2022年09月28日
時平のこと
先日、殿上人がどれくらいいたのか、人数を調べるために逸文を参照した、宇多天皇が譲位するにあたって、息子の敦仁親王(醍醐天皇)に与えた訓誡書「寛平御遺誡」はなかなか面白い文書で、左右大臣の人物評が載っています。
右大臣菅原道真は宇多天皇自身が異例の抜擢をして、藤原北家一色になりそうな政権内部で天皇の自立性を保つために大黒柱と頼みにした大秀才ですから、東宮を立てる際も譲位する際も彼一人に明かして相談したのだ、ということまで述べて、この直言居士の忠臣は新しい帝にとっても功臣であろうから大切に思え、というようなことを述べています。
他方、左大臣藤原時平については、こんな具合です。
左大将藤原朝臣は、功臣の後なり。その年少(わか)しといへども、すでに政理(まつりごと)に熟(くは)し。先の年、女のことにして失(あやま)てるところあり。朕早(つと)に忘却して、心を置かず。朕去(い)ぬる春より激励(はげまし)を加へて、公事(くじ)を勤めしめつ。まあすでに第一の臣たり。能く顧問に備へて、その輔道(ほだう)に従へ。新君慎め。(「寛平御遺誡」岩波書店日本思想大系『古代政治社會思想』所収)
「女のことにして失てるところあり」というのが、『古今集』(本朝巻22第8)にみえる「時平の大臣、國經の大納言の妻を取りし語」という話らしいのです。これがなかなか傑作です。
前段に書かれているのは、関白基経の息子で右大臣時平が歳三十ばかりで。容姿端麗みめ麗しいオトコマエだということが述べられ、彼が決まり事を破った装束を格別に派手に着こなし内裏へ上がったのをみた醍醐天皇が小蔀の間から見て気分が悪くなって、直ちに時平を退出させるように命じられた。決まり事というのは、どうやら華美な服装などひかえて、倹約にこれつとめよ、というようなことで、世間ではこれを厳しく順守させているのに、第一の大臣がこう華美な服装を着てくるのはけしからぬ、ということらしい。
これを伝えられた時平は驚いてすぐに退出し、屋敷に引きこもってしまった。人が来ても、天皇のお怒りに触れた罪は重いと言って会いもしないで一月ほども引きこもっていた。後になって内裏に召されて参上したということだ。
・・・という話が前段にあるのですが、この話にはオチがあって、早くに天皇と時平で申し合わせて、ほかの者たちをよく誡めようとして、一芝居うったのだ、ということだった、と。
時平というと関白基経の子で、次代の藤原北家の代表選手として左大臣にのぼりつめ、やがて讒言をもって道真を太宰府へ追いやり、権力を独占するに至る人物として、後世、天神という神様にまでなった道真とは対照的な悪役として評判が悪いけれど、こういうエピソードをみると、ほんとかどうかはともかく、天皇とはからって華美な服装をまとって参内し、天皇の勘気に触れて一月も蟄居して、ほかの殿上人らの華美に流れるのを戒めるのに一役買うなんて、なかなか茶目っ気のある男じゃないか、という気がします。
天皇にやらんか、と言われて、いいですよ、とこういう役割を引き受けるというのもなかなかいいし、ひょっとしたら、時平のほうからもちかけた話かもしれません。
ましてや、後段の本来の「國經の大納言の妻を取りし語」を読むと、時平というのは、たしかに常識やぶりのことをケロリとしてやってのけるプレイボーイだったかもしれないけれど、なかなか太っ腹の、茶目っ気のある魅力的な人物だったように思われます。
國經の大納言というのは、どうやら時平の伯父にあたる、歳はもう80歳にもなりますが、その妻はなんと20歳そこそこの「形端正にして、色目めきたる人」で、要するに容姿端麗で色っぽい女だったようです。それでこの女性は「老いたる人に具したるを頗る心ゆかぬ事にぞ思ひたりける」と。
時平のほうも、伯父の大納言の北の方が美しく麗しい女性だと聞いて、一度見たいものだと思っていたのですが、チャンスがなくて日を過ごしていました。
ここに狂言回しの平中と言われる好き者が登場します。彼は色好みで、人の妻、娘、宮仕えの女などで美しいときけば必ず見にいくので、見ていない者が少ないほどでした。この男が時平のところに常日頃から出入りしていましたが、あるとき時平が伯父の北の方のことを想いつつ平中に、近頃見た女でこれはすばらしいと思う女子が誰かあるか、と訊ねます。
すると平中は、(大臣の伯父に当たる方の北の方のことを言うので)大臣の前でこういうのは恐縮ですが、「藤大納言の北の方こそ実に世に似ずめでたき女はおはすれ」と答えたのです。時平は、それはどうやって見たのか、と訊ねます。
平中が言うには、「そのお屋敷に居る人を知っているのですが、その者が申しますには、その方が年老いた人に添ったことをひどくみじめなことと思っていらっしゃるとのこと。そこで無理に計画し、人を中に立ててその方の消息を言わせましたところ、にくからず思っていると聞きましたので、不意に偲んで見て参ったのです。しかしゆっくりと見ることもできませんでした。」と。
時平は「いと悪しきわざをもせられけるかな。」とぞなむ笑ひ給ひける。つまり、そりゃひどい悪さをなさったものだなぁ、と笑ったというのですね。
これを聴いて、時平はおれもひとつやってみよう、と今までご無沙汰だった大納言のところへ足を向けるようになります。大納言のほうは、甥とはいえ、自分よりずっと身分の高い時平の訪れを恐縮しながら喜んでいます。時平のほうは大納言の妻がお目当てなので、それを知らずに喜んでいる大納言のことを滑稽に思う、ちょっと意地悪な気持ちが生じています。
正月に大納言のところへなど行ったことがないのに、正月の三日、時平はしかるべき上達部、殿上人を引き連れて大納言の家に行きます。大納言は大喜びで酒や食事を振る舞って歓待し、夜が更けるまで歌を詠み合ったりして遊びます。
その様子を御簾の影から大納言の妻が見ていて、時平の容姿の美しさ、声や雰囲気、着物にたきこめた香の薫りをはじめ、すべてこの世のものとも思われず、素晴らしいのを目の当たりにするほどに、こうして老人に連れ添って閉じ込められている我が身の宿世がなさけなく思われる。いったいどんな人がこんな素敵な人により添っているのだろうか。私は年老いて古臭い人に添う身で、平生からなにかにつけてイラつくことが多いが、この大臣の姿を拝見すると、ますますこの心の置きどころがなく、わびしく思える。
他方の時平の方も、実はこの簾の影に彼女がいることは先刻承知で、しばしば流し目をよこすので、北の方は御簾のうちにあっても気恥ずかしいことこの上ない。
夜も更けて、みな帰ろうと、車を呼び、車寄せに車を寄せる。しかし時平は、酔っぱらってしまったから、少し酔いがさめるまでここで待とうと、動かない。
そして、時平が言うには、大納言の家に目下として敬意を払うためにこうしてやって来たのだからと、引き出物として筝を取りだし、またすぐれた馬を二頭引かせてきたのを大納言に贈るという。
大納言はひどく喜ぶも、そんな贈り物をもらってこちらは何の用意もなく、身の置き所がない思いだが、さきほどから時平が、妻の控えている御簾のほうをちらちらと常に見ているのを知っていた大納言は、「かかる者持ちたりけりと見せ奉らむと思ひて、酔ひ狂(たぶ)れたる心に」、つまり私もここにこういう者を持っているのでひとつご披露しましょう、と酔いに任せてつい、「私はこの妻をすばらしいと思っていますが、すばらしい大臣でいらっしゃっても、これだけのものはお持ちになれないでしょう。この老人のもとにはこのような者がおるのですよ。これを引出物として差し上げましょう。」と言って、屏風を押したたんで、御簾から手を差し入れて北の方の袖を取って引き寄せ、「ここに居ます」と言い放ったのです。
時平は「実に参った甲斐があって、今こそ嬉しうござるよ」と言い、その引出物に時平が近寄ってきたので、大納言はその場を立ち退いた。そうして、他の上達部、殿上人らも声をかけさせて立ち退かせてしまった。
時平は、「ひどく酔った。さあ車を寄せよ。ちと苦しい」と言って、車が庭に引き入れられると、大納言が寄ってきて車の御簾をもたげると、時平はその北の方をかき抱いて、車の中へ押し込み、つづいて自分が乗り込むと、すぐに車を出させて屋敷へ帰って行った。大納言はなすすべもなく「やや、ばぁさんや、わたしをどうか忘れないでおくれ」と言うばかりだった。
ざっとそんなところで、企んだ時平も自分の権力をかさにまんまと目下の伯父の美しく若い妻を横ごりしてしまうのだから、ひどいやつですが、これは酔いにまかせて、こともあろうに自分の妻を引出物にと口走った大納言のほうもいけませんね。時平はあまり自分の評判など気にしないで、こういうことをやってしまう豪胆なところがあって、たしかにプレイボーイだったのでしょうが、憎めないところがあります。女性の方も夫が超高齢者ではうんざりしていたので、さらわれて喜んでいたでしょう。
右大臣菅原道真は宇多天皇自身が異例の抜擢をして、藤原北家一色になりそうな政権内部で天皇の自立性を保つために大黒柱と頼みにした大秀才ですから、東宮を立てる際も譲位する際も彼一人に明かして相談したのだ、ということまで述べて、この直言居士の忠臣は新しい帝にとっても功臣であろうから大切に思え、というようなことを述べています。
他方、左大臣藤原時平については、こんな具合です。
左大将藤原朝臣は、功臣の後なり。その年少(わか)しといへども、すでに政理(まつりごと)に熟(くは)し。先の年、女のことにして失(あやま)てるところあり。朕早(つと)に忘却して、心を置かず。朕去(い)ぬる春より激励(はげまし)を加へて、公事(くじ)を勤めしめつ。まあすでに第一の臣たり。能く顧問に備へて、その輔道(ほだう)に従へ。新君慎め。(「寛平御遺誡」岩波書店日本思想大系『古代政治社會思想』所収)
「女のことにして失てるところあり」というのが、『古今集』(本朝巻22第8)にみえる「時平の大臣、國經の大納言の妻を取りし語」という話らしいのです。これがなかなか傑作です。
前段に書かれているのは、関白基経の息子で右大臣時平が歳三十ばかりで。容姿端麗みめ麗しいオトコマエだということが述べられ、彼が決まり事を破った装束を格別に派手に着こなし内裏へ上がったのをみた醍醐天皇が小蔀の間から見て気分が悪くなって、直ちに時平を退出させるように命じられた。決まり事というのは、どうやら華美な服装などひかえて、倹約にこれつとめよ、というようなことで、世間ではこれを厳しく順守させているのに、第一の大臣がこう華美な服装を着てくるのはけしからぬ、ということらしい。
これを伝えられた時平は驚いてすぐに退出し、屋敷に引きこもってしまった。人が来ても、天皇のお怒りに触れた罪は重いと言って会いもしないで一月ほども引きこもっていた。後になって内裏に召されて参上したということだ。
・・・という話が前段にあるのですが、この話にはオチがあって、早くに天皇と時平で申し合わせて、ほかの者たちをよく誡めようとして、一芝居うったのだ、ということだった、と。
時平というと関白基経の子で、次代の藤原北家の代表選手として左大臣にのぼりつめ、やがて讒言をもって道真を太宰府へ追いやり、権力を独占するに至る人物として、後世、天神という神様にまでなった道真とは対照的な悪役として評判が悪いけれど、こういうエピソードをみると、ほんとかどうかはともかく、天皇とはからって華美な服装をまとって参内し、天皇の勘気に触れて一月も蟄居して、ほかの殿上人らの華美に流れるのを戒めるのに一役買うなんて、なかなか茶目っ気のある男じゃないか、という気がします。
天皇にやらんか、と言われて、いいですよ、とこういう役割を引き受けるというのもなかなかいいし、ひょっとしたら、時平のほうからもちかけた話かもしれません。
ましてや、後段の本来の「國經の大納言の妻を取りし語」を読むと、時平というのは、たしかに常識やぶりのことをケロリとしてやってのけるプレイボーイだったかもしれないけれど、なかなか太っ腹の、茶目っ気のある魅力的な人物だったように思われます。
國經の大納言というのは、どうやら時平の伯父にあたる、歳はもう80歳にもなりますが、その妻はなんと20歳そこそこの「形端正にして、色目めきたる人」で、要するに容姿端麗で色っぽい女だったようです。それでこの女性は「老いたる人に具したるを頗る心ゆかぬ事にぞ思ひたりける」と。
時平のほうも、伯父の大納言の北の方が美しく麗しい女性だと聞いて、一度見たいものだと思っていたのですが、チャンスがなくて日を過ごしていました。
ここに狂言回しの平中と言われる好き者が登場します。彼は色好みで、人の妻、娘、宮仕えの女などで美しいときけば必ず見にいくので、見ていない者が少ないほどでした。この男が時平のところに常日頃から出入りしていましたが、あるとき時平が伯父の北の方のことを想いつつ平中に、近頃見た女でこれはすばらしいと思う女子が誰かあるか、と訊ねます。
すると平中は、(大臣の伯父に当たる方の北の方のことを言うので)大臣の前でこういうのは恐縮ですが、「藤大納言の北の方こそ実に世に似ずめでたき女はおはすれ」と答えたのです。時平は、それはどうやって見たのか、と訊ねます。
平中が言うには、「そのお屋敷に居る人を知っているのですが、その者が申しますには、その方が年老いた人に添ったことをひどくみじめなことと思っていらっしゃるとのこと。そこで無理に計画し、人を中に立ててその方の消息を言わせましたところ、にくからず思っていると聞きましたので、不意に偲んで見て参ったのです。しかしゆっくりと見ることもできませんでした。」と。
時平は「いと悪しきわざをもせられけるかな。」とぞなむ笑ひ給ひける。つまり、そりゃひどい悪さをなさったものだなぁ、と笑ったというのですね。
これを聴いて、時平はおれもひとつやってみよう、と今までご無沙汰だった大納言のところへ足を向けるようになります。大納言のほうは、甥とはいえ、自分よりずっと身分の高い時平の訪れを恐縮しながら喜んでいます。時平のほうは大納言の妻がお目当てなので、それを知らずに喜んでいる大納言のことを滑稽に思う、ちょっと意地悪な気持ちが生じています。
正月に大納言のところへなど行ったことがないのに、正月の三日、時平はしかるべき上達部、殿上人を引き連れて大納言の家に行きます。大納言は大喜びで酒や食事を振る舞って歓待し、夜が更けるまで歌を詠み合ったりして遊びます。
その様子を御簾の影から大納言の妻が見ていて、時平の容姿の美しさ、声や雰囲気、着物にたきこめた香の薫りをはじめ、すべてこの世のものとも思われず、素晴らしいのを目の当たりにするほどに、こうして老人に連れ添って閉じ込められている我が身の宿世がなさけなく思われる。いったいどんな人がこんな素敵な人により添っているのだろうか。私は年老いて古臭い人に添う身で、平生からなにかにつけてイラつくことが多いが、この大臣の姿を拝見すると、ますますこの心の置きどころがなく、わびしく思える。
他方の時平の方も、実はこの簾の影に彼女がいることは先刻承知で、しばしば流し目をよこすので、北の方は御簾のうちにあっても気恥ずかしいことこの上ない。
夜も更けて、みな帰ろうと、車を呼び、車寄せに車を寄せる。しかし時平は、酔っぱらってしまったから、少し酔いがさめるまでここで待とうと、動かない。
そして、時平が言うには、大納言の家に目下として敬意を払うためにこうしてやって来たのだからと、引き出物として筝を取りだし、またすぐれた馬を二頭引かせてきたのを大納言に贈るという。
大納言はひどく喜ぶも、そんな贈り物をもらってこちらは何の用意もなく、身の置き所がない思いだが、さきほどから時平が、妻の控えている御簾のほうをちらちらと常に見ているのを知っていた大納言は、「かかる者持ちたりけりと見せ奉らむと思ひて、酔ひ狂(たぶ)れたる心に」、つまり私もここにこういう者を持っているのでひとつご披露しましょう、と酔いに任せてつい、「私はこの妻をすばらしいと思っていますが、すばらしい大臣でいらっしゃっても、これだけのものはお持ちになれないでしょう。この老人のもとにはこのような者がおるのですよ。これを引出物として差し上げましょう。」と言って、屏風を押したたんで、御簾から手を差し入れて北の方の袖を取って引き寄せ、「ここに居ます」と言い放ったのです。
時平は「実に参った甲斐があって、今こそ嬉しうござるよ」と言い、その引出物に時平が近寄ってきたので、大納言はその場を立ち退いた。そうして、他の上達部、殿上人らも声をかけさせて立ち退かせてしまった。
時平は、「ひどく酔った。さあ車を寄せよ。ちと苦しい」と言って、車が庭に引き入れられると、大納言が寄ってきて車の御簾をもたげると、時平はその北の方をかき抱いて、車の中へ押し込み、つづいて自分が乗り込むと、すぐに車を出させて屋敷へ帰って行った。大納言はなすすべもなく「やや、ばぁさんや、わたしをどうか忘れないでおくれ」と言うばかりだった。
ざっとそんなところで、企んだ時平も自分の権力をかさにまんまと目下の伯父の美しく若い妻を横ごりしてしまうのだから、ひどいやつですが、これは酔いにまかせて、こともあろうに自分の妻を引出物にと口走った大納言のほうもいけませんね。時平はあまり自分の評判など気にしないで、こういうことをやってしまう豪胆なところがあって、たしかにプレイボーイだったのでしょうが、憎めないところがあります。女性の方も夫が超高齢者ではうんざりしていたので、さらわれて喜んでいたでしょう。
saysei at 13:30│Comments(0)│