2010年07月

2010年07月15日

伊坂幸太郎『バイバイ、ブラックバード』

 楽しく読めました。この作家の作品らしい、サービス精神たっぷり、種も仕掛けもある小説で、毎回違うから今度はどうやって楽しませてくれるだろう、というのがこの作家のいいところですね。

 意地でもフツーのリアリズムじゃ書かないぞ、という心意気を買います。登場人物も出来事もデフォルメされ、誇張されたりしてはいても、キングとクイーンとジャックに決まっているカードを組み合わせるだけ、というようなパターン化されたものではなくて、そのつど新鮮なところがあります。とっても柔軟ですね。

 この本が平積みになっている横に、この本の絵解きみたいな、装丁も対になっているような本が積み上げてあるのですが、商売上手ですね(笑)。

 でも、そうはいくか!と天邪鬼の読者としては、そっちはさすがに買いません。本屋さんでぱらぱらとめくってみるだけ。そうすると、太宰治の「グッド・バイ」の名がちらっと見えたから、あぁなるほど、と合点。

 そういえばこんな話でしたね。むこうはたしか短編だったと思いますが(だいたい、太宰に長編っていえるようなのはないですね。中篇くらいで、斜陽、人間失格、津軽・・・あと思い出せない・・・)、主人公が不倫の相手に別れてもらうために、伊坂さんの本でいえば繭美みたいな女と結婚するんだ、みたいなことを言うんだけれど・・・ってな話でした。

 太宰の場合は、不美人じゃなかったと思いますが、手元にいまないので確かめられない。でもなんか大食いで怪力で、みたいなところは繭美さんと似ていましたね。

 種明かし本で作者自身が種明かししているくらいですから、あれを下敷きにして現代のブッド・バイを書いたということでしょう。本歌取りですね。

 主人公の「五股男」(女を二股どころか五股かけていたから)も、それにぴったり付き添う監視役の繭美もなかなかいいです。この五股男の星野が太宰(の主人公)のような資質で、いわばこの俗世間を生き抜くにはあまりに無垢で、それゆえ常識はずれで、ある観点からすれば小ズルイ男にも見える。なにしろ五股男だから(笑)。

 でもその胸のうちには誰にも言い訳できないけれども、真っ白な布に目に見えないほど小さな文字でなにか書いてあるんだ、という太宰の別の作品にあるあの言葉を抱え込んで生きているような。

 繭美との掛け合いが面白くて、繭美が強いせいか、これを読んでいると、五股男が精力絶倫のポジティブな男ではなくて、ネガティブな受身の、なんというかマゾのタイプ(笑)にみえてきます。

 ドゥルーズによればマゾというのは教育者なんだそうで、なるほどなぁと思うけれど、この五股男も受身で弱々しい草食系の男にみえるしまさにそうだけれど、繭美はけっこうこの五股男に振り回されるというか、つきあわされて、「しょうがねぇな」、とぼやきながら、言ってみれば「教育」されていくわけですね。それがラストでバスを追っかけていく繭美の姿にまでつながっていく。これがマゾの教育力なんかなぁ、って思いながら読んでいました。

 そして、たしかに主人公の資質や下敷きにした話の男女の関係の設定や、掛け合いの面白さ、落語的なオチ等々、太宰の「グッド・バイ」に重ねられているけれども、他方で私は西鶴の「好色一代男」のことを思い出しました。

 世之介はポジティブで、サドのほうのタイプ(実際、世之介は情を交わした女性に相当ひどい仕打ちをしていますからね)で、キャラは全然違うけれど、物語の構成としては、建築的構成に向かわない、いくつもの同じ輪をつなげていくような連環法で短編をつなぐ形と言うのは、伝統的な日本の物語の形式で一代男の構成の方法でもあって、それが踏襲されている。それは作者が意識して、女に「あれも嘘だったね」と同じせりふを吐かせて、またもう一つの円環がはじまるぜ、と告げていることからも明らかです。

 

 

saysei at 01:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年07月08日

『プラチナデータ』(東野圭吾)

 文章にケレン味がなく、やさしく分かりやすく明晰で、構成もいまどきよくあるような、時間がやたらと前後したり、くるくると視点を変えてみたり、無理な独白で通したり、というような奇をてらったところが少しもない。

 それでも、いや、だからこそ、というべきか、そんなことと無関係に、というべきか、最初からぐいぐい引き込まれていく不思議。この作家の小説はいつも安心して読める。必ず次はどうなるんだろう?とページを繰るのが楽しみな展開を保証していてくれる。人を見る目もあたたかく、フェアだ。それが自然体のような文章にもあらわれていて、違和感がない。

 ストーリー展開は抜群にうまいし、最後まで読んで後味が悪い思いをすることはほとんどない(私には『手紙』は少々辛かったが)。エンターテインメントの王道をいくような作品で、買って安心、読んで安心(笑)。そして読んでいるあいだは何もかも忘れて没頭できる。

 今回は、情報社会の管理主義的な負の側面を作品の骨格に取り入れていて、推理小説をひっぱっていく「謎」の核心のところに、この社会的テーマが据えられている。

 エンターテインメント小説らしく、誇張され、パターン化されてはいるけれど、とてもよくできていて、作品に社会派風の太い骨組みを与えていて、こちらは警察組織の人と人との関係の軋みを通して描かれている。

 もうひとつの核心は、情報社会の「時代の病」といっていい心の病の問題で、こちらは主人公の一人(あるいは二人というべきか)の造型に負わされている。
彼(ら)の職業、生い立ち、性格、思考、行動は、実に周到に設定されていて、一定の状況下でのその振る舞い方や考え方や言葉に必然性があり、納得させられる。

 病の専門家からみれば、もちろん大きな逸脱や誇張やありえないことさえみつかるかもしれないけれど、少なくとも大半を読み終えるころまでは、その小説的なリアリティは保たれて、その語り口の巧みさ、テンポのよさ、なめらかさで読者をぐいぐい引っ張っていく。

 「すずらん」については、たぶん読者は最初登場するときに、その正体を見破ってしまうか、少なくとも、うすうす気づくはずだが、彼女についてはリアリティのある細部を積み重ねていくのが、この作家の力量を持ってしても、なかなか難しいだろう。

 しかし、読者がこの「すずらん」のひととおりの正体を察知することは困難ではないけれども、最後にその向こうにあった本当の正体が明かされるときは感動的ですらある。

 私にとって一番物足りなかったのは、水上医師の造型で、彼はもっと重い存在感が与えられてしかるべきではなかったのか、という気がする。種明かしをする彼があまり卑小なので、そこはちょっとがっかりした。

 けれど、主人公二人はなかなかいいし、いつもの彼の作品のように、こういう主要な登場人物ひとりひとりの奥行きがしっかり描かれていて、彼らに注がれる作者の視線が温かい。二人(あるいは三人)の主人公がそれぞれの事情で協力せざるをえなくなる瞬間から俄然面白くもなる。このあたりは本当に人物が生きて動き出す感じで、いつもながら感心する。

saysei at 00:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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