2005年01月16日
亀虫

冨永昌敬監督の「亀虫」をDVDで見る。私小説の短篇を5つ連環したような形で、おちこぼれの若い世代の、マンションでの、どこかずれた日常を、ユニークな批評性のあるカメラアイと効果的なナレーションで描いている。
出だしがいい。機械的な合成音のような音声が、左右のチャンネルを使い分けながら、オーバーラップする独特のナレーションが抜群の効果をあげている。山本タカアキの音響がいい。
岡本喜八の「江分利満氏の優雅な生活」はナレーションが三人称で、映像の登場人物との距離が批評性を担保していたけれど、「亀虫」の語りは登場人物による一人称の語り。その語りと表現者との距離に批評性があるのは当然だけれど、この作品の面白いところは、語りの一人称が客体(三人称)として撮られているはずの映像が、一人称の語りを裏切るような展開をするところがあることだ。
「亀虫の妹」の部分など、やや中だるみするところもあるが、そういうところは、ありふれた日常の光景に見えるため、かえって、それ以外のところが、日常性を描きながら、いかにそこへ批評の針を刺して、皮膜の下の奇妙奇天烈なものを露出しえているか、をよく示す皮肉な結果になっているような気がする。
昨夜は10時ころから、映画づくりをやっている3人の若い世代とパートナーに私の4人、久しぶりに深夜1時半ころまで飲み食いしながら、楽しくお喋りする。「日の底で」で素人離れした演技をみせたトオル君は、前日に彼女が上海から帰国したのでご機嫌。
郷里へ帰ったら、自分の着るものが無くなっていて、どうしたかと思えば、近くの海辺に新駅ができて駅前フリマが開かれたとき、お祖母ちゃんとお母さんが彼と彼の姉の衣服をピックアップして売ってしまった話や、お姉さんの「カレシ」の話(あ、これはプライバシーに触れるのでオフレコ)に一堂大笑い。
ふだん無口だけれど、酒が何本か空くと、ぼそぼそ喋る話が抜群に面白くなる。このエピソードはぜったい映画の企画になる。Copyright確保しとこ!(c)saysei,2005
ご本人は朝から晩まで映画館のバイトで、もっか製作のほうは休業中。時給750円で、フィルムをセットしたり収納したり、合い間はけっこうヒマなバイトらしい。「映画館でバイトしてみて、映画館には客が入らないということがよく分かった」とのこと。
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