2010年10月
2010年10月07日
村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 』
インタビュー嫌いと言われる作家の分厚いインタビュー集。なんだか皮肉な感じだけれど、ここまで著名になれば、「世間」がほうっておいてくれないのだろう。
それでもこの作家は、今回のノーベル文学賞だという下馬評にのぼるほど、世界的に著名な作家になっても、ストイックに自分の生活をコントロールして小説の執筆への全力投球を30年前後持続してきたことが、このインタビューを読んでもよくわかる。
生活者としてはごく平凡な人間であり、ただ「昼間ゆめを見る」特殊な能力を持つがゆえに、その与えられた天賦の力を最大限生かすように、自分の夢の底へ危険を侵して降りていき、辛抱強く待っては、現れるものを手仕事の中に掬い取っていく。
そんな言われて見れば当然の本質的な作家としての営みについて、何度どう訊かれても自分にはこうしか答えようがない、という形で、誠実に語られている。
先日古い友人をまじえて話していたときに、書(書道)の話をしていて、それが絵の話になり、昔、日本で最後の文人と言われた早川幾忠さんが素人の弟子に教えるとき、筆の毛と反対側の端をブラブラ垂直に吊り下げるようにつまむように持って描くように言っておられたと、パートナーが言う。そうでないと筆が自由に動かず、描かれるものに勢いが失せるから、という。
友人は、西陣で九代目という呉服屋商売をしていて、たくさんの絵つけ職人とつきあってきたのだけれど、彼がいうには、素人は最初、筆を斜めにして筆の先に近いところを持って描きたがる。(でも中国の人は最初から垂直に筆の上端を持ってぶら下げるようにして描くという。)だんだんうまくなってくると、早川さんの言ったように、筆が100%自在に動くように上端をつまむように持つ。
そういう持ち方で描けるようになれば一人前、ということだった。彼によれば、最初は指で描きたがる。次に手首で描く。やがて腕やひじをつかって描き、最後は体全体で描けるようになる。そこまでくれば筆が完全に自由に動くという。
村上春樹が「待つ」というのは、きっとそういう状態なのだろう。彼が登場人物を動かすのではなく、人物も、モノも、コトも、すべては待つことによって、暗闇の中から立ち上がってくる。上端を支えて垂直に降ろすだけで完全に自由に動く筆のように、この作家の筆(いまはワープロだろうけれど)も、勝手に動き出すのだろう。
それにしても、こういう密度の高い、しかもどんどん深まり、広がっていくような作品を次々に生み出すような作家は、近代以降の日本では漱石以外には一人もいなかった。漱石でも、「それから」、「門」、「行人」、「こころ」、「道草」、「明暗」とどんどんきつくなって、最後は重症の胃潰瘍で亡くなってしまった。
それを思えば、村上春樹という作家の強靭さにはおどろかずにいられない。己を知る作家というのか、ほんとうにこういうことを若いころから自覚して、ストイックに自分の心身を鍛え、自分の書く能力を正確に見極めながら、忍耐づよく本質的な作家であり続けるためにストイックに自分を律し続けてきた。
今回のインタビュー集に目を通して、少し意外だったのは、彼が世間的には一種の流行作家になってからも、ずっと自分は「メインストリームに属していない」と感じ、いわば敵意の中で孤立しているように感じつづけてきたらしい、という点だった。
村上春樹が彼自身が作家的出発点と位置づける「羊」が出たころには、私も学生時代にはよく読んだ文芸雑誌をすっかり読まなくなっていたので、彼がどのように批評されているかは、ほとんど知らなかったし、出る作品は評判になるから、いわゆる文壇でも高い評価を受けているとばかり思っていた。
だから、彼が文学賞の審査員たち(の一部?)から聞くに堪えないような悪口を言われていたとか、それをわざわざ忠告してくれる知り合いがいたとか、おおむね無視されてきた、というようなことを語っているのを読むと、驚いてしまう。
私自身は彼の本当の初期作品については、新人賞かなにかとったときに読んで、その作品の空気には共感するところがあったけれど、習作といった感じで、作品として優れていると思わなかったし、そこからかくも大きなものが立ち上がってくるとは、もちろん予想もできなかった。
それは沢山の下書きの中から、輝く断片を拾い集めて編んだ、若い人の作品によくあるスタイルのもののように思われ、まだ作品の体をなさず、本当はここから「ちゃんとした作品」を書かなければいけないはずだ、みたいな印象だった。
しかし、「羊」が出てきたときは、脱帽した。いまでも鮮明にその日のことを覚えているけれど、いま某博物館の館長をしているSが、私を岡山県の山の中の年寄りたちが集まるような湯治場でもある小屋へ連れて行ってくれて一泊した。
夜中まで宿の2階でしゃべっていると、下を流れる清流でホタルが孵り、次々に2階の窓のところまであがってくる。見下ろすと、流れが岩で少しさえぎられて水がほとばしるあたりが、眩しいほどの緑色の光の塊のように発光していて、そのあたりから次々に闇の中をふわふわとホタルが舞い上がってくる。
そんな中で、ランプの灯も消した闇の中で私たちは向き合って、「最近の小説」について少しきつい話をしていた。彼は「最近売れっ子になっている」椎名誠の「哀愁に・・」や村上春樹の「羊」を槍玉に挙げて、読んでみたけれど、あんなのどこがいいんだ?とこっぴどくたたく。
私は自然、両者を擁護するような形になり、とりわけ「羊」のほうは、私にとっては、中上健次の『枯木灘』以来、ようやく現れた真に新しい作品、という気がしていたので、かなり意地になって、あれはほんとうにいい作品なんだ、と力説していたと思う。
友人は、『枯木灘』ならわかる、という。あれはいいよ、と。でも村上春樹のはなにがなんだか分からないよ、思わせぶりで、謎めかしているけどあんなの本当の謎でもなんでもない、空虚なものでしかないんじゃないか、黒幕だかおおものだか知らないけどポンチ絵的でさ、あんなの辿っていってもどこにもたどり着かないと思うよ・・・そんなことだったかと思う。
面白いのは、いま考えても、彼のこっぴどい評言は、まんざら当たっていなくもないところがある、というところだ。ポンチ絵的といえばそのとおりで、この作家はあの作品でもほかの作品でもよくやるように、彼がよく読んだであろう大衆的なアメリカの推理小説だかハードボイルドだかみたいなものの結構を意図して借りて書いているから、そういうふうに見ればそのとおりともいえる。
そして、「謎」をたどっていっても、どこにもたどり着かない、というのもそのとおりで、そこが三文推理小説と彼の作品との違いなのだけれど・・・。
でも、あのときの友人Sは、そのころの私たちの世代の多くがそうであったように、なお戦後文学的な主題主義的な文学作品の読み方の弊を免れてはいなかったように思う。
第一次戦後派の作品を読み、第三の新人をいわば積極的な主題から逃亡した作家群のように読み、同様に否定的なキャッチフレーズとして言われた「内向の世代」をその作品の空気に共感しながらも、その意味をなお社会的な主題との肯定と否定の物差しの内側でつかもうとし、中上健次の登場でようやく主題の積極性と内的な密度とのバランスに満足すべき作家を見出し、というような世代であったから、そういう傾向は多かれ少なかれ共有していて、彼が村上春樹や(全然違うけれども)椎名誠を否定する、視点の一種の偏りについては私自身は理解できなくはなかった。
ただ、作品自体の力が、そういう私たちの世代の偏った視点を超えて、こちらの勘に、これは新しい作品だよ、と訴えかけてくるところがあって、うまく言葉にできていたかどうか、友人を納得させられたかどうかは別として、私は私なりに一所懸命、いかに「羊」がすぐれた作品かを主張していたと思う。
だから、今回のインタビュー集を読んで、あのころから作家として認められた(そのこと自体は確かだと思うのだが)と思っていたこの作家が、一貫して文壇から無視され、そのメインストリームから外れたところで孤立してやってきた、と繰り返し語るのを聞いて、ほんとうに意外に思った。
一読者としての私自身にとっては、この作家は「羊」以来、ずっとたった一人でメインストリームを支えてきた印象になる。中上健次(後期にはよい読者でなくなってしまったけれども)が亡くなってから、村上春樹のほかにいったい、メインストリームって、誰がいただろう?そのときどきに、面白い作品、すぐれた作品、才能のある作家、たくさんあったし、楽しんで読んできたけれど、日本文学のメインストリームといって思いつく作家はほかにあろうはずもない。
それは「羊」のころなら少しは奇異に聞こえる評価だったのかもしれないけれど、いまとなっては、世俗的な人気とかと関わりなく、誰の目にも明らかに見えると思うのだけれど、作家自身の自分の位置を語る言葉では正反対になっているのを面白く思って読んだ。
それでもこの作家は、今回のノーベル文学賞だという下馬評にのぼるほど、世界的に著名な作家になっても、ストイックに自分の生活をコントロールして小説の執筆への全力投球を30年前後持続してきたことが、このインタビューを読んでもよくわかる。
生活者としてはごく平凡な人間であり、ただ「昼間ゆめを見る」特殊な能力を持つがゆえに、その与えられた天賦の力を最大限生かすように、自分の夢の底へ危険を侵して降りていき、辛抱強く待っては、現れるものを手仕事の中に掬い取っていく。
そんな言われて見れば当然の本質的な作家としての営みについて、何度どう訊かれても自分にはこうしか答えようがない、という形で、誠実に語られている。
先日古い友人をまじえて話していたときに、書(書道)の話をしていて、それが絵の話になり、昔、日本で最後の文人と言われた早川幾忠さんが素人の弟子に教えるとき、筆の毛と反対側の端をブラブラ垂直に吊り下げるようにつまむように持って描くように言っておられたと、パートナーが言う。そうでないと筆が自由に動かず、描かれるものに勢いが失せるから、という。
友人は、西陣で九代目という呉服屋商売をしていて、たくさんの絵つけ職人とつきあってきたのだけれど、彼がいうには、素人は最初、筆を斜めにして筆の先に近いところを持って描きたがる。(でも中国の人は最初から垂直に筆の上端を持ってぶら下げるようにして描くという。)だんだんうまくなってくると、早川さんの言ったように、筆が100%自在に動くように上端をつまむように持つ。
そういう持ち方で描けるようになれば一人前、ということだった。彼によれば、最初は指で描きたがる。次に手首で描く。やがて腕やひじをつかって描き、最後は体全体で描けるようになる。そこまでくれば筆が完全に自由に動くという。
村上春樹が「待つ」というのは、きっとそういう状態なのだろう。彼が登場人物を動かすのではなく、人物も、モノも、コトも、すべては待つことによって、暗闇の中から立ち上がってくる。上端を支えて垂直に降ろすだけで完全に自由に動く筆のように、この作家の筆(いまはワープロだろうけれど)も、勝手に動き出すのだろう。
それにしても、こういう密度の高い、しかもどんどん深まり、広がっていくような作品を次々に生み出すような作家は、近代以降の日本では漱石以外には一人もいなかった。漱石でも、「それから」、「門」、「行人」、「こころ」、「道草」、「明暗」とどんどんきつくなって、最後は重症の胃潰瘍で亡くなってしまった。
それを思えば、村上春樹という作家の強靭さにはおどろかずにいられない。己を知る作家というのか、ほんとうにこういうことを若いころから自覚して、ストイックに自分の心身を鍛え、自分の書く能力を正確に見極めながら、忍耐づよく本質的な作家であり続けるためにストイックに自分を律し続けてきた。
今回のインタビュー集に目を通して、少し意外だったのは、彼が世間的には一種の流行作家になってからも、ずっと自分は「メインストリームに属していない」と感じ、いわば敵意の中で孤立しているように感じつづけてきたらしい、という点だった。
村上春樹が彼自身が作家的出発点と位置づける「羊」が出たころには、私も学生時代にはよく読んだ文芸雑誌をすっかり読まなくなっていたので、彼がどのように批評されているかは、ほとんど知らなかったし、出る作品は評判になるから、いわゆる文壇でも高い評価を受けているとばかり思っていた。
だから、彼が文学賞の審査員たち(の一部?)から聞くに堪えないような悪口を言われていたとか、それをわざわざ忠告してくれる知り合いがいたとか、おおむね無視されてきた、というようなことを語っているのを読むと、驚いてしまう。
私自身は彼の本当の初期作品については、新人賞かなにかとったときに読んで、その作品の空気には共感するところがあったけれど、習作といった感じで、作品として優れていると思わなかったし、そこからかくも大きなものが立ち上がってくるとは、もちろん予想もできなかった。
それは沢山の下書きの中から、輝く断片を拾い集めて編んだ、若い人の作品によくあるスタイルのもののように思われ、まだ作品の体をなさず、本当はここから「ちゃんとした作品」を書かなければいけないはずだ、みたいな印象だった。
しかし、「羊」が出てきたときは、脱帽した。いまでも鮮明にその日のことを覚えているけれど、いま某博物館の館長をしているSが、私を岡山県の山の中の年寄りたちが集まるような湯治場でもある小屋へ連れて行ってくれて一泊した。
夜中まで宿の2階でしゃべっていると、下を流れる清流でホタルが孵り、次々に2階の窓のところまであがってくる。見下ろすと、流れが岩で少しさえぎられて水がほとばしるあたりが、眩しいほどの緑色の光の塊のように発光していて、そのあたりから次々に闇の中をふわふわとホタルが舞い上がってくる。
そんな中で、ランプの灯も消した闇の中で私たちは向き合って、「最近の小説」について少しきつい話をしていた。彼は「最近売れっ子になっている」椎名誠の「哀愁に・・」や村上春樹の「羊」を槍玉に挙げて、読んでみたけれど、あんなのどこがいいんだ?とこっぴどくたたく。
私は自然、両者を擁護するような形になり、とりわけ「羊」のほうは、私にとっては、中上健次の『枯木灘』以来、ようやく現れた真に新しい作品、という気がしていたので、かなり意地になって、あれはほんとうにいい作品なんだ、と力説していたと思う。
友人は、『枯木灘』ならわかる、という。あれはいいよ、と。でも村上春樹のはなにがなんだか分からないよ、思わせぶりで、謎めかしているけどあんなの本当の謎でもなんでもない、空虚なものでしかないんじゃないか、黒幕だかおおものだか知らないけどポンチ絵的でさ、あんなの辿っていってもどこにもたどり着かないと思うよ・・・そんなことだったかと思う。
面白いのは、いま考えても、彼のこっぴどい評言は、まんざら当たっていなくもないところがある、というところだ。ポンチ絵的といえばそのとおりで、この作家はあの作品でもほかの作品でもよくやるように、彼がよく読んだであろう大衆的なアメリカの推理小説だかハードボイルドだかみたいなものの結構を意図して借りて書いているから、そういうふうに見ればそのとおりともいえる。
そして、「謎」をたどっていっても、どこにもたどり着かない、というのもそのとおりで、そこが三文推理小説と彼の作品との違いなのだけれど・・・。
でも、あのときの友人Sは、そのころの私たちの世代の多くがそうであったように、なお戦後文学的な主題主義的な文学作品の読み方の弊を免れてはいなかったように思う。
第一次戦後派の作品を読み、第三の新人をいわば積極的な主題から逃亡した作家群のように読み、同様に否定的なキャッチフレーズとして言われた「内向の世代」をその作品の空気に共感しながらも、その意味をなお社会的な主題との肯定と否定の物差しの内側でつかもうとし、中上健次の登場でようやく主題の積極性と内的な密度とのバランスに満足すべき作家を見出し、というような世代であったから、そういう傾向は多かれ少なかれ共有していて、彼が村上春樹や(全然違うけれども)椎名誠を否定する、視点の一種の偏りについては私自身は理解できなくはなかった。
ただ、作品自体の力が、そういう私たちの世代の偏った視点を超えて、こちらの勘に、これは新しい作品だよ、と訴えかけてくるところがあって、うまく言葉にできていたかどうか、友人を納得させられたかどうかは別として、私は私なりに一所懸命、いかに「羊」がすぐれた作品かを主張していたと思う。
だから、今回のインタビュー集を読んで、あのころから作家として認められた(そのこと自体は確かだと思うのだが)と思っていたこの作家が、一貫して文壇から無視され、そのメインストリームから外れたところで孤立してやってきた、と繰り返し語るのを聞いて、ほんとうに意外に思った。
一読者としての私自身にとっては、この作家は「羊」以来、ずっとたった一人でメインストリームを支えてきた印象になる。中上健次(後期にはよい読者でなくなってしまったけれども)が亡くなってから、村上春樹のほかにいったい、メインストリームって、誰がいただろう?そのときどきに、面白い作品、すぐれた作品、才能のある作家、たくさんあったし、楽しんで読んできたけれど、日本文学のメインストリームといって思いつく作家はほかにあろうはずもない。
それは「羊」のころなら少しは奇異に聞こえる評価だったのかもしれないけれど、いまとなっては、世俗的な人気とかと関わりなく、誰の目にも明らかに見えると思うのだけれど、作家自身の自分の位置を語る言葉では正反対になっているのを面白く思って読んだ。