2020年08月27日
スナップショット18 上野千鶴子さん
私が上野さんと直接ひとこと、ふたこと言葉を交わしたのは、確か二度だけだ。
最初は以前の勤務先の会議室で、どんな集まりだったか、どんなテーマだったのかも忘れてしまったけれど、上野さんが1時間足らずレクチャーして、それについて参加していた7,8人のメンバーが質問したり互いに自由に議論し合う、ちょっとしたお勉強会のような場でのことだ。
私以外のメンバーはたぶん定期的にそんなことをやっている互いに良く知った間柄だったのではないかと思うが、私が顔見知りの若手有識者も一人、二人いた。勤務先の会議室を場所に使ったので、私はたまたま同僚に誘われ、最初にきっかけになる話をするのが上野さんだというので、興味を覚えて顔を出したのだ。
いまからいえばもう何十年も前のことで、上野さんも、そこにいたメンバーもみな若くて、多くが大学の講師とか助教授クラスだったのではないだろうか。しかし上野さんの名はフェミニズムに何の興味も持っていなかった者にも、新聞、雑誌の類で報じられた武勇伝によって早くから轟いていた。とりわけマスコミを賑わせたのは、彼女が或る女性に不実な真似をしたどこかの男性を、その勤務先まで仲間と一緒に押しかけて大っぴらに糾弾した、多分まだ彼女が20代のころの戦闘的なフェミニストとしての活動は強く記憶に残っていた。
だからいわば週刊誌的興味本位で、一体どんなことをしゃべるんだろう?と聞きに行ったのだ。もちろんきっとコワイ女性なんだろうな、と思って(笑)。
その時彼女が喋った肝心の中身のほうはまるで覚えていないのだけれど、京都の社寺の配置について触れ、それをある種の都市機能のネットワークとして捉える、といった話だったような、かすかな記憶がある。京都という都市の郊外にあたる、盆地の三方を囲む山の中腹などにいくつもの寺が位置する事実を、そのネットワークの仮説で機能的に意味づけたような部分が、おぼろげな記憶に残っている。京都の歴史的な都市機能を、一つの単純明快なシステムモデルに置き換えるその知的操作の手際はとても鮮やかだった。
私は上野さんの論理とその帰結が、あまりに鮮やかで綺麗だったので、かえって疑問を感じて、ちょっと何か言って見たくなった。彼女が歴史的な事実を踏まえて言っているのか、現存する寺社の機能的な意味合いを取り出して論理的な整合性のあるモデルを組み立てたものなのか確かめてやろうなんて思ったわけだ。
それで、レクチャーが終わった後の質疑の時に、「そんなに綺麗に言っちゃえるものですかね」とちょっと皮肉なニュアンスを込めた言い方になった。「ああいう場所に寺が作られたのは、もっと後の時代のことだと思うけど・・・」
私にそんな歴史的な知識があったわけではもちろんない。後半は完全にハッタリだ(笑)。単に「綺麗すぎる」彼女の論理に疑問を呈しただけだった。
それを聞いた上野さんは間髪を入れずに応えた。
「私の社会学は<クリスタル社会学>と言われておりまして・・・」(笑)
あとは記憶にないけれど、司会役をやっていたメンバーだったろうか、私も良く知っていたメンバーの一人が上野さんの言葉をひきとって、論理的な整合性を持った解釈でモデルを作ろうとすると、どうしても歴史的な事実とはズレが生じる所が出てきて・・・というような、まあ取りなすようなことを言って、だけどとても面白い問題提起だったね、というようなことで、また別の質疑へと移っていった。
私はもちろん上野さんの議論に注文をつけるようなつもりはなかったし、彼女が論じたようなテーマについて何らの見識をもっているわけでもなかったので、ただちょっとその「綺麗すぎる」印象に疑問を呈してみたくなっただけだった。
それに対して間髪入れず自分の学問は<クリスタル社会学>と呼ばれていて、と返した機転にこちらはほとほと感心した。自分の思考の特徴も人からはそう見えるだろう弱点なり限界なりも全部わかっていて、むきになって反撥するでもなく、降参するでもなく、ちょっとユーモラスで、これまた綺麗な言葉にして、即座に打ち返してくる頭の回転の速さ、邪気のない透明さみたいなものが一瞬で伝わってくるようだった。
会議が終わってエレベーターで階下へ降りるとき、ほかの人と一緒に上野さんも乗り合わせた。目の前に立った私に、少し小柄な上野さんは、ちょっと上目使いをするように顔を上げて、見知らぬ人間に問いかけるように少しシャイな感じで「どちらの方なんですか?」と私の所属を尋ねた。
私がまさに私たちが今までいた場所の人間だと伝えると、とたんに上野さんは破顔一笑「なぁんだ・・・」と言って柔らかな笑顔になった。
私には彼女がなぜ「なぁんだ」と言ったのか本当のところは分かっていなかった。どこの誰とも知らない、少し年上らしい不機嫌な顔をした男が、自分の話にいちゃもんをつけてきたので、何者なのかと少し緊張していたのが、別に何かの専門家でもなんでもなく、会議室を借りた会社のスタッフと聞いて安堵したのかもしれないな、と思った。私が歴史的事実は違うんじゃないか、などとハッタリを言ったので、或いは歴史を専門にする人間かと思ったのかもしれないな、と。
実は上野さんがまだ大学院生の頃、私の勤め先であったこの会議室のある民間の会社(文化専門のシンクタンク)でアルバイトをしていたことがあるのを、この時まだ私は知らなかったのだ。彼女が来ていたのは、私が入社するよりもかなり以前のことで、私の知る彼女はマスコミで知ったフェミニズムの闘士でしかなかった。
あとで同僚Hから彼女がアルバイトに来ていた事実を聞き、もう一人の、私の学生時代からの親しい友人でもある同僚Tのもとで働いていたことを聞かされ、「Tとは親しいよ。だいぶ年下やから、彼のことはお兄ちゃんみたいに思ってるんじゃないかな」などと言うのを聞いて、ずいぶんと上野さんのイメージが変わった。
後日友人であるその同僚Tにこのことを話すと、「あぁ、知らん男はあいつのこと恐がっとるけど、可愛らしいとこがある子やで」(笑)などと言った。
「なぁんだ・・・」と言う彼女のあの言葉は、自分がアルバイトをして馴染んできたこの会社の社員だったのか、ということと、そのときに親しく接していただろう私の友人Tや同僚Hたちと私が同類とわかって、ある種の親しみを感じてくれての言葉だったのだろう。あのときの、パッと表情が融けるように柔らかになって、明らかに安堵感が漂うようだったのが、とても印象に残っていて、後日友人が言った「可愛らしい」という言葉はそのまま素直に受け取ることができた。
上野さんと言葉を交わした、もう一度の機会は、当時私が勤めていた会社の株主総会のあとの宴席でだった。文化専門のシンクタンクだったこの会社では、「株仲間」と称して著名な有識者、文化人にいくばくかの株式を持ってもらうが、目的は資本ではなくて、お知恵を拝借しようということだった。一種のゆるやかな知的共同体をつくって支えてもらおうというのだ。
私が入社してしばらくして、旧世代の株仲間に加えて、次の時代を担う私たちと同世代の若手有識者にも積極的に声をかけて株仲間になってもらっていた。上野さんもその一人だった。
普段はプロジェクトに応じて、適任の方に知恵を借りに行ったり、委員になってもらったりする個別の関係だが、年に一度の株主総会のときには全員に声をかけて、出席できる方に来てもらって一通りの総会の手順を終えれば、和気藹々とした酒席、夕食会を催して親睦を深めてきた。
上野さんはこの株主総会にはめったに出席しなかったと思うけれど、たまたまその時は出席してくれて、良く知られた料亭の座敷でずらっと並んだ株仲間の末席に近い位置に坐っていた。気の利く同僚が次々に酌をしてまわる。気の利かない私も、遅ればせながら先輩の真似をしてひとめぐり。お猪口に一杯だけ注いで、一言二言かわす、それだけのご挨拶と総会に来てもらったお礼の意味合いだけのことだが、何かプロジェクトで特に依頼することでもなければ、一対一で話す機会のない人たちだから、お近づきになるチャンスではあった。
上野さんの前に坐って挨拶すると、早速彼女は「いまどんなプロジェクトをしているんですか?」と訊いてきた。私はたまたまその時、或る宗教団体の依頼で、若者たちの共感を呼ぶイベントのありかたについての研究、というのをやっていた。
私たちの組織はふだん国や自治体の仕事を数多くこなしているので、政治的、宗教的なある意味の「偏り」を嫌い、政治団体からの依頼は受けていなかったし、宗教団体からの依頼もそれが初めてで最後の受託だったと思う。どういう経緯で受託したのかは記憶がないけれど、そのころはまだ私たちの世代が経営に加わっておらず、仕事の受注に関しては年長の三人の代表取締役の決定事項で、私たち研究員は受託した仕事を割り振りされて担当するだけだった。
その宗教団体は、どちらかと言えば穏やかな、あまりとんがった宗教性なりイデオロギー性なりとは無縁な団体であったし、表立った政治性というのも感じさせない、それでいて信者数は非常に多く、有力な宗教団体でもあったのだが、信者の高齢化もあって、若い世代にも受け入れられる宗教団体の在り方を模索していたのだろう。おそらくそんことで向こうからアプローチしてきて、どこかからの紹介でわが社のマネージャーが会い、内容に際立った宗教性がないテーマであることを確認して受注したのかもしれない。
委託の趣旨は宗教性を特に考える必要はないので、若い世代の共感を呼び、集客できるようなイベントの在り方について提案してほしい、というようなものだった。それで担当を仰せつかった私は、これを完全に宗教抜きの「イベントを中心とする集客についての研究」と読み替えて、様々なイベントにおける集客性について調べ、それをもとにして、文化的なイベントにおける若い世代の集客についての提案、というようなことを目的にして調査していた。
宗教団体からのイベント集客の在り方をテーマにやっています、と答えると、上野さんはこのときもほとんど間髪を入れずに「宗教団体は理想的な集客装置じゃないの!」と言った。「だってお客さんのほうがすすんでやってきて一方的にお金まで置いてってくれるんだから、こんな理想的な集客装置ってないでしょ」(笑)
こういうことを咄嗟にぱっと返してくる上野さんはほんとに回転の速いひとだなぁ、と思った。こういう人と話しているときっと楽しいだろうな、とも。
でも「難しい話題」になると切れ味鋭い論客になるからコワイだろうなと常々思っていたことも事実(笑)。私が愛読していた吉本隆明さんとの対談を読んだときはその通り、吉本さんもタジタジだった。
それまで吉本さんの書いたものに違和感を覚えたことはほとんどなかったが、この対談を読んでいると上野さんの言っていることのほうがまともで、吉本さんは私のような吉本ファンからみても分が悪い。対幻想の原理論では未踏の地に分け入って全く新たな領域を拓いた人だけれど、現実の女性がどんな状況にあって何を考えているか、といったことについてはだいぶ吉本さんの認識はズレてしまっているな、と思わざるを得なかった。
しかしこの対談を読んで上野さんの方にもひとつだけ、危惧と言うのか、ある種の違和感を覚えた点があった。
それは、子供が3歳までは母親が子供に寄り添って徹底的に愛情を注いで育てるほうがよくて、そのあとは手を放しても大丈夫、という風な、吉本さんがあの頃よく言っていた言葉を批判して、そんなことは誰にとっても検証不能なのに、吉本さんがそんなことを断言すれば、幼児を持つ母親は仕事に出たりしてわが子に寄り添っていられないことに自責の念を覚えて追い詰められてしまう。吉本さんの言説は母親を3年間子供にしばりつけることになるので、そういうことを言うべきではない、と言っている箇所だった。
吉本さんの議論が正しいかどうかは、科学的にか原理的にか吟味されるべきだとは思うけれど、それが現実に幼児を持つ母親を拘束することになるから、そういうことを言うべきではない、というのは、次元の異なる問題を短絡させた議論だと思ったのだ。
たしかに若い知的な女性たちを含む多くの人たちに思想家として信頼されている吉本さんが、3歳児までは母親が寄り添ってめいっぱい愛情を注ぐ方がいい、と言えば、それを子育ての現実的な指針のように見なして、現実的にそれが困難な母親は自責の念にかられるかもしれない。しかしだから吉本さんが自身の対幻想論から原理的にこうだと考えたことを主張すべきではない、というのは正しいだろうか。
吉本さんの主張は、対幻想論の原則から幼児期の対人関係を段階論的に想定して導かれてはいるが、具体的に3歳児まではこう、ということの根拠は私が読んできた限りでは、論理的にも実証的にも明らかではない。むしろそのことは問題にされてよいし、正されるべきだと当時の私も考えていた。
しかし、その主張がいま幼児を抱えて子育て中の女性を追い詰めることになるから、言うべきではない、という批判の仕方は間違ってやしないか、と思った。
これこれの原則的な議論はひょっとしたら正しいかもしれない(あるいは間違っているかもしれない)が、いまの状況だとこういう役割を果たしてしまうからまずい、或いは味方にとって不利だから言うべきではない、というような「論理」には、学生時代からさんざん悩まされ、うんざりさせられてきた。思想を現実的な有効性の論理で肯定したり否定したりするような考え方は、党派的な立場でものをいう人にはよく見られるものだ。
吉本さん自身は発達心理学で検証すべき問題として言っているわけではなく、彼自身の思想的な観点から、対幻想の発展過程として導き出した考えだという風な言い方をしていると思うので、それが間違っている、と考えるなら、その思想を思想としての内在的構造自体で批判すればいい。それをいわば状況の論理の中で思想の効用というのか、それが結果的に誰かを抑圧することになるとか、誰それにとって不利であるとか、そういう外在的な理由で否定することはできないだろう。それは常に党派的な思想でしかなく、否定されるべきものだと私には思われた。
女性がもし3年間、幼児に寄り添って愛情を注ぎたいと思っても、それができない状況にあるとすれば、そういう状況を変えていくように、企業社会の常識を変えていく方向へ一歩でも二歩でも歩み出すことに批判力を行使すべきであって、幼児期の対幻想のありようをめぐる原理的な考察から導かれた、3歳児までは母親が寄り添って愛情を注ぐ方がよい、という主張(それが正しいか否かにかかわらず)を封じようとするのは党派的な論理に陥ることになる、というのが私の受け止め方だった。
むろん、その時感じた「党派性」というのは、現実のどこやらの具体的な党派に所属してその見解を代弁すると言った意味ではない。ただ、ものの考え方の中に、思想の内在性に対しては同じように思想の内在性で勝負する、というのではなく、そこにいきなり現実の状況の下で或る困難に遭遇する女性を持ってきて、本来は状況の論理には状況の論理で解決をめざすべき、思想にとっては外在的な論理を持ち込む危うさを、そういう言葉で考えていただけのことだ。
もちろん上野さんの言葉の背後には、わが子に寄り添いたくても寄り添えない状況に自責の念を感じてしまう女性たちの怨嗟の声がある、という意味では現実的な「党派性」と言ってもよいのかもしれないが、そのときにはそこまで現実的な意味合いで思い浮かんだ言葉ではなかった。ただ、その対談を読んでから、上野さんの非常に明晰で透明にみえるものの考え方に、そうした或る種の「党派性」を感じてきたことは事実だ。
あるとき井上章一さんの本を読んでいたら、その註みたいな部分に、面白いことが書いてあった。
関西の知識人はそれほど数も多くないから、何か思想だの文化だのが絡んだテーマになると似たようなメンバーが集められて、いつも金太郎飴のように同じ顔ぶれになってしまう、とよく言われるが、そんな有識者の一人である彼も、いろんな会議で「上野さん」や「浅田(彰)君」とよく同席することがある、という。その時自分が何か発言したことを、まとめ役をやっている「浅田君」なり「上野さん」なりが、ほかのメンバーの意見とあわせて整理し、要点をまとめて紹介しようとするとき、「浅田君」の場合はいつも全く自分の発言が正確に要約されたという透明な印象を受けるのだが、「上野さん」の場合は、同様に非常に手際よく見事に要約してくれるのではあるけれども、いつもどこかほんの少し自分が言いたかったこととは違うな、という、言葉にするのも難しいほどわずかなズレを感じ、違和感をおぼえるところがあるのだ、と。
もちろんそれは意図的な歪曲などではないので、井上さんもそうは思っていない。おそらく上野さん自身が気づかない、彼女が他者を映す鏡のわずかな歪みなのかもしれない。今そんなことを思い出したのは、あの吉本さんと上野さんの対談を読んで感じた違和感の由来と、もしかするとどこかで関わりがあるかもしれない、と思ったからだ。
もしそういうものであるなら、それがどこから来ているものかというのは、彼女を論じる上では興味深い課題になるだろう。
もちろんそんなことは私の任ではない。私は上野さんの良い読者ではなかった。ただ、彼女が現代日本の消費社会を記号論的な、サンタグム・パラディグムの図式で綺麗に分析して見せてくれた論考などは、とても明快でわかりやすく、授業での学生への説明や卒論の助言に際して借用させてもらった覚えがある。
フェミニズムの理論家としての上野さんは書物の上でも敬して遠ざけてきたところがあって、いまに至るまで私の中の上野さんは、マスコミで報じられた企業に押しかけたときのたぶん20歳そこそこの上野さんの虚像から一歩も出ていないが、会議のあとのエレベーター内でのニアミスで一瞬見せてくれた「なぁんだ・・」と言った時の柔らかな笑顔のほうは、そんな彼女の虚像を無化するように私の記憶のうちでいつも甦ってくる。