2019年06月23日
晴れのち曇りときどき雨~柄谷行人「丸山眞男の永久革命」への違和感
陽が射していたと思えば暗い雲に空が覆われ、けっこうちゃんと雨が降って、これは植え替えたばかりの丹波大粒黒豆にとってはいい具合だな、と思っていたら、いつのまにか雨がやんで、十分な水の補給ができたのかどうか心許ない・・・というふうなお天気。
庭作業は無理だろう、と今日も剪定ゴミの処分はあきらめて、身体を休めることにし、終日家の中で身の回りの本や書類を整理して過ごしました。終活でだいぶ本を整理したおかげで、それまで半地下に眠っていた半世紀も前に買った本を全部上に出してきて、本箱に並べられるようになったので、なんだか新鮮な感じで、手にとると懐かしくてつい読みふけってしまいます。
今朝の新聞の書評欄で江藤淳を論じた本が好意的に紹介されていました。彼の文芸評論は信頼していたので、結構読んできたと思いますが、衝撃的な自死からもう20年が経つのだな、と知り、最近書店へ行くと江藤淳関係の本が目に付くのはそのせいだったのか、と気づきました。文芸評論で彼の評価がとくに時の話題になったりしたようなの、たとえば村上龍が登場したときの、結構激烈な否定的評価など、いまだに印象に残っているけれど、日本の敗戦後の占領軍の検閲の徹底ぶりと、その制約のもとにあった日本の言論空間のありようを実証的に論じた系列の著作については、啓発されるところもあったけれど、ずっとなにか江藤淳にやってほしいような仕事ではないような気がしていました。しかし、彼にとってはそれをやらなくては幾ら文学や思想を論じても砂上の楼閣だと切実に思えたのでしょう。
彼の著作集もほかの本と一緒にこれまでに全部手放してしまっていたけれど、また読んでみたくなって、二、三Amazonで発注してしまいました。同様に、先日『世界』の七月号を書店で手にとったら、柄谷行人が丸山眞男について書いていて、どうやら丸山の著作の中国語版の序文らしく、短い概説的なものなので、そのせいもあるかもしれませんが、半世紀ほど前にそれなりに読んできた丸山の印象の延長で読むと、え?え?と言いたくなるような違和感を覚えたので、またちょいと確かめたいような気になりました。
或いはあのころは吉本さんの丸山眞男論に影響された目で読んでいたせいかな、と思ったり、読んだと言っても、ちゃんと最初から最後まで読んだのは、当時必読みたいに言われた『超国家主義の論理と心理』や『日本の思想』くらいで、吉本さんが詳しく取り上げていた『日本政治思想史研究』も、当時は拾い読みで、のちに次男とその友達のサッカー少年たちに週一度英語教室と称して色々楽しんでつきあっていたときに、論語の素読をやって朱子の集注や徂徠、仁斎を自分なりに消化して紹介したりしていたときに、初めて目を通した程度だったし、良く取り上げられた『現代政治の思想と行動』もその中のごく一部を読んだだけで、例のごとく丸山の著作も一冊残らず売り払っていて手元にはなかったので、結局マーケットプレイスで一番安値のやつを買い戻す羽目になりました。
それでも半世紀前には知らなかった(出てなかった)日本政治思想史の講義録や丸山が遺した私的なメモというべき『自己内対話』なんてのがあるのを知って、この時期になってひどい寄り道(笑)。後者などちょっと読んでみると、彼がめったにみせない素顔というのかホンネが出ているようで面白くてつい本棚の前に座り込んで時間をつぶしてしまったり・・・。
いやそれにしても、丸山が「講座派の批判的継承者」として日本社会の政治的・観念的上部構造を考察しようとしたのだ、という柄谷の言い分にはずいぶんと違和感を覚えました。もちろん天皇制の問題やいわゆる「封建的遺制」として片付けられた幻想領域の問題を社会主義革命論を唱えた労農派がその理論上先験的に除外してしまったのに対して、二段階革命論を唱えた講座派の論理なら先験的には除外することにならなかった、という意味ではそうかもしれないけれど、それは別に講座派の志でも何でもないだろうという気がします。
そして、もし天皇制とは何かを問うきっかけを与えた、とか柄谷が一般化して言うように「観念的・政治的上部構造の次元は、根本的に経済的下部構造に規定されるとしても、それ自身、相対的に自立的な構造を有する、ゆえにそれを解明しなければならないという課題」に答えようとして地道な努力を重ねてきたのは、私の記憶ではマルク主義に意志論、国家論が欠けているという認識のもとにその領域を開拓してきた三浦つとむや、津田道夫らから滝村隆一にいたる政治的な同人誌みたいなマイナーなメディに拠りながら国家論を展開してきた戦後のマルクス主義者であり、それらを踏まえながらも、マルクスの自然哲学に柄谷流に言えば「可能性の中心」を見出して読み替えていくことで、全幻想領域に独自の理論を構成していった吉本隆明以外に、「下部構造とは相対的に自立的な構造を有する」幻想領域の理論を徹底的に追究しえたひとはいないだろう、ということになります。そんなところで丸山眞男など顔を出す幕はないでしょう、と。
もちろん日本の天皇制ファシズムがドイツやイタリアの社会ファシズムのようなものとは異質なものであることは丸山の論理展開の基軸にあるけれども、そういう政治思想史的な論及を上記引用の柄谷のように「一般化」して、幻想領域の(下部構造からの)相対的に自立的な構造を解明するという「講座派の継承者とみなすのは牽強付会もいいところのような気がしました。
だいたい、そういう一般化ができるとすれば、丸山の向かうのは、吉本さんのような全幻想領域の解明であるはずですが、彼が向かったのはあくまでも「(政治)思想史」です。そこを柄谷は奇妙に混同させた言い方で、幻想領域の次元は経済的下部構造に還元できず、固有の問題がある、という一般化した話を丸山の「政治学」に強引に結び付けて、こんなふうに言います。
”彼にとって、「政治学」は、経済的下部構造から相対的に自立した政治的次元を見るものであった。そして、それは観念的上部構造の歴史、つまり、思想史を問うことと重なる。”
おいおい、「観念的上部構造の歴史」イコール「思想史」(丸山について言っているのだから、もっと狭く「政治思想史」というべきでしょうが)なんですかね?(笑)
丸山が柄谷の評価のとおりなら、(政治)思想史の研究などではなく、三浦つとむや津田道夫らがそうしたように、意志論、国家論へと向かったことでしょう。マルクスはそうした幻想領域についてはヘーゲルまでの観念論でよく展開されてきた、として自らその構造に深入りして系統的な著作を残すことはなかったから、彼が比重を置かなかった幻想領域の構造の解明は残されたままで、マルクス主義者にとって国家論はひとつの理論的なアポリアのような様相を呈してきたのだと思います。それに正面から取り組んできたのは上述のような人たちであって、そこに丸山眞男の名を登場させるのはとても奇妙に思えます。
柄谷は市民運動を唱えた丸山の考えが、西欧の個人主義にもとづく市民主義だとみなされ、知的エリート主義だと非難されてきたと言い、1960年の反安保闘争のときにも、学生運動家からは「市民主義者」として軽く見られていた、云々と述べてそうした批判は当たっていない、丸山の取り組んできたのは市民主義やリベラリズムではなくて一貫してマルクス主義の問題だった、として先のような「講座派の批判的継承」者という位置づけに強引にもっていきます。
そこらから私の半世紀ほど前の印象とずいぶんずれてきて、わたし(たち)にとって、丸山はまさに市民主義者であり、リベラリズムの標榜者であり、もっと言えば西欧思想にあこがれ、知識人としてその思想を身に着け(たと自任し)、その視点から日本の遅れた社会、或いはその特殊性を否定的に剔抉していく、という典型的な鹿鳴館型日本的知識人にほかななりませんでした。それは、丸山の天皇制ファシズムの特質を指摘したり、日本政治思想史にすぐれた業績を残した、というようなこととは別の問題であって、その思想的な資質、態度、知識人としてのありようとして、私(たち)には見りゃわかるだろう、というほど自明のことだったように思います。
柄谷はしばしばマルクスが若いころにデモクリトスとエピクロスの哲学の「微細な差異」に着目して独自の自然哲学を形成していったエピソードに触れながら、通俗的な「対立」する思想のようなものではなく、いつも見過ごされがちな、わずかな差異に着目して、それを思考展開のバネにして、全体の見取り図を転倒してしまう、という風な方法を得意としてきたように思います。
丸山に対しても柄谷はどうやらそういう視点で、通説的な丸山観をひっくり返そうとしているのかもしれません。けれども、柄谷の方法というのは、ときに奇妙な矛盾に逢着するような気がしてなりません。たしかに、通説ではこうなっている。けれども、そこにある些細な差異に着目して掘り下げていくと、その通説全体がひっくりかえるような視野が開けてくるぜ、というのは、なかなか読み物としては面白い(笑)。小さなテコでもって既成の大きな説をひっくりかえすのですから、見ごたえがあります。しかし、そのことによって、逆に、その否定されるに至った従来の「通説」がもっていた、大局的に見た時やっぱりこうだよね、という真実のほうは何だかすっかりひっくり返されて、もはやそこにいかなる真実もないかのような印象を与えてしまいます。
例えばマルクスの価値形態論に「可能性の中心」を見出して、そこから既成のマルクス観を或る意味でひっくり返すような議論を展開した彼の著書をなかなか鮮やかなものだな、と思って読むのはよいけれど、じゃそれでマルクスというのはその「可能性の中心」に集約されてしまうものなのか。従来、私的唯物論の創始者のごとく言われ、いわゆる下部構造に還元された形で人間の歴史を自然過程として見る観点というのはそうした限定を付しても否定されるべきものなのか、或いはマルクスの「可能性の中心」に近視眼的に着目するあまり、彼が古典経済学の延長上にあったというようなことは嘘八百の俗説だと葬り去って大過ないのか?と言えば、そうではないでしょう。
同様に、丸山眞男の著作を(私も拾い読みしかしていないけれども)全体見渡してみれば、とても柄谷のように「講座派の批判的継承」者として、幻想領域の下部構造からの相対的自立の構造を探究したなんていう「可能性の中心」に集約した像をつくりあげることはできそうもありません。どうみても柄谷が否定する、西欧文化に憧れ、心酔し、その観点から日本社会の遅れや特殊性を指摘した「市民主義者」であり、「リベラリスト」にほかならない、と大局的には判断するのがまっとうな気がします。それは政治思想史研究のようなおかたい論文だけでなく、彼の音楽趣味やらその他の文化・教養のありようをみれば明らかであって、どう考えても柄谷の見出した「可能性の中心」をてこにひっくり返すことはできそうもない気がします。
もちろん、どんな思想もそう単純ではなく、多面的な要素を持っているものですから、その中に入り込んで部分を拾い出せば、いやこういう面がある、と不当に強調してひとつの虚像を作り出すことは不可能ではないでしょう。
書店でたまたま立ち読みした、プルードンの「貧困の哲学」の比較的新しい翻訳の訳者解説を読んでいたら、これを批判して揶揄するようなタイトル「哲学の貧困」を書いたマルクスが、いかにプルードンの思想にアンフェアに、偏った読み方をしてプルードンを不当に否定しているか、ということが憤懣やるかたない調子で書かれているのを見て笑ってしまいました。
私もプルードンを読まずにマルクスの批判を通じてプルードンのこの原著のことを知っていただけですから、本当のところは知りませんが、きっとそうなんだろうな、とは思いました。独創的な思想家というのは相手のタームに忠実に寄り添って理解していこうというより、強引に自分の思想のこやしとして引寄せて読むものだから、或る意味で誤読によって新たな思想を生み出していくようなところがあるものでしょうから、マルクスもきっとそういう読み方をしていて、プルードンを愛する研究者からみれば、なんという不公平な!と思うのは無理ないかもしれないな、と。
そういう意味でなら、きっとどんな思想も通説で片付けられてしまっている否定的評価に対して、いやそうじゃない、この人は本当はこういう現代にも通じる価値を持つ人なんだよ、と再発掘できる面が一つ二つはあるのかもしれないし、それは可能なのかもしれません。
こうしてたとえば蓮實重彦が吉本隆明と対談したときに、自分が尊敬する中村光夫を西洋のモデルで日本社会の遅れを指弾しただけのやつじゃないか、とコテンパに否定されて、いや中村さんはそういう人じゃない、こうこうで、と抗弁することができるだろうし、吉本さんに叩かれたあと「元気がなくなってしまった」(埴谷)花田清輝も古典的なマルクス主義者(≒スターリニスト)として否定されるべき人物ではなくアヴァンギャルド芸術論をはじめ現代の情報化社会の文化現象を論じた先駆者みたいな存在として再生できるし、丸山眞男もまた、講座派のやり残した課題に挑んで、幻想領域の相対的自立の構造を解き明かそうとした社会主義者であり、永久革命者として柄谷によって甦る、というわけなのでしょう。
庭作業は無理だろう、と今日も剪定ゴミの処分はあきらめて、身体を休めることにし、終日家の中で身の回りの本や書類を整理して過ごしました。終活でだいぶ本を整理したおかげで、それまで半地下に眠っていた半世紀も前に買った本を全部上に出してきて、本箱に並べられるようになったので、なんだか新鮮な感じで、手にとると懐かしくてつい読みふけってしまいます。
今朝の新聞の書評欄で江藤淳を論じた本が好意的に紹介されていました。彼の文芸評論は信頼していたので、結構読んできたと思いますが、衝撃的な自死からもう20年が経つのだな、と知り、最近書店へ行くと江藤淳関係の本が目に付くのはそのせいだったのか、と気づきました。文芸評論で彼の評価がとくに時の話題になったりしたようなの、たとえば村上龍が登場したときの、結構激烈な否定的評価など、いまだに印象に残っているけれど、日本の敗戦後の占領軍の検閲の徹底ぶりと、その制約のもとにあった日本の言論空間のありようを実証的に論じた系列の著作については、啓発されるところもあったけれど、ずっとなにか江藤淳にやってほしいような仕事ではないような気がしていました。しかし、彼にとってはそれをやらなくては幾ら文学や思想を論じても砂上の楼閣だと切実に思えたのでしょう。
彼の著作集もほかの本と一緒にこれまでに全部手放してしまっていたけれど、また読んでみたくなって、二、三Amazonで発注してしまいました。同様に、先日『世界』の七月号を書店で手にとったら、柄谷行人が丸山眞男について書いていて、どうやら丸山の著作の中国語版の序文らしく、短い概説的なものなので、そのせいもあるかもしれませんが、半世紀ほど前にそれなりに読んできた丸山の印象の延長で読むと、え?え?と言いたくなるような違和感を覚えたので、またちょいと確かめたいような気になりました。
或いはあのころは吉本さんの丸山眞男論に影響された目で読んでいたせいかな、と思ったり、読んだと言っても、ちゃんと最初から最後まで読んだのは、当時必読みたいに言われた『超国家主義の論理と心理』や『日本の思想』くらいで、吉本さんが詳しく取り上げていた『日本政治思想史研究』も、当時は拾い読みで、のちに次男とその友達のサッカー少年たちに週一度英語教室と称して色々楽しんでつきあっていたときに、論語の素読をやって朱子の集注や徂徠、仁斎を自分なりに消化して紹介したりしていたときに、初めて目を通した程度だったし、良く取り上げられた『現代政治の思想と行動』もその中のごく一部を読んだだけで、例のごとく丸山の著作も一冊残らず売り払っていて手元にはなかったので、結局マーケットプレイスで一番安値のやつを買い戻す羽目になりました。
それでも半世紀前には知らなかった(出てなかった)日本政治思想史の講義録や丸山が遺した私的なメモというべき『自己内対話』なんてのがあるのを知って、この時期になってひどい寄り道(笑)。後者などちょっと読んでみると、彼がめったにみせない素顔というのかホンネが出ているようで面白くてつい本棚の前に座り込んで時間をつぶしてしまったり・・・。
いやそれにしても、丸山が「講座派の批判的継承者」として日本社会の政治的・観念的上部構造を考察しようとしたのだ、という柄谷の言い分にはずいぶんと違和感を覚えました。もちろん天皇制の問題やいわゆる「封建的遺制」として片付けられた幻想領域の問題を社会主義革命論を唱えた労農派がその理論上先験的に除外してしまったのに対して、二段階革命論を唱えた講座派の論理なら先験的には除外することにならなかった、という意味ではそうかもしれないけれど、それは別に講座派の志でも何でもないだろうという気がします。
そして、もし天皇制とは何かを問うきっかけを与えた、とか柄谷が一般化して言うように「観念的・政治的上部構造の次元は、根本的に経済的下部構造に規定されるとしても、それ自身、相対的に自立的な構造を有する、ゆえにそれを解明しなければならないという課題」に答えようとして地道な努力を重ねてきたのは、私の記憶ではマルク主義に意志論、国家論が欠けているという認識のもとにその領域を開拓してきた三浦つとむや、津田道夫らから滝村隆一にいたる政治的な同人誌みたいなマイナーなメディに拠りながら国家論を展開してきた戦後のマルクス主義者であり、それらを踏まえながらも、マルクスの自然哲学に柄谷流に言えば「可能性の中心」を見出して読み替えていくことで、全幻想領域に独自の理論を構成していった吉本隆明以外に、「下部構造とは相対的に自立的な構造を有する」幻想領域の理論を徹底的に追究しえたひとはいないだろう、ということになります。そんなところで丸山眞男など顔を出す幕はないでしょう、と。
もちろん日本の天皇制ファシズムがドイツやイタリアの社会ファシズムのようなものとは異質なものであることは丸山の論理展開の基軸にあるけれども、そういう政治思想史的な論及を上記引用の柄谷のように「一般化」して、幻想領域の(下部構造からの)相対的に自立的な構造を解明するという「講座派の継承者とみなすのは牽強付会もいいところのような気がしました。
だいたい、そういう一般化ができるとすれば、丸山の向かうのは、吉本さんのような全幻想領域の解明であるはずですが、彼が向かったのはあくまでも「(政治)思想史」です。そこを柄谷は奇妙に混同させた言い方で、幻想領域の次元は経済的下部構造に還元できず、固有の問題がある、という一般化した話を丸山の「政治学」に強引に結び付けて、こんなふうに言います。
”彼にとって、「政治学」は、経済的下部構造から相対的に自立した政治的次元を見るものであった。そして、それは観念的上部構造の歴史、つまり、思想史を問うことと重なる。”
おいおい、「観念的上部構造の歴史」イコール「思想史」(丸山について言っているのだから、もっと狭く「政治思想史」というべきでしょうが)なんですかね?(笑)
丸山が柄谷の評価のとおりなら、(政治)思想史の研究などではなく、三浦つとむや津田道夫らがそうしたように、意志論、国家論へと向かったことでしょう。マルクスはそうした幻想領域についてはヘーゲルまでの観念論でよく展開されてきた、として自らその構造に深入りして系統的な著作を残すことはなかったから、彼が比重を置かなかった幻想領域の構造の解明は残されたままで、マルクス主義者にとって国家論はひとつの理論的なアポリアのような様相を呈してきたのだと思います。それに正面から取り組んできたのは上述のような人たちであって、そこに丸山眞男の名を登場させるのはとても奇妙に思えます。
柄谷は市民運動を唱えた丸山の考えが、西欧の個人主義にもとづく市民主義だとみなされ、知的エリート主義だと非難されてきたと言い、1960年の反安保闘争のときにも、学生運動家からは「市民主義者」として軽く見られていた、云々と述べてそうした批判は当たっていない、丸山の取り組んできたのは市民主義やリベラリズムではなくて一貫してマルクス主義の問題だった、として先のような「講座派の批判的継承」者という位置づけに強引にもっていきます。
そこらから私の半世紀ほど前の印象とずいぶんずれてきて、わたし(たち)にとって、丸山はまさに市民主義者であり、リベラリズムの標榜者であり、もっと言えば西欧思想にあこがれ、知識人としてその思想を身に着け(たと自任し)、その視点から日本の遅れた社会、或いはその特殊性を否定的に剔抉していく、という典型的な鹿鳴館型日本的知識人にほかななりませんでした。それは、丸山の天皇制ファシズムの特質を指摘したり、日本政治思想史にすぐれた業績を残した、というようなこととは別の問題であって、その思想的な資質、態度、知識人としてのありようとして、私(たち)には見りゃわかるだろう、というほど自明のことだったように思います。
柄谷はしばしばマルクスが若いころにデモクリトスとエピクロスの哲学の「微細な差異」に着目して独自の自然哲学を形成していったエピソードに触れながら、通俗的な「対立」する思想のようなものではなく、いつも見過ごされがちな、わずかな差異に着目して、それを思考展開のバネにして、全体の見取り図を転倒してしまう、という風な方法を得意としてきたように思います。
丸山に対しても柄谷はどうやらそういう視点で、通説的な丸山観をひっくり返そうとしているのかもしれません。けれども、柄谷の方法というのは、ときに奇妙な矛盾に逢着するような気がしてなりません。たしかに、通説ではこうなっている。けれども、そこにある些細な差異に着目して掘り下げていくと、その通説全体がひっくりかえるような視野が開けてくるぜ、というのは、なかなか読み物としては面白い(笑)。小さなテコでもって既成の大きな説をひっくりかえすのですから、見ごたえがあります。しかし、そのことによって、逆に、その否定されるに至った従来の「通説」がもっていた、大局的に見た時やっぱりこうだよね、という真実のほうは何だかすっかりひっくり返されて、もはやそこにいかなる真実もないかのような印象を与えてしまいます。
例えばマルクスの価値形態論に「可能性の中心」を見出して、そこから既成のマルクス観を或る意味でひっくり返すような議論を展開した彼の著書をなかなか鮮やかなものだな、と思って読むのはよいけれど、じゃそれでマルクスというのはその「可能性の中心」に集約されてしまうものなのか。従来、私的唯物論の創始者のごとく言われ、いわゆる下部構造に還元された形で人間の歴史を自然過程として見る観点というのはそうした限定を付しても否定されるべきものなのか、或いはマルクスの「可能性の中心」に近視眼的に着目するあまり、彼が古典経済学の延長上にあったというようなことは嘘八百の俗説だと葬り去って大過ないのか?と言えば、そうではないでしょう。
同様に、丸山眞男の著作を(私も拾い読みしかしていないけれども)全体見渡してみれば、とても柄谷のように「講座派の批判的継承」者として、幻想領域の下部構造からの相対的自立の構造を探究したなんていう「可能性の中心」に集約した像をつくりあげることはできそうもありません。どうみても柄谷が否定する、西欧文化に憧れ、心酔し、その観点から日本社会の遅れや特殊性を指摘した「市民主義者」であり、「リベラリスト」にほかならない、と大局的には判断するのがまっとうな気がします。それは政治思想史研究のようなおかたい論文だけでなく、彼の音楽趣味やらその他の文化・教養のありようをみれば明らかであって、どう考えても柄谷の見出した「可能性の中心」をてこにひっくり返すことはできそうもない気がします。
もちろん、どんな思想もそう単純ではなく、多面的な要素を持っているものですから、その中に入り込んで部分を拾い出せば、いやこういう面がある、と不当に強調してひとつの虚像を作り出すことは不可能ではないでしょう。
書店でたまたま立ち読みした、プルードンの「貧困の哲学」の比較的新しい翻訳の訳者解説を読んでいたら、これを批判して揶揄するようなタイトル「哲学の貧困」を書いたマルクスが、いかにプルードンの思想にアンフェアに、偏った読み方をしてプルードンを不当に否定しているか、ということが憤懣やるかたない調子で書かれているのを見て笑ってしまいました。
私もプルードンを読まずにマルクスの批判を通じてプルードンのこの原著のことを知っていただけですから、本当のところは知りませんが、きっとそうなんだろうな、とは思いました。独創的な思想家というのは相手のタームに忠実に寄り添って理解していこうというより、強引に自分の思想のこやしとして引寄せて読むものだから、或る意味で誤読によって新たな思想を生み出していくようなところがあるものでしょうから、マルクスもきっとそういう読み方をしていて、プルードンを愛する研究者からみれば、なんという不公平な!と思うのは無理ないかもしれないな、と。
そういう意味でなら、きっとどんな思想も通説で片付けられてしまっている否定的評価に対して、いやそうじゃない、この人は本当はこういう現代にも通じる価値を持つ人なんだよ、と再発掘できる面が一つ二つはあるのかもしれないし、それは可能なのかもしれません。
こうしてたとえば蓮實重彦が吉本隆明と対談したときに、自分が尊敬する中村光夫を西洋のモデルで日本社会の遅れを指弾しただけのやつじゃないか、とコテンパに否定されて、いや中村さんはそういう人じゃない、こうこうで、と抗弁することができるだろうし、吉本さんに叩かれたあと「元気がなくなってしまった」(埴谷)花田清輝も古典的なマルクス主義者(≒スターリニスト)として否定されるべき人物ではなくアヴァンギャルド芸術論をはじめ現代の情報化社会の文化現象を論じた先駆者みたいな存在として再生できるし、丸山眞男もまた、講座派のやり残した課題に挑んで、幻想領域の相対的自立の構造を解き明かそうとした社会主義者であり、永久革命者として柄谷によって甦る、というわけなのでしょう。
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