2024年10月08日
契沖はすごいなぁ
別のブログに間歇的に書いている「古今集を読む」(旧「手ぶら読みの古今集」)もやっと文庫本の上中下と3冊あるうちの2冊目に入って、わが君の長寿を寿ぐ、といった「賀歌」の最初からということになりました。
春夏秋冬を詠んだ上巻と違って、儀式的な賀歌なんて面白くないんじゃないか、と思って読み始めたのですが、これが結構面白い。
きょうは2番目(345番歌)の「しほの山さしての磯に住む千鳥君が御世をば八千世とぞ鳴く」というよみ人知らずの歌を読んでいたのですが、歌の意味自体は、磯の千鳥もあなた様の世が(或いは寿命が)八千世に(永遠に)もつづくようにと、ヤチヨ、ヤチヨと鳴いています、ってなことでどうということもないのですが、最初の「しほの山さしての磯」というのが、具体的にどこをさすのか、というので昔から古今の注釈者たちの間であれこれ議論があったようなのです。
平安末~鎌倉初期の歌僧・藤原顕昭による『古今集注』(1185)が書いているところでは、平安中期の歌人で僧の能因があらわした歌学書『能因歌枕』に、「さしでの磯」は甲斐国とされているから、「しほの山」も同じところにあるか、ということで、顕昭は『梁塵秘抄』にも「甲斐にをかしき山の名は しらね 浪崎 しほの山・・・」とあると述べているそうです。ところが現在残されている『能因歌枕』と『梁塵秘抄』のいずれも、彼のいうような記述はないのだそうです。それはともかく、顕昭以来、甲斐説が通説として流布されてきたらしいのです。
ところが、契沖は『古今餘材抄』で丁寧に顕昭の甲斐説を紹介したうえで、甲斐は海のない國なのに「さしでの磯」というのはいかがなものか、と疑問を呈し、あらたに『平家物語』第七に「志保の山打越て能登ノ小田中親王塚の前にぞ陣を取」という記述があり、さらに「其前に能登山中の境なる志保山といひたれば、越中に志保山あり。もしこれにて『さしでの磯』もそこにや」と新説を立てています。
それだけならまあ所説を唱える学者の一人、みたいな感じですが、契沖すごいな、と思うのは、さらにつづいて、「これは賀の時立てられたる屏風の繪に付て讀る歟 志保山のさし出るといふやうにつゝきたるは自然の事なるへし」と述べているところです。
屏風絵を見て歌を読む平安期のありふれた歌詠みの状況をふまえて、この歌もそういうものだろうから、「さしでの磯」なんていうのも、それが具体的にどこかなんて詮索をするよりも、屏風に描かれた、陸地から突き出た磯の光景を思い浮かべればごく自然なことじゃないか、と読み解いているのでしょう。これを読んだときは、契沖すごいなぁ、と思いました。
賀茂真淵もこの契沖の言葉を引いたうえで「是は然るべき考也」と肯定的に評価しています。また、顕昭の甲斐説を根拠がないと否定し、「能登の國とすべし」と断じています。真淵に関しては人麿の「東野炎立所見而反見為者月西渡」の訓みを見ただけで、ものすごくシャープな感性と頭脳の持ち主だったんだろうな、と思わずにはいられない人ですね。
真淵の訓みに異論があることは当然だし、私もいくらなんでもそうは読めないだろう、ほんとは、と素人ながら思いますが(笑)、しかし彼の訓は、それ自体がすばらしい詩になっていると思います。ほかにどんなに国文学的に正解に近い訓みが出てきても、ひとつの独立した表現として真淵の訓みには及ばないだろうという気がします。
それは私に、ランボーの「地獄の季節」などの小林秀雄訳のことを連想させます。フランス文学を専攻する学生でさえ、あれは間違いだらけの訳文だ、などと言うのを聞きますが、私は彼以後に出されたいろんな著名な仏文学者等々の同じランボーの詩の翻訳を拾い読みしてきましたが、いずれも「日本語で書かれた詩」として小林訳を超えるような、それ自体に詩を感じることができるような翻訳にはひとつだって出逢うことができませんでした。それと真淵の訓みは同じことかもしれません。
寄り道になりますが、ウェブサイトでいま、この歌の様々な訓みについての記述を拾って見ました。
いや、契沖の話がいつのまにか真淵の話になってしまいましたが、直観的な鋭利さという点での真淵は別として、契沖は学者さんの模範になるような、実に周到で行き届いた先学のサーヴェイの上に、優れた批判力を駆使し、自らの主張を論理的に正確に展開し、その上実に豊かな想像力をもって背後の状況を的確にとらえることのできる人だったように思います。この人の解釈はいま読んでも説得力があり、納得でき、信頼できるという印象があります。これからも、ちょいちょい参照させてもらおうと思っています。
きょうの夕餉
きょうの目玉(メインディッシュ)はこれ。トウガン、マッシュルーム、タマネギ、ソーセージのチーズクリームグラタン。はじめてつくった創作料理だったようですが、大成功で、パートナーのレシピにまたひとつ美味しい料理が加わりました。トウガンが好物のせいもあるけれど、私はとても気に入りました。グラタンだけど、比較的しつこくない、あっさりした水分豊富な、食べやすい料理です。
レンコン、シイタケ、三度豆、ニンジンの白和え
鮭の塩焼き。私が魚を見に行ったのですが、きょうは美味しそうな魚や珍しい魚がまったくなくて、なにも買わずに帰ったので、冷蔵庫のストックを取り出したようです。
すき焼きののこり
小松菜のおひたし
モズクきゅうり酢
新ショウガの炊き込みご飯。上賀茂の野菜自動販売機でゲットしてきた新ショウガを焚き込んだもの。とても美味しかった。
スグキほか、のこりものなど。きょうも戸田さんのところで、古漬けのスグキを二つゲットしてきました。この味がたまらなく好き。
(以上でした)
これはお昼に食べた、生ハム&チーズをはさんだレ・ブレドォルのバケットと、サーカスのコーヒー。あとパートナーの焼いたスコーン(生クリーム、各種ジャムのせ)を半分と、フルーツヨーグルト。
きょうパートナーが焼いたパウンドケーキ二種。明後日こられる彼女のいま一番親しい「サッカーおばさん」(息子たちがサッカーをしていたころ、一所懸命手伝いと応援に行っていたお母さんたちの最も仲良しの4人)用だそうです。
春夏秋冬を詠んだ上巻と違って、儀式的な賀歌なんて面白くないんじゃないか、と思って読み始めたのですが、これが結構面白い。
きょうは2番目(345番歌)の「しほの山さしての磯に住む千鳥君が御世をば八千世とぞ鳴く」というよみ人知らずの歌を読んでいたのですが、歌の意味自体は、磯の千鳥もあなた様の世が(或いは寿命が)八千世に(永遠に)もつづくようにと、ヤチヨ、ヤチヨと鳴いています、ってなことでどうということもないのですが、最初の「しほの山さしての磯」というのが、具体的にどこをさすのか、というので昔から古今の注釈者たちの間であれこれ議論があったようなのです。
平安末~鎌倉初期の歌僧・藤原顕昭による『古今集注』(1185)が書いているところでは、平安中期の歌人で僧の能因があらわした歌学書『能因歌枕』に、「さしでの磯」は甲斐国とされているから、「しほの山」も同じところにあるか、ということで、顕昭は『梁塵秘抄』にも「甲斐にをかしき山の名は しらね 浪崎 しほの山・・・」とあると述べているそうです。ところが現在残されている『能因歌枕』と『梁塵秘抄』のいずれも、彼のいうような記述はないのだそうです。それはともかく、顕昭以来、甲斐説が通説として流布されてきたらしいのです。
ところが、契沖は『古今餘材抄』で丁寧に顕昭の甲斐説を紹介したうえで、甲斐は海のない國なのに「さしでの磯」というのはいかがなものか、と疑問を呈し、あらたに『平家物語』第七に「志保の山打越て能登ノ小田中親王塚の前にぞ陣を取」という記述があり、さらに「其前に能登山中の境なる志保山といひたれば、越中に志保山あり。もしこれにて『さしでの磯』もそこにや」と新説を立てています。
それだけならまあ所説を唱える学者の一人、みたいな感じですが、契沖すごいな、と思うのは、さらにつづいて、「これは賀の時立てられたる屏風の繪に付て讀る歟 志保山のさし出るといふやうにつゝきたるは自然の事なるへし」と述べているところです。
屏風絵を見て歌を読む平安期のありふれた歌詠みの状況をふまえて、この歌もそういうものだろうから、「さしでの磯」なんていうのも、それが具体的にどこかなんて詮索をするよりも、屏風に描かれた、陸地から突き出た磯の光景を思い浮かべればごく自然なことじゃないか、と読み解いているのでしょう。これを読んだときは、契沖すごいなぁ、と思いました。
賀茂真淵もこの契沖の言葉を引いたうえで「是は然るべき考也」と肯定的に評価しています。また、顕昭の甲斐説を根拠がないと否定し、「能登の國とすべし」と断じています。真淵に関しては人麿の「東野炎立所見而反見為者月西渡」の訓みを見ただけで、ものすごくシャープな感性と頭脳の持ち主だったんだろうな、と思わずにはいられない人ですね。
真淵の訓みに異論があることは当然だし、私もいくらなんでもそうは読めないだろう、ほんとは、と素人ながら思いますが(笑)、しかし彼の訓は、それ自体がすばらしい詩になっていると思います。ほかにどんなに国文学的に正解に近い訓みが出てきても、ひとつの独立した表現として真淵の訓みには及ばないだろうという気がします。
それは私に、ランボーの「地獄の季節」などの小林秀雄訳のことを連想させます。フランス文学を専攻する学生でさえ、あれは間違いだらけの訳文だ、などと言うのを聞きますが、私は彼以後に出されたいろんな著名な仏文学者等々の同じランボーの詩の翻訳を拾い読みしてきましたが、いずれも「日本語で書かれた詩」として小林訳を超えるような、それ自体に詩を感じることができるような翻訳にはひとつだって出逢うことができませんでした。それと真淵の訓みは同じことかもしれません。
寄り道になりますが、ウェブサイトでいま、この歌の様々な訓みについての記述を拾って見ました。
「うたことば歳時記」(https://blog.goo.ne.jp/mayanmilk3/e/d4c38ff054db82e49bb505fb23fa768e)によれば、万葉集の注釈に大きな業績をのこした仙覚はこんな訓みをつけているそうです。
あづまのの けぶりの立てるところ見て かへりみすれば 月かたぶきぬ
今西裕一郎氏の「古典文学研究の現在」( https://www.kyushu-u.ac.jp/oldfiles/magazine/kyudai-koho/No.4/kenkyu-2.htm)にはこう書かれています。
真淵以前の「東野……」に対する読み方はそうではなかった。この人麻呂歌は長らく,
あづま野の けぶりの立てる所見て 返り見すれば 月かたぶきぬ
(第五句,又ハ,月西渡る)
と読まれてきた。
けれども,今,万葉学の最先端では,この読み方が疑われている。では,どう読むというのか。たとえば,次のような読み方である。
ひんがしの 野に燃ゆる火の 立つ見えて 返り見すれば 月かたぶきぬ
ひんがしの 野らには煙 立つ見えて 返り見すれば 月西渡る
しかしこれらも,まだ学界の公認を得るには至らないようである。
また、「ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ」(https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/8052dfc452c7124d0602f26696691ccd)の加藤良平氏は、
東(あづま)はや 野火(のび)立つ見えて 返しけむ しかせば月は 西に渡らむ
という訓みを示しています。また同じ文の中で、佐佐木隆氏が『万葉集を解読する』(日本放送出版協会(NHKブックス)、2004年)で示した次の訓みを紹介しています。
東ひむがしの 野らに煙けぶりは 立つ見えて 返かへり見すれば 月かたぶきぬ
さあ、これらを読んで、みなさんは一つでも、真淵のあの訓みを超えるような、まさに人麿の歌の価値を伝えてくれるような訓みだと思われるものがありましたか?私は残念ながらみつけることができませんでした。
さあ、これらを読んで、みなさんは一つでも、真淵のあの訓みを超えるような、まさに人麿の歌の価値を伝えてくれるような訓みだと思われるものがありましたか?私は残念ながらみつけることができませんでした。
いや、契沖の話がいつのまにか真淵の話になってしまいましたが、直観的な鋭利さという点での真淵は別として、契沖は学者さんの模範になるような、実に周到で行き届いた先学のサーヴェイの上に、優れた批判力を駆使し、自らの主張を論理的に正確に展開し、その上実に豊かな想像力をもって背後の状況を的確にとらえることのできる人だったように思います。この人の解釈はいま読んでも説得力があり、納得でき、信頼できるという印象があります。これからも、ちょいちょい参照させてもらおうと思っています。
きょうの夕餉
きょうの目玉(メインディッシュ)はこれ。トウガン、マッシュルーム、タマネギ、ソーセージのチーズクリームグラタン。はじめてつくった創作料理だったようですが、大成功で、パートナーのレシピにまたひとつ美味しい料理が加わりました。トウガンが好物のせいもあるけれど、私はとても気に入りました。グラタンだけど、比較的しつこくない、あっさりした水分豊富な、食べやすい料理です。
レンコン、シイタケ、三度豆、ニンジンの白和え
鮭の塩焼き。私が魚を見に行ったのですが、きょうは美味しそうな魚や珍しい魚がまったくなくて、なにも買わずに帰ったので、冷蔵庫のストックを取り出したようです。
すき焼きののこり
小松菜のおひたし
モズクきゅうり酢
新ショウガの炊き込みご飯。上賀茂の野菜自動販売機でゲットしてきた新ショウガを焚き込んだもの。とても美味しかった。
スグキほか、のこりものなど。きょうも戸田さんのところで、古漬けのスグキを二つゲットしてきました。この味がたまらなく好き。
(以上でした)
これはお昼に食べた、生ハム&チーズをはさんだレ・ブレドォルのバケットと、サーカスのコーヒー。あとパートナーの焼いたスコーン(生クリーム、各種ジャムのせ)を半分と、フルーツヨーグルト。
きょうパートナーが焼いたパウンドケーキ二種。明後日こられる彼女のいま一番親しい「サッカーおばさん」(息子たちがサッカーをしていたころ、一所懸命手伝いと応援に行っていたお母さんたちの最も仲良しの4人)用だそうです。
saysei at 22:20│Comments(0)│