2024年10月12日

「ハタ」の炙り

★はたの炙りの刺身と普通の刺身
  ハタというスズキの親戚筋の魚のことは、以前にこのブログで書いたことがあります。なにか食べたい魚があったら買ってきて、と言われて私がHELPの魚屋に出ていた新鮮なこの魚を食べたことがなくて、珍しかったので買ってきたのでした。あのときは確か焼き魚にして食べたのではなかったかと思いますが、きょうはパートナーが少し大きいサイズのハタを三枚におろしてもらって買ってきました。それをわが家で一番よく切れる刺身包丁で切って半分は皮を残した炙りさしみにし、残りは普通の刺身として、同じ皿に盛ったのがこの写真です。
  
  これをわさび醤油にちょいとつけていただいたところ、ものすごく美味しかった。あぶる時、身が反り返ったと言いますから、よほど新鮮だったのでしょう。身はけっこう硬い身で、よく切れる刺身包丁がなければ刺身にはできなかっただろう、とのこと。前に私が買ってきたハタは同じ一尾といっても小さめの500円台のハタでしたが、それでも十分食べ応えがありました。きょうパートナーが勝って来たのは800円だったそうで、まだ冷蔵庫に半分残してあって、明日は別の料理にするそうです。

★はたのあアラの赤だし
  魚屋さんに「アラはどうします?」と訊かれて、もちろんもらって帰ります、とパートナーはアラが大好きですから、アラも持ち帰り、赤だしのだしとりに使いました。このアラの赤だしがまた、とっても美味しいのです。アラは要らない、と言って捨てられてしまうこともあるようですが、ほんとにもったいない!この魚もわが家ではこうして全身無駄なく使い倒します。

★厚揚げ、茄子、万願寺、豚肉のみそ炒め
 アツアゲ、茄子、万願寺唐辛子、豚肉のみそ炒め。この万願寺がめっちゃ辛くて、食べたあと唇迄ヒリヒリしました。上賀茂の販売機で買った万願寺にはめっちゃ辛いのと、ごく普通の穏やかな味のと二通りあって見かけではわかりません。これは辛いです、と書いてくれている販売所もありますが、大抵は何も書いてないので、食べて見てはじめて分かります。そこは店で売っているやつとは違って、或る意味、あたりはずれがあるのですが、わたしたちはむしろそれを楽しんでいます。

★蓮根とシイタケの肉詰め焼き
 レンコンとシイタケの肉詰め焼き。長男のお弁当のおかずに入れたものののこりだとか。

★かぼちゃの煮もの
 かぼちゃの煮もの

(以上、きょうの夕餉でした。)

きょうの昼食
 これはきょうのお昼。奥は生ハムとキュウリのイギリス風のシンプルなサンドイッチ(これを縦に半分に切って二人でいただきました)。
 真ん中が先日もいただいたカナッペ風に、バゲットを切ったのへバターを塗って、そこにトリュフの残ったのをのせていただきました。
 右端はきょう新たに焼いたスコーンのうちの一つ。きょうはこれを水平に切った上と下をひとつずつ、ホイップト生クリームとジャムを載せていただいただけです。このあといつものフルーツ・カスピ海ヨーグルトをいただきます。

 プライムビデオでの気晴らしで、きょうは未見だった007シリーズの、No Time To Die というのを見ました。率直に言って、ちっとも面白くなかった。007も初期のショーン・コネリーの時は本当に新しくてテンポがよくて面白かったけれど、彼が主役でなくなってからは、多分映画館では一本も見ていないし、テレビでも辛うじてたまたまやっていたのを1本くらい見たかどうか。もちろんDVDなんか持っていないし、いまだに007といえばショーンコネリー。娯楽映画の典型だけれど、主役のコネリーは舞台俳優出身で、演技は実にしっかりしていて、見ごたえがありました。

 ずっと007に興味を失っていたけれど、比較的近年になってダニエル・クレイグが007をやるようになると、また人気が出たようで、私もひとつふたつ見ています。たしかに私が見たのは「スカイフォール」でしたっけ、記憶力の悪い私は何だったか忘れたけれど、面白かった。ストーリー性にも話の運びにも、全体の印象にも現代的な革新があったようです。

 しかし、きょうみたNo Time to Dieは良くなかった。脚本も演出も悪い。ストーリーやコアになっている愛憎のからむ人間関係も不必要に(最初は)わかりにくくて、テンポも良くない。そして何よりも007らしい行動様式なりアクションがものすごく古臭くて、大昔の007の焼き直しでしかなく、いくら何でももう少し知恵をしぼらんかい!と半畳を入れたくなるような出来栄えでした。
 おまけにラストはお涙頂戴のストーリのあげくOO7を殺してしまう。エンターテインメントの法則を何も知らない監督が作ったのではないか、と思わせるような代物でした。ダニエル・クレイグもこれでは気の毒で、最後に消してもらって、やれやれと思っていることでしょう。

 もともと007は社会の闇をえぐるなんて意図は毛頭なく、文句ない完全懲悪のアクション活劇で、ボンドの超人的な活躍を楽しみ、アクション、カーチェイスなどを楽しんだら、何のあとくされもなくハッピーエンドでボンドが美女とうまくやったりして、観客のほうもめでたくストレス解消、で終わってよかったエンターテインメントですが、それを支えていたのはボンド役のスタイリッシュな生き方やらその時代時代には新しかった様々な技術を駆使したアクションシーンやら、ストーリーもシチメンドクサイことを言わずに、敵味方明瞭でドンパチやってガンガン突っ走るテンポの良さとかであって、そういうものが、なんだかトロ臭いなぁ、古いなぁ、と感じさせるようになったらオワリでしょう。

 話はちがいますが(笑)、ドジャースが勝ってよかったですね。あとがない状況でも、なんということもなく2連勝すればいいのだから、なんて言っていた大谷のメンタルの強さが話題になっているようです。山本はそうはいかず、最初にやられてショックを受けていたのを、チームメートがじっくり時間をかけて慰めてくれたとか。今回いい投球ができてよかった。ダルビッシュも応援していたので、この試合はとてもリアルタイムでは見れませんでした。でもダルビッシュもいい投球をしたようですから、敗戦ではあったけれど、ファンとしてはまずまずよかった、と。



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『形而上学』(岩崎勉訳)の値段~アマゾンの怪

形而上学表紙
 これはきょう、京都府立大学図書館南側の広場で開かれている「下鴨中通ブックフェア2024」を覗いて、或る古書店さんのテントで、ほかの雜本にまじってさりげなく立っていたのを、たまたま見つけて即座に購入し、若い店員さんが「厳しいですね」と意味ありげな笑みを浮かべて云うので、いや、この本は絶版になっていて、新しい訳も出てはいるのだけれど、こちらの訳の方が良いというもっぱらの評判で、なかなか手に入らなかったのです、と言うと、あぁ、ご存じだったのですね、と。

 「厳しいですね」の言葉の意味はよくわからないけれど、府立大図書館や歴彩館を訪れる本好きな市民相手のこんなマイナーな古本市に初日の朝から出かけて、店先に立ったと思うと一発でこんな小難しい哲学の分厚い文庫本なんぁ買う客が珍しいのか、或いは安い価格付けがしてあったので、それを狙いすまして躊躇なく買っていく客に対しての言葉なのか・・・私は上賀茂までいくなら、そこのなかむらで「くんちゃまベーコン」を買ってきて、と頼まれて2000円預かって出たのですが、もう私の財布にはそれとは別に3000円、それもJCBの支払いのときに、貰ったばかりの今月分の小遣いがゼロになったので、それじゃ1カ月間文無しで暮らさないといけないので、1万円借りていたうちの、最後に残っていた3000円だったのですが、その3000円を躊躇なくはたいて、この本を買ってしまったのでした。

形而上学 立像
 この本はずっと以前から探していて、amazonのマーケットプレイスでは以上に高い値段がついていたので買えず、先日府立大の図書館で戦前の単行本の古い版を見つけて借りて帰って首尾よくコピーはさせてもらったのですが、なにせ戦前、それも敗戦がもう間近に迫るような時期の、とても紙質も印刷も劣悪なときの出版物なので、紙の色も濃い焦げ茶色になっているし、コピーしても読みにくくて、分厚いのでいくつにも綴じて大事に大きい封筒に入れてあるのですが、できれば文庫化された新しい版で読みたかったものです。

形而上学 立像バック
 この岩崎訳の講談社学術文庫版をamazonで検索すると、ふつうに販売されている商品と、もうひとつは「ノーブランド品」というamazon固有の制度にのっとっているはずの出品カテゴリーで売られている同じ商品が出てきます。

 この「ノーブランド商品」というのが、実のところわけがわからないのですが、本以外の商品ではたしかに、たとえばハンドバッグなどで、誰もが知っているような製造元がつくった商品であれば、中古品であっても、そのブランド名なりマークなりがどこかに記載されているでしょうし、買い手はそれがあるから安心して購入できますが、そういう商標的なものが明らかでない商品もあるわけで、そういうのは「ノーブランド」ということになるでしょうし、一定の販売実績のあるプロの業者は、しかるべき申請を擦れば、その商品を「ノーブランド商品」として独占的に出品できる仕組みらしいのです。

 独占的に、というのは、いったん誰かが「ノーブランド商品」としてある商品を出品してしまうと、同種の(同一物ではもちろんないわけだから、同じ型番の、とでもいいましょうか、出版物なら同じ著者、訳者のある特定の出版物ということになるでしょうか)商品をほかの者が出品することができなくなるルールです。一般の出品者が本などを出品するときは、すでにほかの誰かが出品しているウェブサイト上のその商品のカタログ記載に便乗して、同じ商品をこういう別のコンディションのもとで、いくらの価格で販売しますよ、という出品案内を出せば、それで出品できるのです。

 ところが、いったん誰かが「ノーブランド商品」として登録してしまうと、他の出品者はだれも同じ商品を登録・出品できなくなります。

 ですから、本来ならその制度に従うなら、この商品は(どちらが先だったのかは知りませんが)「ノーブランド商品」として出品されているのですから、もう一方の、ふつうの商品として出品されている方の出品はできないルールのはずなのに、なぜか出品されています。

 いや、それ以前にもっと不可解なことは、「ノーブランド商品」というのは、上述のような趣旨で本来設けられたカテゴリーだと思うのですが、たとえば今取り上げているアリストテレス著、岩崎勉訳の「形而上学」は、誰がどう見ても講談社という立派な?ブランドが出版元であって、「ノーブランド」なんかではありません。よほどマイナーな自主出版物ででもない限り、市場に流通している圧倒的多数の本は、どれもこれも明らかにブランドが明確な商品であって、「ノーブランド商品」などほとんどないのは自明のことです。

 にもかかわらず、この本を「ノーブランド商品」として申請した輩がおり、それに対してまたamazonが許諾を与えてしまったわけです。以前に別の本のことでamazonに、なぜこの商品が「ノンブランド商品」として認められているのか分からない、と問い合わせたことがありますが、その返答には、「この商品はセット販売の出品になっていますので」という、わけのわからない返答でした。

 一冊ではなくて、何冊かのシリーズものを一度に出品していただけのことで、そんなことなら、数多くの「ノンブランド」ではない、ふつうの出品が山ほどあります。それらも申請すれば全部「ノンブランド」だと言い張って出品できるのでしょうか。

 そもそもなぜ「ノンブランド」でもなんでもない商品を、わざわざ「ノンブランド品」として出品したがる輩が多くなっているのかといえば、あきらかにそれは他の競合出品者を排除するためです。いったん「ノーブランド」のお墨付きをアマゾンから得られれば、自分が出品している商品については排他的な独占販売権を得たことになり、ほかの出品者が出品しようとしても、自動的なシステムで、これは「ノーブランド商品だから出品できません」というような表示が出て、出品手続きそのものができない仕組みになっています。

 これはできるだけ広く、差別なく市場を開拓し、出品者に売ってもらうことによって、売り上げの一部を手数料として徴収することで利益を上げているアマゾンにとっても、まったくそのビジネスの趣旨に反する一部の不心得な出品者の横暴な独占販売で、単独ではあるけれどカルテルで値段を吊り上げるのと同様に、その商品の独占販売権を手に入れることによって価格を不当に吊り上げる行為にほかならないでしょう。

 こんなことをアマゾンが許容して、市場機能をゆがめるそうした不心得な出品者の「ノーブランド」申請を受け入れていることに問題があると思います。これを以前に指摘して問いただしたのですが、納得のいく返答は返ってこないままです。

 ちなみに、今回古本市で入手したこのアリストテレス「形而上学」(岩崎勉訳)がどのようにアマゾンで売られているかを一瞥しておきましょう。

 ふつうの出品物として出されている同書の一番安価なものは、「可」(販売できる最低ランクのコンディションに相当する、出品者による出品物評価のランク)の商品で、説明文に「才断面にシミ・ヨゴレあり。・・・その他、ヤケ・ヨゴレ・イタミ・・・」などとあります。これが¥5,501です。次に安いのが、やはり「可」で、「カバーにこぼしジミ、30P前後書き込み 小口に経年ヤケ・経年シミ・茶シミヨゴレ、地に茶シミ、使用品の爲、カバーにやや強めのキズやイタミ」と言う説明つきで、¥5301です。

 その次が「コレクター商品」という通常の商品とは別のカテゴリーでの出品で、コンディションは「良」(「可」のワンランク上。その上にまだ「非常に良い」「新品同様」「新品」と3ランクありますが・・・)で、説明は「経年並」と三文字のみ。
 つまり年月を経ることで当然劣化するであろう平均的な状態、とでもいうことでしょうか。これが¥8,500です。ほんとうにそうした本を置いておいただけで自然に生じてしまう軽い紙ヤケや表紙カバーのなどのキズ、薄汚れ、といった程度の瑕疵だけであれば、絶版の本ですから、これくらいの価格は妥当ともいえるでしょうが、「経年並」と言う情報だけで、買い手にそれがわかるでしょうか?

 しかし、もっとひどいのは、さきほどのような制度を悪用した「ノーブランド」品として出品されている同じ商品で、これは「非常に良い」などという自己評価で、説明はただ「状態は良好です」のみ。そして価格はなんと¥12,800という法外な価格をつけています。れっきとしたブランドのある商品でも、いったん「ノーブランド」商品というamazonのお墨付きを得た出品には、おおむねこうした法外な価格をつけているものが圧倒的に多くて、その半値、1/3、1/4の価格でも、もっと状態の良い商品を販売できるのに、と思っている出品者はおおぜいいることでしょう。

 この商品の説明は上述のとおり「状態は良好です」というだけですが、たくさんの写真が添付されています。それを見ると、驚いたことに、本文にも目次らしきぺージにも、ほとんど各行ごとに太く濃い赤い傍線、いや赤いマーカーで文字列そのものの上をなぞって太い線が引かれているではありませんか。しかも、そのことには説明書きの中では一言も触れていないのです。
 写真を見ればわかるだろう、とでも言いたげですが、全ページに同様の朱線が引かれたり、書き込みがなされていたりする、とみなされても仕方がないでしょう。
 本来なら、こういう欠陥商品の場合、全体の何ページ、或いはせめて何割くらいのぺージにこうした特段に目立つ赤線が引かれているのか、ほかに書き込み等がないのか、説明文に明記すべきです。これではまったく不明で、全ぺージの写真を掲載できない以上、その詳細を説明文に記さないのはまったく不誠実きわまりないと言わなくてはならないでしょう。

 もちろん今の消費者は馬鹿ではないから、そういう馬鹿げた「ノーブランド」商品などに手を出すこともなく、アマゾンがそういう輩に占領されて良い商品を安く買えないのなら、メルカリでもヤフーでも楽天市場でも覗いてみよう、ということになるでしょうけれど、アマゾンともあろうものが、こんな市場荒らしを放任しておく理由が不可解でなりません。

形而上学見開き
 ちなみに、先ほどから写真でお示ししているとおり、私がきょうゲットした「形而上学」(岩崎勉訳)は、このとおり、カバーも中身も、どうやら前の所有者は全然読んだ形跡もなく、ほぼ新品同様と言ってよい状態で、書き込みや傍線はもちろん、ページの折れや開き癖、シミなどの汚れ、経年による紙やけや薄汚れ等々もなく、帯も購入時から挟まれていたらしい新刊案内の類もそのまま挟まっています。瑕疵があるとすれば、帯の背だけが、なぜか紙ヤケしたのか、白くなっていることだけです。

 したがって、いま出品されている商品で8000円相当なら、10,000円の値をつけても、のどから手が出るほどほしい人はあるでしょう。申し訳ないけれど、私はせどり屋ではないので、本はたとえ拾い読みでも斜め読みでも時にツンドク(笑)だけでも、自分が読むために買うので、無用になれば適宜手放しますが、当面は手元に置いて使いたいと思っています。この本をあんなマイナーな古書フェアの店頭にさりげなく並べておいてくれた兄ちゃんには感謝です!

形而上学奥付ページ

 * amazonのいわゆる「ノーブランド」出品に関するこの記事で呈した疑問は、過去にamazonに問い合わせたことがありますが、納得のいく回答が無かったので、私のほんとうにわずかなブログの読者に対してでしかありませんが、その中にはamazonをご利用の方もあると思いますので、たまたまきょうきっかけになるような本に出合ったので、この件を思い出して、ここに私の疑問を記しておくことにしました。
 私の「ノーブランド」出品に対する理解は上述のとおりです。たまたま私がきょう古書市で入手した本について以前amazonで購入しようと探したことがあったので、事例として取り上げましたが、もとより「ノーブランド」の事例として取り上げただけで、どんな「ノーブランド」出品であってもよろしかったので、個別の出品や出品者を貶める意図はありません。いかなる商品であれ市場に出品された商品をどう判断し、買うか買わぬかは消費者の意志であって、それに口をはさむつもりはありません。
 
 しかし、私の知識や理解に事実関係での誤りがない限り、このシステムないしはその運用には、あきらかに不合理な点があり、多くのamazon利用者、出品者に不都合な結果をもたらしていると思うので、こんな形ででも疑義を申し述べておくことには多少なりと意味があろうかと思います。
 また、購入者、出品者の双方を含むamazon利用者の多くの方々の賛同が得られるのではないかと思います。

 もとより、私は通信販売についてもamazonについても、なんら専門的な見地を有する者ではなく、私の知識や事実認識は一介の利用者(購入者でもあり出品者でもありますが)の狭い視野からのものにすぎないので、誤謬・誤解等があるやもしれません。事実関係の誤認等についてはどなたでも、コメント欄を通じてご指摘いただければ、確認の上で誤りであればただちに訂正し、またそうでない場合も、可能な限り応答させていただきます。
























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2024年10月11日

トリュフ

トリュフ
  先日長男が来た夕食時の雑談の中で、テレビで日本でもトリュフがとれる、ってな話で、どこやらのおじさんが道端に生えているトリュフを見つけて、これだよ、なんてやっている映像を見た話をしていて、パートナーがまだ食べたことない、と言っていたら、長男がどこやらに発注して、きょうそれが届きました。早速パートナーはトリュフの味や香りが直接味わえるようにと夕餉のメニューをあれこれ考え、長男も来て夕食となりました。

トリュフ裏返す
 私は、フランスでまだ団体旅行の一員だった時だと思うけれど、食べた記憶が最小限一度はありましたが、なにかのグリルみたいなのに一緒に付け合わされてたので、そんなに味や香りが印象にも残らなかったし、何も覚えていませんでした。こんなふうに生のトリュフを一個まるごとの姿でみるのは初めてです。これは上の右のをひっくり返したところ。大小の栗くらいのサイズだったでしょうか。

トリュフを切る
 それほど強い香りではないけれど、ちょっとほかには嗅いだことのないような、独特の香りがたっていました。パートナーは、やっぱり森の匂いだ、というふうなことを言っていました。長男によれば、ポテトチップの香りだか味だかに似ている、という人もあるそうですが(笑)、なんとも表現するのが難しい香りです。味よりもクルミに似た触感の方が強く印象づけられます。

カットしたトリュフ
 スライスした切り口は、まさしく茸ですね。

IMG_5119
 こうして焼いてバターを塗ったバケットの上にカナッペのようにトリュフを載せていただきました。

 もうひとつは、写真を撮り忘れてしまったようですが、ポルチーニと茸のリゾットにトリュフをのせていただきました。パスタにしてもよかったのですが、トリュフの味や香りが茸のリゾットのほうに合うだろうし、その味や香りがひきたつだろうと考えたようです。ただ、もともとその味や香りがそれほど自己主張するようなものではなかったので、一番直接に味わえたのはこのカナッペ風の食べ方で、じかに触感と生の味を舌で味わうやり方だったように思います。

 ただ、正直のところ、私にはたしかに一生に二三度口にすることがあるかどうか、という珍しい食べ物ではありますが、地元でこのきのこが生えるフランス人ならともかく、なぜ日本人までがやたらこれを珍味としてありがたがるのかは、よくわかりません。同じ茸でも松茸なら味はともかくも香りの高さは断然上でしょうし、味では徳島の椎茸を焼いて醤油漬けて食べるほうが、はっきりした味と香りで美味しく感じられるし、鮒ずし、へしこ、スグキと醗酵食品にはいくらでも美味しい味がそろっています。パートナーがSNSでみた記事では、日本にきたポーランド人が、食べてその味うっとりしているというのが、<カジキの炙り>だとか。味はもう国境をとうに超えて世界共通になってきているようで、フランス料理だからと特別に神聖視するような時代はとっくに終わっているんだろうと思います。
 しかし何はともあれ普段絶対食べないトリュフなんて珍味(とされているもの)を直接手に触れ、舌に触れていただくことができたのは貴重な経験でした!

チーズ
 チーズもあまり自己主張の強くない、あっさり味のチーズを使いました。

チキンとブル―ンのウィスキー煮込み
 メインディッシュは、シナモンと八角の隠し味で香りを生かしたチキンとプルーンウヰスキー煮込み。柔らかに煮込んだ鶏肉にプルーンを一緒に少しずついただくと、とても美味しい、わが家の定番になった料理のひとつ。

シャインマスカットとラディッシュ
 これは昨日わが家に集ったパートナーのお友達の一人が持ってきてくださったシャインマスカットと、わたしが上賀茂の野菜自動販売機でゲットしてきた新鮮なラディッシュ。

 そして、これも写真を撮るのは忘れてしまいましたが、デザートには昨日もお友達に出したパートナーの焼いたタルトタタン・ケーキ(一般の林檎一個丸ごと使うタルト地のタルトタタンではなくて、タルトの代わりに何だったか、小麦粉にかえてくるみの粉といったっけなぁ、なにかを使って美味しくした、タルトタタン風のケーキなんだそうです)と、ウィッタードのオレンジブロッサム・ティーをいただきました。きょうの夕食は長男もちこみのトリュフを中心に、最後のデザートまで、相互によく調和のとれた魅力的なメニューでした。自分たちではとうてい買って食べようなんて気をおこさないだろうトリュフでしたが、長男のおかげでパートナーも一生食べずに終わった、ということなく、無事堪能することができたようで、きょうは終始御機嫌でした。

 彼女は一昨日だったか3本のケーキを焼いてお友達を待っていましたが、お友達の中には甘いもの好きで、いっぺんに三きれ食べてまだ物足りぬ様子の方もあるようで(笑)、瞬く間にストックがなくなってしまったらしく、明日はまたいつものように焼かないと、と言っています。

 お友達がたも、「このケーキを息子が楽しみに(家で)待ってるのよ」とか、「うちのひと(ご主人)も楽しみにしてるねん」とかおっしゃるので、わずかずつでもお持ち帰りいただかないとおさまりがつかぬようで(笑)・・・

 きょうは昼近くに、昨日図書館で借りた「日本文徳天皇実録」をコピーしている最中に、急に気分が悪くなってきて、嘔吐しそうになったので、あわててしばらく横になってやりすごしました。午前中はなんと一度に3冊もマーケティングプレイスに出品していた不要本が売れて、郵便ポストや宅配業者の営業所へ送りに行き、ついでにカナートで買い物をしたり、少し自転車で近くをまわったために疲れが出たのか、それとも以前にもあったように、急に血糖値が低くなったせいか、原因はよくわからないのですが、いろんなことが起きるものです。幸い吐かずに済み、しばらくじっとしていて、昼食のおむすびやいつものフルーツヨーグルトも無事食べることができました。

 そんなわけで今日は私はなんだかフラフラしていて気分がすぐれず、先日読み始めていたフーコーの「処罰社会」をほんの少し読み進んだだけで、他には何も読み書きの楽しみができず、プライムビデオの東映オーダーだったか、前に少し見ていた「影の軍団」でしたか、まだシリーズ1の5つめくらいで、全部見ようと思えば先が長いけれど、つまらないと思いながら、なにもせずにすむから、退屈しのぎにただ流してみていました。千葉真一もふつうの顔はあの湯屋のおやじみたいに、あまりしまりがなくてカッコよくない(笑)。忍者よろしく黒づくめの戦闘服に身を固め、覆面から太い眉に鋭い目だけ出してキッとした目つきをしていれば、体の動きはいいし、カッコよくて私は好きなほうなのですが・・

saysei at 21:59|PermalinkComments(0)
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