2024年11月07日

亥の子

 
亥の子餅

 きょうは「亥の子」の日だとかで、生協に「亥の子餅」を売っていた、とパートナーが、こんなあんころ餅を買ってきました。「亥の日」、つまりイノシシだから、イノシシの子、いわゆる「ウリボウ」と言われる、それこそ瓜のような形をしてコロコロ走るあのたくさんの子たちをかたどったお餅ですね。正体はなんでもない平凡なあんころ餅ですが(笑)、片面をちょっとおさえてへこまして、なんか筋をつけただけで「ウリボウ」の顔をあらわしているんでしょうかね。

 私が広島に住んでいた頃は、毎年このころだったでしょうか、家の前の路地へお祭り装束の子供たちが歌いながら、中心に藁で包まれた小さな臼みたいなものから八方にのびる縄の端を持ってやってきて、家々の角で、その縄を一斉に振り上げて、縄の集まる中心の藁で巻いた臼みたいな木のおもりを跳ね上げて、それを勢いよく地面に叩きつけて、餅を搗くように地面を搗く所作をしてまわる行事がおこなわれていました。

そのとき子供たちが歌うのは「亥の子 亥の子 亥の子餅搗いて 繁昌せぇ! 繁昌せぇ!」という歌でした。

どういう祭りなのか、なぜ亥の子というのか、亥の子餅と言うのが何なのか、なにも知らないまま毎年その行事に出会っていたわけですが、京都へ来てからは、そんな行事に遭遇したこともなかったので、すっかり忘れていました。

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亥の子(いのこ)とは、旧暦の10月(亥の月)の最初の亥の日に、新穀で作った餅(亥の子餅)を食べて無病息災や子孫繁栄を祈願する行事です。主に西日本で古くから受け継がれており、収穫の祝いと神に感謝する行事でもあります。
亥の子の由来は、古代中国の宮廷儀式「亥子祝(いのこいわい)」にさかのぼると言われています。中国の陰陽五行説では「亥」は水性にあたることから、火災を逃れるという考えも生まれ、囲炉裏やこたつを開く風習も生まれました。
亥の子餅は、イノシシの子(ウリ坊)をかたどったお餅で、大豆・小豆・大角豆(ささげ)・ごま・栗・柿・糖(あめ)の7種類の粉を入れて作られます。亥の子餅を販売している和菓子店や地域によって、その作り方やデザインはさまざまです。
亥の子の日(亥の日)は毎年変わり、2023年は11月1日でした


 手近にあった柳田國男の『年中行事覚書』(講談社学術文庫)をみると「亥の子のこと」という一文があり、最初のページに次のような説明がありました。

  ここでもまた変化しているか知らぬが、四十年前には確かに次のようであった。津の国で今イノコというものを、我々はイノコモチと呼んでいた。あるいはワラデッポウなどという者もあったのは、それを以て大地を打つ音が、ぽんぽんと冴えて響くからであった。縄で出来るだけ堅く藁を巻き、重みを付けるために何か余分のものを入れて、末の方がかなり太くなっていた。それを右の手でまわして、からさおの如くにして土を打つのである。五人十人が調子を揃えて打つと、子供には少なくとも面白いものであった。歌はこれに合わせて歌うので、イノコ餅くれんこ云々というのが最も普通であった。それでこの藁の棒をもそう呼ぶことになったものと思う。
 別に新嫁の前に限らず、辻々を突きあるきまた人家の前の広場を利用した。雛とか七夕とかに物を貰いにあるくことを、何とも思わぬ子供たちであったが、亥の子には別に餅などをねだらなかった。ただ歌の文句には、
    亥の子餅くれんこ、くれん屋のかかは、鬼うめ蛇生め、角の生えた子を産め
などともいったから、元は必ず餅を貰っていたのである。月夜の情景を連想するから、旧暦十月も一の亥より第二の亥の日の方を用いるのが例であったろう。(以下略)


 また、柳田國男が監修した財團法人民俗學研究所編著『民俗學辭典』(昭和26年)には、「亥の子」の項に次のような説明がある。

  舊暦十月の亥の日におこなわれる農村の行事。殊に関西にさかんで、一つの節供として扱われているところもあり、壹岐島には亥子節供の名もあるが、亥の日祭・亥の神祭と呼ぶところも近畿地方にある。亥子の語はすでに下學集をはじめ中古以来の記録にも出ているが、由来は明らかでない。元来、漢語で下元と呼ばれる十月の望(もち)の日の休み日であったものが、一年を十二支に當てると寅から數えて亥の月に當るところから、その中の亥の日を以て祭の日としたものかといわれている。もとは種々の行事もあったらしいが、今では亥子餅・亥の日餅などといって新穀の餅をつくことと、子供達が藁束や石で地面を打って廻るところの、亥子突き・石亥子などと呼ばれる遊びとが主におこなわれている。亥子の語は主に関西方面で使われ、中部以東では十月亥の日は普通の日にすぎないのだが、十月十日の夜をトヲカンヤと名づけて、やはり村の子供が藁の束ねたもので地面を突いて廻る行事があって、ボウヂボウウチとかムジナバタキなどとも呼んでいる。…(中略)・・・亥神様はすなわち亥子に祭られる田の神の意である。事実、舊暦二月の初の亥の日を春亥子と稱して田の神を祭るところが兵庫縣や島根縣の一部にあって、春の亥子に田に降りた神が十月亥の日に仕事を終って帰るという傳承も残っているが、田の神が春には降り、秋の仕事が終るとともに山にかえるという農神去来の思想を見出し、且つそれを體系づけつつあるのは日本民俗學の一つの業績であって、今は子供の遊びのように思われている亥子の行事も古来の信仰に根ざしていることを説明し得るのである。(p37-38)

亥の子まつり
 同書に掲載してある「亥の子搗き」の図。長崎縣五島若松島のものだそうです。


きょうの夕餉

★水炊き
 豚肉と鶏のツクネの水炊き
 寒くなったので、そろそろ鍋がうまいかも、と鍋にしてもらった今日は、偶然にも「鍋の日」なのだそうです(笑)
 気温が低くなったせいか、遺伝なのですが、右手指の関節が痛み始めました。ヘパーデン症候群とかいうらしく、母の血筋の遺伝で、母方の親戚が集まった時、みんな手指の節が異常に腫れたようにごっつくなって同じ症状を呈していたので思わず笑ってしまいました。

★もろQ 
 きょう上賀茂の自動販売機で買ってきたきゅうりにお味噌をつけて とても美味しい

★煮物盛り合わせ
 箸休めにのこりものの、煮物盛り合わせ

(以上でした)

 きょうは府立大図書館へ本を返却にいき、かわりに平安時代の歌學書が載った本を3冊借りてきました。




saysei at 22:13│Comments(0)

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