2019年12月21日

「象は静かに座っている」を見る

1

 京都みなみ座で今日から上映されている、フーボー(胡波、HU Bo)監督(脚本・編集)の遺作「象は静かに座っている」(2018年、中国)を見てきました。

 234分の長編ですが、最初の方で少々スローテンポが気になったものの、だんだん登場人物や状況が分かってくるにつれて引き込まれ、全然退屈せずに見終わって、とてもすぐれた作品を見ることができたな、という満足感がありました。

 ただ、私の好みのハッピーエンドの娯楽映画ではなくて、ものすごく暗い作品で、ほとんど救いがない感じです(ラストにわずかにあるといえばあるのでしょうが)。主人公ブーの友人カイが「この世界、ヘドが出る」と自分の顎に銃を当ててぶっ放すシーンでは、この映画を撮り終えた直後に、29歳で自ら命を断ったというこの監督自身の叫びを聞くような錯覚をおぼえました。

 主要人物は生きていて物語はもうしばらく続くのですが、なんだかカイという若者が吐き出す言葉が監督自身の声のように聞こえたのです。それほど主人公たち主要な登場人物をとりまく家族や友人や周囲の人間たち、いや主要な登場人物自身もまた、みな確かにひどい状況に置かれてきたとはいえ、その中でみずから人間としてのまっとうな生き方を見失っているようにみえ、どうしようもない身勝手で、責任を他人に転嫁する卑怯な面をさらけ出しもし、また自分のささくれだった神経を他人に怒鳴り声や暴力をぶつけることでしか処理できない人間たちのようです。

 けれども、主要な登場人物、主人公のブ若者ブーと彼が好意を持っている同級の女生徒リン、不良グループのリーダー格のチェン、娘夫婦から老人ホームへ移れと言われ自分の家を追い出されそうになっている老人ジンの4人ですが、彼らはそういう周囲の人間たち(自分も含めて)のありようを唾棄し、苛立ちをぶつけて周囲と波風を立てながら、自分はそういう状況に泥むまい、とする意志を保とうとしているのですが、それでもやっぱり自分たち自身もまたそういう状況の中で汚れていることに多かれ少なかれ自覚的なので、その苛立ちは周囲の人たちのようにもっぱら他者にぶつけることもできず、自分自身に対する苛立ちや自嘲的、あるいは自暴自棄的な、さらには自傷的な方向に向かわざるを得ないでしょう。

 物語の最初は、チェンが親友の恋人の部屋で彼女と寝ているところへ当の親友がやってきて、チェンを見ると、お前だったのか、と言って、その場でマンションの窓から階下のテラスへ飛び降りて死んでしまう、衝撃的なシーンです。チェンは両親と折り合いが悪く、今は家を出て不良グループのリーダー格になっているやくざな男で、この時も自分が現場にはいなかったことにして、警察や親友の親から逃れ、本来の自分の恋人に会うと、お前が俺に会ってくれないから友人の恋人と寝た、だからおまえのせいで友人は死んだんだ、という無茶苦茶な理屈を言ったりします。

 もう一人の主要人物で主人公であるブーはまだ高校生で、彼も家庭ではかつて警察勤めだったらしい暴力的で頭ごなしに怒鳴る父親や口うるさいだけの母親と折り合いが悪く、いつも父親には出ていけといわれて祖母のところへ避難しているような若者ですが、学校で彼の友人カイが、不良グループのシュアイの携帯を盗んだ盗まないで言い争うのを、カイをかばってシュアイと揉めたとき、シュアイが階段から転落して大けがをして病院へ運ばれるという事件が起きます。これが、チェンとブーを結びつける物語の端緒になります。ブーは現場から逃走し、他方チェンの子分たちがブーを追い探す展開で、もしとっつかまればチェンはブーを半殺しにするだろう、とブーの友達やチェンの子分たちは思っています。

 ブーが学校で好意をもっている女生徒リンは母親と二人暮らしですが、その母親は朝から晩まで外で仕事をして、家の片づけもしないし、食事もレトルト食品を与えるだけ。トイレが水漏れで水びたしになっていても疲れて朝寝を決め込んでいます。娘のことを気遣うゆとりも何もなくしてしまっていて、リンもこんな母親に不信と苛立ちをぶつけ、互いに口汚く言い争うばかり。そんな中でリンは安らぎを求めて、「家の中が綺麗で、優しい」高校の教師と不倫の関係になっています。

 そのうちその不倫の現場を動画に撮られ、SNSか何かでまわされて学校中に知られることになってしまい、リンは母親にどうしよう、と相談しますが、母親は傷ついたリンの心に寄り添ってやることができません。そこへ教員の妻が17歳の娼婦に夫をたぶらかされたと怒鳴り込んできて、教員もまあまあと妻をなだめにやってきます。リンはいったんはその場を逃れ出ますが、戸口に置いてあってバットを見つけると、それを手に部屋に戻ってこの二人をぶちのめして家をあとにします。それはすっごく気持ちいい場面!(笑)

 彼女がその前に教師とねんごろにしているところを偶然みかけたブーが、店の外からじっと見ている場面があります。また、そのブーが離れたところからリンたちを凝視している姿を、たまたま子分たちから離れて恋人を迎えに来ていたチェンが見て、何をそんなに熱心に見てるんだろうと不思議に思ったようで、彼が弟を階段から落として大怪我(のちに死んでしまう)させたブーだとは知らずに声をかける場面があります。こういう設定はとてもうまい。

 ブーはシュアイの運ばれた病院へ行きますが、病室の前でシュアイとチェンの両親がチェンを責めているのを廊下の影から目撃する場面もあります。ここでチェンも両親と折り合いの悪いことがはっきり示されて、あとのブーとチェンが再会する最後の場面でのチェンの態度につながっていきます。

 最後の主要人物は、まだ幼稚園くらいの子をもつ娘夫婦から、家が狭いので老人ホームへ移ってくれと、もともと自分の家であるアパートの部屋から追い出されそうになっている老人ジンです。彼は頑として娘夫婦の懇願を拒否していますが、一人で老人ホームを見学にいったりしています。その老人ホームたるやまぁ監獄の独房みたいな部屋で、カメラがとらえる老人たちは生きる意欲を失った魂の抜け殻のようにみえます。

 ジンは白い毛の愛犬を友として散歩するのが常でしたが、あるとき同じ白い毛のはるかに大きな犬が飼い主の手を離れてうろついているのに遭遇して、愛犬を噛み殺されてしまい、その大型犬の飼い主を突き止めて訪ねていきますが、相手は証拠がないなどと居直って謝罪の言葉一つ口にしません。

 まあこんな風に、主要人物はみなひどい家庭の中で傷ついていて、どこにも居場所がなく、孤独で、救いのない状況である上に、どんどん抜き差しならないところへ追い詰められていきます。

 それで「象」がどう関係しているか(笑)というと、実は最初にチェンが親友の恋人と寝ているときに、チェンがその親友から聴いた「面白い話」というのを口にします。聞く者にはそれがなぜ「面白い話」なのかは分からないのですが、それが、遠い満州里のサーカスに、ずっと座ったままの象が居る、という話です。ところが、その恋人も、彼がその象のことは話してくれた、と言います。

 ブーは満州里の大サーカスのポスターで、その象のことを知って、家を出たとき、その象を見にいこうと思い立つのです。彼はリンを誘うのですが、そのときはリンは断ります。

 しかし、バットで教員の妻と教員を殴り倒して家を飛び出したとき、そのサーカスのポスターを目にした彼女もまた、満州里の座ったきりの象のところへ行こうと思いたつのです。

 最後にジンも、最初は満州里の象を見に行くブーの話を自分のこととしては聞かないのですが、彼自身が居場所のないところへ追い詰められるにしたがって、気持ちに変化が生じたようで、彼のことを大好きな孫を連れて、満州里へ行こうと駅へやってきます。こうして孫を含む4人が駅に揃います。

 実はその前にちょっとしたクライマックスにあたる場面があります。ブーが一人で満州里へ行こうと駅へ切符を買いにきて、ダフ屋みたいなやつに偽の切符を売りつけられます。それが偽物とわかって、男を見つけたブーが金を返せと詰め寄ると、男はついて来いと言って、もう一人の仲間の居る崖の上まで連れてきて、居直ります。

 しかも彼らがチェンの子分で、身分証明書から自分たちのカモがブー本人だと知った彼らはチェンを電話で呼び、チェンがやってきます。しかしブーが覚悟し、子分たちも当然そう思っていたようにチェンがブーを半殺しにするかと思いきや、チェンはうずくまっているブーに対して自分もしゃがみ込んで話しかけます。

 そして次の場面がものすごくよかったのですが、ブーがどこかへ行こうとしていたのを知って、チェンがブーに、どこへ行くんだ?と訊きます。するとブーが「満州里のサーカスにいる象を見に行く」というのですね。それを聞いたときチェンの胸を過ったものは観客にも容易に想像できるわけですが、彼は一瞬言葉を失うわけです。
 
 ブーのほうはチェンの事情は知らないわけですから、全然チェンの心の動きなどわからないわけですが、チェンの方は心の中には自分の目の前で飛び降り自殺した親友のことが喚起され、いろんな思いが交錯しているはずで、この時のずいぶん長くも思われる沈黙の間というのがすばらしく、チェンの表情がとてもよかった。この映画のハイライトシーンだろうと思います。

 このとき、チェンは手下に満州里行の切符も買わせてブーに渡して解放してやろうとします。ブーのほうはなぜ自分を逃がすのかわからないし、チェンも説明しない。ただ、弟は結局病院で死ぬわけですが、そのことについても、チェンは自分は弟は嫌いだった、両親は弟をべた可愛がりして甘やかしていた、自分は世の中の誰もかれも嫌いで好きなやつはいないんだ、というようなことを言います。

 そもそもこのチェンは悪い奴じゃないわけですが、家族との折り合いの悪さからはみ出てヤーさんみたいな強面のするあんちゃんになっている男で、世の中に対して非常にニヒルな、斜に構えた精神の構えを持っているわけです。そういうワルだけれども、影があり、奥行きもある複雑で、非常に魅力的な人物を創り出しているのも、この作品のいいところです。

 チェンはちゃんとした、たぶんいいとこのお嬢さんみたいな恋人があったわけですが、やっぱり育ちの違いというのか、いろんな点で合わないことを彼女の方が覚って彼を避けるようになったのでしょう。彼の方がまだ純情に彼女のことを思っているようなところがあったわけですが、避けられていた。それで親友の彼女に手を出した、だからお前のせいで親友が死んだ、と恋人を責めるのはもちろん彼の身勝手で、無茶苦茶な理屈ですが、彼の純情からみればほんとにそう感じてしまうようなところはあっても不思議はないのかもしれません。

 チャンとブーの最後の遭遇の場面は、このあとブーの友人カイがピストルをもって現れ、ブーを逃がそうとして、駅から戻ってきた手下にやられそうになって、カイがぶっぱなしたピストルの弾がチャンんに当たり、チャンは負傷して倒れます。

 しかしカイもピストルを自分の顎にあてて、「この世界、ヘドが出る!」と叫ぶと引き金をひいて自殺してしまいます。

 このカイは脇役に過ぎないし、ここはブーと彼に弟を結果的に殺されたチャンとの一連のエピソードに区切りをつける役割に過ぎず、ブー、リン、ジンといった主要人物はこのあと駅に合流して旅立つアフターストーリーがあるわけだし、チャンはここに取り残されるけれども生きているわけで、カイの叫びに監督の言いたいことが表現されていると考えるのは単純すぎるのでしょうが、見ている私たち観客としては、このカイの叫びに重ねて、この作品の作り手の、唾棄すべき世の中に対する呪詛というか、命と引き換えの魂の叫びのようなものを感じてしまうのですね。それはカイ一人が担うには重すぎ、ここにはどうしても監督自身の心の奥底からの絶叫が耳をうつように思えてならないのです。

 でもたぶん、監督は若い人に希望を持たせたかったのではないでしょうか。嘘だと分かっていても、向こう側にはきっと、もっとマシな世界があると自分を騙し、今度こそは違うと言い聞かせ、行ってみれば失望する、そうして結局また同じことを繰り返すだけだと分かっていても、それでも「ここではないどこか」を夢見ることにしか一抹の救いはないし、夢見るがいいよ、と。

 少し先走ってしまいましたが、主要人物3人(プラス孫)が駅に集まって列車で行こうという時になって、列車が運休だということがわかり、夜行バスでまず瀋陽まで行って、その先はそれからのこと、という感じになります。
 
 ジンは孫を母親に知らせずに連れ出したことへの気がかりもあったのでしょう、自分はとどまると言って孫の手を引いて帰っていこうとします。
 その前に若い二人に対して、彼は、世の中はこんなもので、よそがよく見えるが、行ってみれば同じなのだ。結局同じことの繰り返しになる。だから今いる場所にとどまって、向こう側にはいい世界がある、と思っているのがいい。そうすることで、いまいる場所でよりよく生きることができるんだから、というような意味のこと(一度聞いたきりなので、勝手な聞き方をしているかもしれませんが)を言います。

 それはある意味でもっともらしい、過酷な人生経験を積んで酸いも甘いも嚙み分けた老人が言いそうなセリフではあるわけですが、面白いのは、そのあと彼自身も自分の言葉を裏切るように、正反対の行動をとるわけです。

 彼も若い二人も、こと言葉とは反対の行動をとって、バスで満州里目指して出発するわけです。
 だから、この作品はジンのこの言葉をそのまま肯定しているようにはみえないのですが、それでもこのジンが語る人生というのはこういうことの繰り返しさ、という否定的、虚無的な側面は、この映画を作った監督がいまの世の中をこう思っているのだろうなぁ、と思わせるところがあるのです。
 
 つまり、塀の向こう側にこちらとは違ったいい住みよい世界があるように見えるけれど、行ってみたら同じことだ。どこへいっても同じで、失望してまた向こう側の世界を探すだけのことだよ。そうやって自分を騙して、まだ希望があるかもしれない、と思おうとしているだけのことで、所詮はむなしい繰り返しにすぎないよ、と。・・・そこに登場人物たちみんながそこで生き、監督もそこで生きてきたいまの中国社会のありようへの深い絶望を感じざるを得ないのです。だからいまいるところにとどまることが何事かだ、という肯定的な言い方の側面は、もっともらしいけれども、その直後の彼自身の行動によって裏切られていると言えるでしょう。

 ただ、こういう言葉をジンに語らせ、かつその言葉を彼ら自身に裏切らせながら、そのジンも含めて3人プラス孫に、満州里へ旅立たせるところに、嘘だとわかっていても「ここではないどこか」を求める主人公たちのありように、監督が後に託した思いがある、と言えるのかもしれません。

 それはともかく、追っかけて行ったブーが、「行こう!」と言って、結局ジンも孫を連れて行動を共にします。

 そして、途中停車のどこかで、切り立った大地の上にはレストラン兼休憩所みたいな建物があって明かりがついている、その下の広場の街灯の明かりで照らされたコートみたいなところで、乗客数人がサッカーのリフティングみたいな動作(昔の日本の「蹴鞠」みたいな)羽根を蹴り上げてパスをつないでいくみたいなゲームに興じています。そういえば、ブーはこの羽根蹴りが得意だと言っていたな、とこのシーンで思い出します。

 そんな周囲を闇に包まれたどこかぼんやりした明かりの中での光景をしばらくみていると、突然象の鳴き声がどこからともなく湧き上がるように響いてきて、スポーツゲームに興じていて人々の動きがとまり、みなどこから聞こえるのかという風に周囲の暗がり、レストランの背後の黒い山影の方を窺ったります。そんな中、象の鳴き声というのか吠え声というのか、大きく響き渡り…幕となります。
 
 このラストがまた素晴らしいですね。ほんとうに美しいシーンです。

 この作品の舞台は、河北省石家荘という、中国北部の北京から南東へ50kmほどのところにある場所だそうで、そこの駅から電車、バスで乗り継いで北京、瀋陽を経由して内モンゴルの満州里まではおよそ2300kmもの距離があるんだそうです。ちょいと夜行バスに揺られていけば翌朝ディズニーランドついている、なんて生易しい距離じゃないですね(笑)。

 だから「象」が静かに座っている満州里のサーカスというのは、人が行ってみたいと思うけれどとても行きつくことなどできそうもない遠いところ、「ここではないどこか」だと考えるのがいいんだろうなと思います。

 4時間近い長尺というのも別に少しも苦にはなりませんでしたが、この監督もどこやらの研修みたいな機会にタル・ベーラ監督の薫陶を受けたんだそうですね。そうしてみると、タル・ベーラ監督というの人は罪が重い(笑)。現代の長回しの元祖みたいな先生だから、お弟子さんもみんなこうなっちゃうんですかね。

 しかしこの物語は煮詰めてコンパクトにできるかというと、ちょっと無理な気はします。もともと関係のない主要な登場人物一人一人の置かれた日常生活とその背景になっている状況を時間軸の奥行きも織り込んで切り取って見せたうえで非常に巧みに連環させていくので、当初は何が起きていくのか、どういう人物とどういう人物がどうかかわっていくのかわからなくて、そのスローテンポに戸惑うところはあったけれど、一人一人の人物をやがて立ち上がってくる行動へと追い込んでいく必然性はやはり、あのスローテンポで描かれる家族や身近な人たちとの関係の中での日常の光景なしには伝わってこないだろうし、携帯を盗んだ盗まないのもめ事から、ブーが相手を階段から突き落としてしまって・・・といったドラマチックな筋立てを追っかけていくような撮り方では、今の中国社会を生きる一人一人の人間の置かれた状況も彼らを追い詰めているストレスだのプレッシャーだのも、肌触りの利く形で表現できないことは確かですから、この作品を作ること自体に意味がなくなってしまうでしょう。

 そういう意味ではこれだけの長尺となることには、この作品の場合は必然性があったと言えるのではないかと思います。

 ネットを見ると監督が自殺した背景はよくわからないらしいけれど、プロデューサー夫妻との確執があったんじゃないかとか、もともとのこの4時間の長尺を半分に縮めろと言われてカットしまくって無理やり2時間版をつくらされたとか、いろいろ書いてある記事もみかけました。

 そういう具体的なことがすべて事実だとしても、私にはそれで監督が自殺したなんてことはちょっと信じがたい気がします。おそらく直接のきっかけがどんなことであったとしても、こんな傷つきやすいナイーブな心を(おそらく)もつ監督を深く傷つけ、生きるに値しない世の中と思わせるような、この社会のありようのどこかに真の原因があったに違いないという気がします。登場人物の思いや言葉と監督の思いや言葉をじかに重ねてみるのはナイーブな錯誤かもしれませんが、私には自殺直前にカイが吐き捨てた言葉が、どうしても監督の声に重なってしまうのです。

 それにしても、あの中国にこんな素晴らしい作品が生まれるようになったんだな、というのは、半世紀ほど前に何本も中国のプロパガンダ映画を見てきたことのある私など、隔世の感ということで深い感慨を覚えます。

saysei at 00:01│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
記事検索
月別アーカイブ