2024年10月05日

娘3人を殺されてなおイスラエルとの懸け橋になるというパレスチナ人医師

 昨日夜の6chTVのニュースだったと思いますが、パレスチナとイスラエルの懸け橋になろうと志してイスラエルの病院に勤務していながら、パレスチナの自宅にいた娘3人をイスラエル軍に射殺されたというパレスチナ人医師が登場してインタビューに答えていました。

 彼はそんな悲劇に見舞われながら、なお志を捨てず、暴力は暴力を、殺戮は殺戮は生むだけだと主張し、どんな惨劇に遭っても復讐だけはしない、と言うのです。インタビューしている女性キャスターは彼にどうすればよいと思うか(だったか定かではないけれど)と反問されて、ほとんど答えに窮するというか、頭では彼の主張を理解しても、とてもついていけないといった感じで立ち往生の感がありました。

 すごい人があるものだと私もある種の衝撃を受けました。たしかに理屈で考えれば、暴力は暴力を生むだけで何の解決にもならない、というのは、今起きているパレスチナの悲劇を見ていても自明のように思われます。しかし何の罪もない自分の娘を無慈悲に全員射殺した兵士たちを皆殺しにしてやりたいと思わない父親があるでしょうか。たとえ自分が非力だとしても、法の裁きで、あるいはそれができないなら、殺人部隊に敵対するいかなる勢力の力を借りてでも復讐してやりたい、と願うのはむしろ親の感情としては当然ではないでしょうか。

 仮にそれは感情論であって、理性的に、復讐は復讐の連鎖を生むだけだという主張を正しいと認め、きびしく自制して和解あるいは許容することが「論理的に正しい」?としても、こんどはそういう「解決法」?が本当にこうした事態を良い方向へ、つまりそうした惨劇が起きない方向へ向かうかと言えば、私は疑問だと思います。
 殺人部隊の兵士たちは、そんな片方の自制や寛容さなどに無関心で、さらなる殺戮に邁進するだけでしょう。いまイスラエル軍がガザやレバノンでやっているように、です。個人レベルの理性や倫理などというものと、国家のような共同性に覆われた逆立ちした人間の「理性」や「倫理」などというものとはまるで次元を異にして、触れあうことなど金輪際ないだろうと思います。

 正義はつねに最終的には勝つ!というのは、少年の日の夢であったマンガのヒーローたちのセリフで、マンガではそのとおりになるかもしれないけれど、現実の世界では、こうしたまったく良識だの人間性だのといったものを失わせる国家意志で動く暴力装置に組み込まれた殺人部隊の兵士たちを抑えられるのは、自制や寛容さではなく、彼らの者とは異質のものではあっても、やはりある種の「力」にほかならないでしょう。

 それが具体的にどんなものかと想像してみると、私には、歴史的に革命の際などにみられるような、圧倒的多数の民衆の団結力であり、抵抗にほかならないように思われます。決定的な瞬間には、どんな強力な武器も圧倒的多数の民衆の団結力による抵抗の前に屈するほかはない、と。
 おそらくそれ以外には大国の権力で一時的にそうした事態をとめえたとしても、また同じことがその大国の胸三寸で起きてしまうにちがいありません。むしろいかなる国家権力でも抑えることができない、圧倒的多数の民衆の抵抗力によってしか、最終的な解決はありえないのだろうと思うのです。
 私はその民衆の力に、怨念も復讐もすべて包括されるだろうと思うし、それは当然だと思うので、復讐はよくないといったわけしり顔の御託宣に心を動かされることはありません。それがたとえイスラエルの殺人兵士たちに娘三人を皆殺しにされたパレス人の言葉であるとしても、です。

 いまはパレスチナにみるように民衆の力は極めて弱く、ただ殺戮されるままにみえます。しかし、パレスチナの民衆がいつまでもそうだとイスラエルの狂人たちが思っているなら、それはとんだ間違いだったと思う日が必ずくるでしょう。
 映画「アルジェのたたかい」のように、無知無力のうちにわずかなテロルを実行するしかなかったアルジェリアの民衆が、長い年月の間堪えがたいフランス軍の圧倒的な力の前に抑圧され、弾圧、拷問に堪えて蓄積してきた圧倒的なエネルギーが爆発したとき、フランス軍は執着した利権を放棄して撤退するほかはなかった。同様に、パレスチナをはじめとするアラブの圧倒的な民衆が立ち上がるとき、イスラエルなどと言う砂上の楼閣は吹っ飛んでしまう日が必ず来るでしょう。そのときいまイスラエルがやっていることを知る世界は、イスラエルに同情などすることなく、むしろ喝采するのではないでしょうか。

きょうの比叡
 
 きょうの夕餉

★キノコと生ハムのレモンクリームパスタ
 キノコと生ハムのレモンクリームパスタ

★ロールキャベツ
 ロールキャベツ

チーズとバケット
 チーズとバケット

グリーンサラダ 
 グリーンサラダ

 きょうも上賀茂の野菜自動販売機を覗きに行きましたが、電動アシスト自転車をこいでいると風が涼しくて気持ちが良かった。

 野菜はほとんどありませんでしたが、最初の100円均一おじさんのところで、とても美味しそうな生きのよい小松菜が買えました。また、戸田農園さんの販売機はたったひとつのボックス以外は全部空っぽでしたが、そのひとつというのが、古漬けの小さなスグキでした。200円。もちろんすぐ買ってきました。きっとたくさん出されてもすぐ売り切れてしまっていたのでしょう。このところみんなが知ってしまったせいか、いつ行っても戸田さんのボックスは空っぽです。


 フーコーの講義シリーズが出るたびに品切れになって、古書市場で異常に高い値段がついているので、私もたまたま買っていた数冊の中で「処罰社会」というのは、タイトルからみて、まあもう読むまでもなかろう(「監獄の誕生」を読んで、彼の視点や考えはおよそわかっているからな、と)と思って、しめしめ高く買ってくれる人がいそうだから処分してしまおうか、と思っていたのですが、まあ念のためにちょっと目を通しておこうか、ときょう読み始めたら、やっぱり面白くて、とうとうノートを取りながら本格的に読むはめになってしまいました(> <)  これじゃ当分処分できそうにない・・・

 彼の講義録は、自分が持っていない本はすべて府立大学図書館にあったので、借りて来てコピーさせてもらって、いつでも読めるのですが、そうなるとなかなか、じゃひとつゆっくりと1冊ずつ読んでいこうか、とはならないんですね、これが(笑)。コピーしちゃうと、なんだか安心してしまって、なかなかその時間をとろうという気にならない。本代に匹敵するほどとは言わないけれど、せっかく高いインク代払ってコピーしたのに(笑)、楽しみをあとにとっておくタイプなので、ついついほんとうに読みたい本のほうがあとまわしになってしまいます。



saysei at 22:21│Comments(0)

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