2019年08月29日

劉慈欣の『三体』をよむ

 ふだんSFを読むことなんてないのですが、やたら評判のようなので、この中国製SFを読んでみました。と言っても、まだこれ第一部だそうで、第二部、第三部までこの何倍かの分量があるらしい(笑)。

 でもこの巻はこの巻で一応完結的に読めますし、昨日、今日と何時間かずつ費して400ページを超える分厚い単行本を一気に読んでしまうほど、評判どおり確かに面白かったです。文章、構成、描写がしっかりしていて、たとえば冒頭の文化大革命で主役の一人である葉文潔の父親哲泰が弾劾され殺される場面などは、リアリズム小説のように迫力があるし、もう一人の主役汪淼(ワン・ミャオ)が入っていくゲームの世界は、現実かゲームの世界か分からなくなるようなバーチャルリアリティの世界として奇想天外でありながら生々しい現実感を持っているし、文潔の語る紅岸基地での物語は、その上司雷や揚とのことも含めて、スパイ小説や推理小説のように謎を追っかけてクワクするし、次第に「三体」の正体が明かされるにつれて途方もなく広大な宇宙スケールのSFの枠組が見えてくる、という具合で、それらが混然一体となって飽かせず展開されるので、つい引き込まれてしまいました。

 小松左京が昔、「われわれ(SF作家)は学問の消費者だ」なんて言ったことがありますが、この小説もまあ素粒子論や宇宙物理や情報科学やらナノテクやら大量の現代科学の知見を「消費」した作品で、そういう分野の表層だけでも幅広くかすめたことのある人なら、思わずにんまりしたくなるようなところが盛りだくさん。それが非常にうまくこの作品の部品として有効に使われているのに感心します。

 人と人が出遭い、ぶつかって何ごとかが起きるドラマの面は、だいたいSFはつまらないんじゃないか、という偏見を私は持っていますが(笑)、葉一家の夫婦、親子の関係や汪淼のような知識人と史強のような軍曹タイプのたたき上げの人間との対照など、しっかり奥行きを持って描かれているようです。

 エヴァンズの基地である船を壊滅させるシーンなどは荒唐無稽なSF的設定なのに、ぞくっとするような現実的な恐怖感をもたらす新鮮さがありました。また、ゲーム世界に出てくる秦の始皇帝の兵士たちを使った人海戦術によるコンピュータのシーンは素晴らしく面白かったです。

 もちろん私がふだんからSFに懐いているような偏見のもとになっているような荒唐無稽さというのも、例えば三体世界の側から描いた部分などでは感じましたが、彼らの「監視員」が、地球のことを「乱紀」も「恒紀」もない「けっして凍りつくことのない青い太洋と、緑の森や野原」や「あたたかな陽光と涼しいそよ風」に満ちた楽園のように夢想する場面などは、あぁ、そういう世界からみたら、私たちの生きるこの星はそう見えるんだろうなぁ、と感慨深く思いました。それまでさんざん地球の側の絶望的な状況が描かれ、そこで諍いを繰り返し、殺し合い、苦しみ傷つく登場人物たちを見てきたし、それゆえにそんな現実を否定し、別の世界を求める登場人物たちの気持ちにも共感してきたわけですから、そこまできて、くるっと反転した視点を示されて、なんだかそれまで寄り添ってきた世界、自分もまたその中でもがいている小さな世界が相対的なもの、ずっと距離の離れたところにある世界のように見えたのです。

 考えてみれば、この作品の世界全体が、いま私たちが生きている理不尽で邪悪さに満ち、どこか根本的に間違っていて、奈落の底へ落ちて行くほかはないような現実の世界への、つよい否定的な想いで成り立っているのでしょう。たどっていく道筋も、たどりついた結論もそれぞれ違うけれど、登場人物たちもみな、現実のいまのこの世界のありように対して否定的だからこそ、それを破壊しようとし、或いはそこから脱出しようとし、或いはまた存在するかどうかも分からない「外部」に、あるいは超越的なものに救いを求めようとするのでしょう。そうした否定の想いがこの作品の根幹にあって、それは中国人作家だからあの文化大革命の時代をどう否定するかとか、現在の体制をどう評価するかといった狭い意味の政治性などではない、より根底的なこの世界への異和なのだろうと思います。

 そういう太い基軸、ごっつい核のようなものがあって、そこからすべての登場人物たちの多様なものの感じ方、考え方、行動の仕方が生まれてきている、という気がしました。また、そこらあたりが、エンターテインメントとしての面白さといったことだけではなくて、もっと深いところで、私たちが生きているこの世界に対する異和を感じながら生きている多くの読者をとらえているのではないか、という気がします。

 今回私が感覚的に不思議な感じがして、SFというのも面白いな、と印象的だったのは、主人公文潔が太陽という増幅器を使って大出力で宇宙空間へ情報を発信したのに対して、9年後だっけ、返事が返ってくる、あるいは三体世界から艦隊がやってくるのは450年後でしたっけ、そういうタイムスパンの問題でした。450年後とかって、この作品の登場人物はみな確実にいなくなっているわけだし、ひとつの単純な信号をたった一度受発信するにも10年近くかかるとすれば、そういう時間の間に登場人物の人生の主要な時間は終わってしまうわけですね。

 だから仮に宇宙人がいたとして、その宇宙人と私たちとの間にドラマが発生するとすれば、原則としてその接触の瞬間しかないわけで、なんら接触のない間の長い長い時間というのは何もないわけです。向こうは向こうで、こちらはこちらで、それぞれの時間が経過し、それぞれの内部にドラマはあっても、こちらとあちらとの間にドラマは無い。それがこの作品ではひょいと橋が架けられているのが面白かったです。

 ほうっと星空など見ていると(子供の頃はまだよく満天の星がよく見えたものです)、日常的なことがとるにたりないちっぽけなものに見えるという体験は誰もがしているでしょうが、こういう小説を読むとあらためてそんなことを思いますね。

saysei at 22:30│Comments(0)

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