2025年02月11日
今日も雪が

今朝も雪がうっすら辺りに降りていて、遠く東山の山並みの方を見ると白く煙っていました。山際ではまだ降っていたのでしょう。

テラスの手すりにもほんの少々。でもじきに消えてしまいました。

芙蓉の切り株に置いたアーちゃんの餌ののこりの皿のあたりにも少し雪が。
朝方、ちらっと一羽の小鳥の影が飛び立つのを見て、ウグイスのようだな、と思いましたが、一瞬のことで確認できませんでした。ガラス戸のところへ無造作に近づくだけで気配を感じて飛び去るようです。
雀なら一羽ということはめったにないし、メジロはかりにすぐ飛び去っても、一瞬であの白い目の輪が印象に残ることが多いので、一番特徴が分かりにくく、逃げ去るのも素早いウグイスではないか、と思ったのですが、確信はなく、むろん逃げていった梢の辺りを探しても姿は見えません。
その後は今日一日、ウグイスやメジロはおろか、雀さんたちも全然来てくれませんでした。餌はまだたっぷり残っているのですが、こういう寒い日は来る確率が低いようです。
昨日は頭痛薬などのせいか、昼間に机の前で例の如く二つの椅子を向かい合わせて、片方に両脚を上げて寝そべる形で、ぐっすりとかなりの時間眠ってしまったせいか、夜中の3時ころにトイレへ行ってから頭がカッと冴えて全然眠れず、とうとうそのまま、いつもの起床時刻7a.m.まで布団の中で目覚めて輾転としていました。
昼間寝ていたのだから睡眠不足というわけじゃないので、かまわないと言えばかまわないのですが、なんとなく生活のリズムが狂ってしまいそうです。きょうは幸い頭痛もきつい肩こりも起きていないし、昼寝はしなかったので、たぶんよく眠れるでしょう。
きょうは休日だからか、瑯琊榜を放映するはずの時間帯にBS11ではボートレースかなにかの中継をしていたらしくて、がっかりです。
夕方早めの風呂に入って、温かくしてソファに座り、パートナーと一緒に瑯琊榜を見るのを楽しみにしているのですが・・・。
いま第37回でしたか、この間、ずっと王妃の養子誉王+懸鏡司夏江が靖王+梅長蘇を陥れる謀略によって靖王側が危機に瀕する場面が続く手に汗握る展開で、うわっ、これどうやって切り抜けるんだ!と思っていると、あっと驚くような謀士の智略でもって切り抜けていく、それがまことに面白くて、毎回次が待ち遠しくてたまらないのです。
ドラマは、ほかには日曜夜のNHK大河ドラマを惰性で見てはいるのですが、正直のところ段違いに面白くないので(笑)、ときどきその時刻が来ても忘れていて、パートナーに言われて仕方なく(?)テレビのスイッチを入れるといったことが続いています。
なぜこう日本のいまのドラマは脚本が下手で、スピード感がなく、意外性がまるでなくて、エピソードがとってつけたようで、演技もしゃべりもカッタルイのでしょうね。
そもそもいまどき吉原を舞台にしたドラマって、基本的に時代錯誤じゃないんでしょうか。どうがんばってみても所詮は性を売る場所として権力に囲われた特殊な世界で、そりゃそこに生きざるを得なかった人たちにもいろんな思いはあったろうけれど、めちゃくちゃなSF世界にして歴史から飛び出してしまえばともかくも、見ていてなんだか全然希望がもてないドラマというのか・・・(笑)
そりゃ出版屋をやって黄表紙みたいなものを出したり、浮世絵師を世に出したり、といった、いまでいうエンタメのプロデューサーみたいな小才のきく男を主人公にしたドラマって珍しいのかもしれないし、いまそういう裏方稼業の才能が表へ出てきてもてはやされる時代だし、そういう小才をきかせて大衆相手に「あたり」をとって一躍評判になる、ってのが当世風の成金成功譚で、SNSのインフルエンサーなんて言われるような連中のはしりなんでしょうから、そういう意味では時代に迎合する企画だったのでしょうけれど、その魂胆がうすっぺらくて見え透いていて、視聴者の心を惹くものがないのは残念です。
無料の民放なら仕方ないけれど、せっかく視聴者から視聴料をとり、民放では雇えないだろう高いギャラを払って充実した(?)スタッフや役者を囲い込むようなことをしてドラマを作っているのですから、もう少しはマシなものが作れないでしょうか。NHKは大河ドラマを作る計画をしたら、2年前くらいから、製作スタッフ全員で瑯琊榜の製作チームのところへでも一年程度の見習い修行に行ってこられてはどうでしょうか。いや、まじめな話。
きょうの夕餉

フロフキ大根

サバの塩焼き

五目豆

砂肝と生野菜の中華風サラダ

ほうれん草のおひたし

だし巻き

すぐき
(以上です)
アーちゃんはきょうも絶好調。昼間行ったときは、手袋を二重にはめたわたしの手の甲に乗っかって激しく噛みついては払い落されてまた乗っかって、と繰り返すこと五回、六回。いつになくしつこいので、うつむいて噛んでいるアーちゃんの背中から包み込むように掌でつかまえてやると、驚いて振り返り、ギャギャギャッ!と激しく喚いて、嘴で押さえている指を攻撃しようとするので、すぐに放してやると、一旦はケージの上へ逃げたものの、すぐにまた降りて来て、手に乗るので、その逞しい根性には感心しました。
これは本気で手袋をはめていることに怒って攻撃しているのか、それともこの二重の手袋では彼の嘴も立たず、皮膚を傷つけないことがわかっていて、彼なりの親愛の情にもとづくゲームなのか、私にはまだよく分かりません。
猫や犬なら、ひどく噛んだりしてこちらが手厳しく叱ると、それなりにしおらしくショゲた顔つきになって、そのあと従順に、許してくれと言うように犬なら、行儀よく坐って、ワン!ワン!と許しを請うような吠え方をするし、猫ならおそるおそる甘えてすり寄って来たりします。
けれども、小鳥となるとそういう表情まで読み取れないし、遠くでこちらを呼び寄せたりする呼び声とか、オーナーである長男が部屋へ入って来たときなどの喜びようを表わすはしゃいで甘えるような鳴き声とかはよく分かるけれど、手に乗って下を向いたままガツガツと嘴で手袋の上から手を激しくつつく行動の意味するところは、いまだによく分かりません。
けれども、大きな趨勢として、彼がこういう形で近頃スキンシップを求めているらしいことは、なんとなく分かります。ときどきは、いきなりつついたりせずに、不安定な私の前腕に乗っかって、何をするでもなく、じっととまっていることもあります。以前にはまったくなかったことです。
でもそんなときでも頭とか首とか背の羽を撫でてやろうとしても、嘴以外のところに触られるのはやっぱり拒否して逃げてしまいます。だからスキンシップも実際には成り立ちません。なかなか難しいところです。幼鳥のころから飼っていたら、もちろん裸のてのひらに乗っても噛んだりせず、居心地よくとまって、首や頭や背の羽をなでさせてくれたことでしょうが・・・。
それでも以前に比べれば、私の腕やてのひらに乗っかってくるだけでも、大変な進歩です。噛まれて傷になるのはいやだから薄い軍手みたいな白い手袋の上に薄いゴム手袋をかぶせて、二重に武装して受け入れていますが(それがアーちゃんは気に入らないみたいではありますが)、そうやって私のお腹の所へ抱かれるように入り込んでいるところは、なかなか可愛いものです。
そして、興奮して「闘った」あとでも、夜の就寝時刻になれば、自分から先にケージの中に入っていたり、まだ入っていない場合も、ちょっと「説得」すれば、みずからケージの中へ入っていくのを見ると、ほんとに賢い、素直な子だなと感心します。
saysei at 19:05|Permalink│Comments(0)│
2025年02月10日
楽しい夕餉

きょうは長男も一緒の夕餉で、ちょっとレストランのテーブルみたいな食卓の彩になりました。まずはカボチャのスープ。これ、上賀茂の戸田農園さんの自動販売機でゲットしてきたデッカイかぼちゃで、なかなか切る思い切りができずに半年間寝かせていたカボチャですが、とうとう切りました。中は全然半年も寝かせたカボチャとは思えない、生き生き新鮮な感じで、どちらかといえば完熟しきっていなかったカボチャのようでした。でもこうしてアツアツのスープになるとほんと、いつものように美味しかった。

椎茸やポルチーニの味と香りがよくきいたクリームパスタ

メインディッシュは骨付き仔羊のロースト。最近はカナートでたくさん骨付きラムが出ていて、これが大好物の私はとても嬉しい。近隣にはたぶん外国人も多く住んでいるから、需要が拡大しているのでしょう。日本人も昔はそう羊を食べなかったかもしれませんが、いまは好きな人が多くなっているのではないでしょうか。牛肉に比べてかなり格安だし、豚や鶏よりも野性味もあって、美味しい。昔は羊特有の臭みを嫌う人も少なくなかったけれど、このラム肉など、全然臭みなど感じられず、ほんとに美味しかった。私はどちらかというと、羊、鹿、猪、鴨等々、ジビエ系の肉が好きなので、もっといろいろ出て来てほしい。鹿が増えすぎて農作物を荒らしたり、森の樹木の皮を剥いだり芽をむしったりで生態系を破壊するとか言われているけれど、鹿肉ってあまり見かけません。私もたしか福島にあったフレンチ・レストランへ素敵な女性と出かけたときに、彼女はまだ食べたことがない、というので鹿肉のコースを選んで一緒に食べたのが一番最近で、最近と言っても、もう軽く10年以上は経っているんじゃないかな(笑)
鹿は羊よりも癖がなくて、とても美味しいので、なぜ出回らないのかよく分かりません。神様のおつかい扱いの奈良県とは違って、京都府では保護獣になってはいないので、捕獲して食肉にしていると思うのですが・・・
私は高野川に降りてくる野生鹿の群れをここ数年、ずっと観察していて、毎年あらわれるその春うまれの仔鹿がぴょんぴょん跳ねたり駆けっこする可愛らしい姿を愛していて、あれを殺して食べたい、というわけじゃないのですが、食卓に出てくる鹿肉はあれとは別、と割り切って考えるようにしています。
むしろ私がいままでその種のことで一番ギョッとしたのは馬ですね。馬肉なんてありふれた食用肉として良く知られているのだけれど、岩手県でしたかはじめて出張に出かけて、夕方ひとりで居酒屋へはいってカウンターの前に下がったメニューの札に、ただ「馬」と書いてあったので、そのときはギョッとしました。「・・・<馬>って、あの<馬>なんですか?・・・」なんて馬鹿なことをカウンターの向こうのおっちゃんに訊いて、こいつ何を言ってんだ?ってな変な顔をされたのを覚えています。
でもわたしは馬刺しは好物で(笑)、熊本県の委託仕事を何年ものあいだ担当していたので、よく熊本へ出張しては、馬刺しに舌鼓を打ちました。あれは美味しいですね。
イノシシは牡丹鍋にしたら美味しいけれど、脂の少ないややかすかすの豚って感じで、あまり好みではありません。あと獣の肉というと何があるんでしょうね。やはり私もあんまりゲテモノ風のものは好みではないので、せいぜい牛、豚、鶏の御三家のお隣さん程度の、羊、鹿、鴨の洗練された調理法で処理された美味しい肉は好みだけれど、そのさらに周辺へいって、珍しいからと勧められても、ちょっと尻込みしそうです。
閑話休題。

これは時々食卓に出る砂肝のコンフィの香草パン粉焼きです。エスカルゴみたいな風味になりました。

いずれも上賀茂野菜による、スティック生野菜に、ディル入りヨーグルトマヨネーズソースを添えたもの。トマトはパンコントマテ用で、上賀茂戸田農園さんで昨日私が仕入れてきたもの。やっぱり甘味がたっぷりあって、おいしかった。岸本さんの酸っぱいだけのトマトとは、同じ上賀茂トマトでも全然違う。市販のトマトなんて甘みも酸味もない、そもそも味自体がない(笑)。あんなのをよく「トマト」と称して売っているもんだと呆れます。

パンコントマテ。パンは洛北のレ・ブレドォルのバケットなど。
(以上です)
きょうも京都市の気温はスマホのお天気サイトによれば-2℃~7℃だったそうで、寒かった。先日来プリペットの上の皿に入れておいたアーちゃんの餌を見ると、雪解け水でぐじゃぐじゃになったのや、凍って固まっているのやで、これは雀さんたちも来ないはずだ、と思って昨日庭に穴をほって埋めてしまい、あたらしいアーちゃんの餌を入れておきました。
そしたら、今朝ふとみると、そのひとつに鶯が一羽来ていました。ガラス戸に近寄って皿に見ようとしたら、気配に気づいたのか、一瞬で背後の木の枝の間に飛び去り、しばらく待って見ましたが、二度とは来てくれませんでした。でも頭から肩のあたりの特徴的なウグイス色、そしてメジロのような白い目のまわりの輪がなくて、目の辺りは黒く、切れ長の目のように見える、サイズはメジロと変わらず、メジロよりややスリム、という姿かたちから、ウグイスに間違いないと思います。何度か来て、ここに餌があることを覚えてくれたのでしょう。こうして時々チラッとでも立ち寄って姿を見せてくれると嬉しいですね。
saysei at 22:19|Permalink│Comments(0)│
2025年02月09日
きょうの比叡

朝方の雪は市街地ではすっかり融けてしまいましたが、きょうの比叡、午後4時近くにいつもの区役所へいく道にかかる橋の上から眺めると、山の斜面に雪が残っていました。こうして自分が住む土地のランドマークのような高いお山が毎日見られて、それが季節ごと、月ごと、日ごと、あるいは朝夕、刻々と姿を変えるのを眺めることが出来るというのは、本当に幸せなことですね。
加藤静允先生にいただいて毎日眺めている画集『春花秋冬帖』は、元旦の、比叡初冠雪で始まり、季節ごとの様々な比叡の表情をとらえています。岩波のPR誌『図書』の昨年の表紙を飾ったこの画集から採られた一葉に、「葉裏白山」という、私も先生の絵と文章を拝見するまで知らなかった珍しい比叡の姿もあります。風の強い日、木々の葉が風で裏返って全山しろくなることがあるそうです。長年ここに住んでいますが、日々比叡の姿のうつりゆきをとらえるだけの心のゆとりを持つことができたのは、ごく最近のことで、そうした現象が起こりうることは理解しても、まだこの目で見る幸運にはめぐまれていません。
夏まではまだ半年近くあるので、そこまで何とか生き延びて、文字通りの「葉裏白山」をこの目で見たいと思っています。
私はこの画集の比叡のある絵では、春好日の想い出にと描かれた、仕事場に机に向かう先生の後ろ姿のむこう、戸を開け放したその向こうに見える比叡山という構図の絵がとても好きです。こうして人の姿が入っているせいか、なんだかほんとうにほっこりして温かい気持ちになるのです。絵に付された先生の文章にはこうあります。
里の花が散って、山の花が
咲く頃、戸開け放した仕事場で
泥遊び出来る一日は最も
うれしい一日です
お顔は向こうを向いているけれど、絵の中の先生が本当に生き生きとして楽しげであることは、座机に向かい、どっしりと座布団に坐りながら、しゃきっと首をまっすぐにして土捻りをしているらしい後ろ姿を見るだけで伝わってきます。そして目の前の巨きな比叡の山が、それに向き合うように土いじりされている先生の心の気宇壮大な世界そのままであるように感じられます。
秋の比叡も先生の筆にかかると、目を引き付ける華麗さや鮮やかな色どりを見せるオブジェというよりも、無数の人々の喜びも怒りも哀しみも楽しさもみな包み込んだ母親の胸のようにやさしく温かい肌合いをみせながら、同時になにものにも動じることなく、どっしりと安らいだ姿をみせる、とても人間的な山の姿になっているようにみえます。目で見ても山はこういう姿を現わさず、心で見てはじめてこのような姿を現わすのに違いありません。
.比叡山麓秋景図
霜葉無限紅黄彩
と記されたこの絵の隣のページに、こんなことが書かれています。
いつもいつも比叡山を画きます。くり返しくり返し比叡山を画きます。特に秋は。十一月の末頃、とくに午後三時から四時ごろ夕日に映える様はみごとです。
毎朝毎朝、毎日毎日何回か、比叡山を仰ぐのですが毎回違います。ずい分ちがいます。今日はとあまり気を入れて仰ぐと恥ずかしがってか雲にかくれていることもありますが。
私の家の中からは、窓から身を乗り出して辛うじてコンクリート長屋の左端にちょっと比叡の姿が見られる程度で、晴れた日にリハビリ自転車で外へ出るときでなければ、ほとんど比叡山を自然に仰ぎ見ることはありません。「毎朝毎朝、毎日毎日何回か」比叡山を仰ぎ見られる先生には、それだけでもかなうわけがありません。
けれども私のような気まぐれな見方をしていても、退職して家にいるようになって自由な時間が多くなるにつれて多少は見る回数も増え、自然に比叡山の季節ごと、月ごと、日ごと、時間ごとの変化にも少しずつ敏感になってきたことは確かです。これからどれだけ繰り返して様々な比叡の表情を見ることができるかわからないけれど、その素晴らしい自然の妙をより敏感に受け止めることができる自分でありたいと思います。
今日の夕餉

私にとって一番の御馳走は、この粕汁でした。とても体があたたまります。鶏肉入りにしてくれたので、いっそう美味しくなったようです。

子持ち赤カレイの煮つけ

小松菜のおひたし

野菜のかき揚げ これは私の好物です パリッと揚がっていてとても美味しい

キスの丸干し焼き

カブラの千枚漬け風

昨日のスキヤキの残り

スグキとキムチ
(以上です)

きょうの上賀茂野菜 寒かったけれど、少し動く方が体調がいいようなので、頑張って電動アシスト自転車を走らせて上賀茂の野菜自動販売機6か所を覗いて、いくつかの野菜を仕入れてきました。戸田農園さんのところでは、最後に残っていたやや大きめの2個400円のトマトと、200円のネギをゲット。ほかの二、三の販売所で、ニンジン(200円)、レタス(100円)、セロリ(200円)、チンゲン菜(100円)、ほうれん草(100円)、小松菜(100円)を買ってきました。
肺の呼吸困難、激しく手頻繁な咳、頭痛、左肩の激しい凝りと痛み、腰の痛み(椎間板ヘルニア)、おそらく薬害による胃腸障害、左目の強い斜視による視覚障害、遺伝的なヘパーデン症候群による手指第二関節、特に右人差し指の痛み、花粉症が原因らしい不断のハナミズ等々・・・いまはまさに病気や痛みのデパートみたいな私ですが、それでも適当にやり過ごせる部分はやりすごし、どうにもならない部分は副作用はあっても薬剤に寄って痛みや症状を軽減して、なんとかもちこたえています。
不思議と電動アシスト自転車には、サドルにまたがって、電気スイッチオンして走り出せば、それほど息を切らすこともなく、そこそこフーフー言う程度で、なるべく電動アシストさんに委ねて、足の回転は最小限にし、力をかけないようにしていれば、上賀茂の自動販売機を6か所めぐって帰ってくる程度のことは、それほど苦にならず、多少疲れはしても、むしろ腰や胃腸や筋肉の状態は血流がよくなるせいか少しベターな状態になるような気がするので、よほど寒い風が吹くようなときや、最初からしんどいような場合以外は、できるだけ2日に1度くらいは外の空気を吸ってくるようにしています。
こんなに寒いのに自転車で走ったりして、元気やねえ、共同庭の掃除のときとえらい違いやなあ(笑)と思われているかもしれないのですが、長い時間たって居たり、少しでも自分の体重を支えて歩行する、というのがひどくしんどくて、実際上できなくなっているのです。でもはた目にはなかなかそんなことは分からないでしょうね。
それに、着替えをするときのような身体の各部の動かし方をするのが、かなり以前から非常に苦手というか、異常なほど息が切れるのです。これは私にはなぜだかよく分からないのですが・・・。あとはもちろん2階への階段を上がるのがひどくつらくて、しっかり腕で手すりをもって体を引き上げるようにして、一段ずつ一度両足を揃える形で、また片足で一段あがって両足をそろえる、というふうにして時間をかけて上がればなんとか、そこそこ息が切れる程度で上がれます。片足ずつ普通の人のように上がったりすると、ほんとに最上段では息が苦しすぎて呼吸困難で倒れかねないほどになります。
あと、なぜかよく分からないのですが、上下する体の動きがひどくこたえます。アーちゃんの餌の世話をするために腰を下ろしていて、急に立ち上がったりすると、さっと血の気が引いて貧血状態になると同時に息も激しく切れて呼吸困難に近くなり、どうなる事かと自分で心配になることが多い。そういうときは近くの柱などにしがみついて、しばらく目を閉じてじっとして、少なくとも貧血がおさまり、呼吸がまともにできるようになるのを待ちます。先日はそれでも気分が悪くなってきて、これはヤバい、と思ったので、アーちゃんの暖かい部屋ですぐ横になってしばらくそのまま起き上がることができずに横たわっていました。ケージの戸をあけっぱなしてあるアーちゃんが、心配してくれたのかどうか、しきりに私の顔の上まで飛んできて旋回を繰り返していました。
今の私の正直な体調というのはこんなところです。でもこうして机の前でパソコンに向かってキーボードを打っていたり、近くを見る読書用メガネをかけて静かに本を読んだり、ノートを取ったりしている分には、ほとんど咳も出ないし、呼吸困難にも陥らず、いろいろな傷みもおおむね忘れて作業に集中できます。まあそれが自分にとって楽しいことだからでしょう。食事のときに降りていくと、やっぱりひどい咳が續けて出るので、「食卓に向かって咳をしないで!」と叱られることもしばしばですが、大抵は家の中でもマスクをかけていますから、叱られるのは、うっかりそれを外していて忘れている場合です。食事をしているときは、不思議にあまり咳き込んだりはしません。食事が終わって、皿を洗い場へ運んだり、口を洗い歯を磨きに洗面所へ行こうとすると、とたんに激しく咳き込んだりします。やはり動かないところから、いきなり動き出すときが、一番よくないようです。また、そうして動いたあとも激しく咳き込んで何もできないことが多くなりました。
だんだん状態が悪くなっているな、というのは自覚できますが、いつほんとうに終わりが来るのかはなかなか自分には予測ができません。主治医にもわからないのかもしれません。酸素ボンベをそろそろどうですかと勧められたけれど、一度使えばずっと使わずにいられないでしょうから、もう少し様子をみさせてください、といって辞退したのですが、使い始めないとどうにもならないときも、そう遠くはないかもしれません。
こういう話は夫婦の間でしても、もうどうにもなる事ではないし、暗くなるだけなので、彼女もいやがるし、よほどしんどくて何か対処が必要な場合以外は話題にもしません。体の痛みとか苦しさといったものは、所詮その人間が耐えるしかないものですから、腹を据えて引き受けるほかはないでしょう。むろんできるだけ軽減することが出来る限りは手をつくしてみようとは思っています。
きょうもなんだかんだ言いながら、無事に一日を終えることができました。すべてに感謝です。

saysei at 22:09|Permalink│Comments(2)│