2024年11月09日
カキフライ
きょうHELPへ牛乳を買いにいくとき、なにか美味しそうな魚があったら買ってきて、と例によって頼まれて、HELPの魚屋へ寄りましたが、大抵はありきたりの魚ばかりでもうひとつ食指が動きません。ひとつだけ、ノドグロという喉の黒い魚があって、少し迷いましたが、これがたしか1100円だったかな、高い!まあ高級魚の類で、たしかに刺身など美味しいでしょうが、何でもない日にこんな高い魚を買って帰ったら、「やっぱり男の買い物ね・・・」と言われるでしょう(笑)。
で、ノドグロの側にあったのが、「産地直送」と書かれた広島の牡蠣でした。これが10個くらいのパッケージに入っていて450円だったかな、とにかくワンコインでおつりのくる値段だったので、ずっと夏の延長のような日々だったけれど、ようやく牡蠣の季節らしい寒さになってきたので、こりゃそろそろ牡蠣を食べてもいいな、というので牡蠣にしました。
これが正解で、カキフライにしてもらったら、とても美味しかった。広島産のこの牡蠣は伊勢の牡蠣よりかなり大粒で、食べ応えがあったので、二人でこれだけあれば十分堪能できました。
カキフライ用にタルタルソースも作ってくれたけれど、おとなりのウスターソースにちょっと味醂を加えたソースをつけて食べるほうが美味しかったので、もっぱらこれでいただきました。以前に近所の「そば鶴」(名前は「そば鶴」で確かにお蕎麦も美味しいけれど、素材を選び一工夫こらした一品料理の数々がめっちゃ美味しくて、今では広く知られている食事どころ。私は持病のせいで外食ができなくなって、行けなくなってしまったけれど・・・)で牡蠣フライを食べたときもウスターソースが添えられて、パートナーが一口食べて、味醂が入っているのね、と言うと、店の人が「あ、わかりますか?」とちょっと驚いたように言ってたそうですが、四条麩屋町の角の地下でやっていた月桂冠の「かつら」という酒も料理も非常に美味しかった店でも、カキフライにはウスターソースをつけていて、そこには味醂か、あるいは砂糖と酒で処理していたかは分からないけれど、少し甘味を加えて美味しくしていたそうです。やっぱりちょっと甘味が加わると美味しいのですね。もともと京都人は少し甘味のつよい味がお好きだし。
野菜の天ぷら。ニンジン、ニンジン葉、タマネギ、チクワのかき揚げと、バターナッツかぼちゃ。
トウガン、鶏のミンチ、蟹の煮物
空心菜のポン酢和え
(以上でした)
きょうは午前中家の中の掃除をしたので、体を動かすのは一日に一件だけ、という原則に従って、近間の買い物と海外へのX’mas カードを出しに左京郵便局へ行った以外はおこもりで読書三昧。今日は先日にひきつづいて興味津々の「古事記」岩波文庫版の分厚い補注を次々に読んだのと、府立大図書館で借りて来た『日本歌學大系』の2冊に収録されている前から読んでみたかった歌學の古典的な著作(濱成式として知られる「歌経標識」や藤原公任の「新撰髄脳」、壬生忠岑の「和歌體十種」、それに順徳天皇の「八雲御抄」、上覺の「和歌色葉」など)をコピーしたり、拾い読みして楽しい時間が過ごせました。公任など読んでいると、つい「光る君へ」の町田啓太の顔が浮かんできてしまいますが(笑)
書紀も補注を読んでいたら、「日本には、一個の超越的な神が天地に先立って存在しそれが天地を創造したというような考え方は存在しないのが特徴である」と書いてあるのが目にとまりました。こういう考え方というか世界観は、書紀の時代から現代のわたしたちにいたるまで全然変わっていないのだろうなと思います。
ヤマトのもっとも古い記録は魏志、倭人伝の「耶馬台」で、昔からこれを筑後國山門郡の山門(やまと)を擬定する説と、畿内のヤマトを擬定する説があるのは広く知られていますが、言語學的には邪馬台のトはト乙類で、山門のトはト甲類であって。畿内のヤマトにあてられたトの万葉仮名はすべてト乙類で例外がないそうです。音韻上からは畿内説のほうが難点がないようです。しかし邪馬台、あるいは畿内のヤマトの語義は不明なんだそうで、ヤマは山だろうけれど、乙類のトの意味が決定できないのだそうです。未だに謎が多いのですね。
saysei at 22:02|Permalink│Comments(0)│
2024年11月08日
大原の古知谷(阿弥陀寺)と聖護院門跡~京都めぐりmixiにアップ
今日はスマホのお天気ページによれば、京都市の天気は「くもり」、気温は私がそのページを見た午前8時40分で10℃、一日の最低~最高気温が6℃~17℃ということでした。きょうは近間の買い物とちょっと用があって区役所へ電動アシスト自転車で行っただけですが、長袖下着、普段着のワイシャツ、薄手のカーディガンだけでは不安で、その上に薄いけれどジャケットを着て行きましたが、それでちょうどいいくらいでした。
寒さのせいか夜中に3度目が覚めてトイレへ行ったり、右手指の第一、第二関節が膨れて痛む、遺伝性のヘパーデン症候群らしい症状がほぼ一年ぶりくらいに現れています。おまけに自分では気づかないうちに両腕の前腕の皮膚が何かの衝撃を受けたらしくてずるりと赤むけになって、薬を塗っておいたのですが翌日ガーゼをとると膿がついていて、仕方ないので昨日また皮膚科でみてもらって、新しい塗り薬をもらってきました。ステロイド療法をやっているために、皮膚がひどく薄くなって、すぐに傷つく上に、一度傷ができると、ステロイドが免疫機能を抑制してしまうために、ちょっとしたかすり傷でもなかなか治らないのです。
きょうは先日思い出してふたつアップロードしたmixiの「京都めぐり」に、また二つ、「大原の古知谷(阿弥陀寺)」と「聖護院門跡」をアップロードしました。
大原の古知谷・阿弥陀寺は、観光客が押し寄せる大原三千院など、みどころのお寺や庭園が集積するあたりからさらに奥(北)へゆるやかな山間の流れに沿った道を行ったところに「古知谷」という大きな標識があってそこから左手の比較的急な山道を登って行ったところにある山寺で、観光ルートには入っていないでしょうから、私が行ったときも訪れる人はほとんどなかったようです。
しかし、なかなか見ごたえのあるお寺で、とりわけ衝撃を受けたのは、この寺で地中の一室に自らを閉じ込めて断食して自死したお坊さんがいて、それをまさにその場所に祭った祭壇があったことです。まだ生きているうちから食事を断って、毎日松の実だけを食べて地下に掘った穴みたいなところに自らを閉じ込めてひたすら読経三昧で、やがて衰弱して死んでいくのですが、けっこう長くかかるみたいですから、すっぱり首をくくったり自刃などして果てるより、よほど苦しいのではないでしょうか。寺の展示や説明がしてある明るい一室の奥に真っ暗なその地下の死に場所のあるところが隣り合っていて、そこに祭壇を設けて祀ってあるのですが、なんとも言えず不気味でした。たしか大学のOGと大原へ行ったときにここまでは行く時間が無かったと思うのですが、話をしてあげたら、さすがに怖気を振るって、時間があっても行きたくはなさそうでしたね(笑)。
ああしてひたすら経を唱えながら苦しい死に方をすることで浄土へ行けると信じたのでしょうか。浄土へ行く前に生き地獄を味わわなければならないようです。
もうひとつの聖護院門跡は門跡という言葉がつくのでわかるとおり、格式の高いお寺で、たぶん皇室関係の女性にゆかりの深いお寺だったでしょう。もう忘れてしまいましたが、写真など見ていると、私が好みの建物(部屋)があったり、立派な襖絵が有ったり、素敵な庭があったり、とてもみごたえのあるお寺だったことを思い出しました。青蓮院門跡とか曼殊院門跡とか岩倉実相院門跡とか、いずれもさすがに一般のお寺とはちょっと構えからして違うというのか、建築も庭園も素晴らしいですね。ひとつひとつの部屋のしつらえも瀟洒で、釘隠し一つとっても、今見てもお洒落なデザインだし、柱や天井や廊下の木材も節のない最高品質のものを選んで用いたのだなぁと思わせられるようなものばかり。
私は恣意的に思いついたところへ、全然相互に無関係に訪れただけですが、元気な間に、門跡と名のつくお寺ばかり立て続けに訪れて、比較してみるようなこともしておけばよかったな、と思います。若い人はどうせ京都へ遊びにきて、どこか見ておこうか、と思うなら、ありきたりの観光ルートをまわるよりも、そうやって自分でテーマを考えてある種の系列をつくっておくと、のちのちまで記憶して、そうした古都観光のベースができるんじゃないかなぁ、と思ったりします。
➡大原の古知谷(阿弥陀寺)
➡聖護院門跡
➡「京都めぐり」目次
➡ Sayseiのホームページ
きょうの夕餉
ニンニク、生ハム入りジェノベーゼ
肉団子のボルシチ風スープ
キュウリ・リンゴ・くるみ・ゆで卵のサラダ
グリーンサラダ
(以上でした)
寒さのせいか夜中に3度目が覚めてトイレへ行ったり、右手指の第一、第二関節が膨れて痛む、遺伝性のヘパーデン症候群らしい症状がほぼ一年ぶりくらいに現れています。おまけに自分では気づかないうちに両腕の前腕の皮膚が何かの衝撃を受けたらしくてずるりと赤むけになって、薬を塗っておいたのですが翌日ガーゼをとると膿がついていて、仕方ないので昨日また皮膚科でみてもらって、新しい塗り薬をもらってきました。ステロイド療法をやっているために、皮膚がひどく薄くなって、すぐに傷つく上に、一度傷ができると、ステロイドが免疫機能を抑制してしまうために、ちょっとしたかすり傷でもなかなか治らないのです。
きょうは先日思い出してふたつアップロードしたmixiの「京都めぐり」に、また二つ、「大原の古知谷(阿弥陀寺)」と「聖護院門跡」をアップロードしました。
大原の古知谷・阿弥陀寺は、観光客が押し寄せる大原三千院など、みどころのお寺や庭園が集積するあたりからさらに奥(北)へゆるやかな山間の流れに沿った道を行ったところに「古知谷」という大きな標識があってそこから左手の比較的急な山道を登って行ったところにある山寺で、観光ルートには入っていないでしょうから、私が行ったときも訪れる人はほとんどなかったようです。
しかし、なかなか見ごたえのあるお寺で、とりわけ衝撃を受けたのは、この寺で地中の一室に自らを閉じ込めて断食して自死したお坊さんがいて、それをまさにその場所に祭った祭壇があったことです。まだ生きているうちから食事を断って、毎日松の実だけを食べて地下に掘った穴みたいなところに自らを閉じ込めてひたすら読経三昧で、やがて衰弱して死んでいくのですが、けっこう長くかかるみたいですから、すっぱり首をくくったり自刃などして果てるより、よほど苦しいのではないでしょうか。寺の展示や説明がしてある明るい一室の奥に真っ暗なその地下の死に場所のあるところが隣り合っていて、そこに祭壇を設けて祀ってあるのですが、なんとも言えず不気味でした。たしか大学のOGと大原へ行ったときにここまでは行く時間が無かったと思うのですが、話をしてあげたら、さすがに怖気を振るって、時間があっても行きたくはなさそうでしたね(笑)。
ああしてひたすら経を唱えながら苦しい死に方をすることで浄土へ行けると信じたのでしょうか。浄土へ行く前に生き地獄を味わわなければならないようです。
もうひとつの聖護院門跡は門跡という言葉がつくのでわかるとおり、格式の高いお寺で、たぶん皇室関係の女性にゆかりの深いお寺だったでしょう。もう忘れてしまいましたが、写真など見ていると、私が好みの建物(部屋)があったり、立派な襖絵が有ったり、素敵な庭があったり、とてもみごたえのあるお寺だったことを思い出しました。青蓮院門跡とか曼殊院門跡とか岩倉実相院門跡とか、いずれもさすがに一般のお寺とはちょっと構えからして違うというのか、建築も庭園も素晴らしいですね。ひとつひとつの部屋のしつらえも瀟洒で、釘隠し一つとっても、今見てもお洒落なデザインだし、柱や天井や廊下の木材も節のない最高品質のものを選んで用いたのだなぁと思わせられるようなものばかり。
私は恣意的に思いついたところへ、全然相互に無関係に訪れただけですが、元気な間に、門跡と名のつくお寺ばかり立て続けに訪れて、比較してみるようなこともしておけばよかったな、と思います。若い人はどうせ京都へ遊びにきて、どこか見ておこうか、と思うなら、ありきたりの観光ルートをまわるよりも、そうやって自分でテーマを考えてある種の系列をつくっておくと、のちのちまで記憶して、そうした古都観光のベースができるんじゃないかなぁ、と思ったりします。
➡大原の古知谷(阿弥陀寺)
➡聖護院門跡
➡「京都めぐり」目次
➡ Sayseiのホームページ
きょうの夕餉
ニンニク、生ハム入りジェノベーゼ
肉団子のボルシチ風スープ
キュウリ・リンゴ・くるみ・ゆで卵のサラダ
グリーンサラダ
(以上でした)
saysei at 19:13|Permalink│Comments(0)│
2024年11月07日
亥の子
きょうは「亥の子」の日だとかで、生協に「亥の子餅」を売っていた、とパートナーが、こんなあんころ餅を買ってきました。「亥の日」、つまりイノシシだから、イノシシの子、いわゆる「ウリボウ」と言われる、それこそ瓜のような形をしてコロコロ走るあのたくさんの子たちをかたどったお餅ですね。正体はなんでもない平凡なあんころ餅ですが(笑)、片面をちょっとおさえてへこまして、なんか筋をつけただけで「ウリボウ」の顔をあらわしているんでしょうかね。
私が広島に住んでいた頃は、毎年このころだったでしょうか、家の前の路地へお祭り装束の子供たちが歌いながら、中心に藁で包まれた小さな臼みたいなものから八方にのびる縄の端を持ってやってきて、家々の角で、その縄を一斉に振り上げて、縄の集まる中心の藁で巻いた臼みたいな木のおもりを跳ね上げて、それを勢いよく地面に叩きつけて、餅を搗くように地面を搗く所作をしてまわる行事がおこなわれていました。
そのとき子供たちが歌うのは「亥の子 亥の子 亥の子餅搗いて 繁昌せぇ! 繁昌せぇ!」という歌でした。
どういう祭りなのか、なぜ亥の子というのか、亥の子餅と言うのが何なのか、なにも知らないまま毎年その行事に出会っていたわけですが、京都へ来てからは、そんな行事に遭遇したこともなかったので、すっかり忘れていました。
早速ウェブサイトで検索すると、真っ先にAIの回答が自動的に表示されました。
Search Labs | AI による概要
詳細
…
亥の子(いのこ)とは、旧暦の10月(亥の月)の最初の亥の日に、新穀で作った餅(亥の子餅)を食べて無病息災や子孫繁栄を祈願する行事です。主に西日本で古くから受け継がれており、収穫の祝いと神に感謝する行事でもあります。
亥の子の由来は、古代中国の宮廷儀式「亥子祝(いのこいわい)」にさかのぼると言われています。中国の陰陽五行説では「亥」は水性にあたることから、火災を逃れるという考えも生まれ、囲炉裏やこたつを開く風習も生まれました。
亥の子餅は、イノシシの子(ウリ坊)をかたどったお餅で、大豆・小豆・大角豆(ささげ)・ごま・栗・柿・糖(あめ)の7種類の粉を入れて作られます。亥の子餅を販売している和菓子店や地域によって、その作り方やデザインはさまざまです。
亥の子の日(亥の日)は毎年変わり、2023年は11月1日でした
手近にあった柳田國男の『年中行事覚書』(講談社学術文庫)をみると「亥の子のこと」という一文があり、最初のページに次のような説明がありました。
ここでもまた変化しているか知らぬが、四十年前には確かに次のようであった。津の国で今イノコというものを、我々はイノコモチと呼んでいた。あるいはワラデッポウなどという者もあったのは、それを以て大地を打つ音が、ぽんぽんと冴えて響くからであった。縄で出来るだけ堅く藁を巻き、重みを付けるために何か余分のものを入れて、末の方がかなり太くなっていた。それを右の手でまわして、からさおの如くにして土を打つのである。五人十人が調子を揃えて打つと、子供には少なくとも面白いものであった。歌はこれに合わせて歌うので、イノコ餅くれんこ云々というのが最も普通であった。それでこの藁の棒をもそう呼ぶことになったものと思う。
別に新嫁の前に限らず、辻々を突きあるきまた人家の前の広場を利用した。雛とか七夕とかに物を貰いにあるくことを、何とも思わぬ子供たちであったが、亥の子には別に餅などをねだらなかった。ただ歌の文句には、
亥の子餅くれんこ、くれん屋のかかは、鬼うめ蛇生め、角の生えた子を産め
などともいったから、元は必ず餅を貰っていたのである。月夜の情景を連想するから、旧暦十月も一の亥より第二の亥の日の方を用いるのが例であったろう。(以下略)
また、柳田國男が監修した財團法人民俗學研究所編著『民俗學辭典』(昭和26年)には、「亥の子」の項に次のような説明がある。
舊暦十月の亥の日におこなわれる農村の行事。殊に関西にさかんで、一つの節供として扱われているところもあり、壹岐島には亥子節供の名もあるが、亥の日祭・亥の神祭と呼ぶところも近畿地方にある。亥子の語はすでに下學集をはじめ中古以来の記録にも出ているが、由来は明らかでない。元来、漢語で下元と呼ばれる十月の望(もち)の日の休み日であったものが、一年を十二支に當てると寅から數えて亥の月に當るところから、その中の亥の日を以て祭の日としたものかといわれている。もとは種々の行事もあったらしいが、今では亥子餅・亥の日餅などといって新穀の餅をつくことと、子供達が藁束や石で地面を打って廻るところの、亥子突き・石亥子などと呼ばれる遊びとが主におこなわれている。亥子の語は主に関西方面で使われ、中部以東では十月亥の日は普通の日にすぎないのだが、十月十日の夜をトヲカンヤと名づけて、やはり村の子供が藁の束ねたもので地面を突いて廻る行事があって、ボウヂボウウチとかムジナバタキなどとも呼んでいる。…(中略)・・・亥神様はすなわち亥子に祭られる田の神の意である。事実、舊暦二月の初の亥の日を春亥子と稱して田の神を祭るところが兵庫縣や島根縣の一部にあって、春の亥子に田に降りた神が十月亥の日に仕事を終って帰るという傳承も残っているが、田の神が春には降り、秋の仕事が終るとともに山にかえるという農神去来の思想を見出し、且つそれを體系づけつつあるのは日本民俗學の一つの業績であって、今は子供の遊びのように思われている亥子の行事も古来の信仰に根ざしていることを説明し得るのである。(p37-38)
同書に掲載してある「亥の子搗き」の図。長崎縣五島若松島のものだそうです。
きょうの夕餉
豚肉と鶏のツクネの水炊き
寒くなったので、そろそろ鍋がうまいかも、と鍋にしてもらった今日は、偶然にも「鍋の日」なのだそうです(笑)
気温が低くなったせいか、遺伝なのですが、右手指の関節が痛み始めました。ヘパーデン症候群とかいうらしく、母の血筋の遺伝で、母方の親戚が集まった時、みんな手指の節が異常に腫れたようにごっつくなって同じ症状を呈していたので思わず笑ってしまいました。
きょう上賀茂の自動販売機で買ってきたきゅうりにお味噌をつけて とても美味しい
箸休めにのこりものの、煮物盛り合わせ
(以上でした)
きょうは府立大図書館へ本を返却にいき、かわりに平安時代の歌學書が載った本を3冊借りてきました。
同書に掲載してある「亥の子搗き」の図。長崎縣五島若松島のものだそうです。
きょうの夕餉
豚肉と鶏のツクネの水炊き
寒くなったので、そろそろ鍋がうまいかも、と鍋にしてもらった今日は、偶然にも「鍋の日」なのだそうです(笑)
気温が低くなったせいか、遺伝なのですが、右手指の関節が痛み始めました。ヘパーデン症候群とかいうらしく、母の血筋の遺伝で、母方の親戚が集まった時、みんな手指の節が異常に腫れたようにごっつくなって同じ症状を呈していたので思わず笑ってしまいました。
きょう上賀茂の自動販売機で買ってきたきゅうりにお味噌をつけて とても美味しい
箸休めにのこりものの、煮物盛り合わせ
(以上でした)
きょうは府立大図書館へ本を返却にいき、かわりに平安時代の歌學書が載った本を3冊借りてきました。
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