2009年07月
2009年07月31日
『終の住処』(磯崎憲一郎 著)
以前に「肝心の子供」という一風変わった作品を読んだことがあるが、そのときは、文藝賞受賞作というその作品、個性的だとは思ったものの、あまり良さが分かったとは思えなかった。
今回、芥川賞受賞作となった、「終の住処」(ついのすみか)は、「肝心の子供」とは違って、私たちの身近な世界に、いまではありふれているとも思える夫婦の姿を夫の目で描いている、という意味では、素材的な特異性はないけれど、その描き方(文体)は一層個性的でユニークなものになっている。
「それぞれ別々の、二十代の長く続いた恋愛に敗れたあとで、こんな歳から付き合い始めるということは、もう半ば結婚を意識せざるを得ない」という三十歳過ぎた年齢で付き合い始めた時点で既に、「疲れたような、あきらめたような表情」だった二人が結婚し、「新婚旅行のあいだじゅう、妻は不機嫌」で、その理由を尋ねるたところ、妻は「別にいまに限って怒っているわけではない」と答える。
こう引用すれば、ずいぶん変わった夫婦のようにもみえるが、人生にも恋愛にも「負け組」のトウの立った男女が成り行きで夫婦になればこんなもので、いまどき身近なところに幾らでもこういう夫婦はいるのではないか、と思わせる。
夫の実家を訪れると、妻と母が彼をほったらかして、夜遅く沢山の買い物をかかえてほろ酔い加減で仲良く戻ってくる。夫は怒りながら、「大きな満足感」を覚え、「彼本人が疎外されれば疎外されるほど、この喜びは大きく、強くなる」ことを実感する。こういうところは、あぁ、あるある、そういうことってあるよな、と「どこにでも居る夫婦」の感を強くする。
夫は職場でダメ男だったかもしれないけれど、年数を勤め上げるうちに、客観的にはそれなりの位置を占めるようにもなるし、人並みに家を買い、人並みに浮気もし、そういう自分をその都度少し意外に思いながらも受け入れ、案外図太く居直って、家庭では子供ももうけて、「フツーの家庭」を営んでいる。
ところが、読んでいくうちに、この普通の夫婦が得体の知れない不気味な存在に見えてくる。「彼は」というふうに三人称で書かれているが、ほとんどその「彼」は「夫の一人称」で、夫の目線で妻を見ているのだが、とりわけその妻が得体の知れない存在に見えてくる。
いや、妻だけではなくて、わが子も夫のその目から見れば得体の知れない存在に見えてくる。
ひるがえって、このようにどこにでもありそうな妻や赤ん坊がかくも得体の知れないものに見えてくる、その目線自体に不気味なものを感じ始めると、この夫自身が私たち読者にとって、得体の知れぬもののように感じられ始める。
”・・・抱き上げようと左手を差し出したときだった、子供は足で布団を蹴るようにして、昆虫を思わせるすばやい動きで彼の手を逃れた。どうしてなのかそれは、起こるはずのないことが起こったように思われた。気を取り直してもう一度、左手と右手を両側から互い違いに差し出してみた。自らの身長ほど、子供はシーツのうえを音もなく滑らかに移動した。じっさいには子供はとっくに泣き止んでいたのだ。何度捕まえようとしても駄目だった、よろめきつつも彼は必死に追いかけたのだが、仰向けに寝たままの子供には指を触れることすらできなかった。そしてそのまま前のめりになって、畳のうえへ突っ伏した。二時間後、銀色の粉のような冬の朝日のなかで静かに眠る妻と子供を見下ろしながら、猛烈な睡魔のために彼の全身はとろけてしまいそうだった。このとき、彼の方こそが幻影なのかもしれなかった。そして朝食もお茶も取らずに仕事へと向かった。”
赤ん坊の泣き声にも関わらず、死んだように眠る妻を横目にみながら、眠れない夫が早朝に赤ん坊をあやそうとしている、ごくありふれた日常的な場面だが、これは現実なのか夫の妄想なのかも定かでなく、作者は「猛烈な睡魔」のせいで見た幻影のようにも解釈できるアリバイを用意しているものの、「夫の一人称」的な「彼」の三人称的文体が、こうした幻影に冒されて、妻や赤ん坊のみならず、それを描く夫自身の輪郭がゆらいでいる。
そして、この夫婦が、さらには子供まで含めた家族みなが、得体の知れないものになっていくのが、本来なら句点を打つべき文章を、読点でつないでいくこの文体のうちに鮮やかに表現されていく。
小説のラストで、アメリカから帰国した夫が、「何かが足りない」と思い、娘がいない、と気づいて、妻に尋ねると、妻は「去年からアメリカへ行っているのよ」という。”彼は愕然とした、何ということだろう!自分が昨日までいたのと同じ国に、じつは俺の娘も住んでいたというのか!”
”いったい何が隠されているのか。「もうずっといないわよ」どうしたことか、妻の態度はまるで平然としていて、娘などそもそも最初からこの家にはいなかったといわんばかりなのだ。驚きのあまり次の質問が継げずにいる彼は、まず自分の頭をしっかりと固定し、朝日がまだら模様を描く居間の床板を一歩ずつ踏みしめながら前に出て、妻の両肩を思い切り強く掴んだ、そしてその顔を正面から見つめた。”
こうして彼は、この女と結婚することを決めたときに見た、あの「疲れたような、あきらめたような表情」をそこに見出し、またその表情が自分のものでもあることに気づく。そして、彼は、この家のこの部屋で、死に至るまでこの妻と二人だけで過ごすのだということを覚る。
前にもそういう小説の幾つかに出会って連想したことがあるが、この作品を読んで、横光利一の「機械」を連想した。
「機械」は産業社会の最下層で疎外労働を担う工場労働者の内面の腐蝕を通して、資本主義社会を成り立たせているシステムの根源に切り込んだ「倫理の書」(小林秀雄の「機械」評)と言われるが、磯崎憲一郎のこの作品も、横光の深く鋭利な切り込みと比較するのは気の毒だとしても、ひとりのありふれたサラリーマンであり家庭人である男の視線で、妻を、家庭を、職場を描きながら、その視線自体が腐蝕していくのを文体として表現した、作者の「倫理の書」と言っていいのではないか。
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2009年07月28日
Dear Doctor (ディア・ドクター) [西川美和 監督]
先日、「原作」を読んで感想を書いたけれど、映画は封切後もきょうまで見に行かなかった。期末で多少忙しかったせいもあるけれど、次々に出てくる批評が、批評とも何とも言えないほど、みなべた褒めで、ほとんど例外なくほめちぎっているので、料理を食べる前に、それが美味い美味いと百遍も聴かされて食傷したようなところがあった。男性評者諸氏は、若い綺麗な女性監督に少し甘いのでは?(笑)とも思った。
それでも、前回の長編第2作「ゆれる」が非常に良かったし、才能ある監督なのは明らかだから、きっといい作品だろうし、見たいなと思っていた。そして、実際に映画館で見たら、ほぼその期待は裏切られなかった。
ただ、「ゆれる」とはかなり映画の作り方が違ってきているように思った。「ゆれる」は兄弟二人の関係に焦点をしぼって、ぐいぐい縦深的に人間と人間が関わる心の闇へ切り込んで観客を引っ張っていくようなところがあって、その切り込みの鋭利さが鮮やかで、またオダギリ・ジョーも、またとりわけ香川照之が、ゾクッとするような演技でみせてくれるので、その表情とセリフがいつまでも記憶に刻まれるようなところがある。
監督は、きっと撮影環境のセッティングも、照明もカメラもセリフも演技も、微細なところまで神経を張り詰めてコントロールしているような印象があった。
けれども、今回の「Dear Doctor」は、なんと言うかもう少し拡散的で、登場人物も多くて、もちろん「主人公」は居るわけだけれど、スポットライトは彼をとりまく結構数の多い主要な登場人物たちにも、それぞれにかなりの比重であてられていて、それぞれの持つ色調でその表情が浮かび上がってくる。小説でいうと、「よく描き分けられている」という評になるのだろうが、性格造形が実にクリアだ。
むろん、それを支えているのはキラ星のような俳優たち。
すでに多くの評者が言っているように、キャストも俳優ではない鶴瓶がおさまってみれば彼以外にはいないかに見えるほどピッタリだし、脇を固める俳優がすごい。きっと「ゆれる」を撮った監督の映画なら出たい、とこういう名優たちが集まってくるのだろう。
「サマータイムマシン・ブルース」や「アヒルと鴨のコインロッカー」でもテレビドラマでも明らかに「旬」の俳優と実感される瑛太、「ゆれる」で信じられないような名演をみせた香川照之、それに「フィラメント」ではミスキャストだと思った井川遥もこの作品では実にいい感じだし、看護士役の余貴美子も熱演、それにずっと昔からこの世代の女優ではファンだった八千草薫が、この年齢にふさわしい、動じない素晴らしい演技で、これらの主要人物のさらに脇には、松重豊だの笹野高史だの岩松了だの一癖も二癖もある連中が存在感をみせていて、キャスティングは完璧に近い。
それぞれにいい見せ場があって、例えば偽医者伊野治役の鶴瓶は、若い医師相馬啓介を演じる瑛太と激しく言葉を交し合って、「わしはニセモノや」と言い、それでも食い下がる瑛太に、「うっとぉしいなぁ」というあの場面が、迫真の演技。
瑛太は同じ場面もいいが、伊野が雲隠れしたあと、松重演じる刑事の尋問に答えるシーンがまた、なかなかいい。あのクールな豹変ぶり、自分のそれまでのありようを恥じるでもなく居直るでもなく真っ向から否定するでもなく、微妙にずらして、自己欺瞞に満ちた供述をいまどきの若者風にクールに言うところがとてもユニークだし、それを自然に演じているのに感心する。
八千草薫は野良着で歩いていて、鶴瓶が雲隠れするときにオートバイをとめて白衣を振ると、立ち止まり、笠、手拭をとって、鶴瓶のほうをみる。それを正面からとらえるだけで、ぴたっとなにか決まるような不動の存在感がある。また、ラストの、病室へ入ってきて覗き込む男の顔を見て、あ、という表情をする、あの表情なども実にいい。
それでもやっぱり、最大の見せ場は、癌で死を目前に、娘たちの足をひっぱるまいと何も言わずに死んでいこうとする母親役の八千草にとっても、そのことを知った医者である娘役の井川遥にとっても、二人がそのことには触れずに会話する場面だろう。涙をみせまいとそっぽ向きながら、自分の病院でみてもらったらと言う娘と、娘の気持ちを知って、それまでは頑なに何でもないのだと言っていたのを、そうしようかねと応える母、そしてカメラはガラス障子の外側から二人の座る背中をとらえる。このあたりはすごい。
娘が最初に母の病気を知るきっかけになる、アイスキャンデーをなめなめ、塵箱に捨てられた薬の殻をみつける場面、流しに捨て置かれたキャンデーが溶け出すショットなども、常套手段とはいえ、素人としてはうまいもんだなぁと感心する。
余にも香川にもそれぞれ見せ場があって、それぞれに個性的な演技で存在感を見せているし、こういう俳優たちの見せ場をちりばめながら、ストーリーは「ゆれる」のように求心的にではなく、遠心的というのか、ちょうど村医者の鶴瓶が村の患者たちの家を個別に往診してまわる形と符合するかのように、ゆるやかに、多元的な展開をみせる。
その分、「ゆれる」のように一瞬も目が離せないような、時間軸に沿った一筋道の張り詰めた展開ではなく、こちらにこういう人があるかと思えば、あちらにいああいう人がおり、そこへ主要人物が行けばこういう反応が起こり、というように、ストーリーは空間的な広がりと多様性を孕んで進行する。
作品の世界は、したがって、「ゆれる」よりもずっと豊かになった印象を受ける。監督は触れれば切れる妖刀村雨のような鋭利な刀をおさめて、一見それよりは刃を鈍らせた刀で、同じテーマに切り込んでいるようだ。鈍い刀のほうが骨まで深く切れるのかもしれないが。
ところで、あまりにもべた褒めばかりの前評判に食傷した、と書いたけれど、これまでのところ、私もいいことばかり書いてきた。でも絶賛というわけではない。
一つだけ、どうかと思うところを挙げてみると、肝心の鶴瓶の演技だが、上に書いた瑛太とのやりとりのクライマックスなどは絶品だけれども、それ以前の、村人の患者たちを診療し、治療するときの表情は、どれもおおいに疑問を感じた。
鶴瓶の偽医者は、そういう場面で、いかにも自分は偽医者で、本当は自信がない、あるいはうしろめたい、という顔をする。これは、鶴瓶が素人俳優だからヘタだったという話ではなくて、監督の演出の問題だと思う。私は映画をつくる人間ではないから、素人のたわごとかもしれないけれど、私が監督なら、鶴瓶に、脚本を渡さずに、それらの場面では、村でたった一人の医者だと思って演技してください、と言う。あるいは、脚本を読み込んできてもらうなら、ここは偽医者だけれども、これらの場面では後ろめたいとか自信がないという顔を一瞬でも見せずに、堂々と手馴れた医者として演じてもらいたい、と注文をつける。
そして、事故によるごく稀な緊急性気胸?の患者の胸に針を打ち込まねばならない場面になって初めて、一瞬そういう表情を見せればいい。そのほうがずっと自然だと思う。
昔読んだピーター・ブルックの「なにもない空間」という演劇論の冒頭に近いところで、善人の振りをしている悪人を役者に演じさせるのに、最初からその台本を見せると、役者は「演技」してしまうから、役者には善人として演じてもらうほうがいい、というような話があった。(ずいぶん昔一度読んだきりなので、詳細はすっかり忘れてしまって、細部は間違って記憶しているかもしれません)
まぁ俳優にシナリオを読ませないわけにもいかないだろうけれど、演技としてはそういう演技をしてもらわないと、逆にそういう部分ではへんに過剰な演技、うそ臭い演技になってしまう。せっかくの鶴瓶特有の存在感が損なわれてしまうような気がした。
冒頭やラスト近いところで、伊野の失踪に取り乱し、田んぼの中に分け入って稲をひっかきまわしている瑛太や、村人たちの反応などにも、そうした過剰な演出が感じられて、最初は作品のなりゆきに、いくぶん危惧を感じた。まぁ、つまらない揚げ足取りの類になるけれど、玄人評論家諸氏にモテモテの若くて綺麗で才能ある監督のことなので、素人なりに何かアラをみつけようと頑張ってみました。(笑)
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『八朔の雪』(高田郁 著)
先日、『植物図鑑』という植物図鑑にしてレシピ満載の料理手帖でもあるような小説を読んで感想を書いたのですが、今回はパートナーのお薦めで、この『八朔の雪?みをつくし料理帖』という文庫本を読んでみました。
これは『植物図鑑』とは違って、料理手帖として楽しめるだけでなく、小説らしい人物のきちんとした造形と、巧みなストーリー展開で、小説としても愉しませてくれました。
大坂の味になじんだ、舌の天才的な少女が、洪水で両親・縁者を失い、いわば拾われ育てられ、まるで食文化の異なる江戸で、新しい味を作り出していく苦労を重ね、「雲外蒼天」の運勢のごとく、周囲の人々の温かさに援けられながら、やがて「蒼天」の見えるところまで雲を突き抜けていくというお話。
文章は少々ぎこちないところがあったり、月並みな表現が続いて、この種の中間小説には百戦錬磨の手だれが多いので、そういうのに比べると、ん・・と思うところは結構あるけれど、味の東西比較文化論のネタになりそうな、とても具体的な食文化の違いをうまく取り込みながら、自分を援け、育ててくれた人たちに恩返しするために精進を重ねる一途でけなげな少女を中心に、それを取り巻く庶民の温かさを丹念に描いて、後味の良い人情噺になっています。
うちのパートナーのように料理を創ることに喜びを感じる人や、ふだんからよく美味しいものを食べながら東西の味の違いとかの話をしたがるような人には、とりわけおすすめの佳作。
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2009年07月25日
『私語研究序説』(新堀通也)再読?その3
1990年代の初めに、教育学では著名な新堀通也教授(当時)が所属する大学の全学的調査を実施して、論文を書き、その内容をさらに標記の著書にまとめて出版している。以前に出席したFDを推進する学内組織主催のモデル授業のときも、司会者が「先駆的な業績」として紹介していた。
いまの職場へ転職して、教育経験の乏しい私は、こんなに私語が多いのは自分の授業だけではないか、と思って悩みもし、この著書を買って読み、いろいろ啓蒙された。
今回また地下室から引っ張り出してきて、通読してみた。あらためて、目配りのよくきいた、周到な論考で、私語問題の複雑さがよく分かり、誰かに責任を押し付けてすむような単純な現象ではないこと、その「原因」の多様さ、決して一筋縄ではいかないこの問題の根深さを、その広がりの諸相も含めて、教員の側からも意見も、学生の側からの意見も拾いながら、よく描き切っていると思った。
これを先駆的な業績、として熟読しているなら、なぜ、いまのように私語問題をFD推進と直結して、あたかも私語の「原因」が教員の授業運営能力や講義のスキルにあるかのような動きになるのか、実のところ私にはさっぱり理解できない。
今回再読して面白かったのは、最初読んだときには、学生の勝手な言い分としてあまり気にもとめなかった次のような部分だった。
それは、上智大学の武内清教授の報告を引用する形で挙げられた、授業中の私語に対する、学生たちの肯定的な評価である。
・ストレス解消になる。コミュニケーション機能がある。
・いまの学生はマルチ人間であり、私語していてもちゃんと講義は聴ける。
・禁じられるから私語は楽しい。「?からの自由」という遊びの精神。
・授業しか私語する場所がキャンパスに設けられていない。
・私語の内容はあらゆる分野にわたっている。(友人との全人的つきあいに不可欠なのだろう。)
・授業のありようなどと関わり無く、私語は気分次第でするもの。
また、「私語のない授業」についての次のような学生たちの評価も、とても興味深いものだった。
・一言も喋らせない先生もいるが、とても苦しい。制約されたからといって、授業に身が入るわけではない。
・内容が面白くないのに出席だけとって、私語をめちゃくちゃ嫌う教授は、実に軽蔑されています。(俺のことかい?・・・笑)
・私語のない授業だからといって、いい授業とはいえない。
新堀教授も、こうコメントしている。「私語のない授業も、教師が考えるほど教育効果は上がっていないのかもしれない。」・・・私はわが社の私語撲滅キャンペーンを熱心に推進しておられる担当部局の長や「上層部」の方に、ぜひ新堀先生のこの本を再読三読していただきたいと願う。
不満がないかと言えば、私は新堀先生の本では、その当時の現在時点で切った全学的調査のデータを中心に構成したせいか、歴史的な観点が弱いという印象が拭えない。
冒頭のところで、「私語は昭和40年代の初めには既に私立の女子短大で一般に見られるものとして問題視され始めていた。しかし、その後、特にここ十年ほど前から、私語がほとんどの大学で蔽いかくすことのできない現象となってきた。」という、仏教大学の吉岡剛教授の言葉を引用している。
昭和40年代の初めというと1960年代の半ばから、ということになるし、「ここ十年」とあるのは、1980年台のはじめころから、ということになる。その間に、同世代の1割しか大学、短大に行かない時代から、4割近くが進学するにいたる変化があった。
この間に、現象として何が生じたのか、教員の講義のスキルがどんなだったのがどう変化してきたか、学生の質が量の変化にともなってどうなってきたのか、歴史的な変化を仔細に検討し、分析してくれれば、おのずから現在の問題がどこにあるかが明瞭に浮かび上がってきただろう。
それはこの複雑な問題に単純な解決を与えはしないかもしれないが、少なくとも原因を見誤ったり、単純化して、見当違いの「努力」を強いて現場でそれぞれに懸命に努力している教員たちを追い討ちして余計なオブセッションを負わせるような愚は避けられるのではないか。
(完)
at 02:24|Permalink│
『私語研究序説』(新堀通也)再読?その2
私の聴いたモデル授業で「成功例」として話された中に、「ハイカルチャーだと学生は興味を持たないが、料理のことをやれば興味を持って私語なしに聴くので、全回、素材を料理にして、料理の窓を通して授業を行ったところ好評で私語もなくなった。」というのがあった。
むろん、その科目については、ハイカルチャーでなくて料理で全部教えるべきことを教えられたのかもしれない。しかし、それで抜け落ちるものはないのだろうか。芸術文化のようなハイカルチャーは学生が興味を持ってくれないから、つねに敬遠して、教員たるものすべからく、料理やファッションや化粧の話をすべきなのだろうか?!
もちろん、モデル授業をされた先生はそんな馬鹿なことは言っていないが、ハイカルチャーでは学生の関心が薄いから、より興味をもってくれそうな料理を通して授業を展開する、という発想そのものに、疑問を感じる。これはあくまでもその授業限りの個別性と受け止めなければ、行き着く先は、授業の「ショー化」、教室の「劇場化」であろうと思う。
私はその道は大学教育の辿るべき道ではないと思う。たとえ関心を持つ学生が少数であっても、多様な芸術のすばらしさに触れるような授業はあるべきだし、文楽や歌舞伎のような伝統文化にも、「わけのわからない」現代美術やパフォーマンスにも触れるチャンスを与えるべきだろうと思う。
また、「北風型」で教室を厳格に管理して私語を強圧的に抑えるやり方も、一時的な対症療法でしかないことは明らかだ。教室は静まり、「まじめな」学生や保護者からの抗議も受けなくて済むから「上層部」は一安心かもしれない。
しかし、そのことと引き換えに、教室は活気を失い、双方向的なやりとりが生まれる自由闊達な雰囲気をなくし、授業の流れが断ち切られたり、学生と教員との間の信頼関係が損なわれることは大いにあり得る。
ではどうすればよいのか。まず私語の原因を教員の授業運営能力や講義のスキルに求めるような自己欺瞞に陥らずに、多様な真の原因から目をそらさず見つめ、しっかり検討すること。まずもって事実を認めることから出発しなければ、多かれ少なかれ自己欺瞞に陥る。
学生の質の低下は大学にはどうすることもできないだろう。家庭でのしつけも、地域の教育力も、高校までの教育も、壊滅状態であるとしても、一介の大学にはどうすることもできまい。それは仕方がない。そういう学生を受け入れるしかないのだ。それはいい。
しかし、その学生たちのありようや姿勢を肯定して受け入れる、というのではない。それは間違っている、と言ってやるのが教育ではないのか?
授業の内容にまるで興味のない学生が、単位だけ揃えて卒業証書さえくれればいい、という姿勢で、あいた時間を埋めて履修登録し、はじめから友達と喋るために教室へやってくる。
それを拒否できないのが現在の履修登録システムであるなら、せめて個々の授業においては、その種の学生を排除できる仕組みをつくるべきではないか。
そうした仕組みも作らずに、個々の教員の対症療法的な「解決」法に委ねるのは大学としてそれこそ無責任ということにならないだろうか。
その種の私語の震源地になり、その後教室中に広がる癌の原発細胞である一群の学生を、それにも関わらず教室に縛り付けているのは、出欠をとることを教員に義務づける制度である。これがあるために、授業内容に何の関心も持たない学生が90分間教室に居座って、ありとあらゆる授業妨害を行うことになる。
出欠をとらなければ、彼らはそんな授業など元々聴きたくもないのだから教室へ出てこないだろう。あとは採点評価を厳しくして(正確には「当たり前の評価」にして)、よほど授業を聞いて努力しなければ単位が取得できないようにすれば、私語は激減するだろうと思う。
それで私語が確実になくなる保障はない。最初から教室を、「友人と会って長時間おしゃべりできる場」と心得て出てくる学生もある。出欠をとろうがとるまいが私語はなくならない、と標記の著書で新堀先生も書いておられる。
それでも、私の考えでは、これ以外にさしあたり大学として可能かつ有効な私語対策はないと思う。
むろん、大学の教室や設備その他の物理的環境などが整っていないようなところでは別だが、わが社はそれらは文句がないほど整っているのだから問題は少ないはずだ。
あとは科目あたりの受講者数を最大70名程度に減らす、時間割上の工夫をすることだろう。70名は標記の研究の中で私語の発生しやすい人数の分岐点として出てくる人数だ。
200人からの授業は二つか三つに分けるほかはない。当然、コマ数は2倍、3倍になり、そのままでは教員の負担は増えるから、負担を増やすまいとすれば科目数が減って、学生の選択肢が少なくなる。それを避けるためには、教員数を増やして、バリエーションを確保するほかはない。
この教員数を増やす話は、いまどき、どこの大学の経営者でも一番嫌うことだ。しかし、実証的に検証してみればよいと思うが、わが学科でも定員が私が転職してきたときからみても、5割も増えている。私大ゆえ定員より実際の入学者数はつねに多い(定員割れしている大学なら別だが)から、定員の増加に伴って、実際上の入学者もさらに増えている。
演習などの授業に支障が生じるため、学生数の増加に応じて設備だけは増やしてきたわけだが、教育は設備がするのではなくて、人間が、教員がするものだ。その肝心要の教員数は、経営的観点から人件費支出を抑えるために、つねに厳しく抑えられている。演習系で学生の学習に大いに援けとなる助手クラスの人材の増員も、厳しく抑えられている。
このことも、教員の心身の負担を著しく増大させ、授業にも影響が出てくるのは目に見えているし、ひいては学生にとっての授業のありようにも、深甚な影響を及ぼすことになるのは自然な成り行きである。
こうした肝心のシステムを「改善」しないで、個々の教員の教室管理や講義内容の「改善」に、もともと無理な解決を委ねるかのようなやり方では、一番大事な「人」の要素を絶えざるオブセッションでいたずらに疲弊させるだけで、益々解決は遠のくにちがいない。
それらのシステムの改善さえしっかりと大学当局がやってくれれば、あとは、座席指定や、あらたな授業運営の工夫や、講義内容の改善という、これまでどおりの、「太陽型」か「北風型」のブレンドによる個々の教員の絶えることのない努力に負うことになるだろうことは、あらためて申すまでもない。
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