2024年07月28日
オリンピック悲喜こもごも
夕食直前に、「光る君」BS版を見終わって、柔道に切り替えると、阿部詩選手が2回戦でウズベキスタンの選手に敗けた、というニュースが飛び込んできました。昨日は、卓球で早田ー張本ペアが北朝鮮に敗れたと。また、バスケットボールもバレーボールも、それぞれ初戦、ドイツに敗れたとか。
阿部詩選手についてはつい一日二日前にテレビの密着取材みたいなので見ていたら、去年の10月くらいから、きつい腰痛に苦しんでいたらしいが、トルコでのグランドスラム・アンタルヤ大会に出て勝ったら綺麗に腰痛が消えたという話をしていて、長く腰痛に苦しんできたわがパートナーは、腰痛は精神的なストレスと密接な関係がある、というのが持論で、きっと彼女は絶対に金メダルと自他ともに認めているオリンピックを目前にしてやはりものすごいプレッシャーがあるんだと思う、と言っていました。いくら絶対的に強いと言われ、金メダル確実と言われていて、常勝が当たり前と思われているほど圧倒的に強い選手でも、そういう評価が当然視されるほどに、周囲も、ひょっとしたら本人も気づかない心身の深みでものすごいプレッシャーを受け、ストレスを抱えているものなのかもしれません。
彼女が敗けたと聞いて、パートナーは、やっぱり・・・とひとこと。ほんとうに可哀そうやわ、と。日本中の人が勝つのが当然と思い、金メダルを期待し、応援してるからね、と心から送り出し・・・それはすべて悪いことではないのだけれど、それがひとりの優れたアスリートの人生を、一つ間違えば潰してしまう怖さがあるということに慄然とします。
私がオリンピックを好きになれないのは、国民の税金を湯水のように使って、結局はIOCに巣くうファシストの子孫たち、政治家、大手広告代理店、一部の企業などの懐を豊かにするだけで、それもまず間違いなく、明らかになろうがなるまいが、汚職まみれのビッグプロジェクトになるから、と思っていたけれど、ほんとうは一人一人の優れたアスリートの、アスリート本来のありようをゆがめてしまうから、ということも大きな理由かもしれません。
世界選手権のように毎年、その年に誰が一番強いかを競い合うような各ジャンルの大会は当然あってよいけれど、4年間その大会に出て勝つためにだけ自分のすべてを擲ってきました、というような生き方をアスリートに強いるオリンピックなど、まったく百害あって一利なし、これからの時代のアスリートの在り方を考えるとき、無用の長物の類ではないかという気がします。
野球の大谷選手のように野球好きの少年がそのまま大きくなって、いまも野球をやっている、というような姿がアスリートの本来的な姿ではないか、と思います。負けたって、ま、いいか、勝つときもありゃ負けるときもあるさ。来年また頑張るよ、とカラッと笑って相手を讃えて帰ってこれるようなスポーツであってほしいと思います。
絶対強い、と期待された阿部詩選手が負け、同様に期待された早田選手らが負け、絶対強いと言われるほど危ない、というのが本当に聞こえてしまいそうです。
先日これもテレビでの密着取材の様子を見た、体操の橋本選手なども、見ていて、以前のような生き生きとした、自信にあふれた生気がみなぎる表情が影をひそめ、何か一回り小さくなったように、勢いが失われた印象をもちました。杞憂であればいいのですが・・・・彼もつい先ごろまで指のケガで苦しんでいたようだし、一度金メダルまで取って燃え尽き症候群的な状態になったようだし、今回のオリンピックには、最初に金を目指していたときよりも何倍ものプレッシャーがかかり、はるかに大きなストレスを心身深くに抱えているに違いありません。
もうそろそろこういうかけがえのない世界中のトップアスリートたちを、オリンピックというつまらないストレス源から解放してあげるべきなのではないかと思います。
私が(見るのが)好きな柔道では、昨日も触れた巴投げ+関節技の角田選手が金メダルをとったそうです。彼女は、高校を卒業するとき柔道はやめようと思っていたらしいのですが、大学からの誘いと勧めがあって続けたけれど、さしたるめざましい戦績も残せずにいたところ、あるとき柔術の講習会か何かに参加して興味をもち、自分の父親が整骨を仕事にしているヒトらしくて、もともと人の骨格や筋肉については詳しかったこともあって、独自の関節技を磨きあげて、巴投げと合わせて自分の得意技として、そこから彼女独特のトップにのぼりつめる行程が始まったのだそうです。
それでも五十何キロ級では阿部詩という巨大な壁が立ちはだかっていたので、やむなくひとつ軽いクラスへ転向して、今日に至る道を切り開いて来たらしい。
今回のオリンピックでは、彼女の道を妨げた阿部詩選手が2回戦で敗れてメダルなし、昔その阿部詩選手に敗れて階級を一つ下げた角田選手が金メダル、という運命の女神が皮肉な差配をする結果となりました。世の中、えてしてそういうものなんだな、と妙に納得するところがあるような気がします。
もちろん阿部詩選手はまだまだ若くて、これからもっともっと強くなって日本の女子柔道を牽引していく選手になるでしょうから、こんな一度の敗北などじきに乗り越えていくでしょう。
それにしてもスポーツ界全体が大きく変わり始めていること、アスリートの考え方や、トレーニングの仕方、その生き方までが、大きく変わってきているのが、門外漢である私などにも感じられます。それを一番強く感じたのは、大谷選手の活躍と共に彼のトレーニングの様子や、彼がどんな日常生活を過ごしているか、彼がどういう考え方をしているかといったことが、逐一事細かに報道されるようになってからのことのように思います。WBCの全試合がそのすべてを集約したようなものでしたが、そこで見る大谷選手は、従来の野球選手のみならず、すべてのアスリートというもののイメージを転倒してしまうほどのインパクトがあったように思います。
それは私のような素人だけでなく、WBCに参加した日本の若い選手たち全員に共有された感覚のようで、その後の彼らの活躍の裏にみられる考え方の変化、日常生活も含めた彼らの行動様式の変化等々に如実に表れているようにい思います。しかし、大谷選手がたった一人の特異なアスリートだということではなくて、彼が典型的なロールモデルのような人物となったことは確かですが、たぶんダルビッシュだってそうだろうし、次々にヨーロッパのクラブチームに入って何年も活躍している日本の若い「海外組」のサッカー選手たちもそうだろうし、槍投げの北口選手なども、この競技に強い、よい指導者のいる国へ行って何年も修行していたようなことも聞きました。みな従来の日本的な「根性と頑張り」だけのアスリート像を脱皮して、新しい時代のアスリート像を求めてきた人たちなのだろうと思います。こういう選手たちが次々に出てきて活躍するのを見るのは、個々の勝った、負けたよりも、よほど楽しみだし、深い楽しみがあると思います。
きょうの夕餉

今日は久しぶりに手巻き寿司でした。
きゅうり、カイワレ、アゲの甘煮、ニンジンの甘煮、卵焼き、たくあん、牛肉の甘辛煮、梅干し、蟹、サーモン、大葉・・・・といったものを大きく切った海苔に、すし飯と一緒に巻き込んでいただきました。

すし飯と海苔

あとは豆腐とアゲの味噌汁と

のこりもの。

これはお昼の冷麺。

これは明日のためにパートナーガ作ったラタトゥイユ。いろんな上賀茂野菜がふんだんに使われていて、その野菜の甘味、酸味(トマトの)が、ほとんどほかの混ぜ物を必要とせずに、すばらしい味を醸し出してくれます。
(以上でした)
今日も少しHPの読書感想文のアップロードをしていましたが、それよりも、今までアップしたところを点検していたら、たくさんリンケージを間違っていて、リンクで開くはずのページが開かなかったりするところが見つかって、そういうのを修復するのに少々手間がかかりました。
先日來、パートナーがネットフリックスで華流歴史ドラマ「始皇帝」を見ていて、いろいろと教えてくれるので、少し刺激されて(笑)、いまさらながら、始皇帝も愛読していたという韓非子を読んでみようと思って古本の岩波文庫を4冊割安で仕入れました。孔孟、老荘などは曲がりなりにも拾い読みしてきていますが、韓非子までは手がまわらず、中国思想の解説みたいなので、およそこんな思想なんだな、という見当はつけていても、実際に読んだことがなかったのです。実際に為政者の役に立ったのは、孔孟、老荘思想などよりも、韓非子や荀子などの法治国家の思想だったかもしれませんね。やっぱり原典で一通り読んでみないと、どういうものだったかは分からないと思うので、またまた寄り道先が増えただけのことですが、読んでみたいと思っています。
阿部詩選手についてはつい一日二日前にテレビの密着取材みたいなので見ていたら、去年の10月くらいから、きつい腰痛に苦しんでいたらしいが、トルコでのグランドスラム・アンタルヤ大会に出て勝ったら綺麗に腰痛が消えたという話をしていて、長く腰痛に苦しんできたわがパートナーは、腰痛は精神的なストレスと密接な関係がある、というのが持論で、きっと彼女は絶対に金メダルと自他ともに認めているオリンピックを目前にしてやはりものすごいプレッシャーがあるんだと思う、と言っていました。いくら絶対的に強いと言われ、金メダル確実と言われていて、常勝が当たり前と思われているほど圧倒的に強い選手でも、そういう評価が当然視されるほどに、周囲も、ひょっとしたら本人も気づかない心身の深みでものすごいプレッシャーを受け、ストレスを抱えているものなのかもしれません。
彼女が敗けたと聞いて、パートナーは、やっぱり・・・とひとこと。ほんとうに可哀そうやわ、と。日本中の人が勝つのが当然と思い、金メダルを期待し、応援してるからね、と心から送り出し・・・それはすべて悪いことではないのだけれど、それがひとりの優れたアスリートの人生を、一つ間違えば潰してしまう怖さがあるということに慄然とします。
私がオリンピックを好きになれないのは、国民の税金を湯水のように使って、結局はIOCに巣くうファシストの子孫たち、政治家、大手広告代理店、一部の企業などの懐を豊かにするだけで、それもまず間違いなく、明らかになろうがなるまいが、汚職まみれのビッグプロジェクトになるから、と思っていたけれど、ほんとうは一人一人の優れたアスリートの、アスリート本来のありようをゆがめてしまうから、ということも大きな理由かもしれません。
世界選手権のように毎年、その年に誰が一番強いかを競い合うような各ジャンルの大会は当然あってよいけれど、4年間その大会に出て勝つためにだけ自分のすべてを擲ってきました、というような生き方をアスリートに強いるオリンピックなど、まったく百害あって一利なし、これからの時代のアスリートの在り方を考えるとき、無用の長物の類ではないかという気がします。
野球の大谷選手のように野球好きの少年がそのまま大きくなって、いまも野球をやっている、というような姿がアスリートの本来的な姿ではないか、と思います。負けたって、ま、いいか、勝つときもありゃ負けるときもあるさ。来年また頑張るよ、とカラッと笑って相手を讃えて帰ってこれるようなスポーツであってほしいと思います。
絶対強い、と期待された阿部詩選手が負け、同様に期待された早田選手らが負け、絶対強いと言われるほど危ない、というのが本当に聞こえてしまいそうです。
先日これもテレビでの密着取材の様子を見た、体操の橋本選手なども、見ていて、以前のような生き生きとした、自信にあふれた生気がみなぎる表情が影をひそめ、何か一回り小さくなったように、勢いが失われた印象をもちました。杞憂であればいいのですが・・・・彼もつい先ごろまで指のケガで苦しんでいたようだし、一度金メダルまで取って燃え尽き症候群的な状態になったようだし、今回のオリンピックには、最初に金を目指していたときよりも何倍ものプレッシャーがかかり、はるかに大きなストレスを心身深くに抱えているに違いありません。
もうそろそろこういうかけがえのない世界中のトップアスリートたちを、オリンピックというつまらないストレス源から解放してあげるべきなのではないかと思います。
私が(見るのが)好きな柔道では、昨日も触れた巴投げ+関節技の角田選手が金メダルをとったそうです。彼女は、高校を卒業するとき柔道はやめようと思っていたらしいのですが、大学からの誘いと勧めがあって続けたけれど、さしたるめざましい戦績も残せずにいたところ、あるとき柔術の講習会か何かに参加して興味をもち、自分の父親が整骨を仕事にしているヒトらしくて、もともと人の骨格や筋肉については詳しかったこともあって、独自の関節技を磨きあげて、巴投げと合わせて自分の得意技として、そこから彼女独特のトップにのぼりつめる行程が始まったのだそうです。
それでも五十何キロ級では阿部詩という巨大な壁が立ちはだかっていたので、やむなくひとつ軽いクラスへ転向して、今日に至る道を切り開いて来たらしい。
今回のオリンピックでは、彼女の道を妨げた阿部詩選手が2回戦で敗れてメダルなし、昔その阿部詩選手に敗れて階級を一つ下げた角田選手が金メダル、という運命の女神が皮肉な差配をする結果となりました。世の中、えてしてそういうものなんだな、と妙に納得するところがあるような気がします。
もちろん阿部詩選手はまだまだ若くて、これからもっともっと強くなって日本の女子柔道を牽引していく選手になるでしょうから、こんな一度の敗北などじきに乗り越えていくでしょう。
それにしてもスポーツ界全体が大きく変わり始めていること、アスリートの考え方や、トレーニングの仕方、その生き方までが、大きく変わってきているのが、門外漢である私などにも感じられます。それを一番強く感じたのは、大谷選手の活躍と共に彼のトレーニングの様子や、彼がどんな日常生活を過ごしているか、彼がどういう考え方をしているかといったことが、逐一事細かに報道されるようになってからのことのように思います。WBCの全試合がそのすべてを集約したようなものでしたが、そこで見る大谷選手は、従来の野球選手のみならず、すべてのアスリートというもののイメージを転倒してしまうほどのインパクトがあったように思います。
それは私のような素人だけでなく、WBCに参加した日本の若い選手たち全員に共有された感覚のようで、その後の彼らの活躍の裏にみられる考え方の変化、日常生活も含めた彼らの行動様式の変化等々に如実に表れているようにい思います。しかし、大谷選手がたった一人の特異なアスリートだということではなくて、彼が典型的なロールモデルのような人物となったことは確かですが、たぶんダルビッシュだってそうだろうし、次々にヨーロッパのクラブチームに入って何年も活躍している日本の若い「海外組」のサッカー選手たちもそうだろうし、槍投げの北口選手なども、この競技に強い、よい指導者のいる国へ行って何年も修行していたようなことも聞きました。みな従来の日本的な「根性と頑張り」だけのアスリート像を脱皮して、新しい時代のアスリート像を求めてきた人たちなのだろうと思います。こういう選手たちが次々に出てきて活躍するのを見るのは、個々の勝った、負けたよりも、よほど楽しみだし、深い楽しみがあると思います。
きょうの夕餉

今日は久しぶりに手巻き寿司でした。
きゅうり、カイワレ、アゲの甘煮、ニンジンの甘煮、卵焼き、たくあん、牛肉の甘辛煮、梅干し、蟹、サーモン、大葉・・・・といったものを大きく切った海苔に、すし飯と一緒に巻き込んでいただきました。

すし飯と海苔

あとは豆腐とアゲの味噌汁と

のこりもの。

これはお昼の冷麺。

これは明日のためにパートナーガ作ったラタトゥイユ。いろんな上賀茂野菜がふんだんに使われていて、その野菜の甘味、酸味(トマトの)が、ほとんどほかの混ぜ物を必要とせずに、すばらしい味を醸し出してくれます。
(以上でした)
今日も少しHPの読書感想文のアップロードをしていましたが、それよりも、今までアップしたところを点検していたら、たくさんリンケージを間違っていて、リンクで開くはずのページが開かなかったりするところが見つかって、そういうのを修復するのに少々手間がかかりました。
先日來、パートナーがネットフリックスで華流歴史ドラマ「始皇帝」を見ていて、いろいろと教えてくれるので、少し刺激されて(笑)、いまさらながら、始皇帝も愛読していたという韓非子を読んでみようと思って古本の岩波文庫を4冊割安で仕入れました。孔孟、老荘などは曲がりなりにも拾い読みしてきていますが、韓非子までは手がまわらず、中国思想の解説みたいなので、およそこんな思想なんだな、という見当はつけていても、実際に読んだことがなかったのです。実際に為政者の役に立ったのは、孔孟、老荘思想などよりも、韓非子や荀子などの法治国家の思想だったかもしれませんね。やっぱり原典で一通り読んでみないと、どういうものだったかは分からないと思うので、またまた寄り道先が増えただけのことですが、読んでみたいと思っています。
saysei at 22:06│Comments(0)│