2005年11月
2005年11月15日
太陽の搭
森見登美彦という現役の京大生の書いた「太陽の搭」という小説。身近な地名がぼんぼん出てくるのと、野暮な×大生ってのは昔もいまも変わらんなぁ、と苦笑するような、誇張されてはいるが、われわれのときと似たり寄ったりのモテナイ学生の日常が描かれているので、面白く読めた。
でも、それは小説としての評価とは別だ。こういう小説は、いつの時代にも出てくるだろうし、消費されるだろうけれど、小説の未来を語れるようなネタではない。
*
今日も3回生のゼミの一人が、あとでちょっと寄ったときに、NANAのマンガを借りていくとき、映画も良かった、という。そういうのはよく分からない。でも、映画は批評とかじゃなくて、とにかく映画でさえあれば全部好き、という人があるから、それはそれでありだと思うけれど。
チョコレート工場もセカチュウも、私の場合は受け付けない。いま学生さんがみな「いい、いい」と言って、しきりに勧めるのが「頭の中の消しゴム」だ。見てないからこの映画のよしあしについて言うのではないけれど、もうひとつ眉に唾つけてしか聴けないのは、セカチューみたいなのをいい映画だ、と言い張るひとが結構多いからだ。
私だって観れば泣く。監督などがここで泣かせてやろう、と思っているところで、ちゃんと罠にはまって涙を流す。でも涙はいい映画の保証にはならない。むしろ下らない映画ほど泣けて泣けてしょうがないということがある。
蓼食う虫も好き好き。まぁ、どうだっていいけれど。
*
「ハル」にストーカーが出てくる。1年生などは観ていて、ワァーと気色悪そうな声をあげたりする。そう、ストーカーはいけません。コミュニケーションの暴力。さすがに私は平凡な常識人ゆえ、どんなに人を愛しても、足を動かしてのストーカーになることはない。でもときどき、心はストーカーのように、去っていく人のあとを追っていることがある。
*
一期生が去っていくときは、そんな気がした。
きっと再来年の春は・・・。想像しただけで怯えている幼い少年の日のような魂。
*
愉しければ愉しいほど哀しみも深い。
*
三回生のゼミは、気になっていた二人が今日は顔をそろえてほっとした。私には見えないところでいろいろあっても、顔を見せてくれている間は、致命的な火傷はしなくて済んでいるのだろう・・・と思いたい。
*
今夜から、わが家には7人の女性スタッフが泊まる、と助監督さん?より連絡あり。明日の朝食用のサンドイッチ20食も用意完了。夕食のカレー用の、うどん屋さんからの使い捨てドンブリも届いている。
深夜2時をまわったが、まだ彼女たちは一人も移動してこない。明日からプロの俳優さんもはいっての撮影なので、打ち合わせが深夜に及ぶのだろう。移動してきてから、7人が順番に入浴して、無事就寝するころには、さて何時になることか。
でも、それは小説としての評価とは別だ。こういう小説は、いつの時代にも出てくるだろうし、消費されるだろうけれど、小説の未来を語れるようなネタではない。
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今日も3回生のゼミの一人が、あとでちょっと寄ったときに、NANAのマンガを借りていくとき、映画も良かった、という。そういうのはよく分からない。でも、映画は批評とかじゃなくて、とにかく映画でさえあれば全部好き、という人があるから、それはそれでありだと思うけれど。
チョコレート工場もセカチュウも、私の場合は受け付けない。いま学生さんがみな「いい、いい」と言って、しきりに勧めるのが「頭の中の消しゴム」だ。見てないからこの映画のよしあしについて言うのではないけれど、もうひとつ眉に唾つけてしか聴けないのは、セカチューみたいなのをいい映画だ、と言い張るひとが結構多いからだ。
私だって観れば泣く。監督などがここで泣かせてやろう、と思っているところで、ちゃんと罠にはまって涙を流す。でも涙はいい映画の保証にはならない。むしろ下らない映画ほど泣けて泣けてしょうがないということがある。
蓼食う虫も好き好き。まぁ、どうだっていいけれど。
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「ハル」にストーカーが出てくる。1年生などは観ていて、ワァーと気色悪そうな声をあげたりする。そう、ストーカーはいけません。コミュニケーションの暴力。さすがに私は平凡な常識人ゆえ、どんなに人を愛しても、足を動かしてのストーカーになることはない。でもときどき、心はストーカーのように、去っていく人のあとを追っていることがある。
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一期生が去っていくときは、そんな気がした。
きっと再来年の春は・・・。想像しただけで怯えている幼い少年の日のような魂。
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愉しければ愉しいほど哀しみも深い。
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三回生のゼミは、気になっていた二人が今日は顔をそろえてほっとした。私には見えないところでいろいろあっても、顔を見せてくれている間は、致命的な火傷はしなくて済んでいるのだろう・・・と思いたい。
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今夜から、わが家には7人の女性スタッフが泊まる、と助監督さん?より連絡あり。明日の朝食用のサンドイッチ20食も用意完了。夕食のカレー用の、うどん屋さんからの使い捨てドンブリも届いている。
深夜2時をまわったが、まだ彼女たちは一人も移動してこない。明日からプロの俳優さんもはいっての撮影なので、打ち合わせが深夜に及ぶのだろう。移動してきてから、7人が順番に入浴して、無事就寝するころには、さて何時になることか。
at 00:33|Permalink│
2005年11月05日
「ラブレーの子供たち」
昨日、もう一つのブログ「子育て<思い出し>日記」(http://ameblo.jp/saysei-kosodate/)用に書いた文章を間違って、こちらに掲載してしまいました。m(_ _ )m
少し遅かったものだから、確かめもせずに電源を切ってしまって、今日あちらのブログを書いたときに、あれ?ちゃんと投稿できてなかったなぁ、などと思って書き直して投稿したものの、こちらのほうは見ないで、先ほど開いてみてびっくり。アワワ・・
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昨夜の幻聴の原因はやはり中耳あたりが炎症を起こしたために生じたようで、今日は仕方なく耳鼻科へ。長く待たされる待合室で読みはじめた四方田犬彦『ラブレーの子供たち』がとても面白い。
昨日テンプラを食べたばかりだったので、冒頭のロラン・バルトの章で巧そうなテンプラの写真の下に、「バルトにとって天ぷらとは、ほとんど純粋な表面からできている、理想的な食物であった。人が求めるのは、揚げられた実質ではなく、揚げる油の処女性なのだと、彼は書いた。」とあるのに、うまいこと言うもんだなぁと感心した。
バルトは、昔読んだことがあるはずなのだけれど、そのころは本当に観念人間で、食への関心が薄く、きっととばしてよんでいたのだろう。
ほんとうに才人のお洒落な言い方だと思うけれど、こういう表現や思想というのが本当に好きか、と言われると、島国の田舎者としては、なかなかなじめない。やっぱり本体の味が・・・と言いたくなって、まずやっぱり料理は味や食感を論じてほしいし、フルーレの剣先の鋭い一突きより、重い日本刀でバッサリ袈裟懸けに斬ってほしい、というようなところがある。
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新しいゼミ(2回生)のメンバーが決まったと連絡メールがきた。今回はとてもスムーズに決まった由。早くにアンケートをとって、第一希望をフィードバックしたのち、合宿に行く前にそれで決定という希望を提示することを求められたようだから、合宿に行ってもめることが少なかったのだろう。
いまの2回生は、まだ顔と名がほとんど結びつかない。ゼミのリストを見ても確実なのは1人・・・たぶんあの学生さんというのが、かろうじて2、3人か・・・。授業で出会った人が10人はいるはずだから、顔をみれば名前はおぼえていなくても認知はしているはず。
けれども、知っているのは、うろおぼえの顔だけ。どんな人か、なにを期待してゼミへ来るのか、何をしようとしているのか、まったく未知数。
未知のメンバーで最初からつくっていくゼミは不安もあるけれど、フレッシュな気持で臨める。
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コジマへプリンターインキと用紙を買いに行って、レジの横にあったので、つい「携帯電話12」という、ケータイからパソコンへアドレスブックやメールを移すアプリケーションソフトと、「いきなりPDF」というPDFファイルをエクセルなどへ落とすソフトを買ってしまった。両方使ってみたが、後者は便利だ。ネット上のPDFを捕まえてデータをエクセルに落としてグラフを描いたりできる。
前者は、いちおうケータイと通信するところまでは行って、コピーも完了、と出たのだけれど、開けてみると、なぜか全部をうまくコピーできていない。絵文字があったりすると、そのメールの一部または全部が文字化けしてしまったりするほか、すべてのメールをコピーせずに、とばしとばしコピーしているのが腑に落ちない。
それでもまぁ、どんどん便利になっていくものだ。少し知らないでいると、馬鹿に非効率なことをしていることがある。
at 00:52|Permalink│