2024年08月26日
猛暑なれど平穏で幸せな一日

きょうも朝起きて居間のカーテンをあけると、目の前で芙蓉の花が咲いています。

きょうはこの2輪だけ

自転車の転倒で怪我をして、一番長引いたけれど、とっくにすっかり治ったはずの足首の傷跡がひどく黒ずんで、また表面の皮膚が剥げて押さえると痛かったりするので、念のために皮膚科で見てもらおうとおもって、念のためにクリニックのHPを見ると、きょうは臨時休診とのこと。
それでもあんまり動かないのも・・・と思って、朝のうちに上賀茂まで自動販売機の野菜を覗きに行ってきました。朝のうちとはいえ、既にカンカン照りの猛暑。首にいつもの細い帯では不足なので、薄めのタオルを水に浸してしぼったのを巻き、ヘルメットをかぶって電動自転車を走らせました。
高野川にも、さすがに今日は鹿さんたちの姿はひとつも見ることが出来ませんでした。きっと涼しいお山へ帰ったのでしょうね。

上賀茂の自動販売機では、茄子、オクラ、万願寺唐辛子、パプリカと、このデッカイ冬瓜をゲットしてきました。 300円。私の好物です。
鶏肉とのコンビでスープ煮にした味が大好きですが、この生のままの姿が可愛らしくて好きです。

帰りに友恵堂さんへ寄って、麩饅頭、水羊羹、それに先日も食べた“金魚”の和菓子をひとつずつ買ってきました。麩饅頭が200円、あとは180円。友恵堂さんのお菓子は、へんな混ぜ物のない純粋無垢な美味しさです。麩饅頭は菓子そのものも素敵で美味しいけれど、本物の笹の葉に包まれていて、口の中に菓子を入れると、ほどよい甘さ、ほどよい柔らかさ、そして同時に笹の葉の香りがたつのです。絶品ですね。

これは先日もご紹介した「金魚」(今日の写真ではわかりにくいけれど上の赤いところ)とスイレンのゆらぐ透明な金魚鉢の水をかたどったお菓子。上の二つはお昼に、夕食後にはこれを二人で分け合っていただきました。

これはお昼のいなりずし。わが家の自家製いなりの定番ですが、寿司アゲだけは本当は森嘉さんのを使いたいようですが、なかなか行く機会がないので、手近な店のを使っています。それでもすばらしく美味しい。息子たちも孫もパートナーのつくるいなりは大好きです。私は昔は稲荷寿司はそんなに好きじゃなくて食べなかったのですが、パートナー手作りの稲荷を食べるようになってからは大好きになりました。

お昼はおいなりのほか、残り物あれこれ盛り合わせと、いつもの自家製フルーツヨーグルト。「自家製」というより、生物としてのヨーグルト菌を木次の美味しい牛乳を餌に与えて、毎朝こまめにお世話しているので、「育てている」、という感じです。もう数十年になりますが、常温で毎日せっせと牛乳を素晴らしく美味しくて艶やかでプリンッと弾力性を感じさせるようなヨーグルトに変えてくれています。カスピ海ヨーグルトの菌は、ほんとうに強くて、容器を清潔にさえしておけば、ここ数十年、一度も雑菌にやられたことはなくて、一日も欠かさず確実に二人分のヨーグルトをたっぷり供給してくれています。

きょうの夕餉のメインディッシュは、骨付き仔羊のグリル。バルサミと赤ワインソース、付け合わせは温かいラタトゥイユです。

かぼちゃのスープ

スティック生野菜の自家製バーニャカウダソース添え

パンコントマテ
今日は長男が忙しいようでこれなかったので、予定していたもう一品、冷製トマトとバジルのカペッリー二はとりやめて、老人にはこれで十分という量に抑えた夕餉になりました。
処分を兼ねた娯楽で見ているビデオは、昨日は増村保蔵監督の「巨人と玩具」。野添ひとみと川口浩が主演で、私の好きだった伊藤雄之助なども出演しています。野添も川口も、それに川口の上司役の高松英郎も、とてもよかった。セリフや笑わせネタは時代もあって古くもダサくも感じるけれど、会話や展開のテンポが速くて小気味よかったし、時代の風俗をよくとらえていると思いました。原作は開高健です。
きょうは一転して、メル・ギブソンが力を込めて製作もし、主演をつとめた「パッション」という、イエス・キリストの受難を描いた作品をみました。これはちょっときつかった。キリストが十字架にかけられるにいたる12時間ほどを克明に、いわばクソリアリズムの観点で描いた代物で、十字架にかかる前に、ピラトが彼を助けようとして、鞭打ちの上釈放、という指示を出したために、サディスティックな懲罰人たちに、ただの鞭でさんざん打たれたあげくに、今度は幾本も束ねられた鎖の先に鋭くとがったミニ匕首みたいな凶器をぶらさげた鉄鎖の鞭で、力任せに打たれて、全身の肉をえぐられ、体中切り裂かれて血まみれで喘ぐイエスの姿を延々と撮るという悪趣味な作品。十字架にかけられるときも、ものすごく太い四角い釘というのか鋲というのか、斧を振る樵のように振りかぶった鉄槌を力任せに打ちおろさなければ打てないようなその釘を両方の掌に打ち込まれ、次に固定された両足の甲に同様にバカでかい釘というのか鋲というのかを打ち込まれて十字架に固定されるというシーンを、これまたご丁寧にクソリアリズムでこれでもか、とばかりに見せつけます。
それをパウロに伴われて刑場へやってくる母親のマリアや石打ちのリンチを受けているところをイエスに助けられたマグラダのマリアがずっとついて見守るのですね。あれはどんな気丈な、あるいはどんな厚い信仰に凝り固まった母親でも、我が子がああいう地獄の中をのたうち回るようなシーンをえんえんと見ることは不可能でしょう。いや、それ以前に、そういう拷問以上の責め苦を受け続けるイエスが少なくとも半分人間である限り、必ずや痛みと衝撃によるショック死をするか、とうに失血死せずにはいないでしょう。そこはリアルじゃないわけですが、そのリアルをはるかに超えてえんえんとやりつづけるから、クソリアリズムというのです。メル・ギブソンがこの映画をつくったから信仰篤き人だとは全然信じられません。むしろ根っこのところに、異常にサディスティックなものを潜めている人ではないか、という気がします。
イエスを演じた俳優は私の知らない人でしたが、痛めつけられるまでのシーンで登場する彼は、ちっともイエスらしくありませんでした。つまり、全然オーラもなければ、なにか深みなり純粋さなりをそこにいるだけで感じさせる、といったようなところは微塵もない、ありきたりの役者でした。ただ、サディストたちの拷問を受けはじめてからは、メイクがすごくて、それは役者の演技ではなくて、メイクさんの技術力が高いからクソリアリズムらしい迫力を生み出してはいました。この映画をつくるのになんと10年もかけたのだそうです!
きょう以前に注文していた、地震のときに箪笥が倒れるのを防ぐ「突っ張り棒」が4セット、無事届きました。これでDKの食器棚も含めて、倒れてきそうな重量級の箱もののすべてに、いちおうの転倒の歯止めがつくことになります。地震が来ないに越したことはないけれど・・・
夜、マーケットプレイスに出していたうちの一冊が売れたという知らせが入っていました。なかなか売れなかったけれど、待てばカイロの日和というわけで、こうしてポツリポツリとでもはけていくと嬉しい。そのつど引き出して、すぐ使ってしまうのが悪い癖で、ちっともたまらないけれど・・・
saysei at 22:44│Comments(0)│