2019年12月17日
バウハウスCプログラム
昨日の出町座・バウハウス100年映画祭は「ミース・オン・シーン」(ペップ・マルティン、シャビ・還付レシオス監督。2018/スペイン/58分)と「ファグスーグロピウスと近代建築の胎動」(ニールス・ボルブリンガー監督。2011年/ドイツ/27分)の2本立てで、終了後に浅田彰氏のレクチャーがありました。
映画の1本目は、ミース・ファン・デル・ローエ、それもバルセロナ・パビリオンに焦点を絞り込み、その再現プロジェクトに関わった人物の話なども交えながら、ミースの建築と思想を追うドキュメンタリーで、的が絞れているので、分かりやすく、あまり建築史のことなど知らない私は啓蒙されるところがありました。ただ、出演者がみなミースを礼賛し、バルセロナ・パビリオンを口を極めて究極の建築美としてほめそやすのには少々鼻白むところがなきにしもあらずでした。
どんなにすごい天才で、どんなに空前絶後の建築美なのか知らないけれど、素人としては、ただ崇拝者が神格化した天才をほめそやし、その作品創造を神話化するのを見聞きするよりも、天才ではないふつうの専門家たちひとりひとりの異なる人物の眼を通して見たミースという人物やその建築を、もっともっと具体的に語ってほしかったな、という気はしました。
映画の2本目のほうは、バウハウスの本家本元グロピウスに焦点をあて、その時代から今も続いているという手作り職人たちがいまだにその技能を発揮するような靴工場を紹介したりしていて、なかなか面白かったし、浅田氏も触れていたように、ある意味で対照的な二人をこの2本の映画で見ることができたので、いろいろ考えさせられるところがありました。
前にも書いたように私がバウハウスに関心を持ったのは建築だけではなくアートを生活と結びつけるデザイン思想のようなものを通じてだったと思うし、劇場のことを考えているときにトータル・シアターという概念にも興味をもったからで、建築史の方から入ってモダン建築の代表選手だとか、機能主義建築の巨匠だとかいった観点はもともと私には希薄でした。
だから、あの靴工場のように、当時の工場のイメージからすれば画期的な、明るくて機能的、合理的で、洗練された、労働者にとって働きやすい仕事場だったのでしょうが、他方で生身の人間がそこで動き回り、汗をかいて仕事をする場としての具体性とそういってよければ泥臭さもどこかに保っているのが、私にはとても好ましく思われるのでした。
それに引き換え、人々が絶賛するミースのバルセロナ・パビリオンのような建築は、たしかに極度に洗練され、建築という本来実用的なものでありながら(実際、博覧会のパビリオンに使われたわけですから)、純粋な造形美を実現しているような形象の美しさは感じるけれども、それは建築がどこか生活の匂いを消して(失って)無色透明な抽象的な図形のようなものになってしまったようなところがあって、私自身の好みからすれば、好みではないということになって、バウハウスと言っても、ミースが出てくるとピンとこないところがあります。
もっとも、あれが博覧会のパビリオンだからあれでよかったのでしょうし、ああいう種類の施設はいわば「ハレ」の日のための建築であって、工場や商店や住宅のような「ケ」の世界の建築とは違っていいんだ、といえばいいのでしょう。
浅田さんはそのへんを建築史の言葉で、実用主義と機能主義のように対照的に言われているけれども、というふうに言っていたと思います。彼自身はそういう対立的な取り上げ方を相対化しているので、そう思っているわけではないけれども、グロピウスが実用主義というのも私などはしっくりこないし、機能主義という言葉もよくわからない言葉です。
機能主義というのはたぶんこの言葉が使われる分野によって、ずいぶん違った意味に用いられていて、機能主義とはこうだ、と共通の本質を端的に言い切ったような定義というのか説明というのがあるのでしょうかね。
「機能」って、平たく言えば何らかの「はたらき」でしょうから、「もの」じゃなくて、その作用をさしているわけで、作用には、はたらきかける側とはたらきかけられる側があるわけで、「もの」と「もの」との関係ということが前提になっていて、或る「もの」に着目するとしても、それがほかの「もの」にどんな作用を及ぼすのか、どんな「はたらき」をするのか、というところに価値を見出す考え方なんだろうな、と思います。
世界を全体とそれを構成する部分で見て、それが単なる集合ではなくて、或る秩序、何らかの構造をもって全体が成立していると考えるなら、一つ一つの「もの」(要素)を全体の方から見るとき、それが全体に対してどんな「はたらき」をするか、というふうに、或る要素はつねに他の要素のため或いは全体のためにどんな「はたらき」をしているか、ということによって、その価値を認められることになるのでしょう。
この「はたらき」をもつものを抽象的な要素などと言わずに、地べたへ引きずりおろして、生活の色や形を与え、においや質量を与えれば、「実用主義」ということになるのではないでしょうか。
ただ、逆に生活の色や形を消去し、匂いも重量も消していくと、抽象化された数学の点や線のようなもので描かれた図形のようなものになっていくのではないか。それはそれで美しい幾何学紋様が生まれるかもしれないのだけれど・・・
比喩的に文学のような言葉の芸術で考えてみると、書き言葉を美しい文字で表現して感性に訴えることができるけれど、これは言語の価値とは無関係で、書字の美という別の美的価値を構成するわけです。
一方、言葉の内側を覗いてみれば、何かその言葉によって指し示すはたらき、ふつうは意味といわれているものがあり、それと骨がらみの形で、認識で言えばより深いあるいはより高い認識にあたる表現における意識の高さ、深さといったものがあります。これは文学作品が評価されるときの根源に認められる価値につながっているものなのでしょう。
表現で考えるより、物を見るときの認識のほうでイメージする方が分かりやすい気がするのですが、ちょうど山を登っていくとだんだん市街地の景観が山麓の方に見えてくるみたいに、自分が高く登れば登るほど、地上の光景もそれにつれて変化してより市街地全体が視野のうちにとらえられます。認識とは逆に、表現の場合にも、それと同様に同じものを指し示す(描いて見せる)にしても、指し示す(描く)こちらの眼がどんな位置にあるかによって、描かれるものの姿かたちは違ってきます。
最初の、書字が美しいというのは言葉の表現価値とは関わりがないので、これはグロピウスもミースも余計な装飾なんか建築には必要ないんだと考えた、「装飾」にあたるかもしれません。書字を美的に表現していくことで書道みたいな別の芸術が生まれたように、それはそれで価値を認める人が出てくるでしょうけれど、少なくともミースやグロピウスのような世に機能主義建築といわれる一派の人たちはこれを排除する点では一致していた、といえるのではないでしょうか。
では世に実用主義のグロピウス、機能主義のミースと対照的に言われるような場合の二人の違いはこの比喩で言えばどうかといえば、きっとグロピウスは描く対象(指示性)を豊かに広げていくタイプだったのではないでしょうか。他方ミースの方は、むしろ描く対象(指示性)をうんと狭めて、その分のエネルギーを、自分の眼の位置をどんどん高めていくほうに費やしたんじゃないかな。それはもちろんどちらがよいとかどちらが正しいなんてことじゃなくて、タイプの違い、好みの違いというだけのことのような気がします。
浅田さんのレクチャーの中で、機能主義というのは一般的には、「機能的なものは美しい」ということでしょ、というふうな発言がありました。たしかにそんなふうに私も理解していたな、と思い出し、同時にそういう主張が頭にあったから、のちにデュシャンのエピソードについて知った時に、それとこの主張とが固く結びついた感じになったのを思い起こしました。
そのエピソードというのは、デュシャンが仲間のアーティストらと航空展へ行ったときのことで、デュシャンは熱心に展示を見て回った末に、「絵画は終わった、このプロペラに勝るものをいったい誰がつくれるか。どうだね、君は?」と傍らのブランクーシに言ったというのです。(正確に記憶してなかったので、ネットでこのエピソードに触れた文章があったので、彼の言葉はそれを引用させてもらって再現しました。)
デュシャンが衝撃を受けたのは、プロペラの形式美だけでなくて、それを支え、その美しさを生み出した航空機生産技術の機能性の追求の追い詰め方に、ほとんど究極的なもの、完璧さといった、人の手では及び難いものを感じたからでしょう。この時の衝撃が彼の「レディ・メイド」と呼ばれる一連の工業生産による既製品を自分の「作品」として提示することになった、という物語を私たちは聞かされてきたと思います。
ただ彼に衝撃を与えた既製品も、だれにでもすぐにわかるように、たくさん並べてみればみな同じで、何の変哲もない大量生産品であり、すぐに誰もそれが「美しい」などとは感じなくなってしまうでしょう。それは既にグロピウスの時代からバウハウスの薫陶を受けた建築家たちが設計した集合住宅の設計などを見れば明らかで、グロピウスの靴工場などは面白い建物だなとおもうけれど、他方でいまでいう団地の住宅群みたいなものを見ると、当時の感じ方とはおそらくずいぶんと違って、なんて退屈なデザインなんだろう、と感じてしまいます。
のちにミース、ライト、コルビジェなどの機能主義建築を批判して台頭したポストモダニズムの建築家(ヴェンチューリ)などはミースの"Less is more."を皮肉って"Less is bore."と言ってたそうですが、機能主義が拡散していけば、そういう面が必然的に目につくようになるのでしょう。
それは実用主義と言われているらしいグロピウスの建築の核心にも潜んでいる機能主義の本質なんじゃないかと思います。
私がグロピウスに少し興味を持った理由だった生活とアートの一体化というか、直接な強い結びつき、つまり日々の生活の必要であるとか、具体的な日々の活動や仕事の性質に適応した、いわば使用価値に結びついた建築のありようも、それが普遍性へ向かうには一つ一つの色や形、匂いや重量を消していって、いったん単純な要素に分解することによって、とりかえ可能な「便利」なものになり、これらの要素を再編成することによって、多様な生活、多様な活動に適応できる自在さを手に入れ、普遍性を獲得していくのでしょう。
どこか泥臭さを残した、手作り風の肌合いをもったグロピウスの靴工場にしても、最初からそういう要素の再編成という原理を内包していたはずで、だからこそ彼は機能主義建築の元祖のように言われるのでしょう。そうした建築的要素の具体的な素材として適した、鉄、コンクリート、ガラスが新しい時代の主役として使われ、ああいう建築が次々に生み出されていったようです。
いったん個別的、具体的な生活とか活動とかから離れ、要素に解体されたものを自在に組み合わせて、いわばTPOに合わせて再構成するような手法は、非常に自由度が高いし、高度の機能性の追求とそれを満たす柔軟で多様な形態を保証することになったのだろうと思います。
ただ、その具体的なものからの乖離の方向を強調していけば、less is more でどんどん余計なものをそぎ落として、シンプルにはなるけれど、しまいには色も形も匂いも重量も失った点と線だけみたいな抽象に行きつくのではないかと思います。
それはキャンバスに一本の切れ目を入れただけのフォンタナの絵みたいに、それでも「美」でありうるかもしれないけれど、もう生活や人々のさまざまな活動からも具体的な世界からも切り離され、あらゆる具象性、必要性、実体的なもの等々を失った抽象の世界にいってしまった何かだという気がします。
ミースのバルセロナ・パビリオンで私が興味を覚えたのは、赤い縞瑪瑙(オニキス)という複雑な文様ととても個性的な材質をもった石材を使った圧倒的な存在感を持つ壁を設けていることで、あのパビリオンを再現したときには、その石材がなくて、どこやらの国の使われなくなっていた石切り場みたいなところを再発掘して掘り出してようやく再現できたのだそうです。非常に抽象的な幾何学模様のようなミースのパビリオンの中で、あの石材を使った部分というのは、ミースはless is moreの方へ行っちゃったかもしれないけれど、もともとはやっぱりグロピウスの実用主義と同じ、生活や人間の諸活動の具体的な色や形、匂いや重量と結びついた本来的な機能主義の申し子だったという出自を示す、彼のお尻に残る蒙古斑のようなものだと思いました。
こうして我流で考えてみると、機能主義と実用主義は対立するものではなく、むしろ実用主義は機能主義の一部であって、機能主義を実用主義とは逆の方向へ突き詰めていけば、必然的に形式主義的な美の追求の方へ行って、機能主義の対極に位置するものに行きつくのではないかという気がします。機能を関係性を前提にした何らかの「はたらき」だとすれば、それ自体を突き詰めた極限値は、逆に何の「はたらき」も「関係性」も持たないスタティックな抽象性だということになるかと。
とまぁ、そんなことを妄想めいてあれこれ考えさせられるような二つの映画でした。
浅田さんにはたった一度、随分昔のことですが、パートナーと滋賀県の県立劇場へ、ピナ・バウシュだったかのダンスを見に行った帰りに、京阪の駅のホームのベンチに一人で座って何か資料を読みながら電車を待っている彼を見かけたことがありました。
もちろんそれよりさらにはるか昔、すでに『構造と力』がベストセラーになって彼の名も顔も知れ渡っていたから私たちにもすぐに彼だとわかりました。
いろんなジャンルの先端的なアートを発掘したり的確な批評を書いたりしている人でしたから、こうやってちょっと注目すべき公演などあると見ておかないといけないんだろうな、ああいう商売も大変だなぁ、と思ったことを記憶しています。
私たちはただ楽しみで、面白いものみたさに、たまにそんなものを見に行くだけなのですが、彼のような立場で、あれにもこれにも目配りして見ておかないと話にならない、というふうだと、もともとは好きで始めたことでも、義務的なことになってしまって大変だろうな、と思ったのです。
当然ながら知り合いでも何でもないので、そのとき一瞬みかけたというだけのことで、それ以来間近に見かけたのは今回がはじめてでした。
超秀才として若くしてデビューした彼ももう中年の域にさしかかっているはずですが、昨日見たところでは、多少髪が薄くなったほかは(失礼・・・)まだ大学院生だと言っても通用するんじゃないかと思われるくらい若く見えました。
なんだか学級崩壊した小学校のクラスにでもいそうな、先生の手に負えない、それでいて知的にはすごくおませな小学生みたいな印象で、怒って人に突っかかり怒鳴っているみたいな、はじけるような発声で、西洋人のようなジェスチュアも交えながら滔々と話す、その中身も相変わらずとんがっていて、知的エンターテインメントとしては大変面白いレクチャーでした。
言われていることも、語り口も非常に明晰だったので、分かりよく、当日多く来ていたと思われる学生さんたちにもよくわかったのではないでしょうか。とはいえ、聴衆が分かろうが分かるまいが誰々がどうしたこうした、こう言ってるが、というような横文字の人名がポンポン早口で出てくるので、そういう点では全部わかる人は相当この種のことに予備知識のある人だったでしょう。
もう時間がオーバーしているのでこのへんで、と言いつつ、質問が一つ出ると、むしろ質問を遮るように先走って語りだし、語りだすと自分で自分がコントロールできないんじゃないか、とこちらがちょっと危惧するほどノンストップで語りつづけ、ようやく区切りをつけると、今度はもう聴衆のことなど全部忘れてしまったようにさっさと部屋を出ていく淡々とした表情はいかにも浅田彰その人でありました(笑)。
私は彼よりも、彼が昨日チラッと口にした彼の伯父さんの浅田孝さんの方には、少し事情があって他の人達と一緒に同席させていただいて、時にはひとことふたこと言葉を交わす機会も何度かあったので、その名が出てきたときは久しぶりに思い出して、彰さんとはまた対照的に、どんと落ち着いて穏やかな、だけどどこか親分肌みたいな器量の大きさを感じさせた人のことを懐かしく思い出しました。
映画の1本目は、ミース・ファン・デル・ローエ、それもバルセロナ・パビリオンに焦点を絞り込み、その再現プロジェクトに関わった人物の話なども交えながら、ミースの建築と思想を追うドキュメンタリーで、的が絞れているので、分かりやすく、あまり建築史のことなど知らない私は啓蒙されるところがありました。ただ、出演者がみなミースを礼賛し、バルセロナ・パビリオンを口を極めて究極の建築美としてほめそやすのには少々鼻白むところがなきにしもあらずでした。
どんなにすごい天才で、どんなに空前絶後の建築美なのか知らないけれど、素人としては、ただ崇拝者が神格化した天才をほめそやし、その作品創造を神話化するのを見聞きするよりも、天才ではないふつうの専門家たちひとりひとりの異なる人物の眼を通して見たミースという人物やその建築を、もっともっと具体的に語ってほしかったな、という気はしました。
映画の2本目のほうは、バウハウスの本家本元グロピウスに焦点をあて、その時代から今も続いているという手作り職人たちがいまだにその技能を発揮するような靴工場を紹介したりしていて、なかなか面白かったし、浅田氏も触れていたように、ある意味で対照的な二人をこの2本の映画で見ることができたので、いろいろ考えさせられるところがありました。
前にも書いたように私がバウハウスに関心を持ったのは建築だけではなくアートを生活と結びつけるデザイン思想のようなものを通じてだったと思うし、劇場のことを考えているときにトータル・シアターという概念にも興味をもったからで、建築史の方から入ってモダン建築の代表選手だとか、機能主義建築の巨匠だとかいった観点はもともと私には希薄でした。
だから、あの靴工場のように、当時の工場のイメージからすれば画期的な、明るくて機能的、合理的で、洗練された、労働者にとって働きやすい仕事場だったのでしょうが、他方で生身の人間がそこで動き回り、汗をかいて仕事をする場としての具体性とそういってよければ泥臭さもどこかに保っているのが、私にはとても好ましく思われるのでした。
それに引き換え、人々が絶賛するミースのバルセロナ・パビリオンのような建築は、たしかに極度に洗練され、建築という本来実用的なものでありながら(実際、博覧会のパビリオンに使われたわけですから)、純粋な造形美を実現しているような形象の美しさは感じるけれども、それは建築がどこか生活の匂いを消して(失って)無色透明な抽象的な図形のようなものになってしまったようなところがあって、私自身の好みからすれば、好みではないということになって、バウハウスと言っても、ミースが出てくるとピンとこないところがあります。
もっとも、あれが博覧会のパビリオンだからあれでよかったのでしょうし、ああいう種類の施設はいわば「ハレ」の日のための建築であって、工場や商店や住宅のような「ケ」の世界の建築とは違っていいんだ、といえばいいのでしょう。
浅田さんはそのへんを建築史の言葉で、実用主義と機能主義のように対照的に言われているけれども、というふうに言っていたと思います。彼自身はそういう対立的な取り上げ方を相対化しているので、そう思っているわけではないけれども、グロピウスが実用主義というのも私などはしっくりこないし、機能主義という言葉もよくわからない言葉です。
機能主義というのはたぶんこの言葉が使われる分野によって、ずいぶん違った意味に用いられていて、機能主義とはこうだ、と共通の本質を端的に言い切ったような定義というのか説明というのがあるのでしょうかね。
「機能」って、平たく言えば何らかの「はたらき」でしょうから、「もの」じゃなくて、その作用をさしているわけで、作用には、はたらきかける側とはたらきかけられる側があるわけで、「もの」と「もの」との関係ということが前提になっていて、或る「もの」に着目するとしても、それがほかの「もの」にどんな作用を及ぼすのか、どんな「はたらき」をするのか、というところに価値を見出す考え方なんだろうな、と思います。
世界を全体とそれを構成する部分で見て、それが単なる集合ではなくて、或る秩序、何らかの構造をもって全体が成立していると考えるなら、一つ一つの「もの」(要素)を全体の方から見るとき、それが全体に対してどんな「はたらき」をするか、というふうに、或る要素はつねに他の要素のため或いは全体のためにどんな「はたらき」をしているか、ということによって、その価値を認められることになるのでしょう。
この「はたらき」をもつものを抽象的な要素などと言わずに、地べたへ引きずりおろして、生活の色や形を与え、においや質量を与えれば、「実用主義」ということになるのではないでしょうか。
ただ、逆に生活の色や形を消去し、匂いも重量も消していくと、抽象化された数学の点や線のようなもので描かれた図形のようなものになっていくのではないか。それはそれで美しい幾何学紋様が生まれるかもしれないのだけれど・・・
比喩的に文学のような言葉の芸術で考えてみると、書き言葉を美しい文字で表現して感性に訴えることができるけれど、これは言語の価値とは無関係で、書字の美という別の美的価値を構成するわけです。
一方、言葉の内側を覗いてみれば、何かその言葉によって指し示すはたらき、ふつうは意味といわれているものがあり、それと骨がらみの形で、認識で言えばより深いあるいはより高い認識にあたる表現における意識の高さ、深さといったものがあります。これは文学作品が評価されるときの根源に認められる価値につながっているものなのでしょう。
表現で考えるより、物を見るときの認識のほうでイメージする方が分かりやすい気がするのですが、ちょうど山を登っていくとだんだん市街地の景観が山麓の方に見えてくるみたいに、自分が高く登れば登るほど、地上の光景もそれにつれて変化してより市街地全体が視野のうちにとらえられます。認識とは逆に、表現の場合にも、それと同様に同じものを指し示す(描いて見せる)にしても、指し示す(描く)こちらの眼がどんな位置にあるかによって、描かれるものの姿かたちは違ってきます。
最初の、書字が美しいというのは言葉の表現価値とは関わりがないので、これはグロピウスもミースも余計な装飾なんか建築には必要ないんだと考えた、「装飾」にあたるかもしれません。書字を美的に表現していくことで書道みたいな別の芸術が生まれたように、それはそれで価値を認める人が出てくるでしょうけれど、少なくともミースやグロピウスのような世に機能主義建築といわれる一派の人たちはこれを排除する点では一致していた、といえるのではないでしょうか。
では世に実用主義のグロピウス、機能主義のミースと対照的に言われるような場合の二人の違いはこの比喩で言えばどうかといえば、きっとグロピウスは描く対象(指示性)を豊かに広げていくタイプだったのではないでしょうか。他方ミースの方は、むしろ描く対象(指示性)をうんと狭めて、その分のエネルギーを、自分の眼の位置をどんどん高めていくほうに費やしたんじゃないかな。それはもちろんどちらがよいとかどちらが正しいなんてことじゃなくて、タイプの違い、好みの違いというだけのことのような気がします。
浅田さんのレクチャーの中で、機能主義というのは一般的には、「機能的なものは美しい」ということでしょ、というふうな発言がありました。たしかにそんなふうに私も理解していたな、と思い出し、同時にそういう主張が頭にあったから、のちにデュシャンのエピソードについて知った時に、それとこの主張とが固く結びついた感じになったのを思い起こしました。
そのエピソードというのは、デュシャンが仲間のアーティストらと航空展へ行ったときのことで、デュシャンは熱心に展示を見て回った末に、「絵画は終わった、このプロペラに勝るものをいったい誰がつくれるか。どうだね、君は?」と傍らのブランクーシに言ったというのです。(正確に記憶してなかったので、ネットでこのエピソードに触れた文章があったので、彼の言葉はそれを引用させてもらって再現しました。)
デュシャンが衝撃を受けたのは、プロペラの形式美だけでなくて、それを支え、その美しさを生み出した航空機生産技術の機能性の追求の追い詰め方に、ほとんど究極的なもの、完璧さといった、人の手では及び難いものを感じたからでしょう。この時の衝撃が彼の「レディ・メイド」と呼ばれる一連の工業生産による既製品を自分の「作品」として提示することになった、という物語を私たちは聞かされてきたと思います。
ただ彼に衝撃を与えた既製品も、だれにでもすぐにわかるように、たくさん並べてみればみな同じで、何の変哲もない大量生産品であり、すぐに誰もそれが「美しい」などとは感じなくなってしまうでしょう。それは既にグロピウスの時代からバウハウスの薫陶を受けた建築家たちが設計した集合住宅の設計などを見れば明らかで、グロピウスの靴工場などは面白い建物だなとおもうけれど、他方でいまでいう団地の住宅群みたいなものを見ると、当時の感じ方とはおそらくずいぶんと違って、なんて退屈なデザインなんだろう、と感じてしまいます。
のちにミース、ライト、コルビジェなどの機能主義建築を批判して台頭したポストモダニズムの建築家(ヴェンチューリ)などはミースの"Less is more."を皮肉って"Less is bore."と言ってたそうですが、機能主義が拡散していけば、そういう面が必然的に目につくようになるのでしょう。
それは実用主義と言われているらしいグロピウスの建築の核心にも潜んでいる機能主義の本質なんじゃないかと思います。
私がグロピウスに少し興味を持った理由だった生活とアートの一体化というか、直接な強い結びつき、つまり日々の生活の必要であるとか、具体的な日々の活動や仕事の性質に適応した、いわば使用価値に結びついた建築のありようも、それが普遍性へ向かうには一つ一つの色や形、匂いや重量を消していって、いったん単純な要素に分解することによって、とりかえ可能な「便利」なものになり、これらの要素を再編成することによって、多様な生活、多様な活動に適応できる自在さを手に入れ、普遍性を獲得していくのでしょう。
どこか泥臭さを残した、手作り風の肌合いをもったグロピウスの靴工場にしても、最初からそういう要素の再編成という原理を内包していたはずで、だからこそ彼は機能主義建築の元祖のように言われるのでしょう。そうした建築的要素の具体的な素材として適した、鉄、コンクリート、ガラスが新しい時代の主役として使われ、ああいう建築が次々に生み出されていったようです。
いったん個別的、具体的な生活とか活動とかから離れ、要素に解体されたものを自在に組み合わせて、いわばTPOに合わせて再構成するような手法は、非常に自由度が高いし、高度の機能性の追求とそれを満たす柔軟で多様な形態を保証することになったのだろうと思います。
ただ、その具体的なものからの乖離の方向を強調していけば、less is more でどんどん余計なものをそぎ落として、シンプルにはなるけれど、しまいには色も形も匂いも重量も失った点と線だけみたいな抽象に行きつくのではないかと思います。
それはキャンバスに一本の切れ目を入れただけのフォンタナの絵みたいに、それでも「美」でありうるかもしれないけれど、もう生活や人々のさまざまな活動からも具体的な世界からも切り離され、あらゆる具象性、必要性、実体的なもの等々を失った抽象の世界にいってしまった何かだという気がします。
ミースのバルセロナ・パビリオンで私が興味を覚えたのは、赤い縞瑪瑙(オニキス)という複雑な文様ととても個性的な材質をもった石材を使った圧倒的な存在感を持つ壁を設けていることで、あのパビリオンを再現したときには、その石材がなくて、どこやらの国の使われなくなっていた石切り場みたいなところを再発掘して掘り出してようやく再現できたのだそうです。非常に抽象的な幾何学模様のようなミースのパビリオンの中で、あの石材を使った部分というのは、ミースはless is moreの方へ行っちゃったかもしれないけれど、もともとはやっぱりグロピウスの実用主義と同じ、生活や人間の諸活動の具体的な色や形、匂いや重量と結びついた本来的な機能主義の申し子だったという出自を示す、彼のお尻に残る蒙古斑のようなものだと思いました。
こうして我流で考えてみると、機能主義と実用主義は対立するものではなく、むしろ実用主義は機能主義の一部であって、機能主義を実用主義とは逆の方向へ突き詰めていけば、必然的に形式主義的な美の追求の方へ行って、機能主義の対極に位置するものに行きつくのではないかという気がします。機能を関係性を前提にした何らかの「はたらき」だとすれば、それ自体を突き詰めた極限値は、逆に何の「はたらき」も「関係性」も持たないスタティックな抽象性だということになるかと。
とまぁ、そんなことを妄想めいてあれこれ考えさせられるような二つの映画でした。
浅田さんにはたった一度、随分昔のことですが、パートナーと滋賀県の県立劇場へ、ピナ・バウシュだったかのダンスを見に行った帰りに、京阪の駅のホームのベンチに一人で座って何か資料を読みながら電車を待っている彼を見かけたことがありました。
もちろんそれよりさらにはるか昔、すでに『構造と力』がベストセラーになって彼の名も顔も知れ渡っていたから私たちにもすぐに彼だとわかりました。
いろんなジャンルの先端的なアートを発掘したり的確な批評を書いたりしている人でしたから、こうやってちょっと注目すべき公演などあると見ておかないといけないんだろうな、ああいう商売も大変だなぁ、と思ったことを記憶しています。
私たちはただ楽しみで、面白いものみたさに、たまにそんなものを見に行くだけなのですが、彼のような立場で、あれにもこれにも目配りして見ておかないと話にならない、というふうだと、もともとは好きで始めたことでも、義務的なことになってしまって大変だろうな、と思ったのです。
当然ながら知り合いでも何でもないので、そのとき一瞬みかけたというだけのことで、それ以来間近に見かけたのは今回がはじめてでした。
超秀才として若くしてデビューした彼ももう中年の域にさしかかっているはずですが、昨日見たところでは、多少髪が薄くなったほかは(失礼・・・)まだ大学院生だと言っても通用するんじゃないかと思われるくらい若く見えました。
なんだか学級崩壊した小学校のクラスにでもいそうな、先生の手に負えない、それでいて知的にはすごくおませな小学生みたいな印象で、怒って人に突っかかり怒鳴っているみたいな、はじけるような発声で、西洋人のようなジェスチュアも交えながら滔々と話す、その中身も相変わらずとんがっていて、知的エンターテインメントとしては大変面白いレクチャーでした。
言われていることも、語り口も非常に明晰だったので、分かりよく、当日多く来ていたと思われる学生さんたちにもよくわかったのではないでしょうか。とはいえ、聴衆が分かろうが分かるまいが誰々がどうしたこうした、こう言ってるが、というような横文字の人名がポンポン早口で出てくるので、そういう点では全部わかる人は相当この種のことに予備知識のある人だったでしょう。
もう時間がオーバーしているのでこのへんで、と言いつつ、質問が一つ出ると、むしろ質問を遮るように先走って語りだし、語りだすと自分で自分がコントロールできないんじゃないか、とこちらがちょっと危惧するほどノンストップで語りつづけ、ようやく区切りをつけると、今度はもう聴衆のことなど全部忘れてしまったようにさっさと部屋を出ていく淡々とした表情はいかにも浅田彰その人でありました(笑)。
私は彼よりも、彼が昨日チラッと口にした彼の伯父さんの浅田孝さんの方には、少し事情があって他の人達と一緒に同席させていただいて、時にはひとことふたこと言葉を交わす機会も何度かあったので、その名が出てきたときは久しぶりに思い出して、彰さんとはまた対照的に、どんと落ち着いて穏やかな、だけどどこか親分肌みたいな器量の大きさを感じさせた人のことを懐かしく思い出しました。
saysei at 00:10│Comments(0)│