2025年01月20日
定期検査・受診
呼吸器内科での受診は確か昨年11月11日以来で、3か月がたちました。体感的にはかなりちょっとした動作やごく短い距離の歩行で激しく息切れしたり、咳が明らかに一層激しく、頻繁になったという自覚症状があるため、久しぶりのCTで悪い結果がでなければいいが、と思って、たぶんこれは1年ぶりくらいのCT撮影に臨みました。
結果的には、間質性肺炎(肺線維症)の特徴である、肺の間質組織のいたるところに映像で見ると白い無数の斑点のような一種の傷跡ができて、間質細胞が繊維化してしまう病状は、思ったよりも進行していなかったので、その点ではホッとしました。ただ、左肺の下部におどろくほど大きな真っ黒な部分、主治医によれば袋状の空洞ができていて、一年前くらいにとった同じ部位のCT像と比べると、当時も小さな空洞ができてはいたけれど、全然比べ物にならないくらい巨大化しています。
これがどうしてでき、どうしてこうも肥大したのか、病状にどういう影響があるのか、あまりはっきりしないようで、その部分の間質組織が破壊されてこうなったのかもしれないし、あるいは袋状のものができたところへ空気がはいって膨らんだだけで、また小さくなく場合もあるので・・・ということで、悪化していると言えば、この袋状の空洞が大きくなったことが悪化ということになりますが・・・とだけ言われて、私もよくわからないままでした。治療しようにも治療できるようなものでもないし、とのことで、しばらくは様子見ということでしょう。袋状の空洞が一番大きくみえる切断面の映像では左肺の下分の膨らんだ部分が全部蔽われるほど真っ黒な穴のように見えました。
こんなことが起きるのも、そもそも肺の間質がボロボロになっていて、組織が融けたりくっついたり、変質・変形して元には戻らない状態であるためでしょう。繊維化であれ、蜂の巣状化であれ、ドロドロ状態であれ、こうした袋状空洞化であれ、いずれにせよ酸素交換機能を担う間質組織が少なくともその部分では不可逆てきな変質・変形を生じて、本来の機能を果たさなくなってしまっているわけで、これも特発性間質性肺炎の病状の進行にほかならないでしょう。それが何か月、あるいは1年、2年とかけて緩慢に進んでいることが、まだしもの救いで、急性増悪が起きればだいたい40日以内に100%死亡するというデータを載せた論文を見たこともありますが、私の場合、これまでのところ幸いにも急性増悪に遭遇することなく、緩慢な進行のおかげで、当初は平均余命3年と言われた病で、既に確定診断から5年目を生きているわけです。
今日は血液検査の結果も悪くて、とくに腎臓の指標値CRE(クレアチニン)の値が基準値0.65~1.07mg/dl のところ1.30と高く、こんなことは先の入院中に複合的な薬害でやはり1.30、ピーク時には1.40まで上がって、主治医も青ざめてステロイド以外のあらゆる薬剤の服用をストップする緊急事態になったとき以来で、腎臓の糸球体の濾過量を計測するeGFRという指標も基準値60.0以上のところが41.5、つまりわたしの腎臓は、健常者の4割ちょいくらいの働きしかできない状態だということです。下手をすると透析が必要になったりするので、ちょっと主治医も深刻な表情で、そちらのほうの部局と相談したほうがいいかな、というつぶやきも漏らしていらしたけれど、「しかし原因ははっきりしているから・・・」と。
というのは、その前に私が夜中にも起こる最近の激しい頭痛のことを話していて、処方してもらっているカロナールを立て続けに飲んでも効かず、その錠剤もほぼ尽きたので、やむなく先日同じ大学病院での抜歯の際に頓服としてもらっていたロキソニンを飲んだことを報告したのです。それで、これが腎臓の状態を悪くした原因だとの判断でした。ロキソニンがかなり激烈な作用をもつ薬剤で、腎臓に負荷をかけることはある程度知ってはいたのですが、3、4錠を注意書き通り1錠ずつ、4~6時間、間をおいて飲んだだけだし、大丈夫だろうと思っていたのですが、てきめんに腎臓にダメッジを与えたようです。やはりカロナールのほうが腎臓にはまだしもやさしいらしい。
それでも頭痛がおさまらずに頻発するのでは、まともに夜も眠れないし、昼間もなにもできないので、やはり重大な原因がないかどうか確認しておくほうがいい、ということで、同じ病院の脳神経外科を紹介するから、頭のCT像を撮ったうえで受診してください、と言われて、帰りに予約してかえりました。自分が脳神経外科という昔テレビでよく見ていた「ベン・ケーシー」が活躍していた高度な医療にかかることになるとは予想もしていませんでしたが、今度初めてその脳神経外科なる部局で診察を受けることになりました。
認知症とかアルツハイマーとかの今もよく分からない病の機序やその治療法の研究をしているような高度な医療現場へ、私のような、本人にとっては痛くて切実だとはいえ、たんなる偏頭痛かもしれないような頭痛がするからと言って診てもらいにいくのは、甚だ申し訳ないような気がしますが、実のところどんなに頻繁に頭痛が起きても、いったいどんな病院のどんな部局へ行けばいいのかさえ、わたしにはわからなくて戸惑っていました。頭痛には本当に様々な原因があるので、このお医者さんのところへいけばいい、と患者のほうで明確に判断ができません。ちょっとした風邪だとか発熱で生じる頭痛なら私にもわかるし、ふつうなら町の内科医で十分対処できるでしょうが、こうも頻繁に起きて、薬剤でもなかなかおさまらず、ほっておくとどんどん痛みがひどくなってしまう、しかも私の場合は痛み止めが腎臓、肝臓に障害を引き起こしかねない状態のようだし、ほかにステロイドや抗繊維化剤をはじめ10種近くの薬剤を服用しているから、それとの兼ね合いもあって、町の医師で簡単に痛み止めを出すというわけにもいかない状況です。
それで、脳神経外科という思ってもみなかったところで診てもらうことになったわけですが、まさかベン・ケーシーのように脳にメスを入れて悪性腫瘍をとりだす、なんてことにはならないと思うけれど(笑)、ちょっとゾクゾクしなくもありませんね。
今日の夕餉

ヨコワマグロの刺身。きょうは長男も一緒の夕餉なので、普段老夫婦だけのときは(私が刺身をそんなに好きではないので)ほぼ食べることのない刺身を、パートナーはむしろ積極的に一品に加えるようにしているらしい。

クモコ(鱈の白子)とほうれん草のポン酢かけ。きょうのメニューで一番美味しかったのはこれかな。コレステロールにはまたも非常に悪い食べ物なのでしょうが、そういうものほど美味しいから困ったものです。

パートナーが市販の伊達巻が800円もしたと言って正月にも買わなかった伊達巻を、ウェブサイトで見た作り方をまねて作ってみたら、いつも食べている美味しい玉子2個とはんぺんを長男がくれた攪拌調理器でかきまわして、ちょっと砂糖となにかしらを入れて、あとは焼くだけで、市販のものと変わらない、味はおそらくもっと美味しい伊達巻ができた、というもので、長男も食べてみてこれは美味しい、と大層気に入ったようでした。

エビフライと砂肝のから揚げ。砂肝は揚げるときたっぷり中にひそんでいる脂がものすごく飛び散るので、たくさんの切れ目をあらかじめ入れておくのだそうです。

イカ、セロリ、「やわらかキャベツ」のパクチー・ガーリック炒め

マカロニサラダ

五目豆の煮もの

豚の角煮とサトイモの煮物

カブラの味噌汁

コノワタとイカのシオカラ

戸田農園の古漬けのスグキ
(以上でした)
先日、「女子大での15年」を読み返していて、ふと、ほんとに15年もいたのかな、最後の非常勤での1年と、そのあとの完全ボランティアの時を入れても、そんなにならないんじゃないか、と思い始めて、わたしは記憶力が極端に弱いのと、数字が入るともっと混乱がひどくなるので、なにかがあったのがいつのことだったか、まるで分らなくなるのです。自分がいつ前の職場をやめたのかも、いつ正規の教授でなくて嘱託(だったっけ)教授になったのか、さいごに後任を選び損ねた学科長から、もう一年やってくれと言われてやった非常勤はいつのことだったか・・・それが何年かと言われるともう全然わからない。誰か学生さんと結びつけて、あの子のいた年、とか言われたらすぐわかるのですが、西暦何年だの平成何年だのと言われたら、何度考えても曖昧でよくわからない。
それで、こんなことは女子大勤務に限らず、自分の生きて来た人生の節目にあたることをほとんどいつのことだったかなんて全然覚えていないことにしばしば愕然とするので、もうあとがない今になって、ひとつそういうことを自分で書きだしてみて、よくそういうのを作る人があるけれども、自分史年表みたいなのを作っておけば、もう少しは頭の中で時間軸と自分の人生とが結びつけられるんじゃないか、と思って、きょうこれまでとっておいた過去の何十年かの手帳を取り出してみたところです。まだ作業めいたことは何もしていないけれど、まあこうして生きて来た時代を振り返ってみるのも、この齢になれば悪くはないでしょう。
他人が興味をもつようなことなど何もない平凡な人生でも、当人にとっては海あり山あり晴天あり嵐も雨天もありの、いろいろ喜びも悲しみもあった人生で、それ自体がかけがえのないもので、わたしの思想からはそんな平凡な人間の人生も、なにか世界中の人々に偉大な貢献をしたような人物の人生も実は人生としてはなにも上下なく、同じようにあらゆる価値の源泉なんだ、ということになるので、それはそれで振り返ってみる価値は(少なくとも今の自分には)あるのですね。やりたいことがあれこれあるので、脳神経外科へ診てもらいにいくような身ではたしてやりとげられるかどうかはわからないけれど(笑)
結果的には、間質性肺炎(肺線維症)の特徴である、肺の間質組織のいたるところに映像で見ると白い無数の斑点のような一種の傷跡ができて、間質細胞が繊維化してしまう病状は、思ったよりも進行していなかったので、その点ではホッとしました。ただ、左肺の下部におどろくほど大きな真っ黒な部分、主治医によれば袋状の空洞ができていて、一年前くらいにとった同じ部位のCT像と比べると、当時も小さな空洞ができてはいたけれど、全然比べ物にならないくらい巨大化しています。
これがどうしてでき、どうしてこうも肥大したのか、病状にどういう影響があるのか、あまりはっきりしないようで、その部分の間質組織が破壊されてこうなったのかもしれないし、あるいは袋状のものができたところへ空気がはいって膨らんだだけで、また小さくなく場合もあるので・・・ということで、悪化していると言えば、この袋状の空洞が大きくなったことが悪化ということになりますが・・・とだけ言われて、私もよくわからないままでした。治療しようにも治療できるようなものでもないし、とのことで、しばらくは様子見ということでしょう。袋状の空洞が一番大きくみえる切断面の映像では左肺の下分の膨らんだ部分が全部蔽われるほど真っ黒な穴のように見えました。
こんなことが起きるのも、そもそも肺の間質がボロボロになっていて、組織が融けたりくっついたり、変質・変形して元には戻らない状態であるためでしょう。繊維化であれ、蜂の巣状化であれ、ドロドロ状態であれ、こうした袋状空洞化であれ、いずれにせよ酸素交換機能を担う間質組織が少なくともその部分では不可逆てきな変質・変形を生じて、本来の機能を果たさなくなってしまっているわけで、これも特発性間質性肺炎の病状の進行にほかならないでしょう。それが何か月、あるいは1年、2年とかけて緩慢に進んでいることが、まだしもの救いで、急性増悪が起きればだいたい40日以内に100%死亡するというデータを載せた論文を見たこともありますが、私の場合、これまでのところ幸いにも急性増悪に遭遇することなく、緩慢な進行のおかげで、当初は平均余命3年と言われた病で、既に確定診断から5年目を生きているわけです。
今日は血液検査の結果も悪くて、とくに腎臓の指標値CRE(クレアチニン)の値が基準値0.65~1.07mg/dl のところ1.30と高く、こんなことは先の入院中に複合的な薬害でやはり1.30、ピーク時には1.40まで上がって、主治医も青ざめてステロイド以外のあらゆる薬剤の服用をストップする緊急事態になったとき以来で、腎臓の糸球体の濾過量を計測するeGFRという指標も基準値60.0以上のところが41.5、つまりわたしの腎臓は、健常者の4割ちょいくらいの働きしかできない状態だということです。下手をすると透析が必要になったりするので、ちょっと主治医も深刻な表情で、そちらのほうの部局と相談したほうがいいかな、というつぶやきも漏らしていらしたけれど、「しかし原因ははっきりしているから・・・」と。
というのは、その前に私が夜中にも起こる最近の激しい頭痛のことを話していて、処方してもらっているカロナールを立て続けに飲んでも効かず、その錠剤もほぼ尽きたので、やむなく先日同じ大学病院での抜歯の際に頓服としてもらっていたロキソニンを飲んだことを報告したのです。それで、これが腎臓の状態を悪くした原因だとの判断でした。ロキソニンがかなり激烈な作用をもつ薬剤で、腎臓に負荷をかけることはある程度知ってはいたのですが、3、4錠を注意書き通り1錠ずつ、4~6時間、間をおいて飲んだだけだし、大丈夫だろうと思っていたのですが、てきめんに腎臓にダメッジを与えたようです。やはりカロナールのほうが腎臓にはまだしもやさしいらしい。
それでも頭痛がおさまらずに頻発するのでは、まともに夜も眠れないし、昼間もなにもできないので、やはり重大な原因がないかどうか確認しておくほうがいい、ということで、同じ病院の脳神経外科を紹介するから、頭のCT像を撮ったうえで受診してください、と言われて、帰りに予約してかえりました。自分が脳神経外科という昔テレビでよく見ていた「ベン・ケーシー」が活躍していた高度な医療にかかることになるとは予想もしていませんでしたが、今度初めてその脳神経外科なる部局で診察を受けることになりました。
認知症とかアルツハイマーとかの今もよく分からない病の機序やその治療法の研究をしているような高度な医療現場へ、私のような、本人にとっては痛くて切実だとはいえ、たんなる偏頭痛かもしれないような頭痛がするからと言って診てもらいにいくのは、甚だ申し訳ないような気がしますが、実のところどんなに頻繁に頭痛が起きても、いったいどんな病院のどんな部局へ行けばいいのかさえ、わたしにはわからなくて戸惑っていました。頭痛には本当に様々な原因があるので、このお医者さんのところへいけばいい、と患者のほうで明確に判断ができません。ちょっとした風邪だとか発熱で生じる頭痛なら私にもわかるし、ふつうなら町の内科医で十分対処できるでしょうが、こうも頻繁に起きて、薬剤でもなかなかおさまらず、ほっておくとどんどん痛みがひどくなってしまう、しかも私の場合は痛み止めが腎臓、肝臓に障害を引き起こしかねない状態のようだし、ほかにステロイドや抗繊維化剤をはじめ10種近くの薬剤を服用しているから、それとの兼ね合いもあって、町の医師で簡単に痛み止めを出すというわけにもいかない状況です。
それで、脳神経外科という思ってもみなかったところで診てもらうことになったわけですが、まさかベン・ケーシーのように脳にメスを入れて悪性腫瘍をとりだす、なんてことにはならないと思うけれど(笑)、ちょっとゾクゾクしなくもありませんね。
今日の夕餉

ヨコワマグロの刺身。きょうは長男も一緒の夕餉なので、普段老夫婦だけのときは(私が刺身をそんなに好きではないので)ほぼ食べることのない刺身を、パートナーはむしろ積極的に一品に加えるようにしているらしい。

クモコ(鱈の白子)とほうれん草のポン酢かけ。きょうのメニューで一番美味しかったのはこれかな。コレステロールにはまたも非常に悪い食べ物なのでしょうが、そういうものほど美味しいから困ったものです。

パートナーが市販の伊達巻が800円もしたと言って正月にも買わなかった伊達巻を、ウェブサイトで見た作り方をまねて作ってみたら、いつも食べている美味しい玉子2個とはんぺんを長男がくれた攪拌調理器でかきまわして、ちょっと砂糖となにかしらを入れて、あとは焼くだけで、市販のものと変わらない、味はおそらくもっと美味しい伊達巻ができた、というもので、長男も食べてみてこれは美味しい、と大層気に入ったようでした。

エビフライと砂肝のから揚げ。砂肝は揚げるときたっぷり中にひそんでいる脂がものすごく飛び散るので、たくさんの切れ目をあらかじめ入れておくのだそうです。

イカ、セロリ、「やわらかキャベツ」のパクチー・ガーリック炒め

マカロニサラダ

五目豆の煮もの

豚の角煮とサトイモの煮物

カブラの味噌汁

コノワタとイカのシオカラ

戸田農園の古漬けのスグキ
(以上でした)
先日、「女子大での15年」を読み返していて、ふと、ほんとに15年もいたのかな、最後の非常勤での1年と、そのあとの完全ボランティアの時を入れても、そんなにならないんじゃないか、と思い始めて、わたしは記憶力が極端に弱いのと、数字が入るともっと混乱がひどくなるので、なにかがあったのがいつのことだったか、まるで分らなくなるのです。自分がいつ前の職場をやめたのかも、いつ正規の教授でなくて嘱託(だったっけ)教授になったのか、さいごに後任を選び損ねた学科長から、もう一年やってくれと言われてやった非常勤はいつのことだったか・・・それが何年かと言われるともう全然わからない。誰か学生さんと結びつけて、あの子のいた年、とか言われたらすぐわかるのですが、西暦何年だの平成何年だのと言われたら、何度考えても曖昧でよくわからない。
それで、こんなことは女子大勤務に限らず、自分の生きて来た人生の節目にあたることをほとんどいつのことだったかなんて全然覚えていないことにしばしば愕然とするので、もうあとがない今になって、ひとつそういうことを自分で書きだしてみて、よくそういうのを作る人があるけれども、自分史年表みたいなのを作っておけば、もう少しは頭の中で時間軸と自分の人生とが結びつけられるんじゃないか、と思って、きょうこれまでとっておいた過去の何十年かの手帳を取り出してみたところです。まだ作業めいたことは何もしていないけれど、まあこうして生きて来た時代を振り返ってみるのも、この齢になれば悪くはないでしょう。
他人が興味をもつようなことなど何もない平凡な人生でも、当人にとっては海あり山あり晴天あり嵐も雨天もありの、いろいろ喜びも悲しみもあった人生で、それ自体がかけがえのないもので、わたしの思想からはそんな平凡な人間の人生も、なにか世界中の人々に偉大な貢献をしたような人物の人生も実は人生としてはなにも上下なく、同じようにあらゆる価値の源泉なんだ、ということになるので、それはそれで振り返ってみる価値は(少なくとも今の自分には)あるのですね。やりたいことがあれこれあるので、脳神経外科へ診てもらいにいくような身ではたしてやりとげられるかどうかはわからないけれど(笑)
saysei at 22:03│Comments(0)│