2021年09月19日
上賀茂神社の彼岸花・ならの小川の萩

上賀茂神社の境内にも彼岸花が咲いていました。

外側の鳥居入ってすぐ右手の草地です。

垣根沿いにもたくさん。

とても自然な感じ。

こちらは境内の東を流れる「ならの小川」。いま畔に咲く萩が綺麗です。

禊(みそぎ)をするための流れ。降りられるようになっています。

萩はススキと同じようにほとんど雑草の類に近い、昔からある素朴な花で、私の大好きな花の一つです。団地の南側塀沿いに萩が並んでいて秋になるといつも伸ばし放題伸ばした枝に赤紫の花をいっぱいにつけて楽しませてくれたのですが、どういうわけかすっかり消えてしまって、いまは何の変哲もない人工的なプリペットが並んでいます。植木屋さんのセンスなのか、いずれかの年の理事会がそうしてしまったのか知りませんが、残念なことです。

雲の多かった空も夕方見上げると真っ青な心も晴れるような空が広がっていました。もう鹿さんたちは出てきてくれないけれど・・・
きょうは上賀茂で朝採りの上賀茂野菜をいっぱい買ってきました。スーパーのと、自動販売機のと両方少しずつ。冬瓜、もろへいや、キュウリ、青唐辛子、枝豆。どれも新鮮でおいしそう。
残念ながらトマトやレタスやキャベツは地元のものは払底していて、北海道産とか長野産とか、遠い土地のものが、相変わらずふだんの倍くらいの値段で売られています。トマトなど日照時間が短いせいか、赤くないトマトで、どう見ても美味しそうには思えません。
きょうはハイデッガーの『カントと形而上学の問題』、一度いっぱい赤線を引きながら通読したやつを、もう一遍最初からじっくり読んで、ノートして気づいたことをメモしていく自分流の精読の場合のやり方です。精読といったって、ハイデガーを数日で読むんですから(笑)、速読・粗読を旨とする私にしては<精読>というだけです。いや、単に私が読むから<精読>か(笑)
現実の諸問題へ関わるアクティブな姿勢といささか論証抜きに強引に言い切ってしまう勢いでは若き日のフーコー(「カントの人間学」)もすごいな、と思いますが、純然たる書斎派の哲学者としてはハイデッガーの緻密な読みは、若いフーコーの比ではなく、さすがだな、と素人目にも思えて、読みごたえを覚えながらなんとか文字面をたどっています。早く片付けてしまわないと、本来の感想を書く従弟の子の本に戻れない(笑)
きょうの夕餉

茄子の味噌田楽

芋煮

鶏の胸肉の塩麹焼き

ザーサイ豆腐

胡瓜カツオ

万願寺唐辛子の素焼き

鮭の塩焼き

五目マメ

サラダ

枝豆

今夜の月はとても綺麗でよく輝いていました。21日が中秋の名月、2日後ですから、満月迄あと少し、綺麗に輝いて見えるはずですね。
saysei at 18:12│Comments(0)│