2005年03月01日
『きみに読む物語』
いろんな人が映画みて、泣いた、泣けた、というので、先に原作のほう、読んじゃいました。映画とどこか違っているのかどうかは知りません。以前に同じようなケースで『マディソン郡の橋』を読んだことがあるので、同工異曲の感はありましたが・・・これ以上は書きません。
なぜって、これ以上若い女性にキラワレたくないから(笑)。この前も映画の「世界の中心で愛を叫ぶ」を観て、つい正直な感想を漏らしたら、「私が感動できたんだからイイんですっ!」ってビシッ。 (うん、うん)とあたりに声なき声で同調するフンイキも (^^;・・・そうですよね。どんな小説でもどんな映画でも心うごかして泣けるってステキです。
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2005年02月19日
さびしんぼう
大林宣彦の「さびしんぼう」は不思議な映画。古美術を鑑定するような目で見ると、きっと破綻だらけの作品だ。「どうなることかと思いました」とは、今日も2人で見ることになった相方の言。ほんとうに前半を見ていると八方破れの喜劇かと錯覚する。それも上品なユーモアとは言い難い、少々お下品で、泥臭いドタバタの笑い。誇張が鼻につくところも少なくはない。
が、後半になると、すっかり主人公の視線になりきって、風に髪をなびかせて自転車に乗っていく富田靖子を追い、<さびしんぼう>の現われるのを心待ちにし、最後に憧れの人が小走りに闇に消えていくと胸がふさがる思いがし、とどめは雨の中で彼を待ち、その胸に顔をうずめて死んでいく<さびしんぼう>。まるで自分の腕の中で恋人が死んでいくように切なくて、緩んでいた涙腺が一気に全開。
このときの富田靖子は、ほとんど演技なしの自然体でいながら、観る者の心の芯をとらえて放さない最高の<演技>。その後、彼女の他の出演作も見たけれど、少しもいいと思わなかった。こんなに魅力的な輝きもたった一度で終ってしまうのかと思うと儚くなる。
中嶋朋子の「ふたり」のほうが作品としては完成度がずっと高いけれど、この作品は完成度なんてどうでもよくて、深く心の底に突き刺さって、偏愛という言葉がふさわしいほれ込み方をする以外にない作品。
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「チャーリング・クロス街84番地」は、昔偶然レンタルビデオで見つけて、その後品切れでなかなか手に入らなかった作品。今回DVDで手に入れることができて、初めて大きな画面で観ることができた。これも本当に不思議な作品。NYの「貧乏作家」とLondonの古書店主との古書をめぐる往復書簡が原作で、とりたてて事件らしいことも起こらない。にもかかわらず、少しも飽きさせずにぐいぐい引っ張っていく。
私にとってはこれは「愛」の理想形。どんな恋愛映画を観るよりも泣けてしまう。アンソニー・ホプキンスがうまいのは沢山の映画で見慣れていて、やっぱりすごいなぁと思うけれど、アン・バンクロフトの表情のチャーミングなこと!
本好きにはたまらない映画。原作は江藤淳の訳した文庫本かペンギンのペーパーバックで12ドルで手に入る。そして、それを読むと、往復書簡の中に登場する「ピープスの日記」(これも邦訳や新書の紹介がある)やジョン・ダン詩集が読みたくなる。
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庭の椿が咲いた。玄関に活けられた花は、一日で落ちた。信長のように潔い死に方だけれど、既に馬齢を重ねて、秀吉にも家康にもなれない私は、葉となり茎となり、枯れてしぼんで崩れ落ちるまで立っていたい。
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2005年02月18日
三本の映画
今朝は青空だったのに、雨が降り出した。(写真は先斗町歌舞練場を賀茂川の東岸から)
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今日も二人で(笑)連続3本の映画を見る。「今日も一人しか来てくれなかった(>_<)」と廊下で出合った助手さんに言ったら、にっこりして「あら、楽しそうですねぇ」・・・あのねぇ(絶句)・・これでも100本くらいリストアップして、う?んと時間かけて考えて絞り込んで、満を持してラインナップを出したんだけど・・(>_<)
ホ・ジノ「八月のクリスマス」。?愛する人の病気による死別というテーマでは、大ヒットした「ある愛の詩」や学生時代にはやった「愛と死をみつめて」、最近の「世界の中心で愛を叫ぶ」、それに昨今流行の韓流ドラマでもみな同じだけれど、こんなにも模倣やマンネリから遠く、個性的に深く切なく、しかも後味よく描けるのだと感動する。
北野武「あの夏、いちばん静かな海。」?こんな作品が北野武にあったんですね、と一緒に観た若い人が意外そうにいう。そう、このころの武の映画はすばらしかった。
押井守「イノセンス」。?予想どおり、分かりづらかったようだ。やっぱり「機動戦士パトレイバー」を観ずにいきなりだとストーリーを追うのはつらいだろう。それに聖書の引用らしきものが散りばめられたりして、やたら理屈っぽく、ペダンチックな海老天のコロモみたいなのがついているので、それをひっぱがして、中のやわらなかな海老の身に到達するのが難しい。
しかしこの監督の作品は、最初からじっくりたどりなおしてみる価値がある。この人は、宮崎駿とちがって、若い女性には人気が出ないのはよくわかる。けれど、とても重要な映像作家だと思う。
三島由紀夫が黒澤明の映像表現を評価しながら、「思想は中学生ていど」と言ったけれど、いま彼が生きていれば、現代日本を代表する二人のアニメ作家にどんな評価を下すかな、と時々思うことがある。
もちろん「中学生ていど」の思想(だったと仮にして)に拠る映像表現が超一級の作品であることと矛盾しないことを三島由紀夫は承知の上で言ったはず。私たちはその実例を、黒澤の「生きる」で典型的にみることができる。また、わかりやすさ、わかりにくさは、決してただちに価値評価を左右しない。
at 17:10|Permalink│