2025年01月15日
女子大での15年を振り返る
昨日書いたように、「女子大での15年」をいまのホームページに目次を入れて、このブログの兄弟ブログをリンク先にしてつなぐ作業をするついでに、昨日と今日、ほとんど全部二度読み返すことになりました。やっぱり生涯で一番楽しい時期でしたから(笑)、ひとつひとつの場面やそこに登場する当時の学生さんの表情を思い返すだけでも、ひとりでに笑みが湧いてきてハッピーでした。
つとめの最後の最後になったライブラリー・カフェを起業教育の実践的なフィールドにする企画は、もう数年早く立ち上げていたら、大学にとっても時宜を得た事業になっただろうな、と思いますが、こちらはもう事実上退職していて、大学の幹部はアイディアには興味を示したけれど、金を出して人をはりつけて、という実践的な意志は毛頭なくて、文科省の補助金目当ての企画の柱の一つに入れようというふうなケチなことしか考えていなかったので、こちらから願い下げにしてしまいましたが、ゼミ生の起業研究に端を発したこのアイディアは、ほんとうは大きく花開く可能性をもったものだったと今でも思います。
私が大学づとめでイベントとして一番楽しかったのは、海外研修の企画から引率まで全部任されたときで、従来の同僚たちのように旅行会社に任せてしまわずに、全部自分で考えて企画し、旅行代理店の手足を使いながらたちまわり先の厳選はむろんのこと、旅行先のホテルや向こうで食べる食事の中身まで条件をつけて確認しながら徹底して自分の企画の趣旨を貫いて、結果的にはそれが成功をおさめ、一緒に行った学生さんたちにも喜んでもらえた体験は何物にも代えがたいものでした。
ゼミでは最初に出会った10人の学生さんと仲良くなれたことが、その後の私を支えてきたようなところがあって、その学年のゼミ生とは、彼女たちがもう2人も3人もお子さんを生んでたくましいお母さんになってからも毎年のように集まり、つい先ごろまでLINEでやりとりしたり、私にとってゼミのαでありωであるような人たちになりました。
その後ゼミで冊子を作るようになるのは、私が大学へ来た翌年大学へ入って来た学年が3年生になったときに、神戸のカフェを取材してつくった「カフェブック」が最初でした。この制作は初体験だったので、ほんとにできるんだろうか、と心配になる場面もありましたが、献身的に手伝ってくださった情報誌のベテラン編集者やデザイン事務所の女性たちの大いなる助けもあって難産の末に無事出版できました。
これが大変好評を博して、その後の私のゼミのトレードマークのようになって、すっかり冊子づくりのゼミになってしまいました。
その中でも今の女子大生の人生さがしのロールモデルとなるような世の中で活躍するOGたちへのインタビュー構成でつくられた冊子や起業をテーマにした冊子には、学生さんたちのテーマ選びの着眼・発想のすばらしさを感じ、外部で評価も直接伝えられるなど、大きな手ごたえを感じました。
また在学生や入学希望者向けの大学案内の冊子ではゼミ生たちのデザイン感覚の素晴らしさを実感させられました。私自身もべつだん雑誌の企画や編集を仕事にしてきた人間ではないので、むしろ学生さんたちのこうした多彩な発想や美意識に教えられるところが多かったのです。
クラス担任も3回くらい委ねられましたが、なんといっても着任した翌年はじめて受け持たされた最初のクラスの学生さんたちとのその後4年間におよぶ付き合いが、それまでまるで接したことのない女子大生をいくらかでも親しく知ることになるわたしのささやかな経験のほとんどを占めることになりました。
ふつうは3回生でゼミに入ると、ゼミ担当との関係が主になって、新入生を学業、生活面で支え助ける役割のクラス担任の役割はもう終わって、縁が薄くなるのが普通ですが、この時のクラスは彼女らが卒業するまで、ゼミ担当と変わらないくらい密な関係が続いたと思います。そういう学生さんたちのクラスを受け持てたことは本当にラッキーだったし、女子大の右も左もわからなかった私にとっては本当にありがたいことでした。その中の7人ほどは、ついさきごろまで時々集まって食事をしたりするようなお付き合いをしてくれました。
このほか、個別には歳月を経てもずっとつきあってくれて、私がいまのような病身になって思うように出歩けなくなる前までは、一緒にどこかへ行ったり、食事をしたり、という親しいおつきあいを続けてくれた人、定期的に近況を知らせてくれる人、音頭を取ってくれる人がいて、あるとき突然ゼミのみんなの近況報告と写真をミニアルバムに編集して送ってくれる人がいたり、女子大教員冥利に尽きるような経験を繰り返してきたのは、ほんとうに幸せなことでした。
まあそんなことをひとつひとつ思い起こしながら自分の書いた回顧を読み返していたのでした。きょうはほとんどそれで一日が暮れました(笑)
あそうそう、朝のうちは先日抜歯してもらった大学病院へ、その後の傷の点検確認をしてもらいに行き、「綺麗ですね!」と言われて、これで大学病院のほうは終了。あとはかかりつけの歯医者さんの判断で、新しい入歯をいつ入れるか、相談してつくってもらうだけということになりました。これでテラスにつづいて、もうひとつのわたしの懸案に解決のめどがつきました。いままでグラグラの歯の根っこが痛んで、食べ物がそちらの側の歯では噛めなかったのです。
待合室できょうはヒポクラテスの医学論集(岩波文庫)を読んでいました。やっぱり彼はいいですね。前にも読んで感心したことがあるけれど、またこの新訳で全部じっくり読んで医療について考えてみたいと思います。医学についてはまだ、ヒポクラテスとフーコーしか読んでいませんが(笑)
きょうの夕餉

きょうのメインは豚の出汁しゃぶ

追加の具

同上

鯵のひらき
野菜豆

スグキとキムチ
(以上でした)
ほうれん草が一束300円もするとか、キャベツは500円以上するとか、細いネギが290円もするとか、もう野菜が買えないほど高騰しているそうで、わが家はもっぱら上賀茂の自動販売機でゲットしてきた白菜や大きなネギや新ジャガだのみのようです。菜っぱ類が異常に高騰するなか、白菜とネギが大助かりに助かっている、と感謝されています。そのうちみんな野菜を食べなくなってしまうのではないでしょうか。気候変動のせいかもしれないけれど、政府の行き当たりばったりの農業政策のせいでもあるに違いないという気がします。大手の途中の流通を排除して、地域の農家と消費者を直結させるルートをたくさん、多様に作り出す必要があるでしょう。大抵の野菜は地産地消を徹底して実現できるはずだし、何も季節外れのものを食べなくていいので、旬の本当にそのものの味がする地域でとれる野菜だけを安い値段で安定的に届けてほしいものです。
つとめの最後の最後になったライブラリー・カフェを起業教育の実践的なフィールドにする企画は、もう数年早く立ち上げていたら、大学にとっても時宜を得た事業になっただろうな、と思いますが、こちらはもう事実上退職していて、大学の幹部はアイディアには興味を示したけれど、金を出して人をはりつけて、という実践的な意志は毛頭なくて、文科省の補助金目当ての企画の柱の一つに入れようというふうなケチなことしか考えていなかったので、こちらから願い下げにしてしまいましたが、ゼミ生の起業研究に端を発したこのアイディアは、ほんとうは大きく花開く可能性をもったものだったと今でも思います。
私が大学づとめでイベントとして一番楽しかったのは、海外研修の企画から引率まで全部任されたときで、従来の同僚たちのように旅行会社に任せてしまわずに、全部自分で考えて企画し、旅行代理店の手足を使いながらたちまわり先の厳選はむろんのこと、旅行先のホテルや向こうで食べる食事の中身まで条件をつけて確認しながら徹底して自分の企画の趣旨を貫いて、結果的にはそれが成功をおさめ、一緒に行った学生さんたちにも喜んでもらえた体験は何物にも代えがたいものでした。
ゼミでは最初に出会った10人の学生さんと仲良くなれたことが、その後の私を支えてきたようなところがあって、その学年のゼミ生とは、彼女たちがもう2人も3人もお子さんを生んでたくましいお母さんになってからも毎年のように集まり、つい先ごろまでLINEでやりとりしたり、私にとってゼミのαでありωであるような人たちになりました。
その後ゼミで冊子を作るようになるのは、私が大学へ来た翌年大学へ入って来た学年が3年生になったときに、神戸のカフェを取材してつくった「カフェブック」が最初でした。この制作は初体験だったので、ほんとにできるんだろうか、と心配になる場面もありましたが、献身的に手伝ってくださった情報誌のベテラン編集者やデザイン事務所の女性たちの大いなる助けもあって難産の末に無事出版できました。
これが大変好評を博して、その後の私のゼミのトレードマークのようになって、すっかり冊子づくりのゼミになってしまいました。
その中でも今の女子大生の人生さがしのロールモデルとなるような世の中で活躍するOGたちへのインタビュー構成でつくられた冊子や起業をテーマにした冊子には、学生さんたちのテーマ選びの着眼・発想のすばらしさを感じ、外部で評価も直接伝えられるなど、大きな手ごたえを感じました。
また在学生や入学希望者向けの大学案内の冊子ではゼミ生たちのデザイン感覚の素晴らしさを実感させられました。私自身もべつだん雑誌の企画や編集を仕事にしてきた人間ではないので、むしろ学生さんたちのこうした多彩な発想や美意識に教えられるところが多かったのです。
クラス担任も3回くらい委ねられましたが、なんといっても着任した翌年はじめて受け持たされた最初のクラスの学生さんたちとのその後4年間におよぶ付き合いが、それまでまるで接したことのない女子大生をいくらかでも親しく知ることになるわたしのささやかな経験のほとんどを占めることになりました。
ふつうは3回生でゼミに入ると、ゼミ担当との関係が主になって、新入生を学業、生活面で支え助ける役割のクラス担任の役割はもう終わって、縁が薄くなるのが普通ですが、この時のクラスは彼女らが卒業するまで、ゼミ担当と変わらないくらい密な関係が続いたと思います。そういう学生さんたちのクラスを受け持てたことは本当にラッキーだったし、女子大の右も左もわからなかった私にとっては本当にありがたいことでした。その中の7人ほどは、ついさきごろまで時々集まって食事をしたりするようなお付き合いをしてくれました。
このほか、個別には歳月を経てもずっとつきあってくれて、私がいまのような病身になって思うように出歩けなくなる前までは、一緒にどこかへ行ったり、食事をしたり、という親しいおつきあいを続けてくれた人、定期的に近況を知らせてくれる人、音頭を取ってくれる人がいて、あるとき突然ゼミのみんなの近況報告と写真をミニアルバムに編集して送ってくれる人がいたり、女子大教員冥利に尽きるような経験を繰り返してきたのは、ほんとうに幸せなことでした。
まあそんなことをひとつひとつ思い起こしながら自分の書いた回顧を読み返していたのでした。きょうはほとんどそれで一日が暮れました(笑)
あそうそう、朝のうちは先日抜歯してもらった大学病院へ、その後の傷の点検確認をしてもらいに行き、「綺麗ですね!」と言われて、これで大学病院のほうは終了。あとはかかりつけの歯医者さんの判断で、新しい入歯をいつ入れるか、相談してつくってもらうだけということになりました。これでテラスにつづいて、もうひとつのわたしの懸案に解決のめどがつきました。いままでグラグラの歯の根っこが痛んで、食べ物がそちらの側の歯では噛めなかったのです。
待合室できょうはヒポクラテスの医学論集(岩波文庫)を読んでいました。やっぱり彼はいいですね。前にも読んで感心したことがあるけれど、またこの新訳で全部じっくり読んで医療について考えてみたいと思います。医学についてはまだ、ヒポクラテスとフーコーしか読んでいませんが(笑)
きょうの夕餉

きょうのメインは豚の出汁しゃぶ

追加の具

同上

鯵のひらき

野菜豆

スグキとキムチ
(以上でした)
ほうれん草が一束300円もするとか、キャベツは500円以上するとか、細いネギが290円もするとか、もう野菜が買えないほど高騰しているそうで、わが家はもっぱら上賀茂の自動販売機でゲットしてきた白菜や大きなネギや新ジャガだのみのようです。菜っぱ類が異常に高騰するなか、白菜とネギが大助かりに助かっている、と感謝されています。そのうちみんな野菜を食べなくなってしまうのではないでしょうか。気候変動のせいかもしれないけれど、政府の行き当たりばったりの農業政策のせいでもあるに違いないという気がします。大手の途中の流通を排除して、地域の農家と消費者を直結させるルートをたくさん、多様に作り出す必要があるでしょう。大抵の野菜は地産地消を徹底して実現できるはずだし、何も季節外れのものを食べなくていいので、旬の本当にそのものの味がする地域でとれる野菜だけを安い値段で安定的に届けてほしいものです。
saysei at 21:54│Comments(0)│