に読んだ本の中から幾冊かご紹介します。
東野圭吾著『ナミヤ雑貨店の奇蹟』:東野圭吾の小説は、私のところへくる学生さんにもファンが多くて、一番よく読まれている作家かもしれません。どれを読んでも面白いし、強いてジャンルを言えば推理小説の類でしょうが、人間やその生きる背景がよく描かれているし、人物への視線が温かくて、だいたいはハッピーエンドで後味もよいし、文句のないエンターテインメントです。
今回のこの小説には、ちょっとSF風味の奇想天外な仕掛けがほどこされていますが、物語を読む楽しみを十分味あわせてくれる、良質の作品で、人間的な温かみもいつものとおりです。
町田康『バイ貝』:ミュージシャンでもあるこの作家の最高傑作は、河内音頭に描かれた河内百人斬り事件を描く『告白』(湊かなえさんのとは全然関係ありません)で、この人の作品を読むならぜひそちらを読んでほしいけれど、新しく出版されたこの作品も町田節というべき文体のリズムはかわりません。たしか芥川賞をもらってこの作家が作家としてデビューする最初の作品になった『くっすん大黒』以来のこの文体は、落語とロックが融合したような文体で、いわばそのリズムにだけ作品としての価値があって、ストーリーはとにかく何でもいいから先へ先へどんどこどんどこ引っ張っていければいいようなもので、意味を問うても意味がない(笑)、何の象徴でもなく、暗喩でもなく、いわば意地でも意味のあることは書かないぞ、という無意味さのリズムを音楽のように奏でることがこの文体の「意味」なんだと受け止めてきました。今回の作品もまさにそういうものです。
しかし、一度『告白』を読んでしまうと、やっぱりこういうのでは物足りなくなります。つまりこの文体は無意味の意味を奏でるためにだけ存在するわけじゃないし、そういう可能性しかないようなものではないはずだ、ということを『告白』が証明してしまった。たしかに義理と人情っていうか、やくざな男の意地に発する古くからの型通りの物語をなぞったものかもしれないけれど、あれはまっとうに物語が持ちうる最高の力を備えていたじゃないか、完全に新しい物語として生命を吹き込まれた物語として、主人公たちが乗り込んで陰険な悪漢どもを皆殺しにする兇刃が、同時にいま私たちが生きているこの世間を串刺しにするような力を持っているじゃないか、と感じてしまうから、そこに届かない今回のような作品は達者ではあるけれども、世界新を出した泳者が次に平凡なタイムで国内大会で優勝したみたいな印象しか持てないのでした。
伊坂幸太郎『PK』: 伊坂幸太郎の作品はいつも語り口に念入りな工夫があって、ときにそれが懲りすぎていて一読しただけでは訳が分からないことも少なくないけれど、凡庸な語り口の作品の群れの中ひときわ読者を楽しませるぞ、という志の丈が高くて、大体手に取って失望しないで済む貴重な作家です。今回も奇想天外な仕掛けで現代風味の物語の面白さを味あわせてくれる作品です。ただ、いつもこの人の作品は人間や社会のほうに向かう力と、推理小説やSFによくあるような新奇な仕掛けの面白さそのものに向かう力とか作品の構成力の中で危ういバランスをとっているようなところがあって、昔風の言い方でいうと、純文学的な堀りの深さを感じさせるよりももう少し軽みのある、仕掛けの面白さのほうに比重がかかるようなところがあります。
それが現代的といえば現代的だし、スパイスの効いたオシャレな作品である所以で、若い人にファンが多いだろうと思われるところでもあるけれど、少し物足りないところと言えなくもありません。今回の作品もそのへんがちょっと微妙で、仕掛けが煩雑にみえ、その不透明さが堀りの深さにつながるかというと、そうでもないところでちょっと不満が残ります。でも時間蟻とか、この人の考えることは本当に面白い。
でも伊坂作品ではまだ「アヒルと鴨のコインロッカー」(これは映画もとてもよかった)や「重力ピエロ」、「オーデュボンの祈り」などが私のベストです。「死神の精度」や「ゴールデンスランバー」もとてもよかった。若い人でいまから読む人はそれらのどれか一冊から入ればファンになるでしょう。
三浦しをん『舟を編む』:古典的なオーソドックスな文体で書かれた小説ですが、成熟した大人が読んで本当に味わい楽しめるような作品です。ときどき思わず声をあげて笑ってしまった。ユーモアもたっぷり。国語辞典を編纂するために奮闘する現代の出版社の少数の社員たちとその周りの人たちを描く作品ですから、素材としては変わっていて地味でもあるけれど、平凡な言い方になりますが、登場人物の一人一人に血が通っていて、それぞれ癖のある人間なのですが、それが非常に的確に描かれていて、それらの人がからまって一つの共同プロジェクトを遂行していく、それだけのことだけれど、そこに人間の多様な生き方や人と人の関係、男女の関係、人を駆り立てるもの、そして裏返しに照射されるいまの世の中、みんな盛り込まれていて、ユーモアとペーソスを味わいながら満足して後味よく読み終えることのできる上質のエンターテインメントです。
2012年05月15日
カウリスマキ監督「ル・アーヴルの靴磨き」
一緒にみたパートナーは、一昔かふた昔前の日本の長屋を舞台にした人情ものやねぇ、とのご感想でした。なるほど、そういえばなんとなくそんなところがあります。きっとこの監督、日本映画にかなり影響を受けてると思うわ、というのもなかなか鋭いかも。最後は桜の花で終わってますし、あれは日本映画へのオマージュかもね。
この映画はストーリーだけ追ってみていけば、まったく新しいところのない映画です。偉大なるマンネリズムというのか、本当に繰り返し描かれてきた、長屋住まいの貧乏だが人情に篤くて、互いに助け合いながら生きている庶民の間に、外部から事情を背負ったいわば虐げられし者、弱き者(この場合はアフリカから密入国してきた人々のうちの一人である少年)が逃げ込んできてちょっとした波紋を広げる。
窮鳥懐に入るのたとえ通り、それを「長屋の」庶民たちが連携プレイで援け、匿い、逃がそうとする。
そう書けば、そんな話ならうんざりするほど聞いたことがあるし、小説で読んだことも映画で見たこともあるぜ、という人は多いでしょう。そうなんです。別にそこに新奇なところはどこにもありません。
少年を援ける靴磨きの男に細君がいて、御亭主には知らせずにそのままあの世へいくかもしれない病をかかえて入院する、というエピソードがもう一つからんでいるけれど、これだってますます偉大なるマンネリズムの設定でしょう。
表現の手法にも新奇性を誇るような要素は何もありません。カメラで切り取られた人物の表情とル・アーヴルの光景はすばらしいけれど、別に前衛的なカメラワークなんてものではありません。むしろ動かない、ぶれないカメラだからいい、といった印象です。ストーリーをぶつ切りにして時間を前後させたり二つの物語を別々に展開して交錯させたり、といった陳腐な前衛気取りの小手先の技巧もありません。
それなのになんで私はあの小さな映画館の暗がりの中で居眠りしなかったのでしょう?(笑)
やっぱり一番に挙げたいのは登場人物たちの顔。イケメンとか美女とか、そんなのは一人も出てきません、残念ながら(笑)。でもどの登場人物も本当に人間らしい顔をしています。つまりこう、最近どこででも見るような、ツルンとした顔をしていない。貧しいけれどもまっとうにふつうの生活をしてきた人間らしい人間のごつごつとした、喜怒哀楽を確かに味わいながら、浮かれもし、キレもし、うちひしがれもして、ときにゆがみ、ときにからりと晴れ渡り、ときに悲しみに濡れてきた、そういう歳月を経た顔。
その表情が正面からとらえられると、最初はちょっとどぎまぎし、入り込むのに違和感もあったけれど、すぐにその奥行きのある表情に魅せられていきます。
アフリカからやってきた少年はさすがにまだ人生の年輪を経ていないけれど、これは教師の息子、という設定でうまくフランス語をしゃべることも、あの凛とした姿も、ちゃんと合理的に呑み込めるようにしてあります。靴磨きの相棒の若者も、味があってなかなかいい。あとは大体年輪を感じさせる登場人物ばかりで、これが素晴らしい。
ストーリーはさっき書いたように素直なもので、匿われた少年が警察やら移民局やらにつかまってしまわないか、というハラハラと、主人公の靴磨きの奥さんの病気がどうなんだろう、という二つのネガティブな気がかりが、観客である我々の心理をサスペンドしていて作品を支えている。一方で、少年を逃がしてやろうとしてわれらが主人公が少年の身内の老人に会いにいったり、お金集めのイベントを企画したり、というポジティブな要素が作品の時間を引っ張っていきます。
その間になかなか面白い要素がところどころにあって、主人公が飼っているワン公「ライカ」もなかなかいいし、主人公が食べるバゲットがカリカリ乾いた音を立ててうまそうだし(帰りに高島屋へ寄ってフォーションのパンを買わずにはいられませんでした)、彼が靴を磨こうにも多くの通行人がスニーカーをはいていてチャンスがこない一方で、彼が寺院の僧侶の靴を磨いている愉快なシーンがあって、この坊さんたちの靴だけが、めちゃくちゃ高価そうな黒光りする革靴なんですね(笑)。そして靴を磨かせながら、高踏的な議論など交わしている。こういうさりげないところに面白さの見出せる映画でもあります。
まぁ新聞の映画評で評論家たちが絶賛しても、ハリウッド映画のようにメジャーな映画館で観客を大量動員できる映画には絶対になれない作品だけれど、京都シネマみたいな小さな映画館でひっそりした楽しみを味わいたい人にはおすすめの映画です。
レ・ミゼラブルのジャベール(でしたっけ)みたいな警部や靴磨きの奥さんの結末のつけ方には違和感のある人もあるかもしれないけど、あれはこうでなくちゃいけないと思います。これはファンタジーなのです。フィンランド人がフランスで撮った長屋人情ファンタジー(笑)。ネオリアリズムでやられちゃたまりません。
これは映画なんですからね、たかが映画、されど映画、みなさんをだまそうなんて気は私にはさらさらないんですから、そんなこと百も承知の上で、フィルムの中の人生を味わい、楽しんで帰ってくださいね、という監督の声が聞こえてくるような気がしました。私の好きな、後味のいい映画です。
ところで靴磨きのいいお友達の酒場の女性は、「かもめ食堂」なんかに出ていた小林聡美さんがいい歳を重ねて(つまり意地悪そうに見えるところをなくして~ごめんなさい)好々爺ならぬ好々婆になったら、こういう顔になるんじゃないかな、と思える、どこか似たところのある顔でしたね。素敵な女優さんでした。