2024年11月08日
大原の古知谷(阿弥陀寺)と聖護院門跡~京都めぐりmixiにアップ
今日はスマホのお天気ページによれば、京都市の天気は「くもり」、気温は私がそのページを見た午前8時40分で10℃、一日の最低~最高気温が6℃~17℃ということでした。きょうは近間の買い物とちょっと用があって区役所へ電動アシスト自転車で行っただけですが、長袖下着、普段着のワイシャツ、薄手のカーディガンだけでは不安で、その上に薄いけれどジャケットを着て行きましたが、それでちょうどいいくらいでした。
寒さのせいか夜中に3度目が覚めてトイレへ行ったり、右手指の第一、第二関節が膨れて痛む、遺伝性のヘパーデン症候群らしい症状がほぼ一年ぶりくらいに現れています。おまけに自分では気づかないうちに両腕の前腕の皮膚が何かの衝撃を受けたらしくてずるりと赤むけになって、薬を塗っておいたのですが翌日ガーゼをとると膿がついていて、仕方ないので昨日また皮膚科でみてもらって、新しい塗り薬をもらってきました。ステロイド療法をやっているために、皮膚がひどく薄くなって、すぐに傷つく上に、一度傷ができると、ステロイドが免疫機能を抑制してしまうために、ちょっとしたかすり傷でもなかなか治らないのです。
きょうは先日思い出してふたつアップロードしたmixiの「京都めぐり」に、また二つ、「大原の古知谷(阿弥陀寺)」と「聖護院門跡」をアップロードしました。
大原の古知谷・阿弥陀寺は、観光客が押し寄せる大原三千院など、みどころのお寺や庭園が集積するあたりからさらに奥(北)へゆるやかな山間の流れに沿った道を行ったところに「古知谷」という大きな標識があってそこから左手の比較的急な山道を登って行ったところにある山寺で、観光ルートには入っていないでしょうから、私が行ったときも訪れる人はほとんどなかったようです。
しかし、なかなか見ごたえのあるお寺で、とりわけ衝撃を受けたのは、この寺で地中の一室に自らを閉じ込めて断食して自死したお坊さんがいて、それをまさにその場所に祭った祭壇があったことです。まだ生きているうちから食事を断って、毎日松の実だけを食べて地下に掘った穴みたいなところに自らを閉じ込めてひたすら読経三昧で、やがて衰弱して死んでいくのですが、けっこう長くかかるみたいですから、すっぱり首をくくったり自刃などして果てるより、よほど苦しいのではないでしょうか。寺の展示や説明がしてある明るい一室の奥に真っ暗なその地下の死に場所のあるところが隣り合っていて、そこに祭壇を設けて祀ってあるのですが、なんとも言えず不気味でした。たしか大学のOGと大原へ行ったときにここまでは行く時間が無かったと思うのですが、話をしてあげたら、さすがに怖気を振るって、時間があっても行きたくはなさそうでしたね(笑)。
ああしてひたすら経を唱えながら苦しい死に方をすることで浄土へ行けると信じたのでしょうか。浄土へ行く前に生き地獄を味わわなければならないようです。
もうひとつの聖護院門跡は門跡という言葉がつくのでわかるとおり、格式の高いお寺で、たぶん皇室関係の女性にゆかりの深いお寺だったでしょう。もう忘れてしまいましたが、写真など見ていると、私が好みの建物(部屋)があったり、立派な襖絵が有ったり、素敵な庭があったり、とてもみごたえのあるお寺だったことを思い出しました。青蓮院門跡とか曼殊院門跡とか岩倉実相院門跡とか、いずれもさすがに一般のお寺とはちょっと構えからして違うというのか、建築も庭園も素晴らしいですね。ひとつひとつの部屋のしつらえも瀟洒で、釘隠し一つとっても、今見てもお洒落なデザインだし、柱や天井や廊下の木材も節のない最高品質のものを選んで用いたのだなぁと思わせられるようなものばかり。
私は恣意的に思いついたところへ、全然相互に無関係に訪れただけですが、元気な間に、門跡と名のつくお寺ばかり立て続けに訪れて、比較してみるようなこともしておけばよかったな、と思います。若い人はどうせ京都へ遊びにきて、どこか見ておこうか、と思うなら、ありきたりの観光ルートをまわるよりも、そうやって自分でテーマを考えてある種の系列をつくっておくと、のちのちまで記憶して、そうした古都観光のベースができるんじゃないかなぁ、と思ったりします。
➡大原の古知谷(阿弥陀寺)
➡聖護院門跡
➡「京都めぐり」目次
➡ Sayseiのホームページ
きょうの夕餉
ニンニク、生ハム入りジェノベーゼ
肉団子のボルシチ風スープ
キュウリ・リンゴ・くるみ・ゆで卵のサラダ
グリーンサラダ
(以上でした)
寒さのせいか夜中に3度目が覚めてトイレへ行ったり、右手指の第一、第二関節が膨れて痛む、遺伝性のヘパーデン症候群らしい症状がほぼ一年ぶりくらいに現れています。おまけに自分では気づかないうちに両腕の前腕の皮膚が何かの衝撃を受けたらしくてずるりと赤むけになって、薬を塗っておいたのですが翌日ガーゼをとると膿がついていて、仕方ないので昨日また皮膚科でみてもらって、新しい塗り薬をもらってきました。ステロイド療法をやっているために、皮膚がひどく薄くなって、すぐに傷つく上に、一度傷ができると、ステロイドが免疫機能を抑制してしまうために、ちょっとしたかすり傷でもなかなか治らないのです。
きょうは先日思い出してふたつアップロードしたmixiの「京都めぐり」に、また二つ、「大原の古知谷(阿弥陀寺)」と「聖護院門跡」をアップロードしました。
大原の古知谷・阿弥陀寺は、観光客が押し寄せる大原三千院など、みどころのお寺や庭園が集積するあたりからさらに奥(北)へゆるやかな山間の流れに沿った道を行ったところに「古知谷」という大きな標識があってそこから左手の比較的急な山道を登って行ったところにある山寺で、観光ルートには入っていないでしょうから、私が行ったときも訪れる人はほとんどなかったようです。
しかし、なかなか見ごたえのあるお寺で、とりわけ衝撃を受けたのは、この寺で地中の一室に自らを閉じ込めて断食して自死したお坊さんがいて、それをまさにその場所に祭った祭壇があったことです。まだ生きているうちから食事を断って、毎日松の実だけを食べて地下に掘った穴みたいなところに自らを閉じ込めてひたすら読経三昧で、やがて衰弱して死んでいくのですが、けっこう長くかかるみたいですから、すっぱり首をくくったり自刃などして果てるより、よほど苦しいのではないでしょうか。寺の展示や説明がしてある明るい一室の奥に真っ暗なその地下の死に場所のあるところが隣り合っていて、そこに祭壇を設けて祀ってあるのですが、なんとも言えず不気味でした。たしか大学のOGと大原へ行ったときにここまでは行く時間が無かったと思うのですが、話をしてあげたら、さすがに怖気を振るって、時間があっても行きたくはなさそうでしたね(笑)。
ああしてひたすら経を唱えながら苦しい死に方をすることで浄土へ行けると信じたのでしょうか。浄土へ行く前に生き地獄を味わわなければならないようです。
もうひとつの聖護院門跡は門跡という言葉がつくのでわかるとおり、格式の高いお寺で、たぶん皇室関係の女性にゆかりの深いお寺だったでしょう。もう忘れてしまいましたが、写真など見ていると、私が好みの建物(部屋)があったり、立派な襖絵が有ったり、素敵な庭があったり、とてもみごたえのあるお寺だったことを思い出しました。青蓮院門跡とか曼殊院門跡とか岩倉実相院門跡とか、いずれもさすがに一般のお寺とはちょっと構えからして違うというのか、建築も庭園も素晴らしいですね。ひとつひとつの部屋のしつらえも瀟洒で、釘隠し一つとっても、今見てもお洒落なデザインだし、柱や天井や廊下の木材も節のない最高品質のものを選んで用いたのだなぁと思わせられるようなものばかり。
私は恣意的に思いついたところへ、全然相互に無関係に訪れただけですが、元気な間に、門跡と名のつくお寺ばかり立て続けに訪れて、比較してみるようなこともしておけばよかったな、と思います。若い人はどうせ京都へ遊びにきて、どこか見ておこうか、と思うなら、ありきたりの観光ルートをまわるよりも、そうやって自分でテーマを考えてある種の系列をつくっておくと、のちのちまで記憶して、そうした古都観光のベースができるんじゃないかなぁ、と思ったりします。
➡大原の古知谷(阿弥陀寺)
➡聖護院門跡
➡「京都めぐり」目次
➡ Sayseiのホームページ
きょうの夕餉
ニンニク、生ハム入りジェノベーゼ
肉団子のボルシチ風スープ
キュウリ・リンゴ・くるみ・ゆで卵のサラダ
グリーンサラダ
(以上でした)
saysei at 19:13│Comments(0)│