2025年02月07日
「古今集を読む」第47回(離別歌②)を書く
今回は、貫之の或る歌を読んでいて、ごく素直な歌だったので、歌の解釈はどうということもなかったのですが、歌の心というのか、貫之が言いたかったことはこれだよね、という歌の核心は下の句に凝縮されていて、なにかメッセージを伝えるだけなら上の句は要らない、ということに気づきました。
上の句は下の句にかかる修飾句の役割をしているのですが、まあ極端に言えばあってもなくてもいい、ただ下句で言いたいことを強調するための修飾句であって、とくに下句の修飾ということを意識しなければ上句だけで独立した自然詠のような、なにか自然の景物を詠んだだけ、という表現になりうるものでした。
これは吉本さんなどが『初期歌謡論』やそれに近い古典文学論で述べていたように、日本の三十一文字の歌の成り立ちというのは、上句十七文字はなにか目の前の自然の景物などを詠むだけで、それだけで意味的には独立した表現のように詠まれ、下句十四文字に歌の心を凝縮して述べる、そしてそのことによって、単なる自然詠にすぎなくみえた上句が、あたかも下句の歌の心の暗喩であるかのような効果を発揮する、という風な構造をもっているもののようです。
そして、たまたま私がひっかかった貫之の歌というのは、別段上句が純然たる自然詠だというものではないけれど、間違いなく上に書いたような古くからの日本の歌の名残を引きずっているように思ったのです。
貫之の歌というのは;
陸奥国へまかりける人によみてつかはしける 貫之
380
白雲の八重にかさなる遠にても思はむ人に心隔つな
という歌です。
<意味>として歌が伝えたいことは、貴方を思う私に心を隔てることなどないようにね、という下句にすべて凝縮されています。上句では「遠(をち)にても」で、遠くにいても、と下句を修飾、強調する言葉はあるけれど、それはあくまでも下句の意味の強調にすぎないといえばすぎない。
そして、「白雲の八重にかさなる」というのは、その「遠(をち)」をさらに強調するだけの言葉で、意味的にはあってもなくてもいいような修飾句です。
しかし、これらの言葉は、たしかに白雲が沸き立って七重八重にも重なって、いまここにいる自分と旅立っていく友の行く先とを遠く隔てるものの象徴として、非常に遠く広大な空間の感覚を読む者聴く者の胸に喚起するところがあります。白雲が八重に重なるというイメージがそうさせるわけですね。だからこそ、「遠」が実感をもって遠いところだと感じられ、そのことがまた、下句にいう友との別れの悲しみを切実なものにしています。
こういう歌の構成は、上句でただ自然の景物だけを歌い、下句で歌の心を表現することで、ひるがえって上句の自然詠のごとき表現が下句の歌の心の暗喩として響き合う効果を生む、古くからの日本の歌の構成法をベースにいしていることはほとんど明らかだと思います。
こうして上句、下句のいわば役割分担を意識すると、或る意味で歌の作り方は簡単で、何か言いたいことの意識の核を表現する言葉を下句に凝縮して、これと響き合うような(その歌の心の暗喩となるような)自然の景物を上句で歌えばよいわけです。そして、平安朝の歌詠みたちは、喜怒哀楽それぞれ、こういうときには、こういう景物がその暗喩としてふさわしい、といった連想のパターンをすでに頭の中にたくさん備えていたに違いないと思います。万葉に読まれた歌など頭の中に入っていて、それはある感情を表現しようとすれば、それと照応するような景物がぱっと頭に浮かぶ。あとはそれをいかにアレンジして上句に表現するか、という工夫があれば一首ができあがる。
…とまあ、そんな風なことを思ったわけです。
しかし、もう少し考えてみると、わたしはこれは歌のつくりかた、できかたとしては逆だったのではないか、と思ったのです。つまり、下の句に凝縮されるような思いが先にあったのではなくて、むしろ何もないところで、いきなりなにげなく目の前の自然の景物などを自然詠のごとく歌ってみると、それに響き合う思いのほうが喚起されてくる。
そのころ歌に詠まれるような情趣、感情というのは、そんなに千差万別で無数にあったわけではなくて、人間の喜怒哀楽といったってしれたものでしょう。だからこそ、勅撰歌集なんかの部立てなども春夏秋冬だの賀歌だの離別だの羇旅だの恋の歌だのと単純なものです。離別歌といえば別れがつらい、悲しい、未練だ、と相場は決まっている(笑)。それを直接言葉で訴えたところで、その変化はしれていますわね。
実際上の貫之の歌でも、「思はむ人に心隔つな」、いつまでもあなたを思っている人=わたしに、心を隔てることなどないようにね、という単純な想いでしかありません。しかし、この単純な想いを、非常に切実で、大きな感情、深い感情にしているのは、上句の「白雲の八重に重なる遠にても」という遠大で鮮やかな空間的イメージを表出する言葉でしょう。
しかしそれは、別れがつらい、悲しい、という思いのほうから呼び寄せた言葉ではないのではないか。それならばむしろ無数の言葉の可能性があって、つらい、悲しいという単純なだれもが感じる感情から、これと響き合う無数の自然の景物など具象的な表現を喚起し、選べというのは至難の業でしょう。
私たちがものを書くという経験を通して知るのは、なにか心のうちにこう、という形を成した思いがあって、ただそれを紙の上に書きだすことで、歌なり詩なり小説あるいはエッセイなりが書けるわけではない、ということです。そういう意味ではわたしたちの心(頭)の中はもっと曖昧に錯綜し、形をなしていないはずで、それが形をなすのはむしろ書くことによってではないか。書くことによってはじめて、私たちは自分が何を考えていたか、何を思っていたか、はっきりと形をなすものとして知るのではないか。
歌の下句に凝縮されるこころも同じことで、目の前の景物をただ詠むうちに、それが歌のこころに形を与え、下句に表現される意味の核心を導いてくる。これが書くことの経験から導かれる、歌のできかた、歌のつくりかたということになるのではないでしょうか。
ざっとそんなことを考えていて、もしそういう考えがまんざらハズレでもないとすれば、これはもう少し数多くの歌についても検証できるに違いない、と思ったのですが、もちろんそんなことはすぐにはできないので、これから読んでいく歌について、この事を思い起こすことがあれば注意して確かめてみたいな、と思っただけですが・・・
➡ 離別歌②((375~384)
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