2025年01月23日
「ヴェニスの商人の資本論」
久しぶりに、たまたま本棚で手にとった岩井克人の『ヴェニスの商人の資本論』の冒頭に収められた書名と同じタイトル論考を読みました。私が買ったのは1986年11月に出た初版第10刷で、この本は買ってすぐ読んだと思いますが、当時は柄谷行人の『マルクス その可能性の中心』経由で読んだので、剰余価値がなぜ、どのようにして生じるのか、という、思想的な観点で読んだ経済学の論点を、柄谷の友人(?)らしい専門の経済学者がどう説明するのか、という関心から読んでいたように思います。
いま読んでみると、岩井―柄谷らの剰余価値論は彼らが繰り返し書いたり語ったりしてきたせいで、もう常識化していて、はじめて知った当時の目新しさはなくて、むしろシェイクスピアが描く当時のヴェニスの共同体的な世界の終焉と商業資本主義的な世界に塗りつぶされていく転換期がそれぞれの登場人物群に見事に形象化されていることを指摘している、シェイクスピアの演劇の読み解き自体が興味深く、時代の深部に届くシェイクスピアの想像力、表現力の見事さをいまさらながら教えられるようなところがありました。
もとより岩井が概念的に分析してみせるような分析的認識が作家にあったわけではなくて、作品を書く中で彼の生きた時代の中で登場人物たちが自然に、必然的に時代の中でのそれぞれの生きよう、それぞれの役割を演じていくうちに、まさにそういう現実世界を凝縮した世界が出来上がったに違いないのですが、まるで岩井が絵解きしてみせたようなはるか後の時代の私たちがようやく解き明かすような精緻な概念的分析をあらかじめすべて作家が頭脳の内に持っていて、それをそれぞれにふさわしい人物像にいわば当てはめて書きでもしたかのような倒錯した感じを抱いてしまうほど、作品そのものが時代を鮮やかに映す鏡のように、と言ってもまだ足りないくらい、まさに時代そのものが産みだした、額に年号でも刻まれた赤子のように、奇跡的な作品だったのだな、とあらためて思いました。すべて文学のほんものの古典というのはそういうものなのかもしれませんが・・・逆に言えば岩井の読み解きが鮮やかで説得的だったということだと思います。
まあこういう読み方というのは文学を純粋に楽しんで読むことから言えば邪道というのか、いかにも学者的な読み方で、昔、スタンダールのいくつかの短編を集めた文庫本の解説に、訳者の桑原武夫が、それらの作品がいかにスタンダールの生きた時代の本質を射抜くような要素を備えているかを述べた解説を書いているのを読んで、なるほどな、と納得させられながら、それは文学者というより社会学者か歴史学者のような読み方だな、と多少違和感を覚えたことがありましたが、今回も岩井の分析に感心はしながらも、その絵解きの鮮やかさに、正直のところなんだかシェイクスピアのこの作品を、これが「ヴェニスの商人」だ!と銘打ったマンガに仕立てられてしまったようなある種の違和感を覚えもしたのでした。岩井にそんな意図があるはずもないけれど、どや?これで「ヴェニスの商人」という作品はあますところなく、すっかり絵解きしてやったぜ!というふうな(笑)感じを強いられるようなところがあって、やっぱりシェイクスピアってそんなもんじゃないだろう!という反発心が沸き起こってくる(笑)
これも昔々の話だけれど、ある文筆家が書いていたことで、白戸三平の「忍者武芸帖 影丸伝」を全巻もっていた中学生だったか知り合いの子に借りて、読み終わったので返すときに、「面白かったよ」とあいさつ代わりに言うと、その少年は何を言うか、というような反発心をあらわにして、「一度読んだくらいでこの作品がほんとにわかるはずがないよ」と言った、というような、そのころ若年の子たちにも熱烈な愛読者が増えていた白戸三平にまつわる、ちょっとしたエピソードだったのですが、なんとなくその少年の気持ちがよくわかるような気がしたのですね。
もちろんその文筆家はプロの評論家だから、白戸三平の劇画くらいは、概念的な言葉を駆使して、時代と重ね合わせて説得力のある批評文に仕立てるくらいは朝飯前だったと思うのですが、それを読むごく普通の読者は、ああその作品はそういう作品なんだな、と納得してしまって、肝心の白戸三平の劇画など読まないかもしれないし、読んでもその評論家の目でしか読まずに通り過ぎていくだけかもしれません。しかしこの場合私は、その白戸三平の劇画を全巻、何十回も繰り返して読んできた少年の読み方のほうがホンモノだと思うのです。もちろんまだ概念的な言葉もろくに操作できない中学生くらいのことだから、プロの評論家のように鮮やかな分析をしてみせることはできないでしょうが、「わかる」ということが、単に作品を或る概念装置にかけて、概念的な言葉に置き換え、適当に操作してみせることでしかないとすれば、そんなことはできないけれども、ただ何十回も繰り返し作品を読んで味わい、なにか心の中に沸き立つものを感じている少年の読みのほうに、ほんとうの「わかる」があるのではないか、と。
いまはまだうまくこのことと関連づけて言葉にできないのですが、わたしがブログで間歇的に書いてきた、「半知の医」での「患者の目でみた」ということと、対照的な専門的な医師によるものの見方との違いにも、いま書いてきたようなある種のずれ、行き違い、差異というものがあるのではないか、と考えているところがあるのです。まぁそのことを書きだすと長くなると思うので、またいずれ「半知の医」を書き進めることができれば、その中で考えていきたいと思っています。
きょうの夕餉
きょうは鴨鍋でした
追加の具。きょうは野菜をいっぱい食べたい、ということで鴨鍋になりました。鴨肉は入れることはもちろん入れるのですが、主として美味しい鴨の出汁を得るためで、鴨肉そのものはやや硬めで、鍋に入れてそう特別おいしいというものでもありませんが、「出汁の素」としては最高に美味しいですね。
鍋が煮詰まってくる頃には、もう具よりも汁そのものが美味しくて、取り皿に残った汁は一滴のこさず啜ってしまいます。ご飯にかけて食べても美味しいですね。
いつものモズクきゅうり酢
あとは残りもののカマスのから揚げ
これも残りもの
シメにひときれ、ふたきれのスグキなど
(以上でした)
今日もあたたかな日でした。アーちゃんの餌ののこりに、20羽以上の雀さんたちが集まってきていました。メジロの姿は見ませんでしたが、お隣の庭にショウビタキの雄らしい小鳥の姿を見ました。色鮮やかなオレンジ色の胸が見えましたが、ほんの一瞬、低い木の枝から枝へぴょんぴょん飛び移って飛び去っていったので、写真撮影どころか、肉眼でよく確かめることもできませんでした。人なれして、群れで動く雀などとまったく違って、やはり野生のメジロやショウビタキは用心深いし、動作が機敏で、姿を見せてもあっという間に飛び去ってしまって、目の前でぐずぐずしていることはほとんどないようです。
きょうも左肩から背にかけて朝からかなりきつい凝りがあって、叩いたり揉んだりするのもちょっと怖い感じがあったので、カロナールを服用して、なんとかしのぎました。頭痛になってしまうとたまらないので、それを未然に防ぐためには仕方がなかったのです。ロキソニンよりは腎臓に優しいはずなのですが・・・
いま読んでみると、岩井―柄谷らの剰余価値論は彼らが繰り返し書いたり語ったりしてきたせいで、もう常識化していて、はじめて知った当時の目新しさはなくて、むしろシェイクスピアが描く当時のヴェニスの共同体的な世界の終焉と商業資本主義的な世界に塗りつぶされていく転換期がそれぞれの登場人物群に見事に形象化されていることを指摘している、シェイクスピアの演劇の読み解き自体が興味深く、時代の深部に届くシェイクスピアの想像力、表現力の見事さをいまさらながら教えられるようなところがありました。
もとより岩井が概念的に分析してみせるような分析的認識が作家にあったわけではなくて、作品を書く中で彼の生きた時代の中で登場人物たちが自然に、必然的に時代の中でのそれぞれの生きよう、それぞれの役割を演じていくうちに、まさにそういう現実世界を凝縮した世界が出来上がったに違いないのですが、まるで岩井が絵解きしてみせたようなはるか後の時代の私たちがようやく解き明かすような精緻な概念的分析をあらかじめすべて作家が頭脳の内に持っていて、それをそれぞれにふさわしい人物像にいわば当てはめて書きでもしたかのような倒錯した感じを抱いてしまうほど、作品そのものが時代を鮮やかに映す鏡のように、と言ってもまだ足りないくらい、まさに時代そのものが産みだした、額に年号でも刻まれた赤子のように、奇跡的な作品だったのだな、とあらためて思いました。すべて文学のほんものの古典というのはそういうものなのかもしれませんが・・・逆に言えば岩井の読み解きが鮮やかで説得的だったということだと思います。
まあこういう読み方というのは文学を純粋に楽しんで読むことから言えば邪道というのか、いかにも学者的な読み方で、昔、スタンダールのいくつかの短編を集めた文庫本の解説に、訳者の桑原武夫が、それらの作品がいかにスタンダールの生きた時代の本質を射抜くような要素を備えているかを述べた解説を書いているのを読んで、なるほどな、と納得させられながら、それは文学者というより社会学者か歴史学者のような読み方だな、と多少違和感を覚えたことがありましたが、今回も岩井の分析に感心はしながらも、その絵解きの鮮やかさに、正直のところなんだかシェイクスピアのこの作品を、これが「ヴェニスの商人」だ!と銘打ったマンガに仕立てられてしまったようなある種の違和感を覚えもしたのでした。岩井にそんな意図があるはずもないけれど、どや?これで「ヴェニスの商人」という作品はあますところなく、すっかり絵解きしてやったぜ!というふうな(笑)感じを強いられるようなところがあって、やっぱりシェイクスピアってそんなもんじゃないだろう!という反発心が沸き起こってくる(笑)
これも昔々の話だけれど、ある文筆家が書いていたことで、白戸三平の「忍者武芸帖 影丸伝」を全巻もっていた中学生だったか知り合いの子に借りて、読み終わったので返すときに、「面白かったよ」とあいさつ代わりに言うと、その少年は何を言うか、というような反発心をあらわにして、「一度読んだくらいでこの作品がほんとにわかるはずがないよ」と言った、というような、そのころ若年の子たちにも熱烈な愛読者が増えていた白戸三平にまつわる、ちょっとしたエピソードだったのですが、なんとなくその少年の気持ちがよくわかるような気がしたのですね。
もちろんその文筆家はプロの評論家だから、白戸三平の劇画くらいは、概念的な言葉を駆使して、時代と重ね合わせて説得力のある批評文に仕立てるくらいは朝飯前だったと思うのですが、それを読むごく普通の読者は、ああその作品はそういう作品なんだな、と納得してしまって、肝心の白戸三平の劇画など読まないかもしれないし、読んでもその評論家の目でしか読まずに通り過ぎていくだけかもしれません。しかしこの場合私は、その白戸三平の劇画を全巻、何十回も繰り返して読んできた少年の読み方のほうがホンモノだと思うのです。もちろんまだ概念的な言葉もろくに操作できない中学生くらいのことだから、プロの評論家のように鮮やかな分析をしてみせることはできないでしょうが、「わかる」ということが、単に作品を或る概念装置にかけて、概念的な言葉に置き換え、適当に操作してみせることでしかないとすれば、そんなことはできないけれども、ただ何十回も繰り返し作品を読んで味わい、なにか心の中に沸き立つものを感じている少年の読みのほうに、ほんとうの「わかる」があるのではないか、と。
いまはまだうまくこのことと関連づけて言葉にできないのですが、わたしがブログで間歇的に書いてきた、「半知の医」での「患者の目でみた」ということと、対照的な専門的な医師によるものの見方との違いにも、いま書いてきたようなある種のずれ、行き違い、差異というものがあるのではないか、と考えているところがあるのです。まぁそのことを書きだすと長くなると思うので、またいずれ「半知の医」を書き進めることができれば、その中で考えていきたいと思っています。
きょうの夕餉
きょうは鴨鍋でした
追加の具。きょうは野菜をいっぱい食べたい、ということで鴨鍋になりました。鴨肉は入れることはもちろん入れるのですが、主として美味しい鴨の出汁を得るためで、鴨肉そのものはやや硬めで、鍋に入れてそう特別おいしいというものでもありませんが、「出汁の素」としては最高に美味しいですね。
鍋が煮詰まってくる頃には、もう具よりも汁そのものが美味しくて、取り皿に残った汁は一滴のこさず啜ってしまいます。ご飯にかけて食べても美味しいですね。
いつものモズクきゅうり酢
あとは残りもののカマスのから揚げ
これも残りもの
シメにひときれ、ふたきれのスグキなど
(以上でした)
今日もあたたかな日でした。アーちゃんの餌ののこりに、20羽以上の雀さんたちが集まってきていました。メジロの姿は見ませんでしたが、お隣の庭にショウビタキの雄らしい小鳥の姿を見ました。色鮮やかなオレンジ色の胸が見えましたが、ほんの一瞬、低い木の枝から枝へぴょんぴょん飛び移って飛び去っていったので、写真撮影どころか、肉眼でよく確かめることもできませんでした。人なれして、群れで動く雀などとまったく違って、やはり野生のメジロやショウビタキは用心深いし、動作が機敏で、姿を見せてもあっという間に飛び去ってしまって、目の前でぐずぐずしていることはほとんどないようです。
きょうも左肩から背にかけて朝からかなりきつい凝りがあって、叩いたり揉んだりするのもちょっと怖い感じがあったので、カロナールを服用して、なんとかしのぎました。頭痛になってしまうとたまらないので、それを未然に防ぐためには仕方がなかったのです。ロキソニンよりは腎臓に優しいはずなのですが・・・
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2025年01月22日
トランプの大統領就任演説
きょうの日経新聞朝刊には、トランプの大統領就任演説の全文が、英語と邦訳で掲載されています。聞きたくも読みたくもない演説ですが、いちおうは目を通しておかなければ、これからニュースで聞かされるような世界の出来事にいろいろかかわりを持ってこざるを得ないだろう、と思って渋々目を通しました。
内容的には前々から報じられていることばかりで、目新しいことは何もありませんでした。
邦訳文にだけ小見出しがついていて、その最初の小見出しは「米政府は信頼の危機に直面している」で、これには笑ってしまいます。誰よりもとりわけ国際的な米国に対する信頼の危機を招いてきたのはトランプだし、これからますます招くことは確実だからです。
この最初の一節は、彼のいうこれまでの過ちを改めて自分が大統領になるからには米国を再び偉大な国にするんだ、ということです。
「これまでの過ち」として彼があげつらうのが、議事堂乱入事件を煽った自分への捜査が「vicious,violent,and unfair weaponization of the Justice Department and our government (邪悪かつ暴力的、不公平な司法省と政府による「武器化」)」だとして攻撃の的にしている司法、「For many years,a radical and corrupt establishment has extracted power and wealth from our citizens while the pillars of our society lay broken and seemingly in complete disrepair.(長年の間、過激で腐敗したエスタブリッシュメント[支配階級]が米国民から力と富を搾取し、社会の支柱は壊れたまま、荒れ果てたままとなってきた)」として攻撃の的とする、バイデンやクリントン夫妻が依拠するいわゆるエスタブリッシュメントならびにそのイデオロギーであるリベラリズム、トランプからすれば「過激な」左派の連中、そして「dangerous criminals, many from prisons and mental institutions, that have illegally entered our country from all over the world (世界中から米国に不法入国した危険な犯罪者たちに聖域と保護を与えた。その多くは刑務所や精神科病院から来た。)」と彼が言う移民たちの存在です。
そしてそれらに対して何も手を打たず、ノースカロライナの大型ハリケーンやロスの火災にも何の方策もない、と非難し、その無策なこれまでの政府を攻撃する言葉にあふれています。
二つめの小見出しは「私は米国を再び偉大にするため、神に救われた」で、例の耳たぶを撃ち抜かれた暗殺未遂をとりあげて神秘化し、大統領選挙の勝利を誇る内容で、みるべき中身はありませんが、最後のところで、「Today, I will sign a series of historic executive orders.(私は今日、一連の歴史的な大統領令に署名する)」と述べていて、実際この日に支持者たちも面前での大統領令への署名パフォーマンスを披露してみせ、26の大統領令に署名したとニュースで報じられていました。
その大統領令の具体的な中身がそのあとに語られています。
まず「南部国境に軍を派遣」という邦訳小見出しにある一節で、トランプは、「First, I will declare a national emergency at our southern border. (まず、私は米南部の国境に「国家緊急事態」を宣言する)」と語ります。
まず第一に、と語られるこのことこそ、今回の大統領選で国民が誰を大統領に選ぶかという判断にとって、もっとも重要かつ切実な懸案が移民問題であったこと、トランプが的確にそうした国民の移民に対する激しい反発を的確に見抜いてきたことをはっきり示しています。
同時にそれは、大統領選にまだ出馬する気でいたバイデンが、トランプを倒す武器として「民主主義を守れ」というキャッチフレーズを掲げていた政治的鈍感・無能ぶりをはっきり示すものでもあります。
メキシコから南部国境への不法移民の侵入にバイデン政権が曖昧な態度(これをトランプは"catch and release” と揶揄した言い方をしています。捕まえては解き放つだけ、ということでしょう)をとってきたことはかねてトランプが非難するところで、この国家緊急事態の宣言をもとに何百万人もの不法移民を強制送還し、麻薬をもちこむカルテルを外国テロ組織に指定、さらに「the Alien Enemies Act of 1798(1798年の「敵性外国人法」)を発動して外国のギャングや犯罪ネットワークの存在を排除するとしています。
「敵性外国人法」などと聞くと、我々ならばすぐに、第二次世界大戦中に日本人だというだけで在米邦人が収容所に入れられたことを連想していやな気分になるでしょう。
第二にトランプが語るのは、これも国民が移民問題とともに最も重要視していたインフレの問題です。「Next, I will direct all members of my cabinet to marshal the vast powers at their disposal to defeat what was record inflation and rapidly bring down costs and prices.(次に私は全閣僚に対し、記録的なインフレを打破し、コストと物価を急速に引き下げるために幅広い権限を行使するよう指示する)」
トランプによれば、インフレの危機は巨額の歳出超過とエネルギー価格の高騰によって引き起こされたから、「a national energy emergency (国家エネルギー緊急事態)」を宣言し、「We will drill, baby, drill. (ドリル・ベビー・ドリル[掘って掘って掘りまくる])」と米国の地下に眠る大量の化石燃料、地球温暖化を誘発する最大の原因として抑制されてきた化石燃料の無際限な活用を指示するとしているわけです。
温暖化などまったく信じていない反科学主義のトランプにとっては、炭素を大量にこの地球上にあふれさせて温暖化を急速に進行させることになろうと、それが彼自身も言及したノースカロライナを襲った巨大ハリケーンやロスの未曽有の大火災のような災害を繰り返し引き起こすことになる、という科学者たちの危惧など「馬の耳に念仏」でしょう。
そんなトランプにとっては、国土に埋もれている無尽蔵とも思える石油・石炭を掘らないなんて、宝のもちぐされじゃないか、ということになるのでしょう。
たしかにそれを好き放題に掘り出して使えば、米国はエネルギー資源に不自由せず、世界のエネルギーコストの高騰とは無縁で、物価を抑制することも可能かもしれません。ただし、それは一時的なことで、しかも重篤な副作用を伴う措置であることはいずれ遠からずはっきりするでしょう。でも彼は自分が大統領である間だけうまくいけばいいと思っていることは言うまでもないことです。
移民問題とインフレ、この二つの懸案を焦点に据えて戦ったか否かが大統領選の勝敗を分けたと言ってもいいくらいです。
あとは何番目の課題だというような前置きなしに、いつもトランプが言っているご託宣が並列される形で続きます。
地球温暖化などものともせず、石油やガスを掘り出し、エネルギ戦略で世界的に優位に立ち、米国を再び製造業国家として成功させるのだ、というのです。
そのために「the Green New Deal (グリーン・ニューディール)」のような環境問題に取り組む政策や、ガソリンによる二酸化炭素排出を抑制するための電気自動車(EV)の義務化は撤回して、米国の自動車産業を復興させるのだ、と。
このへんからは邦訳の小見出しでは「米国に言論の自由を取り戻す」となっていますが、その冒頭は例の外国への高関税の課税の話です。
トランプは、直ちに貿易システムの見直しに着手し、「Instead of taxing our citizens to enrich other countries, we will tariff and tax foreign countries to enrich our citizens.(他国を富ませるために自国民に課税するのではなく、自国民を富ませるために外国に関税や税金を課す)」と述べています。
これが、トランプが選挙戦中から言ってきた、中国には60%、カナダとメキシコには25%、その他の外国にも一律に10~20%の関税をかけるという「America first」の関税政策です。
ただこれについては就任当日に決行と言っていたけれど、中国についてはとりあえず10%、カナダとメキシコについては2月はじめに、そうする「つもりだ」と、だいぶ後退した姿勢になっています。
事前の「公約」どおりやれば世界的な貿易戦争になり、大混乱で、米国も品不足や物価高騰で、国民がなによりも嫌うインフレが再燃することは間違いないでしょうから、そこはトランプも取り巻きの連中のアドバイスも受けながら多少とも現実味のある打ち出し方をするでしょう。
それでも世界の貿易システムの大きな攪乱要因となることは間違いないし、米国の超保守的な内向きの徹底した自国優先主義
が当分幅をきかせることになるでしょう。
そうした関税政策を実行するために、あらたに「the External Revenue Service (外国歳入庁)[ERS] 」なるお役所をつくるそうです。
またトランプはかねてから、民主党支持者の多い政府機関の職員を毛嫌いしていて、できれば一掃したいと思っているらしく、「Department of Government Efficiency (政府効率化省[DOGE]」を設立するそうです。
例の技術に関しては一流、それ以外のことではまるでパアの感があるイーロン・マスクが、かねて自分なら政府職員を大幅に減らせると豪語していたせいか、彼をトップに据えてということらしいですね。
ま、やってみなはれ。日本のように小規模な官僚組織でさえ、民主党が政権をとったときに役人を使う術を知らなかったために中央行政は事実上機能不全を起こしたので、米国のように省庁職員で10万人を超えるような官僚組織で大ナタを振るえばどうなるか、なかなか見ものではあります。
トランプは教育省をなくすとか言っていましたね。トランプにせよかつてのサッチャーにせよわが安部元首相にせよ、保守派の政治家は軒並み、教育や文化に関わる役人はみな左翼だと思って毛嫌いする傾向にあるようです。
できればそんな連中を一掃してしまって、自分が思うような教育をしてくれるような人物に取り替えたいんでしょうね。わが安部さんなら、教育勅語を奉じる学校を設立するのに安部夫人を頼ったどこやらの御仁みたいな?
トランプの政策は環境政策・地球温暖化対策からの撤退にみるように、おおむね歴史の歯車を何十年か、ひょっとしたら100年くらい逆戻りさせるようなものばかりですが、中でも誰の目にも明らかなその種の政策があって、それは「This week, I will also end the government policy of trying to socially engineer race and gender into every aspect of public and private life. (今週、私は人種や性別を公私のあらゆる側面に社会的に組み込もうとする政策に終止符を打つ)」という言葉で語られています。
トランプ政権のもとではLGBT(多様な性的少数者)の権利は保証されないでしょうし、企業などのDEI(多様性、公平性、包括性)といった価値基準をベースにした職場環境の改善の努力もおそらくは放棄されるでしょう。
もともと利益を出すことだけを至上目的とする企業は、こうした市場外的な社会からの圧力に渋々従ってきただけで、それらをきれいさっぱり拭い去る大義名分(政権の後押し)ができれば綺麗ごとなどかなぐり捨てるのに躊躇しないでしょう。その兆候はすでにあらわれているようです。その代表格は早速トランプにすり寄って盛んに胡麻を擂り、媚びを売っているソフトバンクの孫正義や、ザッカーバーグ、イーロン・マスクらIT、AI関連の大手先端企業の経営者たちの見るも無残な這いつくばりようです。
「As of today, it will henceforth be the official policy of the United States government that there are only two genders: male and female.(本日から米政府の公式方針として、性別は男性と女性の2つのみとする)」
つまりドゥルーズのいう<n個の性>は米国政府から、その存在自体を認められなくなったわけです。
性的少数者に限らず、あらゆる意味でのマイノリティーは「merit-based(実力主義)」の名目のもとに顧みられなくなるでしょう。あとには権力と富に対する欲望むき出しの弱肉強食の「生存のための闘争」だけがある殺伐とした風景が残されるだけです。
そのあと新型コロナウィルスのワクチン接種義務に反対して「不当に」軍から追放された軍人を、給与を全額戻して復職させる、という、ワクチン接種に反対していた反科学主義者トランプらしい言明があり、再び世界最強の軍隊を築くという言明があり、次の邦訳の小見出し「メキシコ湾を『アメリカ湾』に」の一節へと続きます。
「メキシコ湾」の名称を「アメリカ湾」に改める、2015年に(先住民族の呼称を採用したらしい)「デナリ山」と変更していた山の名を、元の「マッキンリー山」に戻す、パナマに管理権を返還したパナマ運河を取り戻す、といった就任前から彼が喚いていたことがここでも言明されています。ただ、デンマーク領グリーンランドをわがものとするとか、カナダを米国の51番目の州にするんだとかいう、就任前に物議をかもした他国の主権を公然と侵害する話題には、ここではさすがに触れなかったようです。
そのあとに来るのが邦訳の小見出しで「火星に宇宙飛行士を送る」という最後の一節です。宇宙開発で再び世界の先頭を走る野心を、西部開拓時代のパイオニア精神に重ね、世界一の大国への成長や第二次世界大戦での勝利に重ねて自らと支持者らを鼓舞することで終わっています。
彼が議会をも司法(最高裁)をも押さえ、行政府の職員を大幅に削減したり入れ替えたりして大ナタを振るって思い通りの「改革」をして独裁的な権力をわがものとして、これらの政策の実現に突き進めば、米国は国内にさらに大きな混乱と分裂を引き起こし、世界の大きな攪乱要因になることは間違いないでしょう。もちろん彼の言うような「偉大なアメリカ」は、その行く手には決して現われないでしょうが・・・。
歴史を百年も巻き戻すような文字通りの反動的な施策に全精力を注ぐ独裁者が導く世界に希望があるはずもなく、多かれ少なかれこれは超格差社会アメリカで鬱屈した国民の暗い情念が招き寄せた、ぶつけどころのない不幸な怨念の形象化にすぎないので、2年ないしせいぜい4年間のトランプによるちゃぶ台返しにすぎません。
まっとうな米国人も影響を受ける世界の人々も、その期間だけじっと我慢して耐え、それまでの自分たちの歩んできた道のどこに難点があったのか顧みる時間とするほかはないでしょう。
トランプが去って、仮に民主党の誰かが大統領になったところで、米国の圧倒的多数の大衆の底に潜む暗い情念が消えてなくなるわけではなく、その源であるひとにぎりの超富裕層が権力と結託してあの超格差社会を固定化している状況がどこかで突き崩されない限り、何度でも第二、第三のトランプが現われ、同じ悲喜劇が繰り返されるに違いありません。大衆が拍手喝采して熱狂的に迎えるそのあやしげなヒーローの顔はだんだんヒトラーそっくりになってくることでしょう。
きょうの夕餉
カマスのから揚げ(いつもの自家製ディル入りヨーグルトマヨネーズソースをかけて食べると格段に美味しくいただけました)
イカと大根の煮物(のこり)
小松菜のおひたし(ポン酢でいただきました)
蒸し鶏の中華風サラダ(野菜に鶏肉が隠れています) パクチー入り(パクチーの香り、味がすごい)
セロリの葉のジャコキンピラ(ご飯にかけていただきました)
豆腐のカブラあんかけ 椎茸、ゆり根、ギンナン入り 体があたたまりました
戸田農園の古漬けスグキ、自家製五目豆、キムチ
(以上でした)
きょうも上賀茂までリハビリ電動アシスト自転車で行きました。戸田さんところでは今日もトマトをたくさん出していて、昨日のバカでかい、バカ高い(笑)のと違って、ノーマルな大きさの赤い普通のトマトが3個450だったかな、まずまずの値段だったので買ってきました。昨日の場かでかいのは、やっぱりいつもの戸田農家産のトマトと違って、やや水っぽい味でした。ただ、戸田さんのトマトらしい点は、甘味があったことでした。でもあれが(いくら大きいとはいえ)600円もするのは、味のわるさからいっても納得できない値段でした。きょうのは食べてないので分からないけれど、以前の戸田さんのトマトの味がちゃんとしてくれたら、サイズ、個数からみて、まあまあ妥当な価格でしょう。
もう一つは別の販売所で出ていた壬生菜1束100円を買ってきました。壬生菜は野菜としては水菜と同じものらしいけれど、葉にギザギザがない、京都固有のものらしく、味というか野菜としての性質は壬生菜のほうがきついよ、とパートナー。どう「きつい」のか私にはわからないけれど・・・京都の産だからやさしい味かと思えば逆なのだとか。きょうとではありふれた野菜として出回っているらしいけれど、その手のことにまるで知識のない私は、自動販売機ではじめて壬生菜を買ってきたらしいです。いままでは何も知らずに買っていたのは、水菜のほうだったようです。
きょうも昨日と同じように私が外に出たときは、青空の広がるよい天気で、あたたかくて走りやすかった。同じ場所でとった比叡山の姿も昨日とまったくかわらない感じです。
このところ頭痛が頻発していることは前に書きましたが、きょうもなぜか左肩や左の背中がひどく凝った感じで、痛いほど。ヘパーデン症候群のために電動肩たたき機が自分で使えないので、パートナーにやってもらいましたが、あまり改善しません。来週脳神経外科で見てもらって、なにか悪い病気ででもなければ、一度左肩の手術をしてもらった病院の肩専門の整形外科の医師に診てもらおうと思っています。
ただ、その手術と関係があるかどうか、また肩こりと頭痛との関係なども、あまりはっきりとはしません。右の方は多少の凝りはあっても、もっぱら痛いくらい凝ってしまうのは左肩から背にかけての部位なので、どうしても肩を骨折して手術して3本のボルトが今も入っている左肩だからじゃないか、と関連づけて考えてしまいます。手術自体はおどろくほど見事なもので、うまく行ったのですが・・・あれは2018年の10月だからすでに6年少々が経過していますから、最初の1年後くらいまではみてもらっているのですが、そろそろ一度X線像でもみてもらうのがよいかもしれません。
内容的には前々から報じられていることばかりで、目新しいことは何もありませんでした。
邦訳文にだけ小見出しがついていて、その最初の小見出しは「米政府は信頼の危機に直面している」で、これには笑ってしまいます。誰よりもとりわけ国際的な米国に対する信頼の危機を招いてきたのはトランプだし、これからますます招くことは確実だからです。
この最初の一節は、彼のいうこれまでの過ちを改めて自分が大統領になるからには米国を再び偉大な国にするんだ、ということです。
「これまでの過ち」として彼があげつらうのが、議事堂乱入事件を煽った自分への捜査が「vicious,violent,and unfair weaponization of the Justice Department and our government (邪悪かつ暴力的、不公平な司法省と政府による「武器化」)」だとして攻撃の的にしている司法、「For many years,a radical and corrupt establishment has extracted power and wealth from our citizens while the pillars of our society lay broken and seemingly in complete disrepair.(長年の間、過激で腐敗したエスタブリッシュメント[支配階級]が米国民から力と富を搾取し、社会の支柱は壊れたまま、荒れ果てたままとなってきた)」として攻撃の的とする、バイデンやクリントン夫妻が依拠するいわゆるエスタブリッシュメントならびにそのイデオロギーであるリベラリズム、トランプからすれば「過激な」左派の連中、そして「dangerous criminals, many from prisons and mental institutions, that have illegally entered our country from all over the world (世界中から米国に不法入国した危険な犯罪者たちに聖域と保護を与えた。その多くは刑務所や精神科病院から来た。)」と彼が言う移民たちの存在です。
そしてそれらに対して何も手を打たず、ノースカロライナの大型ハリケーンやロスの火災にも何の方策もない、と非難し、その無策なこれまでの政府を攻撃する言葉にあふれています。
二つめの小見出しは「私は米国を再び偉大にするため、神に救われた」で、例の耳たぶを撃ち抜かれた暗殺未遂をとりあげて神秘化し、大統領選挙の勝利を誇る内容で、みるべき中身はありませんが、最後のところで、「Today, I will sign a series of historic executive orders.(私は今日、一連の歴史的な大統領令に署名する)」と述べていて、実際この日に支持者たちも面前での大統領令への署名パフォーマンスを披露してみせ、26の大統領令に署名したとニュースで報じられていました。
その大統領令の具体的な中身がそのあとに語られています。
まず「南部国境に軍を派遣」という邦訳小見出しにある一節で、トランプは、「First, I will declare a national emergency at our southern border. (まず、私は米南部の国境に「国家緊急事態」を宣言する)」と語ります。
まず第一に、と語られるこのことこそ、今回の大統領選で国民が誰を大統領に選ぶかという判断にとって、もっとも重要かつ切実な懸案が移民問題であったこと、トランプが的確にそうした国民の移民に対する激しい反発を的確に見抜いてきたことをはっきり示しています。
同時にそれは、大統領選にまだ出馬する気でいたバイデンが、トランプを倒す武器として「民主主義を守れ」というキャッチフレーズを掲げていた政治的鈍感・無能ぶりをはっきり示すものでもあります。
メキシコから南部国境への不法移民の侵入にバイデン政権が曖昧な態度(これをトランプは"catch and release” と揶揄した言い方をしています。捕まえては解き放つだけ、ということでしょう)をとってきたことはかねてトランプが非難するところで、この国家緊急事態の宣言をもとに何百万人もの不法移民を強制送還し、麻薬をもちこむカルテルを外国テロ組織に指定、さらに「the Alien Enemies Act of 1798(1798年の「敵性外国人法」)を発動して外国のギャングや犯罪ネットワークの存在を排除するとしています。
「敵性外国人法」などと聞くと、我々ならばすぐに、第二次世界大戦中に日本人だというだけで在米邦人が収容所に入れられたことを連想していやな気分になるでしょう。
第二にトランプが語るのは、これも国民が移民問題とともに最も重要視していたインフレの問題です。「Next, I will direct all members of my cabinet to marshal the vast powers at their disposal to defeat what was record inflation and rapidly bring down costs and prices.(次に私は全閣僚に対し、記録的なインフレを打破し、コストと物価を急速に引き下げるために幅広い権限を行使するよう指示する)」
トランプによれば、インフレの危機は巨額の歳出超過とエネルギー価格の高騰によって引き起こされたから、「a national energy emergency (国家エネルギー緊急事態)」を宣言し、「We will drill, baby, drill. (ドリル・ベビー・ドリル[掘って掘って掘りまくる])」と米国の地下に眠る大量の化石燃料、地球温暖化を誘発する最大の原因として抑制されてきた化石燃料の無際限な活用を指示するとしているわけです。
温暖化などまったく信じていない反科学主義のトランプにとっては、炭素を大量にこの地球上にあふれさせて温暖化を急速に進行させることになろうと、それが彼自身も言及したノースカロライナを襲った巨大ハリケーンやロスの未曽有の大火災のような災害を繰り返し引き起こすことになる、という科学者たちの危惧など「馬の耳に念仏」でしょう。
そんなトランプにとっては、国土に埋もれている無尽蔵とも思える石油・石炭を掘らないなんて、宝のもちぐされじゃないか、ということになるのでしょう。
たしかにそれを好き放題に掘り出して使えば、米国はエネルギー資源に不自由せず、世界のエネルギーコストの高騰とは無縁で、物価を抑制することも可能かもしれません。ただし、それは一時的なことで、しかも重篤な副作用を伴う措置であることはいずれ遠からずはっきりするでしょう。でも彼は自分が大統領である間だけうまくいけばいいと思っていることは言うまでもないことです。
移民問題とインフレ、この二つの懸案を焦点に据えて戦ったか否かが大統領選の勝敗を分けたと言ってもいいくらいです。
あとは何番目の課題だというような前置きなしに、いつもトランプが言っているご託宣が並列される形で続きます。
地球温暖化などものともせず、石油やガスを掘り出し、エネルギ戦略で世界的に優位に立ち、米国を再び製造業国家として成功させるのだ、というのです。
そのために「the Green New Deal (グリーン・ニューディール)」のような環境問題に取り組む政策や、ガソリンによる二酸化炭素排出を抑制するための電気自動車(EV)の義務化は撤回して、米国の自動車産業を復興させるのだ、と。
このへんからは邦訳の小見出しでは「米国に言論の自由を取り戻す」となっていますが、その冒頭は例の外国への高関税の課税の話です。
トランプは、直ちに貿易システムの見直しに着手し、「Instead of taxing our citizens to enrich other countries, we will tariff and tax foreign countries to enrich our citizens.(他国を富ませるために自国民に課税するのではなく、自国民を富ませるために外国に関税や税金を課す)」と述べています。
これが、トランプが選挙戦中から言ってきた、中国には60%、カナダとメキシコには25%、その他の外国にも一律に10~20%の関税をかけるという「America first」の関税政策です。
ただこれについては就任当日に決行と言っていたけれど、中国についてはとりあえず10%、カナダとメキシコについては2月はじめに、そうする「つもりだ」と、だいぶ後退した姿勢になっています。
事前の「公約」どおりやれば世界的な貿易戦争になり、大混乱で、米国も品不足や物価高騰で、国民がなによりも嫌うインフレが再燃することは間違いないでしょうから、そこはトランプも取り巻きの連中のアドバイスも受けながら多少とも現実味のある打ち出し方をするでしょう。
それでも世界の貿易システムの大きな攪乱要因となることは間違いないし、米国の超保守的な内向きの徹底した自国優先主義
が当分幅をきかせることになるでしょう。
そうした関税政策を実行するために、あらたに「the External Revenue Service (外国歳入庁)[ERS] 」なるお役所をつくるそうです。
またトランプはかねてから、民主党支持者の多い政府機関の職員を毛嫌いしていて、できれば一掃したいと思っているらしく、「Department of Government Efficiency (政府効率化省[DOGE]」を設立するそうです。
例の技術に関しては一流、それ以外のことではまるでパアの感があるイーロン・マスクが、かねて自分なら政府職員を大幅に減らせると豪語していたせいか、彼をトップに据えてということらしいですね。
ま、やってみなはれ。日本のように小規模な官僚組織でさえ、民主党が政権をとったときに役人を使う術を知らなかったために中央行政は事実上機能不全を起こしたので、米国のように省庁職員で10万人を超えるような官僚組織で大ナタを振るえばどうなるか、なかなか見ものではあります。
トランプは教育省をなくすとか言っていましたね。トランプにせよかつてのサッチャーにせよわが安部元首相にせよ、保守派の政治家は軒並み、教育や文化に関わる役人はみな左翼だと思って毛嫌いする傾向にあるようです。
できればそんな連中を一掃してしまって、自分が思うような教育をしてくれるような人物に取り替えたいんでしょうね。わが安部さんなら、教育勅語を奉じる学校を設立するのに安部夫人を頼ったどこやらの御仁みたいな?
トランプの政策は環境政策・地球温暖化対策からの撤退にみるように、おおむね歴史の歯車を何十年か、ひょっとしたら100年くらい逆戻りさせるようなものばかりですが、中でも誰の目にも明らかなその種の政策があって、それは「This week, I will also end the government policy of trying to socially engineer race and gender into every aspect of public and private life. (今週、私は人種や性別を公私のあらゆる側面に社会的に組み込もうとする政策に終止符を打つ)」という言葉で語られています。
トランプ政権のもとではLGBT(多様な性的少数者)の権利は保証されないでしょうし、企業などのDEI(多様性、公平性、包括性)といった価値基準をベースにした職場環境の改善の努力もおそらくは放棄されるでしょう。
もともと利益を出すことだけを至上目的とする企業は、こうした市場外的な社会からの圧力に渋々従ってきただけで、それらをきれいさっぱり拭い去る大義名分(政権の後押し)ができれば綺麗ごとなどかなぐり捨てるのに躊躇しないでしょう。その兆候はすでにあらわれているようです。その代表格は早速トランプにすり寄って盛んに胡麻を擂り、媚びを売っているソフトバンクの孫正義や、ザッカーバーグ、イーロン・マスクらIT、AI関連の大手先端企業の経営者たちの見るも無残な這いつくばりようです。
「As of today, it will henceforth be the official policy of the United States government that there are only two genders: male and female.(本日から米政府の公式方針として、性別は男性と女性の2つのみとする)」
つまりドゥルーズのいう<n個の性>は米国政府から、その存在自体を認められなくなったわけです。
性的少数者に限らず、あらゆる意味でのマイノリティーは「merit-based(実力主義)」の名目のもとに顧みられなくなるでしょう。あとには権力と富に対する欲望むき出しの弱肉強食の「生存のための闘争」だけがある殺伐とした風景が残されるだけです。
そのあと新型コロナウィルスのワクチン接種義務に反対して「不当に」軍から追放された軍人を、給与を全額戻して復職させる、という、ワクチン接種に反対していた反科学主義者トランプらしい言明があり、再び世界最強の軍隊を築くという言明があり、次の邦訳の小見出し「メキシコ湾を『アメリカ湾』に」の一節へと続きます。
「メキシコ湾」の名称を「アメリカ湾」に改める、2015年に(先住民族の呼称を採用したらしい)「デナリ山」と変更していた山の名を、元の「マッキンリー山」に戻す、パナマに管理権を返還したパナマ運河を取り戻す、といった就任前から彼が喚いていたことがここでも言明されています。ただ、デンマーク領グリーンランドをわがものとするとか、カナダを米国の51番目の州にするんだとかいう、就任前に物議をかもした他国の主権を公然と侵害する話題には、ここではさすがに触れなかったようです。
そのあとに来るのが邦訳の小見出しで「火星に宇宙飛行士を送る」という最後の一節です。宇宙開発で再び世界の先頭を走る野心を、西部開拓時代のパイオニア精神に重ね、世界一の大国への成長や第二次世界大戦での勝利に重ねて自らと支持者らを鼓舞することで終わっています。
彼が議会をも司法(最高裁)をも押さえ、行政府の職員を大幅に削減したり入れ替えたりして大ナタを振るって思い通りの「改革」をして独裁的な権力をわがものとして、これらの政策の実現に突き進めば、米国は国内にさらに大きな混乱と分裂を引き起こし、世界の大きな攪乱要因になることは間違いないでしょう。もちろん彼の言うような「偉大なアメリカ」は、その行く手には決して現われないでしょうが・・・。
歴史を百年も巻き戻すような文字通りの反動的な施策に全精力を注ぐ独裁者が導く世界に希望があるはずもなく、多かれ少なかれこれは超格差社会アメリカで鬱屈した国民の暗い情念が招き寄せた、ぶつけどころのない不幸な怨念の形象化にすぎないので、2年ないしせいぜい4年間のトランプによるちゃぶ台返しにすぎません。
まっとうな米国人も影響を受ける世界の人々も、その期間だけじっと我慢して耐え、それまでの自分たちの歩んできた道のどこに難点があったのか顧みる時間とするほかはないでしょう。
トランプが去って、仮に民主党の誰かが大統領になったところで、米国の圧倒的多数の大衆の底に潜む暗い情念が消えてなくなるわけではなく、その源であるひとにぎりの超富裕層が権力と結託してあの超格差社会を固定化している状況がどこかで突き崩されない限り、何度でも第二、第三のトランプが現われ、同じ悲喜劇が繰り返されるに違いありません。大衆が拍手喝采して熱狂的に迎えるそのあやしげなヒーローの顔はだんだんヒトラーそっくりになってくることでしょう。
きょうの夕餉
カマスのから揚げ(いつもの自家製ディル入りヨーグルトマヨネーズソースをかけて食べると格段に美味しくいただけました)
イカと大根の煮物(のこり)
小松菜のおひたし(ポン酢でいただきました)
蒸し鶏の中華風サラダ(野菜に鶏肉が隠れています) パクチー入り(パクチーの香り、味がすごい)
セロリの葉のジャコキンピラ(ご飯にかけていただきました)
豆腐のカブラあんかけ 椎茸、ゆり根、ギンナン入り 体があたたまりました
戸田農園の古漬けスグキ、自家製五目豆、キムチ
(以上でした)
きょうも上賀茂までリハビリ電動アシスト自転車で行きました。戸田さんところでは今日もトマトをたくさん出していて、昨日のバカでかい、バカ高い(笑)のと違って、ノーマルな大きさの赤い普通のトマトが3個450だったかな、まずまずの値段だったので買ってきました。昨日の場かでかいのは、やっぱりいつもの戸田農家産のトマトと違って、やや水っぽい味でした。ただ、戸田さんのトマトらしい点は、甘味があったことでした。でもあれが(いくら大きいとはいえ)600円もするのは、味のわるさからいっても納得できない値段でした。きょうのは食べてないので分からないけれど、以前の戸田さんのトマトの味がちゃんとしてくれたら、サイズ、個数からみて、まあまあ妥当な価格でしょう。
もう一つは別の販売所で出ていた壬生菜1束100円を買ってきました。壬生菜は野菜としては水菜と同じものらしいけれど、葉にギザギザがない、京都固有のものらしく、味というか野菜としての性質は壬生菜のほうがきついよ、とパートナー。どう「きつい」のか私にはわからないけれど・・・京都の産だからやさしい味かと思えば逆なのだとか。きょうとではありふれた野菜として出回っているらしいけれど、その手のことにまるで知識のない私は、自動販売機ではじめて壬生菜を買ってきたらしいです。いままでは何も知らずに買っていたのは、水菜のほうだったようです。
きょうも昨日と同じように私が外に出たときは、青空の広がるよい天気で、あたたかくて走りやすかった。同じ場所でとった比叡山の姿も昨日とまったくかわらない感じです。
このところ頭痛が頻発していることは前に書きましたが、きょうもなぜか左肩や左の背中がひどく凝った感じで、痛いほど。ヘパーデン症候群のために電動肩たたき機が自分で使えないので、パートナーにやってもらいましたが、あまり改善しません。来週脳神経外科で見てもらって、なにか悪い病気ででもなければ、一度左肩の手術をしてもらった病院の肩専門の整形外科の医師に診てもらおうと思っています。
ただ、その手術と関係があるかどうか、また肩こりと頭痛との関係なども、あまりはっきりとはしません。右の方は多少の凝りはあっても、もっぱら痛いくらい凝ってしまうのは左肩から背にかけての部位なので、どうしても肩を骨折して手術して3本のボルトが今も入っている左肩だからじゃないか、と関連づけて考えてしまいます。手術自体はおどろくほど見事なもので、うまく行ったのですが・・・あれは2018年の10月だからすでに6年少々が経過していますから、最初の1年後くらいまではみてもらっているのですが、そろそろ一度X線像でもみてもらうのがよいかもしれません。
saysei at 19:21|Permalink│Comments(0)│
2025年01月21日
暖かな日
20日(月)は二十四節気の最後にあたる「大寒」で、そこから立春の前日、2月2日までを「大寒」あるいは「大寒期」と言ったりするそうで、暦の上では、一年で一番寒い時期ということになっています。
けれども、きょうの京都市はよく晴れて、スマホの天気サイトをみると、気温も10℃程度(最低2℃~最高10℃)。最近は寒さに馴れたせいか、10℃程度になるとむしろきょうは暖かいな、と感じるほどですから、実際電動アシスト自転車を走らせて府立大学図書館へ本を返し、そのまま上賀茂の野菜自動販売機を覗いて回っても、寒いという感じはなく快適でした。
マンションの駐車場にしつらえてある、いつも3番目に行く販売所で千円札を百円玉に両替しようとして札を入れたら、札を吸い込んだまではよかったけれど、一向に百円玉が出てこない(> <) そりゃぁないだろう!と仕方なく販売所に書いてある農家さんのところへ電話をかけたら、じきにおじさんが車でかけつけてくれて、ちゃんと返してもらいました。ここでは太い元気そうなお葱を2束買いました。1束200円。葱は立てて保管しておくと常温でも驚くほど長く新鮮さを保っています。
それから戸田農園さんのボックスを覗くと、なんとこの季節に珍しいことにトマトが出ていました!それもわが家の朝食用なら二人で食べても一個で3日分くらいありそうな巨大なトマトで、育ちたいほうだい育ってもう皮がはちきれています。値段は3個で600円とひどく高かったけれど、まあずっと待ち焦がれた戸田農園のトマトでもあるし、この季節に買えることはもうないかもしれないので、張り込んで買いました。いつもの戸田農園のトマトの名に恥じずホンモノのトマトの濃い味がするかどうか、明日の朝食が楽しみです。
戸田さんのところではほかに、キュウリ(3本200円)も買いました。これもパートナーがダイエットせずに肥えてしまった女子高生みたい(笑)と評した、短くてやたら太いキュウリです。戸田農園では野菜を放任主義で育てているらしくて、だいたい市場に出せないようなとんでもなく巨大化あるいは肥大化した茄子やキュウリや大根やネギやカボチャがしばしば出ています。わが家のように少人数だと、もう少し手入れしてダイエットの行き届いたようなやつを出してくれんかなぁ、とも思うけれど、味は抜群に美味いし、おおむね市販のものと比較してずっと新鮮で美味しくて安いので、まあ文句を言わずに買ってくるのですが・・・。
府立大学は学内の試験シーズンに入るらしく、図書館の本の一般への貸し出しはきょうから停止です。私は以前から借りて必要なコピーがとりたかったものは、ひととおりきょうまでに全部処理できたので、しばらくは借りだせなくても不都合はありません。
きょうは自分がこれまで書いてきた、「古今集を読む」や「吉本隆明試論」など、少しブログでの連載が長くて、ファイルではパソコンの中に保存していたけれど、紙に印刷していなかった書き物をできるだけ全部印刷していきました。磁気テープの寿命が20-30年しかなくて、2025年の今年あたりにはもう再生機器も入手できなくなりそうで、じきに消えてしまう運命だということが話題になっていますが、デジタルメディアのほうも怪しいもので、私が情報記録用と称するDVDに保存しておいたデータの何分の一かは、歳月を経て再生しようと思ったら、まったくできませんでした。ちょっとした不具合で再生できなくなってしまっていたり、データが消えてしまっていたり、デジタル情報に変換して記録したから安心なんてことは全然ないことを身に沁みて経験してきました。
だから、結局紙媒体のほうがまだましなのですね。一番良いのは1000年前のように、毛筆に墨をつけて和紙に書いておくのが一番よくて、虫食いやカビ対策だけしておけば1000年以上もつことは証明済みです。まあわたしが書いたものは千年も残す必要はありませんが(笑)
それよりも自分が生きているあと何日か何か月か何年?か分からないけれど、その間だけでも、いつでも気が向けば直ちに取り出して自分自身の書いたものが読める、ということが私には必要で望ましいことなので、そのためにはディスプレイで読むのはとても読みにくいので、保管場所は少しとってしまうけれど、紙に印刷してファイリングして、本棚を整理して立てて置けば一番その願いに適した保管だと思うのです。そしてデジタルデータと重複するけれど、相互に紛失等のリスクに対する備えにもなります。
きょうはトランプが第47代(だったかな?)の米国大統領に就任する日だったのか、新聞もテレビもそういうニュースで同じようなことばかり報じていました。不法移民の大量強制送還、カナダ・メキシコさらに中国をはじめ諸外国すべての輸入品にかける高関税、そして気候変動に関するパリ協定からの再離脱、あとはWHOからの撤退やら、おそらくはウクライナが大きな譲歩を強いられるだろう停戦仲介等々。
たしかに欧米など世界の先進諸国は移民問題の処理に失敗したし、国連の機能不全で安保常任理事国で拒否権をもつロシアの侵略にまったく無力だし、同じく戦争犯罪を繰り返すイスラエルに対しても安保常任理事国で拒否権をもつ米国の反対で懲罰を与えることもできない。エネルギー資源や経済全般が戦争の武器に使われて各国は高いインフレ率に苦しめられ、移民問題もあいまって、民主主義国家の政権与党は軒並み国民からそっぽを向かれて、ポピュリズム的手法にたけたファシスト的党派が著しく伸長する結果になっている・・・政府などよりも犯罪者やファシスト的党派などのほうが、サイバー空間の支配に勝り、いまや民主主義の良識など全く通用しなくなって、虚偽と中傷で捏ね上げた言説の暴力が堂々と横行して、それらに批判的な個人を殺すまでになっているのは、わが日本でも兵庫県をはじめ、いたるところで見られるようになった現象です。こうした現象を背後で支えているのは、やはりほんの一握りの権力者たちが富と権力を握る超格差社会化の進行で、この閉塞状況に置かれた大多数の弱い個人の或る部分が、その抑圧に耐えきれなくなり、鬱憤を誰でもよいから狙いを定めた獲物に向けた集団的な狩りのような攻撃で晴らそうとする形で暴発しているのが、いまのSNSのサイバー空間での誹謗中傷的言説の暴力の横行の本質なのでしょう。本来なら虐げられて一番どん底に追い詰められた弱者が、自らを凶器(≒狂気)と化し、同類たちと群れをなして暴発しているありさまは、ナチスが政権をとる前夜のベルリンの風景となんとよく似通っていることか。
こうした状況を切り開く方法を心得た政治家をいまの世界に見出すことはできないようですから、当分は事態はいっそう悪い方へ向かって堕ちていくほかはないのでしょう。それが行きつく先を見ずにあの世へ行ける我が身をむしろラッキーだと思うべきなのかもしれません。しかし、そんなひどい世の中で生きていかなくてはならない次の世代、次の次の世代の、まっとうな人たちには、あまりにも不公平ですね。私たちの世代が身を楯にして、そういう理不尽な力に抗おうとしてこなかったことの結果がこれだとすれば、私たちの世代の責任ははかりしれないほど大きいと言わなくてはならないでしょう。いまからでも、せめてひとりひとりが抵抗していかなくては、と心から思い、また願っています。
きょうの夕餉
ブロッコリのチーズハーブフライとエビフライののこり
ぶりの味噌漬け
鯵の南蛮漬け
丸大根とイカの煮物
五目豆の煮もの
マカロニサラダ
芋煮
古漬けスグキほか
(以上でした)
けれども、きょうの京都市はよく晴れて、スマホの天気サイトをみると、気温も10℃程度(最低2℃~最高10℃)。最近は寒さに馴れたせいか、10℃程度になるとむしろきょうは暖かいな、と感じるほどですから、実際電動アシスト自転車を走らせて府立大学図書館へ本を返し、そのまま上賀茂の野菜自動販売機を覗いて回っても、寒いという感じはなく快適でした。
マンションの駐車場にしつらえてある、いつも3番目に行く販売所で千円札を百円玉に両替しようとして札を入れたら、札を吸い込んだまではよかったけれど、一向に百円玉が出てこない(> <) そりゃぁないだろう!と仕方なく販売所に書いてある農家さんのところへ電話をかけたら、じきにおじさんが車でかけつけてくれて、ちゃんと返してもらいました。ここでは太い元気そうなお葱を2束買いました。1束200円。葱は立てて保管しておくと常温でも驚くほど長く新鮮さを保っています。
それから戸田農園さんのボックスを覗くと、なんとこの季節に珍しいことにトマトが出ていました!それもわが家の朝食用なら二人で食べても一個で3日分くらいありそうな巨大なトマトで、育ちたいほうだい育ってもう皮がはちきれています。値段は3個で600円とひどく高かったけれど、まあずっと待ち焦がれた戸田農園のトマトでもあるし、この季節に買えることはもうないかもしれないので、張り込んで買いました。いつもの戸田農園のトマトの名に恥じずホンモノのトマトの濃い味がするかどうか、明日の朝食が楽しみです。
戸田さんのところではほかに、キュウリ(3本200円)も買いました。これもパートナーがダイエットせずに肥えてしまった女子高生みたい(笑)と評した、短くてやたら太いキュウリです。戸田農園では野菜を放任主義で育てているらしくて、だいたい市場に出せないようなとんでもなく巨大化あるいは肥大化した茄子やキュウリや大根やネギやカボチャがしばしば出ています。わが家のように少人数だと、もう少し手入れしてダイエットの行き届いたようなやつを出してくれんかなぁ、とも思うけれど、味は抜群に美味いし、おおむね市販のものと比較してずっと新鮮で美味しくて安いので、まあ文句を言わずに買ってくるのですが・・・。
府立大学は学内の試験シーズンに入るらしく、図書館の本の一般への貸し出しはきょうから停止です。私は以前から借りて必要なコピーがとりたかったものは、ひととおりきょうまでに全部処理できたので、しばらくは借りだせなくても不都合はありません。
きょうは自分がこれまで書いてきた、「古今集を読む」や「吉本隆明試論」など、少しブログでの連載が長くて、ファイルではパソコンの中に保存していたけれど、紙に印刷していなかった書き物をできるだけ全部印刷していきました。磁気テープの寿命が20-30年しかなくて、2025年の今年あたりにはもう再生機器も入手できなくなりそうで、じきに消えてしまう運命だということが話題になっていますが、デジタルメディアのほうも怪しいもので、私が情報記録用と称するDVDに保存しておいたデータの何分の一かは、歳月を経て再生しようと思ったら、まったくできませんでした。ちょっとした不具合で再生できなくなってしまっていたり、データが消えてしまっていたり、デジタル情報に変換して記録したから安心なんてことは全然ないことを身に沁みて経験してきました。
だから、結局紙媒体のほうがまだましなのですね。一番良いのは1000年前のように、毛筆に墨をつけて和紙に書いておくのが一番よくて、虫食いやカビ対策だけしておけば1000年以上もつことは証明済みです。まあわたしが書いたものは千年も残す必要はありませんが(笑)
それよりも自分が生きているあと何日か何か月か何年?か分からないけれど、その間だけでも、いつでも気が向けば直ちに取り出して自分自身の書いたものが読める、ということが私には必要で望ましいことなので、そのためにはディスプレイで読むのはとても読みにくいので、保管場所は少しとってしまうけれど、紙に印刷してファイリングして、本棚を整理して立てて置けば一番その願いに適した保管だと思うのです。そしてデジタルデータと重複するけれど、相互に紛失等のリスクに対する備えにもなります。
きょうはトランプが第47代(だったかな?)の米国大統領に就任する日だったのか、新聞もテレビもそういうニュースで同じようなことばかり報じていました。不法移民の大量強制送還、カナダ・メキシコさらに中国をはじめ諸外国すべての輸入品にかける高関税、そして気候変動に関するパリ協定からの再離脱、あとはWHOからの撤退やら、おそらくはウクライナが大きな譲歩を強いられるだろう停戦仲介等々。
たしかに欧米など世界の先進諸国は移民問題の処理に失敗したし、国連の機能不全で安保常任理事国で拒否権をもつロシアの侵略にまったく無力だし、同じく戦争犯罪を繰り返すイスラエルに対しても安保常任理事国で拒否権をもつ米国の反対で懲罰を与えることもできない。エネルギー資源や経済全般が戦争の武器に使われて各国は高いインフレ率に苦しめられ、移民問題もあいまって、民主主義国家の政権与党は軒並み国民からそっぽを向かれて、ポピュリズム的手法にたけたファシスト的党派が著しく伸長する結果になっている・・・政府などよりも犯罪者やファシスト的党派などのほうが、サイバー空間の支配に勝り、いまや民主主義の良識など全く通用しなくなって、虚偽と中傷で捏ね上げた言説の暴力が堂々と横行して、それらに批判的な個人を殺すまでになっているのは、わが日本でも兵庫県をはじめ、いたるところで見られるようになった現象です。こうした現象を背後で支えているのは、やはりほんの一握りの権力者たちが富と権力を握る超格差社会化の進行で、この閉塞状況に置かれた大多数の弱い個人の或る部分が、その抑圧に耐えきれなくなり、鬱憤を誰でもよいから狙いを定めた獲物に向けた集団的な狩りのような攻撃で晴らそうとする形で暴発しているのが、いまのSNSのサイバー空間での誹謗中傷的言説の暴力の横行の本質なのでしょう。本来なら虐げられて一番どん底に追い詰められた弱者が、自らを凶器(≒狂気)と化し、同類たちと群れをなして暴発しているありさまは、ナチスが政権をとる前夜のベルリンの風景となんとよく似通っていることか。
こうした状況を切り開く方法を心得た政治家をいまの世界に見出すことはできないようですから、当分は事態はいっそう悪い方へ向かって堕ちていくほかはないのでしょう。それが行きつく先を見ずにあの世へ行ける我が身をむしろラッキーだと思うべきなのかもしれません。しかし、そんなひどい世の中で生きていかなくてはならない次の世代、次の次の世代の、まっとうな人たちには、あまりにも不公平ですね。私たちの世代が身を楯にして、そういう理不尽な力に抗おうとしてこなかったことの結果がこれだとすれば、私たちの世代の責任ははかりしれないほど大きいと言わなくてはならないでしょう。いまからでも、せめてひとりひとりが抵抗していかなくては、と心から思い、また願っています。
きょうの夕餉
ブロッコリのチーズハーブフライとエビフライののこり
ぶりの味噌漬け
鯵の南蛮漬け
丸大根とイカの煮物
五目豆の煮もの
マカロニサラダ
芋煮
古漬けスグキほか
(以上でした)
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