2024年12月08日
おでん
きょうの夕餉はおでん。体が温まって消化にもよいし栄養満点、この寒さの中で(スマホの天気予報サイトによれば京都市の気温4~9℃だけれど、「体感温度1℃」とありました)おでんは最適料理。
あとは昨日の残り、キスの一夜干し
カブの千枚漬け風
空心菜と干しエビの炒め物
たらこ
すぐき、大根の葉のジャコキンピラ
(以上でした)
「京都案内」のブログをmixiからlivedoor blogへ移したのですが、そのときにコピペで移せたと思っていたら、文章だけ移って、写真の画像はみんなブログのほうには「フォト」という表示だけあらわれて、肝心の画像が見られなくなっていることに気づきました。それで慌ててきょう、すべての記事をみなおして、順次画像を入れなおしているところです。そう難しい作業ではないけれど、ちょっと手間ひまがかかって、きょうほとんど一日つぶれてしまいました。
せっかくの記事の中心になる写真がなくては自分が思い出す糧にもならないので、これは仕方がありません。だいたいコンピュータに弱い上に、マニュアルとか解説書をほとんど読まずに手探りでなんとかやってしまえればよい、というタイプなので、基本的なことがわかっていないから、時々こういう思わぬ失敗をやらかして、かえって時間を食ってしまいます。しかし、かつて訪れた寺社名園の、訪れたときのことを思い出して、けっこう懐かしむ時間を過ごすことができました。
岩波の広報誌「図書」の表紙に、一年間絵とエッセイを書いてこられた加藤静允先生の、今年最後の号が先日送られてきました。そのエッセイの中で、加藤先生は読書の楽しみについて書いておられて、至福の時間という言葉を使っておられました。まさに好きな本に没頭できる時間というのは至福の時間ですね。もうほかのことを考えたり、したり、なにか書いたり、というふうなことは全部余計なことで、すべて取っ払ってしまって、ただただ好きだから、読みたいから、惹かれるから、その本に没頭してしまえること、これほど幸せな時間の過ごし方はないと私も思います。
幸いそれができない境遇ではなくなっているのですから、一刻も早くそういう時間へと回帰したいと思っています。
saysei at 20:05|Permalink│Comments(0)│
2024年12月07日
鴨なべ
きょうは嬉しいことに鴨鍋の夕餉
追って補充する鍋の具
そろそろ煮えて来ました
白菜も菊菜もネギも上賀茂野菜、甘味があったとても美味しかった
鴨肉は下へ沈んでいますが、このつくねがまた美味しい
ダシが素晴らしく美味しくなるので、最後はご飯にぶっかけていただきました。
若狭のキスの丸干し
ほんとに美味しいので、店でもみんな知っていて、すぐに売り切れるらしく、パートナーが買ったのが最後だったそうで、ラッキーでした。
空心菜のポン酢かけ。きょう上賀茂でゲットしてきた空心菜です。
大根葉のジャコキンピラとスグキの古漬け
わが家の食糧ストック、だいぶ前に買ってきたバターナッツかぼちゃと、きょうまた新しいのを買ってきたトウガン。こうして台所に転がしておいても、ふつうのカボチャと同様に、長いあいだ傷むこともなく美味しく食べられるので重宝しています。このデッカイ二つの備えがあれば、いろんな料理ができるので、雨だったり寒すぎたりすると二人とも買い物にも出られないかもしれない時のための、いわば食糧危機へのわが家の備えです。
アーちゃんのお残しを植木鉢の底に敷く皿(ちらと覗いている青いの)に入れて生垣のプリペットの上に載せておいたら、雀さんたちが寄って来て食べています。針状の葉は鳩よけのカイヅカの葉。功を奏して鳩は寄り付かなくなりました。雀さんは小さいから上手に潜り込んで食べています。
雀は田圃のお米を食べるので、害鳥扱いで憎まれてきましたが、最近は気候変動のせいなのか、数がうんと減って来ているのだそうですね。もともと小さな可愛い鳥だし、群れで稲田を荒らすのは困るけれど、こうして個人宅の庭へ拾い物を食べにくる程度なら可愛いものです。
きょうもほぼ晴れでいい天気でしたが、市内は4℃~11℃だったそうで、外は寒く、厚めの長袖シャツに毛糸の薄めのベストを着てからコートを着て、首には温かく首を包む短い首巻をし、薄めの皮手袋をはめて電動アシスト自転車をこぎました。口にはマスク、目には目がね、頭にはヘルメットの完全武装です。
府立大図書館へ本を返しに行くと、返却期限が1日で、少し過ぎているので次回からご注意を、と言われ、「エッ?」9日のはずだったのでは? 借りるときもらった紙にはたしか9日と書いてあって、早めに返却に来たはずなのに・・・変だなぁとは思ったけれど、思い違いも多い後期高齢者ゆえ証拠の紙を持ってこなかったので自信がなく、それはすみませんでした、と首をひねりながら一応謝って、あらたに借りる3冊を探して、また窓口へ借りる手続きにいくと、今度は「利用者証の有効期限が切れています」。見ると12月1日が有効期限でした。これで分かった!利用者証の有効期限が切れていたから、それを更新しない限り、借りていた本の返却期限も1日ということになるわけでした。
すぐに更新申請書に記入してカードを更新してもらい、すぐにあらたに借りる手続きも簡単に済みましたが、利用者証の有効期限のことなど意識もしていなかったので、突然のことで戸惑いました。パスワードも忘れていたし(笑)
それにしても返却日も、たしかに借りるときには9日と言われ、印字されていたので、自分の思い違いでなかったことがわかって、ホッとしました。まだそこまでボケちゃいないぞ!(笑)
先日のミツバチの友人からまたメールが来ていて、ひとつは彼がちょっと前に添付ファイルで送ってくれた大学教養部時代(1~2年生)のころの教官と授業名のリストに私が少し修正、加筆をほどこして返したのを、もともとそのリストを記憶だけで作った別の元同級生に送ったとのことで、私がかなり加筆していたので、すごい記憶力とリサーチ力だとほめてくれているのですが、リサーチ力と言ってもウェブサイトで適宜検索して教養部の歴史を書いた文書をみつけただけだし、記憶力にいたっては、私はむしろ世の平均よりはるかに劣っているので、自分のことのようには思えなかったのが正直のところ。
それでもなぜかこういう特定の人にまつわる記憶になると、自分がその時点で印象深くうけとめていたらしい人とその人にまつわるエピソードの類は、異常に鮮明におぼえているという妙なところがあるのも事実です。
きょうも友人のメールに返事を書きながら、また次々に当時印象に残ったクラスメイトなどのことが心に蘇って来たのでした。その一人は名前さえうろおぼえで、たしか佐藤君と言ったのだけれど、お互いに教室ではほとんど会うこともなかったのですが、あるとき学内の図書館を出たところで遭遇し、どこかで見覚えのある顔だな、と互いに立ち止まり、「教室では会わないけど、君はたしかSⅡだよね」なんて言って、そうそう、というわけで、ちょっと立ち話をしたら、どういう経緯でだったか、彼は私も愛読していた小林秀雄が好きだといい、彼の「当麻」などは言葉で能を舞っているようだ、と激賞していました。そして、これから同志社大学の哲学だったか何か理系とは無関係な授業を受講しにいくのだと言っていました。
そんな古い友人を思い出したのは、今回もらったメールに、最初にそのリストを作った級友も、1年生のころ、国語国文学だったかの授業を担当していた渡邊實さんという当時助教授で、国語の構文論みたいなので学位をとった優秀な研究者の授業を受けていて、高校の頃に彼のあらわしたテキストか参考書を使っていたという話を直接渡邊さんに話したら、彼がすごく喜んで、文学部でやっているセミナーに参加しないかと勧めてくれたそうで、それから半年くらい渡邊さんのセミナーに参加していたというのです。彼は私違って理数系がよくできて、朝永振一郎の「量子力学」を高校生のときに読んでしまったという秀才で、理論物理の研究者になるだろうと誰もが思っていただろう、ばりばりの理学部のエリートでしたが、その彼がなんと国語国文学の教員の誘いで、文学部のセミナーに半年間参加していたというのですから愉快ではありませんか。
同じ共通のクラスメイトの中には経済学部へ転じて、わたしが図書館で会った時に、「やっと資本論を全部読んだよ」と言っていたのを覚えていますが、彼は卒業後、日本経済なんとかセンターという、政府の経済政策のもとになるような政策的な調査研究をしているとこへ入って活躍していましたが、おそらく激務のためでしょう、体を壊して信じられないくらいの若さで早逝してしまいました。
ほかにも、数学科へすすんだクラスメイトの中には宗教の伝道者になった者もありました。伝道者といえば、教養部を出て生物系の専門課程に進んでから親しくなった友人にも、「ものみの塔」というキリスト教の一派の伝道者になった人がいました。
私が行った学科では、ほぼ最初の授業だったかと思いますが、近くの小川に棲むイモリを何匹も取って来て(そんな身近なところにこんな生物が生きているなんてことさえ知らずに生物系に進んだのですが)、授業の最初にいきなりそのイモリの首を挟みでちょん切るように言われ、あとはそのイモリの身体をすみずみまで解剖して調べるという実習がありました。
もともとちょっと気持ちの悪いそんな生きた両棲類を殺すなんてことはやったこともなかったし、かなりショックでした。
或いはまた、ヒヨコに放射性物質を注射したのだったか、その結果、それがひよこの身体のどの臓器にどれだけの時間で、どれだけ配分されるか、というようなことを調べるために、教室中あふれかえるほどの小さなヒヨコたちを、時間ごとに注射しては解剖するいくつものグループに分けておいて、注射してから一定時間を経ると、一斉に殺してすぐに内臓を取り出して放射能を計測しなくてはなりません。
うだうだ躊躇したりしている暇はないので、ヒヨコの脚を掴んでさかさまに持つと、傍らの実験机の角に思い切りヒヨコの頭をぶつけて一瞬であの世に送るわけです。
今そんな実験がいくら科学教育のためとはいえ、許されるかどうか疑問だし、当時でも動物愛護団体などに知られればきっと問題にされたでしょう。
しかし、当時はテレビのルポなどでも、脳学者が動物実験で、頭を固定して動けなくした猫の脳に針を刺して、脳の部位による刺激と反応を検証するような様子を紹介していたほどですから、研究や教育の名のもとにそういうことが行なわれていたのですね。
これも随分後々までこたえました。なんというか、やっぱりどんな小動物でも、殺すほうにとっても殺されるものの痛みや苦しみの反作用みたいなものがズン、と重くこたえるのです。こういうことが續くと、心優しい繊細な神経の持ち主の中には耐えられなくなる人が出てくるのも当然のような気がします。
私の比較的親しかったその友人もそうした心優しく、繊細な神経の持ち主でした。ただ彼は優秀で、科学の言葉も論理的な言葉もよくよく承知していたから、なんとか持ちこたえようとそうした自分たちの行為を正当化する議論をつくろうともして苦悩していたに違いありません。
そして、それがもうもたなくなって崩壊したときには、逆にたとえば進化論も含めて現代生物学のなしとげてきた到達の多くを否定し、わたしたちが証拠だと思ってきた放射性同位元素による年代測定なんてもののいいかげんさを「科学的」に滔々と論じて、私たちが考える科学の言葉での反論にも手ごわい反駁で応じるようになっていきました。
そして結局彼は科学を捨てて、伝道者になりました。彼は父親をたしか戦争でなくし、母一人子ひとりで優しく逞しい母親に育てられ、キリスト教への入信も母親の影響が強かったかと思いますが、トータルに見て私には彼がそうした経緯をたどって科学を離れていくことに彼にとっての必然性のようなものを感じざるを得なかったのを記憶しています。友人たちは彼のことを心配していましたが、元より誰にも彼を翻意させる力などなかったのです。
大学闘争の直後に私はそんな大学に愛想をつかし、いわゆるドロップアウトして放浪の人生を結果的に選んだことになりましたが、私が放浪していたころに、私の学科時代、たぶん友人たちの中で最も優秀な頭脳の持ち主で、将来を嘱望されて大学院に進んでいただろう或る友人から、留守宅に賀状がきていて、そこには、いまガソリンスタンドで働いている、とあり、こういう人間になれたことを喜んでいる、ということが書いてありました。
私は内心で、それは違うんじゃないか。わたしのようなボンクラがドロップアウトするのは当然だけれど、お前みたいな秀才は学問をやるしかほかにできることはないのだから、ぜったいに我慢して学問をやるべきだ、と思いましたが、学生時代のようにそうした生き方の問題などじっくり話すような関係ではとっくになくなっていたこともあって、何もコンタクトはとりませんでした。
その後何年かして、彼がいきなりテレビ朝日の科学のスペシャリストであるコメンテイターとして登場したときは驚きましたが、同時に私は喜びもしました。きっと彼の才能を惜しんで周囲のだれかれが彼をそういう世界へ引っ張ったのでしょう。けれどもテレビの世界なんてものは、一般の社会よりもさらにひどい世界で、彼のような心優しく、繊細な人に耐えられる世界ではなかったのでしょう。
知識を生かして、海外で各国の先端科学技術の現状を調べ、それを一般の読者に伝えるような本も書いていたようですが、そのうちにふっつりとテレビでも見ることがなくなりました。
賀状だけは交わしていたのですが、彼はテレビからも他の一切の仕事からも手をひいて、捨てられた犬たちを集めて世話をしているようで、せっかくこの世に生を受けながら、ただ捨てられて死んでいく命をいくばくかでも救いたい、というふうな気持ちが書かれた賀状をうけとったことがあります。
彼は今も元気なら、郊外の住まいで、奥さんと二人で(お子さんはいないようなので)そういう生活を続けているはずです。彼は私にとって、いまでも同じ世代の中でもっとも好感をいだきつづけ、敬意をいだいている友人の一人です。
ほかにも、理学部というところには本当に多様多彩な面白い人たちがたくさんいました。
一つには学科へ上がる3年生になるまでの、当時「教養部」と呼んだ2年間は、専門も確定せず、どこにいくかも定まらない状態で、伝統的ないわゆるリベラル・アーツと西欧では言われたような広く深い各分野の教養を身に着けるというタテマエの時期であったことから、一本道を邁進するというスタイルではなく、様々な学問的な課題を覗いてみたり、基礎的な能力を身に着けたり、あるいは少しネガティブな面でいえば大いに迷い、さぼり、遊びもし、モラトリアム的な期間を楽しむ、というふうな期間だったことが、そういう面白い人物を集めるひとつの要因だっただろうと思われます。
そして大学にも旧制高校時代の自由な雰囲気の名残が、ごくわずかではあってもどこかに・・・たとえば教員たちの考え方や気質の中に、あるいは学生たちの過去へのあこがれに過ぎないかもしれないけれども、豪放磊落を気取る気質的なものの中に、あるいはまだしも緩かった種々の規制、規則、授業や試験などの管理の在り方の緩さ、等々、いたるところに少しずつ、そうした「自由」のかけがえのない良き面と、グータラでだらしない否定面をあわせもって存在していたのだと思います。
それらがすっかりなくなってしまったのが大学紛争以後の世界でしょう。
それは文部省を中心とするときの権力側の作り上げる管理社会的な大学のありようがベースになっていくわけですが、その過程で、むしろ大学に関わる教員や学生の心のうちにそうした秩序感覚や商業主義や競争原理、あるいはある種の合理主義的な考え方、感覚、姿勢等々といったものが内在化され、それまでわずかでも大学に残っていた「自由」の痕跡を、みずからの手で「主体的に」根こそぎ拭い去ってしまったのでした。
そこには我々先行世代が大それた大義名分を掲げながら、実際にやって来たことの卑小さ、無意味さに対する失望落胆と軽侮の念が作用していたのでもあろうと思うので、決して他人事のように語ることは今もできないのですが。
いずれにせよ、それ以降の大学は暗い顔をして下宿に籠るような学生や、酒やマージャンに明け暮れるような学生、落ちこぼれ学生のようなのはシャットアウトし、明るく健康的で優秀で勤勉な教員や学生たちの住まうところとなり、すべては秩序のうちに回収されて、問題そのものを喪失したのっぺらぼうな世界になっていったのではないでしょうか。太宰治の実朝の言葉でいえば、”アカルサハ、ホロビノ姿” だということになるでしょうか。
saysei at 22:43|Permalink│Comments(0)│
2024年12月06日
ルーチンワーク
朝起きて玄関外の電灯を消し、トイレに行き、顔を洗い、歯をみがき、髯を剃るところから始まって、パジャマを着替え、居間のカーテンを開け、DKの窓から手を伸ばして新聞を入れ、お湯を沸かし、昨夜のお茶葉が残るガラスポットや茶飲み茶碗を洗い、一晩常温で生成したカスピ海ヨーグルトを冷蔵庫の列の奥へ入れ、かわりに手前のケースのを一つ取り出してヨーグルト椀2つに少しずつ入れ、冷蔵庫のパイナップル片、小さめのリンゴ4分の1,キウイ半個、小さめのバナナ一本の4種のフルーツをさらに細かく切って二つの椀に加え、私のは干しブドウも5粒入れて、その上からヨーグルトを流し入れてフルーツ片がみな隠れるようにし、残ったヨーグルトはきょう一晩寝かせておくための容器に入れて、新しい牛乳を注ぎ入れ、左右50回転ずつかき混ぜ、蓋をしてあとはそっと専用布袋(温度を保つ)をかぶせて机の隅に置いておきます。手元の二つのヨーグルト椀の真っ白なヨーグルトの上には、さらブルーべりを6粒ずつ散らしてできあがり。サランラップをかけて冷蔵庫へ。これは昼食のときに食べます。
ヨーグルトを作るのと並行して洗ったガラスポットに、粉茶の葉を木の大匙軽く一杯入れて、熱湯を注ぎ、しばらくして私が二階へもって上がるカップと自転車行のとき持って出る水筒にも入れておき、ポットの減った量だけ熱湯を補充しておきます。同時に私が朝10錠の薬剤をのむための湯もそのとき用意し、また紅茶に使うマグカップや牛乳を入れて置く細めのカップにも熱湯を注いであたためておきます。細めのカップの湯は器が熱くなったら急須に入れて急須を温めるのに使い、カップには冷蔵庫の牛乳を4分の3くらい入れて、カップごと大きいマグカップに熱湯を2分目ほど入れてある中へつけて、牛乳があたたまるようにしておきます。
こうして朝食の準備が終わると、お待ちかねの(居間のカーテンを開ける音で甲高い呼び声と羽音をたてています)インコのアーちゃんの餌を替えに2階へあがり、アーちゃんの部屋へ、おはよう!と言いながら入って、電気をつけ、窓のカーテンをあけてようやく上がった太陽のまぶしいまでの光を部屋いっぱいに入れます。
焦ってバタバタ羽音をたてるアーちゃんをしり目に、昨日の水や餌を取り出し、水は洗濯物干し場のコンクリート床に流し、古い餌は別途缶に入れて置きます。これは先日来、庭の生垣の上や芙蓉の切った枝の上に置いた植木鉢の下に敷く皿に入れてやって、雀さんにおすそ分けします。ほんとはメジロさんが来てくれると嬉しいのですが、どうもメジロさんたちはアーちゃんの餌には興味がないのか、集まってくるのは雀ばかり。一度鳩が舞い降りて皿をひっくり返すのを目撃したので、皿の周囲にとげとげの貝塚の剪定した枝先を立てて、鳩が近寄りにくくしてやりました。図々しい鳩がたくさん集まって来てそこら中に糞をまき散らされては迷惑なので。
さて餌替えが済むとアーちゃんの入っているケージの出入り口を開いて、アーちゃんが出てくると、目立ったところに落ちている糞を始末し(単に底に敷いた新聞紙の上に落とすだけの場合が多いけれど)、食用の砂の減り具合を確かめ、必要なら補充し、大小二つのあらたな水を注ぎ入れた水容器と餌箱をセットします。
ただし、ケージを出たアーちゃんがすぐにケージの天井へ出て、ケージに接して立てかけてある姿見に映る自分を相手にしはじめればいいけれど、大抵はすぐにケージの出入り口の扉が開けると水平な台のようになっているところへ舞い降りて来るので、その場合はすぐに餌を食べさせろ、という合図なので、いま新しくしたばかりの餌箱を私が手にもって、アーちゃんがその餌箱の突起にとびうつって食べるのを眺めています。
一度に食べる量はさほど多いようには見えませんが、飛び立ってはまたすぐに戻って来て、多い時は5回くらい私の手にもった容器の餌を食べます。けっこう一度が長いこともあり、アーちゃんよく食うなぁ、と呆れて言うこともしばしばです。食べるのはおどろくほど速く、硬い大きめの殻付きのエン麦なども要領よく嘴でくちゃくちゃ噛んだと思うと、二つに開いた殻だけペッというように落とします。ほかの小さな粟、稗、黍などの実もたくさん半透明の薄い丸い皮が餌の表面を覆うようになります。
食欲旺盛なのはアーちゃんが元気な証拠でしょう。そうやってたらふく食べて満足すると、ケージが開いていても、このごろは閉じ込められないと安心しているせいか、自分からケージの中へ戻って、止まり木にとまっておとなしく休んでいることも多いようです。ケージの天井は細い針金のようなつるつるの金属が格子状に編まれたようなものだから、指のひん曲がったアーちゃんの足だとつかまりにくいのでしょう。よくその上を歩きながら、足を滑らせてガクッとずっこける姿がみられます。
以上のようにひととおりアーちゃんの餌の世話が終わると、1階へ取って返して、もう一度湯を沸かします。少し時間がたつと、いまごろは寒いので、沸くまでけっこう時間がかかります。パートナーもその時には起きて洗顔や着替えを済ませているので、膝の悪い彼女のかわりに、重い冬布団はできるだけ私が揚げるようにしています。以前は羽根布団を使っていて軽くて暖かだったのですが、どうも間質性肺炎には悪いらしいので、昔のようなやや重い布団を使わざるを得なくなっているので、今度は二人とも腰があまりよくないし、腕の力も衰えているから、どちらがやってもよほど用心してしないと、かえって故障がおきかねないので、けっこう厄介です。
布団を押し入れにしまって、仏壇を開き、備える水を新しく交換するのは毎日の私の役目です。パートナーは昼間かなりしっかりと手を合わせ、線香をたいてお参りするのですが、私は全然それをやらないので、せめて水をかえるだけはやっておこうというわけです。
それが済んだらDKに戻って、あらためて沸騰させた湯を、紅茶を入れたポットに注ぎ、マグカップの湯も熱湯に変えて、再度牛乳を入れた細身のカップをあたためておきます。紅茶はウィッタードが高価になったのであきらめてほかの少しは安いブランドに変えていたのですが、先日長男がウィッタードを注文してくれたので、ニ、三日前からまたウィッタードのEnglish Breakfastをいただいています。しばらく淹れてなかったので、紅茶の量、湯の量、牛乳の量、時間(温度)のバランスを取り損ねて、はじめはこんなはずじゃなかった、という失敗もしましたが、昨日からはパートナーも美味しい!と言ってくれるようになり、どうやら前に体得していたバランス感覚が戻って来たようです。紅茶もなかなか淹れ方によって微妙です。
朝の食事は、私が紅茶を用意する間にパートナーが食パン(ドンクのパン・ド・ママとかいう)を焼いて、その半分を水平に切れ目を入れて渡してくれるので、自分でそこへレタスと沖縄のクンチャマベーコンとスライスしたタマネギ、それに上賀茂戸田農園さんのちゃんとトマトの味がするトマトを切ったのを載せて挟み、サンドイッチとして紅茶とともにいただきます。朝はそれだけです。以前はヨーグルトも朝たべていたのですが、ちょっとボリューム過多になるので、ヨーグルトは昼食時に回したら、丁度バランスがよくなりました。
朝食後は後片付けも簡単なので、手のあいているほうがやってしまい、紅茶カス(葉)は別途プラの袋に入れておいて、少したまってくると、庭の花壇やキンカンの根っこに埋めにいきます。いい肥料になるようで、今年ハーブや紫蘇や大葉がものすごく茂ったのは紅茶カスのおかげです。ゴミに出す量も減るので一挙両得です。
私はそのあとゆっくりと日経新聞の朝刊を読みます。そして10種類の薬剤を我慢してのみ、歯を丁寧に洗い、口腔内の細菌感染を予防する液状薬を舌の上に垂らせば、ここまでで朝食関係のルーチンは終わり。
あとは2階へあがって、体温を測り、バイオオキシメーターで血中酸素濃度を調べて手帳型の日記帳に記録し、ついでにスマホの天気と気温を記入。パソコンを開いてメール着信を確認したり、アマゾンに出品している商品への注文がないか(いまも来ていましたが!)チェックし、ようやく朝のルーチンワークが終わって、ここからはその日にやりたいこと、まあたいがいは読みたい本を読み、書きたいことを書いていく一日がはじまります。
ただし、きょうは何日か掃除をしてなかったので(それはふとんのあげおろしで一番埃をかぶりやすく、色のせいで埃のたまるのがわかりやすい)仏壇の上をみて、そこが埃で少し白くなっていたりすると、もうそろそろ掃除をせんとあかん、ということになって、だいたいいまは週2日のペースでやっていますが、きょうはその日にあたったというわけです。とくに寝室と、アーちゃんの部屋は埃がたちやすいので、そこを重点的にしっかり掃除機をあてます。
拭き掃除は私がひきつづきやってしまうこともありますが、最近は少し両方を一度にやるのがしんどいので、拭き掃除はパートナーにまかせています。これはDKの床が一番汚れやすい(調理と食事の場所だから)ので、そこを重点にしています。
午後は晴れていれば、夕暮れにならないうちに、電動アシスト自転車で上賀茂の野菜自動販売機をいくつかめぐるリハビリ(椎間板ヘルニアの)自転車に出かけることがほとんどですが、昨日はコーヒー豆が切れたので、サーカスコーヒー(北山通大宮角)さんへ豆を買いにいきました。
あとの昼間あいた時間は完全フリーなので、できるだけ読書と雑文書きにあてています。もちろんそれが楽しいからやっているので、他に今は何の目的もありません。
昼食も夕食も完全にパートナー任せなので、私はせいぜい皿洗いか、皿拭きくらいしか役には立てません。夕食後も布団を敷いたり、ケガの手当が済んで、少しアーちゃんの世話をしたら、あとは机に向かっていて、10時にはアーちゃんを寝かせ(消灯、ケージへ回収➡いまはとても良い子で、自分でちゃんと入ってくれます)、そのあとは私も階下へ降りてテレビのニュースをパートナーと一緒に見て過ごし、11時半ころになれば私が先に就寝。パートナーは宵っ張りの習慣がついていて、そんなに早く寝ても眠れずにもんもんとするというので、うとうとしていても、ホットカーペットのある居間でなにか一枚かぶって起きていて、1時から3時の間くらいに適当に就寝ということです。
こういう日常のルーチンワークは、もう長くつづけているので、ほとんど変わらずに繰り返しています。それを妨げる仕事のようなものはないので、みずからそういう日常を好み、選んでいるわけだし、そうできるいまの境遇に満足しています。ただ、歳をとってすべてがスローモーになってしまったので、こうしたルーチンワークをこなしているだけで一日が足早にすぎていく感が強くなっていることは確かです。
きょうの夕餉
トウガン、キノコ、ソーセージのグラタン
鯵の塩焼き
小松菜のおひたし
大根葉のジャコキンピラ
豚汁
たらこ、すぐき、鯵の塩焼き用の大根おろし
これはお昼のオムライス、これに朝作っておいたカスピ海フルーツヨーグルトが昼食でした。
昨日もいただいた、長男が土産にくれたフランスのクッキーとウィッタードの紅茶でおやつ。
きょうは府立大図書館で借りていた歌学大系のほうを少しコピーしたり拾い読みしたり。
また、パートナーが私の破れたコートの裏地を直してくれている間、逆に頼まれて彼女の彫金の写真を撮り、その画像を指示に従って加工処理したりして時間が過ぎていきました。
そのコートは部厚すぎもせず、薄くもなく、どこのブランドだったか、外見はお洒落で、とても着やすいので、もう40年か50年も使ってきたので、表面からみると何でもないのですが、裏を返すともういたるところボロボロで、ポケットも底に穴が空いていたのです。これを何とか修復しようというので彼女が頑張って、コートを脱いで歯医者の待合室のソファなどにうっかり裏のほうを出して置いても恥ずかしくないように(笑)してくれました。
私もパートナーも生活用具や着るものは、いったん気に入ると、もうずーっと何十年でも壊れるまでそれを使いつづける性質なので、こういうものが案外多いのです。
いまDKの足元に置いている単純な板みたいな温熱ボードなども、子供が幼いころからずっと使っているので、まず40年くらい使いつづけていますが、一度か二度、コードがショートして火花が出たので、切ってつなぎなおしたことがあるだけです。
台所のシステムキッチンも、単独のオーブンやトースターも長男が生まれてこの団地へひっこしたとき以来ですから、だいたい40年以上使っているものではないかと思います。冷蔵庫と洗濯機は一度変えたかな。新しいのは電気消費量がうんと少なくなっているのに驚いたりしていましたから(笑)
わたしは電動アシスト自転車を買ってもらって、最近あたらしい自転車になりましたが、パートナーはそれこそ数十年同じ古い自転車に乗っています。変速機もなにもついていない単純なママチャリですが、軽くて丈夫で乗りやすいので、買い替えたくない、と言ってン十年、頑固にボロボロ自転車に乗り続けています。
DKの壁の上の方に懸かっているサッカーボールをかたどった木の手作り時計は、今年はもう四十代の半ばにさしかかろうかという長男が幼稚園のころに、幼稚園の工作で作って来たものです。裏でこの時計の針を動かしているのは、中国製の400-500円の電池式の本体で、それがこの半世紀の間に、一度だけ壊れたので、アマゾンで同じタイプの安物を買って取り換えただけで、ずっとかわらず正確に時を示しつづけていてくれます。もうわが家の家宝級の生活用具ですね(笑)
ヨーグルトを作るのと並行して洗ったガラスポットに、粉茶の葉を木の大匙軽く一杯入れて、熱湯を注ぎ、しばらくして私が二階へもって上がるカップと自転車行のとき持って出る水筒にも入れておき、ポットの減った量だけ熱湯を補充しておきます。同時に私が朝10錠の薬剤をのむための湯もそのとき用意し、また紅茶に使うマグカップや牛乳を入れて置く細めのカップにも熱湯を注いであたためておきます。細めのカップの湯は器が熱くなったら急須に入れて急須を温めるのに使い、カップには冷蔵庫の牛乳を4分の3くらい入れて、カップごと大きいマグカップに熱湯を2分目ほど入れてある中へつけて、牛乳があたたまるようにしておきます。
こうして朝食の準備が終わると、お待ちかねの(居間のカーテンを開ける音で甲高い呼び声と羽音をたてています)インコのアーちゃんの餌を替えに2階へあがり、アーちゃんの部屋へ、おはよう!と言いながら入って、電気をつけ、窓のカーテンをあけてようやく上がった太陽のまぶしいまでの光を部屋いっぱいに入れます。
焦ってバタバタ羽音をたてるアーちゃんをしり目に、昨日の水や餌を取り出し、水は洗濯物干し場のコンクリート床に流し、古い餌は別途缶に入れて置きます。これは先日来、庭の生垣の上や芙蓉の切った枝の上に置いた植木鉢の下に敷く皿に入れてやって、雀さんにおすそ分けします。ほんとはメジロさんが来てくれると嬉しいのですが、どうもメジロさんたちはアーちゃんの餌には興味がないのか、集まってくるのは雀ばかり。一度鳩が舞い降りて皿をひっくり返すのを目撃したので、皿の周囲にとげとげの貝塚の剪定した枝先を立てて、鳩が近寄りにくくしてやりました。図々しい鳩がたくさん集まって来てそこら中に糞をまき散らされては迷惑なので。
さて餌替えが済むとアーちゃんの入っているケージの出入り口を開いて、アーちゃんが出てくると、目立ったところに落ちている糞を始末し(単に底に敷いた新聞紙の上に落とすだけの場合が多いけれど)、食用の砂の減り具合を確かめ、必要なら補充し、大小二つのあらたな水を注ぎ入れた水容器と餌箱をセットします。
ただし、ケージを出たアーちゃんがすぐにケージの天井へ出て、ケージに接して立てかけてある姿見に映る自分を相手にしはじめればいいけれど、大抵はすぐにケージの出入り口の扉が開けると水平な台のようになっているところへ舞い降りて来るので、その場合はすぐに餌を食べさせろ、という合図なので、いま新しくしたばかりの餌箱を私が手にもって、アーちゃんがその餌箱の突起にとびうつって食べるのを眺めています。
一度に食べる量はさほど多いようには見えませんが、飛び立ってはまたすぐに戻って来て、多い時は5回くらい私の手にもった容器の餌を食べます。けっこう一度が長いこともあり、アーちゃんよく食うなぁ、と呆れて言うこともしばしばです。食べるのはおどろくほど速く、硬い大きめの殻付きのエン麦なども要領よく嘴でくちゃくちゃ噛んだと思うと、二つに開いた殻だけペッというように落とします。ほかの小さな粟、稗、黍などの実もたくさん半透明の薄い丸い皮が餌の表面を覆うようになります。
食欲旺盛なのはアーちゃんが元気な証拠でしょう。そうやってたらふく食べて満足すると、ケージが開いていても、このごろは閉じ込められないと安心しているせいか、自分からケージの中へ戻って、止まり木にとまっておとなしく休んでいることも多いようです。ケージの天井は細い針金のようなつるつるの金属が格子状に編まれたようなものだから、指のひん曲がったアーちゃんの足だとつかまりにくいのでしょう。よくその上を歩きながら、足を滑らせてガクッとずっこける姿がみられます。
以上のようにひととおりアーちゃんの餌の世話が終わると、1階へ取って返して、もう一度湯を沸かします。少し時間がたつと、いまごろは寒いので、沸くまでけっこう時間がかかります。パートナーもその時には起きて洗顔や着替えを済ませているので、膝の悪い彼女のかわりに、重い冬布団はできるだけ私が揚げるようにしています。以前は羽根布団を使っていて軽くて暖かだったのですが、どうも間質性肺炎には悪いらしいので、昔のようなやや重い布団を使わざるを得なくなっているので、今度は二人とも腰があまりよくないし、腕の力も衰えているから、どちらがやってもよほど用心してしないと、かえって故障がおきかねないので、けっこう厄介です。
布団を押し入れにしまって、仏壇を開き、備える水を新しく交換するのは毎日の私の役目です。パートナーは昼間かなりしっかりと手を合わせ、線香をたいてお参りするのですが、私は全然それをやらないので、せめて水をかえるだけはやっておこうというわけです。
それが済んだらDKに戻って、あらためて沸騰させた湯を、紅茶を入れたポットに注ぎ、マグカップの湯も熱湯に変えて、再度牛乳を入れた細身のカップをあたためておきます。紅茶はウィッタードが高価になったのであきらめてほかの少しは安いブランドに変えていたのですが、先日長男がウィッタードを注文してくれたので、ニ、三日前からまたウィッタードのEnglish Breakfastをいただいています。しばらく淹れてなかったので、紅茶の量、湯の量、牛乳の量、時間(温度)のバランスを取り損ねて、はじめはこんなはずじゃなかった、という失敗もしましたが、昨日からはパートナーも美味しい!と言ってくれるようになり、どうやら前に体得していたバランス感覚が戻って来たようです。紅茶もなかなか淹れ方によって微妙です。
朝の食事は、私が紅茶を用意する間にパートナーが食パン(ドンクのパン・ド・ママとかいう)を焼いて、その半分を水平に切れ目を入れて渡してくれるので、自分でそこへレタスと沖縄のクンチャマベーコンとスライスしたタマネギ、それに上賀茂戸田農園さんのちゃんとトマトの味がするトマトを切ったのを載せて挟み、サンドイッチとして紅茶とともにいただきます。朝はそれだけです。以前はヨーグルトも朝たべていたのですが、ちょっとボリューム過多になるので、ヨーグルトは昼食時に回したら、丁度バランスがよくなりました。
朝食後は後片付けも簡単なので、手のあいているほうがやってしまい、紅茶カス(葉)は別途プラの袋に入れておいて、少したまってくると、庭の花壇やキンカンの根っこに埋めにいきます。いい肥料になるようで、今年ハーブや紫蘇や大葉がものすごく茂ったのは紅茶カスのおかげです。ゴミに出す量も減るので一挙両得です。
私はそのあとゆっくりと日経新聞の朝刊を読みます。そして10種類の薬剤を我慢してのみ、歯を丁寧に洗い、口腔内の細菌感染を予防する液状薬を舌の上に垂らせば、ここまでで朝食関係のルーチンは終わり。
あとは2階へあがって、体温を測り、バイオオキシメーターで血中酸素濃度を調べて手帳型の日記帳に記録し、ついでにスマホの天気と気温を記入。パソコンを開いてメール着信を確認したり、アマゾンに出品している商品への注文がないか(いまも来ていましたが!)チェックし、ようやく朝のルーチンワークが終わって、ここからはその日にやりたいこと、まあたいがいは読みたい本を読み、書きたいことを書いていく一日がはじまります。
ただし、きょうは何日か掃除をしてなかったので(それはふとんのあげおろしで一番埃をかぶりやすく、色のせいで埃のたまるのがわかりやすい)仏壇の上をみて、そこが埃で少し白くなっていたりすると、もうそろそろ掃除をせんとあかん、ということになって、だいたいいまは週2日のペースでやっていますが、きょうはその日にあたったというわけです。とくに寝室と、アーちゃんの部屋は埃がたちやすいので、そこを重点的にしっかり掃除機をあてます。
拭き掃除は私がひきつづきやってしまうこともありますが、最近は少し両方を一度にやるのがしんどいので、拭き掃除はパートナーにまかせています。これはDKの床が一番汚れやすい(調理と食事の場所だから)ので、そこを重点にしています。
午後は晴れていれば、夕暮れにならないうちに、電動アシスト自転車で上賀茂の野菜自動販売機をいくつかめぐるリハビリ(椎間板ヘルニアの)自転車に出かけることがほとんどですが、昨日はコーヒー豆が切れたので、サーカスコーヒー(北山通大宮角)さんへ豆を買いにいきました。
あとの昼間あいた時間は完全フリーなので、できるだけ読書と雑文書きにあてています。もちろんそれが楽しいからやっているので、他に今は何の目的もありません。
昼食も夕食も完全にパートナー任せなので、私はせいぜい皿洗いか、皿拭きくらいしか役には立てません。夕食後も布団を敷いたり、ケガの手当が済んで、少しアーちゃんの世話をしたら、あとは机に向かっていて、10時にはアーちゃんを寝かせ(消灯、ケージへ回収➡いまはとても良い子で、自分でちゃんと入ってくれます)、そのあとは私も階下へ降りてテレビのニュースをパートナーと一緒に見て過ごし、11時半ころになれば私が先に就寝。パートナーは宵っ張りの習慣がついていて、そんなに早く寝ても眠れずにもんもんとするというので、うとうとしていても、ホットカーペットのある居間でなにか一枚かぶって起きていて、1時から3時の間くらいに適当に就寝ということです。
こういう日常のルーチンワークは、もう長くつづけているので、ほとんど変わらずに繰り返しています。それを妨げる仕事のようなものはないので、みずからそういう日常を好み、選んでいるわけだし、そうできるいまの境遇に満足しています。ただ、歳をとってすべてがスローモーになってしまったので、こうしたルーチンワークをこなしているだけで一日が足早にすぎていく感が強くなっていることは確かです。
きょうの夕餉
トウガン、キノコ、ソーセージのグラタン
鯵の塩焼き
小松菜のおひたし
大根葉のジャコキンピラ
豚汁
たらこ、すぐき、鯵の塩焼き用の大根おろし
これはお昼のオムライス、これに朝作っておいたカスピ海フルーツヨーグルトが昼食でした。
昨日もいただいた、長男が土産にくれたフランスのクッキーとウィッタードの紅茶でおやつ。
きょうは府立大図書館で借りていた歌学大系のほうを少しコピーしたり拾い読みしたり。
また、パートナーが私の破れたコートの裏地を直してくれている間、逆に頼まれて彼女の彫金の写真を撮り、その画像を指示に従って加工処理したりして時間が過ぎていきました。
そのコートは部厚すぎもせず、薄くもなく、どこのブランドだったか、外見はお洒落で、とても着やすいので、もう40年か50年も使ってきたので、表面からみると何でもないのですが、裏を返すともういたるところボロボロで、ポケットも底に穴が空いていたのです。これを何とか修復しようというので彼女が頑張って、コートを脱いで歯医者の待合室のソファなどにうっかり裏のほうを出して置いても恥ずかしくないように(笑)してくれました。
私もパートナーも生活用具や着るものは、いったん気に入ると、もうずーっと何十年でも壊れるまでそれを使いつづける性質なので、こういうものが案外多いのです。
いまDKの足元に置いている単純な板みたいな温熱ボードなども、子供が幼いころからずっと使っているので、まず40年くらい使いつづけていますが、一度か二度、コードがショートして火花が出たので、切ってつなぎなおしたことがあるだけです。
台所のシステムキッチンも、単独のオーブンやトースターも長男が生まれてこの団地へひっこしたとき以来ですから、だいたい40年以上使っているものではないかと思います。冷蔵庫と洗濯機は一度変えたかな。新しいのは電気消費量がうんと少なくなっているのに驚いたりしていましたから(笑)
わたしは電動アシスト自転車を買ってもらって、最近あたらしい自転車になりましたが、パートナーはそれこそ数十年同じ古い自転車に乗っています。変速機もなにもついていない単純なママチャリですが、軽くて丈夫で乗りやすいので、買い替えたくない、と言ってン十年、頑固にボロボロ自転車に乗り続けています。
DKの壁の上の方に懸かっているサッカーボールをかたどった木の手作り時計は、今年はもう四十代の半ばにさしかかろうかという長男が幼稚園のころに、幼稚園の工作で作って来たものです。裏でこの時計の針を動かしているのは、中国製の400-500円の電池式の本体で、それがこの半世紀の間に、一度だけ壊れたので、アマゾンで同じタイプの安物を買って取り換えただけで、ずっとかわらず正確に時を示しつづけていてくれます。もうわが家の家宝級の生活用具ですね(笑)
saysei at 21:38|Permalink│Comments(0)│