2025年02月28日

「金々先生栄花の夢」を読む

 先週のNHK大河ドラマ「べらぼう」で、「逆襲の金々先生」という回があって、鱗形屋が『金々先生栄花夢』という青本の新機軸を出して、蔦重も読んで大層面白がり、これは売れると言う場面がありました。

 どんな内容だったのかな、と思って調べてみると、手元の小学館日本古典文学全集の「黄表紙 川柳 狂歌」の巻に収録されていました。

夢みる金々先生①(「黄表紙 川柳 狂歌」日本古典文学全集 小学館 昭和46年刊 より)

  お話は、作者で画工の恋川春町がその序で「文に曰く、浮世は夢の如し。歓をなす事いくばくぞやと。誠にしかり、金々先生の一生の栄花も邯鄲のまくらの夢も。ともに粟粒一すひの如し。」と言っているように、片田舎に住んでいた「金むらや金兵衛」なる者が、生まれつき心優しく、風流を解する者であったから、浮世のたのしみをつくそうと思うのだが、貧しくて思うにまかせない。

  そこで繁華な都へ出て奉公口にありついてうんとお金を稼ぎ、江戸のたのしみをきわめようと思い立ちます。まずは運の神である目黒不動尊へ参詣して幸運を祈り、夕方になって空腹を覚えたので、付近で名物として知られる粟餅を食べに店に寄ります。ただ、粟餅がまだできていなかったので、しばらく待っているうち、旅の疲れが出て、そばの枕を引きよせてまどろみます。

  その夢に現れたのが、宝泉寺駕籠に乗り、大勢の供をつれた行列で、これが神田の八丁堀に長年暮らす和泉屋清三(せいざ)の家来なる者で、主人清三が老衰いちじるしいが、子もないため、跡を継がせる者を探していたと言います。そこへ、金兵衛が出世を望んでここまで来たと聴いて、これは主人が信じる「万八幡大菩薩」のお告げどおりだというので、金兵衛を無理に宝泉寺駕籠に乗せて和泉屋に連れていき、その後は跡取り息子「若旦那」として大切に扱います。

  金銭に不自由のなくなった金兵衛は日夜酒宴を催し、もともとの風流人ゆえ、身ごなしも当世の洒落を尽くし、さらに類は友を呼んで、手代源四郎、太鼓持ち万八、座頭五市などが彼の取り巻きとなり、その名に因んで「金々先生」などと呼ばれて、いい気になっています。
  
  やがて源八郎の「なんと旦那、うちでばかりのさはぎは、とんんとさへませぬ。あしたは北国(ほっこく)へ、いき山とおでかけなさりませ」(北国=新吉原遊郭の通称)とそそのかされて出かけます。

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 そこから金兵衛は「かけの」という遊女にぞっこんになって、楼閣に夜ごと上り詰めることになります。そして、年越しの夜になると、源四郎の勧めで「まめはふるしと、金銀をますに入、節分の祝儀をいわいける」といったありさまで、上手のように金銀をばらまいております。
 
 「北国」新遊郭のあそびも尽きると、こんどは岡場所辰巳の里(深川遊里)へ出かけて、遊蕩の限りを尽くし、「おまづ」なる遊女にぞっこんになって、毎日足を運び、金銀を散財します。
 ところがこの「おまづ」、表向きは金々先生にはまっている様子を取り繕いながら、内緒で源四郎と通じて楽しんでいたのです。そして金々先生の前で挟みことばを使った一種の暗号文で源四郎との逢引きの意志を交わすほど図々しい振る舞い。

 さすがに金々先生も、「おまづ」の振る舞いが不審で、いざこざを起こし、結局彼女とも切れてしまいます。
 こうして金々先生、手痛く騙され、金をむしりとられて、もはや彼の金の威光も失せて、日ごろ彼に平身低頭だった者たちも知らんふりをして寄り付かなくなります。仕方がないので、吉原や深川よりもさらに格の低い品川(宿駅)の女郎のもとへ通うまでになってしまいます。

 「きのふまでは金々先生ともてはやされ、猪牙(ちょき)や四つ手にのりし身が、いまはぱっちにひより下駄、かわればかわる世の中じゃな。アゝいまいましい」

 いまでは身代も傾きかけてきたので、父文ずい(金兵衛に身代をゆずって出家した和泉屋清三)も大いに怒り、手代源四郎のすすめにまかせて、金々先生のみぐるみ剥いで、昔の姿のまま追い出してしまいます。

金々先生③
  手代源四郎は、はじめ金々先生をそそのかし、多くの金銀をつかわせ、そのあまりは全部自分がくすねてしまったのです。それで、物をぬすむことを「源四郎」というのだそうです。

  和泉屋を追い出された金々先生、いまは立ち寄るところもなく、途方に暮れて歎いていましたが、粟餅の杵の音におどろいて目覚めます。
  起き上がってみれば、すべては「一睡(炊)の夢」で、あつえた粟餅はまだできあがってはいません。そこで金兵衛さん、手を拍って、「われ夢に文ずいの子となりて、栄花をきわめしもすでに三十年、さすれば人間一生のたのしみもわづかに粟餅一臼の内のごとし」とはじめてさとり、すぐに田舎の故郷に引っ込んでしまいました。

  最後の一行は、粟餅屋の女のセリフ:

  「もしもし、餅ができました」

  この話は誰もがわかるように、中国の「邯鄲の枕」の故事と話の結構がそっくりで、あきらかにこれを日本に置き換えたお話ですが、その換骨奪胎ぶりはなかなか堂に入ったもので、これ自体でよくできた読み物になっています。蔦重がいわばライバルの鱗形屋の出版物であるにも関わらず、すなおに面白い、と評したのも無理はありません。

  この「金々先生栄花夢」以前の青本は、テレビドラマの中で蔦重が言っていたように、ちっとも面白くなかったようです。絵が中心で、話はとってつけたようなものでしかなかったようです。
  それが、この春川春町という絵師にして物語作者の登場によって、青本は大きな転換期を迎え、従来の青本とは区別して「黄表紙」と呼ばれるようになったそうです。子供向きの絵本である「赤本」、おとなが読める娯楽本「青本」、そしてその青本の物語性が豊かになり、時代への風刺をきかせた「黄表紙」と表紙の色で区別される草双紙の発展の、これはひとつの画期をなす出版物だったようです。

出版目録

 これは私が読んだ小学館日本古典文学全集版の「金々先生栄花夢」の本文のすぐあとに掲載されている鱗形屋が出版した青本(黄表紙)を列記した目録で、安永五年(1776)のものだそうす。物語の本文の最後のページが表で終わる場合は、裏にこのような目録を載せることが多かったとのこと。

 絵師の名に恋川春町の名がありませんが、目録には「金々先生栄花夢」が出ています。

 目録
  これは同じく目録ですが、安永五年のもので、目録には前年に出版された「金々先生栄花夢」がみえませんが、絵師の欄には、恋川春町の名が見えます。









saysei at 17:18│Comments(0)

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