2024年09月25日
FBとXの登録削除、PCの回復ドライブ作成
きょうようやくパソコンの回復ドライブを作成して、いざというときの最小限の備えをしました。データは外付けHDに定期的にとっているので、PCに何かあっても(困るのは大変困るけれど)、データが全部消えてしまってどうにもならん、という事態は避けられると思うので、USBひとつで出荷時の状態に初期化した状態で起動できれば、厄災の実害を最小限に抑えられるでしょう。
それに、考えてみれば保存してあるデータだって、わたしの場合は、もう死活にかかわるようなデータとか、失われたら何のために生きて来たか分からないほどかけがえのないデータというのは、何一つないと思うし、どっちみちあの世へもっていけるわけでもない、この世に自分がいる間の楽しみのようなものにすぎないので、自分と一緒に全部消えて当然のもので、いま書いているブログもえんえんと何十年?か書いて来たけれど、そのときそのときに書くことが楽しみだっただけですから、急なことで自分で始末できなければ息子らにきれいさっぱり削除してもらえばよかろうと思っています。
そうすると、あまりデータ保存だのセキュリティだのといったことは意味をもたないのかも(笑)・・・しかしまあ、まだamazonその他で買い物をしたり、マーケットプレイスに不要になった自分の古本を出したりもしているので、それらにかかわる個人情報なんかを盗まれたりすると、規模はごく小さくても、結構厄介なことになるでしょうから、人並みのセキュリティ対策等々は施しておかないと、とは思っています。
残り時間がすくなくなればなるほど、人との関係も希薄に、少なくなっていくのも自然なことだし、もう以前からフェイスブックはまったく使っていないし、ツイッター(X)は最初から性に合わないので使わなかったけれど、両方ともいまだに登録だけは残していたのを、きょうは全部登録を削除しました。昔から、こういう消え方がいいなと思ってきたことがあって、少しはそれに近づいているような気がします。
いわゆる文化人、知識人の類の消え方というのは、私のイメージするものとは正反対ですね。観念の世界にはまり込むと、どこまでいっても際限がないから、100歳になっても頭さえボケていなければ、ずっと出ずっぱりで、中身はともかくとして(笑)、公的な場でいわゆる情報発信なるものをしつづけて、肉体的にはどこかで限界が来るので、観念のほうからいえば突然バタンキューとなるわけです(笑)。
たしかに本や学術書や映像媒体の形で彼らが考えたり語ったりしたことは、何十年かは残るのでしょうが、少しタイムスパンを長くとれば、そんなことはほんの一瞬のはかない夢にすぎません。それが人から人へ受け継がれていく、というのも甚だしい希望的観測というものでしょう。先日なんだったか少子化の話を読んでいた中に、このまま有効な対策がとれなければ、人類という種は100年ももたないのではないか、と言っている専門家(人口学か何かの専門家だったでしょうか)がいるという話があって、おや、そんなものなのかな、と人類全体の生き延びられる時間のあまりの短い予想に、ちょっと驚いたのですが、100年が300年、500年であっても、短いと言えば短い寿命ですね。
そういう余計な事を考えずに、昨日のように今日を生き、今日のように明日を生きて、日々の必要や家族や身の回りのこと万端にかかわる生活思想自体を深化していくことにしか関心をもたない「ただの人」の原型的な像を考えるなら、まったく反対に情報的な仮構を自分の時空の拡張のように錯覚することなどないでしょうし、老いればそれに見合って社会関係も貧しくなっていくことを自然なこととして受け入れるでしょう。
私の両親、とりわけ父は若いころから比較的活動的な人だったので、長年つとめあげて社長もつとめた企業を退職し、さらに自分がつくった零細企業の経営も後輩に譲ってすっかり実業界から身を引き、しばらくは若い頃からの夢だった日中関係の回復、深化のために役立ちたい、ということで日中友好協会の仕事を引き受け、自分の生きがいとして盛んに活動していました。
しかし、そのお役も返上して京都の私たちのそばへ引っ越してきてから亡くなるまでの3年間は、まさに関係性を最小限にとどめ、日々家族と、京都の自然と親しみ、そして時折り河原町へでかけては好きな囲碁を楽しむ、という自足した生活を送っていました。
亡くなるひと月ほど前まではどこといって体の不調を訴えることもなく元気に過ごしていましたが、引っ越しの時は半世紀毎日つけていた日記をはじめ、おおかたの過去の息のかかったものを処分し、もちろん情報発信なんてものとは関わりのない余生を過ごしました。その最後の三年間は父にとってもっとも幸せな、最良の時間だったのではないかと思います。
きょうの夕餉
トウガンとワンタンのスープ
豚の味噌漬け
ポテトサラダ
冷奴 穂紫蘇のせダシかけ
カブラの茎の酢醤油漬け、カブラの酢あえ、枝豆
友恵堂さんの栗羊羹(一切れの半分)
(以上でした)
昨日から、洗濯機の給水ホースの水道蛇口付近からわずかな水漏れがあって、つなぎの給水ホースは通販で手に入れましたが、それを取り換えてもダメでした。どうも蛇口にとりつけるつなぎの部品の金属製のネジを巻いているプラスチックの輪の部分に罅が入っているのが原因ではないか、と思われました。それでその部品をあらたに購入するほかなさそうだ、ということになりました。値段は1000円未満ですが、サイズがどの商品広告を見てもはっきりしないので、実際に合うのかどうかはっきりしません。水道の蛇口なんて、だいたいは規格がきまっていて、一般的なものはたいがい合うようにできているから、サイズをそれぞれが書いたりはしていないのだろうとは思うのですが、確信はありません。ジョイント具にもいろんなタイプがあるようだし、それがわが家の水道に或いは洗濯機に合うのかどうかも定かではありません。そんなことで、半日ああだろうか、こうだろうか、と一緒につきあって悩みましたが、明日にはきょう発注した部品でいけるかどうかわかって、一応決着がつくでしょう。ダメならまた考えよう、と。
それに、考えてみれば保存してあるデータだって、わたしの場合は、もう死活にかかわるようなデータとか、失われたら何のために生きて来たか分からないほどかけがえのないデータというのは、何一つないと思うし、どっちみちあの世へもっていけるわけでもない、この世に自分がいる間の楽しみのようなものにすぎないので、自分と一緒に全部消えて当然のもので、いま書いているブログもえんえんと何十年?か書いて来たけれど、そのときそのときに書くことが楽しみだっただけですから、急なことで自分で始末できなければ息子らにきれいさっぱり削除してもらえばよかろうと思っています。
そうすると、あまりデータ保存だのセキュリティだのといったことは意味をもたないのかも(笑)・・・しかしまあ、まだamazonその他で買い物をしたり、マーケットプレイスに不要になった自分の古本を出したりもしているので、それらにかかわる個人情報なんかを盗まれたりすると、規模はごく小さくても、結構厄介なことになるでしょうから、人並みのセキュリティ対策等々は施しておかないと、とは思っています。
残り時間がすくなくなればなるほど、人との関係も希薄に、少なくなっていくのも自然なことだし、もう以前からフェイスブックはまったく使っていないし、ツイッター(X)は最初から性に合わないので使わなかったけれど、両方ともいまだに登録だけは残していたのを、きょうは全部登録を削除しました。昔から、こういう消え方がいいなと思ってきたことがあって、少しはそれに近づいているような気がします。
いわゆる文化人、知識人の類の消え方というのは、私のイメージするものとは正反対ですね。観念の世界にはまり込むと、どこまでいっても際限がないから、100歳になっても頭さえボケていなければ、ずっと出ずっぱりで、中身はともかくとして(笑)、公的な場でいわゆる情報発信なるものをしつづけて、肉体的にはどこかで限界が来るので、観念のほうからいえば突然バタンキューとなるわけです(笑)。
たしかに本や学術書や映像媒体の形で彼らが考えたり語ったりしたことは、何十年かは残るのでしょうが、少しタイムスパンを長くとれば、そんなことはほんの一瞬のはかない夢にすぎません。それが人から人へ受け継がれていく、というのも甚だしい希望的観測というものでしょう。先日なんだったか少子化の話を読んでいた中に、このまま有効な対策がとれなければ、人類という種は100年ももたないのではないか、と言っている専門家(人口学か何かの専門家だったでしょうか)がいるという話があって、おや、そんなものなのかな、と人類全体の生き延びられる時間のあまりの短い予想に、ちょっと驚いたのですが、100年が300年、500年であっても、短いと言えば短い寿命ですね。
そういう余計な事を考えずに、昨日のように今日を生き、今日のように明日を生きて、日々の必要や家族や身の回りのこと万端にかかわる生活思想自体を深化していくことにしか関心をもたない「ただの人」の原型的な像を考えるなら、まったく反対に情報的な仮構を自分の時空の拡張のように錯覚することなどないでしょうし、老いればそれに見合って社会関係も貧しくなっていくことを自然なこととして受け入れるでしょう。
私の両親、とりわけ父は若いころから比較的活動的な人だったので、長年つとめあげて社長もつとめた企業を退職し、さらに自分がつくった零細企業の経営も後輩に譲ってすっかり実業界から身を引き、しばらくは若い頃からの夢だった日中関係の回復、深化のために役立ちたい、ということで日中友好協会の仕事を引き受け、自分の生きがいとして盛んに活動していました。
しかし、そのお役も返上して京都の私たちのそばへ引っ越してきてから亡くなるまでの3年間は、まさに関係性を最小限にとどめ、日々家族と、京都の自然と親しみ、そして時折り河原町へでかけては好きな囲碁を楽しむ、という自足した生活を送っていました。
亡くなるひと月ほど前まではどこといって体の不調を訴えることもなく元気に過ごしていましたが、引っ越しの時は半世紀毎日つけていた日記をはじめ、おおかたの過去の息のかかったものを処分し、もちろん情報発信なんてものとは関わりのない余生を過ごしました。その最後の三年間は父にとってもっとも幸せな、最良の時間だったのではないかと思います。
きょうの夕餉
トウガンとワンタンのスープ
豚の味噌漬け
ポテトサラダ
冷奴 穂紫蘇のせダシかけ
カブラの茎の酢醤油漬け、カブラの酢あえ、枝豆
友恵堂さんの栗羊羹(一切れの半分)
(以上でした)
昨日から、洗濯機の給水ホースの水道蛇口付近からわずかな水漏れがあって、つなぎの給水ホースは通販で手に入れましたが、それを取り換えてもダメでした。どうも蛇口にとりつけるつなぎの部品の金属製のネジを巻いているプラスチックの輪の部分に罅が入っているのが原因ではないか、と思われました。それでその部品をあらたに購入するほかなさそうだ、ということになりました。値段は1000円未満ですが、サイズがどの商品広告を見てもはっきりしないので、実際に合うのかどうかはっきりしません。水道の蛇口なんて、だいたいは規格がきまっていて、一般的なものはたいがい合うようにできているから、サイズをそれぞれが書いたりはしていないのだろうとは思うのですが、確信はありません。ジョイント具にもいろんなタイプがあるようだし、それがわが家の水道に或いは洗濯機に合うのかどうかも定かではありません。そんなことで、半日ああだろうか、こうだろうか、と一緒につきあって悩みましたが、明日にはきょう発注した部品でいけるかどうかわかって、一応決着がつくでしょう。ダメならまた考えよう、と。
saysei at 19:00│Comments(0)│