2019年06月27日
鈴木卓爾監督「嵐電」を観る

久しぶりに出町座で映画を見てきました。平日の午前中でしたが結構お客さんも多かった。さすがに若い人は寝てるか大学か職場かという時間だから、年輩の方がほとんどでしたが。

作品は鈴木卓爾監督の「嵐電」。京都へ来て半世紀以上、とりわけ嵯峨に住んでいた女性と結婚してからの四十年余の間は、ずっと馴染んできた嵐電を描いた作品というので、新聞でそういう映画ができると知ったときから見たいと思ってきました。
嵐電の車両の内部空間や駅やその周辺が舞台というか、それ自体が出ずっぱりの登場人物みたいに生き生きとした表情で顔を出しますが、もちろんドラマの主役は人間さまです。

登場人物は三組の世代の異なる男女。
最初は、嵐電にまつわる不思議話を聞いてまわり、本として出版する目的で京都へ一人でやって来て、嵐電の通る線路わきのアパートに下宿する四十代の男性(井浦新が演じる平岡衛星)と妻(安部聡子演じる斗麻子)。この男性は、そんな旅をつづけながら、自分が何を探しているのか自分でよく分かっていなかったようですが、京都へ来て嵐電の駅でボーッと座っていたり、かつて妻と訪れたことのある京都の旅館のことを思い出すうちに、それに気づき、失っていたものを再び見出すようです。
いつも駅のベンチにボーッと座っているような姿が印象的で、そうやってほかの登場人物とおのずと触れ合う、受身の要みたいな位置にあります。
次のカップルは、同世代の恋愛や結婚をやりすごしながら、何ごともなく過ぎていきそうな二十台後半の年齢になっても、自分に自信がなく、人と接することの不得手で、どこか硬く不器用なキャラの食堂(キネマキッチン)で働く女性(大西礼芳演じる小倉嘉子)と、彼女が出会い、巻き込まれる映画撮影現場に東京からやってきた同世代の男優(金井浩人演じる吉田譜雨)です。これが普通の恋愛映画だと軸になりそうな典型的な男女の出会と別れと再会の話になるのかもしれません。
最後に、東北(だと思う)から修学旅行に来ているグループの中のちょっと変わった女子中学生(窪瀬環演じ居る北門南天)と、彼女が好意を持って積極的に追っかける若い男性で、あらゆる嵐電駅にに出没しては嵐電車両を八ミリで撮影し続ける鉄道オタク(石田健太演じる有村子午線)です。男性のほうは全然彼女に関心を示さないのですが、彼女のほうがめちゃ積極的に彼につきまとい、おっかけして、とうとう京都へ転校してきちゃうという(笑)・・・いまふうの唐突でトンガッたキャラであり、ちぐはぐさが面白い関係性です。
という三組の世代の異なる男女のそれぞれ異なる関係性とエピソードをもった三つの軸が、嵐電を舞台に同じ時空に交錯している上、そこへ平岡衛星が拾おうとしている「不思議な話」に属する幻想的な時空間、具体的には狐の車掌と狸の駅員の最終電車が出たあとにやってくる妖怪電車の幻想的な時空が迫り出して現実と境目が分からないように重なってしまうところが、この作品に複雑なレイヤーと奥行きを与えているようです。そういう設定自体がとても現代的で面白い仕掛けになっていて楽しめます。

それぞれの男女の想いや関係性だけ取り出して見ると、実に純心純情な各世代の男女の対幻想を軸にした話で、その三つの軸が嵐電の現在の時空間で交錯する、そのベクトルの向きもバラバラな三つの軸が自然な形でやさしく交わり、人と人が出会い、触れあうように、平岡衛星自身がそういう役割を果たしたり、またカフェのマスター(水上竜士演じ居る永嶺巡)がいたりするのでしょう。マスターがほんの一言触れる嘉子の親との関りなどのシーンでも、それだけで嘉子の抱える世界が過去の時間のほうへ遡る形で奥行きを垣間見せ、いまの彼女の自信がなく他者に対していくぶん自分を閉ざした硬い表情やぎこちなさに自然につながっているといった風に・・「
しかし映像として見ていて何と言っても印象的なのは、これらの三対の男女のドラマのいたるところに「背景」として、「舞台」として顔を出し、その明かりを煌々と輝かせて走り、明るい車両内の空間をさらけ出し、また様々な表情と色合いを見せて走り去っていくいたずらっ子のような姿を見せ、或いはまた、ときにあのキツネや狸のように図々しく「ドラマの現実」世界へぬっと迫り出してくる嵐電で、まさにタイトルどおりの作品ですね(笑)。

駅名が明示されない駅でも私たちにとっては、あああの駅だ、あの片隅だ、とたいていはすぐにわかるから、京都で嵐電になじんできた観客にはたまらん映画ですわね。
私が個人的に好きなのは御室駅の嘉子と譜雨のラブシーンと、そのあと嵐電に乗り込んだ嘉子がふと気づくと譜雨の姿はなくほかの大勢の乗客たちで込み合う車内というあのシーンであったり、狐と狸のの登場する場面です。あれがどんなにこの作品を豊かに、楽しく、面白くしているか、ほんとうにワクワクするようなシーンがたくさんあります。
三つのまるで異なる軸が最初は見えないし、それぞれの軸が作品全体の複雑なレイヤー構造の中で、本来は決して交錯することのない別々のレイヤーに属しているように見えるために、個々のシーン、エピソード、登場人物がバラバラにみえて、散漫な印象を受けるけれど、異なるレイヤーにあった三つの軸が周到な設定でこの嵐電のいまの時空間で交錯する奇跡をこの作品に私たちは見ることになるわけで、それはなかなか稀有な体験だと言っていいように思います。その奇跡の瞬間にあの大好きなキツネや狸も現れるわけだし、何よりもそこへ平岡衛星の最初のほうでの視線がとらえていたように、坂の向こうから徐々にその上部のパンタグラフあたりから姿を現すようにあの嵐電の車両が登場してくるわけです。
ひとつ映画を見ると、予告編をみたりチラシを手にして、また次から次へと見たい映画があるなぁ、と思って帰ってきました。
同じ枡形商店街にある二軒の古書店も久しぶりに覗いたら、あれこれ一杯、読みたくなる本が100円から300円の間で売られていたので、ついつい肩が重くなるほど買い込んできてしまい、パートナーに見られないようにこっそりと二階の階段を上がって持ち込んだのでした。
出町座のカフェで日替わり定食をお昼に食べて帰りました。

三種のチーズのフレンチトースト(手前)と、チリコンカンという豆の料理。西部劇でよく平たい金属の更に豆の煮たのを入れて食べているけど、あれを豊かにしたようなやつですね。美味しかった。右上の小皿に入っているのは甘酸っぱい梅干し。800円で手ごろで楽しい昼食でした。

これはシソのジュース炭酸割り。これも美味しかった。

こちらはわが家のきょうの夕餉のメイン。ステロイドで落ちた筋肉を取り戻すために、鶏のもも肉を70°の低温殺菌で調理してくれて、やわらかくて、しかもパサパサにならずしっとりした美味しい蒸し肉になりました。

こちらのニンニク一個分はいった美味しいたれをつけていただきました。

ひさしぶりのモロヘイヤも美味しかった。

鯵の干物はアブラがよくのっていて、これも美味しかった。

定番になった寄せ豆腐。

同じく定番のとうもろこし(半分だけいただく)と枝豆(つい全部食べてしまう)。
saysei at 02:08│Comments(0)│