2020年11月21日

「24」オリジナル版を全部みて

(ネタばれあり)

 オリジナル版字幕での「24」シリーズをアマゾンのプライムビデオで無料で見ることができたので、結局シーズン1から主人公ジャックバウワーが活躍するシーズン9まで、それぞれ24回ずつの「エピソード」(シーズン9だけちょっと短かったようだけれど)すべて見てしまいました。シーズン10と題されたのもあって途中まで見ましたが、これはジャックバウワーとは何の関係もない、舞台はCTUの本部だったかで、似たような話ではあるけれど、主人公らしき人物も周囲の登場人物も、ストーリーも全く別仕立ての物語で、なぜこれを「24」のシーズン10としたのか、意味不明です。

 「24」が大ヒットしたので味を占めたテレビ局が、同じCTUを舞台に別の主人公で新たな物語を作って、また継続展開させようとしたのかもしれませんが、別段CTUが舞台なのが魅力の核心だったわけじゃないので、そんなもくろみであったとすれば大失敗でしょう。このあとシーズン11、12と続けるのかと問われて、製作者は10で終わりだと言ったそうです。きっと視聴率が取れなかったのでしょう。無理もありません。ジャック・バウアーのシーズン1~9を見たあとでシーズン10を数回見れば、いかに登場人物も脚本も格落ちの二番煎じかが誰の目にも明らかだからです。

 「24」オリジナル版の魅力は数えきれないほどあります。もちろんその中にはCTU、対テロ対策ユニットが舞台になっていて、国際的、国内的な陰謀をめぐる情報が集約される裏の世界の交差点みたいな場ですから、表の世界には出てこない、しかし表の世界に噴き出した時には、圧倒的多数の市民の生命に関わるような重大な、法を超えた権力と権力の死闘が一瞬の絶え間もなく繰り返され、その中で人知れず消されていく命が数限りない、といった場ですから、それを的確に描き出せばエンターテインメントとして面白くないはずがない、という舞台です。

 そこで死闘を繰り広げる権力には誰にも分かりやすい体制を異にする仮想敵国の権力、例えば米国にとってのロシアや中国のような国家権力があり、また国名は明示されないけれど、アラブ諸国がテロの支援者ではないか、というニュアンスでたびたび登場します。実際に手を下すのはテロリスト集団で、単に金が目当てという集団もなくはないけれど、多くは米国の中東への軍事介入の犠牲になったアラブ諸国の兵士たちや庶民の家族、身内の憤激が、どんな形であれ米国に復讐することを「大義」として自らの命を投げ出すこともいとわない恐るべきテロリストたちを生み出していることは明らかです。その辺は実にリアルに、ある意味でテロリスト側の必然性も公平に描き出しています。そこが騎兵隊=正義、インディアン=悪といった昔の西部劇や、ランボー的な能天気な愛国主義ドラマとは一味違っています。特に最初の方のシーズンで登場した爆弾テロのアラブ人などは、堂々たる主義主張の持ち主で、たしかにテロ行為は容認しがたいけれども、彼がテロリストになった経緯や、アメリカはもっとひどいことを我々にしてきたじゃないか、という主張自体を否定できるかと言えば、公平に見て困難でしょう。

 こういう「テロリスト」の描き方ひとつとっても、リアリティに富んでいるのがこのドラマの魅力です。最後のステルス無人機によるミサイルテロでアメリカ市民を恐怖に陥れるアラブ系の夫人リーダーも、家族さえも裏切る気配をみせれば傷つけ、殺すこともいとわない、氷のように冷たいキャラクターのように描かれているけれど、なぜ彼女がそこまで冷酷なテロリストになったかといえば、アメリカの軍事的な作戦によって、兵士でもない善良な市民だった夫を米軍の無人機のミサイルで無慙に殺されたからで、多分私でもそんなふうに何の罪もない子や孫や妻を殺されれば、自分にその力と機会さえあれば、必ずその首謀者に何らかの形で償いをさせずにおかないと考えるでしょう。それが個人なら比較的容易かもしれませんが、相手が自分個人ではとうていかないっこない強大な権力であったとすれば、弱者の方法と武器を選ばざるを得ないでしょう。高橋和巳がかつて講演で「私は弱者の暴力を容認する」という意味のことを語ったことがありました。彼の「暗殺の哲学」も同様の趣旨を述べていたと思います。私も核兵器やバイオテロを使って無辜の市民を大量に殺戮するようなテロを、どのような理由があっても決して容認しませんが、抑圧された民衆の蜂起(それは一つの暴力ですが)まで何が何でも暴力反対と言って否定することはできそうもありません。その意味では、ジャック・バウアーに必ずしも観客として一心同体にはなれません。

 
 CTUを舞台に繰り広げられる暗闘の背後にある権力は、こうした分かりやすい敵・見方の勢力だけではありません。むしろ内部の敵のほうが、ずっとこわい、ということをこのドラマは教えてくれます。内部の敵には、ごく狭い直接な範囲で言えば、主人公がいるCTU内部の裏切り者やスパイで、このドラマを見ていると、CTUというのはもう必ずスパイの一人や二人や居ると思わなければならない(笑)。それも、ほかのやつがスパイだと思わせる細工をするので、ドラマ展開の上では、ようやくスパイを突き止めて排除したと思った時が一番危ない、ということになります。それも最初からスパイである、というのはまだ分かりやすいけれども、途中から色々な個人的事情で裏切る、というのは信頼して動いているだけに、もっと危ない。その理由は色々あって、自分が愛する人を助けるためのギリギリの選択であったりするので、必ずしも本人が悪だくみをもっているというのではないから、単純に敵と決めつけられないところがあります。

 さらに、このドラマでは主人公のジャック自身が、普通で言えば組織のルールで遵守すべきことを、平気で破ってしまうことが頻繁に起きます。それはもちろんジャックの立場に立てば、場合によって数十万、数百万の命が失われるかもしれない瀬戸際で、ゆっくり周囲を説得したり、ルール通りの手順を踏んだりしている暇がないから、一瞬の判断で、味方にまで銃を突き付けて無理に従わせ、とらえた警官射殺犯を背後のテロリストに迫るために取引してわざと逃がすようなことを割と簡単にやってしまうのです。

 このドラマで始終登場する拷問なども、本来は戦争中でさえもやってはいけない、ましてや刑事犯やらなにやら普通の犯罪捜査で拷問などご法度なはずですが、バウワーはこの拷問が大の得意技(笑)。銃を突きつけたり、実際に身体の一部を撃ったり、おどしとはいえナイフを目の下にあてて眼球を片方くりぬくぞ、と脅したり、夫婦の罪のない妻の方の脚を拳銃で実際に撃って夫に白状させたり、テロリストの手指を一本折ってみたり、神経系を侵す薬剤を注射して激痛を与えるのはいつものこと。とにかくやりほうだいです。もちろんそのかわり自分もつかまると徹底的にやられるので、一時はテロリストの拷問で心停止迄起こしてしまうこともありますし、作戦で中国大使を死なせたことから中国の敵としてとらえられて中国本土に2年間だったかとらえられて拷問を受け続ける、というような目にも遭います。

 拷問の話が出てくると、やはり人間にとってのギリギリの倫理というのは何か、という問いが自然に出てきます。ドラマはただドラマ展開の上で必然的な「仮想的事実」が描かれるだけですが、みている観客としては、こういう場合にこういうことは人間として許されるのだろうか、という結構厳しい倫理的な問いを呼び起こされずには済みません。自分がそこで汚いことに手を染めるのをためらえば、数千、数万の無辜の市民が殺戮される、というとき、「正しさ」とは何なのか。

 ジャックはいつもギリギリのそういう選択を迫られる臨界線上を生きているので、自分を信じて躊躇なく踏み出します。それをあたりさわりなく勤務しているだけの上司などが、ルール違反だ、ととがめると、ジャックは「あんたはいつもそうやって、人に手を汚させ、自分は手を汚さずに成果だけ自分のものにする」という意味の反論をします。まさにそのとおりで、上司は一言もありません。ジャックのルールをはみ出す行為によってのみ、数千、数万の市民の命が辛うじて救われる、それがこのドラマのいつものパターンです。

 もちろん客観的に見ればジャックの行為はドラマ上は結果的に正当化されるかもしれないけれど、いま現実にこういう人がいて、こういうことが起きている、とすれば、彼の行為はたぶん私だって認めるかどうかはわかりません。彼の逸脱した行為以外に本当に一つも選択肢がないかどうか、それは検証されないままやってしまうからです。いつも、いわばジャックの「勘」だのみで、もしそれが外れていれば、単に重大なルール違反や人権侵害、場合によっては殺人や傷害などの犯罪そのものの行為者となってしまうでしょう。拷問にしても、本当に相手が無実で知らなければ、いくらジャックが勘で、こいつは知っているんだ、と頑張って相手が息絶えるまで拷問したとしても、情報を持っていなければ唯の殺人に終わります。それに近い過ちが一度描かれています。それは、CTUの同僚で国防相の娘オードリーの知り合いの男の会社の取引相手にテロの関係者らしき取引先があったというので、その男もテロの関与者と疑ってかかったジャックが拷問する場面があります。結果的にその男は何も知らず、多くの取引先にそのテロ関係の企業が混じっていただけで、本人は何も知らなかった。彼は痛めつけられたことを恨みにも思わず、そのあとジャックに協力してその取引先に赴き、証拠を入手するために命懸けの働きをするのですが、ジャックの「勘」というのも必ずしもあてにはなりません。

 しかしこれはドラマですから、そういうジャックの間違いは1%くらいしかないものとして話が作られています。現実には、どんなに優秀な捜査員がいたとしても、そうはいかないでしょう。そうするとやはりジャックのように安易にルールを破ってしまう人物をこういう役職にとどめておくことは危険だと言わなくてはならないでしょう。その経験と勘を信じないために数千人、数万人が犠牲になる結果もあるかもしれないけれど、やはり社会的なルールとしては、こういう個人の勝手な判断と行動に全面的に依拠することはできないでしょう。

 そこはドラマだから、ほぼジャックの経験と勘が瞬時に導き出す判断と行動指針は99%間違いがないのです。そうすると、ルールを盾にジャックに抵抗する上司のような存在は、みなせっかくのジャックの市民の生命を救うための行動を邪魔する抵抗勢力になってしまいます。当然ここには通常の世界でも下っ端の良心的な職員や勇気ある職員を押さえつける官僚主義的な上司の姿が投影されているでしょう。自分の保身や名誉欲、出世欲にとりつかれ、なにごとも穏便に、隠蔽して、うまくやっているようにみせたがる、小さな権力にしがみついている連中です。こういうのを軽々と突破してみせるところが、半沢直樹じゃないけど、観客の留飲を下げさせる一つの要素かもしれません。

 敵の権力というところに話を戻すと、この種の小さな権力としての抵抗勢力の他に、内部の敵としてもっと奥深く隠れている大きな権力は、最終的にはホワイトハウス迄行きつくわけで、このドラマでは善玉の大統領も悪玉の大統領も出て來るし、善玉だったのが悪玉に変わってしまう大統領も出てきます。また、彼らの権力に対して影響力を及ぼそうとする軍部の右翼、主戦派みたいな連中の圧力というのは常に働いています。これはケネディを抹殺したネオコン一派を髣髴とさせる、アメリカの現実でしょう。
 このドラマの面白さの要因のひとつは、そういう大きな権力、国のトップの権力内部の争いが末端のジャックの判断や行動と密接にかかわって展開されているところです。

 パーマー大統領はいわば理想主義的な善玉大統領ですが、ときにその権力維持のために不都合な真実の隠蔽を図るために権力を行使するところもありますが、概ねジャックを高く評価してこれと直接回線を結び、終始支援していく役割を果たします。このパーマーの妻シェリーというのが夫よりはるかに悪知恵の働く政治的人間で、初めは夫の権力維持のためのように見える行動に終始するのですが、だんだん夫との齟齬が明らかになって遠ざけられると逆に夫を陥れる側に回っていく役回りです。この女のしたたかさは本当にもうリアルすぎて、この顔が出てくると、またこいつが・・・ともう心底うんざりさせられるのですが、本当にこういうやつが権力の中枢に食い込んでいるんだろうなあ、と思わせるだけの説得力のある造型になっています。

 このドラマの魅力の大きな部分を占めるのは、いわゆる悪玉が大きくてリアルなところです。その典型がパーマー大統領の妻であり、新たな大統領ローガンです。レーガンの名と似た名を借りて中身はニクソンのような陰謀家を描いてみせたのでしょうが、いわゆる大統領の犯罪というやつで、まさか誰も大統領が・・・と思う様な悪党ぶりを演じていて見事です。しかも大統領を止めさせられてからも、再登場してその悪の辣腕を思うままに振るい、パーマー同様に理想主義的な大統領だったテイラー大統領をすっかり洗脳して、泥沼に引きずり込むことに成功して、バウワーを危機に陥れます。

 大体このドラマシリーズは人物の再登場が多くて、同じキャラを維持している者もあるけれど、すっかり人柄が代わってしまうような人物もあり、それがまた前の話を知る観客にはこたえられない魅力になっています。最初はCTUの同僚だったニーナが、後日別の場面で再登場して大活躍しますし、同じく同僚だったアルメイダもすっかり変わった形で再登場します。キャラは変わらないけど、同じく同僚で終始ジャックを助けるハッカーのクロエももはやCTU職員ではない形で闇のハッカー組織の一員として再登場します。こうした再登場人物は最初から脚本がそうなっていたかもしれないけれど、ひょっとしたら人気があったから脚本をそういう風に新鮮な再登場のさせ方で展開していったのかもしれません。
そもそもアルメイダなんか死んだはずなのに甦ってくるんだから(笑)。

 いまアメリカの市民が本当にリアルに脅威と感じているかもしれない核兵器、小型核爆弾、バイオテロ、無人機によるテロなど、ありとあらゆる手段によるテロが、このドラマでは非常に現実に在りそうな設定で描かれています。核兵器などは実際に爆発してしまうのです。主人公たちの活躍でなんとか大型の核爆弾は砂漠で爆発させ、鞄に入る小型核爆弾は郊外での爆発に何とか抑え込みますが、それでも1万2千人ほどの死傷者が出たことになっています。どちらも現実の核爆発のようにきのこ雲の立ち上がるのを見せていて、迫力があります。バイオテロでもホテルで細菌感染を引き起こされて宿泊客1000人ほどが無慙な死に方をします。また最後の無人機ミサイル攻撃にもなすすべなく軍の部隊や大病院にミサイルを撃ち込まれて惨事を引き起こされます。また中国に背いて母国への復讐を企てる中国人テロリストグループの国家情報システムののっとりで、原子力潜水艦に中国の空母攻撃命令が出され、実際に中国の空母が攻撃されて、米中戦争勃発の瀬戸際まできて中国の攻撃艦隊が日本の領海に踏み込んで沖縄を攻撃する一歩手前まできます。

 こうしたテロリストたちの手段、武器は、全く空想的なものではなくて、おそらく今のテロリストなら実際に保有しても何ら不思議のないもので、起爆装置を解除できない核爆弾だの、鞄に入れて容易に持ち運びできる小型核、あるいはバイオテロなど、いかにもありそうなテロリストの武器で、おそらく今後アメリカ政府が政策を誤れば、アメリカで実際にそうした武器が使われる可能性はかなり高いかもしれない、と戦慄させられます。どんなに警戒しても、四六時中毎日毎日何十年もの間、一瞬のすきも見せずに防御することは不可能ではないでしょうか。それほどテロリストの武器は「進化」し、持ち込み、持ち運びも容易になり、小型化し、威力の大きいものが登場しているんだと思います。結局そういうテロを生み出してきたアメリカ国家のありよう自体が変わって行かないと、その脅威はなくならないでしょう。

 テロリストたちの立場もある程度納得できるように描かれてはいますが、やはり米国製エンターテインメントですから、主人公はゴリゴリの愛国者で、結局のところアラブ系のテロリストである最後の無人機乗っ取りによるミサイル攻撃をするテロリストの女性も、大義に身を捧げる女性でも同情さるべき人物でもなく、冷酷非情なテロリストとして、要は悪玉として描かれています。そこはランボーと何も変わりません。ただ、いくぶんかそうしたテロリストの背景にも触れられ、他方で主人公の方もまっとうな正義の士ではなくて、性格的に欠点の多く、その判断と行動にも疑問の余地が多々あるような人物として描かれていることが、このドラマをいくらかでもリアルな迫真性のあるものとしている、とは言えるでしょう。

 24時間のできごとをリアルタイムで追う、という一話(エピソード)ごとの展開の手法が事件展開のテンポを著しく速め、その24時間の物語を内側へ織り込むように多くの要素を複雑で巧みな物語のうちに凝縮する凝縮度の高さを実現して、それが密度の濃い物語を作り出していることは確かで、従来のドラマが平面的な地平で展開されるものだとすれば、このドラマの結構は幾重にも連なって集積した超高層ビルのような構造の内部で、例えばある現場であるビルの10階の窓からすぐ目の前の隣のビルの12階の窓が見えて部屋の中まで見通せるばかりか、窓から窓へ隣のビルへ飛び移って舞台を変えることもできる、といった趣があります。そして、それらの行動がすべて隠しカメラで捉えられ、そのシステムに侵入したCTUのハッカーによってCTUの映像システムにリアルタイムでとらえられ、外に出れば衛星で追っかけられる、そういう世界のようです。しかもこれはもはやSFの世界ではなく、いま世界のどこかで現実に進行している事態なのでしょう。

 シリーズ1 大統領候補者パーマー上院議員暗殺計画、ジャックの娘の誘拐、過去の軍事作戦で見捨てられた兵士の復讐物語、大統領と妻シェリーの確執 CTU内部のスパイ、ジャックの妻テリーの死

 シリーズ2 核爆弾テロ、起動装置を解除できない核爆弾 政権内部の権力争い~右派のたくらみ

 シリーズ3 バイオテロ、大統領選をめぐる駆け引きと権力闘争 病院全体の感染

 シリーズ4 連続時間差多発テロ

 シリーズ5 空港占拠・神経ガス散布テロ パーマー大統領の死、アルメイダの妻ミシェルの死、

 シーズン6 連続自爆テロ・小型核爆弾テロ 中東和平を阻止しようとするテロリストと大統領側近

 シーズン7 生物ガステロ CTU解体後のバウアー アルメイダの再登場

 シーズン8 核兵器テロ 中東和平の妨害テロ

 シーズン9 ステルス無人機ミサイルテロ

saysei at 13:09│Comments(0)

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