2006年05月
2006年05月05日
フンデルトヴァッサー展
京都国立近代美術館で開催中の美術展に出かけた。オーストリアの美術作家1928-2000で、ヨーロッパ近代合理主義への批判と自然回帰願望が特徴というが、いままで接した事がなかったので、先入観なしに見ることができた。
最初のほうの展示室にある版画が断然面白い。クリムトとクレーと元永定正の最近の作品とを足して3で割ったような作風だなぁ、と思いながら見て歩いた。多様で細かな数多くの要素で構成した強い色彩の装飾的な絵画が持ち味らしくて、それを日本人の彫師、摺師が和紙に摺って、コンパクトな画面に独特の色合いを出しているのが良かった。
あとの大作になるほど、間延びがしてつまらない。建築模型も、版画の装飾性をファサードに投影したようなのは、装飾的な楽しさがあるが、コンクリートビルに芝生屋根を持ち込んで環境がどったらこったら御託を並べているようなのは、藤森照信のタンポポの家なんかのほうがよほど面白いね、とパートナーとお喋りしながら素通りした。
この美術館は工芸やデザインに力を入れていて、昔はワコール(服飾文化財団)のファッション展や、ソットサスなどイタリアの新しいデザインの波を紹介する展覧会や、たしかポルシェ展(ここと違っていたらごめん)のような面白い展覧会もやっていて、今回の建築を含むという展覧会に少し期待して行ったのだけれど、かなり失望した。
展示室内の解説の文章がひどく理屈っぽい悪文で、まるで魅力がない。若い学芸員が自分の感性を開放して、自分の企画した作家について、好きで好きでたまらん、ということが感じられるような、のびのび・生き生きした解説が読みたいものだが、現実は正反対。
掲示する前に、せめて10人の学生にでも音読してもらって、すっと頭に入る文章かどうか、というくらいの検証をしてくれればいいものを。
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そのあと、高島屋へいって、明日のOGたちの「ツーちゃんツアー」用の仕入れ。パートナーの作る料理を褒め殺しして、それ目当てで来たい学生さんは多いのだけれど、孫の誕生で、家事を全面的に助けたりしているパートナーもかなり疲労がたまっているから、自宅は当分団体さんにはご遠慮いただくことにして(笑)、京都へ来るなら私のほうが出て行ってどこかご案内してさしあげようと思っていたのだけれど、孫も母親の実家へ帰っているし、東京行きも取りやめたので、構わんよ、とお許しが出て自宅に迎えることになった。
最初のゼミ生さんたちとはもう3年以上のおつきあいになる。卒業しても2人、3人とちょくちょく食事に行ったり、何回かはうちにも来ているから、パートナーにとってもなじみの顔だ。ツーちゃんのいない「ツーちゃんツアー」なのに、取り止めにもせずに、6人も揃ってきてくれるのは彼女たちならではだろう。
OGのほうにもすでに妊婦さんがいるので、そうそう歩き回ることはできないから、案内先にはちょっと知恵をしぼって、電車を降りたあたりと、自宅あたりで目星をつけた。せっかく京都へくるのだから、こういうところへ行った、と記憶できるようなところを入れておきたい。
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