2009年02月26日

「薯童謡(ソドンヨ)」

 韓流ドラマでは、メロドラマの「冬のソナタ」が好きで、本当によくできた、みごとなメロドラマだと思い、このときのチェ・ジウはほんとに可憐で素敵だと思うけれど、ドラマとして一層感心したのは「チャングムの誓い」。
 
 宮廷の伝統的な料理人の世界を非常に具体的に見せてくれて、人間ドラマ、恋愛ドラマとしての面白さだけでなく、NHKの大河ドラマなどでおなじみの歴史物であっても、今までに見たことの無い新鮮な素材面の面白さで毎回見入ってしまいました。

 でも、今回の「ソドンヨ」は「チャングム」を越える抜群の面白さ。最初の放映のときは見損ねているので、友人のDVDを借りて、ここ何週間かの深夜時間の大半を費やして〈笑)、パートナーとほぼ全話(55話のようです)見終わったところです。とにかく一つ見終わると、どうしようもなく「次」が見たくなって、「もう4時〈朝の)だから、なんぼなんでも、寝ないと・・・」と自制心(?)を働かせて打ち切るのが実に辛かった!おかげで、すっかり睡眠不足です。

 歴史物のドラマとしてまさに「劇的」な、起伏に富んだストーリーそのものが抜群に面白くて、それも単純なものではなくて、ひとつひとつに裏があり、奥があり、大小さまざまなドンデン返しがあり、息つく暇も無いテンポのよさと相俟って、どの回も退屈させることがありません。

 登場人物の描き方がまた素晴らしくて、悪玉のほうも、なぜ彼や彼女がそういう考え方をし、そういう立場に追い込まれていったかが、実に説得的に描かれていきます。だから、最大の悪役であるサテッキルや、プヨソン(法王)、ウヨンなどにも最後は哀れに思えて深く同情したくなります。実際、善玉悪玉に関わらず、主要人物の誰一人としていい加減に描かれている者はいません。

 よく時代物のドラマを見ていると、悪玉が善玉に出し抜かれるような場面で、そんなアホな!誰だってそんなこと気づくはずじゃないの、と思うようなことがありますが、この作品での悪役はみんな賢い(笑)から、そんなアホなことはありません。とことん裏を読んで、しばしば善玉の裏をかいて、主人公たちを窮地に陥れます。

 そして、こんなどん詰まりに見える危機をヒーローたちはどう打開できるんだろう?と思っていると、ちゃんと打開します。しかもそれがそんなにご都合主義で白馬の騎士が現われるというようなやり方じゃなくて、なるほど、と納得のできるようなやり方で。そのための伏線が実に巧みに張ってあります。

 チャングムと同じ監督、同じ脚本家だそうで、さもありなん。いくらなんでもこんなすごい脚本を書ける人がそう何人もいてはたまりません。

 俳優もすごい。みんな実にいい顔をしています。ソンファ姫のイ・ボヨンなどは本当に美しいけれども、美男美女という表面だけじゃなく、少なくとも主要人物はすべて、知性を備え、深い感情を湛えた、実にいい顔をしています。

 これだけの「顔」はいまの日本ではちょっと揃えられないな、と思わずにいられません。

 演技がまた巧い。サテッキルなんかでも、プヨソンに忠誠を誓って諫言するところなどは素晴らしいし、それを見ていたチャンが、敵ながら、彼の姿に打たれる、というシーンも素敵です。〈最後に近づいて、彼が追い詰められていく過程での演技は本当に素晴らしい。)

 残虐な覇王ブヨソンも、捕らえたチャンとモンナス博士をすぐ殺すよう進言するサテッキルの言葉に迷いながらも、剣をもって二人の前に出てしゃがんで言います。「自分は王になるまでは、王になるために何でもやってきたし、そのために民を殺すこともなんとも思わなかった。しかし王になってみると、民に好かれて名君と言われたくなった。これはサテッキルには分からない。」そういう意味のことを言います。これなども、それまでのブヨソンを見ていると、王位を簒奪してからの彼の心の変化が実に巧みに表現されていて、感心します。

 「おれはお前たちを殺したい。しかし殺せば不寛容な王として民には愛されない。これが俺の矛盾だ」、と。「これを解決する方法が分かるか。お前たちは助かりたいのだろう」、と呼びかけます。

 もう一つ、チャンに惚れたために、あるときは苛酷な敵でありながら、あるときはチャンの命を救うことになるウヨンが、最後の最後に、王となって貴族の圧迫に苦しむチャンを救う結果になります。
 これに対してチャンが感謝し、ウヨンの愛にこたえることはできないが、父王から伝えられた四番目の王子の大切な印をウヨンに与えようとします。
 しかし、ウヨンは、「この世ではソンファ姫がいるから受け取れません。来世では一緒になってください、もし来世がダメならその次の世で、その次の世でダメならまたその次の世で・・」と泣けるセリフを言って背を向けて去ります。

 普通のドラマだとこの名セリフで泣かせて、このシーンを終わりますよね。ところがところが、このドラマでは、そのあと去っていくウヨンの姿を映しながら、ウヨンの胸中のつぶやきを入れます。「王様〈チャン〉は私の気持ちがわかっていらっしゃらない。その四番目の王子の印には、私(ウヨン)の真心が入っているから、あなたに持っていてほしいのです」、と。

 この王子の印が正当な王位継承者であることの唯一の証拠なので、きわめて重要なもので、これがブヨソンに奪われていたのを、決定的な場面で寝返ったウヨンがチャンのために命がけで持ち出します。そのことを言っているのですね。だから、これを自分の大切なものだからあげようというのは、まだチャンが私・ウヨンの女心をわかっていないんだ、と。

 ここまで詰められると、ドラマを見ていてほとほと感心してしまいます。こういう場面がいたるところにあるのですね。

 この種のドラマとしての巧さは、ほとんど脚本の抜群のうまさによるものだろうと思います。複雑に入り組んだ登場人物の間の人間的な愛憎の物語という一つの軸はこうして、まことにみごとなものです。

 さらに、これは幾分かは史実を下敷きにしているのでしょうが、政治ドラマとしての太い軸を持っています。王と貴族の関係、貴族どうしの関係、百済と新羅との関係等々の核心にある政治劇としての面がきちんと描かれています。貴族たちの利害と思惑、これと王との協力関係(均衡)と緊張関係が宮廷劇として実に巧みに、リアルに描かれているのも一段と興味を深めるところです。

 悪役が様々な陰謀をめぐらせることは当然ですが、善玉のほうも、実に様々な陰謀をめぐらせて戦います。決して綺麗サッパリご清潔、というような善玉たちではありません。一人一人が実に「政治的」に物事を考え、行動します。

 こういうのを見ると半島の民だなぁ、と思います。古代からの最強国中国と陸続きで、いつでも根こそぎやられる危険と隣り合わせの半島の人々が、否応なく身につけた政治性。このドラマを見るだけで、われわれ日本人はこの政治性という点ではまったく彼らの敵ではない、赤子みたいなものだな、と嘆息せざるを得ません。

さらに、これは政治のドラマだけではなく、技術史のドラマというもう一本の重要な柱があります。ヒーローが預けられるのがモンナス博士。アメリカのシンクタンク・ランドコーポレーションみたいに、科学技術的な研究を踏まえた技術開発もし、かつ政治・社会制度を改革し、国の方向性を決めていく国策立案も合わせ行う、ポリシー・オリエンテッド(政策志向型)の研究機関〈「大学」)です。

 ここでヒーローは様々なことを学び、かつ庶民として育ってきた柔らかな頭脳で次々に新しい技術を生み出します。鎧をも切れる剣を、きつつきが硬い木に穴をあけるのを見て思いつき、病気に苦しむ庶民を助けようとしてオンドルを発明します。このへんはチャングムの食材と調理についての薀蓄と同様、技術開発のエピソードをうまくドラマのストーリーの中に取り込んでいて、丁寧に描いているので、知識としても無知な私たちにはとても興味深い。

 百済の歴史全般についても、こちらは全く無知なので、このドラマがどの程度史実にもとづいているのか、殆どまるごとフィクションなのか分かりませんが、史実であろうがフィクションであろうが、ここに朝鮮民族のなにか基本的な性格〈文化とか精神風土とか社会的な基盤のようなもの)がちゃんと表現されていることは確かだろうと思えます。それだけの奥行きとリアリティをもってドラマが作られています。

 「ほとんど見終わった」と最初に書いたのは、前半の途中幾話かをまだ見損なっているからで、まだ少し楽しみにとってあります。

 こういうTVドラマを見せられると、NHKの大河ドラマもぜんぜん影が薄いなぁと感じざるを得ません。

 

 

 

 

 

at 22:45│
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