2019年10月12日

「わるい仲間」「サンタクロースの眼は青い」を見る

 ゴダールやロメールが絶賛し、「ヌーヴェルバーグの最後の旗手」あるいは「ポスト・ヌーヴェルバーグの旗手」と期待されながら、1981年、43歳でピストル自殺したユスターシュの、それぞれ25歳、28歳の時の作品。

 今見れば、そんな「なんとかの旗手」みたいな大げさなもんじゃないでしょう、という感じだけれど、何も先入観なしにこういう作品に出会えば、大抵の人が「いいね!」ボタンを押したいと思うだろうな、というふうな佳品でした。

 もうとっくに社会人として真っ当な生き方をすべき年齢になっていながら、まともな職にもつかず(つけず)「わるい仲間」とつるんでぶらぶらしている、若者というには少し歳をくって髪が薄くなったり、くすんだ感じに薄汚れて来ている二人の男が、通りがかりのシングルマザーをナンパしてダンスホールへ行くまではよかったけれど、優柔不断でモタモタしているうちに、知らない男の誘いで、気晴らしをしたい女は2人をおいて3度までその誘いに応じて踊りに行ってしまい、しゃくに触った二人は女の財布を盗んで逃げ出します。けれども根っからのワルという訳ではない2人、結局財布を女に返そう、ということになる・・・

 そんなこの社会で吹き溜まりで言ってみれば生きていることに何の意味も見出せないでいる、どロップアウトした若者の日常を切り取って見せただけの作品で、なんということもない世界を描いているのですが、観ているうちに、こういうちっぽけで無意味な世界がとても愛おしいものに思えるのが不思議です。それにつれて、作品がまことに愛すべきもののように感じられて来ます。

 「サンタクロースの眼は青い」もほとんど同じようなシチュエーションで、普段万引きしたり、「わるい仲間」たちとカフェにたむろしてナンパしたりしている地方都市に住む二人の若者の日常を切り取った作品です。この作品では主役の若者が悪友の持っているようなダッフルコートが欲しいけれどお金がないという設定が話を動かすモメンタムになっています。もともとその種のモメンタムのようなものが弱く、ごくささやかなものでしかないのです。むしろそこに特徴があります。

 それはこういう若者にとってどうしようもない地方都市、何も面白いことのない世界、何かちょっとした悪ふざけや大人たちに眉をひそめさせる程度のささやかな気晴らしをするくらいにしか日々を生きる意味を見出せない日常のありように相応しい、頽廃的で弱々しい物語のエンジンです。

 1963年と1966年の製作というから、まさに60年代の雰囲気を伝えているのでしょう。日本でも60年安保後の若者たちの生きた日常というのはこんな雰囲気を共有していたでしょう。今わたしのような世代の人間が見て「いいね!」ボタンを押したくなるのは、その種の過去のある時期に若者として吸って来た空気の同時代性によるのかもしれません。

 以前に見た「ぼくの小さな恋人たち」は1974年、ユスターシュが36歳の作品で、上に書いたような「愛すべきもの」をもっと過去の幼い日にまで遡って深めることで描かれた愛おしい世界で、時代の空気や社会的な抑圧を一定の距離感をもって遠ざけ、愛おしい世界だけを昇華してみせた、やっぱりこじんまりした世界ではあるけれど、それなりに一層成熟し、完成した作品だったなと思います。

 こういう佳品はもっと気軽に見られるといいのですが、驚いたことに私が持っているVHSはアマゾンでもマーケットプレイスの中古品としても、もう販売されていないようです。

 著名な監督の映画でもよく知られた代表作は出ていても、じゃその人の作品を初期から見てみたいな、と思っても、ほとんどまともに見られないんですね。小説なんかも同じで、小説の神様なんて言われたフローベールなども、ボヴァリー夫人などは幾種類も翻訳本が出ているけれど、結構引用されることの多い書簡など見ようとすると大きな本屋へ行っても無駄で、古書で運良く古い全集本の中の一冊を入手するか、図書館で読むしかないわけです。  

 まだ著名な作家は図書館に大抵は全集があるからいいけれど、映画は無理でしょうね。昔、衣笠貞之助の「十字路」や「狂った一頁」が見たいと思って京都文化博物館のフィルムライブラリーや東京の国立近代美術館のフィルムライブラリーへ行ったら、映画の専門家でないとダメとか、次に館の企画上映で見せる時に見てもらうしかない、とか言われてがっかりして帰って来たことがありました。

 日本映画が一瞬にせよ世界水準に同期したと言われるような作品でさえそんな有様ですから、いわんやその他は、です。映画を作る人はそれで手一杯、映画を集めて上映する文化施設の人はコレクションの収集と維持管理で手一杯、誰も本当に次の時代のために広く映画を市民に開放して若い映画ファンや作り手を育て、映画の創造を支える時代の厚みを作っていかなくては、なんて考える余裕がないのでしょうね。


 
  

saysei at 15:06│Comments(0)

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