2024年10月10日
おでん
今日の夕餉はおでんす。昼間はまだ暑さも残るけれど、朝夕はだいぶ過ごしやすくなりました。ぼつぼつおでんもいいようです。
きんだらの味噌漬け
小松菜のおひたし
のこりもの
(以上でした)
今日は夕方、パートナーのお友達3人がわが家でお茶しながら歓談。コロナ以前は月に一度は比較的近いどこかのお店で会食していた4人でしたが、コロナで中断。一人が交通事故で乗っていた自転車の一部が内臓に激しい打撃を与えて膵管を除去して人工的な管に替える大変な手術を受けるということがあり、手術は成功してひとまずは回復したものの、やはり事故前とはいろいろな点で異なり、総じていえば元気をなくしているので、なんとか元気をとりもどしてほしい、という願いをこめて前に一度、そしてきょうが再開して二度目の集いでした。
子供たちがサッカーをしていたころの応援団兼お手伝いチームみたいなことをしていたころから最も親しかった仲間。よくまあ三十数年間にもなるでしょうか、仲の良いおつきあいが続いてきたものだと思います。こうして時々集まって忌憚のない言葉をかわしていれば刺激にもなるし、元気をとりもどすよすがともなるでしょう。私は距離をおいてかたわらで眺めているだけの立場ですが、女性どうしのお友達というのもいいものだな、と思います。
それぞれいろんなことを経ながら子育てを終えて、いまは歳はとったけれどまた伴侶と二人の生活に戻って働いたり、家事をしたりしながら、いろいろあってもまずは平穏無事な日々を過ごしている中で、こうしてなんの遠慮もなく言葉をかわし、冗談を言い合い、互いの情報を交換しあったり刺激しあいながら楽しい時間を過ごしているわけですね。
パートナーも膝の半月板損傷で歩くのが難儀なので、わが家へ来てもらって、パートナーが昨日ご紹介したようなケーキを焼き、私がおいしいコーヒーを淹れてさしあげ、友恵堂さんの季節の和菓子も添えてお迎えしました。
私の肺が感染症に弱い状態なので、もう5,6年も来客は基本的に迎えず、こちらから出向いて友人、知人に会いに行くこともなく、もちろん人の集まるような場所や会合には一切出向かず、外食は一度もしていないし、バス、電車にも一度も乗っていないので、きょうのようなことはお友達のこともあって特例ということになりました。ただ、私はコーヒーを淹れただけで、もちろん話の輪には加わらず、すぐに2階へあがってしまったので、帰りも玄関先でのお見送りもせずに失礼させてもらいました。
こうしてひとからみれば過剰なくらいきっちりと感染防止の注意を払ってきたおかげで、この5,6年間、風邪一つひかずに過ごしてきました。それまでの私は極度に風邪をもらいやすいタイプで(たぶんもともと免疫力が乏しいのでしょう)、年に最低数回は風邪を引き、とりわけそのうち一度は必ず気管支あるいは肺の入り口までやられて、喘息のような状態になって1週間は寝込む、というのが通例でした。それを思えば、ばったりと一度も風邪をひかなくなった、というのは奇跡みたいなものですが、やはり風邪というのは手や口についたウィルスから感染するので、手洗いとうがい、消毒を徹底することと、人と対面でしゃべるような接し方をしないこと、とくに複数の人がいる所へ行かないこと、というルールを厳格に守ることによって、感染をほぼ確実に防止することができる、ということが分かります。
これでも上賀茂の自動野菜販売機へいって、そのボックスにさわったり、野菜に触れたり、コインに触ったりするし、家族(パートナと週一度一時間足らずの長男くらいですが)とは対面や隣の席で食事をしたり言葉を交わしたりもするし、近くの書店や他の店には買い物にもしばしば出かけます。それでも上のような注意を厳格に守っていれば、なんとか感染せずには済むようです。
一度でもルーズなことをして感染してしまえば、どんな悲惨な状況に陥るかは身に染みて分かっているので、ひとからどうみえようと、できるだけのことはしよう、と思っているし、家族も協力してくれています。私が余命平均3年とか言われた病で、すでに最大限の余命とかいわれた5年を生き延びてくることができたのも、そのおかげでしょう。
きょうは天気も悪くないし、そう暑くもなかったので、電動アシスト自転車で上賀茂へ行き、何も買えなかったけれど、途中で府立大図書館へ寄って、「文徳実録」、「公卿補任」(第一篇)、「日本紀略」(上巻)の3冊を借りてきました。「文徳実録」はウェブサイトに京都女子大学の研究者たちが共同で現代語訳等を順次出してくれていますが、まだ第二巻の途中くらいまでのようなので、第十巻までいくのはなかなか大変だな(笑)というわけで、漢文だけれど仕方がないから全部活字になっている本を借りてきてコピーしておくことにしました。ときにある部分の記述が引用されていたりして、原文をその前後も含めて確認したくなることがよくあるからです。いずれにせよ六国史はひととおり読みたいな、と思っていたのですが、「続日本後記」あたりまでは文庫で現代語訳が出ているので問題ないけれど、「文徳実録」、「三代実録」、までくるとそんな素人に便利な現代語訳がないらしいのですね。
私のような素人からみると、これはとても変なことに思えます。古代の律令国家のころのだとはいえ、国が正史として編纂した一国の各時代のオーソライズされた公式の歴史書が、後の世のわたしたち庶民に手軽に読める形になっていない、というのは非常におかしなことじゃないか、という気がしますがどうでしょうか?
別段私は天皇史観の持ち主ではないので、万世一系の天皇を軸にした歴史書を信奉しようなんて思っているわけでは全くありませんが、批判的にみようが肯定的にみようが、その時代に正史として編纂されたこの国のその時代の公式の史書がだれにでも手軽に読めない、という事態は異様に思えます。これも敗戦の折の180度の価値転換による、戦前の歴史一切の否定といった風潮が尾をひいてきたせいでしょうか。
それを考えると、この前から何度も参照している道長の「御堂関白記」や実資の「小右記」あるいは行成の「権記」のような公卿の私的な日記(公的な記録の意味合いを自覚していた面もあったのではないかとは思いますが)がすべて文庫の現代語訳で手軽に読めることや、「日本書記」から「続日本後記」までの正史が全部同様に文庫の現代語訳で読めることは、とてもありがたいと思います。
別に歴史の研究をしようとか、専門家のまねごとをしようなんて気はまったくないので、私の場合はただ楽しみに知らなかったことを知るのが楽しくて、こうした本を拾い読むだけのことですが、小学校の上級学年から中学生、高校生くらいの時期に、こういう自分の国の歴史を、実際にその時代に編纂された正史で触れる、ということの意味はとても大きいのではないかという気がします。
保守的な政治家などが復古的な史観に属するような本音を漏らしたりすることがよくありますが、本当にそんなことを考えているなら、中学生や高校生に六国史の現代語訳を全部読ませろ、と主張すればいいと思うのですが(笑)、そんなことを主張する人を知りません。私は右翼でも保守政治思想の持ち主でもないけれど、今の若い人が六国史を現代語訳で楽しんで読み、頭の中にそれぞれの時代の考え方で書かれた自分の国の歴史を概観できるような素材を入れたうえで、今の現実の世の中に向き合うことができれば、ずっとタイムスパンの長い、広い視野で、深くものごとを考えることができるようになるのではないか、と思います。
ところで、きょうマーケットプレイスに注文していた本が一冊届いたのですが、これがヘーゲルの「大論理学」の中巻です。その翻訳は、上巻の一、二、中巻、下巻と4冊出ていたのですが、私は中巻きだけ抜けたあとの3冊を持っていました。それでいつか中巻もそろえてから読みたいと思っていたのですが、忘れたころにアマゾンをみていて、これが700円ちょっとで「良い」状態の本として出ているのに気づいて、さっそく注文したのです。1960年初版で、1994年の購入本の版が定価4,500ですから、非常に安く売られていたわけです。もうこんなしちめんどくさい本を読もうなんて人が少なくなってしまったのかもしれませんね。
私が学生のころは、まだ左翼的な雰囲気が大学にも色濃く残っていましたから、文系だろうと理系だろうとまともな学生はみんな多かれ少なかれマルクスの主だった著作くらいは読んでいたでしょうし、マルクスを理解したければ、彼が傾倒したヘーゲルにも手を伸ばしてみるのが普通で、そこで難しすぎて挫折する(笑)というのが凡庸なわれわれ多くの学生の道行だったと思いますが、いまの学生はマルクスなんて読まないでしょうし、ましてやヘーゲルなんて全然知らないんじゃないでしょうか。
別に読んだからどうということもなければ、読まないからどうということもないけれど、読むとのめりこまずにはおれないようなところがあって、そういう意味ではヘーゲルやカントという人は哲学者の中でも特別な人なのかもしれません。面白いというとなんだかわかって云っているみたいで気がひけるけれど、少し齧ったって、多少はその面白さというのは分かると思うし、私などはできることならヘーゲルだけ一年くらいゆっくり読んで、ああでもない、こうでもない、と首をひねりながら「解読」していく楽しみがもてれば、いいかげんな推理小説など読むよりずっと楽しいだろうな、と思います。もう私にはヘーゲルだけに一年費やせるほどの時間がないので、あれもこれも拾い読みか斜めよみしていくほかはないのですが・・・
saysei at 21:57│Comments(1)│
この記事へのコメント
2. Posted by saysei-kyoto 2024年10月13日 08:47
おたよりありがとう!あいかわらず逞しく、元気で楽しい充実した日々をすごされているようで何よりです。
Lineと、すでに使ってはいなかったけれど登録はしていたFace Book、X(twitter)は、知れば知るほど、個人情報の吸い上げや、運営方針、或いはトップの思想や行動に賛成できないという気持ちがますます強くなったこともあって、すべて登録を取り消して、使わないことにしました。
あなたとはラインだけがコミュニケーションのチャンネルだったと思うので、連絡できなくなるかもしれないな、と思ったので、いつもあなたのおたよりを楽しみにしていたこともあって、気がかりだったのですが、いつか気が向けがきっとこのブログのコメント欄を使って連絡をくれるだろうと思って期待していました。
お元気でご活躍のようすがわかって安心しました。どうかこれからも体には気をつけて充実した日々をお過ごしください。
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