2025年03月06日
ヒポクラテスがデモクリトスに会いに行く
ヒポクラテスがアブデラの市民の要請で、精神に異常をきたしたのではないかと市民たちが危惧する、アブデラの重要人物、賢人デモクリトスに会いにいったときのことが、ヒポクラテスの書簡集に収められたいくつかの友人宛ての書簡に報告されています。国立国会図書館のデジタル化された文献の中の次の資料にそれが見られます。ただし戦前の古い本なので、訳文も文語体で読みにくいので、およそがわかればよろしい、というわけで、勝手に現代文になおしてみました。
ヒポクラテス書簡集
ヒポクラテス全集 今 裕 訳編 岩波書店 昭和6年4月
以下は上記の出典文を現代語にあらためたものですが、とりわけ最後のデモクリトスの言葉の中には、意味不明の箇所も少なくなかったので、適宜省略し、補い、前後関係から解釈して若干の変更を加えるなどして、大意が伝えられればよしと考えての処置をほどこしています。
ヒポクラテスがアブデラ元老院及び人民に寄せた書簡
あなたがたの市民であるアメラサゴラスが過日コスの島に来られた。ちょうどそのおりは、祭礼の当日にあたり、扁栢(かしわ)の森に美しく着飾った人々が集まって神を祀る習慣であったが、同氏の様子と言葉つきが急を要するもののように察せられたので、私はその手紙を取り急ぎ閲読した。およそ一人の人間が国家を作り、またこれを破壊する力のあることは、誠に驚くほかはない。実に城塔でもなく城壁でもなく、偉人、ことに賢人の賢明な忠言によって自分たちが護られていることを認知する人民は幸福である。
また私に言わせれば、およそ「術」というものは神からの遣わしものであり、人間は神の作品である。どうか誤解しないでほしい、アブデラの人々よ。いまあなた方が私をあなたがたのところへ来るように促したことは、また神が病によって死に瀕する自身の作品を救うために私を促したものである。だから私はいま、あなたがたの求めに応じ、神々の信じるところに従って、病めるデモクリトスを救うためにあなた方のもとに急ぐ。・・・(中略)・・・私はデモクリトスが精神の錯乱に悩むと聞くことを心から悲しむ。デモクリトスは健康者として私の友人である。彼の疾患を私が治すことができれば、彼は私の友人として一層その友情を深めるにいたるものではないか。
ヒポクラテスのフィロボーム宛書簡
私はあなた方の都からの便りを、使者から受け取った。それによってあなた方が私に歓待の意を示されたご好意に感謝する。私はあなた方の都に対する大きな期待をもって、喜んで幸福な旅に出たい。
文面によれば、彼は妄想を懐くことなく、健全な精神をもち、妻子親戚および家人を悩ますことなく、日夜穴居し、あるいは荒野や樹陰や芝生や滝の傍らに独居していることがわかる。こうしたことは、鬱病者にはしばしば見られるものであり、静座孤独を好み、他人に接見することを避けるものである。他人と共にあることは患者自身に適せぬと思うためだ。熱心に学術に精進し、知識に専念する人においては、あらゆる心配事が除外されるべきことは当然である。奴隷や下婢が家内で騒ぎたて、狼藉を働いているときに、女主人が現われるなら、驚いてたちまち沈黙するのと同様に、煩悩というものも悪の奴隷であって、理知が現われれば奴僕のように静まるものである。
洞窟を探し寂寞を求めるものは、単に妄想をもつものだけではなく、人間のふるまいを嫌い避け、静寂を愛するためにすることもある。人の精神が外界の心配のために煩わされて、身体を休めことができないときには、父母兄弟親戚はもちろん、奴僕その他一切の煩わしい偶然の事柄のない真理の場所を求めるものである。そこには邪魔になるものは一切なく、なんらの妨害を受けることもない。
こうしてこのような場所には諸々の芸術や道徳や、技術の神々や、妖魔が存在し、またそこには決断および熟考があり、星を戴く輝かしい遥かな蒼天が覆っている。デモクリトスはおそらく知識を求めようとして、その境界に行っているのである。そして彼は市井のあらゆる俗事を逃れて旅しているのである。寂寞を欲していることによって、私は彼が妄想に悩むものと思う。デモクリトスのこの精神を理解しないために、アブデラの人々は金を投じて彼の容体を検診させようとするのだ。ともあれ私の一行を待ち受けられよ。私はいま混乱している都市にさらに不安を掻き立てるようなことはしたくない。特に私の旧い親友が今回の主役であるゆえになおさらである。
ヒポクラテスのダマゲット宛書簡
・・・・・私は急遽アブデラ市民の治療に赴く必要がある。かの地においては、一人の病めるデモクリトスのために全市を挙げて病に罹っている。恐らくあなたはこの人の名声をすでに承知しておられることと思う。彼の同郷人は彼を精神錯乱者と考えているのだ。しかし私は彼が真に狂人ではなく、ただ市民がそう信じているだけのことだと思う。市民のいうところは、彼が何事に対しても止めどなく笑っている。そのため、これを妄想の兆候とするものである。だからあなたの友人たちにも笑いすぎることなく、また泣きすぎて中庸を失わないよう注意されよ。親切に真面目に道徳に専念するようにするがよい。
なにごとに対しても笑うということは不快なことである。無礼ということが不快である以上、笑うということはどんな目的においても良くないことである。私はデモクリトスに告げようと思う、人が病に悩み、殺され、または死ぬ、あるいはその他の不快なことに陥っている時、これに対して笑うべきであろうか。世に喜悦と悲哀との両者が存在するにもかかわらず、その一方を認めないということは、神の智に逆らうものではないか。君の父母、妻子、友人が病に罹るようなことがなく、つねに君が自分の笑いを続けていくことができるなら、それはまことに幸福なことである。しかし彼らが病むときに笑い、彼らが死ぬときに喜び、なにごとか凶報を聞くときにも喜ぶとすれば、あなたは悪人であって賢者とははるかに遠ざかるものである。もしあなたがこれらのすべてを悪と考えない場合は、あなたはメランコリーである。そしてあなたはただ単なる一アブデラ人と変わるところはない、と。
ヒポクラテスのフィロボーム宛書簡
私は当夜、デモクリトスの傍で種々熟考し、かつまた彼に気を付けて休んだ。朝夢を見たがその夢の中では別段危険が起るとも見えなかった。しかし私は奇妙に夢から覚めた。私はその夢の中でエスクラビオスと共にアブデラの門の前に立っていたと思う。しかしエスクラビオスは通常画像に示されているような温和な相貌ではなく、狂暴で忿怒の様をあらわし、蛇性の龍を随え、龍体は長い輪を描いて進んでいた。そのありさまは、ぞっとするほど恐ろしいもので、峡谷や荒野において笛声を聴く時のようだった。またそれには密閉した薬瓶を擔う奴隷が従っていた。やがてエスタラビオスは私に手を差し伸べ、私も喜悦してこれを握り、そして彼が私と共に赴きかつ治療に際し常に私を守ってくれるよう嘆願した。彼は私に告げて言うに、現在の場合、お前は自分に仕える要はない。しかしわたしはおまえに死生共通な一人の女神を附随させるだろう、と。
私がふり返って見たとき、そこには美しい白衣を纏った女がいた。彼女の両眼は輝く星のように清らかな光をやどしていた。龍はこのときすでに消え去っていた。この美女は私の手を握り、しずかに街を歩んで私を誘った。そして私が親切な接待をうける家の前に来た時に、彼女は忽然と消え去った。その際、彼女は明日デモクリトスのところであなたに会いましょうと言い残した。そこで私は振り返って彼女に呼びかけた。おお、全能の神よ、貴女は一体誰で、何という名のお方なのですか、と。彼女は答えた。「真理だ」、と。またそこに現れたものを見ると、それは大胆で粗暴な顔貌を持っている女性だった。彼女は「迷信」と名乗るものでアブデラに住むものだった。
私は目覚めてから夢によってデモクリトスは医師を要しないものだと解釈した。なぜなら、治療の神はすでに過ぎ去り、そこには何ら治療すべき対象は存在しなかったからである。真理はデモクリトスが健全であるがゆえに、彼と共にとどまっている。しかしデモクリトスが病んでいるという迷信がアブデラ人にあるのだ。わがフィロボームよ、私はこれを真だと思う。そして、それは実際に真である。私は一定の秩序あるものであればその夢を軽んじない。医術と占術は甚だ似たものである。アポロンはこの両術の父であって、彼は現在及び将来の病を予言し、現在病みつつあるもの、またまさに病まんとするものを救うわれらの先祖である。
ヒポクラテスのクラチウス宛書簡
私はあなたが最良の薬草収集家であることを知っている。あなたの熟練においても、また名声においても、それは祖父クラテウスに劣らぬものである。あなにお願いしたいのは、私のためになるべく多種の薬草を数多く集めてください。私の薬は欠乏しているのです。私は全国家にも比儔すべき一人の人のために、すなわち一人のアブデラ人であるデモクリトスのためにそれを送っていただくことを希望するのです。
人々は彼が精神錯乱に陥っているから<排泄>を施す要があると言う。しかしそれはいままで全然試みられていないので、私はそうした施術には慎重を期すべきだと信じます。私は従来しばしば、あなたの収集された薬草を見、その性質の善良なことと、設備の完備していること、さらにあなたの国土の動物・植物・食物・医薬等に富んでいることを驚嘆賛美しています。かつまた、この依頼にはいささかも貪欲な動機はありません。アブデラの人は報酬を払って十人の秀才と共に私を招く以外に何等の考えももっていません。・・・(中略)・・・私はデモクリトスが薬剤を要することなく健康を回復するであろうとは思っています。しかし、もし自然力と時とその他の事柄が順当を欠くときは我々の不明を明らかにするよう全力を尽くす考えです。
ヒポクラテスのダマゲット宛書簡
わがダマゲットよ。事実は我々の想像した通りであって、デモクリトスは狂気ではなく精神の確かなものであった。彼は我々の知識を富ませ、またわれらを通じて、ここの人々を啓発せしめた。私たちの一行は実に幸福にかつ適確に航行し、私が約束の当日アブデラに到着することができた。我々はアブデラの老若男女が門ごとに愁いを湛えて我々を待ち受けているのを見た。また子供たちが不作法に神々の殿堂の傍らにつどうのさえも見た。これらの人々はいずれもデモクリトスが精神錯乱をきたした結果として、このようなありさまを呈しているのだった。しかし事実は、ちょうどそのときに、デモクリトスは彼の哲学を完成したところだったのだ。
さて街の人々は私たちの一行を見て、生気回復の観を呈し、希望に輝くように見受けられた。フィロボームは私たちの一行を我らを迎えるにふさわしい彼の家に案内したいと言った。私は彼らに告げた。アブデラの人々よ、私はただデモクリトスに会うことのほかは何も欲しない。人民はこの言葉を聞いて私を褒め讃え歓喜し、群がり集まって私を案内した。或る者は私に続き、或る者は道の両側に立って、助けよ、活かせよ、救えよとの叫びを挙げた。私は群衆を制止して、彼はおそらく病気ではあるまい、万一病気であってもおそらく治癒するだろうことを彼らに告げた。私はこのように叫びながら進んだ。家までは遠くはなかった。実にこのような状態が国のすべてにまで及んでいたのだった。
私たちはついに目的の場所に到達した。そこは城壁の近くであった。人民らは私たちをおもむろにここに導いた。城塔の後ろには小高い丘があった。丈高く繁茂した白楊の鬱蒼とした蔭にデモクリトスの小さい家があった。デモクリトス自身は低く覆い広がっているプラタンの樹下に、粗衣を身にまとい、裸足で直かに石の腰掛に座し、顔色は蒼然、身体は痩せ、髯を生やしていた。
家の傍には清らかな小川がさらさらと流れていた。また丘の上には礼拝堂があって、ニンフを祀っているようだった。その堂は天然性の葡萄蔓で覆われていた。
デモクリトスの膝の上には美装の本があり、その傍にも同様の本があった。彼の傍には片々に切断された動物の屍が積み重ねられていた。彼自身は沈思しては記載したり、また沈思に戻ったりしていた。そうかと思うと今度は立ち上がり、歩き回り、動物の内臓を観察しては再び下に置き、歩いてはまた座に戻ったりしていた。
私の周囲にいたアブデラ人は悲哀に沈み、ほとんど泣かんばかりに私に語った。ヒポクラテスよ、デモクリトスの生活を見よ。彼はまったく狂気となり、何を彼がなすか、何事を思うかすら分からないのだ、と。デモクリトスの狂気を一層切実に示そうとして、一人が子の瀕死を訴える母親のような声を発し、物を失った漂泊者のような挙動で歩き回った。
デモクリトスはこの声を聴いて高らかに笑い、一言も発せずに頭を振った。そこで私は言った。アブデラの人々よ、私はこの人の精神及び肉体を良く知り、真に病の有無を見極めるまでこの場所にとどまろうと。こう叫びながら私は静かに降り下った。道はけわしく、私はやっとのことで降りていったのだった。
デモクリトスはこの声を聴いて高らかに笑い、一言も発せずに頭を振った。そこで私は言った。アブデラの人々よ、私はこの人の精神及び肉体を良く知り、真に病の有無を見極めるまでこの場所にとどまろうと。こう叫びながら私は静かに降り下った。道はけわしく、私はやっとのことで降りていったのだった。
私が近づくと彼は興奮して精一杯に叫んだ。そこで私は立ち止まり、彼が静まる時を待った。彼は熱心な記述を終わってから私を見、私が彼に近付くとこう言った。
「見知らぬ人よ」。
「見知らぬ人よ」。
私はこれに答えた。「デモクリトスよ。無上の賢者よ。」
デモクリトスは恥らうようすで私に次のように問うた。これはおそらく私を知らないためであった。
「あなたは何と名乗られるか。自分はあなたの名を知らないので、見知らぬ人と呼んだのだが。」
「私はヒポクラテスという医師です。」
「エスクラブ族の名門!あなたの医術に於ける名声はわが国までも響いている。あなたはどんな用件で来られたのか。とにかく座られよ。あなたはまだ柔らかく青く快い葉の座に坐ることが、一時的幸福の妬みの座よりも満足すべきことを知られることと思う。」
私が座ったとき彼は更に問うた。
「あなたがここに来られたのは私用ですか。それとも公用ですか。私たちの力の及ぶかぎり、わたしたちはあなたをお助けしましょう。」
私は彼に言った。
「真の用件はあなたという無上の賢者と会うためです。あなたの故国が私に使者を送って、あなたのために私の来診を促したのです。」
「そうであるなら、どうか私の賓客となってください。わたしは幸い、出来れば人間について精密に究めたいと思っているのです。人間というものは不可解なものではない。」
「あなたはあなたの民であるフィロボームを御存じですか。」
「私は彼を良く知っています。あなたはヘルマイスの泉の傍に住むダモの子息のことを言っておられるのですか。」
「いかにもその人のことです。私は彼とは両親以来懇意の間柄です。デモクリトスよ、どうかあなたの家に私を迎え入れてください。然しその前にとにかくあなたが何をし、何を記載しておられるのか教えてください。」
デモクリトスは少し躊躇して言うには
「狂気について記載しているのです。」
そこで私は叫んだ。
「おおゼウスの大神よ。あなたは国家のためにそれを記しているのですね。」
「わがヒポクラテスよ、国家のためとはどんな国家を指すのですか。」
「わがデモクリトスよ、私は何事も言いません。しかしこの言葉を忘れることが出来ましょうか。さりながらいったい狂気について何事を書いているのですか。」
「狂気の症候とはどんなものか、いかに人間に宿りまたその治癒法がどうかというようなことではありません。」
デモクリトスはさらに言葉を継いで、
「見られるとおり、私が動物体を解剖するのは、神の創作に対する私の嫌悪からではなく、膽汁の所在と性質を研究するためです。人間において理知を欠く原因は膽汁の為で、膽汁の多量なところに理知の欠陥があるのです。膽汁は誰にでも自然に備わっています。しかしその量は人々によって異なります。それが過剰にあることは病気です。しかしそのもの自身は良いことの原因でもあれば悪いことの原因でもあります。」
「私はゼウスに誓って言いますが、デモクリトスよ、あなたのいうことはまことに真理です。私はあなたがあなたの時間をその研究に使うことを賞讃します。その仕事を妨げることは私の許されないところです。」
「ヒポクラテスよ、それは何故ですか。」
「政治、家政、子供塔、金銭、病死、奴僕、結婚といったようなことは我々の貴重な時間を奪うものです。」
デモクリトスは持ち前の病気すなわち笑いを発し、笑って笑い抜いた。しかしその他の点には異常はなかった。私はさらに言った。
「なにゆえにあなたは笑うのですか。」
彼は益々笑い続けた。アブデラの人々は小山の上からこのありさまを見て、或る者は頭を叩き、或る者は髪をむしった。後に聞くところによれば、この偉大な笑者が治ったのだと思ったということだった。
私はまた問うた。
「デモクリトスよ。賢者の最も卓越している者よ。私はあなたの悩みの原因を聞きたいのです。あなたは私を笑い、私の言葉を笑う。その原因はなんでしょうか。もしその理由がわかれば、私はその原因を取り除きたいのです。もしその原因が闡明せられたならば、あなたは、その時ならぬ笑いを控えてください。」
ここでデモクリトスは
「自分はヘリクレスに誓って言う。もしあなたが私を論破できれば、あたたは初めて私を治すことができるのですよ、ヒポクラテス。」と答えた。
「至上の友よ。どうしてあなたを論破できないことがありましょうか。あなたは人間の死、病、狂乱、鬱憂、殺人、あるいはその他の凶事を笑い、さらにまた、結婚、祝辞、出産、神事、集会、名誉等の好事を笑うことは不穏当であるとは思いませんか。ともに悲しむべき時にあなたは笑い、ともに喜ぶべきときにあなたは笑う。すなわちあなたにおいては好事と悪事の識別がないようです。」
「あなたの言われることはもっともです。わがヒポクラテスよ。しかしあなたはまだ私の笑いの原因を知らない。もしあなたがその原因を認めるならば、あなたが今回の派遣に対する酬いとして、私の笑いを確かにあなた自身およびあなたの祖国に持ち帰るでしょう。この笑いは人々を賢明にする卓越した治療なのです。あなたはあらゆる人間が努力する価値のない事柄に熱心に従事し、かつ笑うべき生活をしていることを認めるとき、その治療法を私に教えられますか。」
私はこれに答えた。
「諸々の神かけて私は申します。全世界において総ての人間が病んでいるということは隠れもない事実で、どこに治者を求めるべきかを知らないでいます。この世界以外、更に何があり得ましょうか。」
彼は答えた。
「世界には無限の空間がある。あなたは豊富な自然をかくも狭い範囲に限って、これを軽蔑すべきではありません。」
私は答えて言う。
「わがデモクリトスよ、拙速な説明をする気はありませんが、あなたは無限を計量するかのように、笑い始めればとめどない。あなたの笑いの原因を私に告げるべきことを思いだしてくださいよ。」
デモクリトスは私を一瞥していった。
「人々は馬鹿げたことに没頭し、何等の善いことひとつなさず、馬鹿らしいことに心を定め、理由のない仕事をし、際限ない欲に駆られて世界の隅々まで金銀を探し求め、これに努力して心身を共に困憊せしめているが、私は全てかような人間を笑うのみです。
彼らは幸福でないまでも、貧乏人ではなく、また恥を掻かぬようにとそれを行なうのです。また彼らは時に手づから土を掘り開き、時に降りかかる土塊を相手にしながら、微細な芥のはてまでも金銀を探し、これらを溶かし集めて母土から不用物を除き、その収穫に陶酔乱舞しています。
実に隠れた土に愛着し、表面に現れている土を等閑に付するとはなんと笑うべきことではありませんか。また犬を飼うものがあり、馬を飼うものがあります。広く土地を区画して自分の所有物と心得、また或る者は多くのものを支配しようと望んで自己を支配すべきことを知りません。又彼らは婦女子を娶っては総てそれを逐い出し、一度愛してはそれを斥けます。また大いなる愛をもってもうけた子供の成長するに及んで、これを放逐したりしています。
このような彼らの行為こそ全く狂人と区別し得ないではありませんか。なおまた彼らは自ら争ってやめることを知らず、王を推鼓したかと思えばまたこれを斥け、土を掘っては白銀を求めるに汲々としています。そして白銀を発見するやその土地を買いたいがために生産物を売り、生産物を売ることによって金を儲ける。いかに循環的にそれを回転させるか、またいかに不真面目にその回転を計るか。富なきときは富を得ることを望み、富を得てはこれを隠匿する。
私は人々がこのような益のないことを行なうことに対して笑うのです。またもしも彼らが行なってしかも良くない結果を収めるとき、なお一層これを笑わざるを得ません。彼らは真理の法則に違背しています。即ち彼らは熱心を以て自らに対し又兄弟両親及び同一市民に対して争闘しています。しかもその争いは自己の死後何等の用のない財貨の為にするものです。
このようなことに彼らは不断の努力を払い、貧困な友には蔑視を投げかけるが、彼らの富なるものこそ価値なくかつ生命なきものです。彼らは物を言うかのように真に迫っているからと彫刻物を買うけれども、真に物言うものを嫌うのです。全て容易に得難いものを得ようと努めます。大陸に住む者は海へ行こうと願い、島に住む者は大陸に住むことを願望します。
すべてこの人々はいずれもその欲望の虜になるのです。彼らは戦争においてこそ勇敢な行為を賞讃しますが、しかし一方においては毎日放縦と吝嗇に身を任せています。こうして彼らは諸々の悩みに苦しみ、煩わしい生活を営んでいます。
すべてこの人々はいずれもその欲望の虜になるのです。彼らは戦争においてこそ勇敢な行為を賞讃しますが、しかし一方においては毎日放縦と吝嗇に身を任せています。こうして彼らは諸々の悩みに苦しみ、煩わしい生活を営んでいます。
ヒポクラテスよ。君は私の笑いを果たして非難することができますか。すべて人たるものは何人も自分の愚を笑わずして常に他人の愚を笑うものです。自ら飲酒せぬものは泥酔者を笑い、病無きものは大病人を笑い、またある人は航海者を笑い、他の者は農事を嘲う。彼らは術に置いてもまた仕事においても、不調和を醸しているのです。」
ここにおいて私はデモクリトスに言った。
「デモクリトスよ、それはまことに真理です。この哀れな人間の行為を表わすにふさわしい適切な言葉に苦しむほどです。しかしこのことは家政の上に、舟を造る上に、その他人間生活のあらゆる必要上やむを得ぬところです。自然は人間を遊ばせておくために造ったのではありません。人間たちが過度の熱心のためにその正当な精神を昏まされてその成果には誤りがないものと信ずるのです。
しかしいまだ明らかでないことを予見することは至難の業です。デモクリトスよ、人が或る婦人と結婚してその病気や離別の場合を懼れ、または子供を養育して死亡を怖れるとき、またあ耕作あるいは航海に際して官憲を恐れるとき、総ての人間が生活上悪を願わずに善事を希うとき、則ち少しも不幸な出来事を考えない時、あなたの笑いはまったく当てはまらないものではないでしょうか。」
しかしいまだ明らかでないことを予見することは至難の業です。デモクリトスよ、人が或る婦人と結婚してその病気や離別の場合を懼れ、または子供を養育して死亡を怖れるとき、またあ耕作あるいは航海に際して官憲を恐れるとき、総ての人間が生活上悪を願わずに善事を希うとき、則ち少しも不幸な出来事を考えない時、あなたの笑いはまったく当てはまらないものではないでしょうか。」
デモクリトスは答えて言う。
「あなたには私の考えが容易には分からないでしょう。あなたに冷静な熟考と無暗な性急とを峻別する規矩がなければ私の考えは到底わからないでしょう。
人間が理知と熟考とをもって事をなしさえすれば、私の笑いは容易に取り去ることができるのです。しかしながら、いま人間は盲目同然で、生活上の変態に気づかず、あたかも彼らの生活が常態であるかのように心得、秩序のない理知に頼って不条理不自然な彼らの業に注意を払いません。
もう繰り返しは沢山です。こうしたことを速やかに変化させ、出来るだけ変転をなすことが必要です。人間は事物が不変であるかのように思い、全く日常の状態の変換を忘れている。
学問によって研究して自分の力を知り、自分の欲望を無限にひろげることなく、万物の養育者たる自然の与えるところをもって自足するとき、始めて常住不変の生活ができるのです。
健康なる身体に疾病の危険があるように、幸福の大いなる増進もやはり危険を伴う。不幸の中にもまた幸運が認められる。われらはその近くに起ることがわからないと同様に、自分が未熟なことを忘れがちなものです。
長命についてたとえれば、何人も長生きし得るかどうか未来のことは予見できないように、明白なことも未熟なために不明のことと同じく予見できないのです。これが私の笑いの種子なのです。
おお、順逆の転倒、吝嗇、敵対、奸計、隠謀等無限な悪事に向かって罪罰を払う愚かなる人々よ。詐謀の錬磨によって互いに悪事をただ心中に包蔵してこれを行ない合っている。さらにいっそう悪いことは道徳の偶像者です。彼らは熱心に自らを詐くことに努力し規律に従わずに享楽を求め、人間が耳も目もないもののように自説を説くのです。
人間が理知と熟考とをもって事をなしさえすれば、私の笑いは容易に取り去ることができるのです。しかしながら、いま人間は盲目同然で、生活上の変態に気づかず、あたかも彼らの生活が常態であるかのように心得、秩序のない理知に頼って不条理不自然な彼らの業に注意を払いません。
もう繰り返しは沢山です。こうしたことを速やかに変化させ、出来るだけ変転をなすことが必要です。人間は事物が不変であるかのように思い、全く日常の状態の変換を忘れている。
学問によって研究して自分の力を知り、自分の欲望を無限にひろげることなく、万物の養育者たる自然の与えるところをもって自足するとき、始めて常住不変の生活ができるのです。
健康なる身体に疾病の危険があるように、幸福の大いなる増進もやはり危険を伴う。不幸の中にもまた幸運が認められる。われらはその近くに起ることがわからないと同様に、自分が未熟なことを忘れがちなものです。
長命についてたとえれば、何人も長生きし得るかどうか未来のことは予見できないように、明白なことも未熟なために不明のことと同じく予見できないのです。これが私の笑いの種子なのです。
おお、順逆の転倒、吝嗇、敵対、奸計、隠謀等無限な悪事に向かって罪罰を払う愚かなる人々よ。詐謀の錬磨によって互いに悪事をただ心中に包蔵してこれを行ない合っている。さらにいっそう悪いことは道徳の偶像者です。彼らは熱心に自らを詐くことに努力し規律に従わずに享楽を求め、人間が耳も目もないもののように自説を説くのです。
人々は何物にも満足することなく、同じところに後戻りしています。彼らは航海を終わるや否やまたこれを始め、耕作を棄ててはまた畑を耕します。彼らはまた妻を放逐してはまた他の女と結婚します。
また生まれた子供を彼らは葬り、これを葬ってはまた子をもうけます。彼らは長生きを望み、高齢に達すれば嘆息し、何事に対しても恒久性の精神を持ちません。
王侯は市民の幸福を羨み、市民は支配権を羨む。官憲は芸術家を危険のない業として讃美し、芸術家はまた官憲の権力の絶大なるを羨望します。純潔で平坦な道徳の正道を求めず、また何人もこの正道を歩むことを敢えてしない。
彼らは道徳と相反する迂曲した邪道を進み、多くのものは追跡されるもののように喘ぎつつ堕落し、または争闘します。また或る者は人の妻女に対して野望を抱き、破廉恥にもこれを敢行するものさえある。また或る者は互いに陥穽を設け合い、また或る者は自ら驕慢し、そのために危険の頂点に立つ。また或る者は破壊してはこれを建設する。また或る者は人に好意を向けるが、やがてそれを後悔して友情の権利を中止し、敵愾心を起こし、また争いのために近親の権利を滅している。
総てこれらのものにあっては吝嗇ということが罪の原因です。彼らは忠言に対する何等の判断なく、ただ偶然性を喜ぶこと遊ぶ児童と何ら選ぶところがない。
野獣は飽満に際して自制力を有するが、彼らは何等か野獣と異なるところがあるでしょうか。一体、ライオンにして金を地中に埋蔵するものありや。牡牛にして不用の物の為に争うものがあるか。虎にして際限なく餌を貪るものあるか。野猪にして水に足りてもその上になお水を欲するものがあるか。狼といえども自己に必要な量の食物を得た上は静かなものです。
しかし人間のみは昼夜の境もなく貪婪あくことを知らない。時節に従って野獣の情欲には一定の限定があります。しかし人間はそのことがない。
また生まれた子供を彼らは葬り、これを葬ってはまた子をもうけます。彼らは長生きを望み、高齢に達すれば嘆息し、何事に対しても恒久性の精神を持ちません。
王侯は市民の幸福を羨み、市民は支配権を羨む。官憲は芸術家を危険のない業として讃美し、芸術家はまた官憲の権力の絶大なるを羨望します。純潔で平坦な道徳の正道を求めず、また何人もこの正道を歩むことを敢えてしない。
彼らは道徳と相反する迂曲した邪道を進み、多くのものは追跡されるもののように喘ぎつつ堕落し、または争闘します。また或る者は人の妻女に対して野望を抱き、破廉恥にもこれを敢行するものさえある。また或る者は互いに陥穽を設け合い、また或る者は自ら驕慢し、そのために危険の頂点に立つ。また或る者は破壊してはこれを建設する。また或る者は人に好意を向けるが、やがてそれを後悔して友情の権利を中止し、敵愾心を起こし、また争いのために近親の権利を滅している。
総てこれらのものにあっては吝嗇ということが罪の原因です。彼らは忠言に対する何等の判断なく、ただ偶然性を喜ぶこと遊ぶ児童と何ら選ぶところがない。
野獣は飽満に際して自制力を有するが、彼らは何等か野獣と異なるところがあるでしょうか。一体、ライオンにして金を地中に埋蔵するものありや。牡牛にして不用の物の為に争うものがあるか。虎にして際限なく餌を貪るものあるか。野猪にして水に足りてもその上になお水を欲するものがあるか。狼といえども自己に必要な量の食物を得た上は静かなものです。
しかし人間のみは昼夜の境もなく貪婪あくことを知らない。時節に従って野獣の情欲には一定の限定があります。しかし人間はそのことがない。
ヒポクラテスよ。何等の利益がないにも拘わらず際限もない彼らの欲望を私は笑わずにいられようか。なおまた何人でも断崖を渡り深海に航する冒険者となることこそなおさら笑わざるを得ない。
ことにまた多くの宝を海底の藻屑と失ってから、海を呪うに至ったものを笑わずにいられようか。
しかし私はただ嘲笑者と見られたくない。否、私は彼らに対する私の憤怒を表現する工夫に盡きてこのように笑っているのです。こうするよりほかに私は彼らを矯正する道がなく、またこれを活かす薬剤を調製することも望みがないためです。
ことにまた多くの宝を海底の藻屑と失ってから、海を呪うに至ったものを笑わずにいられようか。
しかし私はただ嘲笑者と見られたくない。否、私は彼らに対する私の憤怒を表現する工夫に盡きてこのように笑っているのです。こうするよりほかに私は彼らを矯正する道がなく、またこれを活かす薬剤を調製することも望みがないためです。
人間は生来病に罹っています。彼は育成される間、何等の役にも立たず他人の助力に俟つより外なく、成長する間は制御すべからざるかつ理解力なきものであって、これに教師を要するものです。
またその青春期においては向こう見ずです。人間はかようなものとして穢辱の子宮より生み出され、或る者は怒り易く、或る者は節度を欠いて強暴であり、また或る者は常に不幸との闘争の生活の中にあります。
また或る者は破廉恥の中にあり、或る者は泥酔し、或る者は他の事柄に執着します。また或る者は消費に耽っています。もしも家毎にその閉ざされた扉を開いて、その蔭で行われる真相を見究める力があるとすれば、或る者は食事を取って居り、或る者は吐いており、懲罰を加えるものあり、薬剤を混じているものあり、詐謀を企むものあり、或る者は喜び、或る者は泣き、その友を訴えているもの、または高慢にして理性を失うものあるのを見るでしょう。
これらの行為が心中に深く蔵されている場合ももちろん多いでしょう。これらの中には若者もあり、老人もあり、貧しきもあり、また富めるもあり、飢餓に直面しているものもあり、有り余る財物を擔っているものもあり、穢きものもあり、桎梏を被むるものもある。また自己に耽溺するもの、死ぬるもの、埋葬されるもの、自己の持っているものをうっちゃっておいて他人のものを欲するもの、破廉恥なるあり、節約するあり、飽くなき欲望を抱くものもある。
またその青春期においては向こう見ずです。人間はかようなものとして穢辱の子宮より生み出され、或る者は怒り易く、或る者は節度を欠いて強暴であり、また或る者は常に不幸との闘争の生活の中にあります。
また或る者は破廉恥の中にあり、或る者は泥酔し、或る者は他の事柄に執着します。また或る者は消費に耽っています。もしも家毎にその閉ざされた扉を開いて、その蔭で行われる真相を見究める力があるとすれば、或る者は食事を取って居り、或る者は吐いており、懲罰を加えるものあり、薬剤を混じているものあり、詐謀を企むものあり、或る者は喜び、或る者は泣き、その友を訴えているもの、または高慢にして理性を失うものあるのを見るでしょう。
これらの行為が心中に深く蔵されている場合ももちろん多いでしょう。これらの中には若者もあり、老人もあり、貧しきもあり、また富めるもあり、飢餓に直面しているものもあり、有り余る財物を擔っているものもあり、穢きものもあり、桎梏を被むるものもある。また自己に耽溺するもの、死ぬるもの、埋葬されるもの、自己の持っているものをうっちゃっておいて他人のものを欲するもの、破廉恥なるあり、節約するあり、飽くなき欲望を抱くものもある。
また或る者は打ち、或る者は打たれ、或る者は高慢であり、或る者は虚栄の妄想に満ちている。又これらのうちのさらに或る者は馬、人間、犬、医師、材木、真鍮、また絵画の監督者であり、或る者は使者であり、或る者は軍人であり、或る者は祭祝に勤めている。或る者は冠を戴き、或る者は武装し、或る者は殺される。
これらの者のうちではまた、海戦に従事し、農業に従事し、荷役に働くものもある。或る者は博物館に、或る者は寺院に、或る者は劇場で働く。或る者は隠遁し、或る者は享楽に耽る。或る者は閑暇と睡眠とに耽っている。我々がさように価値のない、かつ不幸な多くの例をみるとき、いかにして彼らの度を過ぎたその生活を嘲わずにいられようか。
自分は医術というものは何らこれに役立たぬことを懼れます。中庸を得ないために人々は総てのことに不満を抱くのです。それ故彼らは賢者をもって愚者と見るのです。
私は彼らがあなたの術の大部分を非難するだろうと思います。これは医術に対する猜疑と忘恩とから発するのです。それでひとりの病人が救助されるときには彼らはそれを神力もしくは偶然ということに帰するのです。
多くのものはまた(自分の力で自然に治癒したのだというふうに)自己の自然性に帰し、その慈善者、すなわち医師を蔑視します。そしてそれとは反対に、(患者が死んだり治癒しないなど)悪い時には慈善者が必ず引き合いに出されるのです。
術に関して何等の知識を持たぬ多くの人々は身体のためにしてはならないことをします。愚かなものたちは医師に心服せず、また医師が術の証明を与えないために医師の忠言を受け入れないのです。この場合にもまた猜疑ということが働くのです。あなたはこのような人々の愚昧な振る舞いをみていないのでしょうか。」
私は彼らがあなたの術の大部分を非難するだろうと思います。これは医術に対する猜疑と忘恩とから発するのです。それでひとりの病人が救助されるときには彼らはそれを神力もしくは偶然ということに帰するのです。
多くのものはまた(自分の力で自然に治癒したのだというふうに)自己の自然性に帰し、その慈善者、すなわち医師を蔑視します。そしてそれとは反対に、(患者が死んだり治癒しないなど)悪い時には慈善者が必ず引き合いに出されるのです。
術に関して何等の知識を持たぬ多くの人々は身体のためにしてはならないことをします。愚かなものたちは医師に心服せず、また医師が術の証明を与えないために医師の忠言を受け入れないのです。この場合にもまた猜疑ということが働くのです。あなたはこのような人々の愚昧な振る舞いをみていないのでしょうか。」
デモクリトスは笑いながらこのように語った。その態度は神々しく以前の狂気染みた状態とは全然一変していることが分かった。私は彼に答えて行った。
「我が尊敬すべきデモクリトスよ、私はこの大いなるあなたの友情の土産をコス島に持ち帰ります。あなたは実に私に賢明な知識を十分に与えてくれました。私はあなたによって人間の自然性をきわめることができ、あなたの真理の告知者としてここを去ることができます。
私はいわばあなたから精神治療を受けたわけですが、あなたの身体の治療のほうは私の方の問題なので、明日続いてここでお目にかかりたいと思います。」
私はいわばあなたから精神治療を受けたわけですが、あなたの身体の治療のほうは私の方の問題なので、明日続いてここでお目にかかりたいと思います。」
こういって私は立ち上がった。このときデモクリトスは私に続こうとしていたが、ちょうどそこへ入って来た見知らぬ一人の男に本を手渡した。私は待たせておいたアブデラ人の方に急いで行った。私はそこで彼らに告げた。
「人々よ。私はあなた方に深く感謝したい。私はデモクリトスにおいて最上の賢者すなわち人間を賢明ならしめることを最も良く理解している者を見いだしたのです。」
わがダマゲットよ、以上は私が喜んでデモクリトスについて報告する事柄である。
saysei at 22:12│Comments(0)│