2007年06月22日
「キサラギ」
京都シネマで「キサラギ」を見た。文句なしに面白かった。これは私の今年の邦画ベスト1になる可能性が大いにある。
朝日でも日経でも映画欄以外のところで褒めていたとパートナーから聞き(私はどちらも読み損ねた)、行かないかと誘われたが、面白いらしいという脚本が、『ALWAYS 三丁目の夕日』の脚本家だと聞いて、期待して行かなかった。あの映画はヒットしたようだけれど、私自身は少しもいいと思わなかったからだ。
ただ、役者の取り合わせが、私にはなじみの薄い若い二人も含めて面白く、去年『揺れる』でコワイほどの名演を見せた香川照之が入っていることもあって、この人たちが『十二人の怒れる男』のようなワンシチュエーションで組み合わさったら一体どうなるのだろう?という興味はあった。
結果は役者については完全に当たり、見終わるとこれがベスト、と思えるような息のあった熱演で、ネットで知り合い、ハンドルネームで呼び合う初対面のアイドルファンらしい、表層をすべりにすべっていく丁々発止の盛り上がり。
脚本は読んでないけれど、映画のほうは抜群に面白かった。笑えて泣けて、ジーンとくるところまであって、老夫婦価格1000×2を久しぶりに安い!と感じる出来栄えだった。
平日の朝ということもあって、館内はわずか20人ほどの観客。予告編のつまらない作品群ばかりの映像断片が流れたあと、その延長のように自然に始まった本編は、その滑り出しの映像と音楽から、もうワクワクさせて引き込んでいくものがあった。
よく「小説は最初の1行でわかる」、というけれど、今回はそれに似て、ほんとうに、「これは面白いぞ!」と直観した。
その期待は裏切られなかった。引き抜き、ぶっ返り、どんでん返しの七変化、タマネギの皮をむくように、これでもかこれでもかと現れるスピーディーな展開。薄々気づいてもシラケる暇を与えないテンポのよさ。
アイドルの死が開いた磁場に引き寄せられた五人五様のオタクの愛が交錯するミステリー仕立ての物語。きらめく言葉、間髪入れず応じる言葉、寄り添う言葉、突き刺さる言葉、惜しげもなく投げ込まれる笑いと涙の種、火花を散らす台詞は言葉の殺陣を見るよう。演技の誇張もこの作品に嵌って心地よい。
唯一の欠点はラストの蛇足。これは制作スタッフの間で、必ずや議論を呼んだはずだが、監督は切らなかった。でも私はぜったいに切るべきだと思った。
どこで切るか?見ている最中は、順を踏んで見ていて先に何が用意されているか知らないから、星空にアイドルの像が浮かんだあたりかと思った。それでも十分にファンの思い、アイドルとは何か、すべてがそれまでに観客の胸に届いている。
でも、ビーチで歌い、走る、「歌も踊りもできない」「ズン胴の」アイドルの姿は絶対に必要だ。これが実にいい。それまで巧妙に隠されてきたアイドルの「なま」の顔かたちを見せるかどうかは一つの選択肢だ。でもこれは絶対に見せて良かった。聞かせてよかった。
そして、彼女(の映像)と一緒に踊る5人。見終わると、これがないと絶対にダメだ!という気になっているから不思議だ!
でも、宍戸錠は要らない。この嫌いではない大ベテランの老優には悪いけれど、彼が出てくることはなかった。
思うに、監督(たち)は、ミステリー作品のように唯一の正解をつくりたくなかったのだろう。観客にめでたしめでたしの安心感を与えたくなかったのだろう。
リーフレットに相田冬二という「ライター」が、この作品は「通り一遍のジャンル映画ではない」と言い、・・・よくある「犯人はこの人でした」とか「真実はこうでした」と観客を安心=納得させるような、ヤワなエンタテインメントとは地平が違う。・・・といったことを書いている。
こういう発想自体が通ごのみのパターン化した不自由な理念で、偉大なエンターテインメントはむしろ「真実はこうでした」という偉大なマンネリズムの土俵で、謎解き自体を相対化してしまう大きな笑いや涙を誘うことができるものだと思う。
理屈で「真実はこうでした」というような「よくある」パターンはタブーだ、なんて思っているから、とってつけたような、謎でもなんでもない「謎」なんかが蛇足で付いてしまう。
創るということは本当に難しいものなんだな、と思わずにいられない。監督をはじめとする作り手は、作品自体が動き出したら、もう手を放さないといけない。すでに人物たちが生き始め、互いにかかわりをもち、観客とも抜き差しならない関係に入っているのだから、作り手の「理念」などで勝手に、その世界の外から手をつっこんでもらっては困るのだ。
昨年のベスト1はどうみても「フラガール」ではなくて「揺れる」だった。(ほかにもっとすぐれた邦画があれば別だけれど、フラガールがペストだというならば・・・)。
今年は「キサラギ」であってほしいと思うけれど、この最後の蛇足でその種の審査の評価は割れるに違いない。そのためにこれがベストにならないとすれば残念だ。「揺れる」には、そうした隙はなかった。
朝日でも日経でも映画欄以外のところで褒めていたとパートナーから聞き(私はどちらも読み損ねた)、行かないかと誘われたが、面白いらしいという脚本が、『ALWAYS 三丁目の夕日』の脚本家だと聞いて、期待して行かなかった。あの映画はヒットしたようだけれど、私自身は少しもいいと思わなかったからだ。
ただ、役者の取り合わせが、私にはなじみの薄い若い二人も含めて面白く、去年『揺れる』でコワイほどの名演を見せた香川照之が入っていることもあって、この人たちが『十二人の怒れる男』のようなワンシチュエーションで組み合わさったら一体どうなるのだろう?という興味はあった。
結果は役者については完全に当たり、見終わるとこれがベスト、と思えるような息のあった熱演で、ネットで知り合い、ハンドルネームで呼び合う初対面のアイドルファンらしい、表層をすべりにすべっていく丁々発止の盛り上がり。
脚本は読んでないけれど、映画のほうは抜群に面白かった。笑えて泣けて、ジーンとくるところまであって、老夫婦価格1000×2を久しぶりに安い!と感じる出来栄えだった。
平日の朝ということもあって、館内はわずか20人ほどの観客。予告編のつまらない作品群ばかりの映像断片が流れたあと、その延長のように自然に始まった本編は、その滑り出しの映像と音楽から、もうワクワクさせて引き込んでいくものがあった。
よく「小説は最初の1行でわかる」、というけれど、今回はそれに似て、ほんとうに、「これは面白いぞ!」と直観した。
その期待は裏切られなかった。引き抜き、ぶっ返り、どんでん返しの七変化、タマネギの皮をむくように、これでもかこれでもかと現れるスピーディーな展開。薄々気づいてもシラケる暇を与えないテンポのよさ。
アイドルの死が開いた磁場に引き寄せられた五人五様のオタクの愛が交錯するミステリー仕立ての物語。きらめく言葉、間髪入れず応じる言葉、寄り添う言葉、突き刺さる言葉、惜しげもなく投げ込まれる笑いと涙の種、火花を散らす台詞は言葉の殺陣を見るよう。演技の誇張もこの作品に嵌って心地よい。
唯一の欠点はラストの蛇足。これは制作スタッフの間で、必ずや議論を呼んだはずだが、監督は切らなかった。でも私はぜったいに切るべきだと思った。
どこで切るか?見ている最中は、順を踏んで見ていて先に何が用意されているか知らないから、星空にアイドルの像が浮かんだあたりかと思った。それでも十分にファンの思い、アイドルとは何か、すべてがそれまでに観客の胸に届いている。
でも、ビーチで歌い、走る、「歌も踊りもできない」「ズン胴の」アイドルの姿は絶対に必要だ。これが実にいい。それまで巧妙に隠されてきたアイドルの「なま」の顔かたちを見せるかどうかは一つの選択肢だ。でもこれは絶対に見せて良かった。聞かせてよかった。
そして、彼女(の映像)と一緒に踊る5人。見終わると、これがないと絶対にダメだ!という気になっているから不思議だ!
でも、宍戸錠は要らない。この嫌いではない大ベテランの老優には悪いけれど、彼が出てくることはなかった。
思うに、監督(たち)は、ミステリー作品のように唯一の正解をつくりたくなかったのだろう。観客にめでたしめでたしの安心感を与えたくなかったのだろう。
リーフレットに相田冬二という「ライター」が、この作品は「通り一遍のジャンル映画ではない」と言い、・・・よくある「犯人はこの人でした」とか「真実はこうでした」と観客を安心=納得させるような、ヤワなエンタテインメントとは地平が違う。・・・といったことを書いている。
こういう発想自体が通ごのみのパターン化した不自由な理念で、偉大なエンターテインメントはむしろ「真実はこうでした」という偉大なマンネリズムの土俵で、謎解き自体を相対化してしまう大きな笑いや涙を誘うことができるものだと思う。
理屈で「真実はこうでした」というような「よくある」パターンはタブーだ、なんて思っているから、とってつけたような、謎でもなんでもない「謎」なんかが蛇足で付いてしまう。
創るということは本当に難しいものなんだな、と思わずにいられない。監督をはじめとする作り手は、作品自体が動き出したら、もう手を放さないといけない。すでに人物たちが生き始め、互いにかかわりをもち、観客とも抜き差しならない関係に入っているのだから、作り手の「理念」などで勝手に、その世界の外から手をつっこんでもらっては困るのだ。
昨年のベスト1はどうみても「フラガール」ではなくて「揺れる」だった。(ほかにもっとすぐれた邦画があれば別だけれど、フラガールがペストだというならば・・・)。
今年は「キサラギ」であってほしいと思うけれど、この最後の蛇足でその種の審査の評価は割れるに違いない。そのためにこれがベストにならないとすれば残念だ。「揺れる」には、そうした隙はなかった。
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