2005年07月
2005年07月12日
『アミービック』
金原ひとみの3作目(だと思う)『AMEBIC』(アミービック)を読む。いい実験だ。
文中、「私」が「錯文」を呼ぶように、ほとんどschizophrenic と健常との境を荘周の胡蝶のように往還する錯乱の文体。読みやすくはないが、読んでいると段々面白くなってくる。ストーリーといえるほどのものがあるわけではない。「私」の意識と、「私」の意識にあらわれる他者とのやりとりがあるだけだ。
けれども、負の胡蝶のように正常と異常の幽明の境を往きつ戻りつする「私」の意識の薄闇に、ときおり閃光のように鋭い言葉が走り、相手を刺し、読者を刺し、世界を刺す。そして、前作にも、賞をとった処女作にも無かった特徴は、意識的に作り出されたユーモアだ。皮肉なユーモア、毒のあるユーモア、相手との、世界との、読者との、そしておそらくは自分とのズレが生み出すユーモア。今回の収穫はそれだ。金原ひとみは失敗を恐れずにかき続けている。
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関連領域の同僚と4人で2時間半、カリキュラムの再編成に向けて作業をする。なかなか骨が折れるが、こういう仕事は嫌いではない。少なくともばらばらにみえるものの中につながる糸を見出していくことに一種の快感がある。
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以前から一度会いたかった人と、今日は夕食をともにしながらお喋りできた。とても楽しい時間が過せた。こちらは日に日に年老いていくけれど、若い人は内面的にも外面的にも磨かれて、美しく、強くなっていく。たとえ年に一度、いや何年に一度であっても、そんな変貌を見るのは楽しい。
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小鳥が声を立てずに少し離れた柱のあたりに、姿を見せたり隠したりしているのに気づく。美しい尾羽がリズミカルに上下する。近寄るとちょっと見上げ、涼やかな声を残して、あっという間に姿が見えなくなる。ほんの一瞬であっても、淋しさと歓びを同時に味わう。
at 03:15|Permalink│
2005年07月11日
『夜のピクニック』
学生時代から本屋さんはたいてい毎日覗く。もちろん毎日買うわけでもないし、立ち読みの常習犯というわけでもないけれど、ちょっと本の並びを眺めるだけで、なんとなく気分が落ち着く。
そう言っても、私は本の虫ではない。読書家でもない。好きな本は沢山あるけれど、本好きかといわれると、どうも自分ではそんな気はしない。本を読んでいるより、若い人と話しているほうが楽しいし、美しい風景をぼんやり眺めたりするほうが好きだ。賑わう街をひとり気ままに歩くのも大好きだし、面白い映画を見るのも本を読むよりすきな気がする。
けれど、毎日ちょっとでも店先を覗いていると、そのときどきに、いやでも目につく本の顔というのがある。ここ何週間か『電車男』の顔を見ずに本屋を出るのは難しい。少し前までは、<セカチュー>がそうだったし、ホンヤクものの『ダヴィンチ・コード』なんかもその部類だった。ブロック・バスターというのだろう、初版で大量に刷って、映画にテレビにビデオ、マンガや雑誌に、一粒で何度もおいしい展開をはかり、大々的な宣伝で売りまくる、現代の本の売り方を象徴するような平積みの本たち。私たち客のほうも、平積みされた本は、みんなが読む本だろうと思い、いちおう目を通しておくか・・・と誘惑されやすい。そして、背しか見えていない本棚の本と違って、平積みの本は顔をもろに見せているから、つい中身よりも器量で選んでしまう (^^;
恩田陸の『夜のピクニック』も私にとっては、そういう本の一つだった。ただし、この作者の本は一冊ではなくて、何冊も平積みされている。よほど人気のある作家らしい。それでも警戒心の強い私は、ここ数週間、買わずに我慢してきたのだけれど、学期も終わりに近づいて、少し気がゆるんだと見えて、つい手にしてしまって、今日の電車の往き帰りに読んでしまった。
これが結構面白い。ストーリーは、高校生活最後のイベント「歩行祭」で80キロを歩き通すまでの高校生男女の内面と相互の関わりを、同級生となった異母兄妹の緊張関係を軸に描くという単純きわまりないものだ。ただ、高校生たちの心情と振る舞いが、非常に微細に、丁寧に辿られていて、まさにこのように感じ、考え、振舞うであろうと思える。凡庸な想像力が、こうであろうと考えるよりも、もう一皮めくったところまで想像力が届いている、という確かな感じがある。そこが筆力というものだろう。
私は作者の名の漢字表記だけみて、なんとなく男性作家と思い込んで読み始めたが、途中でどうも変だな、と違和感を持ち、やがてこれは女性の筆だと確信した。そのとたんに読んでいてしっくりいくようになった。いますぐどこがどうとは言えないけれど、男性グループと女性グループの内面や振る舞いを交互に描いている中で、明らかに女性グループのほうの登場人物の感じ方、考え方、言動のほうがリアリティがある。
それこそ事件らしい事件も起こらない。暴力もセックスもない。ただ80キロをえんえんと歩くというイベントに参加している高校生たちの、惹かれあったり反発したりという互いの感情と振る舞いが丁寧に描かれる。それで結構読ませてしまう。後味もいい。本屋の店員さんが選ぶ本屋大賞や吉川英治文学新人賞などを受けているそうだ。平凡な人間の平凡な言動を描いてサスペンスのようにハラハラさせられ、この先どうなるのかと先を急ぎたくなる、そんなエンターテインメントが可能であることを実証したような小説だ。
at 23:00|Permalink│
2005年07月08日
「君たちに明日はない」
この本は面白かった。エンターテインメントとしてとてもよくできている。
殺人もない、「セカチュー」や韓流ドラマみたいに恋人が白血病で死ぬなんてこともない。セックスはあるけれどごく平凡なものだ。珍しい海外や国内の観光地が出てくるわけでもないし、主人公が新聞種になるような大事件に巻き込まれるわけでもなければ、冒険するわけでもない。
およそエンターテインメントが安易に採用しそうな設定らしいものは、なにひとつ見当たらない。それでも引き込まれる。
主人公は、退職勧告をするために企業に雇われて社員を派遣するクビキリ専門会社の社員だ。この設定が成功の第一の要因だろう。アウトソーシングばやりの今時の企業に本当にありそうな話だし、リストラと称するクビキリはいたるところで行われている。
そのどれ一つをとってみても、辞めさせようとする側と、辞めさせられようとしている側の生活やそれまでの生き方、人生観、プライド等々を賭けたやりとりがある。ふだんは隠されている人間のホンネとスガオが現われる。鮮やかに浮かび上がってくる。そこを、クビキリ代行人の視点から描いたところに、まずは着想の卓抜さがある。
主人公が切っ先鋭く相手に斬り込んでいって、確実にモノにしていく、つまり退職願いを出さざるを得ないようにしていく話術、追い込み方は、とてもリアルで迫力がある。相手についての情報収集を徹底し、それをもとに、相手の弱点に斬り込んでいく。こういうふうにやられたら、ハンコつくよなぁ、と思わず納得してしまう。
交互に記述される、退職勧告される側の視点の部分も、本当にこんなふうに怒るだろう、こんなふうに気弱になるだろう、こんなふうに言いたくなるだろう、とみな腑に落ちる。
そして、仕事として割り切ってクビキリ交渉に臨む主人公が、それにもかかわらず人間味あふれる魅力的な男として描かれているのがいい。とりわけ女性とのやりとりがいい。ラストは実にお洒落だし、温かい感じがする。読んで後味がいい。
at 17:38|Permalink│
2005年07月02日
宇宙戦争
JR二条駅前のBivi4階にToho Cinemas二条という、11スクリーンのシネマコンプレックスができたので、見に行きました。ついでに、第10スクリーンで「宇宙戦争」を観ました。
このビル自体がCocon烏丸と似ていて、ターゲットは明らかに若い人たち。お目当てどおり、若いカップルや女性どうしの客が多いようです。ロビーのチケット売り場や持ち込み飲食の売店などはほかのシネコンと同じスタイル。いまどれも観たいような映画ばかり上映しています。スター・ウォーズepisode3の先行上映、バットマンビギンズ、電車男・・・結局すぐ始まるところだった「宇宙戦争」に。結果的にはミスチョイスだったかな・・・。でもスピルバーグなら観ておかないと仕方ないですね。
最新のSFXを使ってクラシックなSFホラーを作ってしまった感じです。ストーリーも人物設定も実にいい加減です。主人公がアホすぎてイライラします。こういうのは耐えられない。
そしていかにもアメリカ映画らしく、両親が離婚して子供が父親と母親の間でキャッチボールされている状況をさも当たり前のように映画の始まりにもってきます。エンターテインメントにそういう設定を簡単に持ち込んでくれるなよ、って言いたくなる。
「未知との遭遇」のときの、それぞれの家庭の不幸や複数の登場人物たちの狂気じみた振る舞いは、みな宇宙船を見る心理的必然性に収斂していて、深い現実味があったけれど、今回の映画では家族を省みず子供のことをなにも知らなかったダメおやじが危機に際して子供を命がけで守って離婚した妻のところへ送り届ける、そのプロセスで父性愛に目覚めていくみたいな、ありきたりでご都合主義の設定にしかなかっていません。
あとはドルビーシステム(?)の大音響と椅子の震動で、宇宙人登場!というこけおどし。たしかに突然やられると心臓にはよくないけど、あれは映画の面白さでしょうか?
スピルバーグは、映画というのは遊園地のジェットコースターのようなものだと思っているのでしょう。
「宇宙戦争」のカットがデザインされた特製3Dカップのドリンクとキャンディ・ポップコーンを手に館内へ入ったら、ついひっきりなしに口へポップコーンほうりこんで、ズンズンドカーン!とやられながら結構大きなボックス全部一人で食べてしまって、胃がおかしいです。(>_<)
あの宇宙人たちはどの星から、なんのためにやってきたのでしょう?なぜやたらと人間を殺さなきゃいけないんでしょう?主人公たち人間はもう危険を察知しているのに、なぜもっと早く現場から遠ざかって逃げようとしないのでしょう?いくら若いといっても、あの馬鹿息子はなぜ敵の強力さを間近に目撃しながら、素手で戦いに行くなんていって勝手な行動をとるのでしょう?宇宙人たちは落雷のような光の中に身をひそめて地中に何百万年前に埋めた武器の中へもぐりこめるほど高度な技術を持っているのに、なぜ結末に解き明かされるような自分たちの真の敵に、事前に気づきさえしなかったのでしょう?なぜとびぬけた技術をもつ宇宙人の武器はあんなに重厚長大型の古臭いマシンなのでしょう?
次から次へ疑問がわいてきて、まともに観ていられません。SFXがご自慢?でもロード・オブ・ザ・リングを見たら、それ以上新しいもの、なにかありました?あのテレビのブラウン管みたいな馬鹿でかい「目」を持った恐竜の首みたいな索敵センサーだって、「アビス」を観ていたら、子供だましにみえちゃいます。
いいところ?そうですね?火星人の女性みたいなのがちょっと魅力的(笑)でした。子役は達者だったけれど・・・あんまり達者な子役というのはどうも苦手で・・・
また口直しにepisode3かバットマンビギンズか電車男でも観にいきましょう。パートナーは戦争もの、SF、ホラーはどれも観ないので、つきあってくれないから、そういう種目のときはどなたか行きません?私と行くと片方が老人なので、いつでも一人1000円でいけますよ(笑)
at 01:26|Permalink│